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2012年3月2日金曜日

ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって(ヴェーベルン)、あるいは断章の美学



 比較的若い演奏家たちによるヴェーベルンの初期の作品を聴いた。




あまりの豊潤なリリシズム! 書庫から吉田秀和を取り出してみる。

彼の音楽は、精神的なものと同じくらい、抒情的なものを根元としている。それが、ヴェーベルンの成熟後の作品そのものから汲みとれることはいうまでもないのだが、(……)彼の極めて若いころの作品――ほぼ一九〇五年ごろまでのーー(……)、そこには、まるでブラームスの手になったものか、マーラーの心から歌われてきたものかと思いかねないほどの濃厚な情緒を背負わされた旋律美と抒情精神のあることが見出される。(吉田秀和『私の好きな曲』より)

上にあげた作品は1905年のもの。

しかし、彼がシェーンベルクの門下に入って以後の作品では、抒情精神は依然根幹にあっても、ロマンティックな現われ方は姿を消す。同時に、音楽を豊麗に求めるゆき方も、みられなくなる。 ヴェーベルンの音楽は、厳しさを加え、凝縮性、集約性の点で、前例をみないところまでゆく。表現の濃度はますが、演繹によってではなく、無駄をきりつめ、一言をもって多くを語ることを通じて、そうなるのである。当然、それに応じて、作品も極度に短くなる。  この点では、師のシェーンベルクは、わずかだが、先鞭をつけていた。しかしヴェーベルンは、作品五ですでに追いつき、作品六の管弦楽のための《六つの小曲》、それから作品九の弦楽四重奏のための《六つのバカテル》などを通じて、先にゆく。




シェーンベルクは、さすがに、これを即座に見ぬいた。作品九のスコアが出版された時、それにつけたシェーンベルクの序文は、この間の消息を、記念碑的な的確さで、言いあてている。『これらの小曲の短かさが、すでに彼らの弁疏として充分に説得的なのだが、反面、この短さがかかる弁護を必要としてもいる。 かくも簡潔に自己表現するためには、どれほどの抑制が必要かを考えてみたまえ。ひとつひとつの眼差しが一篇の詩として、ひとつひとつの溜息が一篇の小説〔ロマン〕としてくりひろげられるにたりるのである。一篇の小説をただひとつの身振りによって、ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって表わす。かかる凝集は、それにふさわしい自己憐憫(ぐちっぽさ)をたちきったところにしか、見出されない。 これらの小曲は、音によっては、ただ音を通じてのみ言い表わしうるものんだけが表現できるのだという信念を保持しているひとだけが理解できるのである……』





◆ロラン・バルト『彼自身によるバルト』から。

断章は(俳句と同様に)《頓理》である。それは無媒介的な享楽を内含する。言述の幻想、欲望の裂け目である。文としての思考、という形をとって、断章の胚種は、場所を選ばず、あなたの念頭に現れる。それはキャフェでかもしれず、列車の中かもしれず、友だちとしゃべっているときかもしれない(それは、その友だちが話していることがらの側面から突然出現するのだ)。そういうときには、手帳を取り出す。が、その場合書きとめようとしているものは、ある一個の「思考」ではなく、何やら刻印のようなもの、昔だったら一行の「詩句」と呼んだであろうようなものである。 何だって? それでは、いくつもの断章を順に配列するときも、そこには組織化がまったくありえないとでも? いや、そうではない、断章とは、音楽でいう連環形式のような考えかたによるものなのだ(『やさしき歌』、『詩人の恋』)。個々の小品は、それだけで充足したものでありながら、しかも、隣接する小品群を連結するものでしかない。作品はテクストの外にしか成立しない。断章の美学を(ウェーベルン以前に)もっともよく理解し実践した人、それはだぶんシューマンである。彼は断片を「間奏曲」と呼んでいた。彼は自分の作品の中に、間奏曲の数をふやした。彼がつくり出したすべては、けっきょく、《挿入された》ものであった。しかし、何と何の間に挿入されていたと言えばいいのか。頻繁にくりかえされる中断の系列以外の何ものでもないもの、それはいったい何を意味しているのか。  断章にもその理想がある。それは高度の濃縮性だ。ただし、(“マクシム〔箴言、格言〕”の場合のように)思想や、知恵や、真理のではなく、音楽の濃縮性である。すなわち、「展開」に対して、「主調」が、つまり、分節され歌われる何か、一種の語法が、対立していることになるだろう。そこでは《音色》が支配するはずである。ウェーベルンの《小品》群。終止形はない。至上の権威をもって彼は《突然切り上げる》のだ!