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2014年11月7日金曜日

Bach - Cantate BWV 127 「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」

もう30年ほど前にもなるけれど、BWV127の3曲目「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」を聴いていなかったわけではない、カール・リヒターの指揮の録音で。

※Antonia FahbergソプラノーーBACH - CANTATE BWV 127 " Herr Jesu Christ, wahr' Mensch und Gott " - KARL RICHTER ( 1957 )の第3曲は、8.52あたりから。






だが、ほとんど印象に残らず数回聴いた切りでその後聴きなおすということはしていなかった。おそらく30年以上は聴いていなかったのではないか。かすかな記憶で、当時このオーボエの旋律に惹かれたということはあるから、まったく耳に新しいわけではない。だがバッハにはほかにもすばらしいオーボエの使い方の曲がたくさんある。このリヒター指揮のBWV127は、全体的にテンポがゆっくりのレガート気味で、なおかつ途中で入る弦のピチカートの驚きがない。長いあいだリヒターを絶対視していたから、リヒターの演奏でたいした魅力を感じないのなら、他の指揮者の演奏を聴いてみることは、偶然の機会がなければーーラジオからとかのーーなかった。この曲への不感症はリヒターさんのせいだな……

という訳で、少し前掲げた次のShalev Ad-El指揮、ソプラノBarbara Schlick演奏のピチカートには驚いた。ひとによっては不自然だというかもしれないが、まるで別の世界から突然音が跳ねてきたかのようだ(3.50あたりから)。






次のおそらく同じbarbara schlickソプラノだと思われる次の演奏は上のようなピチカートの驚きはない。自然に入っている。これが標準的な演奏なのだろう(上のはTV録音であり録音技術の稚拙さもあるのかもしれない)。


◆Bach, Cantates BWV 127, Aria [Soprano], Die Seele ruht in Jesu Händen  (barbara schlick おそらく?)



◆Bach - Cantate BWV 127 Dorothee Mields、Herreweghe



◆Hélène Le Corre sings "Die Seele ruht in Jesu Händen"(Luca Pianca)



◆Eileen Farrell sings Bach - Cantatas 79 and 127 (Robert Shaw)



…………

久しぶりに熱狂というか、散歩している間でさえ、耳について離れない。こうなるともういけない、結局、スコアまで手に入れて、ピアノでポロポロやってみることになる。だがこのHarold Bauerの編曲はやや大時代的すぎるな。

2013年9月15日日曜日

「手を拱いている」ナンバンギセル

原抑圧」について調べていたら、それとは直接かかわりがないが、岩波書店版のフロイト新訳にかんしての誤訳の指摘がある。


フロイト翻訳正誤表として、旧訳の人文書院版をはじめとして岩波書店版でも精力的に誤訳の指摘されているfreudien氏のブログより。




気になったところなどを取り上げてみようと思います。

「すなわち、エスにおいて意図されていた欲動の蠢きは、抑圧の結果、意図通りの経過をたどることが全くできず、自我は首尾よくその経過を阻止するか、あるいはその方向を逸らせる、と。」(岩波版16頁)

 『欲動の蠢き』という概念は、エスの中にすでに存在して作用する、いわば出発点となる状態を指しますから、『エスにおいて意図されていた欲動の蠢き』というのは変です。原文を見ると『Erregungsablauf』ですから、次のようになります。

「すなわち、エスにおいて意図されていた興奮経過は、抑圧の結果、そもそも成立せず、自我は首尾よくその経過を阻止するか、あるいはその方向を逸らせる、と。」(代案)

(……)

「多くの声は、エスに対する自我の弱さ、私たちの内なる魔的なものに対する合理的なものの弱さを切々と強調し、この言葉を精神分析的「世界観」の支柱としようと手をこまねいている。」(岩波版20頁、下線は引用者)

原文は『sich anschicken』ですから、訳は単に『支柱としようとしている』でよいと思います。訳者は『手をこまねいている』という日本語の慣用句の意味を取り違えてはいないでしょうか。

