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2014年11月5日水曜日

母さんのペニス(充実した社会保障制度)を信じるフェティシスト「左翼」たち

さあこれで「経済」やら「財政」の話はやめにすることにする。わたくしはこれにていささか慣れない肩の荷はおろすことにする。最後にいくらかの残りモノの資料をここに片付けておくことにする。


…………






ーーなどという図表に行き当って、高齢化比率、日本はイタリアやスペインに追い抜かれるのかと、不思議に思えば、データが2000年となっており、かなり古い。

不思議に思ったのは、以前、次の文をメモしたからだ。

少子高齢化が進展している日本が社会保障システムや政府財政の持続性に問題を抱え、制度疲労に対して喫緊の改革を迫られている点は周知の事実だが、中長期的にみると高齢化は日本に限った話ではなく、世界共通の課題である。ただ、国によってそのスピードが大きく異なることから、高齢化への取り組み方も変わってこよう。

国連の推計に基づくと、いずれの国の中位数年齢(年齢順に並べ、全人口を 2 等分する年齢)も年を経るにつれて上昇していく。例えば、2010 年時点の日本の中位数年齢は 44.7 歳であり、先進国平均の 39.7 歳を大きく上回り、ドイツ(44.3 歳)やイタリア(43.2歳)に近い。それが 2020 年には 48.2 歳、2050 年には 52.3 歳に上昇し、世界における超高齢社会のフロントランナーのポジションは譲らない。他方、高齢化の進展が相対的に遅いドイツやイタリアの場合、2050 年時点でも中位数年齢は 49 歳代にとどまる。(大和総研「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」2013)


次の図表は、いつのデータか分からないが、Taichi Onoという方が、JUNE 28, 2012に発表されており、こちらの方がたぶん新しいのだろう。このデータからすればやはり日本はフロントランナーを走り続ける。とはいえ、長期にわたる人口予測とは、その都度変わってゆくので、あまり信用しすぎてもいけないのが、この二つの図表からわかるだろう。





世界的にも、2050年頃には中国の高齢化が予想されているせいもあるだろうが、次のような具合だ。





こうやって21世紀の人間はしだいに老いてゆく、欧米先進諸国や東アジア諸国はことさら。とすれば、20世紀後半に作られた制度で21世紀はやってゆけるはずはない。たとえば、社会保障制度など、少子高齢化のなかで、以前と同じように継続できるはずはないのだ。




そもそも1.2人の労働人口でどうやって1人の高齢者を支えることができるというのか。いまはまだ20世紀の社会保障制度の残照が残っているにすぎない。伝染病が流行して高齢者の半分ぐらいが消滅してしまえば別だが。とはいえ、ひとは、数において戦死者を凌駕する死者を出した大戦末期のインフルエンザ大流行の再来を願うわけにもいかない。

けれどもこれは意外に忘れられているのではないか。北欧諸国やドイツ、フランスなどの社会保障制度の充実ぶりを羨んで、われわれもあれを目指さなくては、などという幻想をいまだ抱いてはいないか。もちろん個別には、実際に日本も導入すべき西欧諸国の福祉制度もるだろう。だが大きく言えば、たまたま日本が少子高齢化トップランナーであるせいで、以前の制度の維持がまっさきに困難になってきているのであって、いま羨望をもって見られる西欧諸国でさえ、近い将来、社会保障費の維持にいっそう苦しみだすのではないだろうか。

たとえば年金支給開始年齢を引き上げることは世界の潮流であるのに(米国は 2027 年までに 67 歳へ、英国は 2046 年までかけて 68 歳へ、ドイツは2029 年までに 67 歳へ引き上げる予定)、日本はいまだ悠長に1985 年の改正の原則65 歳支給を、そこから約半世紀もかけて 65 歳に引き上げるという驚くほどの呑気なプランのままだ。日本の長寿ぶりからすれば、70歳支給開始がとっくの昔に検討されてもよいはずなのに。

ーーまあそういう国さ
どんづまりになってからしかやらないからな
消費税導入もそうだし、移民政策やら少子化対策だってそうだぜ

そして高齢者や高齢者予備軍ばかりが多い選挙で、
年金受給年齢改正案が通るわけないしさ

オメデトウ! 働きざかりの現役層のみなさん

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」)


