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2013年10月19日土曜日

生まれる光や消えゆく光に向けられた無目的の歌

◆メシアンMessiaen on Birds



するどく裂けたホシガラスの舌を見よ
異神の槍のようなアカゲラの舌を見よ
彫刻ナイフのようなヤマシギの舌を見よ
しなやかな凶器 トラツグミの舌を見よ




鳥の目は邪悪そのもの
鳥の舌は邪悪そのもの
彼は破壊するが建設しない
彼は再創造するが創造しない
彼は断片 断片のなかの断片
彼には気嚢はあるが空虚な心はない
彼の目と舌は邪悪そのものだが彼は邪悪ではない
燃えろ 鳥
燃えろ鳥 あらゆる鳥
燃えろ 鳥 小動物 あらゆる小動物
燃えろ 死と生殖
燃えろ 死と生殖の道
燃えろ 

言葉のない世界」より/ 田村隆一


<黒ツグミ le merle noir (1951)>



クロード・サミュエル(C・S)ーオリヴィエ・メシアンさんの前で《鳥》という言葉を口にすると、その顔が明るくなります。これは音楽家としての反応だけではない。人間としての反応でもあります。つまり、オリヴィエ・メシアンさん、鳥があなたの音楽語法中でかくも大きな地位を占めているということは、それはなによりもまず、あなたが自然を愛しておられるからなのでしょう。


[O・M]ー確かにそうです。芸術的な順位からいって、鳥類はわれわれの遊星上に存在するおそらく最大の音楽家です。(中略)しかしあらゆる驚異の中で最大のもの、作曲家にとって最も貴重なものはいうまでもなく、その歌です。鳥の歌はまことに驚くべきもので、もしよろしければ鳥の歌の動因を検討してみたいと思います。


異様に思われるかも知れませんが、鳥の歌というものは何よりもまず領土的な側面をもっているものです。すなわち、鳥は自分の小枝や食べものを防衛したり、雌や巣や小枝や、あるいは自分が糧を得る地域の所有者であることを確保するために歌うのです。事実、領域の所有権に関する鳥どうしの争いはしばしば歌合戦で解決されるので、侵入者が自分の領域でないところを不当に占領しようとすると、本当の所有権者は歌って、非常によく歌うと侵入者は逃げていってしまうのです。


C・S-「タンホイザー」の第二幕みたいですね!


O・M-そう。しかしワグナアが予見しなかったような逆の場合もあります。つまり、もし盗人のほうが本当の領有者よりも上手に歌った場合には、領主は彼に場を譲るのです。人間どうしの場合も、こういう魅力的な方法で争いを解決したほうがよいのではないでしょうか。


鳥が歌う第二の動向はいうまでもなく性愛の衝動によるもので、鳥が愛の季節である春になかんずく歌うのはそのためです。歌はー若干の例外を除きー原則として、雌を誘惑しようとして歌う雄の特性です。他の性愛的誇示行為、たとえば婚姻のパレード。


しかし第三の種類の歌もあり、これは全く讃嘆すべきもので、何の目的も社会的機能ももたない歌であって、ふつう生まれてくる光と消えゆく光によって誘発されるものです。たとえば私はジュラ地方で特別に有能な≪ウタツグミgrive musicienne≫を見ましたが、その歌は、日没が赤や紫の素晴らしい光彩で非常に美しかった時など全く天才的なものでした。しかし色がそれほど美しくなかったり日没が短かったりしたとき、この鶫は歌わなかったり、歌ってもそれほど興味のない主題で歌うだけでした。


最後に、鳥類が発する音楽的な音で、鳥類学者が≪歌≫としてではなく≪呼び≫という題で分類するものについてもお話しなければなりません。こういった「呼び」は真の音楽的言語を形づくっていて、ここでわれわれは、指導動機(ライトモチーフ)という方法による音楽的符号で想念を表現しようとしたワグナアの感動的な探求を想起せずにはいられません。事実、鳥たちは、容易に識別できる明確な意味をもった「呼び」でできた会話をするもので、たとえば、愛への呼びや食物への呼びや警報の叫びなどがあります。警報の叫びは非常に重要なもので、切迫した危険を告げるためどんな種類の鳥がこの叫びをあげようと、すべての鳥がこれを理解できるのです。