「手をこまねく」とは、「事が起きたときに、何もしないで傍観している。また、何もできないでいる」ことだが、現在次のようであるらしい。

問1 「手をこまねく」とは,本来どのような意味でしょうか。

答 「手を胸の前で組んでいること」,転じて,「何もせずに傍観している。」という意味です。

問2 「手をこまねく」について尋ねた「国語に関する世論調査」の結果を教えてください。
答 本来の意味ではない「準備して待ち構える」という意味だと回答した人の割合が,本来の意味である「何もせずに傍観している」と回答した人を上回りました。(文化庁「手をこまねく」の意味

無為無策で手をこまねく、とか、周章狼狽して手をこまねく、などと使われ、類語として、「手を束(つか)ねる」「腕をこまねく」などがある。

《カーライルは書物のうえでこそ自分独りわかったような事をいうが、家を極めるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものとみえて、夫人の上京するまで手を束ねて待っていた。》(夏目漱石『カーライル博物館』

《『矢筈草』いよいよこれより本題に入らざるべからざる所となりぬ。然るに作者俄に惑うて思案投首煙管(キセル)銜へて腕こまねくのみ。》(永井荷風『矢はずぐさ』



手をこまねくの語源・由来

「こまねく」は「こまぬく」が音変化した語で、漢字ではどちらも「拱く」と表記する。
「こまぬく」は、両手の指を胸の前で組んで挨拶する中国の敬礼の一で、腕組みをするという意味もある。

傍観している際に腕組みをすることが多いことから、手をこまねく(こまぬく)は「何もしないでいる」「何もできないでいる」の意味で使われるようになった。

「言葉の意味というのは言語の使用(慣用)である」(ヴィトゲンシュタイン)であるにしろ、上のフロイト訳文は、この本来の意味でない「準備して待ち構える」としても、かなり抵抗のある文だ(わたくしも人のことは言えないのはわかってるよ、おそらく誤用ばかりだからな)。


この翻訳文は、すこし洒落た表現で翻訳してみようと試みた結果の奇訳であろう。いっけん穏やかな指摘だが、訳者はかなりこたえるのではないか。

あるいは編集担当者(岩波書店!)の劣化もあるのだろうか。

そもそも医学界には次のようなことがあるらしいが。

一般に、医学系出版社は、ボスだけを握っていれば、そちらからの原稿依頼で、皆かしこまって書くと思っているふしがある。ある編集会議に出た時のことを思い出す。編集委員が集まったところで、編集者が挨拶をして、では夕食を用意させたありますから召し上がって後はよろしきと言って退席し、編集者抜きで会議が始まった。私は失礼なと思ったが、これは編集者は口を挟みませんという、医学界ではしかあるべき態度と受け取られていた。こういうふうであるから、医学書は悪文に満ち、金ぴかの俗悪な装丁の本が多いのであろう。

ほんとうかどうか、医学界のボスには、誤字訂正をしても激怒するのがあるそうで、こういう手合いを相手にしていると、編集者もたまらないであろう。私も面白くないので、医学系出版界とは積極的に関係を持たない方針である。幸い精神医学だけの出版社が別個にある。これには、精神医学の本は専門家以外にも販路があるという事情もあるだろうが、著者-編集者関係の違いも大いに手伝ってのことだろう。(中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』1995)


…………


上とは全く関係がないが、《然るに作者俄に惑うて思案投首煙管(キセル)銜へて腕こまねくのみ》と荷風を引用したので、キセルをめぐって思い出した。

《記憶は ススキの根に寄生する ナンバンキセルのように 曲つている 人間の毛穴にふく 女神の息のように 淋しい》(宝石の眠り「記憶のために」)西脇順三郎


ナンバンキセルっての花の名なんだな、ってのに最近気づいたよ







「ナンバンギセルは他の植物の根に寄生して、そこから養分を取りながら生育する寄生植物です。」

よく読めば、「ススキの根に寄生する」ってのがあるのだから、煙草のほうのキセルじゃないのは気づいてしかるべきだけれど

パイプの愛用者としては、いまだ記憶はダンヒルのパイプようであったほしいけどね

そもそもダンヒルのパイプをすすきの中へすてるんだよな、第三の神話では

《タバコをやめたから/ダンヒルのパイプを河原のすすきの中へ/すててヴァレリの呪文を唱えた/「お前さんは曲がつている。すずかけの木よ」》(西脇順三郎「第三の神話」)


