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2013年7月9日火曜日

知的スノッブたち、あるいは音楽のユートピア (ロラン・バルト)

クラシック音楽の演奏会を聴きに行くひとたちのカテゴリーとして、

①専門家、あるいは専門家を夢見る人たち(教師、学習者、その家族、友人を含め)

②素朴な(古典的な)スノッブたち(ようするにクラシック音楽を好むのが良家の子女の嗜みだと思っているひとたち)

③知的スノッブたち

④非スノッブたち(ロラン・バルトのいう「アマチュア」、あるいは浅田彰のいう孤独な「蛮人」など)

このように今、思いついたが、ほかにもたくさんカテゴリー分けができるかもしれない。


③については、かつて吉本隆明が、浅田彰、柄谷行人や蓮實重彦に対して、他者や外部としての「大衆」をもたず、知の頂を登りっぱなしで降りてこられない(親鸞でいうところの「還相」の過程がない)「知の密教主義者」として、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」と評したことを思い出しておこう。

まあ彼ら三人が、三バカのスノッブかどうかは保留しても、彼らの言うところを批判なしに素直にきいてしまう、ーーすくなくともかつての、そして今でもあやしい<わたくし>のようなーー連中が、③のカテゴリーに属する。《田舎者のひとつの定義は『蓮實重彦に幻惑される人間』だ》(浅田彰)

というわけで、旧世代の知的スノッブを自認するわたくしは、柄谷行人の言葉を素直にきいておこう(いまは別の「知的スノッブの三バカ」がいるのかどうか、知るところではない)。
日本的スノビズムとは、歴史的理念も知的・道徳的な内容もなしに、空虚な形式的ゲームに命をかけるような生活様式を意味します。それは、伝統指向でも内部指向でもなく、他人指向の極端な形態なのです。そこには他者に承認されたいという欲望しかありません。たとえば、他人がどう思うかということしか考えていないにもかかわらず、他人のことをすこしも考えたことがない、強い自意識があるのに、まるで内面性がない、そういうタイプの人が多い。最近の若手批評家などは、そういう人ばかりです。(『近代文学の終り』柄谷行人)

④の非スノッブについては、バルトのアマチュアの定義を掲げよう(バルトを好むなど典型的な「知的スノッブ」であるだろう)。

「「好家アマチュア」(amateur)」(絵や音楽やスポーツや学問を嗜みながら、名人の域をねらうとか勝ち抜こうなどという魂胆はない人)。「愛好家」は、自分の享楽に連れ添って行く(「amator」とは、愛し、そして愛しつづける人、ということだ)。それは決して英雄(創作の、業績の、ヒーロー)ではない。彼は、記号表現の中に「優雅に」(無報酬で)腰を据えている。音楽や絵画の、そのまま決定的な材質の中に落ち着いている。彼の実践には、通常「ルバート」(属性のために物を搾取すること)は一切含まれない。彼は、反ブルジョワ芸術家である―たぶん、いずれそうなるはずである。(「ロラン・バルトと音楽のユートピア   安永 URL http://hdl.handle.net/10297/5471より)

浅田彰の<孤独な「蛮人」>については、以前にも引用したが、次の通り。

シネフィルに代表されるような限定された興味と趣味の共同体の内部で、最新流行の「センスのいい映画の見方」(蓮實重彦経由の古い映画の見方も含めて)を、あるいは「天皇の語り方」を追いかけていこうとするスノビスムが、作品に負のバイアスをかけているということ、むしろ、作家はそういうスノッブであることをやめ、孤独な「蛮人」になるべきだということである。金井美恵子がこう言った、浅田彰がそれにこう反応した、などという根も葉もない下らぬ噂話にうつつをぬかすのは、閉ざされたスノッブ村の「土人」でしかない。

この発言の変奏として、いくつかの文をここに付け加えよう。

・ギュスターブ(フローベール)のように書くことの無根拠と戯れる愚鈍さ。無知に徹することで物語を宙に迷わせること。この凡庸な時代に文学たりうる言葉は、何らかの意味でその種の愚鈍さを体現している。(蓮實重彦)

・フローベールは、カテゴリー的認識の崩壊を代償とすることで初めて得られるこうした無媒介的な官能の豊かさ(松浦寿輝)

・フローベールによると、小説家とはその作品の背後に身を隠したいと思っている者のことです。(クンデラ)

