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2013年10月31日木曜日

剽窃と模作

《私は小説作品として(「探究」シリーズを)読んでいる。彼(柄谷行人)は『探究Ⅱ』を、デカルトとスピノザと3人で書いている。しかも、ワープロを使って。》(蓮實重彦)

――ツイッターにて拾ったので蓮實重彦がどこで語っているのかは窺いしれないが、いかにもロラン・バルトを愛する蓮實重彦のすぐれた「剽窃」である。

ここに書かれているいっさいは、小説の一登場人物――というより、むしろ複数の登場人物たち――によって語られているものと見なされるべきだ。(……)すなわちエッセーはおのれが《ほとんど》小説であること、固有名詞の登場しない小説であることを、自分に対して白状するべきであろう。(『彼自身によるロラン・バルト』)

あるいは『物語批判序説』の蓮實重彦ならこう書く。

《…それなりの原理によって安定しようとする理論的閉域に手をさしのべ、超=虚構的な言説の断言をつかみとり、文脈が崩れることをも怖れずにそれを駆りうけてくると、優雅な身振りでその出典を曖昧にしながら、自分の言説にくみいれるのだ。つまり、バルトは他者の言葉をあからさまに引用する…》

《…他人の言葉や概念をあからさまに引用することすら辞さないその身振りは、ほとんど盗みのそれに近いということもできるだろう…》

《…出典となった言説にあっては深さに保護されていた概念なり語句なりが、文脈から孤立化させられてあたりにばらまかれることで断片化の力学にさらされ、もっぱら拡散しながら浅さの衣裳をまとうことになる……バルト的な犠牲者の言説は、文脈を奪われた語句たちによる浅さの戯れを介して理論の閉域を解放する》(「近未来の剽窃のために」より)



ところで剽窃などを批判・揶揄する言葉、たとえば「自分のことばで表現しろ」などという発話は、この発話文自体、小学生のころから先生や、あるいは教育熱心な父母から聞かされてきた台詞の引用であり、それにも気づかず批判のことばとしてしたり顔の連中から頻出するのは、滑稽というよりほかあるまい。

仮に自己表現しようとしても、彼は少なくとも、つぎのことを思い知らずにはいないだろう。すなわち、彼が《翻訳する》つもりでいる内面的な《もの》とは、それ自体完全に合成された一冊の辞書にほかならず、その語彙は他の語彙を通して説明するしかない、それも無限にそうするしかないこと。(ロラン・バルト『作家の死』)

もちろん翻訳する辞書が、中学生程度どまりのみの台詞で出来上っているよりは、それなりの経験・古典の読書などによって出来上っているほうが好ましいには相違ない。


さて冒頭の引用を異なった側面から読むこともできる。『探求Ⅱ』の柄谷行人なら、デカルトやスピノザ、『探求Ⅰ』ならウィトゲンシュタイン、『トランスクリティーク』ならカントやマルクスに成りかわって、彼らなら現在をどう観るのか、どう解釈するのか、そうやって書いているとしてもよいだろう。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

 …………

どの語彙を選ぶかどの構文を採るか、その選択の前で迷う自由はあっても、新たな選択肢そのものを好き勝手に発明することは禁じられているのだから、語る主体としての「わたし」が自分自身の口にする言葉に対して発揮できる個性など高が知れている。

しかし、実はこの制約と不自由こそ、逆に「わたし」が独我論的閉域から開放されるための絶好の契機なのである。どんな些細な言葉ひとつでもそれを唇に乗せたとたん、「わたし」は他者のシステムに乗り入れることになる。それを言い表そうとしないかぎり「わたし」自身に属する独自な感覚であり思考であると思われたものも、口に出すやいなや如何ともしがたく凡庸な言葉の連なりとして「わたし」自身の鼓膜によそよそしく響き、幻滅を味わうというのはよくある体験なのではあるまいか。自分の奥底まで届いた唯一のかけがえのない貴重な出来事を言葉にしようと試みて、語れば語るほど言葉がよそよそしく遠ざかってゆくというもどかしさが、われわれをしばしば苛立たせていないか。

だが、このよそよそしさとこのもどかしさこそ、言語の実践を彩っているもっとも豊かなアウラと言うべきものなのである。よそよそしさの溝を何とか跨ぎ越えよう、触れえないものに何とか触れようとして虚空をまさぐる宙吊りの時間のもどかしさに耐えながら、「わたし」は言葉を欲望する。言葉という他者に刺し貫かれることで豊かになりたいと願うのだ。

そんなとき、言葉は、まさしくあの「わたし」をうっとりさせる春宵の風の正確な等価物となる。むしろ、受精の機会を求めて風に乗って飛散する花粉のような何ものかと言うべきかもしれぬ。そして、よそよそしさともどかしさそのものを快楽に転じながら「わたし」が辛うじて声に出したり紙に書き付けたりしえた発語の軌跡とは、あたかもこの濃密な花粉を顔いっぱいに浴びてしまった人体に現れる過剰な免疫反応としての花粉症の症状にでも譬えられるかもしれぬ。他者のシステムとしての言語を前にした発語のもどかしさの快楽とは、眼の痒さやくしゃみを堪えながらしかし鼻孔をくすぐる花の香に陶然とすることをやめられずにいる者の、甘美なジレンマに似ている。(松浦寿輝『官能の哲学』)

松浦寿輝独自の詩的散文であるようにみえつつ、やはりここにも何人かの作家たちとのインターテクスチャアリティがある。

インターテクスチャアリティ、すなわち、一つのテクストは、過去のテクストの総体のなかで書かれ、かつそれは過去のテクストの意味を僅かでも変えること(エリオットの「伝統」概念参照)。


「私とは一個の他者である」(ランボー)はあまりに名高すぎるというのなら、ランボーの翻訳者鈴木創士氏のツイートだっていい、《「自分の言葉で表現しろ」は誤解を生む言いかたである。言葉は本来他人のものであり、その他人もまた別の他人から借りてきたのであって、言葉の使用法などというものはすでにして言葉の誤りである。規則や慣習に反抗した程度で損なわれる「自分」など、もともと表現するに値しないお粗末なものなのだ》


さらにヴァレリーのカイエの一節を並べてみよう。

人は他者と意志の伝達をはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じ合うことができない。それは他者と意志の伝達をはかるときと同じ手段によってしか自らとも通じ合えないということである。

かれは、わたしがひとまず「他者」と呼ぶところのものを中継にしてーー自分自身に語りかけることを覚えたのだ。

自分と自分との間をとりもつもの、それは「他者」である。

(ポール・ヴァレリー『カイエ』二三・七九〇 ― 九一、恒川邦夫訳、「現代詩手帖」九、一九七九年)

ここでの「他者」は訳者の恒川氏によれば「言葉」である。そしてそれは「言葉」でなくてもよい。

ポール・ヴァレリー『カイエ』の引用は、実は中井久夫の「感銘を受けた言葉」(『アリアドネからの糸』所収)からだが、中井氏はこの引用のあと、次のように書いている。

訳者によれば、この手段は「言語」であるそうだが、ヴァレリーがそう考えていたにせよ、それは言語に限ったことではないと考えてもよさそうである。私は、このアフォリズムを広く解して「私が自分と折り合いをつけられる尺度は私が他者と折り合いをつけられる、その程度である」というふうにした。

いずれにせよ、《あらゆる『創造』の九九パーセントは、音楽であれ思想であれ、模倣だ。窃盗、多かれ少なかれ意識して。》(ニーチェ遺稿)でありつつ、もしかりに作家たちに独自なものがありうるならばーーあるいは《「わたし」をうっとりさせる春宵の風》やら《受精の機会を求めて風に乗って飛散する花粉のような何ものか》としての独自性といってもよいーー、まずは音調やスタイル(文体)であるだろう。

――「自分の声をさがしなさい」(須賀敦子)


中井久夫ならこう言う。

「文体」を獲得して初めて、作家は、机に向かわない時も作家でありうる。なぜなら、「文体」を獲得した時、言語は初めて、書かず語らずとも、散策の時も、友人との談話の時も、電車の中でも、まどろみの中でも、作家の中で働きつづけるからである。

「文体」とは何であるか。古くからそれは「言語の肉体」であるといわれてきた。「言語の肉体」とは何であるか。それは、言語のコノテーションとデノテーションとの重層だけではない。歴史的重層性だけでもない。均整とその破れ、調和とその超出(……)だけでもない。言語の喚起するイメージであり、音の聴覚的快感だけではない。文字面の美であり、音の喚起する色彩であり、発声筋の、口腔粘膜の感覚であり、その他、その他である。(中井久夫「「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて」

