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2014年5月13日火曜日

五月十三日 小林秀雄と岡崎乾二郎

微恙あり。尿酸値上がる。薬を飲むといつもの如くいささかの嘔吐感。

…………

岡崎乾二郎:日本にグリーンバーグがいなかったのは、グリーンバーグより優秀な小林秀雄がいたから。 #genroncafe

――などと御大はオッシャッテイルらしい。

これはどこで語ったのかよく分からないが、次のような発言もあるそうだ(小林秀雄について:メモ)。

岡崎乾二郎 先日、近畿大学で小林秀雄の『近代絵画』を扱いました。小林秀雄は その当時読める物を海外の文献を含めてだいたい読んでいる。これだけ文献を読んでいる 日本人は彼しかいないだろうというぐらい読んでいる。確かに論としてはヒントしか 書かれていないんですが、発展させればクレメント・グリンバーグからさらに現代の ロザリンド・クラウスの議論に通じる論点までがそこにはある。なぜそういう射程 の深さがあったかというと、もちろんボードレールからアルフレッド・バーに至るまで、 先程の柄谷さんの話ではないけれど読むべき基本文献を読んでいたからですね。グリンパーグ やらクラウスと共通の出発点をきちんと押さえていた。小林秀雄というとそれだけで誤解 があって、現代の美術批評はもちろん、その当時もおそらく誰もこの本の可能性を理解して いなかったでしょう。「解説」を読むと案の定理解していなくて「画家たちの魂の深み」 みたいなことが書いてある(笑)。

つまり小林秀雄が前提とした文化的コーパス(サブカルチャーまで含めたかなりの広さの)を共有していないと、小林秀雄が何を言っているか、何を批判しようとしていたかは、わからない。グリンバーグが昔、日本に来て、マティスやセザンヌをみたことがない日本人には自分のいっているモダニズムの議論は意味がないだろう。それはむしろ幸せなのかもし れないなんてことをアイロニカルにいったけれど、この言葉は少なくとも小林秀雄には通用 しなかった。逆にいえば、ゆえに小林の美術論も当時の日本はおろか、現代の日本の文化の 状況でもまったく理解されえないだろうとも感じるのですね。その小林をわれわれが批判 しようとするときには、それ相当の覚悟がいる。せめて小林と同じくらいは美術や音楽に 触れていないとどうしようもない。現在小林よりもはるかに容易にそれに触れる チャンスがあるのに小林ほどにも経験がないというのはどうしようもない。

ははあ、かつて岡崎乾二郎は小林秀雄をめぐって「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」としたらしいが、これはとくに『近代絵画』をめぐってではなかったか。

岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1)。

これも批判の対象は、とくに小林秀雄に照準を向けてだろうが、それにもかかわらずやはり偉大だということか。それとも今の「批評」の程度が低すぎるということか。

一時期、高橋悠治や蓮實重彦の小林秀雄批判などがあり、それはそれで小林秀雄の弱点を的確に突いていた。


批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。

この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。

作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。

ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。

日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。

ここで、《うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋》と書く高橋悠治の言葉は、岡崎乾二郎の《所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない》という文の出所(のひとつ)としてもよいだろう。

名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。(蓮實重彦『表層批判宣言』)

70年代にこういった小林批判があり、その後小林秀雄批判が流行した時期がある。たとえば柄谷行人の批判→ 「意図的な誤読の「楽しみ」

――で、わたくしはこう引用したからといって、何を言おうとするわけでもない。まあそれでもプルーストぐらい引用しておこう。

私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(プルースト「ゲルトマントのほう 二」井上究一郎訳) 
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっているから、作家が大衆によって判断されること(大衆にとって未知である探求の領野に芸術家がくわだてた事柄を、大衆が理解することも不可能でないとしての話だが)をむしろ好む傾向ともなるのであろう。というのも、大衆の本能的生活と大作家の才能とのあいだには、本職の批評家と皮相な駄弁や変わりやすい基準とのあいだより以上に、多くの相通じるものがあるからで、大作家の才能は、他のいっさいのものに命じられた沈黙のただなかで敬虔にききとられた本能、よく把握され、十分に仕上げられた本能にほかならないのである。(同 プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)

ところで、小林秀雄の『本居宣長』というのは、鴎外の『渋江抽斎』をモデルのひとつにしてるんじゃないだろうか。このところ抽斎伝や蘭軒伝を読んでいるのだが、まだ『本居宣長』を「再読」してみる気にはなっていない。




2014年4月29日火曜日

果たして「シェアすることは歓びを増す」だろうか

真の豊かさとは「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」ということだ。シェアすることは歓びを増す。美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う。それが実は「反貧困」ということではないのか。(佐々木中)

佐々木中氏の昨晩(2014.4.28ツイートだが、《シェアすることは歓びを増す》とある。《美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う》とある。

だが愛する女と巡り合ったとき、なぜシェアしたくならないのだろう、とひねくれ者のわたくしは言う。なぜ良い音楽や藝術、知的遺産が〈女〉と違うのだろう。愛する女に接するように、音楽や美味に向かうとき、ツイッターなどにその画像や音声を貼り付けたりしてシェアしたいと思うのだろうか。いやけっして。シェアしたいと思うのは、快楽の次元にあるもので、悦楽(享楽)の次元にあるものではない。

快楽plasirのテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽jouissanceのテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

ストゥディウム(studium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》

プンクトゥム(punctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》

《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》(ロラン・バルト『明るい部屋』ーーベルト付きの靴と首飾り


享楽jouissanceの次元、あるいはプンクトゥムの次元にあるものは、トラウマ的であり、冥府からの途切れがちの声として呟くほかあるまい。すぐれた作家としての佐々木中氏(たとえば古井由吉のすぐれた読み手である彼)はそんなことはとっくに知っているはずなのに、知らないふりをした発言であるように思う。

「若きパルク」も『ドゥイノの悲歌』も、『荒地』でさえも、映像も言語も成人型の記憶のように動き流れていく。断絶や飛躍を越えて連続性がある。前後関係があり遠近がある。

これに対して、二十世紀後半の詩は孤立した鋭い断片であって、成人以前の記憶が禁止を破って突き上げてきた印象がある。このタイプの映像は幼い時の記憶だけでなく、たとえ成人であっても耐えがたい心の傷を負った時には、その記憶がとる形である。

たとえばパウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」ーートラウマを飼い馴らす音楽

ひとは本当のところは、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)ではないか。

われわれは、次のように書くジュネを忘れるわけにはいかない。

美には傷以外の起源はない。どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。(ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』宮川淳訳)


佐々木氏の冒頭のツイートはたんなるスローガン的言説に過ぎないのではないか、とひねくれ者のわたくしは言う。あるいは営業活動の一環でしかないのではないか、とひねくれ者のわたくしは言う。

公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴーー大いなる個人的快楽ーーになぞらえるにいたるのだ。(ヴァレリー『テスト氏との一夜』ーー承認欲望と承認欲動

《のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは見る、君が世の有力者たちの惹き起こした喧騒によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。(……)

のがれよ、わたしの友よ。君の孤独のなかへ。わたしは、君が毒ある蠅どもの群れに刺されているのを見る。のがれよ、強壮の風の吹くところへ。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。(プルースト『見出されたとき』井上究一郎訳)

再度、佐々木中氏の「愛している」はずのニーチェを引用するなら、次のように引用することもできる。

真に自己自身の所有に属しているものは、その所有者である自己自身にたいして、深くかくされている。地下に埋まっている宝のあり場所のうち自分自身の宝のあり場所は発掘されることがもっともおそい。――それは重さの霊がそうさせるのである。(……)

まことに、人間が真に自分のものとしてもっているものにも、担うのに重いものが少なくない。人間の内面にあるものの多くは、牡蠣の身に似ている。つまり嘔気をもよおさせ、ぬらぬらしていて、しっかりとつかむことがむずかしいのだーー。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー
症例ドラの象徴界/現実界(フロイト、ラカン)、あるいは「ふたつの無意識」(ヴェルハーゲ)」)

ーーそれとも、やはりこうでも言っておくよりほかないのだろうか、《ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。》(中井久夫「ヴァレリーと私」

少なくとも、《美味や美観や良い音楽や藝術、知的遺産と巡り合ったときに、可能なら一人ではなく誰かと一緒に味わいたいと思うのが自然だ、と私は思う》という発話文のなかの《可能なら》という言葉は、「ほとんど可能ではないが」、と書き換えなくてはならないのではないか。


《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)

――フロイトがそう言っている(ここでのフロイトは、正常さの典型とみなされるだろう)。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「嫉妬」の項より)

愛の基本的モデルは、男と女の関係ではなく、母と子供の関係に求められるべきである。(『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』 Paul Verhaeghe)

《私自身、幼児が、まだ口もきけないのに、嫉妬しているのを見て、知っています。青い顔をして、きつい目で乳兄弟を睨みつけていました。》(アウグスティヌス『告白』)

われわれの出発点はやはり、われわれが理解できると思われる状況であって、それは母のかわりに知らぬ人を見つけた乳児の状況である。乳児は対象喪失の危険についての不安とわれわれに解釈される不安を示す。だがこの不安はいかにも複雑で、立ち入った検討を要する。乳児の不安についてはなんの疑いもないのだが、表情や泣くという反応は、彼が不安のほかに苦痛を感じていることを推定させる。のちには区別されるいくつかのものが、乳児では一緒になっていると思われる。一時的に見えなくなることと、つづいていなくなることが、まだ区別されていない。母が一度目の前から消えると、乳児は、母をもう二度と見られないかのように思いこんでしまう。母がこうして消えてもまだ現われるのだということを、乳児が学ぶまでには、何回も繰り返してなだめられる経験が必要である。母は、だれもが知っている遊び、顔をかくしてまた出してみせてよろこばせる遊戯「いないいないばあ」をして、この大切な知識を乳児に教えるのである。乳児は、いわば絶望をともなわぬ憧れを感ずるようになる。

《母の見えないという状況は、乳児が誤解しているせいで外傷的状況になるのであって、けっして危険の状況ではない。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この状況は、この欲求が当座のものでなくなると危険状況に変わるのである。》自我がみずからみちびく最初の不安条件は、対象の喪失と同じに考えられる知覚の喪失である。愛情の喪失はまだ現われていない。もっと大きくなると、対象はちゃんといるが、ときどき子供に意地悪をする、という経験をする。そしてこんどは、対象からの愛情を失うことが、新たな永続する危険と不安の条件になるのである。 (フロイト『制止、症状、不安』人文書院 旧訳からだが山括弧の個所は「翻訳正誤表」にて修正――「部分欲動と死の欲動をめぐる覚書」より)

――と引用を中心に書いてきたが、佐々木中氏の冒頭のように言いたくなるのは、ある側面からは(たとえば大きな意味での「政治的」な側面からは)、よく分かると言えないでもない。上に書かれたものは批判ではなく批評(吟味)の言葉である。

以前、《「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている》(岡崎乾二郎『ルネサンス・経験の条件』「あとがき」)などをめぐってメモ書きをしたことがある(「おっかさんと蛍」)。それらは宙吊りのままである。

たとえば、宙吊りになっている問いへのヒントをわたくしは次の文に読む。

音楽を聞くには隠れなければならないと思うことがある。音楽は手袋の内と外をひっくり返すようにわたしを裏返してしまう。音楽が触れ合いの言葉、共同体の言葉となる。そんな時代がかつてあったし、いまも人によってはそんな場合があるのはもちろん知っているが、わたしの場合は、ほかの人々と一緒に音楽は聞けない。誰かと一緒に音楽を演奏するとなれば話は別だ。室内楽ならば、あらゆる意味で相手に合わせなければならない。二重奏のソナタや三重奏なら一緒に演奏することができる。それだけの謙虚な気持ちと少しばかりの愛があれば十分だ。あるいは深い知識があって、憎しみがなければできる。