・私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態。(武満徹』)

グールドは同類とのコミュニケーションを拒否したが、 それはただコミュニケーションではないもの、「コミュニケーションの時代」 という名のもとに売られるあの空虚な文句に対する拒否反応だったのだ。 彼の孤独は、 個々の人間とその孤独において結合するための手段だった。 グールドがわれわれに示したのは、 彼を聴こうとするとき、 もはやそこに彼はいないという恥じらい、あるいは友愛だった。(シュネデール)

ーーもっとも、この類の「芸術家」の孤独の称揚については、そのまま信じ込むのではなく、ときには疑いをもったほうがいいだろう。

創作の全過程は精神分裂病(統合失調症)の発病過程にも、神秘家の完成過程にも、恋愛過程にも似ている。これらにおいても権力欲あるいはキリスト教に言う傲慢(ヒュプリス)は最大の陥穽である。逆に、ある種の無私な友情は保護的である。作家の伝記における孤独の強調にもかかわらず、完全な孤独で創造的たりえた作家を私は知らない。もっとも不毛な時に彼を「白紙委任状」を以て信頼する同性あるいは異性の友人はほとんど不可欠である。多くの作家は「甘え」の対象を必ず準備している。逆に、それだけの人間的魅力を持ちえない、持ちつづけえない人はこの時期を通り抜けることができない。(中井久夫「創造と癒し序説」——創作の生理学に向けて)

ヴァレリーが次のように書いたのは、フィクションのなかの話である(もとより示唆は多いが)。

すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。

そこでわたしは夢想した。もっとも強靱な頭脳、もっとも明敏な発明家、思考のなんたるかをもっとも正確に認識している人々はすべからく無名の人であり、己れを惜しみ、己れを語ることなく死んでゆく人でなくてはならい、と。そうした人々の存在にわたしの目が啓かれたのは、ほかならぬ、やや志操の堅固さに欠けるがゆえに、名声が赫々として世に現われた人々の存在そのものによってである。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』



「知的スノッブ」については、プルーストの「ソドムとゴモラ」の巻に、カンブルメール夫人をめぐってのすばらしい素描がある。

カンブルメール=ルグランダン夫人は海をながめて会話にそっぽを向いた。彼女は姑が愛しているような音楽は音楽ではないと考え、姑の才能を、実際には世間が認めているもっとも顕著なものであったのに、自己流のものであると解し、興味のない妙技にすぎないと考えていた。現存するただひとりのショパンの弟子である老婦人が、師の演奏法、師の「感情」は、自分を通して、嫁のカンブルメール夫人にしかつたえられなかった、と公言していたのはもっともであったが、ショパンの通りに演奏するということは、このポーランドの作曲家を誰よりも軽蔑しているルグランダンの妹には、参考とすべきことからは遠かった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」井上究一郎訳 p365-366)
そのドビュッシーは、彼女自身が数年経ってからもそう考えていたほどそんなにワグナーからとびはなれていたわけではなかった、それというのも、われわれが一時的に征服されていた相手から自由になって、これを完全に凌駕するには、やはり相手が征服に使った武器をふたたびとってやるよりほかないからなのである、しかしそれにしてもドビュッシーは、表現の十全な、あまりにも完成された作品にたいして、人々が飽きはじめていた時期のあとで、それまでとは反対のある欲求を満足させようとつとめていたのであったが、カンブルメール若夫人はそういう事情を認識していなかったのだ。p367
私はわざわざ彼女の姑に話しかけながら、ショパンは流行おくれになっているどころか、ドビュッシーがとくに好んでいる作曲家であると告げた。「おや、それはおもしろいじゃありませんか」と嫁は微妙な笑顔で私にいった、そんなことは、『ペレアス』の作者が投げつけた逆説でしかない、とでもいうように。それでも、もういまからは、彼女は尊敬のみか快楽をさえ抱いてショパンをきくであろうことはたしかだった。だから、私の言葉は、未亡人にとっては解放の鐘を鳴らしたことになり、彼女の顔に、私への感謝と、とりわけ歓喜とのまじった、一種の表情を浮かべさせた。p368
……『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志からではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」 p368-369)