そしてロラン・バルトなら、ニーチェの音調を語る、文である思想、という歌唱と。

『批評的エッセー』の中によく見てとれるように、エクリチュールの主体は「進化する」のである(荷担〔アンガーシュマン〕の道徳から、記号表現の道徳性へと移行して)。彼は、みずからが対象として扱う著作者たちに応じて、順を追って進化する。けれどもそれを導くものは、私がそれについて語る著作者自身ではなく、むしろ、《その著作者によってしむけられて私がその人について語るにいたることがら》である。つまり、私は《その人の認可のもとに》私自身から影響を受ける。私が彼について語ることがらによって、私は、私自身についてその同じことを考えさせられる(あるいは、そのことを考えないようにさせられる)、と、そんなふうに言ってもいい。

だから二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』)

ところで剽窃と模作の違いはなんなのだろうか。

ロラン・バルトは次のように剽窃に《賛成》し、模作に《反対》する。

彼が好んで使う語は、対立関係によってグループ分けされている場合が多い。対になっている二語のうちの、一方に対して彼は《賛成》であり、他方に対しては《反対》である。たとえば、《産出/産出物》、《構造化/構造》、《小説的〔ロマネスク〕/小説〔ロマン〕》、《体系的/体系》、《詩的/詩》、《透けて見える/空気のような》〔ajouré/aérien〕、《コピー/アナロジー》、《剽窃/模作》、《形象化/表象化》〔figuration/ représentation〕 、《所有化/所有物》、《言表行為/言表》、《ざわめき/雑音》、《模型/図面》、《覆滅/異議申し立て》、《テクスト関連/コンテクスト》、《エロス化/エロティック》、など。ときには、(ふたつの語の間の)対立関係ばかりではなく、(単一の語の)断層化が重要となる場合もある。たとえば《自動車》は、運転行為としては善であり、品物としては悪だ。《行為者》は、反“ピュシス〔自然〕”に参与するものであれば救われ、擬似“ピュシス”に属している場合は有罪だ。《人工性》は、ボードレール的(“自然”に対して端的に対立する)なら望ましいし、《擬似性》としては(その同じ“自然”を真似するつもりなら)見くだされる。このように、語と語の間に、そして語そのものの中に、「“価値”のナイフ」の刃が通っている。(『彼自身のよるロラン・バルト』)

ここではドゥルーズの翻訳者でもある宇野邦一氏、--ドゥルーズを剽窃しているのか・模作しているのかの判断はひとまずおくことにして、ーー氏は次のように書いている。

……ひとりの思想家を理解すること、ひとつの思想を理解すること、これは一体どのようなプロセスなのか。ドゥルーズ自身は、ことあるごとに、「理解すること」は重要ではなく、むしろ「使用すること」のほうが大切だと述べている。理解することは、どうしても一度考えられ、書かれたことを正確にたどり、みずからの思考の中に模写し再現することをともなうだろう。 (……)

ところが、再現することも、模写することも、あるいは正確さということさえも、重要であるどころか、むしろ避けるべきこととドゥルーズは考えている。むしろどんな断片でもいいから、それを手にとって、使ってみること、たたいたり、裏返したり、匂いを嗅いでみたりしてみて、いっしょに時間をすごし、別の脈絡に移動させ、使いみちをみつけること。そんなイメージを、ドゥルーズは思想を「理解する」のではなく、「使用する」こととして提唱しているのだ。(宇野邦一『ドゥルーズ――流動の哲学』)

この「使用すること」は、蓮實重彦の書くロラン・バルトの態度、すなわち《他人の言葉や概念をあからさまに引用することすら辞さないその身振り》やら《出典となった言説にあっては深さに保護されていた概念なり語句なりが、文脈から孤立化させられてあたりにばらまかれることで断片化の力学にさらされ、もっぱら拡散しながら浅さの衣裳をまとうことになる》などの文章と共鳴するとしてよいだろう。

こうやって、「理解すること/使用すること」と「模作/剽窃」のふたつの二項対立を並べることができる(ドゥルーズならこの「剽窃」を、つまり「使用すること」を、「自由間接話法」というのかもしれないが、ちょっといま調べてみる気はしない)。


ヴァリエーションとして、解釈学/解釈、Meaning/Senseなどがあるだろう。

《Meaning is an affair of hermeneutics(解釈学), Sense is an affair of interpretation(解釈)》(参照緒:「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン



いまどき二項対立かい? というひとがいるのは知っている。きっとことさら「聡明な頭脳」をもっているのだろう。せいぜい、それなしにやってみたまえ。

僕も、どこかで形式と内容というのは、現実としては抽象でしかないという感じがしているわけです。ただし概念操作としては、明らかに機能しているし、僕もその機能に従って批評を書いたりするわけだし、ソシュールにしたってそうなんです。たぶん形式と内容といったものは、それ自体が大きなものとして括られて、ひとつの記号になっちゃうだろうということはわかっているけど、そのことを括弧に入れて仕事をせざるをえないわけですよ。こっちは二元論の罠に好んで落ちているわけで、べつに二元論を永遠に回避しようなんて思っているわけじゃない。二元論を回避するというのは、なんかのお終いであるわけですよ。そのなんかのお終いを自ら自分で演じて見せるほど、僕は図々しくもないし、またそれほど達観してもいないつもりです。

浅田君が二元論はいけないと言っているけれどもね。概念操作としては二元論というものは絶対必要なんですよ。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

デリダ? 二項対立の脱構築? ーー「脱構築」の脱構築はどうなってるんだい? あれは、否定神学、男性の論理さ、とジジェクは言う。

In Derrida, this logic of totalizing exception finds its highest expression in the formula of justice as the “indeconstructible condition of deconstruction”: everything can be deconstructed—with the exception of the indeconstructible condition of deconstruction itself. Perhaps it is this very gesture of a violent equalization of the entire field, against which one's own position as Exception is then formulated, which is the most elementary gesture of metaphysics.(『LESS THAN NOTHING』)

あるいは「観念論」だとも、ユートピア的希望に支えられた、ーーオレはデリダにはほとんど無知だけどね。

Even Derrida's notion of “deconstruction as justice” seems to rely on a utopian hope which sustains the specter of “infinite justice,” forever postponed, always to come, but nonetheless here as the ultimate horizon of our activity.(同上)

…………

※追記:「自由間接話法」について、いくらかネット上から拾ってみたので、ここに附す。

著者はバディウの指摘した、ドゥルーズにおける自由間接話法の多用から話を始める。他者の発言をカッコにくくらず、「と言った」とも受けず、裸のまま地の文の中に置く手法である(この評の冒頭、3行目「特に」以下がそれにあたる。「我々の多く」がそう言うのか、書く私の発言なのか、決定不能になる)。

 すると、評する主体と評される主体は交じり合う。まるで相手の考えの奥に潜り込むようにして、ドゥルーズは対象を思考する。(ドゥルーズの哲学原理 [著]國分功一郎
ツイートの別な使い方。「ボット」のように、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所として使えないかと思ってはいるが、なかなか とりかかれないまま。(壁の向うのざわめき  高橋悠治
自由間接話法とは、例えば「彼女は彼のくそ顔をぶっ叩きたかった。」という文が、形式的には三人称による客観的 =中立的な記述にみえて、しかし実は「くそ顔」という語彙の選択によって「彼女」の視点 =主観に寄り添っていることが分かるというように、ある主観が直接的ではない形で示される、主観的とも客観的とも言えない状態のこと。(偽日記



2013年10月30日水曜日

10月30日

十月三十日。半陰半晴。大気重く溽暑甚し。いまだ乾季訪れず。早朝庭球にて右肘捻り途中退場。然し乍ら幸いにも軽症にて既に支障なし。

午前医者を訪う。血圧係、血液係の看護婦と顔見知りなりし故猶更乙女らの可憐な微み哀憐禁ずべからず。見るからに安ツぼき薄汚れた白衣のきれ地の下より胸と腰との曲線をみせ愛嬌を振り撒く姿いとおしむべし。しばし款語にうつつを抜かす。

尿酸値七度迄下がる。以前この値に下がった折食事療法を緩めしが為九度に復すことありき。今回は女房食事療法継続を強要す。五度近くまで下がるのはいつのことやら。麦酒飲みたしが米焼酎で堪えざるを得ず。痛風再発懼れぬでもなし。

くだらぬ内容を書き綴るには「文語」に限りしが稚拙覆うべからず。修業の至らぬこと甚し。

日本語の場合、いかなる事態をも記述できる普遍的文章語は、戦後、すなわち二〇世紀後半にようやく成立した。それは、週刊誌の文体に近いだろうか。また「口語」「文語」といわず、「古文」「現代文」というようになった。そして「古文」は「文語」の持っていた生産性を失った。文語は公的な文章に限らなかった。その凛々しさ、簡潔性、中立性から「日記」を文語で書く人が多かった。きりっとした現代文を心がけるのは、とてもむつかしい。もっとも、文語にはくだらぬ内容でも一見凛然とさせてしまう「副作用」があるだろう。(中井久夫「日本語の対話性」『時のしずく』所収)