なぜかここで、シュヴァイツァーのオルガン演奏を貼っておこう(十六歳のときシュヴァイツァーのバッハ論を買いこんだ、ダンヒルのパイプのような記憶だ)







バッハのBWV564は、ジャクリーヌ・デュ・プレの十七歳のときの演奏やら、ホロヴィッツのカーネギーホールでの演奏もあるが、ここではもうひとつシュヴァイツァーのBWV625(Christ lag in Todesbandenキリストは死の縄目につながれたり)。







この曲は、バッハのもっとも有名なカンタータのひとつBWV4の最後のコラールとしてある。ここで感傷的にナンバンギセルの記憶を捻り出せば、わたくしの24歳のとき50歳で逝った母の棺のなかにカール・リヒター指揮のアルヒーフのBWV4のレコードを入れた。いまはなぜかトン・コープマン(Ton Koopman)のものを好んで聴く(独唱者の声が気に入らない箇所はあるのだが)。もうひとつのお気に入りのカンタータBWV78はリヒターのもので大丈夫だ(皮膚がひきつり軀が痙攣することはない。できるだけ離れていたいと思うことはない)。








《身体の傷は何ヶ月かで癒えるのに心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す。》(ヴァレリー『カイエ』)


あまり詳しくはないのだが、バロック演奏では、ピッチはヘレヴェッヘがA=415ぐらい。アルノンクールとコープ マンがA=465。そしてリヒターは現代ピッチ430~440らしい。(もっとも曲と場合によって異なるのだろう)。


今回の来日のメインはベートーヴェンの「第九」。本誌先月号の特集でも話題になっていた、ベーレンライターの新しいエディション(デル・マー校訂)を使用。オーケストラ六十二名(弦は10・10・7・7・5)、合唱四十四名(14・10・10・10)という編成で、ピッチはA=430Hz(ちなみに、バロックのときは415Hz、ロマン派は438Hz)。(フィリップ・ヘレヴェッヘのインタビュー

…………


音の静寂静寂の音(2000)

高橋悠治

3.バッハから遠く離れて


1750年の死から250年もたつというのに
ヨーロッパ音楽はまだバッハを鏡として
自己中心的な夢にひたっているのか

だれでも知っているバッハの音楽
トッカータとフーガの開始の身構え
G線上のアリアの気楽なベースライン
主よ 人の望みの喜びよ を吹き鳴らすトランペット
シャコンヌの誇張された身振り
ロマン主義が発明して
レコード産業とディズニーがひろめたバッハ
それ以外はとても複雑で退屈な音楽ではないか

そうではない
鏡として発明されたもう1人のバッハがいる
きく必要もなく存在している音楽
記号となった音 テキストとして読むことができる音楽
楽譜に書くことができる固定された音の列
楽器をつかわずに頭で考えた音のイメージを
次々に紙に書き出す能力
ほとんど訂正なしに完成される原稿
こういう技術なしには
作曲家という職業は自立したものにはならない
演奏家たちを作品の高みから支配し
消え去る音にも頼らず
どんな演奏も汲み尽すことのできない本質の
秘法の奥に憩うことができるのも
方法論となった作曲技術のおかげ
楽器ではなく 洋傘と杖を使っても
バッハの音楽は演奏できるだろう

旋律型や装飾法といった演奏の慣習のモザイクである旋法を
トニカとドミナントの関係に一元化した 調性のシステム
地中海の5度と北方の3度の対立を弁証法的に統合して
まだ平均律ではないがバランスのとれた 鍵盤楽器調律法
改良された指使いで 歌のように なめらかに波打つ旋律も
和声の表面にすぎない
主題法 分析によって見つけ出される一つの音列が発展し
作品全体を支配する
このように 専門家の術語でしか語れない音楽

作曲から自己編集に重点を移したバッハの晩年
教会暦のすべての日に対応できるカンタータ集
調整された鍵盤のためのあらゆる調の前奏曲とフーガ
世俗鍵盤音楽スタイルのカタログ ゴールドベルク変奏曲
音楽の捧げ物 じつはカノンの技法
改定の途中で放り出されたフーガの技法
抽象化され 分類され 操作される百科全書派的知