以上、鳥たちの発声の種々のカテゴリーを要約するとこういうことになりますー一方に社会的コミュニケーションの手段として「呼び」があり、他方に本来の意味の歌があり、これには領土的なもの、誘惑の歌、そしてすべての中で一番美しいものとして、生まれる光や消えゆく光に向けられた無目的の歌があるということになります。 (『現代音楽を語る オリヴィエ・メシアンとの対話』クロード・サミュエル著 戸田邦雄訳 芸術現代社 昭和50年)


 世の終りのための四重奏曲(1941): Quatuor pour la Fin du Temps

ーー直訳すれば、「時の終りのための」だろう。

<鳥たちの深淵 Abîme des oiseaux>



地上の星 (瀧口修造)


鳥、千の鳥たちは
眼を閉じ眼をひらく
鳥たちは
樹木のあいだにくるしむ。

真紅の鳥と真紅の星は闘い
ぼくの皮膚を傷つける
ぼくの声は裂けるだろう
ぼくは発狂する
ぼくは熟睡する。

鳥の卵に孵った蝶のように
ぼくは土の上に虹を書く
脈搏が星から聴こえるように
ぼくは恋人の胸に頬を埋める。

 Ⅱ
耳のなかの空の
ぼくは星の俘虜のように
女の膝に
狂った星を埋めた。

忘れられた星
ぼくはそれを呼ぶことができない
或る晴れた日に
ぼくは女にそれをたずねるだろう
闇のなかから新しい星が
ぼくにそれを約束する。
美しい地球儀の子供のように
女は唇の鏡で
ぼくを ぼくの唇の星を捕える
ぼくたちはすべてを失う
樹がすべてを失うように
星がすべてを失うように
歌がすべてを失うように。

ぼくは左手で詩を書いた
ぼくは雷のように女の上に落ちた。

手の無数の雪が
二人の孤独を
手の無数の噴水が
二人の歓喜を
無限の野のなかで
頬の花束は
船出する。

 Ⅲ
鳥たちはぼくたちをくるしくした
星たちはぼくたちをくるしくした
光のコップたちは転がっていた
盲目の鳥たちは光の網をくぐる
無数の光る毛髪
それは牢獄に似た
白痴の手紙である。

白いフリジアの牢獄は
やがて発火するだろう
そして涙のように
消えるだろう。

 Ⅳ
鳥たちは世界を暖めた
ぼくの下の女は眼を閉じている
ぼくの下の女は眼を閉じている
鳥たちはぼくたちに緑の牧場をもってくる。

彼女の肥えた牡牛のような眼蓋は
こがね色に濡れている
レダのように 聖な白百合のように
彼女の股は空虚である
ぼくはそこに乞食が物を乞うのをさえ見た
あらゆる悪事が浮遊していた
ぼくは純白な円筒形を動かすことができる。
仏陀は死んだ。

 Ⅴ
闇のように青空は刻々に近づく
ぼくは彼女の真珠をひとつひとつ離してゆく
ぼくたちは飛行機のように興奮し
魚のように悲しむ
ぼくたちは地上のひとつの星のように
ひとつである
ぼくの精液は白い鳩のように羽搏く
ぼくは西蔵の寺のように古い詩を書く
そしてそれを八つ裂きにする
ぼくは詩を書く
ぼくは詩を書く
そしてそれを八つ裂きにする
それは赤いバラのように匂った
それはガソリンのように匂った。

氷のように曇った彼女の頬が見える
花のように曇った彼女の陰部が見える
そして鳥たちは永遠に
風のなかに住むだろう
狂った岩石のように。

盲目の鳥たちは光の網を潜る。

…………

<イエスの永遠性への賛歌 Louange à l'Éternité de Jésus>




植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…
それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!

(……)

想いだすのは塩、黄いろい乳母が私の眼尻からふきとらねばならなかったあの塩。
黒い妖術師が祭式に際してしかつめらしく宣言していた、<世界は丸木舟のごとし。ぐるぐる廻り廻って、風が笑わんとするか泣かんとするかをもはや知らぬ…>
するとたちまち私の眼は 輝く波にゆられる世界を描こうと努めて、木の幹になめらかな帆柱を認め、葉陰に檣桜をまた帆桁を、蔓草に支檣索を認めるのだった。
そのしげみでは 丈高すぎる花々が
鸚哥(いんこ)の叫びをあげてかっと開くのであった。

ーー「サン=ジョン・ペルス詩集」多田智満子訳


<イエスの不滅性への賛歌 Louange à l'Immortalité de Jésus>




2013年5月22日水曜日

私の死生観(中井久夫)