いずれにせよ、日本は幸か不幸か、現在の時点では、高齢化社会ダントツナンバーワンの国であるのは紛れもない事実である。20世紀後半のある時期にはうまく運用されているかにみえた社会保障制度がーー「世界で最も成功した社会主義国」などと呼ばれたこともある80年代の日本だったーー、現在の状況に変貌した今後、いままでどおりに継続できるはずはない。

それにもかかわらず、現在の社会保障制度のいっそうの充実が、日本でもいまだありうるという幻想のもとに発言している人が多すぎるのではないかい? くり返せば、個別の改善はありうるだろうが、全体としては、今後大きく社会保障給付金の削減をしていなくてはならないのは明らかなのに、いまだ「倒錯的フェティシスト」として振舞っている人びとが多すぎる。

ラカンの弟子オクターヴ・マノーニに古典的論文『よく知っているが、それでも……』がある。

「よくわかっている、しかし、それでも……」というこの主張の形式は、「それでも……」以下に語られる無意識的信念へのリビドーの備給を示すフェティシズムの定式である(「母さんにペニスがないことは知っている、しかしそれでも……[母さんにはペニスがあると信じている]」)(田中純「暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 」

この「よく知っているが、それでも……」は、たとえばジジェクによって次のように変奏される。

態はきわめて深刻であり、自分たちの生存そのものがかかっているのだということを「よく知っているが、それでも……」、心からそれを信じているわけでは ない。それは私の象徴的宇宙に組み込む心構えはできていない。だから私は、生態危機が私の日常生活に永続的な影響を及ぼさないかのように振舞い続ける。(ジジェク『斜めから見る』)

ここでくどくなるのを怖れずにさらに変奏させれば、「社会保養制度は危機に瀕しているのをよく知っているが、それでも……」、心からそれを信じていない。母さんのペニス(充実した社会保障制度)がありうると信じている。そうやって現行の社会保障制度の危機が彼らの日常生活に影響を及ぼさないように振舞い発言しているのが、「左翼」やら「リベラル」と呼ばれる倒錯的フェティシストたちである。そうでなかったら、たとえば、どうして生活保護のいっそうの充実、高齢者福祉の維持を叫びつつ、消費税増反対などと言い放つことができよう。

彼らはあたかもトムとジェリーの猫のようでもある。あのような幻想に耽っていては二度死ぬことになる。すなわち将来ありうるべき「中福祉・高負担」の社会保障制度さえ死んでしまう。

猫が、前方に断崖があるのも知らず、必死にネズミを追いかけている。ところが、足元の大地が消え去った後もなお、猫は落下せずにネズミを追いかけ続ける。猫が下を見て、自分が空中に浮かんでいることを見た瞬間、猫は落ちる。(……)

エルバ島におけるナポレオン(……)。歴史的には彼はすでに死んでいた(すなわち彼の出る幕は閉じ、彼の役割は終わっていた)が、自分の死に気づいていないことによって彼はまだ生きていた(まだ歴史の舞台から降りていなかった)。だからこそ彼はワーテルローで再び敗北し、「二度死ぬ」はめになったのである。

ある種の国家あるいはイデオロギー装置に関して、われわれはしばしばそれと同じような感じを抱く。すなわち、それらは明らかに時代錯誤的であるのに、そのことを知らないためにしぶとく生き残る。誰かが、この不愉快な事実をそれらに思い出させるという無礼な義務を引き受けなくてはならないのだ。 (ジジェク『斜めから見る』p89-90)

中井久夫は、フランシス・フクヤマの「歴史の終焉」ではなく、《歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた》とさえ言っている(参照:二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)。本来は少子高齢化社会の先進国日本は、あたらしい福祉モデルの提案に先鞭をつけるべきなのに、そんな気配は微塵もないところが、低位の高齢化諸国の施策の後塵を拝する、いやそれどころか、彼らのやっていることーーたとえば上にあげた年金支給年齢引き上げーーなど日本ではすぐさま実現できるわけはないと苦笑を浮かべるのみであるかのようなのが、あいもかわらずの日本らしいぜ。

これくらいの法案、半日で作れるだろ、選挙を怖れなければだがね

■ アメリカの年金の受給開始年齢

アメリカの老齢年金の受給開始年齢は、生年月日に応じて65 歳から徐々に引上げられ、1960 年以降に生まれた人は67 歳となります。また、受給開始年齢を62 歳まで繰上げすることも可能ですが、支給される年金額は生涯にわたって減額されます。