音から離れて記号となった音楽は 生活からも離れていく
マタイ受難曲 生きた神を裏切り見捨てた人間の
ロゴスとなった神からの 耐え難い距離
ブランデンブルク協奏曲 音楽の捧げ物
宮廷のアマチュア貴族の手や耳には複雑すぎる名人芸
市民社会にさきだって 音楽の世俗化ははじまった
技術の集約と個人化
主体と客体の分離
知の権力
音楽の啓蒙主義はまだ世界を支配している
あらゆる伝統文化に寄生し 内側から造りかえ
存在しなかった起源を発明しながら

1964年西ベルリンで ヘルマン・シェルヘンに
シェーンベルクのピアノ曲を弾いてきかせたことがあった
プロイセンのこの精密さは全世界を征服した
と シェルヘンは言った
のがれられない文明の呪縛
転換ギアはどこだ ベンヤミンさん
あるいは絨毯の模様の一点のほころび
籠の編み残された魂の出入口

バッハの曲のどれかを鍵盤の上でためしてみる
完成されたものとしてではなく
発明された過去としてではなく
未完のものとして
発見のプロセスとして
確信にみちたテンポや なめらかなフレーズを捨てて
バッハにカツラを投げつけられたオルガン弾きのように
たどたどしく まがりくねって
きみは靴屋にでもなったほうがいい
その通りです マエストロ
そして この音楽と現代社会とのかかわりについて
さらに 日々の生に その苦しみにこたえる音楽をもたず
過去の夢に酔うことしかできないこの世界の不幸について
瞑想してみよ

(ExMusica 1号のために) 








2013年9月12日木曜日

バッハカンタータBWV12とヴィヴァルディPiango, gemo, sospiro e peno




このバッハカンタータ12番の二番目の合唱が、ロ短調ミサに転用されているのはよく知られている。






あるいはカール・リヒターなら、以下、(13:51)17.Crucifixus.



だが、カンタータBWV12の合唱そのものが、ヴィヴァルディの世俗カンタータの転用らしい。ロ短調ミサのなかでもっとも崇高な箇所のひとつが、イタリアバロックのなかでは品が欠けるという評価を受けることもあるヴィヴァルディの愛のカンタータからの借用ということになる。


◆カンタータ第12番<泣き、嘆き、憂い、怯え>;(BWV12)研究 片岡啓一(ウェブ上PDF)

周知のごとぐ、<ミサ曲ロ短調>はその多くの部分が、かつてバッハ自身が作曲したカンタータの転用であり、カンタータ第12番<泣き、嘆き、憂い、怯え> (BWV 12) は、その原曲のうちでも最も古い時代のもの(1714年作曲)として知られている。しかもその転用された部分(第2曲)は、<ミサ曲ロ短調>の中心部分(第16 (17) 曲の合唱)であって、同曲の最も興味深い箇所といっても過言ではないくニケア信経>;の<十字架につけられ> (Crucifixus…)である。(……)

なおこの第2曲については、フリードリヒ・ブルーメ(PriedrichBlume 1893・1975)が彼の著「バッハの青年時代J (IDer junge BachJ Moseler Verlag,W olfenbuttel und Zurich 1967)中で、ベルンハルト・パウムガルトナー(BemhardPaumgarthner 1887・1971) が行った指摘を貴重なものとして紹介している。それによると同曲は、アントーニオ・ヴィヴァルディ(AntonioVivaldi 1678-1741) の世俗的な愛のカンタータ<泣き、嘆き、憂い、怯え>(Piango, gemo, sospiro e peno)を原曲として、それに倣って作曲されたとのことである。即ち同曲は、歌詞も音楽もヴィヴァルディの室内カンタータのパロディーであるというのである。








2013年4月14日日曜日

見すてられた石切場


「私は藝術についての漠然として主観的なお喋りを、私自身のそれを含めて、好まない。」(加藤周一著作集「芸術の精神史的考察 I」あとがき 1979)

「《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。」(『彼自身によるロラン・バルト』)

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち1)物語的=文学的意味 2)雰囲気=絵画的意味 3)情緒反応的意味 4)純粋に音楽的な意味 に分類したうえで、 4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」と。