だが、なぜ一緒に聞くことができないのだろう。なぜ音楽は孤独で身動きできない状態にあるときのわたしたちをとらえるのか。一緒に聞けば、他人の目の前で、そして他人とともにいながら、自己をあくまでも自分ひとりきりのものでしかない状態に投げ出してしまうことになるからなのか。それぞれの人間によってたがいに異なるはずの遠くの離れたものを共有することになるからなのか。子供時代も死も共有できはしないからなのか。

音楽、それは身体と身体のぶつかりあいであり、孤独と孤独のぶつかりあいであり、交換すべきものがなにもないような場での交換である。ときにそれは愛だと思われもしよう。演奏する者の身体と聴く者の身体がすっかり肉を失い、たがいに遠く離れ、ほとんどふたつの石、ふたつの問い、ふたりの天使を思わせるものとなって、どこまでも悲しい狂おしさを抱いて顔を向き合わせたりしないならば。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』千葉文夫訳)
人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。
コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。
それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。(高橋悠治「音楽の反方法論的序説」)

ーーとすれば、これらの言葉は実は佐々木中氏の《真の豊かさとは「この世界の豊穣さを多くの人と『分け合う』」ということだ》に限りなく近づくとも言える。

だが、たとえば、現在のツイッターという場での「人びとのあつまりかた」は、あまりにも醜悪だと感じることがある。それは、クラスタ内、小さな共感の共同体内での、湿った瞳の交わし合い、うなずき合いであり、クラスタ外の者の排除なのだ。その場を変えなければならない。肯定的に佐々木中氏のツイートを拾うことが多いわたくしではあるが、彼のツイートは場を変える力として機能していないときもある、と感じることがある。むしろその発言は、受け取り手によっては、「アーバン・トライバリズム(部族中心主義、同族意識)」を助長してしまう機能をもつと思うことがある。

…………


冒頭の佐々木中氏のツイートは次のような文脈で書かれていることを附記しておこう。

@AtaruSasaki RT@gonoi 雨宮処凛さんが「反富裕」という「贅沢は敵だ」的なスローガンを出しているが、私は「贅沢は素敵だ」派なのでまったく賛成できない。RT @karin_amamiya 今年の「自由と生存のメーデー」、熱くなりそう!「反貧困」ではなく「反富裕」!pic.twitter.com/7T9HJThq48

@AtaruSasaki @gonoi 反富裕とは……一歩間違うと「反・知的富裕」等々に雪崩れていって、行き着くところポル・ポトになりかねませんか。

‏@gonoi 肯定を禁止し続ける言説たる「反〜」以前の、スローガンを与えられた群れによる「反〜」への先祖返りが窮極的に行き着く先は、民主カンプチアでしょう。RT @AtaruSasaki 反富裕とは……一歩間違うと「反・知的富裕」等々に雪崩れていって、行き着くところポル・ポトになりかねませんか

‏@AtaruSasaki @gonoi 全くその通りだと思います。ある局面でいかに強固な「アンチ」が必要になろうとも、究極的にはこの世界とその歓びの肯定に至らなくてはなりません。

@gonoi @AtaruSasaki 今日の本務校ゼミで、歓びの肯定がなされる社会としてバタイユ『呪われた部分』のLa société de consumationについて、見田宗介を補助線に解説したばかりです。可視的に数値化された効用に回収されることのない、生命の充溢と消尽を解き放つ社会。

@AtaruSasaki @gonoi 僕、卒論バタイユだって話はしましたっけ……笑

このような頷き合いが仲間内の「知識人」の間で、平気でなされているのをみると、あきれ果てるよりほかない。反富裕が一歩間違うとどこにいくのかを語るならば、「贅沢は素敵だ」が一歩間違えばどこに行くのかを語らずにどうしよう。だがツイッターというのはおおむねこの程度の頷き合いの場である。

われわれの疑問は、たとえば「生の肯定」、「生の蕩尽」としてカーニバル的にあらわれたものが必ずファシズムに転化するのはなぜかということだ。ニーチェやベルグソンはファシストではないといってもはじまらない。もはや純粋なカーニバルなどありえないように、純粋な「生の哲学」もありえない。それはいったん歴史的な文脈に存在するやいなや、思いもよらぬ反転や置換を強いられるのだ。本当は、「暴力的なもの」は《近代》に出現するのだといってもよい。(柄谷行人『歴史と反復』)


◆追記:ジジェクと浅田彰と対談『「歴史の終わり」と世紀末の世界』より

浅田)……あなたの言われるように、ここで「北」と「南」というのは、地理的な意味とは限らないので、「北」の世界の中にも「南」の世界が入り込んでいる例は多々ありますーーたとえばアメリカの都市のスラムのように。


ジジェク)そう、そういう傾向は東西の冷戦の終結とともにいっそう強まっていると思いますね。

浅田)(……)自由民主主義と資本主義の勝利によってモダンな世界が普遍化するかに見えた瞬間、ポストモダンな「ネット」とプレモダンな「島々」への新たな分極化が生ずる。

ジジェク)そこであらためて強調しておくべきことは、そういう一見プレモダンな要素が、フクヤマの言うような過去の残滓などではなく、むしろモダンな資本主義システムの生み出したものーーいってみればポストモダンな産物だということです。それは自由主義的資本主義に内在するネガティヴな緒契機なのであり、ヘーゲル主義者として言うなら、自由主義的資本主義の勝利を語ることは同時にそういうネガティブな諸契機の露呈について語ることでもなければならないのです。そこには、内外の「第三世界」の貧困と退行、そして、そこから出てくる復古主義や原理主義といったものが、すべて含まれます。

ヘーゲル的に言って、それらが自由主義的資本主義に内在する「否定判断」、つまり自由主義的資本主義の普遍性の主張に対する内的否定にあたるとすれば、さらにラディカルな「無限判断」にあたるのは、カンボジアのクメール・ルージュやペルーのセンデロ・ルミノソでしょう。資本主義と伝統との矛盾に直面したとき、かれらは二重否定を行い、資本主義を拒否すると同時に、伝統をも解体してゼロからやりなおそうとするからです。この二重否定の逆説の中に反転した形で表現されている真実は、資本主義が前資本主義的な社会的紐帯の支えなしには存続しえないということです。言い換えれば、それは現代の資本主義に内在する矛盾を表現する激烈な症候なのであり、原始的なユートピア志向のラディカリズムの残滓などではありません。そもそも、クメール・ルージュの指導者のポル・ポトはマラルメやランボーを読み解く仏文学の教授だったし、センデロ・ルミノソの指導者のアビマエル・グスマンはカントの空間論について博士論文を書いた哲学の教授だったんですから(笑)。

そういうわけで、フクヤマに対するヘーゲル的警告は、自由民主主義と資本主義について語るとき、人権や経済成長といったポジティヴな面――「肯定判断」だけでなく、ネガティヴな面――「否定判断」や「無限判断」についても語らなければならないということです。たしかに自由民主主義は勝利したかもしれない。しかし、その勝利の瞬間は、そのラディカルな分裂の瞬間でもあるのです。

※否定判断と無限判断については、「「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン(ジジェク『LESS THAN NOTHING』より)」を参照のこと。



2014年4月17日木曜日

イマージュと美、あるいは感性の形式と悟性のカテゴリー

まず、『映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-』(箭内 匡)より。www.tenri-u.ac.jp/icrs/dv457k0000006wgb-att/1-6.pdf

『シネマ』におけるドゥルーズの思索の出発点をどこに見出すことができるだろうか。それは、非常にゆるやかな意味では、現代の多くの重要な哲学書――ドゥルーズ自身の旧著『差異と反復』を含め――と同様に、『純粋理性批判』のカントの思索であるということができるだろう。これに関して興味深いのは、ドゥルーズが『シネマ』の執筆に取りかかる少し前の1978年に、パリ第八大学で行なった、カントについての講義である。なぜなら、後の『シネマ』でのドゥルーズの議論の基礎になっている「イメージ」と「時間」の二つの概念が、『純粋理性批判』の中でカントが創始し、現代の我々もまたその影響下にあるような、ある根本的な思考の変革の中心部分として、この講義で事実上提示されているからである。

註):《「事実上」と書いたのは、そこでは「イメージ」(image)というベルクソン的表現でなくて、カント自身の「現れるもの」(ce qui apparaît あるいは apparition)という表現が使われているからである。(……)「現れるもの」に相当するカントの原語はErscheinung であり、これは通常は phénomèneと仏訳される言葉だが、ドゥルーズはドイツ語のニュアンスを生かす形で ce qui apparaît あるいはapparitionという言葉を使っていると思われる。「現れるものの条件」については、「現れるものの意味(sens)」と言ってもよい、とも述べている。》

では、ドゥルーズにとっての、カントによる根本的な思考の変革とは、具体的には何だろうか。それは、『シネマ』の全体に関わる点からいえば、次の三点になるだろう。第一にカントが、プラトン以来の「本質」(essence)と「仮象」(apparence)の対立と訣別し(つまりこの世界の背後に、この世界を根拠付けるような「真の世界」を前提することを廃止して)、ただ「現れるもの」(ce qui apparaît)のみを、その「現れるものの条件」(conditions de ce qui apparaît)ととともに思考したこと。第二に、この「現れるものの条件」の根底にあるものとして、新しい、真に近代的な「時間」の概念――いかなる宇宙的リズムをも前提としない、つまり、いかなる「動き(運動)」の蝶番からも解放された、純粋な「時間」――を導入したこと。第三に、この純粋な「時間」の概念を、同時にいかなる心理的リズムにも依拠しないものとして考えることを通じ、「私の存在」が「私は他者である」(“Je est un autre”)というパラドックスを内包する形でのみ綜合されうること、そして、この綜合作用の根底に「自己の自己による変様」としての「時間」があること、を見出したことである。

――という文を冒頭に掲げたのは、現代思潮社の「鈴木創士の部屋」の次の文を読んだ(読み返した)からだ(わたくしは鈴木創士氏のスタイルのすこぶるファンであって、このウェブ上のエッセイを一年毎くらいにまとめてPDFにして読み返す)。

カント的問題には、生々しいものであれ、古代ギリシアの唯物論風であれ、形而上学的であれ、はたまた神学的であれ、「イマージュ」についての考察がすっぽり抜け落ちているように思われる。そんなものは問題にすらならない。カントは物を見ていたのだろうか。「物自体」はイマージュとの光の照応を断っていたのだろうか。ともあれわれわれは何かを見ている最中なのだから、いくら「美」の哲学というものが複雑な代物であっても、美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。この点では私はいつも実在論と唯名論の中間を漂い続けざるを得ないということになる …。(鈴木創士「悪魔……」

さてどのように上のふたつの文の齟齬を処理したらよいのだろうか。カントやドゥルーズをまともに読んでいるわけではないわたくしは、それでも「物自体」と「イマージュ」について、たとえば次のような文を引用することぐらいはできる。

物自体に何ら神秘的な意味合いはない。カントは次のように警告している。

《一般に観念論の主張することろではこうである―――思考する存在者のほかには、いかなるものも存在しない、我々が直観において知覚すると信じている他の一切の物は、この思考する存在者のうちにある表象にすぎない、そしてこれらの表象には、思考する存在者の外にあるいかなる対象も実際に対応するものではない、というのである。

