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2014年11月9日日曜日

ナウモフ BWV106、BWV105

◆Naoumoff BWV 106「神の時は いとも ただしGottes Zeit ist die allerbeste Zeit」



◆György Kurtág BWV106



◆Karl Richter 1966




…………

◆Naoumoff  BWV 105




◆Gunthild WEBER 1952





“Wohin? どこへ?”(マタイBWV244とヨハネBWV245)

《昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……》(1996年2月19日)

武満徹はこう語って逝った(1996年2月20日)。武満徹は誰の指揮のマタイを最期に聴いたのだろう。

 いつだったか私は、『西洋の音楽では、バッハの《マタイ受難曲》がいちばん偉大な音楽だと思っている。西洋音楽から、ひとつだけとるというのなら、これをとるだろう』と書いたことがある。この考えは今も、変わらない。芸術(つまり、ものを考えてつくる営み)と芸術をこえた精神の最高のものに至るまでの間で西洋の音楽の成就したすべてが、あすこにはあるというのが、私の考えである。(吉田秀和『私の好きな曲』p7)
……私は《マタイ受難曲》は、これまでほんの数回しかきいたことがない。レコードでもはじめから終りまできいたのは、何度あったか。数はおぼえてはいないが、十回とはならないのは確かである。私は、それで充分満足している。私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回もきかなくてもよい、と考えている。この曲は、私を、根こそぎゆさぶる。(同p172)
とにかく、《マタイ受難曲》の感動の中には恐ろしいものがあり、その迫真性という点からいっても、悲哀の痛烈さには耐えがたいものがある。(……)《マタイ受難曲》はおそろしい音楽だ。話はもちろんのこと、レチタティーヴォが多く、全曲としてはるかに長大なのも、きき通すことの困難さを増す。それから、また、単純にして痛切なコラールの表現性の峻厳さ。P173 
リヒターの指揮と曲のつかみ方は、一面では峻厳をきわめ、一面では驚くほど自由である。その棒で彼はどこを切っても鮮血のほとばしり出そうな生気に満ちた演奏を創りだす。それは復古的な姿勢を全然持たないくせに、個人的な恣意とは逆の、規範的な様式の樹立に向ってつきすすむ。(……)

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)

リヒターによる《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」の一分間は何度も貼り付けたので、ここでは割愛する。たとえば、「ナウモフ BWV244-BWV727 「血しおしたたる」」にある冒頭から二番目のものが「真に彼こそは神の子だった」である。

吉田秀和の文には「《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入」ってくる「どこへ?Wohin?」ともあるが、それは後述する。まずは《マタイ》である。マタイにも棘のようにつきささってくる「どこへ?Wohin?」がある。

それは、第 60 曲 アリア(マタイ受難曲 BWV.244 歌詞対訳)であり、そこには《kommt! 来なさい!Wohin? どこへ?》とある。この“Wohin?どこへ”ーー同時に”kommt! 来なさい!”もーーには、少年のころ強く衝撃をうけて、意味もわからず発音も正確に聴き取らず「ホギ! ホギ!」と頭のなかで鳴って囚われの身となっていた時期があるのだ。カール・リヒターのものは実に強烈であり、他の指揮者の”kommt!”あるいは”Wohin?”と、リヒターのものを聴きくらべてみるといいが、もちろん彼の指揮が強烈なのはここだけではない。

吉田秀和のいうように、マタイとは、《私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回もきかなくてもよい、と考えている。この曲は、私を、根こそぎゆさぶる》、ーー 「血しおしたたる」、ーーまさにそういった気分になってしまう。だが、カール・リヒター指揮のものではなく、ほかの何人かの指揮者による演奏だったら、いまのわたくしにはやや穏やかな気分で今後も何回かは聴けそうだ。心理的土台が崩落する気分になることは少ない。快楽のテクストとして扱うことができる。カール・リヒターのものはあくまで、わたくしにとっては悦楽(享楽)のテクストなのだ。初老の軟弱な身にはほとんど堪え難い。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』ーーベルト付きの靴と首飾り

《彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある》と書いたのは、グールド論におけるミシェル・シュネデールだが、カール・リヒターのマタイはなおいっそうのことしばらく御免蒙る。今は遠ざけておくしかない。

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。(『Glenn Gould PIANO SOLO』ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)

…………

さて、これにてカール・リヒターのマタイとはしばらくお別れしようと思う。もうわたくしは齢を重ねた。あなたの演奏には堪え難い。今は快楽のテクストに逃げ込みたい。疲れきってしまったのだ。

お別れに、マタイ第60曲のアリア「Sehet,Jesus hat die Hand.見よ、イエスは手を差し伸べて」における《kommt! 来なさい!Wohin? どこへ?》を聴く。まずはカール・リヒターによる1958年の録音から。


◆BACH BWV244 Sehet, Jesus hat die Hand/Karl Richter(1958)





◆Sehet Jesus hat die Hand(Philippe Herreweghe





◆Bach - Matthäuspassion - Sehet, Jesus hat die Hand(Ton Koopman





…………

さて、次ぎは、ヨハネ受難曲の“Wohin? どこへ?”