なお、生まれた年ごとの老齢年金の受給開始年齢、及び、老齢年金を62 歳まで繰り上げて受けた場合の減額率は、以下の通りです。

アメリカの年金開始年齢 PDF


ーーで、やっぱりあきらめたほうがいいんじゃないか、という心持をもつ経済学者もいるわけだ。たとえば、『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』のメンバーのエライ学者先生とかが、《「日本の財政は破綻する」などと言っている悠長な状況ではない?》ーーとするのはその口だろう。

次のような提案などだれも聞く耳もたないさ。

「日本は中福祉・中負担が可能だというのは幻想」とする大和総研の「超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任」(理事長 武藤敏郎 監修 調査本部)における過激なシミュレーションーーおそらく今まで提出された最も厳しい社会保障費削減案ーーなんてね。

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

以下、より詳しくは、「われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれない」の後半を見よ。


われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれない

いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。

このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

さあ、おわかりであろうか、こニーチェの引用から始めたのがなぜか?
なによりも「いちじくの実」が肝要であるのだ。そして澄んだ空が。
甘いいちじくの実を落とすには、あなたは北風でなくてはならぬ。
曖昧模糊とした春の駘風ではいちじくの実は腐ってから落ちるだけだ。

――というわけで、このところ「経済」とか「財政」とかをめぐる論文を眺めすぎたので、気分転換である。


ところで日銀黒田バズーカ砲第2弾が炸裂したがあれは北風だろうか。
澄んだ丘の上から日本の湿り澱んだ空気を吹き払う清い風だっただろうか。
「失われた20年」をさらに引き延ばしたいらしい慎重臆病派の経済学者たち
あの「下士官道徳」の連中を震えあがらせる冷気を送りこむことができただろうか。

もしあなたが北風種族であるならば、
反リフレ派と称されるらしい慎重臆病派の彌縫的睦言よりも
弱気な連中を蹴散らかす軍の司令官黒田東彦のギャンブルを
よりいっそう好むべきではないか、
――などと書けば懐疑派の経済学者たちやらその取り巻き連中が
このなにも分かっていないドシロウトが戯言を書きよって! 
とノタマウに相違ない。

連中は「失われた20年」を「失われた40年」にしたい種族である。
連中も彼らの睦言を守っているだけでは
2030年代には遅くとも財政崩壊があることを知っている
ただ黒田の博打ではそれが5年先に早まる可能性がある
(いや2年先かもしれないし、もっとはやいかもしれない)
それを怖れているのではないか

黒田日銀はその可能性を怖れつつも、
2、3割はありうるだろう好転に賭けている
――そうではないだろうか、と問いを発するのも
ディレッタントでしかないいまこうやって書きつつあるこの阿呆である

この阿呆のよりどころになるひとつの文を示そう。
敬愛すべき慎重派のすぐれた経済学者池尾和人氏の
アベノミクス導入前の冗談めかした「ホンネ」が滲み出ている文である
いやこの阿呆にはそういう錯覚に閉じこもらせてくれるに過ぎないが。

この記事は5年前に書かれたものとしてすばらしい
現在起こりつつあることを説明してくれるもするし
かつまた慎重派の経済学者が何を「誠実」に怖れているのかも明かしてくれる。


ある財政破綻のシナリオ--池尾和人(2009.10.4)

先の池田さんの記事へのコメントですが、字数の関係で記事にします。

現在は、資本移動も自由だし、金利規制もない(10%以上のインフレになると、利息制限法が制約になるが...)ので、3%とかいった緩やかなインフレで、政府債務の軽減を図れるとはあまり期待できません。これは池田さんもよく分かってらっしゃることですが、むしろインフレ期待の発生が財政破綻のトリガーを引くことになりかねないと考えられます。

すなわち、インフレ期待が生じると、既存の国債保有分については、インフレによる損失を回避するために、その前に売却しようという動きが生じることになります。これは、国債価格の暴落=長期金利の急騰につながります。投資家が、何もせずに、インフレによる債務の実質カットを甘受し続けることはありえません。

このことを避けようとして、日本銀行が買いオペをして代わりに現金を供給しても、インフレで価値が低下することが分かっている円をキャッシュのままで持ち続けようという者はいないはずですから、外貨建て資産や実物資産への転換が図られることになります。前者であれば、円安を招くことになって、輸入物価の上昇につながります。