これに反して、私はこう主張する。―――物は、我々の外にある対象であると同時に、また我々の感官の対象として我々に与えられている。しかし物自体が何であるかということについては、我々は何も知らない、われわれはただ物自体の現れであるところの現象がいかなるものであるかを知るにすぎない、換言すれば、物が我々の感官を触発して我々のうちに生ぜしめる表象が何であるかを知るだけである。それだから、私とて、我々の外に物体のあることを承認する》(『プロレゴメナ』篠田英雄訳、岩波文庫)。

つまり、カントは世界も他我もわれわれが作ったものでなく、われわれに関係なく存在し生成していることを認めている。言い換えれば、われわれが「世界内存在」であることを。彼が物自体をいうのは、主観の受動性を強調するためである。(柄谷行人 『トランスクリティーク――カントとマルクス――』(岩波書店)第一部注P467)

あるいは、ドゥルーズのイマージュをめぐれば、前田秀樹【「悟性と感性の「性質の差異」について』(「批評空間」1996)より。

【伝統的な哲学】
哲学にとって、光は精神の側にあるもので、意識と呼ばれるものは、さまざまな事物をそれらが本来住んでいる暗闇から引き出してくる光の束である。意識という内面の光が。外側の暗闇に潜んでいる事物を照らし出す。

ドゥルーズによれば、現象学でさえこうした考えに哲学的伝統には忠実だったのであり、ただ現象学はかつて内面性の光とされていたものを、まるで電灯の光線のようにすべて外側に向けて開いていったに過ぎない。

【ベルクソンの哲学】

これに対して、ベルクソンは、事物というのはどんな光によって照らされているわけでもない、すでにそれ自体が光なのである、と。では意識とは何かというと、この光を屈折させ、停止させ、遮断するもの、言わば光にとっての障害物にほかならない。事物のイマージュは、意識の光によって照らし出されて浮かび上がるのではなく、意識をとおした光の屈折や遮断によって、つまり光の部分的な否定によって視えるものとなる。


さて素朴な疑問に戻って鈴木創士氏のいう、ある横顔を、ある肢体を、美しいと思うのは、単純で揺るぎないことなのだろうか。わたくしの誤読でなければ、ここでは何かが忘れられている。《われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たち》、すなわち醜いと思った女が、美しく見えるようになった経験を、われわれはして来ている。たとえば黒人女が美しくなったのは、二十世紀中葉の写真家や映像作家のせいではなかったか。

こんにちならよい趣味の人たりはわれわれに向ってこういう、――ルノワールは十八世紀の大画家である、と。しかし、そういうことを口にするとき、彼らは忘れているのだ、時を。すなわちルノワールが大芸術家としての待遇を受けるには十九世紀のただなかにあってさえ多くの時を必要としたことを。そのようにして世に認められることに成功するには、独創的な画家にしても、独創的な芸術家にしても、いずれも眼科医のような方法をとる。そんな画家とか芸術家とかが、絵や散文の形でおこなう処置は、かならずしも快いものではない。処置がおわり、眼帯をとった医師はわれわれにいう、ーーさあ、見てごらん。するとたちまち世界は(世界は一度にかぎり創造されたわけではない、独創的な芸術家が出現した回数とおなじだけ創造されたのだ)、われわれの目に、古い世界とはまるでちがって見える、しかも完全にはっきり見える。女たちが街のなかを通る、以前の女たちとはちがう、つまりそれはルノワールの女たちというわけだ。われわれがかつて女だと見るのを拒んだあのルノワールの女たちというわけなのだ。馬車もまたルノワールである、そして水も、そして空も。はじめて見た日どうしても森とは思えず、たとえば無数の色あいをもっているがまさしく森に固有の色あいに欠けているタペストリーのようだった、そんな森に似た森のなかを、われわれは散歩したくなってくる。そのようなものが、創造されたばかりの、新しい、そしてやがて滅びるべき宇宙なのである。その宇宙は、さらに独創的な新しい画家や作家がひきおこすであろうつぎの地質的大変動のときまでつづくだろう。(プルースト「ゲルマントのほう Ⅱ」井上究一郎訳) 

《美学が「感覚の論理」であるならば、ある曲線を、ある直線を、ある水の流れを、ある風景を、ある瞳を、ある動物を、稀にはある人の心の様を、ある横顔を、ある瞬間を、ある花や樹を、ある音楽を、ある静寂を、ある肢体を、ある朝と夜を、美しいと思うのは、まずはとても単純で揺るぎないことのように思えるのだけれど …。》――だが、それらが美しいのは、とても単純で揺るぎないことではない。

たとえば、アルプスが障害物でなく、「美しい」自然となったのは、ルソーの「文学」によるとする比較的若い時期の柄谷行人がいる。

『告白録』のなかで、ルソーは、1728年アルプスにおける自然との合一の体験を書いている。それまでアルプスはたんに邪魔な障害物でしかなかったのに、人々はルソーがみたものをみるためにスイスに殺到しはじめた。(柄谷行人「風景の発見」『日本近代文学の起源』)

次に「準備と注解/岡崎乾二郎」より、アルブレヒト・デューラーの《一人の人間から美しい像を写し取ることは不可能である。美しい人間というものは地上に生きていないから。人はつねにもっと美しくありうるから。また、人間の最美の形態がいかなるものかを語ったり示したりすることのできる人も地上には生きていない。神以外には美を判断することは誰にもできない。それについて人は異なる意見をもちうる。》という文の引用で始まる凝縮されたエッセイから、カントを孫引こう。

経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。この標準的理念が則ち個体に関する直観─換言すれば、さまざまに異なる一切の個別的直観の遥曳するところの形象であり、これに対応するものは『類』の全体である。自然はかかる形像を、同一の『類に属する自然的所産の原型とした、しかし個々のものについては、この原型の完全な実現は見られないようである。要するに標準的理念は、人間という『類』における美の完全な原型そのものではなくて、およそ美の成立に欠くことのできない条件を成すところの形式であり、従ってまたこの『類』の表現における適正を示すにすぎない。この理念はポリュクレイトスの有名な『ドリュフォロス』が規則(カノン)と呼ばれたのと同じ意味において規則なのである。またそれだからこそ標準的理念は、個別的─性格的なものをいっさい含んではならないのである。もしそうだとしたらこの理念は『類』に対する標準的理念ではなくなるだろう。標準的理念は、美によって我々に快いのではなくて、人間という『類』に属するものが美であり得るための唯一の条件に矛盾していないからこそ、快いのである。要するにかかる表現は正格というだけのことである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳)

つまるところ、時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではないと主張している。

カントの『純粋理性批判』にはこうある。

感性的直観能力は本来、受容性にほかならない、 ――換言すれば、表象によって或る仕方で触発せられる能力である。そしてこれらの表象の間の相互関係が即ち空間および時間という純粋直観(我々の感性の純粋形式)なのである。

またこれらの表象は、それがかかる関係(空間および時間の)において経験統一の法則に従って結合せられ規定せられる限りでは、 “対象” と名づけられる。かかる表象を生ぜしめる非感性的原因は、我々にはまったく知られていない、従って我々はこの非感性的原因を対象として直観することはできない。

このような対象(自体)は、(感性的表象の単なる条件としての)空間においてもまた時間においても表象せれれ得ないだろう、しかし我々はかかる感性的条件なしには、直観というものをまったく考えることができないのである。

それにも拘わらず我々は、現象一般の仮想的原因を先験的対象と名づけて差し支えない。しかしそれは我々がかかる対象によって、受容性としての感性に対応する何か或るものをもつためにすぎない。

我々は、我々の可能的知覚の範囲と連関とをすべてこの先験的対象に帰し、かかる先験的対象は一切の経験に先きだってその自体与えられている、と言って差し支えない。

ところがこの先験的対象に対応するところの現象は、それ自体与えられるのではなくて、経験においてのみ与えられるのである。  (『純粋理性批判』中、篠田英雄訳 岩波文庫)

柄谷行人の『トランスクリティーク」は、このカントの「感性の形式」(あるいは「悟性のカテゴリー」)をめぐっての議論に、そのかなりの箇所がさかれているといってよい。

カントは、経験論者が出発する感覚データはすでに感性の形式によって構成されたものであると述べた。(柄谷行人『トランスクリティーク』P312)
彼(カント)が感性の形式や悟性のカテゴリーによって現象が構成されるといったのは、言語によって構成されるというのと同じことである。実際、それらは新カント派のカッシラーによって「象徴形式」といいかえられている。P101
マルクスの唯物論は、観念論的と経験論の「視差」においてしかない、そして、この「視差」を失えば、唯物論はもう一つの「光学的欺瞞」(カント)に陥らざるを得ない。

日常生活では、どんな店屋の主人でもごくあたりまえに、ある人が自分がこうだと称する人柄と、その人が実際にどういう人であるかということとを区別することぐらいはできるのに、わが歴史記述ときては、まだこんなありふれた認識にさえも達していないのである。それは、あらゆる時代を、その時代が自分自身について語り、思いえがいた言葉どおりに信じこんでいるのである。(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)

マルクスの批判は、考えていること(悟性)と現にあること(感性)のギャップの意識においてのみあらわれる。P215-216

「感性の形式」や「悟性のカテゴリー」、あるいは先例と慣例」によるまなざしの汚染をめぐっては、蓮實重彦のいささか衒学的な表現、《解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》も、上のカントの変奏であるといってよい。もっとも蓮實重彦はパラダイムやエピステーメをめぐる文脈で書いているのだが、そもそもパラダイムとはその時代・文化の感性の形式や悟性のカテゴリーによるものだろう。ここでT.S.クーンのパラダイム概念を想起するなら、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。つまり、経験的なデータが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわり認識論的パラダイムで見 出される、としている。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)

これらだけではない。われわれは昨日美しかったものが、今日は美しくないという経験をしているはずだ。

諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望! 諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある! あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかも諸君は、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーー諸君の愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することをおそれてはいないか? 諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか? ――(ニーチェ 『曙光』539番)

ーーと引用してきたが、感性の形式、悟性のカテゴリー、あるいは物自体について、たいしたことが分かっているわけではないので誤解があるのかもしれない。カントのそれらをめぐっては、覗きたい人は「純粋理性批判の研究 第四章 カテゴリー」などたぐいのまとめがウェブ上にもいくらでもある。

いちばん厄介なのは「物自体」概念であり、当然のことだが、上に引用された文を額面通りに受け取る必要はないのであって、たとえば柄谷行人は次のように書く、《フロイトの超越論的心理学の意味を回復しようとしたラカンが想定した構造は、よりカント的である。仮象(想像的なもの)、形式(象徴的なもの)、物自体(リアルなもの)》(『トランスクリティーク』)。あるいは、

カントは、主観の形式によって構成されるものを「現象」と呼び、たえず主観を触発しつつありながら、主観によってはとらえられないものを「物自体」と呼んでいる。さらにつけ加えるべきなのは、「仮象」である。ここで注意すべきなのは、「現象」と「物自体」は、ドクサ(仮象)とエピステメー(真の認識)という旧来の区別とは異なるということである。たとえば、科学的認識がとらえるのは「現象」である。それは物自体ではないとしても仮象ではない。つまり、大事なのは、「現象」と「仮象」が区別されなければならないということである。カント以前の哲学者は、仮象が感覚にもとづくがゆえに生じる、ゆえに、感覚を越えた理性による認識が真であると考えてきた。カントが画期的なのは、仮象をもたらすのは感覚だけではない、ある種の仮象が理性そのものによって生み出されると考えたところにある。彼の仕事は、そのような理性を批判(吟味)することであった。しかし、それは、人がそのような仮象を容易に取り除けるということを意味するのではない。むしろ、その逆である。たとえば、自分(自己同一性)という考えは仮象である。とはいえ、もし自分というものがないとしたら、人は恐るべき心理状態に陥るだろう。カントはそのような仮象を超越論的仮象と呼んだ。