――最後の文については、これだけ抜き出しただけではすこし分りにくいので末尾にもう少し長く引用する。

あるいは「見出された時」には、こうある。

……カンブルメール夫人が、「再読すべきだわ、ショーペンハウアーが音楽について述べていることを」といっているのを耳にはさむと、彼女ははげしい口調でこう言いながらその文句に私たちの注意をうながした「再・読とは傑作ねえ! 何よ! そんなもの、とんでもない、だまそうとしたってだめなの、私たちを」老アルボンはゲルマントの才気の形式の一つを認めてにっこりした。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳 文庫 P532

クラシックの演奏家が戦略的に振舞うのなら(売れることを目指すなら)、こういった「知的スノッブ」を相手にするかどうかで、その「レパートリー」や「スタイル」が変ってくるだろう。声の大きいのは彼らであるには相違ない。ということは戦略的に振舞うのであれば、彼らが一番重要だ。

たとえば④の「アマチュア」を顕揚するバルトは、「不思議なことに、演奏会の経験を語らない。彼が語るのは、自らピアノの鍵盤に触れた経験か、音盤に耳傾けた経験か、あるいは声楽の師パンゼラのことである。」(安永愛)

①②のカテゴリーのひとの発話は、仲間内へ向けてなされることが多く、影響力がすくない。


…………

さて、さきほどバルトの「アマチュア」の定義を安永愛「ロラン・バルトと音楽のユートピア  」から引用したが、安永愛さんは、地道なヴァレリーの研究者でありつつ、裏社会の日本史 フィリップ ポンス、Philippe Ponsなどの地味な翻訳もあり、あるいはロラン・バルト、クンデラをめぐる小論、あるいはヴァレリーに絡んで中井久夫の著作にも言及がある。つまり、わたくしのスノビッシュな感性を刺激する女性であり、結婚前の黒田愛名の論文からひそかに読んでいるのだが、ここでその彼女の言葉に耳を傾けてみよう。

バルトは1954年に発表された『神話作用』の中で、フランスを代表するバリトン歌手であるジェラール・スゼーの歌唱について「ブルジョワ的声楽の芸術」の称号を奉ったことがある。バルトは、スゼーの歌唱について、「感情ではなく、感情のしるしをたえず押しつける」という言葉使いで断じている。バルトによれば「ブルジョワ芸術」の特徴とは、聴衆を洗練されない馬鹿正直者としてとらえ、理解されないことを恐れ、表現を噛み砕き意図を過剰なまでに指し示す、というところにあり、スゼーの歌唱は、まさしく「ブルジョワ芸術」の典型である。

ここにある「感情ではなく、感情のしるしをたえず押しつける」は、クンデラの「ホモ・センチメンタリス」の定義を想起させる。

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。(『不滅』――ホモ・ヒステリクス(クンデラ、ロラン・バルト)

あるいは、「聴衆を洗練されない馬鹿正直者としてとらえ、理解されないことを恐れ、表現を噛み砕き意図を過剰なまでに指し示す」などすれば、すぐさまカンブルメール夫人の苦りきった嘲笑の顔が浮んでくる。つまり「知的スノッブ」たちの格好の餌食となってしまう。

ここでロングショットの作家として知られるアンゲプロスが「モンタージュ」について語る部分を挿入しよう。《観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめす》と語る彼の言葉を。


モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。ワンシーン・ワンショットの映画では、見る人間の知性と感性とにより多くの自由を残そうとしています、ひとつの画面にあって、観客は、そのしかるべき要素を自分で発見し、自分でそれを組織だててゆく。その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。
……
───そのことはとてもよくわかり、まさにそうした点においてあなたの映画に興奮するわけですが、そうした場合、あなたは、観客を全面的に信頼しておられるのですか。

観客にはいろいろ種類があります。アンドレ・マルローが「映画の心理学」でいっているように、映画にとっての障壁が産業であるなら、それによってわれわれは条件づけられてしまう。それはよかろう。だとするなら、選択しなければならない。その一つは、映画を撮りはするが、いつか沈黙におしやられはしないかという危険をいつでも身に感じながら撮り続けるという姿勢をとるか、それとも、いま一つの姿勢として、他の誰もが撮るようなやり方で、つまりモンタージュの映画か、説話論的有効性の映画、等々もつくってゆくことにするか、その二つに一つしかない。つまり、沈黙に向かうか、金銭に向かうか、その選択ということ以外にありえないわけですが、どうでしょうか、ある作家たちは、こうした二つの方向を厳密に選択することなく、複雑な経路をへながらも、みごとな作品を撮り続けることができる。おそらく、私には、そうしたことはできないと思う。しかし、私はそれで他人を批判しようとは思いません。あらゆる批判は自分自身にむけられます。(蓮實重彦『光をめぐって』の「二十世紀の夢を批判的に考察したかった」より)