こうしたことから、インフレ・スパイラルに陥る可能性が高く、安定的に穏やかなインフレ状態を続けることは難しいと思います。
かりに穏やかなインフレ状態が続くということになっても、その場合にも、固定利付きの長期国債の発行は難しくなります。物価連動債にするか、債務の短期化を強いられます。引き続き固定利付きの長期国債が発行できたとしても、フィッシャー効果で名目金利はインフレ期待分上昇しますから、借り換えと新規発行分の政府の負担は軽くなりません。インフレになると、税収が増える効果もありますが、歳出の名目額も拡大せざるを得ないので、財政赤字は続きますから、政府は国債の借り換えと新規発行を続けなくてはなりません。

ところが、インフレ・リスクが高まると、投資家の警戒感も高まることから、国債の入札に失敗するといった事態が起こる可能性も無視できなくなります。そして、国債の入札が不調に終わったといったニュースが流れると、ますます国債の借り換えと新規発行がしがたくなって、ついには政府の資金繰りがつかなくなり、公務員給与の遅配や(夕張市のように)病院のような基礎的サービスの供給にも支障が生じることが想定されます(これは、櫻川くんがちらっと言っていた財政破綻のシナリオ)。

要するに、むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)

…………

ここで二度も次期日銀総裁として「絶対視」されたのに、
政局のせいで(民社党にキラワレタせいで、ーーことさら小沢一郎にーー)、
日銀総裁の地位を棒にふってしまった武藤敏郎氏
ーー黒田東彦氏は当時ダークホースにすぎなかったーー
の記事をいくらか掲げよう。
彼であるなら量的緩和はより穏健であったかもしれない。

ただし、現在すこぶる過激な社会保障制度改革を提案している。
慎重派の反リフレの経済学者がアベノミクスに反対するのは
それはそれでよろしい。
だが彼らからこういった「別の道」をさぐる具体的な提案
まともな社会保障制度改革案さえ提議されないのは
なにゆえであろうか、ーーここでもまた「逃げ切る」つもりであろうか?


「日本の社会保障制度を考える」(武藤敏郎)より。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。


◆社会保障改革 武藤敏郎 (大和総研 2013.8.11

日本の総人口は2008年をピークに減少し続け、2050年代には9000万人を割り込むと推計される。総人口は約60年前に戻るだけだが、問題は高齢化率(総人□に占める65歳以上の割合)だ。現在の23%(2010年)から、2060年には約40%になる。国連の定義では高齢化率が21%を超えた社会は「超高齢社会」である。超高齢社会を維持するには、人数が減った現役世代の生み出す付加価値によって、人数が増加した高齢者の生活を支えていかねばならない。現行の社会保障制度をそのまま続けることは不可能だ。

現行の社会保障制度を維持しつつプライマリーバランスを均衡させるには、国民負担率(税と社会保障の負担が国民所得に占める割合)を現在の4割から7割近くまで引き上げねばならない。しかし、これでは働く意欲を衰えさせ、経済に悪影響をもたらしかねない。福祉国家と言われ、かつては国民負担率が70%を超えていたスイゥーデンでも、現在は59%程度に下がっている。

では、いったいどの程度まで国民負担率を増やし、給付を削れば社会保障制度を持続させることができるのだろうか ―。

国民負担率は現在の欧州諸国に近い60%程度を超えないように設定し、消費税率は25%まで引き上げることが可能だと想定してみた。その上で、①年金支給開始年齢を69歳に引き上げ②70歳以上の医療費自己負担割合を2割へ引き上げ ― など思いきった給付削減を想定した。

しかし、この程度の改革では社会保障制度を維持できないばかりか、プライマリーバランスの構造的な赤宇も解消できず、国の債務残高は累増し続ける可能性が高いという結論になった。要するに、社会保障の給付削減と負担増を図るだけの従来の発想の延長では、問題を解決する処方箋は容易に描けないのである。

超改革シナリオとは、政府による直接的な給付をナショナルミニマム(国による必要最低限の保障)に限定して国民皆年金や皆保険を維持する一方、民間部門の知恵と活力を総動員して国民が自らリスクを管理していく発想である。

超改革シナリオでは、前述した改革シナリオの内容に加え、①公的年金の所得代替率(その時点の現役世代の所得に対する年金給付額の比率)を現在の62%(2009年財政検証時)から、40%に引き下げる医療費自己負担割合を全国民一律 3割とする③介護給付の自己負担割合を現在の1割から2割に引き上げる― など給付削減と受益者負担の引き上げを行うこととした。

結論を言えば、この超改革シナリオでは、プライマリーバランスが黒字化し、財政の債務残高そのものをGDP対比で減らしていくことができ、社会保障制度を確実に持続可能なものにしていくことができる。社会保障改革の在り方を、大きな政府か小さな政府かという視点ではなく、超高齢社会において機能する政府とは何かという視点で考えることが重要である。


◆「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏 2013年9月12日

斎藤 それでは、日本の国民負担率は長期的にみてどの程度にすべきだと考えているのですか?