第24曲の「Eilt, ihr angefochtnen Seelen 急げ、お前たち悩める魂よ」からである。こうやって並べて聴くと、冒頭の出足の管弦楽のフレーズの最後の二つの音の音型からすでに、マタイ受難曲の “Wohin? どこへ?”と同じ型(たぶん?)であることに気づく。いずれにせよ、どこもかしこも「ホギ!」だ、死にそうになる、--少年時代の癒着したはずのつもりのひどい傷口がパックリが開き血しおしたたるのだーー、パンドラの箱が開いてしまった。それではサヨウナラ! カール・リヒターよ、ヨハネも鈴木雅明の快楽のテキストに乗り換えることにする。ーーいや鈴木雅明でさえ堪えられるかどうか。ーー --


◆Kieth Engen "Eilt, ihr angefochtnen Seelen" Johannes-Passion(Karl Richter 1964)





◆Bach - St John Passion - Eilt ihr eingefocht'nen Seelen (bass aria)John Eliot Gardiner




◆Bach - St. John Passion BWV 245 (Masaaki Suzuki, 2000) - 8/12





24.
Arie (Baß) und Chor
24.
アリア(バス)と合唱
Baß solo: Eilt, ihr angefochtnen Seelen, 
Geht aus euren Marterhöhlen,
Eilt ― 
Chor: Wohin?
Baß solo: ― nach Golgatha!
Nehmet an des Glaubens Flügel,
Flieht ― 
Chor: Wohin?
Baß solo: ― zum Kreuzeshügel,
Eure Wohlfahrt blüht allda!
独唱:急げ、お前たち悩める魂よ、
逃れよ、お前たちの苦しみの洞窟から、
急いで行け---
合唱:どこへ?
独唱:---ゴルゴダへ!
信仰の翼をもって、
逃れ行け----
合唱:どこへ?
独唱:---十字架の丘へと!
お前たちの幸せはそこでこそ花咲くのだ!



2013年9月16日月曜日

9月16日Ⅱ

そうだな、きみ
よく考えてみたらいい
ひとは大好きなものを語るだろうか
大好きになりかかったものは語るかもしれない
かつて大好きだったものがそうでなくなりつつあるとき
その場合も語るかもしれない

ある特定の町に住み慣れてきた人が、もしどこか別の場所に引っ越さなくてはならなくなったら、当然、新しい環境に投げ出されることを考えて、悲しくなるだろう。だが、いったい何が彼を悲しませるのか。それは長年住み慣れた場所を去ることそれ自体ではなく、その場所への愛着を失うという、もっとずっと小さな不安である。私を悲しませるのは、自分は遅かれ早かれ、自分でも気づかないうちに新しい環境に適応し、現在は自分にとってとても大事な場所を忘れ、その場所から忘れられるという、忍び寄ってくる意識である。要するに、私を悲しませるのは、私は現在の家に対する欲望を失うだろうという意識である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

最近のほかの指揮者のものも悪くない
かつて熱狂したリヒターへの排他的な愛を失うかもしれないという
忍び寄ってくる意識ってことを言外ににおわせたのだが
通じなかったようだな
欲望を失うことを否定するために
あるいは縋りつくように
これがメランコリーってことさ

そうでなければ書かないよ
「リヒターが大好きなんですね」なんて誤解しちゃあいけない
まあ誤解もいいさ、たんなるメモだよ、表層的には


だいたいなになにが大好きとか、これこれが愛読書、愛聴版などと書くかい?
いまもっとも大切なものを
オレはプルーストやロラン・バルトが愛読書などとは
間違っても書かないね

長いこと、バルトについて語ることを自粛していた。パリ街頭での自動車事故で呆気なく他界してから、その名前を主語とする文章をあえて書くまいとしてきたのである。いきなり視界にうがたれた不在を前にしての当惑というより、彼自身の死をその言葉にふさわしい領域への越境として羨むかのような文書を綴ったのが一九八〇年のことだから、もう二五年の余も、バルトを論じることなくすごしていたことになる。とはいえ、その抑制はあくまで書くことの水準にとどまり、バルトを読むことの意欲が衰えたことなどあろうはずもない。(蓮實重彦「ロラン・バルトとフィクションーー『彼自身によるロラン・バルト』を《リメイク》する試み」)

長いこと、で始まるのに注意しておこう
バルトへのオマージュであるとともに
バルトが愛したプルーストの小説へのオマージュさ
《長い時にわたって、私は早くから寝たものだ。》(冒頭)
《……際限もなくのびひろがった一つの場所を占めることになるのだ、
――時のなかに。》(結句)