このように、物自体、現象、仮象という三つの概念は、一組の構造をなしている。つまり、そのどれかを捨てても根本的に意味が失われるのである。もちろん、われわれもこの古くさい「物自体」という言葉を廃棄してもよい。が、これらの構造だけは手放すわけにはいかない。たとえば、精神分析において、ラカンが定立した、「現実的なもの」・「象徴的なもの」・「想像的なもの」という区別は、明瞭にカント的である。このように、物自体、現象、仮象という三つの 概念が別の言葉でも言い換えられるということは、それらが超越論的に見出される一つの「構造」であること、カントの言葉でいえば、アーキテクトニック(建築術)であることを意味する。カント自身が、それを隠喩として語った。(柄谷行人「英語版への序文」、『隠喩としての建築』所収)

だが、ジジェクは物自体はラカンの現実界ではない、としている。

……ラカンのいう<現実界>は、永遠に象徴化を擦り抜ける固定した超歴史的な「核心」という見かけよりも、ずっと複雑なカテゴリーだということである。それはドイツ観念論者イマヌエル・カントが「物自体」と呼んだもの、すなわちわれわれの知覚によって歪曲される前の、われわれから独立した、そこにあるがままの現実とはいっさい無関係である。

《……この概念はまったくカント的ではない。私はこのことをあえて強調したい。もし<現実界>という概念があるとしたら、それは極端に複雑で、それゆえ理解不能である、そこから<すべて>を引き出すようなふうには理解できないのである。》(Lacan”Le Triomphe de La Religion)(ジジェク『ラカンはこう読め』P115-116)

ーーという具合だ。ジジェクはこの『ラカンはこう読め』の出版前に、柄谷行人の『トランスクリティーク』に絶賛に近い書評をしているが、上の文は「物自体≒現実界」とする柄谷行人解釈には瞭然と異議をとなえていると読んでもよいだろう。

…………

上にプルーストを引用したが、あのたぐいの文はいくらでもある。たとえば、《われわれが相手の人の顔を見、その声をきくたびに、目のまえに見え、耳にきこえているのは、その人についての概念なのである。》(プルーストーー「知った人に会う」という知的行為

いまは、食事のテーブルがかたづけられるあいだも、私はゆっくり居残って、小さな一団の少女たちが通りかかりそうな時刻ではない場合も、海ばかりながめているということはもうなかった。私は手近なさまざまなものをながめたのであり、エルスチールの水彩画のなかにそれらを見てからは、それらを現実のなかに再発見しようとつとめるのであった。

たとえばまだはすかいに置かれているナイフの類のその中断されたままの身ぶり、太陽の光線が黄色いビロードの一片をさしこんでいる使ったあとのナプキンのふっくらしたまるみ、朝顔型に口がひらいた高貴なカットをいっそう目立たせている飲みのこされたワイングラス、日ざしの凝固にも似た透明なそのクリスタルの底の、くすんだ、しかも光にきらめいているぶどう酒の残り、注がれた量の位置のずれ、光線の照明による液体の変質、すでになかば果物の山がくずれたコンポートのなかの、みどりから青へ、青から金色へと移るプラムの色彩の変化、食道楽の祭典が催される祭壇のようなテーブルの上の、敷きつめられたテーブルクロスのまわりに、日に二度ずつやってきては場所につく古ぼけた椅子たち、そしてそのテーブルの上の、牡蠣の殻の底に残っているみず、石の小さな聖水盤のなかに見られるような光った数滴の水、そうしたものを、何か詩的なもののように、私は愛するのであって、そんなところに美があろうとはいままで想像しなかった場所に、もっとも日用に使いなれた事物のなかに、「静物」の奥深い生命のなかに、私は美を見出そうと試みるのであった。(「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ 」井上究一郎訳)



2013年11月18日月曜日

「人形」と「中原中也の思い出」(小林秀雄)

人形  小林秀雄

或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。

細君の方は、小脇に何かを抱えて這入って来て私の向いの席に着いたのだが、袖の蔭から現れたのは、横抱きにされた、おやと思う程大きな人形であった。人形は、背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた。

着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も槌せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した。

細君が目くばせすると、夫は、床から帽子を拾い上げ、私の目が会うと、ちょっと会釈して、車窓の釘に掛けたが、それは、子供連れで失礼とでも言いたげなこなしであった。

もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は想った。

夫は旅なれた様子で、ボーイに何かと註文していたが、今は、おだやかな顔でピールを飲んでいる。妻は、はこばれたスープを一匙すくっては、まず人形の口元に持って行き、自分の口に入れる。それを繰返している。私は、手元に引寄せていたバタ皿から、バタを取って、彼女のパン皿の上に載せた。彼女は息子にかまけていて、気が附かない。「これは恐縮」と夫が代りに礼を言った。

そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。

細君の食事は、二人分であるから、遅々として進まない。やっとスープが終ったところである。もしかしたら、彼女は、全く正気なのかも知れない。身についてしまった習慣的行為かも知れない。とすれば、これまでになるのには、周囲の浅はかな好奇心とずい分戦わねばならなかったろう。それほど彼女の悲しみは深いのか。

異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えぱ、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。(朝日新聞 昭和三十七年十月六日)

ーーこの文も、前投稿「「美しい」と「おもしろい」」の文脈からいえば、たんに「名品」とか「ウツクシイ」やら、あるいはまるで志賀直哉の掌編のようだ、さらには今の作家たちにこういった文が書けるか、などと言っておらずに、どこに秘密があるのか、「要素に分解して対象をくまなく記述する」、あるいは「具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか」という態度がすくなくとも書き手には(シロウトの書き手でさえ巧く書きたいと願うなら)求められるのだろう。ーーと書いておいて、わたくしは今ここでそんなことをするつもりもなくその能力もないのだが。

この「人形」は『考えるヒント』に収められており、教科書にも載せられたことがあるそうで、比較的多くのひとに親しまれているらしい。『考えるヒント』には、同じように朝日新聞に掲載されたいくつかの短文があり、そのなかの「樅の木」というエッセイも「人形」と優劣つけがたく、とてもすばらしい(末尾に引用)。

この二つの短文の特徴で気づくのは、まずは「パラグラフ」の塊りが簡潔明快で、多くの読者をもつ新聞に載せるエッセイであるために、読み易さの工夫がなされているのか、その塊りごとに進行していくのが心地よい。

文章を書くとは次のようなことである。すなわち、頭の中の宇宙に乱舞する、言葉になりそうでならない、(……)「思想(イデア)」をつかみだし、明確な個別言語の衣を着せ、文脈に相応しつつ、文章という一次元上に建築して、それが何かの命題か物語を順当に喚起して、読み手の視野がひらけてゆき、自分以外の人にも通じるようになるかどうかをたえず吟味しつつ進むことである。いや、「思想」の前にも「もわーっ」とした何かがある。「粗描」というべきか。工作や建築で最初に鉛筆でなぐり描きされる「こういうふうなもの」に近い何かがある。

感じ方、考え方を規制するのではなく、自力で発想や感覚や事態を整理し、言葉に直して、それをしだいに高度に構成してゆくことは、スリリングな知的作業である。

この作業を阻む一因に、センテンスによって構成されるパラグラフという重要な単位を日本語が伝統的に重視しないことがある。

文法的単位はセンテンスだろうが、思考の単位はパラグラフである。この意識が乏しいために、日本語の文章の建築性は、パラグラフの手前で止まってしまう。小泉首相の発言はセンテンスが際立っている。だからスローガンのようなのだ。もっとも、それまでの政治家の発言の多くは、明確なセンテンスの態をなさなかった。武田泰淳が岩波新書の『政治家の文章』でいうとおりである。(中井久夫「日本語の対話性」 『時のしずく』所収


…………


小林秀雄「中原中也の思い出」抜粋

鎌倉比企ヶ谷妙法寺境内に、海棠の名木があった。こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎日のお花見を欠かしたことがなかったが、去年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切り株を見に行くまで、何だか信じられなかった。それほど前の年の満開は例年になくみごとなものであった。名木の名に恥じぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目のように細かく別れて行く梢の末々まで、極度の注意力をもって、とでも言いたげに、繊細な花をつけられるだけつけていた。私はF君と家内と三人で弁当を開き、酒を飲み、今年は花が小ぶりの様だが、実によく附いたものだと話し合った。傍で、見知らぬ職人風の男が、やはり感嘆して見入っていたが、後の若木の海棠の方を振り返り、若いのは、やっぱり花を急ぐから駄目だ、と独り言のように言った。蝕まれた切り株を見て、成る程、あれが俗に言う死花というものであったかと思った。中原と一緒に、花を眺めたときの情景が、鮮やかに思い出された。今年も切株を見に行った。若木の海棠は満開であった。思い出は同じであった。途轍もない花籠が空中にゆらめき、消え、中原の憔悴した黄ばんだ顔を見た。(……)

中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上がり、やがて彼女と私は同棲した。この忌まわしい出来事が、私と中原との間を目茶苦茶にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。ただ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、私は、「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多過ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味の事を言い、そう固く信じていてにも拘らず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変った、と書いている。が、先はない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗かったに相違ない。

それから八年経っていた。二人とも、二人の過去と何んの係わりもない女と結婚していた。忘れたい過去を具合よく忘れる為、めいめい勝手な努力を払って来た結果である。二人は、お互いの心を探り合う様な馬鹿な真似はしなかったが、共通の過去の悪夢は、二人が会った時から、又別の生を享けた様子であった。彼の顔は言っていた、彼が歌った様にーー「私は随分苦労して来た。それがどうした苦労であったか、語ろうとなぞとはつゆさえ思わぬ。またその苦労が、果して価値のあったものかなかったものか、そんな事なぞ考えてもみぬ。とにかく私は苦労して来た。苦労して来たことであった!」。しかし彼の顔は仮面に似て、平安の影さえなかった。


晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙って見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひたらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果てしなく、見入っていると切りがなく、私は急に嫌な気持ちになって来た。我慢が出来なくなってきた。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上がり、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。………(昭和二十四年八月『文芸』)




こういった文章にひとはほれ込んだのであって、それは小林・中原と親しい関係にあった吉田秀和が上の「中原中也の思い出」の最後の段落を引用して次のように書くのに代表される。

この歌舞伎の情景みたいな文章をよんで、私は私なりに、ハッとした。そうして考えた。中原は、こうやって、とうとう死んだのだ。すると、彼は、ともかく人間とは和解したのだろうな。そうして、ひさかたの春の光の中で、静心なく、散ってゆく花みたいに、彼は死んだのだ。実際、彼は死ぬずっと前から、自分の死を見ていたんだ。

私は、たしかには中原に会ったことがあるにはちがいないが、本当に彼をみ、彼の言葉をきいていたのだろうか? こういう魂と肉体については、小林秀雄のような天才だけが正確に思い出せ、大岡昇平のような無類の散文家だけが記録できるのである。私には、死んだ中原の歌う声しかきこえやしない。(吉田秀和「中原中也のこと」)