「私の死生観」、――1994年「クリシアン」第427号に書かれたもの(『精神科医がものを書くとき〔Ⅱ〕』広栄社 所収)。中井久夫は1934年生まれだから、そのとき六十歳であったということになる。その数ヵ月後、阪神・淡路大震災に被災し、そのあと憑かれたようにして、「心的外傷」や「記憶」をめぐる多くの仕事を展開させたことを想起しながら読んでみよう。

……私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生だった。(……)

昨年の三月ごろであったか、私はふっと定年までの年数を数え、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。残された時間を考えれば、今の三時間は、若い時の三時間ではない」と思って非常に楽になった。

幸い、私はさほど大きな欲望を授からなかった。「自己実現」ということが人生の目標のようにいわれるが、私はほとんどそれを考えたことがない。私の「自己」はそれなりにいつも実現していたと、私は思ってきた。

私が恵まれているからだといえば、反論できない。確かに「今は死ぬに死ねない」という思いの年月もあった。しかし、私は底辺に近い生活も、スッと入ってしまいさえすれば何とか生きていけ、そこに生きる悦びもあるということを、戦後の窮乏の中で一応経験している。他方、もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに、と大学進学のときに思った。ある外国の詩人の研究家になろうかと思ったこともある。この二つの思いは時々戻ってきた。しかし五十歳を過ぎてから、私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私(の人生)はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。
(……)私にとって、生きているとは意識があるということである。植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。私がわずかしか残さなかった家計を、家族がそのような私のために失うのを私は望まない。「尊厳死」という発想とは少し違うかもしれない。死の過程をーーそれもあまり長くない間――体験したいというのは、私の一種の好奇心ともいえよう。ただ、私はマゾヒストではないから、苦痛の軽減は望み、余裕のある意識で死の過程を味わいたい。また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。(……)

しかし私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。(中井久夫「私の死生観――“私の消滅”を様々にイメージ」)


この短い引用だけであっても、読む人によって、いろいろ受け取り方があるだろう。

《振り返ると実にきわどい人生だった》とする還暦の男の呟きに自らの過去を振り返って共振する方がいるかもしれない。

《もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。》との感慨には、ある年配を過ぎて、付き合い的なことを避け始める、しかし、<わたくし>には、私を頼ってくれる誰か、それは一人だけでもよい、その支えがあってこそであり、もしそうでなければ、なかなかこういった境地になりえないのではないか、とも思う。それは最後の文につながってくるだろう、《私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。》


ほかにも「尊厳死」、――これは浅田彰の発話をすぐさま想起させる。

二〇世紀前半、ナチスが優生学的発想からユダヤ人のみならず障害者も虐殺しちゃったこともあって、二〇世紀後半は、とにかく生命は絶対だ、絶対に延長すべきだってことになってたけど、二一世紀は「よく死ぬ」ことも含めて「よく生きる」ことを考えていくべきなんじゃないか。僕は個人的には安楽死(「尊厳死」っていう言葉はきれいごとに過ぎると思うから)を合法化すべきだと思うし、自殺幇助の合法化すら考えていいと思う。っていうか、たとえば末期がんになった場合、金持ちなら安楽死の合法化されてるオランダやスイスに行って死ねるってのは、どうみても変でしょ。

むろん、これはものすごく微妙な問題なんで、患者の意志の確認に関しては慎重の上にも慎重を期すべきだし、ちょっとでも長く生きたいと思う人の意志がそれで少しでも妨げられることがあっちゃいけないよ。だけど、もう十分だ、自由な意志で死にたいって人がいたら、それを妨げることもないからね。(浅田彰「よく生きる」ということ

だが、ここでは、《私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私(の人生)はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。》のみにかかわる。


中井久夫に「N氏の手紙」というエッセイがある(『記憶の肖像』所収)。N氏とは西脇順三郎のこと。若き中井氏が、西脇順三郎のエリオットの『荒地』の翻訳を読み、そこにいくつかの初歩的な誤訳を見出し、西脇氏に手紙を書いたことを書き記す文だ。

……大いにためらってから、私は氏に手紙を書いた。著名人に手紙を書くのは初めてである。私が当時、鬱屈していたことは否定できない。

私は、数日後、厚い速達に驚かされた。氏は、感動的な率直さで誤訳を認めておられた。それさえ予期しないことであったが、さらに私に病いにまけないよう、過分の評価と激励のことばを添え、いくつか、私の疑問にも答えて下さった。