すくなくともオレはそう読むね
そして愛し続けているなら《リメイク》する試みしかないんじゃないか

たとえば食事の写真をSNSに貼り付ける連中がいるが
退屈している証拠だね
旨いものを食う前やら最中にそれをひとに知らせるかい?
せいぜい散歩用の食事だな、そんなことをするのは

「まあ二つの可能性のうち、どちらかをきみが選ぶことになったと考えてみてくれたまえ。ブリジット・バルドーとかグレタ・ガルボのような、世界的に有名な美人と、誰にも絶対に知られないということだけ条件にして、愛の一夜を過ごすか、それとも絶対に寝ないということだけ条件にして、彼女の肩に腕をまわして、きみの生まれ故郷の目抜き通りを一緒に散歩するか。ぼくはだね、それぞれの可能性を選ぶ人間の正確なパーセンテージを知りたいんだ。それには、どうしても統計的な方法が要求される。そこで世論調査事務所にいくつか当ってみたんだが、応じてもらえなかったよ」(クンデラ『不滅』第七部「祝宴」)

それ以外に「わたしは~が大好きです」ってのは
私のことを見て!、ってこともあるがね
その内容でなく、メタ-言語的位置を見るならさ
《すべての発話はなんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達する》(ジジェク)

寂しがりやのおねだりちゃんの発話だな

Je-t-aime (わたしは・あなたを・愛しています)に対し、社交的にはいろいろな答えがあろう。「わたしは愛していません」、「信じられません」、「どうしてそんなことを…」等々。しかし、本当の棄却は「お返事はありません」なのである。そのときわたしは、単に好意を懇願する者としてだけではなく、話す主体(少なくとも決まり文句は操作できている)としてまでも斥けられ、そのことで確実に無力化されるのだ。(……)

そこからJe-t-aimeについての新しい見方が出てくる。それは […]行動であるのだ。わたしが発語するのは、あなたに答えさせるためなのだ。[…] 重要なのは、語の物理的、肉体的、唇音的発語行為である。きみよ、唇を開きたまえ、そこから語が出てきて欲しい […]。わたしが熱烈に望んでいるのは、語を獲得することなのだ。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』)

語を獲得すること
すなわち反応をおねだりしているってことさ

まあひとは「大好き」でなくても、「愛してる」でなくてもいいさ
ただそう語られたときは、大好きでも愛しているのでもないことがほとんど
あるいはその対象に満ち足りていないことだけは確かじゃないかい?


充足とは語られざるものである。だからこそ、恋愛関係は長い嘆きにつくるなどと、誤って考えられることになるのだ。不幸をあしざまに語ることが無分別であるというのなら、しあわせのあらわれをそこなうこともまた、とがめられてしかるべきであろう。自我は傷つけられてはじめて語るものなのだ。現に充たされているとき、充たされた過去を思い出しているとき、わたしの眼には言語が無力と映る。わたしは言語の外に運び出される。ありふれたもの、一般的なものの外へと運び出されるのだ。(バルト 同上)

きみの「わたしも大好き」ってのはおねだりなんだろうな
70年以降のロラン・バルトが「大好き」なら
けっして「大好き」とは書かないはずだがね

《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎 の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざまな享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

語を獲得したいのかい?


きいた風なことを言うのには飽きちゃったよ
印刷機相手のおしゃべりも御免さ
幽霊でもいいから前に座っていてほしいよ
いちいち返事されるのもうるさいけど

ーー谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」5番より



結婚おめでとう、しあわせに












誰もが、誰かに見られていることを求める。どのようなタイプの視線の下で生きていたいかによって、われわれは四つのカテゴリーに区分されるであろう。

第一のカテゴリーは限りなく多数の無名の目による視線、すなわち別なことばでいえば、大衆の視線に憧れる。これはドイツの歌手、アメリカの女優、それにまた、大きなあごをした編集者のケースである。彼は自分の読者に慣れており、ある日ロシア人が彼の週刊誌を廃止したとき、百倍も薄い大気の中に残されたように感じた。何人〔なんびと〕も、知らない人びとの目という視線を彼におぎなってやることはできなかった。彼は息がつまるように思えた。するとある日のこと、たえず警察につけられ、電話が盗聴され、それどころか路上で密かに写真を撮られていることに気がついた。無名の目が突然いたるところで彼と共にあり、彼はふたたび息をふきかえすことができた。幸福になった! 壁に仕込まれたマイクに芝居のせりふのように話しかけた。警察の中に失われた大衆を見出したのである。

第二のカテゴリーは、生きるために数多くの知人の目という視線を必要とする人びとから成る。この人たちはカクテル・パーティや、夕食会を疲れを知らずに開催する。この人たちは大衆を失ったとき、彼らの人生の広間から火が消えたような気持ちになる第一のカテゴリーの人たちより幸福である。このことは第一のカテゴリーの人たちのほとんどすべてに遅かれ早かれ一度はおこる。それに反して第二のカテゴリーの人はそのような視線をいつでも見つけ出す。ここにマリー・クロードとその娘が入る。