もっとも江藤淳はこう書いている、《この一節は美しい。が、おそらくあまりに美しい》、と。

中原中也自身は「日記」に、《岡田来訪。小林を誘って日本一の海棠を見にゆく。大したこともなし。しかしきれいなものなり》とだけしているのだ。


…………

私は、小林さんをお宅におたずねしたのは、ほんの数度しかない。そのうちある時、小林さんは、『私はもう演奏家で満足です。独創的な思想家などというものは……』――と言い出した。そのあとは何といったのか。はがゆいことに、どうしてもはっきり思い出せない。もう出つくしたというのだったか、自分がそうでないことがわかったというのだったか。もし後者だとすると、いつごとからか知らないが、小林さんの『自分が何々でないことがわかってきた』という文章にしばしばお目にかかるようになったのと、無関係ではないかも知れない。もちろん、それはかつて《批評家失格》という威勢のよい文章を書いた人にとって、全く予想外のことではないかも知れないが、近年のは、少し様子がちがうように感じられる。

しかし、そのことは、今はふれまい。小林さんが「演奏」という言葉で表わしたものは、創造と伝統という問題についてのある中核的な思想を指すように思われる。思想というより、ある内的な手ごたえというべきかも知れない。自分で考え、自分で感じとり、自分で動いている。その考え方、感じ方、動き方の中に、自分だけというのでなくて、ある遠くから、古くから伝えられてきた何かがあって、自分が自分になればなるほど、その何かの存在がはっきり自覚されるようになる。あるいは逆に、その何かの在り方について自覚すればするほど、自分はますます自分になる。そういう関係は、楽曲とその演奏との関係と相似的なものを含んでいる。そうして、そこには個人の解釈というものを超えた何かがある。人が全く自由に歌を歌おうとすれば、それは口からの出まかせでなく、誰かの歌を歌うことになる。それはいわば肉体的でかつ精神的なもののメカニズムに全く合致した事実なのである。しかも、その誰かの歌は、歌う人それぞれによって、ちがう音色とニュアンスと、形とを持って響いてくる。そういう事情については、この人は、もちろん、ずいぶん早くから知っており、書いたものにも出ていた、《モオツァルト》も、その一例である。だが、今、そこに何か、それまでになかったものが加わった。かりにもし、小林さんの晩年の思想というものが語られるとしたら、それは、この小林さんが「演奏」という言葉で指したものと無関係ではないだろうと、私は想像したりもする。(吉田秀和「三人――小林秀雄、伊藤整、大岡昇平」)

あまり詳しくはないのだが、ドゥルーズの「自由間接話法」や、「理解すること
ではなく使用すること」というのは、この「演奏」にかかわるはずだ。

またこういう言い方もある、《……自分のは原文のない翻訳みたいなものだと言っていたこともあります。実際に原典があったらどんなに幸せだろうと思いますよ。ただ、原典のない翻訳というものは、文学一般のことかもしれないとも思っているんです。》(古井由吉「文藝」2012年夏号)



…………

私はほんとに馬鹿だつたのかもしれない。私の女を私から奪略した男の所へ、女が行くといふ日、実は私もその日家を変へたのだが、自分の荷物だけ運送屋に渡してしまふと、女の荷物の片附けを手助けしてやり、おまけに車に載せがたいワレ物の女一人で持ちきれない分を、私の敵の男が借りて待つてゐる家まで届けてやつたりした。尤も、その男が私の親しい友であつたことゝ、私がその夕行かなければならなかつた停車場までの途中に、女の行く新しき男の家があつたことゝは、何かのために附けたして言つて置かう。(我が生活 中原中也




こうして中原は「口惜しき人」になり、小林は既にわかっていた恋愛の結果を、口一杯頬ばらされる。以来彼は小説を書きもしないし、他人の小説も信じない。彼は批評家になる。(……)

「保証」は彼女の一番ほしいもので、半ば狂った頭は不貞を犯しても棄てない保証まで、小林に求めるようになる。しかも小林がそこにいるということが、彼女の憎悪をそそるらしく、走って来る自動車の前へ、不意に突き飛ばされるに到って、同棲は障害事件の危険をはらんで来る。

五月上旬の或る夜、泰子が「出て行け」といったら、小林は出て行った。軒を廻って行くのは、いつものように間もなく謝って帰って来る後姿だったということである。しかし小林はそれっきり帰らなかった。
小林は家を出る時、ああ、自分はこの家へはこれっきり帰って来ないなと思ったそうである。……(大岡昇平『中原中也』より)


…………

小林秀雄(1902年 - 1983年)は、若い頃から次のように書いている。

一体論文といふものが、論理的に正しいか正しくないかといふ事は、それほどの大事ではない、その議論が人を動かすか動かさないかが、常に遥に困難な重要な問題なのだ。(「アシルと亀の子 」昭和 5 年28歳)

大岡昇平が書く、中原中也と長谷川泰子と小林の間の奇妙な三角関係の結果、《以来彼は小説を書きもしないし、他人の小説も信じない。彼は批評家になる》という文を信用するなら、本来、小説家になるべきひとが批評家になったとすることもできるかもしれない。

ーーなどと書けば、多くの批評家とは小説家になりたかったがどこかで諦めた種族であり、それゆえ小林秀雄の文章に小説に未練たたっぷりの臭いを嗅ぎつけ、強い反感を覚えるのではないかと勘繰ることさえできるだろう。

われわれはすでにフロイトやプルーストなどから他者非難のメカニズムを学んでいる。

…他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))

自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人の中に向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」井上究一郎訳)
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」井上訳)



いずれにせよ批評家としての小林秀雄批判は、前投稿で、多くの資料を挙げたが、その批判の多くは正鵠を射ているとしても、文章家として捉えるなら、その魅力は消えない。

兎も角、批評文がただ批評文であることに、だんだん不満を感じて来た。批評文も創作でなければならぬ。批評文も亦一つのたしかな美の形式として現われるようにならねばならぬ。そういう要求をだんだん強く感じて来たのだね。うまい分析とうまい結論、そんなものだけでは退屈になって来たのだ。 (「座談/コメディリテレーレ 小林秀雄を囲んで 」昭和21年)

小林秀雄の文には、すくなくともわたくしには次のような力がある。

震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。

詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(谷川俊太郎 ーー「芸術」「詩」の役割をめぐって

…………


「樅の木」に魅惑されるひとつの理由は、「中原中也の思い出」と同じように、古木の枯死といなせな職人とがでてくることだ。小林秀雄は、海棠の切株を思い浮かべながら(つまり中原のことを思い浮かべながら)、このエッセイを書いたに違いない。

樅の木 小林秀雄

私が今住んでいる家は、鎌倉八幡宮の裏山の上にあって、こんもりと繁った山々に取巻かれ、山の切れ目に、海に浮かんだ大島が見えるという大変見晴しのよいところにある。終戦直後、知人からこの家を譲り受けた時、私は、家などろくに見もしなかった。山の上に住む不便も、住んでみてから、いろいろ解って来た事で、その時は考えてもみなかった。それほど見晴しが気に入って、直ぐ決めてしまったのである。

狭い庭は、芝を植えたという他に、何の風情もないのだが、樅の木が一本あって、もし周囲の森と海も庭つづきに見立てれば、造園上、庭樹は、ここにこれ一本と決る、そういう姿で育っていた。樹齢何百年という大木である。無論、八幡宮の有名な銀杏のような名木ではないが、当時、ふと、参謀本部の地図で調べたら、独立樹として出ているのが解った。

目の前にあるのだから、毎日いやでもその姿を眺めるのだが、大木というものは、手入れもした事がないのだろうが、どうしてこうも姿のいいものかと思う。老醜という言葉がある。人間のみならず、私の家の犬も、老醜を現わすに至っているが、大木には、これが全く当てはまらず、老いていよいよ美しいとはどうしたわけか。いろんな鳥がやって来るが、夏の夜、梟が来て鳴くのが一番楽しみであった。

ところが、ある時、今年は何となく元気のない様子だ、と気附いた。その頃、毛虫で鎌倉中の松がひどくやられたので、虫であろうと思い、植木屋に相談したら、これは虫ではない、やはり、木の弱りだと言う。弱りと言っても、自分の意見では、原因は病気ではない、風だと思う、仲間と一緒で生えていればいいが、一本立ちでいては、辛い事だと言う。

樅の木のてっぺんは、古く雷にでもやられたらしく枯れていたが、植木屋は、それを見上げて、あの頭を切ってやれば、木も大分楽になるだろうと言うので、上を三間ほど切って、ブリキの蓋をして貰った。寸がつまっても、それなりに、やっぱり立派な姿に見えた。だが、やはり助からず、二年後に枯死した。

私は切り倒す気にはならなかった。そのままにして置いて見ていた。枯木は枯木で、また、なかなか美しかったのであるが、そのうちに、強い風だと枝が折れて飛ぶようになったので、仕方なく切る事にした。植木屋を呼んで、仕様がない、もう切る、と言うと、彼は、仕様がない、切るには切るが、ついては何とかいうお宮さんに行って、お伺いを立てて、水を貰って来ると言う。そんな習慣があるならあるでもっともな事と思えたから、彼にまかすと、二三日して一升瓶に水を持って来て、米と塩と一緒に供えて欲しいと言うので承知した。一昨年の事である。

恰好が附かないので、樅の木の後に、裏にあった、かなり大きなモチの木を、大騒ぎして移した。まだ丸太が取れないが、根附いてくれた様子である。モチの木も好きな木で、眺めていると随分いいが、未だ樅の木を忘れ兼ねている。(朝日新聞 昭和三十七年十月十三日)




晩年、奥さんが買い物にいけなくなったので下に移ったそうだ


…………


あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉が言えようか
君に取返しのつかぬ事をして了ったあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうっちゃった

あゝ、死んだ中原
例えばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば

ーー小林秀雄『死んだ中原』


…………


ここまで書いた(引用した)ままでのみ終えると、小林秀雄の抒情的な(感傷的な)讃美だけに終わってしまうのを怖れるので、ーーそれは、わたくしの悪い癖だがーー、以下に前投稿で敢えて割愛した二つの小林秀雄批判をここに附記しておこう。


・小林秀雄は「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」(岡崎乾二郎


次は小林秀雄のエッセイ「ランボオ Ⅲ」(昭和二十二年三月『展望』初出)への批評家高橋英夫氏の顕揚文に対する蓮實重彦の徹底的な批判の断片であるが、もちろんその批判の矛先は小林秀雄にいっそう強烈に届く。

……高橋氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な<出会い>として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件とし てあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだし て小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれて いる文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とこ とわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高 橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批判宣言』所収)

蓮實重彦による「小林秀雄殺し」とでもいうべきものだが、氏は「大江健三郎殺し」をしておいて、その後、別の側面から光を当てて大江健三郎を顕揚しているのだが、小林秀雄にたいしては「殺し」た後の、顕揚の痕跡は見られない。






2013年11月17日日曜日

「美しい」と「おもしろい」

以下、主に資料の列記。

…………

《批評というものが不可能になったとか、力がなくなったとか言われるけれども、僕の理屈では、むしろ消費者や素人ほど批評家であらざるをえない。(略)彼らがデータとして頼りにできるものは、最低限、自分の身体的な反応しかないわけで、それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか。それが日常生きていく上で常に強いられる。これは基本的に批評の原理そのものでしょう。》(岡崎乾二郎)