荷風の日記を筆写すべし。

昭和十五年歳次庚辰  荷風散人年六十二

二月二十日。午後微雨。忽ち歇む。薄暮土州病院へ往く。尿中蛋白質顕著。かつまた血圧やや高しとて、院長頻に菜食の要あるを説く。余窃に思ふところあり、余齢既に六十を越えたり。希望ある世の中ならば摂生節慾して残生を偸むもまたあしきにあらざるべし。されど今日の如き兵乱の世にありては長寿を保つほど悲惨なるはなし。平生好むところのものを食して天命を終るも何の悔るところかあらん。浅草に至り松喜食堂に雛肉を食し玉の井を歩みてかへる。新聞紙この夕芬蘭土軍戦況不利の報を掲ぐ。悲しむべきなり。

2013年10月29日火曜日

10月29日

ドゥルーズ研究者の評判の書を、序章、一章、二章と読みつつ、ツイッター上やらブログで感想を呟き、それを著者がリツイートしたり、感謝の念を表明する。

こんな現象がこの一週間ほど頻発している。

ダイジョウブカネ
クルッテルゼ
ハシタナイ連中ダ

そんなことでは「批評=吟味」などあったもんじゃない
まさに「批評」を封印する振舞いだぜ
やっぱり
「人びとは驚くほど馬鹿になっています」(ゴダール)だぜ

思想家とは「発酵」を教えるひとではないのか

すくなくともこんな旧世代の言葉はどこ吹く風だな

「読書は、秘密結社員みたいにこっそりするものだ 」(中井久夫「秘密結社員みたいに、こっそり」『時のしずく』所収)

「読むという秘儀がもたらす淫靡な体験が何の羞恥心もなく共有されてしまっているという不吉さ」(蓮實重彦『随筆』)

実際、「読書」とはあくまで変化にむけてのあられもない秘儀にほかならず、読みつつある文章の著者の名前や題名を思わず他人の目から隠さずにはいられない淫靡さを示唆することのない読書など、いくら読もうと人は変化したりはしない。(同上)

ーー「生成変化」を促す書物のはずではなかったか

ことさら中井久夫や蓮實重彦のことばをそのまま真にうける必要はない
しかし古い人間には、驚くべきさまにみえる

……多くのヒトにレスポンスを貰うことを指向し、いろいろな仕組み作りを試みている……(蓮實重彦は)「そんなことは貧乏臭い」と切って捨てる…レスポンスを貰うことは下らないことで、メディア戦略ばかりを考えた勝ち組は、むなしい勝利に過ぎない…「結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった」(蓮實重彦

浅田彰はあの著書の帯文書いているらしいが、あの振舞いを許すのかね
ドゥルーズ哲学の正しい解説?そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ」(浅田彰)。


◆中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)より。
蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

浅田彰) 例えば、デリダ論の本を書いたとして、十年後に知らない誰かがそれを読むというのが、本当のレスポンスであり、大文字の他者の承認なのであって、いま流行っているアニメについてブログに書いたら、その日のうちに 100個くらいレスポンスが来たと言っても ……。… そういう小文字の他者からのレスポンスは一週間後には最早なかったに等しいでしょう。即時的なレスポンスのやりとりがコミュニケーションだという誤った神話に惑わされてはいけない。

蓮實重彦)それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。

浅田彰) そうですね。ドゥルーズは、哲学者でありながら、あるいはまさにそれゆえに、論争(はやりの英語で言えばディベート)は何も生み出さないから嫌いだと明言した。そう言いながら、彼はガタリと二人で本を書き、いろいろ長いインタビューに答えてもいる。それは、しかし、ディベートではないわけです。 …ドゥルーズは、その新哲学派を徹底批判するために自費出版のパンフレットを出す一方、メディアにおけるレスポンスを求めないために書く。そのためなら二人で書いたっていい、そういう立場であって、その姿勢は今こそ学ぶべきものだと思います。( 2009年9 月18日)

まったく「ドゥルーズ」を生きていないぜ
反ドゥルーズ的・反生成変化的振舞いの典型じゃないかい?

「一方は完全ロバと、もう一方は自分の墓掘人どもの才気ある同盟者」(クンデラ『不滅』P193)
などとはオレはいわないがね
人文学の危機の時代らしいからな
その救いの若き星だからな


真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。われわれが、自然に、社会に、恋愛に、芸術そのものに、まったく欲得を離れた傍観者である場合も、あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。それなのにわれわれは前者の半分のことしか考慮に入れない。その部分は外部であるから深められることがなく、したがってわれわれにどんな疲労を招く原因にもならないだろう。それにひきかえ、さんざしとか教会とかを見たときの視覚がわれわれの内部にうがった小さなみぞを認めようとつとめるには、われわれはひどく困難をおぼえるのである。しかもわれわれはシンフォニーをふたたび演奏し、教会を見にふたたびその場所を訪れる、そしてついにはーー本来の生活を直視する勇気をもたず、そこから逃避して博識と呼ばれるもののなかに走りーー音楽や考古学に精通した愛好者とおなじ方法で、おなじ程度にまで、それらについての知識をえるだろう。したがって、いかに多くの人々が、そこまでにとどまり、自分の印象から何もひきださず、無益に、満たされずに、芸術の独身者として、老いてゆくことであろう! 彼らは未婚の女やなまけものがもつ悲しみを味わう、そうした悲しみを癒やすのは、受胎か仕事かであろう。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)


ーーと書いているプルースト自身、最初の出版「スワン家」では、いろいろ販売促進の画策をしているらしいから、いた仕方ない面はあるのだろうけど。

値段は3フラン50サンチームと非常に安価で、これは当初10フランを提案したグラッセ社に対して、作品をより広く流布させたいというプルーストの意向により付けられた値段であった。

1913年11月14日に第一篇『スワン家のほうへ』が刊行されると、プルーストの知り合いの編集者に運動をかけたこともあって新聞各紙に書評が掲載された云々。(Wikipedia)

続き→ 人が二十年もかかって考えた処を、一日で理解したと思い込む人々

「牧畜民族は農耕民族と違うというホラ話」、あるいは蓮實重彦と中井久夫

やれ、日本の猿は西洋の猿とは違う、やれ日本人の脳は西欧人とは違う、やれ牧畜民族は農耕民族と違うというホラ話も、結局は、見えないはずの差異をイメージとして抽象的に可視化して、虚構としての内部と外部を捏造してそれに安住するという話でしょう。(蓮實重彦『闘争のエチカ』1988)

それぞれの「ホラ話」は、河合雅雄の猿学、角田忠信の左脳と右脳、そして牧畜民/農耕民は、中井久夫の「分裂病と人類」ということになるのだろう。

狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。農耕社会は計量し測定し配分し貯蔵する。ときに貯蔵、このフロイト流にいえば「肛門的」な行為が農耕社会の成立に不可欠なことはいうまでもないが、貯蔵品は過去から未来へと流れるタイプの時間の具体化物である。その維持をはじめ、農耕の諸局面は恒久的な権力装置を前提とする。おそらく神をも必要とするだろう。(中井久夫『分裂と人類』)

同世代人の中井久夫(1934生れ)と蓮實重彦(1936生れ)が、お互いにその名を出すのを寡聞にして見たことがないのは、このあたりに由来するのかもしれない。

中井久夫は自ら《私の分裂病論の核心の一つは一見奇矯なこの論文にある。他の仕事は、この短い一文の膨大な注釈にすぎないという言い方さえできるとひそかに思う》としているわけで、それをあっさり「ホラ話」とされては、怒髪天を衝くという具合になることは充分予想される。


一言にしていえば、S親和者の優位性は「徴候を読む能力」にある。少くとも狩猟採集民族には欠かせない能力である。イタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグが全く別の接近路から「徴候知」を抽出していたのとほぼ同時に独立して私も徴候知に市民権を与えたわけだ。この能力は、農耕社会の到来とともに重要性が減り、その結果、失調をおこしやすくなるかもしれないが、リーダーや気候や天災の予測に必要な能力である。雨司、呪術師はしばしば王を兼ねていたという。医師にも当然なくてはならない能力である。

しかし、職業生活だけがすべてではない。鬱病の場合と違う。徴候知は万人に必要であり、赤ん坊が母親の表情を読むことがすでにそうではないか。そして徴候的認知はとくに配偶者選択に有利である。相手が世俗的なことを考えているときに求愛しても成功はおぼつかない。状況や相手の表情や何やかやから「今だ」というタイミングを読む力は徴候知に属し、徴候知は「接合率」を高める重要因子である。だから、S親和者はなくならないーー。これはハックスリのよりもナイスな答えではないかと私は思った。

私の分裂病論の核心の一つは一見奇矯なこの論文にある。他の仕事は、この短い一文の膨大な注釈にすぎないという言い方さえできるとひそかに思う。S親和的な人、あるいは統合失調症患者の士気向上に多少程度は役ったかもしれない。家庭医学事典などは破滅的なことが書いてあるからである。(「『分裂病と人類』について」2000年初出『時のしずく』所収)