次に愛している人たちの眼差しを必要とする、第三のカテゴリーがある。この人たちの状況は第一のカテゴリーの人の状況のように危険である。愛している人の目が、あるとき閉ざされると、広間は闇となる。この人たちの中にテレザとトマーシュが入る。

そしてもう一つ、そこにいない人びとの想像上の視線の下に生きる人たちという、もっとも珍しい第四のカテゴリーがある。これは夢見る人たちである。例えば、フランツ。彼はただサビナのためにのみカンボジア国境まで歩を運んでいる。バスはタイの道路をがたがたと走り、フランツは彼のことをじっと見ているサビナの長い視線を感ずるのである。

その同じカテゴリーにトマーシュの息子も入る。彼をシモンと呼ぼう(父と同じく、聖書にある名を与えられて嬉しいであろう)。憧れを抱く目はトマーシュの目である。署名運動にまき込まれた後、彼は大学からほうり出された。彼がつき合っていた娘は田舎の司祭の姪であった。彼女と結婚し、集団農場のトラクター運転手、カトリック信者、父親になった。そのあと誰からか、トマーシュも田舎に住んでいることをきき、喜んだ。運命が二人の人生をつり合いのとれた道へと導いた! このことが、トマーシュへ手紙を書かせる勇気を与えた。返事は要求しなかった。ただトマーシュが視線を彼の人生にあてることだけを欲した。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』 P310-312)







2013年9月8日日曜日

「ペテロの否認の部分で泣かない者は音楽を聴く必要がない人」

風邪がいったんは治まったと思ったのに、またぶりかえす。

ーーマタイの聴き比べなどするものではない、最近のものならまだしも、かつての重々しい録音などで。疲れ切って病気になってしまう。

いつだったか私は、『西洋の音楽では、バッハの《マタイ受難曲》がいちばん偉大な音楽だと思っている。西洋音楽から、ひとつだけとるというのなら、これをとるだろう』と書いたことがある。この考えは今も、変わらない。芸術(つまり、ものを考えてつくる営み)と芸術をこえた精神の最高のものに至るまでの間で西洋の音楽の成就したすべてが、あすこにはあるというのが、私の考えである。(吉田秀和『私の好きな曲』p7)
……私は《マタイ受難曲》は、これまでほんの数回しかきいたことがない。レコードでもはじめから終りまできいたのは、何度あったか。数はおぼえてはいないが、十回とはならないのは確かである。私は、それで充分満足している。私は、こんなすごい曲は、一生にそう何回もきかなくてもよい、と考えている。この曲は、私を、根こそぎゆさぶる。(同p172)
とにかく、《マタイ受難曲》の感動の中には恐ろしいものがあり、その迫真性という点からいっても、悲哀の痛烈さには耐えがたいものがある。(……)《マタイ受難曲》はおそろしい音楽だ。話はもちろんのこと、レチタティーヴォが多く、全曲としてはるかに長大なのも、きき通すことの困難さを増す。それから、また、単純にして痛切なコラールの表現性の峻厳さ。P173


《昨日はマタイ受難曲を全部聴いたんだよ。いやぁバッハはすごいね。僕らはクリスチャンじゃないけどなんなんだろう……》(1996年2月19日)

武満徹はこう語って、その次の日(1996年2月20日)に逝った。

吉田秀和は、他にもどこかで、マタイの第39曲のアリア(Erbarme dich)のことだろう、「この演奏のペテロの否認の部分で泣かない者は音楽を聴く必要がない人である」と書いているそうだが、今なら、ひとはこういう言い方はしないだろう。上に引用された文も70年代に書かれたものであり、現在の感覚からすれば大仰な語り口ではある(当時の、啓蒙的な挑発として捉えるべきかもしれない)。


Erbarme dich、すなわち「どうかお憐れみください」は、昨日、フルトヴェングラーの指揮のものを附したが、高橋悠治はその同じアリアをピアノ用に編曲している(波多野睦美さんの歌での伴奏版もあって、演奏会で共演している)。


ここではErbarme dichの前の、わずか15秒ばかりの輝かしい合唱、”Wahrlich, du bist auch einer von denen; denn deine Sprache verrät dich".(ほんとうだ。お前もあの男たちの一味だ。お前の方言を聴けばすぐに分かる。)を置いておくだけにする。









もうひとつ、ヨハネ受難曲の合唱を二人の指揮者のもので(鈴木雅明/リヒター)。






ーーつい先日、世界的に評判の高い鈴木雅明の演奏をはじめて聴いて(冒頭の合唱は以前聴いたことがありそれ以外は)、こんな生気溢れる鮮烈な合唱箇所だったか、といささか興奮し、カール・リヒターの同じところを聴いてみたのだが、この部分に関しては、鈴木雅明、あるいは最近の指揮者たちの解釈のほうを好みつつある。



