ここでの病いというのは次の通りである。
私は十八歳であった。そして休学中であった。休学は当時重要な病いであった結核によるものであったが、個人的な絶望もあった。むしろ結核のほうが軽症だったろう。すぐ、午前中の安静だけでいいことになった。

仰臥する私は毎朝訪れてくる朝雲が窓の上縁から顔を出しては流れ去るのを眺めていた。庇の縁が稜線でもあるかのように雲はあとかたあとから湧いて青い空を南へ、つまり下へと去って行く。秋はもう深かった。あのように鮮やかに紅の雲を私はその後見たことがない。

自分が妙なことにならないために詩の翻訳を自分に課した。これはその後、精神的危機の際の私の常套手段となった。……(「N氏の手紙」)




さて、《かなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった》とあるのは、前者は、『現代ギリシャ詩選』 1985や、『カヴァフィス全詩集』 1988、『括弧 リッツォス詩集』 1991であろうし、後者は、1994年には詩集としてはまだ上梓されてはいないが(それ以前に雑誌「へるめす」に発表がある)、『若きパルク・魅惑』 ポール・ヴァレリー1995であろう。


1995年1月17日午前5時46分から

最初の一撃は神の振ったサイコロであった。多くの死は最初の五秒間で起こった圧死だという。(……)私も眠っていた。私には長いインフルエンザから回復した日であった。前日は私の六一歳の誕生日であり、たまたまあるフランスの詩人の詩集を全訳して、私なりに長年の課題を果たした日でもあった。……(中井久夫「災害がほんとうに襲った時」)

ここまで来れば本来は無為。
清潔な蝉は乾きを掻き鳴らす。
全ては燃え、崩れ、空気の中で
いかなる元素にか還元される……
不安に酔えば生命は広大、
苦さは甘く、精神は明白。

(中井訳 海辺の墓地 第12節)


《もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに》――、たとえば、1992年に書かれた書評(「「読書アンケート」にこたえて)『精神科医がものを書くとき』所収)こうある。


ジボナノド・ダーシュ『詩集・美わしのベンガル』臼田雅之訳

ありえないほど美しい訳。ベンガル語がわかるわけではむろんないが、リズムと母音子音の響き合いの中から、ベンガルの稲田の上にただよう靄の湿りが、密林に鳴く鳥の声が、木末を滴る雨の音が、乙女の黒髪の匂いがせまってきて、背を快い戦慄が走ります。詩人の故国ベンガルへの強い抑制のかかった烈しい愛も。……

最近の書『私の日本語雑記』でも、『美わしのベンガル』について繰り返される。《したたるほどのイメージが(いや視覚だけでなく聴覚も嗅覚も身体感覚さえも)鮮明強力に立ち上がってくるすばらしい例を挙げたい》と。


「したたる」ーー
いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――

ここで語っているのは、狂信家ではない。ここで行なわれているのは「説教」ではない。ここで求められているのは信仰ではない。無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくるのだ。ねんごろの緩徐調が、この説話のテンポである。こういう調子は、選り抜きの人々の耳にしかはいらない。(ニーチェ『この人を見よ』 手塚富雄訳)


果実が溶けて快楽(けらく )となるように、
形の息絶える口の中で
その不在を甘さに変へるやうに、
私はここにわが未来の煙を吸ひ
空は燃え尽きた魂に歌ひかける、
岸辺の変るざわめきを。(「海辺の墓地」第五節 中井久夫訳)



「無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくる」ーー、他にも中井久夫が絶賛する多田智満子訳の「サン=ジョン・ペルス詩集」から引こう。


《植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!》


《棕櫚…!/あのころおまえは緑の葉の水にひたされたものだ。そして水はまだ緑の太陽のものであった。おまえの母の下婢(はしため)たち、大柄で肌つややかな娘らがふるえているおまえのそばで熱いふくらはぎを動かしていた…》


《…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…》


中井久夫は、この詩集に、二三歳の折、出会っている。
……その本は、象牙色の表紙に金文字で『サン=ジョン・ペルス詩集/多田智満子訳/思潮社』とあった。一九六七年の初夏であった。

私はただただ驚嘆した。フランス語の詩、特に象徴詩は、少年時代に親しんだことがあり、いくつかは暗誦するまでになっていたが、学者たちのこごしくこちたい邦訳は私の心の琴線を掻き鳴らすものではなかった(上田敏や永井荷風の言葉もやや遠かった)。(……)