負担は5割増福祉は2-3割減

武藤 ここには学問的答えはありません。先ほど言いましたように現在の日本は38%と低い。借金に頼っていますから、表面的な租税負担率は低く、低負担社会です。半面、現行の制度を続け、同時にプライマリーバランスを均衡させれば国民負担率は70%程度になる。どの程度にすべきか。世界の例をみて考えるしかない。現状、フランスは60%、ドイツは50%、英国は47%、財政規律が弱いと見られているイタリアでも62%、スェーデンはかつて70%近かったのですが今は59%。日本の高齢化率は先進各国の中で最も高く、いずれ40%になる。そうした状況をふまえ総合的に考えた上で、日本の将来の国民負担率は60%を何とか下回る水準にとどめられないかと考えた。それにあわせた社会保障というのがどのようなものになるかを思考実験してみた。(図表2参照)





斎藤 つまり「中福祉・高負担」ということですか?

武藤 国民負担率が60%超なら高負担とか55%なら中負担と言うべきかどうか……。いずれにしろ、これまでは財源を国債に依存していたのだから、負担は今よりもかなり上げる。一方福祉水準はかなり下げる。それがだいたいのイメージでしょう。国民負担率を40%近くから60%近くに上げるのですから負担は約5割上がる。一方社会保障水準はおそらく2-3割下げるということでしょう。負担を5割上げて、福祉水準が2-3割下がるのでは、辻褄が合わないように感じると思いますが、これは、これまで国債に頼っていた分を減らし、プライマリーバランスを改善させなければならないからです。現在の日本の福祉は、国際的に見てもかなりいい水準にあります。

例えば、年金の給付額も為替レートにもよるが、換算してみるとドイツやフランスと比べてもそん色ない。医療サービスにいたっては、むしろレベルは高い。医者の数は多く、病床数も多い。日本くらい簡単に医者にかかれる国はないのではないか。まあ、保育所だとか児童手当の水準なんか少子化対策はまだ十分ではないかもしれないが、中福祉よりは高福祉に近い水準にあると思う。

斎藤 福祉水準が2-3割下がるとはどういうことですか?

武藤 私たちは分析にあたっては、社会保障の受益者が得るサービスについて「所得代替率」という概念を使いました。年金受給額の水準を測る時によく使われる概念を、福祉全体にも適用して考えるということです。つまり65歳以上の高齢者一人あたりの社会保障給付額、これには年金受給額や医療サービス、介護サービス受給額などが含まれますが、この合計額を生産年齢人口(15-64歳)一人当たりの平均所得で割ってはじいた比率です。この比率を福祉水準を測る尺度として分析してみた。

現在、この社会保障の平均所得代替率は82.4%です。これが3割下がるということなら57.7%になる、2割下がるなら66%になるということです。今世の中で広く議論されている中で最も厳しい削減案だと思います。

斎藤 具体的には?

武藤 たとえば年金の支給開始年齢を69歳まで引き上げる。世界をみても2030年くらいに向けて67,68歳に上げていくという流れになっている。日本は高齢化のフロントランナーです。平均寿命も健康寿命も最も高い国の一つだ。

政府は、受給開始年齢を2030年度までに順次65歳まで引き上げることを決めていますが、このペースを早めたうえで、2025年度以降、2年に1歳のペースで69歳まで引き上げるという案です。

70歳以上の高齢者医療の自己負担は現在、政治的な配慮もあって1割になっていますが、これを75歳以上も含めて2割に上げたらどうかと考えた。さらに安価なジェネリック薬品の普及を一段と押しすすめる、などです。消費税も2020年代を通じて20%程度まで引き上げる。私たちはこれを「改革シナリオ」と呼んでいるのです。

ところがこれでも国家財政の収支を計算してみると、財政のプライマリーバランス(基礎的収支)は均衡しない。年々の赤字は縮小するが、赤字は出続ける。債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのままほぼ横ばいになる。

斎藤 それではまだ不十分ということですか?