2013年9月7日土曜日

カール・リヒターとメランコリー





おそらく1958年録音か1969年の東京ライブの、カール・リヒターのマタイ受難曲録音からだろう。

該当箇所は、次の1.27.06あたりから。





このリヒターの1958年版は、今でもある年代以上のマタイ愛好者には決定版といわれているもの(リヒター録音のマタイは四つの版がある)。

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)


この箇所のクレッシェンドとデクレッシェンドは、リヒターだけの特徴ではなく、かつてフルトヴェングラーは次のように語ったそうだ。

「大規模な交響楽的クレッシェンドは、ロマン主義的なルバート、すなわち緩急の自由なテンポの扱いと同様に、作品内の有機的な形態の多様性と結びついている。特に後者は――これは楽譜への忠実さをどんなに口先だけで信条としていても、やはり現代の真の病いであり、劇場に発するものである――バッハでは厳しく徹底的に排除されなければならない。私が『マタイ受難曲』であえて行なっている唯一の例外が、「まことに、この人こそ神の子であった」という言葉にともなう大規模なクレッシェンドとデクレッシェンドである。私はこれを様式の上で弁護するつもりはないが、歌詞の内容を見事に表現するように思われ、それを断念する気になれない。これは私がカール・シュトラウベから受け継いだものである。」(『フルトヴェングラー 音と言葉』






最近の「まことに、この人こそ神の子であったWahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」ーー、たとえばHerrewegheは次のような演奏。






あるいは。





…………


当時、レオンハルトやアルノンクールがやり始めたのは、厳密な校訂を通じてバッハならバッハの元の楽譜をできるだけオリジナルに近い形で復元し、徹底的に研究した上で、当時の楽器、あるいはできるだけそれに近いものを使って、19世紀ロマン派以後に広まった妙な感情移入やドラマティックな演出(とくにテンポの伸縮)なしにザッハリッヒ(即物的)に演奏するということです。いわゆるピリオド楽器によるオーセンティックな奏法ですね。それが対立しているのは、ヴァーグナーから(指揮者だと)フルトヴェングラーを通じてカラヤンに至るようなロマン主義的な演奏のスタイル、どんな音楽でもヴァーグナーのように巨大なオーケストラを使ってドラマティックに演奏してしまうスタイルです。カラヤンに至ると、縦の線をほとんど無視してテンポを主観的に伸縮させながら音楽を流線型の華麗な流れと化し、半強制的な感情移入によって聴衆をそのなかに引きずり込んでいく、というようになる。ある種、ファシズム的な美学ですね。それは言い過ぎだといても、後期資本主義社会における「聴取の退化」(アドルノ)の典型です。それに対して「ノン」と言ったのがレオンハルトやアルノンクールといった人たちだった(古楽でも、カール・リヒターらの演奏は、むろんカラヤンとは違うとはいえ、どこかそれに通じる壮麗なドラマとして演出されていたので、それに対比しても彼らの新しさは明らかです)。要するに、大オーケストラや大コーラスはやめる。そもそもバッハの時代は10人、20人でやっていたのだから、それでいいではないか。縦の線を重視し、むしろ機械的なくらい速めで一定のテンポを保つ。強弱も、連続的なグラデーションで変化させるより、むしろ機械的に強弱を対立させる。ヴィブラートによる表情豊かな表現を排し、できるだけノンヴィブラートであっさり弾く。このように、カラヤンに極まるような、流線型の巨大なオーケストラ音楽で共同体の感情移入を誘うという方向に対し、むしろそれを異化する。ザッハリッヒに、言い換えれば風通しよくドライにいくというのが、この時代に始まったことです。これは古楽で始まったわけですが、アルノンクールなどの場合、その後モーツァルトやベートーヴェン、さらにはロマン派でもそういう形でやってみたらどうかということになってくる。60年代はマイナーだったのが、いまやメジャー化したとは言わないまでもずいぶん一般化してきた。実をいえば、昔の楽器や奏法をどんなに研究しても、録音はないんだし、当時本当にどんな演奏が行なわれていたかはわからないんで、僕なんかはピリオド楽器によるオーセンティックな奏法と称するものの流行がちょっと行き過ぎているんじゃないかと思ったりもする。それこそゴダール的に、たんに音楽があるので、正しい音楽なんてない、と言いたくなったりもする。ともあれ、それくらい、正しい音楽を可能なかぎり歴史的研究で裏付けて演奏しよう、ロマン派の時代にこびりついた余分な化粧は削ぎ落とそうという動きは、古楽の枠をこえて、かなり一般的になってきているんですね。(ちなみに、古楽的なアプローチではなく、現代のオーケストラを使った演奏でも、ストローブ=ユイレのシェーンベルクのシリーズで指揮者を勤めているギーレン[シェーンベルクの女婿のノーノから推薦された]などは、カラヤン的な演奏とはまったく違う、非情なまでにザッハリッヒな演奏スタイルを貫いてきました。ベルリンで彼がアドルノの小品とベルクのヴァイオリン協奏曲を振るのを聴いたことがあるのですが、後半のシューベルトの第8交響曲は、フルトヴェングラーの演奏だと「天国のように長い」はずが、その1.5倍はあるんじゃないかと思われる超高速でさーっと演奏され、さすがに唖然とさせられたものです。)(講演「ダニエル・ユイレ追悼――ストローブ=ユイレの軌跡 1962-2006」2006年12月9日 浅田彰