もうひとつの主著『徴候・記憶・外傷』にもこうある。

不安なしに対象世界が徴候化することはある。それは、狩人の場合であって、カルロ・ギンズブルグは、些細な足音や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」を、歴史家、医師、推理作家などの方法の先駆として、この「知」による科学に「演繹」や「帰納」による科学と同等の「知」としての位置を与えることを主張している。(……)この「知」は、意識的な「方法論」methodologyではなく、十八世紀の古くからいわれながらあまり取り上げられていない「セレンディピティ」による知であると私は思う。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」p27)


わたくしは、中井久夫、蓮實重彦とともにその著書を愛する人間なので、ここではなんやかやと言いたくないが、蓮實重彦発言の起源は、つぎのレヴィ=ストロースの『野性の思考』の叙述に負うところがあるのではないか、とふと思う。


未開人と呼ばれる人々が自然現象を観察したり解釈したりするときに示す鋭さを理解するために、文明人には失われた能力を使うのだと言ったり、特別の感受性の働きをもち出したりする必要はない。まったく目につかぬほどかすかな手がかりから獣の通った跡を読みとるアメリカインディアンや、自分の属する集団の誰かの足跡なら何のためらいもなく誰のものかを言いあてるオーストラリア現住民( Meggitt )のやり方は、われわれが自動車を運転していて、車輪のごくわずかな向きや、エンジンの回転音の変化から、またさらには目つきから意図を推測して、いま追い越しをするときだとか、いま相手の車を避けなければならないととっさに判断を下すそのやり方と異なるところはない。この比較はまったく突飛に見えるけれども、多くのことをわれわれに教えてくれる。われわれの能力がとぎすまされ、知覚が鋭敏になり、判断が確実性をますのは、一つには、われわれのもつ手段とわれわれの冒す危険とがエンジンの機械力によって比較にならぬほど増大したためであり、もう一つには、この力を自分のものとしたという感情からくる緊張が他の運転者との一連の対話の中で働いて、自分の気持に似た相手の気持が記号の形で表わされることになり、まさにそれが記号であるがゆえに理解を要求するため、われわれが懸命に解読しようとするからである。

このようにわれわれは、人間と世界が互いに他方の鏡になるという、展望の相互性が機械文明の面に移されているのを再び見出すのである。そしてこの相互展望は、それだけで、野生の思考の属性と能力を教えてくれることができるように思われる。異文化社会に属する観察者から見れば、おそらく、大都会の中心部や高速道路の自動車交通は人間の能力を越えるものと判断されるであろう。たしかにそれは人間の能力を越えているのである。そこでは人間どうし、自然法則どうしがそのまま向き合うことがなく、運転者の意図によって人間化された自然力の体系どうし、人間が媒介する物理的エネルギーによって自然力に変換された人間どうしが向かい合うのだから。もはやそれは動かぬ物体に対する行為主体の操作でもなければ、行為者の地位にまでもち上げられた物体が、代償をもとめることなく自分の地位を物体に譲った主体におよぼす逆作用でもない。すなわち、どちらから見ても、一定量の受動性を含むような状況ではないのである。登場する存在は、同時に主体として、また客体として、ぶつかり合う。そこで使われるコードでは、両者をへだてる距離の単なる変動が、声なき呪文の力をもつのである。(「再び見出された時」『野生の思考』クロード・レヴィ・ストロース著 大橋保夫訳)


2013年10月28日月曜日

メモ:池田亮司+EP-4


◆池田亮司




◆EP-4




池田 亮司 / Ryoji Ikeda , OPENING GUEST:EP-4 unit3 (佐藤薫・BANANA-UG) + 伊東篤宏


…………


感覚の作用は振動である。よく知られているように、卵は器官的表象「以前の」身体の状態、すなわち軸とベクトル、勾配、部位、運動学的動き、力学的傾向等をまさに提示しており、そうした様々な状態に比べれば、形態は偶然的で、付随的である。「口なし。舌なし。歯なし。咽頭なし。食道なし。胃なし。腸なし。肛門なし」。まさしく非器官的生命である。というのも器官系は生命ではなく、生命を幽閉するからである。身体は徹底的に生きているがしかし、器官的組織体にではない。かくて感覚の作用もまた、それが器官系を通過して身体にまで到達すると、極端で痙攣的な様相を呈し、器官的組織体的行動の限界を越える。肉(体)のただ中で、感覚の作用は神経的波動や生命的興奮に直接関わり合う。多くの点でベーコンはアルトーと交差すると考えることができる。すなわち形体、それはまさしく器官なき身体である(身体のために器官系を解体し、頭部のために顔面を解体する)。また器官なき身体とは肉と神経である。波動がその身体を経巡り、その中に様々な水準を描く。感覚はいわば身体に働きかける様々な力と波動との出会い、「情動的運動競技」、「息の叫び」のようなものである。またこのようにして身体に関連づけられる時、感覚は表象的であることをやめ、それ自身実在的となる。(ジル・ドゥルーズ『感覚の論理:画家フランシス・ベーコン論』


新生児になろうとしている胎児を包んでいる卵の膜が破れるたびごとに、何かがそこから飛び散る、とちょっと想像してみてください。卵の場合も人間、つまりオムレットhommelette)、ラメラ(薄片)の場合も、これを想像することはできます。

ラメラ、それは何か特別に薄いもので、アメーバのように移動します。ただしアメーバよりはもう少し複雑です。しかしそれはどこにでも入っていきます。そしてそれは性的な生物がその性において失ってしまったものと関係がある何物かです。それがなぜかは後ですぐお話しましょう。それはアメーバが性的な生物に比べてそうであるように不死のものです。なぜなら、それはどんな分裂においても生き残り、いかなる分裂増殖的な出来事があっても存続するからです。そしてそれは走り回ります。

ところでこれは危険がないものではありません。あなたが静かに眠っている間にこいつがやって来て顔を覆うと想像してみてください。

こんな性質をもったものと、われわれがどうしたら戦わないですむのかよく解りませんが、もし戦うようなことになったら、それはおそらく尋常な戦いではないでしょう。このラメラ、この器官、それは存在しないという特性を持ちながら、それにもかかわらず器官なのですがーーこの器官については動物学的な領野でもう少しお話しすることもできるでしょうがーー、それはリビドーです。

これはリビドー、純粋な生の本能としてのリビドーです。つまり、不死の生、押さえ込むことのできない生、いかなる器官も必要としない生、単純化され、壊すことのできない生、そういう生の本能です。それは、ある生物が有性生殖のサイクルに従っているという事実によって、その生物からなくなってしまうものです。対象「a」について挙げることのできるすべての形は、これの代理、これと等価のものです。(ラカン『セミネールⅩⅠ』)

現代の音響技術は、「本物の」「自然な」音を忠実に再現できるだけでなく、それを強化し、もしわれわれが映画によって記録された「現実」の中にいたとしたら聞き逃してしまうであろうような細かい音まで再現することができる。この種の音はわれわれの奥にまで入り込み、直接的・現実的次元でわれわれを捕らえる。たとえば、フィリップ・カウフマンがリメイクした『SF/ボディ・スナッチャー』で、人間がエイリアンのクローンに変わるときの、ぞっとするような、どろどろべたべたした、吐き気を催させるような音響は、セックスと分娩の間にある何か正体不明のものを連想させる。

シオンによれば、このようなサウンドトラックの地位の変化は、現代の映画において、ゆっくりした、だが広く深い「静かな革命」が進行していることを示している。音が映像の流れに「付随している」という言い方はもはや適切ではない。いまやサウンドトラックは、われわれが映像空間の中で方向を知るための「座標」の役割を演じている。サウンドトラックは、さまざまな方向から細部を雨のように降らせることによって(……)、ショットの地位を奪ってしまった。サウンドトラックはわれわれに基本的視点、すなわち状況の「地図」をあたえてくれ、その整合性を保証する。一方、映像は、音の水族館を満たしている媒体の中を浮遊するばらばらの断片になってしまった。精神病の隠喩としてこれ以上ふさわしいものは他にはあるまい。

「正常」な状態では<現実界>は欠如、すなわち(ロコスの絵の真ん中にある黒点のように)象徴的秩序の真ん中に開いた穴である。ところがここでは、<現実界>という水族館が<象徴界>の孤立した島々を包み込んでいる。

言い換えれば、意味作用のネットワークが織り上げられる核となる中心の「ブラックホール」の役割を担うことによって、シニフィアンの増殖を「駆り立てる」ものは、もはや享楽ではなく、象徴的秩序そのものなのである。それはシニフィアンの浮遊する島、すなわち享楽のどろどろした海に浮かぶ島に成り下がってしまった。
In other words, it is no longer enjoyment that "drives" the proliferation of the signifiers by functioning as a central "black hole" around which the signifying network is interlaced; it is, on the contrary, the symbolic order itself that is reduced to the status of floating islands of the signifier, white ilesflottantes in a sea of yolky enjoyment.