武藤 ええ、国の財政を破たんさせず、社会保障制度をサステイナブルなものにするにはプライマリーバランスを黒字化させ、GDPに対する債務残高の比率を引き下げていかなければならない。

斎藤 ずいぶん厄介なことですね。

武藤 そうです。改革シナリオでも不十分と言うことは、事態は非常に厳しいということです。


この消費税25%、社会保障費3割カット案における財政再建シミュレーションの国債金利設定は次の通り(大和総研「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」2013より)。

長期金利(10 年国債利回り)は、2010 年代で平均 1.5%、2020 年代で同 2.5%、2030 年代で同 2.6%と予想している。名目成長率と長期金利の関係をみると、2020 年代中頃までは成長率の方が高く、2020 年代後半以降は金利の方が高い状況を予想している。財政にとって好ましい状況が 2020 年代中頃まで長期に続くかという点には反論があるだろうが、物価上昇率 2%を目指す金融政策は超長期にわたる低金利政策を余儀なくさせ、短期金利がアンカーとなって長期金利もファンダメンタルズからいえば低い状況が続くと見込む。長期金利の推移としては、政府の債務残高 GDP 比が緩やかに上昇していく中で、 2010 年代までは 2000 年代と同程度の水準で推移した後、 デフレ脱却後の短期金利の正常化に伴って 2020 年代以降は 2~3%へ上昇すると見込んでいる

ここで財政状態の悪化に伴うプレミアムの発生で長期金利が上昇する「悪い金利の上昇」は想定していない。これは、過去の経済構造に依存するマクロモデルの特性上、そうした恣意的なシナリオを予測に反映できないためである。しかし今後も財政赤字が改善しなければ、債務残高は現在よりもはるかに高い水準に達し、いつかは財政プレミアムが金利を大きく押し上げる局面を迎えるだろう。この点、本予測は実体経済の状況のみを反映した楽観的な見通しといえるかもしれない。
……今後も財政状態の悪化が金利上昇を招かないということを何ら保証しない。現在の政府の歳出と歳入の構造を前提とすれば、多少楽観的な日本経済の姿を描いたとしても、財政収支や政府債務残高の見通しは極めて厳しいものになる。そうした状況下で財政再建や社会保障制度改革を取り組む姿勢が政府と国民に見られなければ、国債市場の参加者がリスクプレミアムを求めるようになるだろう。悪い金利上昇(国債価格の大幅な下落)が起きる可能性は決して小さくないと考えるべきである。 
こうした問題意識に対しては、 日本国債の大半は日本国内で消化され、 外国人の保有比率が 1割以下と十分に低いので懸念する必要性は小さいという見方がある。言い換えれば、現在、日本は経常黒字国であり、経常黒字国の財政赤字はさほど深刻ではないという見方である。

この苛酷なシミュレーションでも、国債利回りがここにある設定よりも上がってしまえば、プライマリーバランスは黒字化されない。たとえば野口 悠紀雄氏の「金利上昇がもたらす、悪夢のシナリオ」における4%設定などだったらーー野口氏のやっているのは単純化されたモデルであり、実際は仮に金利が高くなっても、新規発行分と借り換え分のみに適用されるため、トータルの金利上昇はゆっくり進むーー、どう社会保障費削減しても、消費税40%にしても、プライマリーバランスは黒字にならないだろう。とすれば累積財政赤字がいっそう増えていくことになる。



2014年3月3日月曜日

あのね、

あのね、オレはあんまり同情がないの
あんた日本の若者たちの困窮状態知っているかい?
そっちの国で安楽な生活してやがって
とか言われてもね

これかい?

国立社会保障・人口問題研究所によると、20〜64歳の1人暮らしの女性の31.6%が年収125万円未満で暮らす「貧困」層とされる(2010年国民生活基礎調査を基に分析)。女性の生涯未婚率は2030年には23%に上るとも予想され、単身女性の貧困は今後より大きな社会問題になる可能性がある。(リアル30’s:選べてる?(4) 私の居場所どこかに