《メランコリーは、失われた対象への愛着であるのみならず、対象が最初に失われたこと〔起源における喪失〕それ自体への愛着でもある(……)。

アドルノは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮を評して明快にこう述べた。

フルトヴェングラーは、すでに失われてしまった何かを救出すること(Returng)、拘束力のある伝統が廃れようとしているときに失われつつあったものを取り戻すことに心を砕いていた。この救出の試みを成功させようとして、彼はやや過剰に祈りを込めて指揮棒を振ったが、その祈りが探し求めているのは、もはや直接的にそれ自体としては現前していないものなのだ。(Theodor W. Adorno, Bewahrer der Musik [Furtwängler]

注目すべきは、今日の(当然といえる)フルトヴェングラー崇拝を支える二重の喪失、すなわち彼の古い録音が放つ魅力である。指揮が、面白味のない技術的な完璧さと舞台芸人のようなわざとらしい情熱とに分裂してしまった今日(レナード・バーンスタインを見よ)、フルトヴェングラーの一見ナイーヴで直接に有機的な情熱を持つことはもはや不可能に思えるが、われわれは彼のそうした情熱に魅了されているだけではない。われわれを魅了する失われた対象それ自体、すでに或る喪失を伴っている。つまり、フルトヴェングラーは、すでに危険にされされていて当時の社会にはもはや簡単には見出しえなくなっていたものを、伝統の一部として救出しようと必死になっており、だからこそ彼の情熱は、そこからくる切迫感やトラウマ的な強度に満ちていたのである。それゆえ、われわれがフルトヴェングラーの古い録音を聴いて取り戻したいと願うものは、クラッシック音楽の有機的直接性ではなく、有機的で直接な喪失の経験そのもの、もはや接近不可能な喪失の経験なのだ。この意味において、今日のフルトヴェングラー熱は、もっとも純粋な状態にあるメランコリーなのである。

ジョルジオ・アガンベンが強調したように、喪の対極にあるメランコリーは、喪の作業の失敗、対象のリアルへの不変の愛着であるだけでなく、そうした失敗や愛着とは正反対のものでもある。つまり、「メランコリーは、対象の喪失を見越し、喪失に先立って喪の作業を行おうというパラドクスを提示している」。ここにメランコリーの策略がある。一度も手にしたことのない対象、最初から失われていた対象を所有する唯一の方法は、しっかり所有している対象を、あたかもそれがすでに失われたものであるかのように扱うことなのだ。だから、喪の作業を成し遂げることを拒否するメランコリー者の身振りは、そうした拒否とは正反対の外観を呈する。それはつまり、対象が失われないうちから、その対象に関して過剰で余計な喪の作業を行うという偽の身振りである。(……)

いまだ失われずに目の前に存在している対象に対して喪の作業を行うというパラドクスを、どう解決すればよいだろうか。この謎を解く鍵は、メランコリー者は失われた対象において何を失ったのかを知らない、というフロイトの明確な定式にある。ここで、ラカンによる、対象と欲望の原因(-対象)との区別を導入する必要がある。欲望の対象はたんに欲望された対象にすぎないが、欲望の原因は、欲望の対象をわれわれに欲望させる特質(ふだんは気づかなかったり、時には対象を欲望する際の邪魔になっているとさえ思えたりするような或る細部や直し難い癖)である。こうした視点から見ると、メランコリー者は、失われた対象に固着し喪の作業を完遂できない主体であるばかりか、対象を欲望させる原因が消えて力をなくしたために、対象を所有していながらその対象への欲望を失ってしまった主体でもあるのだ。メランコリーは、挫かれた欲望、対象を奪われた(欲望されなくなった)対象それ自身の現前を表している。欲望された対象をついに手に入れたがその対象への欲望は失われている、そういうときにメランコリーは生じるのだ。まさしくこの意味で、メランコリー(欲望を満たすことができない対象、実定的で〔ポジティヴ〕で観察可能な対象すべてに対する失望)は事実上、哲学の始まりなのである。》(ジジェク「メランコリーと行為」2000



ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼン「シューマン論」)