このように「描出された」<現実界>は、フロイトのいう「心的現実」のことに他ならない。そのことをはっきり示しているのが、デイヴィッド・リンチの『エレファント・マン』における、エレファント・マンの主観的体験をいわば「内側」から表現している、神秘的な美しいシーンである。「外部の」「現実的な」音や騒音の発生源は保留され、少なくとも鎮められ、後景へ押しやられている。われわれの耳に入ってくるのは律動的な鼓動だけである。その鼓動の位置は定かではなく、心臓の鼓動」と機械の規則的な律動の間のどこかである。そこにあるのはもっとも純粋な形での描出されたものrenduである。その鼓動は、何物をも模倣あるいは象徴化しておらず、われわれを直接的に「掴み」、<物自体>を直接的に「描出render」している。だがその<物自体>とは何か。それにいちばん近くまで接近する言い方をしようと思えば、やはり「まるで生まれたばかりの生命のようにゆっくり脈打っている、形のない灰色の霧」と言う他ないだろう。目には見えないが質量をもった光線のようにわれわれを貫くその音響は、「心的現実」の<現実界>である。……(ジジェク『斜めから見る』p83~)


誰のための/誰に反しての欲望?

母親拘束から抜け出ていない模範生」に引き続く。このたびは現代文訳はいささか退屈なりし故、同じ拙訳なら荷風日記風の文体練習に資す。


夫妻連袂して心理療法士を訪う。夫君弁護士妻君医師なりき。双方窮する難局は十八の歳になる子息の扱いなるべし。子の才際立つにも拘らず依怙地極まりなし。執ねく己れの請を枉げず洋琴を学びしため洋楽教育を授ける学舎に進む願変はる気配なし。然り乍らとどのつまりは音曲は本物の職業とは言い難し。せいぜいのところ家内の集ひを潤す愉快なる道楽にすぎず。三度重なりし夫妻との会談にて判明せしは夫君青年期に於て芸能家として挺身する夢望を抱きしことなり。しかれども夫君の父は彼に法律家として身を立てることを余儀なくさせし。夫君いまはそれを悔やむことなかりし。豈図らんやこの消息に誰の欲望みしや。あるいは誰に反する欲望を。さらには誰の為の欲望を。父子の軋轢今となつては全く以て異質の光の下にありき。

A couple go to a therapist. He is a lawyer, she is doctor. The problem is their eighteen-year-old son, a brilliant student but as obstinate as can be. He wants to do his own thing and go to music college to study piano. His parents want him to take up 'serious' study. After all, music is not a real profession. It is at most a pleasant hobby that is useful at family reunions. During the course of three sessions it becomes clear that, as an adolescent, the father had dreamed of becoming an artist and that his father had forced him to study law, though he certainly does not regret that now. Whose desire are we looking at here? And against whom? Or is it. . . for whom? The conflict between father and son is now seen in quite a different light. ( 『Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE 』Paul Verhaeghe)


ここでは、息子の欲望は、父の欲望とすれば、父の欲望は祖父の欲望でもある。息子は祖父の欲望に反して、父の本来の欲望をもった、と言ってしまえば単純すぎる。祖母の欲望やら、母の欲望もあるだろう。たとえば母は、父が芸術家になりたい欲望を抑えて祖父の欲望にしたがって弁護士になったことを知っており、その男の、影の欲望に魅せられて愛するようになったのかもしれない。とすれば母のひそかな欲望は息子をアーティストにしたいということだってありうる。あるいは、息子の欲望は現実界の<他者>の深淵に支えられているのだとしたら、欲望ではなく欲動の次元にまで視界を拡げる必要がある。素材という部分対象への欲動、表現の素材(音楽においては音)に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように生じる「享楽」から逃れられないということだってありうるのだ。

a desire which is always already desire of/for a desire, that is a “desire of the Other” in all variations of this term: I desire what my Other desires; I want to be desired by my Other; my desire is structured by the big Other, the symbolic field in which I am embedded; my desire is sustained by the abyss of the real Other‐Thing(ZIZEK”LESS THAN NOTHING”)











2013年10月27日日曜日

「吉増剛造とか中井久夫ってのはそういうやつらだと思っていた」

《吉増剛造とか中井久夫ってのはそういうやつらだと思っていた。》

《吉増剛造は近年いやにポストコロニアリズム色を出して、鵜飼哲などとも協働していたと記憶するが、文化功労者とポスコロは両立するのかね。これもまた、「ボヘミアンから文化的権威へ」という、ありふれたストーリーの退屈な反復でしかない。》

ツイッター上からだが、誰が語っているかはあえて表示しない。文芸にかかわる書き手とだけしておく。

文芸批評家というのは、過去の文学者たちの振舞いを知っているわけで、やはり文化功労者なるものに斜めから見る態度をとるのもやむえない。

つい先日、荷風の文化勲章受章(あるいは文化功労金授受をめぐる文を書いたばかりなので、いささか二人の言葉に注目してしまった。

…………

昭和二十七年十一月に文化勲章授与、ただちに文化勲章年金証書をも与えられる。年額金五十万円。

昭和廿七年 十二月卅一日。晴。文化功労者年金五十万円下渡しはその後何らの通知もなし。如何なりしや笑ふべきなり。夜銀座マンハッタン女給三人と共に浅草観音堂に賽す。家に帰るに暁三時半。月よし。

 当時の都市勤労者世帯の月平均収入は二万円ほどというデータがある。

荷風は父譲りの莫大な資産以外にも、年金五十万円以外に全集や映画化などの著作権料や著書の印税が多額に入っていたはず。反骨精神の象徴のようだった荷風の文化勲章受賞をいぶかる文学関係者も多かったそうだが(たとえば伊藤整は、勲章をぶら下げる荷風の写真をみて「哄笑」したらしい)、戦後のインフレで所有している株券も預金も紙くず同然になった上に、戦災で偏奇館を焼失して親戚や知人の家を転々としていた永井荷風にとって、年金は今後の経済生活を保障してくれるしてくれる貴重な「財源」だった、あるいはひどい吝嗇家だったとする人もいる。

いずれにせよ、最晩年、市川菅野、あるいは京成八幡に移転したあとも、荷風いわくは独り「陋屋」に住む。住み込みの家政婦は置かない(通いの家政婦はあったようだが、部屋は埃だらけだったそうだから、毎日通う者だったのかも疑わしい)。

…………

いまは年額350万円らしい。ちなみに芸術院会員は年金250万円。荷風の時代ほどの価値はないだろうが、たとえば多くの収入があるわけではないだろう詩人たちにとっては貴重な額ではないだろうか。

大岡信、中村稔、そして吉増剛造が今回選ばれているのを知るならば、誰が選ばれていないかのほうが(あるいはこっそり辞退したのか、行政側が最初から敬遠したのか)気になるところではある。わたしくの比較的よく読む作家たちのなかで思い浮かぶのは、まずは谷川俊太郎であり、詩人ではないが、加藤周一(友人の吉田秀和の文化勲章を祝う会には出席して熱烈なスピーチをしているそうだ)、あるいは蓮實重彦は仏から芸術文化勲章 コマンドゥール(1999を授かっており、いまだ文化功労者ではないのは奇妙ではある。


芸術院会員辞退者は、島崎藤村、正宗白鳥、永井荷風、高村光太郎、内田百閒、大岡昇平、武田泰淳、木下順二など。錚々たる顔ぶれの辞退者たち。最近では最初に打診するのだろうか、辞退者の記載はみられない。

文化功労者(あるいは文化勲章)辞退者は河井寛次郎、熊谷守一、大江健三郎、杉村春子。

大江健三郎は、ノーベル文学賞を受賞時、慣例として文化勲章の授与と文化功労者選出に対して、「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と受章を拒否したことは比較的よく知られている(通例、文化勲章は文化功労者のなかから選ばれるらしいが詳しいことは分らない)。


いずれにせよ、反骨精神反骨精神の象徴のようだった荷風が勲章をぶら下げる写真をみて「哄笑」した伊藤整の精神の系譜は、いまでも細々ではありながら生き続けているようで、冒頭の遺憾の口調をいぶかっても始るまい。


冒頭の二番目のツイートの書き手は、蓮實重彦のよき読み手であり、蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』の主人公マクシム・デュ・カンのアカデミー・フランセーズ会員をめぐる叙述の遠いこだまとして読むことができる。《「ボヘミアンから文化的権威へ」という、ありふれたストーリーの退屈な反復でしかない》

実際、あなたはアカデミーへとずいぶん遠い地点から戻って来られたではないか。(……)あなたは家を捨て、長い長い旅の生涯を体験され、人と出合い、人の心を識り、いま家に戻って来られた。この家に漂う秩序の香りのかぐわしさ。そして成熟の喜びがもたらす快い疲労感。おのれの無力を悟ることによって人類の幸福を思考しうる自分を発見することの幸福な驚き。(……)