ーー引用者注:ここでの「ある作家たち」のなかのひとりに、ゴダールが念頭におかれているのは間違いないだろう。日本でいえば、この「ある作家」のカテゴリーに、詩人の谷川俊太郎が間違いなく入る。


もっとも、現在、アンゲプロスの態度は通用しない時代なのかもしれない。

北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

―なるほど。

北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。特に『アウトレイジ ビヨンド』では登場人物も多いし、ストーリーも入れ込んでるから、喋らせないと映画が長くなって収まり切らないし。これまでのような間を作ってると、前編・後編にしないとちょっと収まらないかなっていう。(北野武が語る「暴力の時代」


さて、安永愛論文の引用に戻る。
  
バルトにとって、音楽のアマチュアであるということは、プロフェッショナルか、アマチュアかという二項対立の社会的・職業的カテゴリーと必ずしも一致するものではない。事実バルトは、歴とした職業的ピアニストの演奏に「アマチュア」芸術を見出している。「アマチュア」芸術とは、バルトにとっては、究極といってよい賛辞なのであり、「アマチュア」芸術の名に値するのは、彼が師事した声楽家のシャルル・パンゼラや、若くして亡くなったルーマニアのピアニストのリパッティらに限られている。バルトによれば、表現の素材(音楽においては音)に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらしてしまうといった演奏家のみが「アマチュア」芸術家の名を冠しうるのである。しかし、弾く者と聴く者とが分断され、「プロフェッショナル」が聴き手を圧倒することが当然とされてしまった現代においては、そうしたタイプの演奏家は非常に希少な存在になってくる。
バルトが「アマチュア」を「反ブルジョワ的芸術家」として捉えるのは、演奏と聴取の行為が分断され、音楽が受動的に消費されるものになってしまった現代社会において、演奏と聴取の両者に携わり、受動的消費に留まらない音楽との関係性を持ち続ける存在であると見たからであろう。現代フランスを代表する作曲家であるピエール・ブーレーズは、バルトのこの「アマチュア」に関する思考を、現代の音楽の置かれた状況を考えるにあたって見過ごせない視点であると見て、『クリティック』誌のバルト追悼特集に寄せ、「アマチュアの位置15」と題する短い論考を残している。
15)Pierre Boulez « Le statut de lʼamateur », Critique, août-septembre 423-424, Edition du Chêne, pp.662-665.
 バルトは、フランス文化省の肝入りで創設され、ピエール・ブーレーズを中心として組織された現代音楽センターであるIRCAMの活動に、ミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズと共に参与し、現代音楽を考えるにあたってのテーマのリストに「現代音楽における「アマチュア」の位置」の問題を取り上げるようにと提案していた。この視角は、ブーレーズにとって、全く虚をつかれるものであったという。ブーレーズは、現代音楽は高度な専門的・技術的達成を前提としているものであり、バルト的な「アマチュア」的な愉楽と容易に馴れ合えるものではないとの見解を持しているが、そうであるからこそ、バルトの指摘にインパクトを受けたのであろう。このブーレーズの小論は、バルトの見解を単に稚拙として嘲弄するものではなく、思いもかけない視角からの問題提起をしたバルトへの一種の畏敬の思いがにじみ出た追悼の一編となっている。

こうして安永愛は、ロラン・バルトの「音楽のユートピア」を次のようにまとめている。

① 勝ち抜こうとか、極めようとかいう魂胆とは無縁に、芸術の素材との接触の歓びのままに導かれるアマチュア性の重視。資本や名誉のゲームと無縁な営みへの共感。

② 孤独と内面性の重視。

③ 性役割や家族幻想からの解放への欲求。

④ コード化された社交空間の軽視。

⑤ 真率なる愛の空間への欲求。


いずれにせよ、《昨今の西洋音楽のコンサート形式はもうすぐ終焉を遂げるだろうという、漠然とした予感を抱いている。名匠に憧れる素朴な愛好家たちも、もうすぐ消滅してしまうだろう》「音楽のアマチュア」四方田犬彦)とされるとき、ーーこの類の見解は、高橋悠治が三十年以上前から語っているのだが、--そのとき演奏家が戦略的に振舞うとはどういうことなのか(明日の飯のためではなく、十年後、二十年後に音楽のユートピアにすこしでも近づく戦略として)。やはり従来のコンサート形式とは異なった形式にまなざしを向けることが必要なのだろう。