以下は寄生虫のような文である
そして
「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(ロラン・バルト)


バッハのカンタータ《イエスよ、汝はわが魂を》BWV78は、1724年に初演されており、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル就任が1723年だから、ライプチヒ時代2年目の作品ということになる。見事なカンタータであり、バッハの合唱曲といえば「マタイ」や「ロ短調」ばかりが語られるがこの曲を聴かない手はない。

BWV4BWV12BWV61BWV140、いや最初期のBWV106……と挙げだしたら切りがないが、わたくしの場合、マタイは長すぎるので通して聴くことは滅多になく、自然、全曲聴くのはカンタータということにあり、むしろカンタータのほうに馴染んでいる。

そもそもカール・リヒター指揮の演奏で育ったので、レコード、CDも一部の曲以外は、リヒターしか持ち合わせていない。


まずは、カール・リヒターのもの。



以下は、ピリオド奏法というのだろう。ニコラウス・アーノンクール、フィリップ・ヘレヴェッヘPhilippe Herreweghe、Rudolf Lutzを並べる。










(トン・コープマンのものはなぜか見当たらない。)


冒頭の合唱を比べてみれば、それぞれまずその合唱の入り方が気に入らない。リヒターのなんという繊細な、底から這い上がってくるような歌声のはじまり(合唱者の人数の違いにもよるのだろうが)。

だが、アーノンクールの寄せては返す波のようなそれぞれの声部のぶつかり合いに魅惑を感じないでもない(ソプラノの声部のほとばしりは、ロラン・バルト=浅田彰のいう「打つこと=クー」があるといえるのかもしれない)。だが結局はリヒターでいいと思ってしまう。まあわたくしが古いのかもしれないし、古楽器のキーの加減もあるのだろうから、あまり他の指揮者(それぞれ要所要所に魅力的な)の文句はいうまい。


Rudolf Lutzという人は全然知らなかったのだが、その映像を見ていると、過日、内輪の会で知り合いの合奏の場を訪れたせいか、音楽の合奏の喜びに浸れる人々は、なんと羨ましいことよ、という感慨をもつ。リヒターやアーノンクールの時の歩みに対してどこか緊張したところ、なにか奪われたものを取り返そうとするかのようにしたあの緊迫はないにしろ、こうやってあのなかの一人に混じりたいという誘惑に強く駆られる。

ヘレヴェッヘのバッハは、つい最近熱心に聴きはじめたのだが、この演奏は、いまのところ、リヒターの変わりになるものではない、だが、たとえばマタイをリヒター以外で聴くとすれば、たぶん彼の演奏になるかもしれない。この二週間のあいだ、YouTubeにあるマタイのライヴ録音を最近二回ほど通して聴いた。以前の録音にはそれほど惹かれなかったのだが、このライヴ録音にはひどく魅了される(たぶんよりダイナミックになっているのではないか、それでもいまだ切れの悪さが気になるところはリヒターの演奏の記憶で補って聴き入ったり、独唱者の瑕瑾には耳を塞ぐなどという具合のところはあるが)。

齢のせいか、リヒターの驚くべきダイナミズムは、通して聴くには疲れてしまうのだ。あまりにも震撼させられる。それに、CDで聴くのだが、レコードで聴いた時代の記憶がまつわりついており、少年時代熱中して聴いたそれぞれの折の記憶が甦り過ぎる。アルヒーフの四枚組のレコードで繰り返しきき、ああ、ここで三枚目の裏面に変えてとか、ここにはレコードに傷があったな、とか、それだけでなく、ああ、この合唱の天から光りが射してくるような輝かしい箇所を繰り返し聴いたときには、少年期の感傷にもよる「個人的絶望感」に苛まれており、祈りによって救済を求めるようだったな、とか……。----この短い「ああ、まことに彼は神の子であった」の一分はリヒターの至高のエスプレッシーヴォであり、いまだ他のどんな指揮者の演奏も色褪せてきこえるーーまあ、こうなると厄介なものだ。


あのアルヒーフの粗い布装のマタイ四枚組レコードの箱。残念ながら今手許にないのだが、それはプルーストの書くベルゴットの本の役割を長いあいだしていた。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」)