蕩児という名の芸術家の肖像。それは、成熟することの困難を知りえたもののすがすがしさから快く微笑みかける横顔だ。そして蕩児という名の物語。そこには、旅情と郷愁とがほどよく調和しあった叙事詩が、感動的な帰還の挿話によって教訓的に閉ざされるだろう。
かつて口汚く嘲笑した当のアカデミーに彼自身が立候補し、(……)いわばその変節ぶりを多くの人に印象づけることになってもいる。つまり、自分自身のかつての言葉を否定することで今日の地位を獲得したのがマクシムである以上、そんな人間が特権的証人となって語る言葉が、胡散臭く思われて当然なのである。(……)そんな変節漢の語る物語が素直に容認されえないのは当然だろう。

罵倒の対象であったはずのアカデミーに悔恨の情を告白して頭をたれた変節漢として軽蔑され、ギュスターヴの才能を羨む嫉妬深い裏切者として後指をささあれ、ヴィクトル・ユゴーに弔辞を捧げる資格のない反動的な非国民の烙印を押されるのは、マクシム自身ではなく、もっぱらその虚構化した人格にすぎない。



自身で経験した事件の話し方(小林秀雄)

《人間は、自身で経験した事件についてさえ、数日後には噂話に影響された話し方しかしないものだ。》 (小林秀雄「ペスト」)

ツイッターbotからだが、こういう思いがけない出会いがあるから、眺めるのをやめられないってのはあるな。すぐさま別の文章が浮んでくる。


…………

寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」)


◆『闘争のエチカ』(蓮實重彦・柄谷行人対談集)より。

柄谷)……たとえば、小説というのはアイロニーだと思います。リアリズムは結局アイロニーとしてしか存在したことがないわけですよね。いわゆるリアリズムというのは、それ自体約束の地であって、現実とは別なのです。しかし、現実とよばれるものも、逆に小説を前提としているのではないか。

たとえば、“事実は小説より奇なり”とかいう言い方があるけれども、その場合、「事実」は、小説を前提しているんですね。そして、小説の約束からずれたものが、「事実」とよばれているわけです。リアリズムの小説であれば、たとえば偶然性ということがまず排除されている。たまたま道で遇って、事態が一瞬のうちに解決したとか、そういうことは小説では許されないわけですが、現実ではしょっちゅう起こっている。そういうのが出てくると大衆文学とか物語とかいわれるんですね。かりに実際にあったことでも、それを書くと、リアリズムの小説の世界では、これはつくりものだといわれる。いちばん現実的な部分が小説においてはフィクションにされてしまうわけですね。

しかし、一方で、僕らがやっていることが、すでに小説に書かれた通りでしかないということがありますね。たとえば大岡昇平の『野火』なんかそうですね。主人公は、小説の通りにやっていることを許しがたいと思う。そこでは、つまり、小説をこえた体験が書かれているというよりも、どんな体験も小説の枠内にあるにすぎないということが書かれている。あれは、パロディです。(……)

リアルというやつはほんとにアンリアルであって、あまりにもリアルにすると、アンリアルになっちゃうということはカフカがやったことですけどね。

蓮實)……「人生」という言葉でわれわれがすぐ納得しちゃうのは、なんか真っさらなものだという話なんですね。ところが「人生」というのは文化であるわけでしょう。どういう形で文化かといえば、滑稽なまでにほかの言葉に犯されて、誰が見たって真剣に自分を考えてみたら滑稽ですよ。それほどまでに、いわば引用とか物語を知っちゃっているとか、物語の逆さえ知っちゃっているという惨めな存在である。そのことを、これまでのいわゆる人生論というのは拒否しちゃうわけですよね。

僕が人生という言葉をいっているのは、ほかの人の言葉に犯された人間であるからだめだとか、そこから自由になって自分の言葉を発見しなければいけないとか、そういうことではなくて、人生というのは初めから滑稽なわけでしょう。その始めから滑稽なことを、たとえばほんとうらしい小説というのは滑稽らしく書いていないですよね。

…………

ツイッターのつぶやきとは、こうではなく、

私的な生活や感想をツイートやブログで公開していれば、見えない他人から監視されている囚人の安心感にひたりながら、格差社会から排除されて いる現実を意識しないで済むのだろうか。インターネットのなかの仮想友人だけでなく、現実の人間も仮想化しているから、じっさいに困ったとき は、だれも助けてくれないどころか、ゴシップの種にしかならないのに。(壁の向うのざわめき  高橋悠治

こうであるならどんなにいいだろう。

tweet は「さえずる」、小鳥のか細い高い鳴き声だったが、ツイートは「つぶやく」と訳されている。いまは時々コンサートの予定や「水牛」に書いた文章にリンクす る「お知らせ」のツイートをしているだけで、情報が多すぎて情報にならないのに、だれが読むかわからない空間で「さえずる」のではすぐ忘れら れるだけだろうが、それがちがう場所を指す標識ならば、そこに行ってみる手間をかけるために、かえって読まれる場合もありえなくはないとも考 えられる。それにしても確率は低く、しかも確率のように数で偶然を制御する考えとは縁を切ろうとしているのだったら、そんなことを問題にする のもおかしいはずだが。

ツイートの別な使い方。「ボット」のように、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所として使えないかと思ってはいるが、なかなか とりかかれないまま。
(……)

見知らぬ他人の声で「つぶやく」。「水牛のように」に毎月こんなことを書いているのも、自分のために書きとめておくだけだ、とは口実で、じつ は公開の場で考えてみせるパフォーマンスではないのか、と時々疑いながら。

ほとんどのツイートは夜郎自大のナルシシズムの発現にしかみえないのが残念だ。

掠れ書き。飛白書。空白を含んだ過ぎ去る瞬間の記憶を書きとどめておく。誰のでもない 声の時々きこえなくなるつぶやきは考えるときのように現実か ら離れて論理を追うのと はちがうが、それでも気がつくと考えにふけっている意識を身体にひきもどしながら、し かも逸れていくプロセスもそこに現れ る徴を道標のように残しておく。迷路の脇道にいずれもどることもあるだろう。だれのために書いているのか。だれもいない内部空間を外 から観察する のはだれだろう。ちがう風景が見えている。書いてしまえばそこから離れ ているのだから、こんどは外から見える曲がり角に移動してそこからきこえてくる声を待つ。 (掠れ書き


あなたを落ち込ませることとは? /アホな連中が幸せそうにしているのを見ること(ジジェク)

ーーという具合になるのは、オレがアホであるせいではないのか、と時々疑いながら。

どこにいようと、彼が聴きとってしまうもの、彼が聴き取らずにいられなかったもの、それは、他の人々の、彼ら自身のことばづかいに対する難聴ぶりであった。彼は、彼らがみずからのことばづかいを聴きとらないありさまを聴きとっていた。

しかし彼自身はどうだったか。彼は、彼自身の難聴ぶりを聴き取ったことがないと言えるのか。彼は、みずからのことばづかいを聴き取るために苦心したのだが、その努力によって産出したものは、ただ、別のひとつの聴音場面、もうひとつの虚構にすぎなかった。

だからこそ、彼はエクリチュールに自分を託す。エクリチュールとは、《最終的な返答》をしてみせることをあきらめた言語活動のことではないか。そして、他人にあなたのことばを聴き取ってもらいたいという願いをこめて、自分を他人に任せることによって生き、息をする、そういう言語活動ではないか。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ツイッターの場での「わたし」「僕」の氾濫……。それがなかったならどんなによいだろう、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所であったなら。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)


………

次はリヒテルbot

《(シュナーベルの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ第五番ハ短調の録音*を聴いて)文字通りこの注目すべき解釈に唖然となった。
曲が突如としてほとんど触れられるほどに生き生きと躍動したからだ。見事だ!》




ピアノを弾く人間は誰でもグールドを襲った誘惑に遭遇することがある。ナボコフの小説〔『ルージン・ディフェンス』〕でルージンがチェスの勝負をするようにピアノを弾くという誘惑であり、非物質的で摑みがたく存在しない要素しか相手にしないという誘惑だ。ルージンはチェスボードなしのチェスの試合を夢みるのだし、グールドはピアノなしのピアノ演奏を夢みる。

彼の文章でもこのような禁じられた情念が思わず述べられる瞬間がある。

彼がシュナーベルのうちに愛したのは、「ピアノに本来そなわる諸要素を無意識のうちにほぼ完全に否定しようとする意志」なのだという。ピアノはグールドの無意識だったのだろうか。やがてすっかり放棄してしまうときがやってくる。「ほとんどピアノは弾かない。一時間か二時間か、それも月に一度、接触をもつためだ。だがときにピアノに触る必要が出てくる。そうしないとちゃんと眠れなくなるのだ。」(ミシェル・シュナデール『グールド 孤独のアリア』)