もうひとつ、ジジェクのメランコリーをめぐる叙述。

ある特定の町に住み慣れてきた人が、もしどこか別の場所に引っ越さなくてはならなくなったら、当然、新しい環境に投げ出されることを考えて、悲しくなるだろう。だが、いったい何が彼を悲しませるのか。それは長年住み慣れた場所を去ることそれ自体ではなく、その場所への愛着を失うという、もっとずっと小さな不安である。私を悲しませるのは、自分は遅かれ早かれ、自分でも気づかないうちに新しい環境に適応し、現在は自分にとってとても大事な場所を忘れ、その場所から忘れられるという、忍び寄ってくる意識である。要するに、私を悲しませるのは、私は現在の家に対する欲望を失うだろうという意識である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)






2013年6月22日土曜日

カール・リヒターとクリフォード・ブラウン


カール・リヒターが東京についた夜、私は彼を囲む少人数の食事によばれた。凝った天ぶら屋だったが、座につくや否や彼は料理の整うのも待ちきれず、大根おろしをはじめあたりにあるものを手当り次第平らげ出した。結局は優に二人前以上食べたろう。座の人は半分は初対面だったが、彼は食べる以外に何一つ念頭にない様子だった。さすがに見かねて、つきそいが説明した。『リヒターは飛行機に乗ってから今まで何も食べてないのです。スチュワーデスが食事を持ってきても楽譜を手から放さず追い払ってしまうものですから』と。

あとで私が確かめると、彼はこともなげに『飛行機旅行というものは電話もかからずいやな客も来ないから楽譜をゆっくり見ていられて、実に楽しい。楽譜、特にバッハの楽譜はいつひろげてみても新しい悦びとナゾがみつかるものだから』と言っていた。

間近で見たリヒターはこういう人だった。これは音楽に憑かれた人、探求してやまない人である。(……)

リヒターの指揮と曲のつかみ方は、一面では峻厳をきわめ、一面では驚くほど自由である。その棒で彼はどこを切っても鮮血のほとばしり出そうな生気に満ちた演奏を創りだす。それは復古的な姿勢を全然持たないくせに、個人的な恣意とは逆の、規範的な様式の樹立に向ってつきすすむ。(……)

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)

「真に彼こそは神の子だった」(マタイ)と「どこへ? どこへ?」(ヨハネ)ーー、それぞれカール・リヒターのバッハの至高の箇所(もちろんほかにも棘のような突き刺さってくる合唱はいくらでもある…、あれらのカンタータ、マタイの最後の合唱の直前……)ーー少年時代、その箇所に焦点を絞るようにして何度も繰り返し聴いており、後にこの吉田秀和の文を読んで、それ以降、氏の言葉を全面的に信頼するようになった時期がある。



◆カール・リヒター (1969)



ーー若い頃、いや少年の頃、このギリギリのトランペットの高音の響きと合唱のバランスをひどく愛した。(ここでのピッコロ・トランペットは、Maurice Andreだ)。


◆オイゲン・ヨッフム




ーー合唱の爆発的な力を愛するならこれか?


◆オットー・クレンペラー





ーー
これもプロの合唱の声が迫力がある、だが巧すぎるのだな(いつも歌っているプロに「祈り」など出てこないぜ)…カール・リヒターの『ミュンヘン・バッハ合唱団』 はビラ配りをして募集した集まりだということを聞いたことがある。




あまり聴きくらべする趣味はないのだが(今回、Philippe Herreweghe, Nikolaus Harnoncourtも聴いてみはした)、どうもカール・リヒターのものから逃れられない。もっともわたくしがよく聴くのは、1961年の録音で、そこではダイナミクスがより豊かで、殊に合唱がフォルテシモからピアニッシモのあいだで大きく揺れ、一瞬静まりかえったなかを、トランペットの高音の旋律がより苦しげに奏されーー半ば割れかかっており、ひょっとして一般には下手糞とするのかもしれないーー、だが、それが天の届こうとして到り切らない宙吊りになったような印象を齎し、ああ、神よ、と言葉にならない言葉が口から洩れ出てしまう至高の瞬間がある。(ここに、Bach: Mass in b minor, Karl Richter, 1962 となっているものがあるが、録音は1961であり、Sanctusは、34:16 23.から始まる)


ロ短調ミサの《サンクトゥス》--「このミサの中で崇高なるものという観念をこれほど完全に表現したものは、ほかにないだろう」(シュバイツァー『著作集14』)


…………

もっとも割れかかった音をつねに好むわけではない。


ジャズトランペットでは、なぜかクリフォード・ブラウンの輝かしい音を愛する。マイルスではないのだ、






それはあまりにも完璧で…、なんというのか、マイルスのように恰好つけたり、粋に振舞おうとしたりせず…、などということを言っていいのか…、ただひたすら熱い…<力>が、<光>が、軀を吹きぬける…ああ月並みな言葉しかない…痛いのだ、悲しいのだ…、マイルスは軀を突き貫けはしない、脳を、皮膚を震わすだけだ…はたしてそうだろうか?…

美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。》(ジャン・ジュネ「ジャコメッティのアトリエ」宮川淳訳)