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕

◆小林秀雄「美を求める心」

言葉の姿と言つても、眼に見える活字の恰好ではない。諸君の心に直かに映ずる姿です。 この歌の姿といふ事は、古くから日本の歌人が、歌には一番大切なものと考へて来たもので す。西洋では詩のフォームと言ひ、このフォームといふ言葉は、今日、形式と訳されて使はれてをりますが、フォームといふ西洋でも古い言葉は、日本にも古くからある姿といふ言葉で訳す方が、よほどいゝ訳なのです。それはともかく、姿のいゝ人がある様に、姿のいゝ歌がある。歌人の歌の言葉は、真白な雪の降つた富士の山のやうな美しい姿をしてゐるのです。だから、赤人は、富士を見た時の感動を、言葉に現した、或は言葉にした、と言ふよりも、さういふ感動に、言葉によつて、姿を与へたと言つた方がいゝのです。感動といふものは、読んで字の如く、感情が動いてゐる状態です。動いてゐるが、やがて静まり、消えて了ふものです。さういふ強いが不安定な感動を、言葉を使つて整へて、安定した動かぬ姿にしたと言つた方がいゝのです。

◆『闘争のエチカ』(柄谷行人 蓮實重彦対談集)

蓮實)それにも、こっちはやや責任がないわけではないけれども、構造主義が定着しなかったのは、そもそも構造というものが思考しがたいというのが、ひとつあるわけでしょう。構造は図式ではなく機能する形式だという点で、思考の対象たりがたい。それはやはり歴史的な体験の欠如からくるものでしょうね、たぶん。だから機能する構造の歴史を見てゆけば、構造主義になるはずだということがあると思うわけ。

ただし、もうひとつ機能する形式に対する感性の不在ね。三島由紀夫だってそうした形式に対しての感性はまったくないと思うわけ。

柄谷)ないね。

蓮實)形とかフォルムとか、そういうものに対する感性が彼には欠けている。彼が持っているのは、機能を停止したあとの形式のイメージにすぎない。だからせいぜい安保の対応をどうかするという程度のことでしょう。形式は生きられていないですよね。

その形式に僕は魅かれます。だからレヴィ・ストロースを読んで、いろんな不満があったって、最終的にはやっぱり偉い人だ。三島を読むより、文学的に高度な興奮を与えてくれますもの。しかし、なぜ批評がフォルムを括弧に括った形で平気でいられるんだろう。

いわば形式に眩惑されていないわけね、眩惑されれば恐ろしくて逃げるやつが出てくると思う。それはいいのです。フォルムなんて怖くてやってられないっていって。ところが怖くて逃げているわけじゃなくて、それはそういうものもあるだろうけれども、適当にそれなしでやっていけると高を括って無感覚に安住する形で避けているだけなんですね


◆(共同討議)「芸術の理念と<日本>」 浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎、柄谷行人 『批評空間』 No.10 1993年 

柄谷行人) 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない

浅田彰) 小林秀雄で言うと、私といまここの美しい「花」(あるいはランボーでもモーツァルトでも)との特権的な出会いというトポスがあって、とにかくそれをバーンと出せばみんな平伏するしかない、と。磯崎さんも「見えない制度」で言われるように、その安っぽいトリックをもっとも鮮烈に批判したのは高橋悠治でしょう。

小林秀雄には「分析=記述が無い」(蓮實重彦「批評空間」第 3 号、 1991 年)


高橋悠治《小林秀雄「モオツァルト」読書ノート》(1974年)

批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。 
 この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。 
 作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。  ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。 
 日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。

《『吉田秀和全集』のなかの一巻に解説を書いた。他人の考えを理解することはできない。離れたところから見て、それとはちがうことを考えて書く。そ れが批判で、批評かもしれないが評論とはどこかちがうニュアンスがある。批判は継承でもあり伝統でもありうるが、分析や評論は伝統にはならないだ ろう。付け、あしらい、転じ、それが伝統の運動。

批評家や学者・研究者は作られたものからはじめる。デカルトは暖炉の傍のソファーで夢を見る。論理も感覚もことばにして、細部を追ううちに時間の 迷路に入りこむ。ことばの上で対象の全体を表現することが仮にできたとしても、それが何になるだろう。音は音の記憶でしかない。残像や軌跡、廃 墟、ここから立ち去った影にどうして追いつけるだろう。作曲家や演奏家にはまだないものが聞こえることもある。蜃気楼にすぎなくても「まだ意識さ れないもの、近づいてくる別な世界」とエルンスト・ブロッホが言う。

そこにない音楽が批評のことばから起き上がることだってないとは言えない。印象や記憶や感触ではない、立ち去ったものを追う道ではない、その瞬間 にうごいていたことに気づく交差する軌道に移ってどこへともなく運ばれていく。》(高橋悠治「だれ、どこ」吉田秀和(1914ー2012)




◆『闘争のエチカ』(柄谷行人 蓮實重彦対談集)

蓮實)だけど僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもそれで成功する人がね。
(……)
分析を言説化する手続きってものが、共同体的な倫理によって支えられていてもかまわない。またそのかぎりでは分析の対象が僕の興味のないものでもかまわない。
(……)意味生成の可能性をとことん拡げてその一つひとつのケースを検討することがないから、分析の言説化ではなく、言説化のための分析しか行われない。要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。
(……)

蓮實)九鬼周造は、日本的と呼ばれる「いき」の概念を分析し、その要素と汲み合わせから、構造と機能を近代的に記述している。九鬼のその後の言動はともかく、これは貴重な試みですよね。いちおう、日本的な記号を分析し、記述したわけですから。西田幾多郎はそこまでやっていない。

《現代の批評をよく知らない人にも聞いてもらいたいのですが、現代の批評とは、少数の「本当に美しいもの、かっこいいもの、おしゃれなもの」を見抜くことではありません。現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。

現代の批評では、「本当にかっこいい、美しい、おしゃれなもの」を「真に」選択可能であるとは考えません。対象にプラスの価値を賦与するのは、特定の「文脈」(言い換えれば、評価者集団の慣習)です。なので、特定のものをこれこそ傑作と断言するのは、特定の価値観へのコミットでしかない。

特定の価値観をベストであると信じるのは「イデオロギー」です。私たちは特定のイデオロギーを必ず有するし、それをベースにして表現活動をしますが、しかし「批評」とは、特定のイデオロギーの主張ではない。批評は諸イデオロギーの「比較」を基本とします。イデオロギーの主張は「政治」です。》(千葉雅也ーー日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる


…………

高橋悠治/茂木健一郎 「他者に痛みを感じられるか」

美しいか美しくないかっていうふうに感じるのはね 音楽つくる人の感じ方じゃないんですね   おもしろいかおもしろくないかなんですよ  それで それは 美しいっていうのはある基準を必要とするわけでしょ? だけど おもしろいかおもしろくないかっていうのは それはね 基準はあるかもしれない あるかもしれないけど そういうことを定義してはいけないものなんですよ

それは こういうものはおもしろい 何故ならっていうふうにいくでしょ そうするとそれにとらわれるわけですからね  だからそうじゃなくて こういうものがある これはおもしろい そこからどういう違うものができるかっていうことでやっていくわけですからね  それは、もう おもしろいと思ってそれを自分でやる瞬間にもう違ってくるわけですよ  で どういうふうに違ってくるかっていうことで 伝統なりそういうものがあったわけでしょ

 (面白いか面白くないかでやるっていうのは科学も同じでして、ただ、その後で普通は何らかのジャッジメントがあるはずなんですよ、面白いといって作った小学生の科学理論とアインシュタインの相対性理論を等価におくことはできない…ですね、やはりそれは … … … ジャッジメントをファシズムとおっしゃられるのでしたらね…)

いや そういうことはいいませんよ
 (そういうことはどうお考えですか、事実上ジャッジメントということはあるわけですよね)

おもしろいかおもしろくないかは判断ですよねえ ともいえるわけですよね  でもそれはきっかけにすぎないわけだから  それで ひとりがね 自分がおもしろいというだけでは それはね 何かをつくれないんですよ 

 それは音楽っていうのは誰か聴かなきゃ成立しないようなものでしょ  だからひとりだけの音楽っていうのはないんですね  それは言葉も同じだと思うけど 言葉っていうのは生まれつきあるものではないでしょ   それで まあ子供のころから言葉をおぼえるということは  言葉っていうのはようするに 二人以上の人間がいて成立するものでしょ それで言葉でなにかを考えたり感じたり表現したりするっていうことは ようするに ある種の複数の人間がいないとそもそも成り立たないことだと思うんですよ
  
 じゃあそこで どうして個人ということに重きをおくのかっていうのは なにか意図があってのことでしょ?

いやいや 茂木さんが置いているか置いていないかではなくてね なぜ個人主義というようなものが発達したかっていうようなことですよ  個人主義といってもいろんな個人主義があるわけで ヨーロッパのはひとつのバラエティにすぎないわけですね

 (高橋さんの言っていることには共感してるんですけども、美しいということを差別だとかファシスト的だとか否定して…それはわかるんですが、美しいっていうものを葬り去った時に現れる世界っていうのはなんなのか…葬り去れるものなのか) 

美しいっていうような判断がファシズムだっていうのは 茂木さんがおっしゃったんですよ ぼくは言ってませんよ 
 美であるか美でないかっていうようなことは ものを作るときの動機にはならないっていうことなんですよ
 (それはいいですよ)
だからそれでいいんじゃないですか  

 (いやでも、それは今は高橋さんが抑制的に言われてるだけで、ぼくは高橋さんの著書を読んでそこで言っているだけです、つまり、小林秀雄は骨董屋のように昔からある骨董品を撫でまわして …ああいう言い方をされるのはそれでわかるんですけども、そこで否定されているものはそんなにたちの悪いものではないんじゃないですか)

いや たちが悪いもんですよ あれは  あのねえ 名人が達人がっていくら言ったってね 美がなんとかであるっていくら言ったって じゃあ それを作るのはどうするのかっていうことはわかんないでしょ?
 (それは、小林が文章を作ったわけじゃないですか、同じことですよ) 
いや 同じことじゃないですよ
 (いや僕は同じことだと思います) 
それはね批評家としての
 (批評家の文はその人の作品なんですから、そこで音楽家の立場を特権化する権利がどうしてあるんですか?おかしいですよそれ、それは作家と批評家の古典的な構図を当てはめているだけじゃないですか)  
そんなことはないですね 
 (いや、ものをつくる人間を特権化する態度がおかしいと思います)
  
ものをつくる人間を特権化してるんじゃないですよ
 (いやしてるじゃないですか今も)

音楽をつくるっていうことは つくることのすべてだと思います? 

 (そんなことを言ってないですよ、だから、小林は本をつくったんじゃないかと言ってるんです、『無常といふ事』とか、作品じゃないですか、文字の配列を並べてるわけだから、それはひとつの作品じゃないんですか、それはまったくここで述べていることと同じじゃないんですか、つくるという態度においては。なんでその、わかんないけど、ものを作る人間と骨董屋でものをなでまわして有難がる古典的な人間の図式に当てはめて切り捨てるんですか)

その図式に当てはめていると思いました?ぼくのどこにその図式があるんですか?  違いますよ
 (どこが違うんですか) 
ものをつくるときは 美しいものを作ろうというふうには しないということのどこが特権化なんですか
 (それは文章を 書く人だって同じだと思いますよ)
 
いや 「美」っていうふうに言ってるのは 結果でしょ だから結果から始めて ものをつくることはできないんですよ  それは そういう人を特権化してるんじゃないですよ 料理つくるんだって何だって同じですよ
 (それはそうだと思いますけど) 
そうでしょ? だからそれでいいじゃないですか どこが特権化なんですか

 (ぼくが一貫して理解できないのは、最後に美しいものができて、それを美しいと思うと言うことには意味がないと思っているんですか?)
  