お嬢さんのひとりごと

アタシは白い画面のコトバの人
誰にもメイワクかけません
ピンクの薔薇と
おめめパッチリお人形
それがアタシの宝物
小説読んでも
詩を読んでも
音楽聴いても
ハーレクインの主人公
それがアタシの姿です

アタシは白い画面のコトバの人
誰にもメイワクかけません
都合がわるくなると
こう言うことにしています
でもアタシの手紙は
白い画面の向こうの本当のアナタたち
そこにばかり書いています
ハーレクインの主人公
矛盾には気づかないふりをするのが
アタシの得意わざです
くいちがいをからかわれると
ヤケ酒を飲むことにしています


お坊さん  谷川俊太郎

お坊さんはとてもとても困っています
三年前に酔っぱらって階段から落ちて死んだ
落語家の友だちが夜中に電話をかけてきて
<極楽はつまんねぇ所だよゥ>と言うのです
<蓮の花なんてプラスチックでよゥ
観音さまはむっつりしてるし
地獄のほうへ引っ越せねえかなァ>
一生懸命お経をあげるのですが
落語家の友だちは毎晩電話してくるのです
お坊さんはヤケ酒を飲み始めています

お嬢さんはとてもとても困らないでください
ボクちゃんは白い画面のコトバの人
誰にもメイワクかけるつもりはありません



2013年10月26日土曜日

日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる

九鬼周造の『「いき」の構造』(1930は次のように始る。

生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。我々は「いき」という現象のあることを知っている。しからばこの現象はいかなる構造をもっているか。「いき」とは畢竟わが民族に独自な「生き」かたの一つではあるまいか。現実をありのままに把握することが、また、味得さるべき体験を論理的に言表することが、この書の追う課題である。

土居健郎の『「甘え」の構造』(1971)は次の如し。

甘えという言葉が日本語に特有なものでありながら、人間一般に共通な心理現象を表 しているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近かなものであることを 示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにでき上がって いることを示している。言い換えれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概 念となるばかりでなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念ともなるということ ができる。

両者を敬愛をもって語る中井久夫の「いじめの政治学」(1997は次のように始る。

長らくいじめは日本特有の現象であるかと思われていた。私はある時、アメリカのその方の専門家に聞いてみたら、いじめbullyingはむろんありすぎるほどあるので、こちらでは学校の中の本物のギャングが問題だという返事であった。

その後、別の著者によって『「いじめ」の構造』という著作があるようだが、中井久夫の「いじめの政治学」は、『「いき」の構造』や『「甘え」の構造』と同じ手法で書かれている。ただ小論であり、氏の謙虚さもあって、あえて「構造」としなかったのではないかと推測される。

九鬼周造の手法とは次の通り。

意識現象の形において意味として開示される「いき」の会得の第一の課題として、我々はまず「いき」の意味内容を形成する徴表を内包的に識別してこの意味を判明ならしめねばならない。ついで第二の課題として、類似の諸意味とこの意味との区別を外延的に明らかにしてこの意味に明晰を与えることを計らねばならない。かように「いき」の内包的構造と外延的構造とを均く闡明することによって、我々は意識現象としての「いき」の存在を完全に会得することができるのである。

「いき」の内包的表徴として、「媚態」「意気地」「諦め」が挙げられる。

「いき」の外延的表徴、すなわち、《「いき」と「いき」に関係を有する他の諸意味との区別を考察して、外延的に「いき」の意味を明晰らしめる》ために、「上品」、「派手」、「渋味」などが挙げられる。




中井久夫が「いじめの政治学」で次のように書くとき、まさに「いじめ」の外延的な区別を探っているといってよい。
いじめといじめでないものとの間にはっきり一線を引いておく必要がある。冗談やからかいやふざけやたわむれが一切いじめなのではない。いじめでないかどうかを見分けるもっとも簡単な基準は、そこに相互性があるかどうかである。鬼ごっこを取り上げてみよう。鬼がジャンケンか何かのルールに従って交替するのが普通の鬼ごっこである。もし鬼が誰それと最初から決められていれば、それはいじめである。荷物を持ち合うにも、使い走りでさえも、相互性があればよく、なければいじめである。

――ということについ最近気づいた、つまり中井久夫のいじめ論が『「いき」の構造』と『「甘え」の構造』の系譜にある、ということに。

このところベルギーのラカン派精神分析医Paul Verhaeghe の論をすこしまとめて読んでいるのだが、「いじめbullyingの叙述が次のようにある。

In recent years, a lot of attention has been paid to the sub-ject of bullying at school.(……)
'Children have always been bullies and will always continue to be bullies. The question is not so much what is wrong with our children; the question is why adults and teachers nowadays cannot handle it anymore'. (……)

Doris Lessing's remark: there is something wrong with authority. The function of authority, which used to be a self-evident truth embodied in many different figures, has now disappeared. The fact that the basis for bringing up children disappeared at the same time can be seen in everyday life. Optimists maintain that teachers and par-ents now have to make sure that they 'deserve' their authority—they have to earn it. However, experience has shown that the authority that remains usually consists of pure power, and, further, such power exists only if it is vis-ible and tangible.(Love in a Time of Loneliness ーーTHREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE )

「いじめ」などどこにでも、昔からある。だが問題なのは、なぜ現在、大人たちや教師たちが、「いじめ」をうまく扱えないのか、であるとされており、父-の-名の喪失(「父」の象徴的権威の喪失)に関連させて「いじめ」の跳梁跋扈が書かれている(Doris Lessingは英国のノーベル賞作家)。

中井久夫はいじめ現象を、権力欲に結びつけている。《権力欲(……)その快感は思いどおりにならないはずのものを思いどおりにするところにある。》






もともと一神教の社会ではない日本は「父の権威」が弱かった。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収ーー参照:「父なき世代」)

日本が「いじめ」先進国であるとしたら、これがその理由のひとつかもしれない、--とすれば他の東アジアの国はどうなのだろう、という疑問がすぐさま湧くが。

…………

少し前、千葉雅也氏がツイッター上でつぎのような発言をしている。氏はときおり九鬼周造への親愛の情をポロっと口にする人でもある。


《さて、僕がどうして「ギャル男」や「ラッセン」などを批評の対象にしてきたのか、という点について、誤解する人もいるようなので、これについてコメントしよう。》と始まり、以下のように続く。

現代の批評をよく知らない人にも聞いてもらいたいのですが、現代の批評とは、少数の「本当に美しいもの、かっこいいもの、おしゃれなもの」を見抜くことではありません。現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。

現代の批評では、「本当にかっこいい、美しい、おしゃれなもの」を「真に」選択可能であるとは考えません。対象にプラスの価値を賦与するのは、特定の「文脈」(言い換えれば、評価者集団の慣習)です。なので、特定のものをこれこそ傑作と断言するのは、特定の価値観へのコミットでしかない。

特定の価値観をベストであると信じるのは「イデオロギー」です。私たちは特定のイデオロギーを必ず有するし、それをベースにして表現活動をしますが、しかし「批評」とは、特定のイデオロギーの主張ではない。批評は諸イデオロギーの「比較」を基本とします。イデオロギーの主張は「政治」です。

僕が、ラッセンなど、或る価値観から評価した場合に「明らかにダメな」ものを積極的に扱うのは、本当の良さが分からないからでもなければ、本当に良さに対して「逆張り」をしているのでもありません。「本当に良いもの」など存在しない。良い(かつ悪い)ものは複数存在することを示すためです。

ここまでのコメントに対しては、「よくあるポストモダン相対主義であり、本当に良いものを分からないから相対主義に逃げている」という反論がありうる。その場合ならば、文脈相対性によって破砕されない、単一ないし有限個の「美」なり「グッドデザイン」なりの存在論的な基準を構成してみせてほしい。

単一ないし有限個の「美」なり「グッドデザイン」なりの存在論的な基準を構成するという作業については、僕の知る限り、世界の美学者において一致した結論はないはずです。特定のしかたでそうした基準を構成してもそれは仮説です。ないし、それを感情的に主張するならばイデオロギーであることになる。

私たちは(a)特定のイデオロギーによる表現活動=政治をしながら、同時に、(b)イデオロギーを比較検討する活動としての批評をするわけです。(a)と(b)はしばしば境界が不分明になり(あえてそうすることで(a)の主張に役立てるというテクニックもある)、そのためにいざこざが起こります。


もちろんこれら発話に対しては、《或る価値観から評価した場合に「明らかにダメな」ものを積極的に扱う》とき、どうして数多くある「明らかにダメな」もののなかから、「ギャル男」や「ラッセン」を選ぶのかに興味があるという人もいるだろう。だがそれをめぐってはここでは触れない。

ここで注目したいのは、《現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです》だ。

肝要なのは、日本語に特有なもの、――《日本人の精神構造を理解するための鍵概 念となるばかりでなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念》(『「甘え」の構造』)――の構造分析をすることだろう。