ほんとかねとは思うがね
95年以降は日本のことを知らないオレには
一人暮らしってのがわかんないな この年収で

いわゆる発展途上国と先進国とあいだの貧しさは
安易に比較はできないけどさ
日本の場合は逃げ場がすくないのだろうな親族とかの

米国でもこんな具合らしいからな

……貧困問題の核心は、先進国では、雇用が生み出されず、むしろ減少する傾向にあるために、労働者の立場が弱体化し、低賃金化が進行することにあるが、雇用の不足は、需要の物理的制約があるため、根本的な解決は難しいように思われる。 よく言われる、先進国は、低スキルの仕事は新興国に任せて、高スキルのクリエイティブな仕事に専念すればよい、といった意見は、人間の能力の普遍性を無視した暴論としか、私には思えないし、実際、あれだけの高度人材を揃えたアメリカでも実現していない。 

このまま、格差を拡大して、アメリカ型の社会になるのか、再分配機能を強化して、ヨーロッパ型の社会を目指すのか、日本の選択が迫られているように思われる。(アメリカの貧困問題と日本の選択 - 辻元

この最後の文は岩井克人の次の主張に共鳴する。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

もしどっちつかずのあいまいな選択のままであるなら、自ずと米国型になっていくのではないか。それを避けるためには、消費税大幅増に視線をやらなければならないという主張とシミュレーションがある。


日本が設けることになるであろう最終的な消費税率は、どれだけ高いとしても 25%が限界だと思われる。それ以上となれば、日本の国民負担の大きさは明確に北欧国家グループに含まれることになるが、市場経済に対する考え方や官民の役割分担などの観点から、それを目指すことに合意が得られるとは考えにくい。他方、世界で最も高齢化していく先進国である日本において、米国型の社会保障や福祉の体系を目指すという国家像も受け入れられないだろう。日本が目指すべきは、おのずと欧州大陸主要国並みの負担と受益ということになる。改革シナリオのシミュレーション上は 2036 年度以降の消費税率を 25%と想定する。

今は詳しく引用しないが、このシミュレーションはこの140ページにあまる論のなかに書かれているように楽観的なシナリオなのだ。

ここで財政状態の悪化に伴うプレミアムの発生で長期金利が上昇する「悪い金利の上昇」は想定していない。これは、過去の経済構造に依存するマクロモデルの特性上、そうした恣意的なシナリオを予測に反映できないためである。しかし今後も財政赤字が改善しなければ、債務残高は現在よりもはるかに高い水準に達し、いつかは財政プレミアムが金利を大きく押し上げる局面を迎えるだろう。この点、本予測は実体経済の状況のみを反映した楽観的な見通しといえるかもしれない。

「悪い金利の上昇」、ーーそれは、別の観点から見たら次のようなことでもある。

大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる。(池尾和人ーー
アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

いずれにせよ、《社会保障システムを維持し、財政破綻を回避するためには、政府支出の抑制と国民負担増が必要である》のだよな

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

というわけで、これしかないらしいぜ→ 《年金・高齢者医療・介護に関する賃金で測った実質給付を今より 3割減らして平均代替率を 57.7%とすれば、 2030 年頃までは消費税率を 10%台半ばに抑制し、 2050年時点でも消費税率を代替率一定ケースの約 7 割に抑制できる。》

社会保障費3割「以上」削減して、若者の貧困すくうしかないってわけだな
それとも消費税30%程度にするか。

まあいいさこういう話は
雑誌や新聞にあの手この手で書かれているはずだから


こっちの話は下手に書くと
美談のメロドラマになるからね
あんまり書きたくはないし
まあ半ば虚構の物語としてもらってもいいけどね
二十年前にこの国に逃げ出したときは
極貧状態のなごりがあったわけでね


妻の父方の家系は隣国との国境の町ではかつての名家で、その町の日本からも旅行者のある大きな仏寺では仏の名の次の曽祖父の名が唱えられる。かつては町の中央に銅像があったらしい。妻の父はいわゆる蕩児で、南北に分かれた戦後の混乱期に嫌気がさし隣国に出稼ぎにいってそのまま帰ってこない。妻の母は六人の子供を抱えてひどい貧窮に陥った。長女である妻と次男は小学校を修業しているが、その下の子どもたちはそれぞれ親族の家にひとりづつ預けられろくに学校も行っていず(小学校三年程度まで)、幼い頃から畑仕事などの手伝いをしている。妻も叔母とともに故郷の町を離れ幼くして隣国の路上市場で温麺を売ったり、海辺の町の漁村で網作りしたり、大都市の外国人向けバーに潜り込んだりーー無給なのだがチップで暮らしていたわけで、1ドルのチップを十人の客から貰ったら当時のこの国の平均月収が30ドル程度だったことを考えたら大金であり、わたくしのような客が原価0.5ドルの国産ビールとピーナッツのつまみを3ドルで飲んで5ドルのチップを渡す……などということがあったらやたらにモテルーー、という生活を送っている。後にわたくしと結婚後、妻は、妹弟たちが十代半ば前後の年齢になってからようやく小学校は卒業させたが彼らは小さなクラスメートと混じって学ぶのを恥じ中学には進むことを拒んだ(末妹はまだ幼くて年齢に支障がない時期に援助できたので中学校まで)。当時はGNPの差が日本とは百倍近く差があり、わたくしの乏しい資産でもなんとか補助できたというわけだ。弟妹たちはいまはそれぞれ結婚して子どもをふたりづつ持っており(末妹はひとり)、旧正月に集まれば、彼らとその配偶者だけで十二人の若い男女と十一人の甥姪たちということになる。