それは 意味がないって言ってませんよ  それは ものをつくるときには役に立たないって言ってるんですよ  そういうことを例えばモーツアルトについていくら言ったって そんなことは何の役にも立たないわけですよ
 
  (ものを作る上では役に立ってないでしょうね、でもそれによってインスピレーションを得て文章を書くということはひとつの制作ということじゃないんでしょうか)
  

それは小林秀雄の文章がいいっていうことを言ってるんですか? そうじゃなくて じゃあ モーツアルトについて書いて そしてそこから違う音楽なり何かが生まれてくる そういうプロセスを解明するっていうようなことのほうが なんちゅうのかなあ これは美しいとかさあ これは天才であるとか言ったって言葉の無駄じゃないですか? 

ここで高橋悠治が語っている「美しい/おもしろい」の二項対立は、プルーストの次の文を思い出させる。

『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章)

つまり、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名などの二項対立に連なるように感じる。
そして批判される「美しい」は、《時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではない》(参照:準備と注解/岡崎乾二郎)の文脈にあるはずだ。


ただし高橋悠治の「美しい」批判は、言葉の使用法によるだけの話であり、誤解してはならないのは、ひとが「美しい」というとき、高橋悠治の「おもしろい」と似た使い方をする場合もある、ということだ。

たとえば三十歳代の蓮實重彦は次のように藤枝静男賛をした。(参照:「美しい」といふ事(岡崎乾二郎、蓮實重彦

《短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる》


《人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ》る、これは「おもしろい=きっかけ」となるものだろう、そしてここからすべてが始る。

だが「美しい」という形容詞は誤解されやすい。多くの場合、ひとは「ウツクシイ」ということによって、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけだ。そこで高橋悠治は「おもしろい」としているわけだ。そしてこの「オモシロイ」という形容詞も、「ウツクシイ」という形容詞と同様に、その言葉を使う人によって、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけの場合もある。

ただし、ここでは、高橋悠治の一見とりとめもない発話から、わたくしはそう読む、とだけしておく。別の読み方もあるのかもしれない。



◆大岡昇平の小説「再会」より(青山二郎(Y 先生)の小林秀雄(X 先生))

私を除いて酔って来た。Y 先生が X 先生にからみ出した。

「お前さんには才能がないね」

「えっ」

と X 先生はどきっとしたような声を出した。先生は十何年来、日本の批評の最高の道を歩いたといわれている人である。その人に「才能がない」というのを聞いて、私もびっくりしてしまった。

お前のやってることは、お魚を釣ることじゃねえ。釣る手附を見せてるだけだ。 (Y 先生は比喩で語るのが好きである)そおら、釣るぞ。どうだ、この手を見てろ。 (先生は身振りを始めた)ほおら、だんだん魚が上って来るぞ。どうじゃ、頭が見えたろう。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

しかし Y 先生は自分の比喩にそれほど自信がないらしく、ちょろちょろ眼を動かして、X先生の顔を窺いながら、身振りを進めている。

「遺憾ながら才能がない。だから糸が切れるんだよ」

X 先生がおとなしく聞いてるところを見ると、矢は当ったらしい。Y 先生は調子づいた。 「いいかあ、こら、みんな、見てろ。魚が上るぞ。象かも知れないぞ。大きな象か、小さな象か。水中に棲息すべきではない象、象が上って来るかも知れんぞ。ほら、鼻が見えたろ。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

「ひでえことをいうなよ。才能があるかないか知らないが、高い宿賃出してモツァルト書きに、伊東くんだりまで来てるんだよ」

「へっ、宿賃がなんだい。糸が切れちゃ元も子もねえさ。ぷつっ」

こうなると Y 先生は手がつけられない。私も昔は随分泣かされたものである。

私はいいが、驚いたことに、暗い蝋燭で照らされた X 先生の頬は、涙だか洟だか知らないが、濡れているようであった。私はますます驚いた。

…………

レナード・バーンスタインは『音楽のよろこび』(1954)のなかで次のように書いている。

彼は、音楽における意味を四種のレベル、すなわち①物語的=文学的意味 ②雰囲気=絵画的意味 ③情緒反応的意味 ④純粋に音楽的な意味 に分類したうえで、 ④だけが音楽的な分析を行うに値すると述べる。

さらに「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」と。

高橋悠治の小林秀雄の「モオツァルト」批判は、この①②③しかないと言っていることになる。「寄生虫」ばかりだと言っているのだ。

もっとも小林秀雄の「モオツァルト」には、少なくとも、そこで語られている音楽を「ただちに聴きたい」という気持ちにさせる効用はあるには違いない。

文学批評というものは、石川淳の批評的エッセイがまさしくそうであったように、そこで語られている作品を、ただちに読みたい気持ちにさせなければいけない。(金井美恵子)


ところで、SNSでの発話や、いまわたくしが書いているブログの如き印象批評・主観批評でしかないような記事は、われわれをますます「近代以前」の状態にしているだろう。

《要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。》(蓮實重彦)

近代以前、すなわちプレモダンのレクリチュールとエクリチュール、--浅田彰なら「土人」の発話というだろう。いまこのように書いた事自体、浅田彰がこういったというだけの、土人の発話なのだ。

まあ、それもたまにはいい。たまにはパチンコもいいだろう(「ツイッターはインテリのパチンコ」という名言がある)。だが、つねにそうあっては埒が明かない。

《シネフィルに代表されるような限定された興味と趣味の共同体の内部で、最新流行の「センスのいい映画の見方」(蓮實重彦経由の古い映画の見方も含めて)を、あるいは「天皇の語り方」を追いかけていこうとするスノビスムが、作品に負のバイアスをかけているということ、むしろ、作家はそういうスノッブであることをやめ、孤独な「蛮人」になるべきだということである。金井美恵子がこう言った、浅田彰がそれにこう反応した、などという根も葉もない下らぬ噂話にうつつをぬかすのは、閉ざされたスノッブ村の「土人」でしかない。》(浅田彰 i-critique


浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)

…………


ツイッターなどでの発話を批判ばかりするつもりはない。たとえば、いまは書き手と編集者との対話など稀になっているのだろうから、次のような使い方はあるのだろう。

ある程度本格的な企画の場合に、初期高揚だけで完成することは決してと言ってよいほどない。しかし、この時期に「パレット」をできるだけ充実させておくことがずっと後で生きてくる。「パレット」の充実には、聞き手がいるとずっと楽である。独りでは限界がある。ここにも一つ、編集者の「治療」の有用性がある。

これは、「自由連想」をさせて、「抵抗」を破って、「徹底操作」をして「洞察」に到達せしめる精神分析治療に似た過程であると私は思う。「自由連想」とは編集者との駄べりである。

「自由連想」は、主題やキーワードの持つ意外な側面を明らかにし、新しい可能性を開く。著作というものは、発端に立った時に終点まで見通せる直線道路のようなものではない。そういうものであれば、おおよそ詰まらないものだろう、予期外の転回に引かれて読者は読み進むものである。「自由連想」によってこれから書く領域の思わぬ複雑なひだひだが見えてくれば成功である。

「抵抗」にはいろいろある。怖い批評家の言葉の先取りもある。従来の自説が足を引っ張ることもある。ある箇所がとうてい越せない難所に見えることもある。ある部分についての知識が絶望的に欠如していると思うこともある。これらは、みな「抵抗」である。しかし、対話のうちに、難所もさしたるものでないようにみえてくる。ある部分は回避してもよいことがわかる。あるいは違った接近法がよいと知れる。このように「抵抗」を言語化し吟味することが「徹底操作」である。そうすると、この課題でこのようなものなら著者にもできるという、「現実原則」に則った「洞察」が生まれる。この手続きなしで、編集者が「ま、よろしくお願いします」で引き下るとロクなものができない。

編集者は地方にはいないが、その代わり、さいわい、私は大学教師で、周囲に若い人がいる立場にあるので彼らを大いに利用させてもらっている。私のほうが聞き役になることもむろんある。(中井久夫「執筆過程の生理学」)



「小林秀雄」も同じく。彼がつねに批判されるものではないように。そもそも《「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、むしろ自己吟味である。》(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)


◆『考えるヒント』より

……私の書くものは、勢い、印象批評、主観批評の部類とされたが、其後、私は、自分の批評の方法を、一度も修正しようと思った事はない。何も自分の立場が正しく、他人の立場が間違っていると考えた為ではない。先ず好き嫌いがなければ、芸術作品に近寄る事も出来ない、という一見何でもない事柄が、意外に面倒な事と考えられ、この小さな事実が、美学というものを幾つもおびき寄せては、これを難破させる暗礁のように見え出し、言わばそれで手がふさがって了ったが為である。(小林秀雄「井伏君の「貸間あり」」)
週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)
ある対象を批判するとは、それを正しく理解する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カントの批判は、そういう働きをしている。彼の開いたのは、近代的クリチックの大道であり、これをあと戻りする理由は、どこにもない。(……)

批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難をやむ得ない、というわけだろう。(……)

論戦に誘いこまれる批評家は、非難は非生産的な働きだろうが、主張する事は生産する事だという独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。しかし、もし批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはずである。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。(小林秀雄「批評」)

いずれにせよ、書物だけではなく、現在すべての「作品」は、「批評を待って一人前」と言える。ところが、その「批評」が、多くの場合、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけであることが多い、ということだろう。あるいは小林秀雄のいくつかの文に見られるように、《どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。》(岡崎乾二郎)ということが。だから「批評」は「形式的」(要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述すること)でなくてはならないのだが、そんな批評は稀にしかみることができないというわけだ。

かつては、できるそばから読みきかせてくれるのを待っている小さな親密なサークルが作家の周囲にあった。一般に現代では読者の顔がみえにくい。現代の本は書評を待って一人前――成年に達するといえようか。逆にいえば、書評されない本は永遠に未成年である。(中井久夫ーー「ただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退く」)





2013年10月2日水曜日

音と沈黙の「地」と「図」

音がきこえはじめたとき音楽がはじまり、
音がきこえなくなったとき音楽がおわるのだろうか。
音楽は目に見えないし、なにも語らないから、
音のはじまりが音楽のはじまりなのか、
音のおわりが音楽のおわりなのか、
音楽のどこにはじまりがあり、おわりがあるのか
さえわからない。

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』4 「めぐり」)


たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー同16 「音の輪が回る」

高橋悠治が沈黙について語るとき、
きっと武満徹の言葉を思い出しているに違いない

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)
私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態(同上)

もっとも
武満徹のことばはそのまま信じるには美しすぎる
との疑いを持ちながら

武満自身がことばのひとだった。スケッチブックにさまざまなことばを集めながら作品の構想を得ただけでなく、自分の音楽についてもたくさんのことばを残したために、武満を論じた他人の文章のほとんどは、それらのことばを論じているか、それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている。

かれが自分の体験について語ったことばも、たいへん魅力的だが、真実であるにはあまりにうつくしい。かれが自分と自分の作品のまわりに織り上げた伝説にとらわれずに、このひとを語るためのことばは、まだ存在しない。もし、かれの音楽がこれからも忘れられずにいれば、ことばに覆われているかれの生と音楽を解き放つ考証も、いつかは可能になるだろうか。(武満徹の「うた」 高橋悠治

沈黙に耳をすます武満徹はアレグロを書けなかった

「二つの作品」、と言っても3曲の未定稿があり、いたるところで音を訂正しかけたまま放棄されている。アレグロの音楽を書こうとして苦しんでいたらしい。始め と終わりのある「音楽」らしい音楽を書こうとして、始めることはできても、終わりにたどりつけなかったのかもしれない。