音楽なんか聴かなくても生きていける。メッセージがあるとすれば、そういうことだ。クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。(高橋悠治「讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事」)

東京に暮していて 音楽を語ることはない
こんなにたくさんの音楽家がいて
音楽することに何の意味があるのか
だれも知らない
それとも言いたくないのか
若い音楽家たちとなら
いっしょに音楽することができると思ったのも
幻想に過ぎなかった
若いのは外見だけでほとんどは
いまなおヨーロッパの規範に追随して技術をみがき
洗練されたうつろな響を
特殊奏法やめずらしい音色や道化芝居でかざりたてて
利益と地位だけが目当てのものたちばかりだった
いまコンサート会場に音楽はない
きそいあう技術や書法や確信にみちた態度
持てるものがもっと持ちたいという欲望
そのための神経症的な努力  

ーー高橋悠治「音の静寂静寂の音(2000)」より


観客を最終的にヴィルトゥオーシテによって魅了するというコ ンサートやレコーディングによる一種の最終目的は、近代スポーツにあてはめればちょうど勝利という感覚によって対応するようなものになる。
たとえば「音楽家」という職業がどういうふうに 人々の間に生きてるかといえば、まさにいま悠治さんが言われたような、人々が親密に集まってくるような場にふと現われてひとしきり密度の濃い音楽をやるよ うな人のことですよね。
「音楽の時間」―高橋悠治・今福龍太 音楽を句読点とした対話―

もしかりにこれらの発言をする高橋悠治が、現在の「知的スノッブ」の信奉する対象だとすれば(いまではそういうことは少ないのであろうが)、従来型のコンサート形式に拘りつづけている演奏家や客は、カンブルメールの嘲笑の餌食であり、カマンベールのように臭う対象である。(まあ、そうはいっても高橋悠治は、最近でも従来型のコンサートで演奏することもあるのではなかったか?)



…………


最後に、上に一部を引用したプルーストを約束どおり、もうすこし長く引用する。

証券取引所で一部の値あがりの動きが起きると、その株をもっているグループの全体がそれによって利益を受けるように、これまで無視されていた何人かの作曲家たちが、この反動の恩恵を受けるのであった、それは彼らがそのような無視に値しなかったからでもあるし、また単にーーそんな彼らを激賞することが新しいといえるのであればーーただ彼らがそのような無視を受けたからでもあった。さらにまた人々は、孤立した過去のなかに、何人かの不羈独立の才能を求めにさえ行くのであった、現在の芸術運動がそれらの才能の声価に影響しているはずはないように思われたのに、新しい巨匠の一人が熱心に過去のその才能ある人の名を挙げるといわれていたからであった。それはつまり、一般に、誰でもいい、どんな排他的な流派であってもいい、ある巨匠が、彼独自の感情から判断し、自分の現在の立場を問わずにどこにでも才能を認めるということ、また才能とまでは行かなくても、彼の青春の最愛のひとときにむすびつくような、彼がかつてたのしんだ、ある快い霊感といったものを認めるということ、しばしばそういうことによるのであった。またあるときは、自分でやりたかったと思ったことにあとでその巨匠が次第に気づくようになった、そんな仕事に似た何かを、べつの時代のある芸術家たちが、何気ない小品のなかですでに実現していた、ということにもよるのである。そんなとき、その巨匠は、古い人のなかに先覚者を見るのであって、巨匠は、べつの形による一つの努力、一時的、部分的に自分と一心同体の関係にある努力を、古い人のなかで愛するのである。プッサンの作品のなかにはターナーのいくつかの部分があるし、モンテスキューのなかにはフローベールの一句がある。そしてときにはまた、その巨匠の好みが誰それであるといううわさは、どこから出たとも知れずその流派のなかにつたえられた一つのまちがいから生まれたのだ。しかし、挙げられた名がたまたまその流派の商号とちょうどうまくだきあわされてその恩恵を受けることができたのは、巨匠の選択には、まだいくらかの自由意志があり、もっともらしい趣味もあったのに、流派となると、そのほうはもう理論一辺倒に走るからなのである。そのようにして、あるときはある方向に、つぎには反対の方向に傾きながら。脱線しそうになって進むというそんな通例のコースをたどることによって、時代の精神は、いくつかの作品の上に天来の光を回復させたのであって、そうした諸作品にショパンの作品が加えられたのも、正当な認識への欲求、または復活への欲求、またはドビュッシーの好み、または彼の気まぐれ、またはおそらく彼が語ったのではなかった話によるのである。人々が全面的に信頼感を抱いていた正しい審判者たちによって激賞され、『ペレアス』がひきおこした賞賛によって恩恵を受けながら、ショパンの作品は、ふたたび新しいかがやきを見出したのであった、そして、それをききなおさないでいた人たちまでが、どうしてもそれを好きになりたくなり、自分の自由意志かれではなかったのに、そうであったような幻想にとらえられて、それを好きになるのであった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」 p368-369