現在、ヤンキーの構造、絆の構造、2ちゃんねるの構造(あるいは日本的なSNSの構造)など、誰かがやりつつあるのだろう(たとえば斎藤環のヤンキー論)。

…………

  

(ときに)一億総懺悔の現代版
責任の所在を隠すときに使われる
「寄り添う」と言い換えられる
学校教育の場でもいじめ事件の折などに使われる
「クラス全員が反省しています」
みんなに責任があると言いながら誰も謝罪しないこと

ーーー決まり文句(谷川俊太郎)より

本日付糸井重里ツイートより
「親しくする」というのは「ゆだねる」でもあります。それを、自然に、相手より先にできる人は、人と「つながる」才能のある人なんだろうな、きっと。ぼくは、その才能をあまり持っていない人間なのですが、ずっと練習し続けているような気がしています。⇒明日9時更新の「ほぼ日」より

彼が言論界で生き長らえているのはこの仕草によること大だろう(ここでは皮肉を含ませるつもりはない)。絆の肯定的側面に光を当てることを抜かしてはならない。

「例えば、(津波がきたとき)最後まで避難を呼びかけて命を失った人がいたが、それらはこの国の人のどんな美徳から来ているのか。失われたものを考えるだけでなく、逆に何が失われていなかったのかを考えるのも一つの方法でしょう」(古井由吉)

ほかに内包的な近似概念として「共感の共同体」がある(たとえば絆の共同体としたとき殆ど同じ内容を示すのではないか)。

かつてからある外延的(境界的)現象としては、

断腸亭日乗  昭和十二年十月五日。 荷風散人年五十九

余この頃東京都民の生活を見るに、彼らはその生活について相応の満足と喜悦とを覚ゆるものの如く、軍国政治に対しても更に不安を抱かず、戦争についても更に恐怖せず、むしろこれを喜べるが如き状況なり。

あるいは、「絆」の外延的概念として検討すべきものに、「妥協」「曖昧模糊」「根回し」「空気を読む」さらには「「見たくないもの」を見ない〈心の習慣〉」(丸山真男)などがあるだろう(もちろん「蛸壺」、「タテ社会」、「甘え」はこの文の文脈にある)。

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」

さらに突っこんでいけば、日本語の構造(「日本語は本質的に敬語的」森有正、柄谷行人)が、「絆」概念にかかわってくるのかもしれない(参照:日本語と下からの目線)。

いま思いつきのようにして書き留めているだけだが、これらだけに思いを馳せるのみでも、一筋縄ではいかない「絆」構造分析だ。

…………

そしてーーというのは「絆」をめぐる雑然とした挿入の前の文脈に引き続くがーーこれらを侮ってはならないはずだ、つまりヤンキーの構造やらラッセン愛好の構造、2ちゃんねるの構造分析などを。

蓮實)僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもすれで成功する人がね。(……)

分析を言説化する手続きってものが、共同体的な倫理によって支えられていてもかまわない。またそのかぎりでは分析の対象が僕の興味のないものでもかまわない。

(……)意味生成の可能性をとことん拡げてその一つひとつのケースを検討することがないから、分析の言説化ではなく、言説化のための分析しか行われない。要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。(……)

九鬼周造は、日本的と呼ばれる「いき」の概念を分析し、その要素と汲み合わせから、構造と機能を近代的に記述している。九鬼のその後の言動はともかく、これは貴重な試みですよね。いちおう、日本的な記号を分析し、記述したわけですから。西田幾多郎はそこまでやっていない。(『闘争のエチカ』蓮實重彦―柄谷行人対談集)


2013年10月25日金曜日

追悼のコロス

…もろもろのオピニオン誌の凋落は、「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」といういささか性急ではあるがその現実性を否定しがたい社会的な力学と無縁でない。そんな状況下で、人がなお他人のブログをあれこれ読んだりするのは、それが「あたしなんかより頭の悪い人たちが書いている」という安心感を無責任に享受しうる数少ない媒体だからにほかならず、「羞恥心」のお馬鹿さんトリオのときならぬ隆盛とオピニオン誌の凋落とはまったく矛盾しない現象なのだ。……。(蓮實重彦)

《言葉が尽きずに、改行もなしにとめどなく流れつづけてゆくことの恐怖というのが、いまの時代の姿なのかも知れません。しかしそれを崩れと観るという感受性それ自体が、こんなに萎えてしまっているのではねえ。》(松浦寿輝)

本日は、昨年の11月4日に世を去ったジル・ドゥルーズを追悼し、その哲学をあらためて見直してみようというので、座談会を企画しました。(すでに各雑誌で)追悼特集が組まれているわけですが、パラパラと覗いてみると、自分は追悼を拒否するとか、今さら解説めいたことは書きたくないとか、そんなことを言うなら蓮實さんやぼくのように書くのを断ればいいのに、なぜか書くだけは書いちゃうんですね。ここでは、そういう下らない自意識ぬきに、偉大な哲学者を素直に追悼し、その哲学をできるだけ明確に把握するための作業を少しでも進められたらと思います。(浅田彰『ドゥルーズと哲学』座談会(浅田彰 柄谷行人 蓮實重彦 財津理 前田英樹)「批評空間」1996Ⅱ-9)

直木三十五氏が逝くなって、新聞雑誌に、氏の生前の思い出や逸話の類が充満した。氏の人間的魅力のしからしむる処だろう。氏が大変魅力ある人物であったという世の定評を僕も信じているが、ああいう類の文章をいくつも読んでいると、お葬式の延長みた様な気がして来て、なんとなく愉快でない。なんだい、これでは直木という男、まるで人間的魅力を広告する為に刻苦精励して来た様にみえるじゃないか、そういう臍の曲がった感さえ覚える。逝くなって作品の他なんにも残っていない今こそ、直木氏の真価が問われはじめる時であり、作家は仕事の他、結局救われる道はないものだ、という動かし難い事実に想いをいたすべき時だ。ときっぱり言いたいが、こういう微妙な問題にはいろいろと疑いが湧き上がって来ていけない。(小林秀雄「林房雄の「青年」」『作家の顔』所収)



名の知れた人物の逝去の報に接したひとびとの反応のありさまを耳にするたびに不快の念を禁じえないのは羞恥心のお馬鹿さんトリオの現場を覗いて無責任に安心感を享受する悪癖から逃れられていないためであり、その悪趣味が咎められるべきであるには相違ないが、そこでは相も変らず他人の死を餌にして己れの知ったかぶりをひけらかす夜郎自大の手合いが枚挙の暇なく出現するのをいやがおうもなくまのあたりにすることになる。そもそもひとは愛する近親者や友人の死に直面してその感慨をウェブ上にすぐさま書き込むなどということはありえない。いや、わずかに叫びのような思いを発することはありえよう、たとえば20131014日の飯島耕一の訃報に接しての直後、故人の近しい友であったのだろう入沢康夫氏はツイッター上に、噫、飯島耕一さん! と一声発してその後は黙然とすることになる。長く親愛の情を抱いていればいるほどそれはひとのごく自然な振舞いであることを否定するひとはいまい。ところが羞恥心の欠如が著しい人物が生前の死人への自らの「愛着」らしきものをべらべらまくしたてるのを垣間見てしまえば、死者とはたいしてかかわりのない葬儀の参列者が慇懃無礼な厚化粧と正装の隙間から偽の涙を流し肩を震わせる演技に陶酔しているのに直面してひどく居心地の悪さをおぼえ苦虫を踏み潰さざるをえないのと同様の不快感を齎し、そういった連中は最低限の礼儀をもわきまえていないとせざるをえない。しかしながらそれを崩れとして観る感受性さえもが萎えてしまっているらしく、はしたないメロドラマの演技者のとりまき、故人の生前の文章をほんの一行さえまともに受けとめたことのなさそうな連中までが、ただ名前を知っているということのみでかけがえのない喪失などと声高にさけびつつ大合唱をくり拡げはじめる。この現象はわたくしがウェブ上に書き込むことを始めたばかりの20091030日のレヴィ=ストロースの死に際しての驚きであり、その後も数多くの同様なありさまに遭遇し、たとえば2012522日の吉田秀和の死に際してはとことさら氏に愛惜の情をもつわたくしはあれら得体の知れない合唱隊が死者への侮蔑の歌をユニゾンするかの如き厚顔無恥にひどく憤りを覚え、そのためソーシャル・ネットワーキング・サービスと称するものからいささか距離を置く姿勢をもつに至ったわけであり、いまさらインターネット上の俗物・下司たちの破廉恥な仕草にあらぬ期待を寄せているほどウブではないつもりだが、それにしても毎度のことながら嘆きの溜息が口から洩れでるのをいまだ防ぎようがない。噫、死者たちよ! 合掌――。


ーーこのわたくしのいささか偏屈な感慨の起源のひとつは次の投稿に書かれている→
母親の葬儀で涙を流さない人間