いっとき、私は、それまでの日本詩を埃っぽいものと感じた。それほど、彼女の訳文は、むいたばかりの果実のように汚れがなくて、滴したたるばかりにみずみずしかった。(中井久夫『時のしずく』より)


若い頃にくらべ、この「滴したたるばかりにみずみずしい」感覚にめぐりあうこと少なくなったが、今でもときたま出会えないではない……(わたくしの場合、その感覚を与えてくれるのは、音楽が多い。たとえば数年まえ、長いあいだ聴かないでいた、リヒテルのシューベルトD664を、ドイツに住む音楽家一家の日本人女性にツイッター上で紹介されて聴いた時、ふいに「果実が溶けて快楽(けらく )となるよう」な感覚に襲われた…これはリヒテルの演奏で”なくてはならない”)。


…………


君たちはどこへでも好きな所に行くがいい、私はこのベンガルの岸に
残るつもりだ そして見るだろう カンタルの葉が夜明けの風に落ちるのを
焦茶色のシャリクの羽が夕暮に冷えてゆくのを
白い羽毛の下、その鬱金(うこん)の肢が暗がりの草のなかを
踊りゆくのを-一度-二度-そこから急にその鳥のことを
森のヒジュルの樹が呼びかける 心のかたわらで
私は見るだろう優しい女の手を-白い腕輪をつけたその手が灰色の風に
法螺貝のようにむせび泣くのを、夕暮れにその女(ひと)は池のほとりに立ち
煎り米の家鴨(いりごめのあひる)を連れてでも行くよう どこか物語の国へと-
「生命(いのち)の言葉」の匂いが触れてでもいるよう その女(ひと)は この池の住み処(か)に
声もなく一度みずに足を洗う-それから遠くあてもなく
立ち去っていく 霧のなかに、-でも知っている 地上の雑踏のなかで
私はその女(ひと)を見失うことはあるまい-あの女(ひと)はいる、このベンガルの岸に
……(『美わしのベンガル』ジボナノンド・ダーシュ、臼田雅之()、花神社)


ーーこうやってダーシュの詩の読めば、まずはタゴールを想起するのが筋合いというものだろう、

《屍を焼く薪の山も徐々にひっそりとした湖畔で消え落ちる/ジャカルの叫びが疲れはてた月光の中の荒廃した屋敷の庭から聞こえてくる》(山室静訳)と。


だが『美わしのベンガル』の滔滔たる調子に、ヘルダーリンの『パンとぶどう酒』をもあわせて共鳴させよう。これらなにかはかりしれぬ大河や夜闇の感覚、その時空をこえたものを生み出すポエジーは日本の詩にはめったにないものだ。



ひっそりと街は静まる。灯のともされた小路にひと気は絶え
 松明の飾り馬車のひびきは遠ざかる
昼の楽しみにもひとは倦み 憩いをもとめて家路をたどり
 得失をかぞえ賢しい頭〔こうべ〕は
家にくつろぐ、ぶどうも花もとりかたされ
 手仕事のいとなみの跡とてなく 広場のざわめきもいまはとだえる

ふと弦の音が遠くあたりの庭からひびきだす。おそらくは
 愛するものがつまびくのか あるいは孤独な男が
遠方の友をおもい青春の日々をしのぶのか。泉は
 絶え間なくあふれ ひたひたとかぐわしい花壇にここちよい
夕暮れの大気の中 ひっそりと鐘が鳴り
 数を呼ばわり夜警が時をふれまわる。

いま風がたち 杜の梢をひそかにゆする。
 見よ! われらの大地の影の姿 月も
しのびやかにたちのぼる。陶然たつもの 夜がきたのだ。
 星々に満ち われらのことなど気にとめぬ顔に
目を見張らせ ひとの世にあり見知らぬものが
 山のかなたに悲しげにまた壮麗にたちのぼり輝きわたる。




神子氏自身の訳か? 福島大学商学論集などという場に発表されているのだが、詩の愛好者は、このように、ひっそりと目立たずに、しかし抑制された烈しい愛を洩れこぼすかのようにして、存在しているのを知ることができる。


中井久夫の仕事の隠された核は、「詩」であるなどというつもりはない。だが、あれら「分裂病〔統合失調症)論、心的外傷、記憶論の底には、詩への「抑制された烈しい愛」があるには相違ない。