 ーーすこしこの「スノッブ」にかかわる投稿を断続的に重ねたが、とうめん、これで打ち切りにするつもり。


追記:カンブルメール=ルグランダン夫人の叔父であるスノッブの鑑のようなルグランダンの描写もつけ加えておこう。
「もう何度も奥方さまを訪ねてお見えになった例のかたでございます。」(……)うるさがられている先刻の訪問客がはいってきて、無邪気さと熱意のこもったようすでヴィルパリジ夫人のほうにまっすぐあゆみよった、それはルグランダンであった。p202
私はすぐにルグランダンに挨拶の言葉をかけに行きたかった、しかし彼は私からできるだけ離れた位置をずっとまもりつづけているのであった、察するところ、大いに凝った表現でヴィルパリジ夫人にやたらにふりまいているお追従を私にきかれたくなかったのであろう。(……)

……私はルグランダンのほうにあゆみよった、そして彼がヴィルパリジ夫人のところに顔を出しているのをすこしも罪悪と思わなかった私は、自分がどんなに彼を傷つけようとしているかを知らず、またどんなに傷つける意図があるように彼を思いこませるおそれがあるかをも知らずに、こういった、「これはこれは、あなたをサロンでお見かけするからには、ぼくがサロンに顔を出すのはゆるされていいというのも同然ですね。」ルグランダン氏は私のこの文句から結論したのだった(すくなくとも数日後に私の上にくだした彼の判断はそうだった)、私が悪にたいしてしかよろこびを感じない心底からいじわるのちんぴらであると。

「こんにちはの挨拶からはじめる礼儀ぐらいは心得ていてもらいたいものですね」と彼は手もさしのべず、腹立たしげな下品な声で私に答えた、その声はいままでの彼からは想像もつかない声であり、ふだんの彼の口調との合理的関係は何もなく、彼がいま身に感じている何物かとの、いっそう直接的な、いっそう切実なべつの関係につながっていたのだ。それというのも、われわれが身に感じている事柄をあくまで人にかくそうときめるとき、われわれはまずそれをどんな方法で人に言いあらわそうか、などと考えることはなかったからだ。だから、突如として、われわれの内部に、醜悪な見知らぬ獣が声をあげ、その語調が、無意識に出てくる告白を受けとる相手に、恐怖をあたえることにもなりかねないのであった、そのような告白は、多くは自分の欠点や悪徳の、省略化された、ほとんど抗しがたい、無意識のあらわれで、あたかも殺人犯が、犯行を知らない人に、罪を告白せずにはいられなくなり、急に間接的な奇妙なやりかたでしゃべりだす、そんな自白とおなじような恐怖を、きく人にあたえるのだ。むろん私は、観念論、いかに主観的な観念論も、大哲学者に、美食家で通すさまたげをしないし、執拗にアカデミーに立候補するさまたげをしないことをよく知っていた。それにしてもルグランダンは、憤りやお愛想にひきつれる彼の運動神経のすべてが、この地上でよい地位を占めたいという欲望にあやつられていたのであってみれば、自分はべつの遊星に属する人間だなどとあんなにしばしば人のまえで念をおす必要はまったくなかったのである。

「そりゃね、私のように、どこそこにこいとつづけざまに二十度もうるさくせめたてられたら」と彼は低い声でつづけた、「たとえ自分の自由をまもる権利はあっても、やっぱり無作法な田舎者のようなふるまいはできませんからね。」(プルースト「ゲルマントのほう Ⅰ」p264~)