「二つの小 品」、またアレグロ。すぐ終わってしまう。やはり、一つのはじまりだけでアレグロを書くことはできない。アレグロとは速度ではなく、擬似的二元性だから、 元気よく走り出すためには、元気なく取り残されるものを必要とする。これをソナタ形式と呼んでもいいが、それこそ近代的父権主義の音楽でなくてなんだろ う。武満は、幸か不幸か、アレグロを書くことができなかった。

それにつづくのは、のちに「二つのレント」の第1曲になるものの発 端。これは何回と無く書きなおされて、完成された版は、批評家の山根銀二に「音楽以前だ」と言われたほど、このフレーズのまわりをひたすらめぐる。対立を もたないことは、構成をもたないことではないが、ドイツ的音楽観は対立と闘争を絶対視する。

レントは、武満の身体が受け入れることのできた音楽の時間だった。ピアノで一つ一つの和音の響をたしかめる作曲家の身体。さまよう手がさぐりだ した響の余韻に立ち止まりながら、時には激しくぶつかる音程を打ち込んでみる。(同上)


音と沈黙は、どちらが地で図なのだろう
これが高橋悠治の問い(のひとつ)だ

そして《答がある問いは ほんとうの問いではない》

質問してはいけない
  なぜなら と師は言われないが
            わからない者がする質問は
           その水準での誤解にもとづいている
 それに応えれば その水準から出られなくなる
     そしてわかれば 質問してもむだだとわかる
 質問はなくなっても 問いはのこる
        あるいは答のない問いだけが生きつづける

ーー3月の練習  高橋悠治

《沈黙は音と限りなく接していて、 音が次第に微かになり、消えていくとき、 音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。 逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、 ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。》

ーーこの問い
だがそこに中井久夫の「記号」、「徴候」、「余韻」の問い
と近似したものをわたくしは読んでみたい誘惑に駆られる

「この世界が、はたして記号によって尽くされるのか。なぜなら、記号は存在するものの間で喚起され照合され関係づけられるものだからだ。」「世界は記号からなる」という命題にふと疑問を抱いた。

「いまだあらざるものとすでにないもの、予感と余韻と現在あるもの―――現前とこれを呼ぶとして―――そのあいだに記号論的関係はあるのであろうか。」「嘱目の世界に成立している記号論と、かりに徴候と予感や過去のインデクス(索引)と余韻を含む記号論があるとして、それを同じ一つのものというのは、概念の過剰包括ではないか。そのような記号論をほんとうに整合的意味のある内容を以って構成しうるのか。ひょっとすると、スローガン以上にでないのではないか。」

「ではどういうものがありうるのか。」「世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するとことでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界である。これをプレ世界というならば、ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平線に明滅しているものほど、重大な価値と意味とを有するものではないだろうか。それは遠景が明るく手もとの暗い月明下の世界である。」(中井久夫「世界における索引と徴候」)

だが高橋悠治の問いからは
安易に記号を音とすることさえできない
ましてや徴候と余韻を沈黙とするなど
あまりに単純な頭脳のなせる技
だろうか?


《予感というものは、……
まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして
息をひそめているという感覚である。
むつかしいことではない。
夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。
(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、
残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。
驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと
安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。》(中井久夫「世界における索引と徴候」)

音楽を聴くとき徴候と余韻を楽しむ
ということはたしかにある
それがもっとも貴重なもの
だと錯覚に閉じこもることがある

あるいは、ロラン・バルトのいう「ゆらめく閃光」

その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(『明るい部屋』)

ただし、こう語られるのは、いわゆる「写真論」のなかである


ところでジジェクによれば
ラカンは、沈黙は「図」で
音は「地」である、と語っているらしい

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object. When the intricate musical tapestry disintegrates or collapses into a pure unarticulated scream, we approach voice qua object. In this precise sense, as Lacan points out, voice and silence relate as figure and ground: silence is not (as one would be prone to think) the ground against which the figure of a voice emerges; quite the contrary, the reverberating sound itself provides the ground that renders visible the figure of silence.

ーーSlavoj zizek, "I Hear You with My Eyes"; or, The Invisible Master

もっともこれはジジェクの「自由間接話法」であり
ラカンがどこで語っているのかは探しだせないでいる

地と図についてはいろいろ語られてきた

「地」と「図」が基礎的であるとしても、それらが相互に反転してしまうことを禁止できないところにある。最も基礎的な与件である「一つの地の上の一つの図」ということの決定不可能性が疑われないのは、現象学的方法の限界である。(柄谷行人『隠喩としての建築』)




ジジェク=ラカンの主張も、
わたくしたちの「常識」を覆すものとしてのみ捉えるべきで
つねに「地」と「図」は相互に反転する
ウィトゲンシュタイン「うさぎ─あひる図」の話を想起してもよい

ウィトゲンシュタインは言う。私たちはこの図を、うさぎの頭としても、あひるの頭としても見ることができる。つまりこの絵は、二つの(そしてそれ以上の)異なる「アスペクト」で見られうる。しかし私たちは、いま自分にその図がどのように見えているかを、その図を描いたり、模写したりすることによっては示しえない。(平倉圭「バカボンのパパたち」

音楽においてもっとも美しいものは沈黙である、とアンドラーフ・シフはいう
すぐれた音楽教育の場でしばしば言われてきたように
「間」を聴くこと、「沈黙」を図とすること?





ここではあえて「間」と「徴候」「余韻」の作家
ヴェーベルンについては触れない
とくに何度か引き合いに出した初期のOP.5については
だれかが、吉田秀和やブーレーズが、似たようなことを語ったから
《それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている》のかもしれない
ウェーベルンはOP.5を後年オーケストラ用に編曲しているが
わたくしにはその長びく余韻、切れ味のなさにほとんど耐えられない
指揮者、演奏にもよるのだろうが、耳をすます態勢が殺がれてしまう


齢を重ねるにしたがって
大きな音に耐えられなくなり
アンダンテやアダージョ、レントの曲を
好んで聴くようになっている


もっともあるいは爆音かつアレグロの曲を聴いても
ホワイト・ノイズを聴く瞬間がひとにはあるだろう

60年代のミニマル・ミュージックは、
西洋楽器や民俗楽器で単純な音形を反復し、
それらの重ね合わせがモワレ効果で
意識をトリップに誘い込むといった
「知覚の現象学」を追求したが、
テクノミニマル・ミュージックは、
正弦波や白色雑音[ホワイト・ノイズ]といった
もっと基本的な要素を反復し、
正弦波同士が相殺しあって無音に聴こえるといった
「知覚の機械学」を追求する。
それは20世紀音楽が最後に到達した文字通りの零度なのだ。》(浅田彰

《砂や頁岩を洗い、
流木や防波堤に砕ける水の無限の変奏を捉えるためには、
思考速度を落とさなければならない。
それぞれのしずくはどれも違った音高で響き、
尽きることなく供給されるホワイトノイズに、
波がそれぞれ異なったフィルターをかける。
断続的な音もあれば、連続的な音もある。
海では、両者が原始の調和の中に融和している。》
マリー・シェーファー:作曲家、サウンドスケープの創始者、鳥越けい子他訳)


 ……たとえば、幻聴であるが、まず、幻聴はふしぎなものであるといっても、人間の神経系には幻聴を起こす能力が備わっている。たとえば、ほぼ一定の間隔で同じ音をボツボツボツと聞かせると、ただの音に聞えては次には言葉に聞こえ、またただの音に聞こえるということを繰り返す。また、外からの音がなくても、頭の中には血の流れる音が本来はやかましく聞こえているのを、フィルターをかけて消しているので、非常に静かな環境ではこの音が聞こえる。年をとってフィルターの力が弱まると、これはドクドクという耳鳴りとして聞こえるようになる。それが時々声になることは多くの老人が経験している。

しかし、こういう幻聴は「大丈夫ですよ」でお終いになる。幻聴が恐怖や不安を生むのは、それが不思議だからだけではない。何に対する警戒かわからないでしかも警戒心が高まっている状態が土台になっているからである。そういう時はすべての感覚が鋭敏になっているので、舌の先に赤いブツブツが見えたりする。これは味覚が鋭敏になっているのである。しかし、特に聴覚が敏感になるのは、聴覚が元来ウサギのように警戒のための感覚だからである。そうすると低い完全雑音(ホワイトノイズ)を拾って言葉として聞いてしまうのは、上に述べた幻聴を起こす能力による。実際、無意味な音を無意味なまま聞き流すほうが脳には無理なのである。深夜の静かさを無数の音がひしめいているように聞いてしまう、アレである。この場合、頭の中なのか頭の外なのか、区別がそもそもつかない。人間の精神は起こる感覚が内のものか外のものかを区別するようにしているが、いつも間違わないとは限らない。特に完全雑音の場合は内外の区別が難しい。それがどういう言葉になるかは、多分、その時に考えるともなく考えていた事柄と関係があるのだろう。深刻な幻聴もそうでない幻聴もあり、暗い内容もあるが明るい内容もあるのはそのためであろう。(中井久夫「症状というもの」『アリアドネからの糸』所収)


シューマンの幻肢としての音もある

《人間の足 でも手でもいんですけど、
事故や戦闘などで切断したあとで、
幻肢痛というのがあって、(……)幻肢痛というのは、
存在しない身体器官の先端が痛 んだり疼いたりするという感覚のことで、
ベトナム戦争の戦闘で身体器官を失った人が、
もう無いはずの左足の先端が痛いといったようなことがよく書かれていました。
これは、つまり人間の身体が外形的な物理的存在として、
自分の頭脳なり感覚のなかで統合されている、
という考え自体が実は幻想に過ぎないのかもしれない、
ということを考えさせます。
身体とは、存在しない自分の肉体をも
同時に引きずっているようななにかだ、ということ》



痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。

ーーミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫 訳) 


シューマン研究者でもあるチェリスト
スティーヴン・イッサーリスのバッハ・サラバンド





数々の名演はある
ロストロポーヴィチ
など

わたくしは少年時代、最初にフルニエで聴いたのだが
このサラバンドに関してはもう聴くことは難しい

ロシア人たちの演奏は素晴らしいが
響かせすぎるところがあると最近は感じる

ヨーヨーマは練習風景の映像で
より優れたものがあったはずだが
いまは探しだせないでいる


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕


上で問われた得体の知れないものは、もちろん「沈黙」である

そして厄介なのは「得体のしれないもの」生み出す技術を獲得したにしろ
受け手がそれを感じとる耳をもっているかどうかはまったく別の問題であり
人びとは驚くほど馬鹿になっています」の時代ならば
そんな「得体のしれないもの」はうっちゃって
次のように叫びたいヤツがほとんどだということだ

聴衆は言う。「何という個性、何という大胆さ、何という芸術家、何というピアニストなんだろう!」。ソナタの演奏がへたくそなことは言わずもがなだが、誰もそんなことは気にもしない。そもそも、ほとんど曲を聴いてはいないのだ。(アファナシエフーー青空のさなかで耐えること

もちろん以前もそうだったのだろう
だが現在はいっそうじっくり聴くことが少なくなって、
「名前」でのみ語るようになってきているはずだ

いわゆる文化の大衆化現象は、たんなる量的な変化をいうのではなく、芸術的な記号の流通形態の変化なのである。(……)そのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。(大衆が芸術作品を讃美するのは)みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

オレもひとのことは言えないが叫ばないようにだけはしているつもりだ

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

…………


《ソレルスによれば、何年か前あるフランスの若者のグループが、わざとランボーの「イリュミナシオン」をコンピュータで打ち直し平凡な作者名をつけてフランスの幾つかの主要な出版社に原稿を送りつけたらしい。新人の詩人が出版の是非を打診したみたいに。結果は予想どおりすぐに出た。全員が「拒否」!》(鈴木創士)