ーーここではもうひとつ、今では毀誉褒貶のある小林秀雄の「モーツアルト」のなかの言葉を使うしかない。

『モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。』(小林秀雄「モオツァルト」)


マイルス? スマン! ーーいや酒を飲みながらなら、よく聴くのはマイルスのほうなのだが。













2013年4月14日日曜日

見すてられた石切場


「私は藝術についての漠然として主観的なお喋りを、私自身のそれを含めて、好まない。」(加藤周一著作集「芸術の精神史的考察 I」あとがき 1979)

「《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。」(『彼自身によるロラン・バルト』)

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち1)物語的=文学的意味 2)雰囲気=絵画的意味 3)情緒反応的意味 4)純粋に音楽的な意味 に分類したうえで、 4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」と。


以下は寄生虫のような文である
そして
「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(ロラン・バルト)


バッハのカンタータ《イエスよ、汝はわが魂を》BWV78は、1724年に初演されており、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル就任が1723年だから、ライプチヒ時代2年目の作品ということになる。見事なカンタータであり、バッハの合唱曲といえば「マタイ」や「ロ短調」ばかりが語られるがこの曲を聴かない手はない。

BWV4BWV12BWV61BWV140、いや最初期のBWV106……と挙げだしたら切りがないが、わたくしの場合、マタイは長すぎるので通して聴くことは滅多になく、自然、全曲聴くのはカンタータということにあり、むしろカンタータのほうに馴染んでいる。

そもそもカール・リヒター指揮の演奏で育ったので、レコード、CDも一部の曲以外は、リヒターしか持ち合わせていない。


まずは、カール・リヒターのもの。



以下は、ピリオド奏法というのだろう。ニコラウス・アーノンクール、フィリップ・ヘレヴェッヘPhilippe Herreweghe、Rudolf Lutzを並べる。










(トン・コープマンのものはなぜか見当たらない。)


冒頭の合唱を比べてみれば、それぞれまずその合唱の入り方が気に入らない。リヒターのなんという繊細な、底から這い上がってくるような歌声のはじまり(合唱者の人数の違いにもよるのだろうが)。

だが、アーノンクールの寄せては返す波のようなそれぞれの声部のぶつかり合いに魅惑を感じないでもない(ソプラノの声部のほとばしりは、ロラン・バルト=浅田彰のいう「打つこと=クー」があるといえるのかもしれない)。だが結局はリヒターでいいと思ってしまう。まあわたくしが古いのかもしれないし、古楽器のキーの加減もあるのだろうから、あまり他の指揮者(それぞれ要所要所に魅力的な)の文句はいうまい。


Rudolf Lutzという人は全然知らなかったのだが、その映像を見ていると、過日、内輪の会で知り合いの合奏の場を訪れたせいか、音楽の合奏の喜びに浸れる人々は、なんと羨ましいことよ、という感慨をもつ。リヒターやアーノンクールの時の歩みに対してどこか緊張したところ、なにか奪われたものを取り返そうとするかのようにしたあの緊迫はないにしろ、こうやってあのなかの一人に混じりたいという誘惑に強く駆られる。

ヘレヴェッヘのバッハは、つい最近熱心に聴きはじめたのだが、この演奏は、いまのところ、リヒターの変わりになるものではない、だが、たとえばマタイをリヒター以外で聴くとすれば、たぶん彼の演奏になるかもしれない。この二週間のあいだ、YouTubeにあるマタイのライヴ録音を最近二回ほど通して聴いた。以前の録音にはそれほど惹かれなかったのだが、このライヴ録音にはひどく魅了される(たぶんよりダイナミックになっているのではないか、それでもいまだ切れの悪さが気になるところはリヒターの演奏の記憶で補って聴き入ったり、独唱者の瑕瑾には耳を塞ぐなどという具合のところはあるが)。

齢のせいか、リヒターの驚くべきダイナミズムは、通して聴くには疲れてしまうのだ。あまりにも震撼させられる。それに、CDで聴くのだが、レコードで聴いた時代の記憶がまつわりついており、少年時代熱中して聴いたそれぞれの折の記憶が甦り過ぎる。アルヒーフの四枚組のレコードで繰り返しきき、ああ、ここで三枚目の裏面に変えてとか、ここにはレコードに傷があったな、とか、それだけでなく、ああ、この合唱の天から光りが射してくるような輝かしい箇所を繰り返し聴いたときには、少年期の感傷にもよる「個人的絶望感」に苛まれており、祈りによって救済を求めるようだったな、とか……。----この短い「ああ、まことに彼は神の子であった」の一分はリヒターの至高のエスプレッシーヴォであり、いまだ他のどんな指揮者の演奏も色褪せてきこえるーーまあ、こうなると厄介なものだ。


あのアルヒーフの粗い布装のマタイ四枚組レコードの箱。残念ながら今手許にないのだが、それはプルーストの書くベルゴットの本の役割を長いあいだしていた。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」)