妻とは大都市で出会ったのだが、彼女の希望で結婚後は弟妹たちを養育しやすい都市部から三十キロほど離れた埃舞う田園地帯に住むことになった。畑地で一区画五百坪を三千ドルほどで購入し家を建て、また後義母を引き取り家付きの小さな土地を四千ドル程度で購入。今は近くに出来た工場団地の働き手向けに家の裏にアパートを建てその賃貸収入で暮らしている。七年ほど前義父をも引き取った。脳溢血になって女に逃げられ半身不随の義父の最後の四年は前妻の世話で生活し逝去した。結婚時妻は「わたしの夢は父と母がもう一度いっしょに暮らすこと」と執拗に語ったがそれが曲りなりにも実現したわけだ。


結婚するとき驚いたのは妻には正式の戸籍がないことだった。1974年という戦争末期に生れてなんらかの事情で届出なしで育っており、後に他人から借りた仮の戸籍を得てそれは1977年生である。だがこれは当時はそれほど珍しくないことらしく、ただ結婚時それを他人の戸籍から父方の戸籍に移すのにひどく手間取った。移した後も、戸籍上は1977年生まれであり、当時三十八歳のわたくしは一九歳の少女と婚姻したことになる。


どうもこうやって書くと
嘘っぽいんだよな
今は昔の話だけれどさ
わたくしの住まいの周りも
家が建て込んだよ

「過去をふり返るとめまいがするよ
人間があんまりいろいろ考えるんで
正直言ってめんどくさいよ

(……)
それでとーーちょっともう続けようがないなこの先は」

(ーー谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」より)


…………

附記:「これはいつまで続くんだろうね。」がそろそろ続かなくなって来たという側面があるのだろう、冒頭の話だがね。この国は「兵量攻め」に遭った連中ばかりだから逞しいってのはあるぜ。

斎藤) ひきこもりの最高年齢がちょうど私と同じ年齢で、世代論は避けたいと思ってはいても、やはりそこには何かがあるという気がします。共通一次試験と特撮・アニメの世代ですね。例えば「働かざるもの食うべからず」といった倫理観を自明のこととして理解できず、むしろ働けなければ親が養ってくれると思っている。

中井)先行世代がバブルにいたるまで蓄積し続けたから、寄生できるんだね。

斎藤)経済的飢餓感も政治的な飢餓感もない。妙に葛藤の希薄な状況がある。ある種、欲望が希薄化しているようなところがあるわけです。なにがなんでもこれを表現せねばならない、というようなものもないんですね。

中井) これはいつまで続くんだろうね。その経済的な前提 というのは、場合によったら失われるわけでしょう。震災だってある。欠乏したとき、いったいどうなるのか。

斎藤)ひきこもりの人たちというのは、日常に弱くて、非日常に強いところがあります。父親が事故で亡くなったりすると、急に仕事を探し始めたりして、わりと頑張りがきくところがある。だから、必然的な欠乏が早くくれば救われるということはありますね。

浅田)治療者としての斎藤さんは拙速な「兵量攻め」には反対しておられるけれども、一般的には、欠乏に直面して現実原則に目覚めるのが早いのかもしれませんね。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)ーー父なき世代(中井久夫

ーーこの三者でさえ、「本音」は黒字強調個所にあるはずだ。

…………

日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。(中井久夫「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」)





2014年2月26日水曜日

「ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ」

以下、古い文献と新しいレポートを織り交ぜたメモ。


◆中井久夫の「引き返せない道」より(1988初出 産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え 『精神科医がものを書くとき』〔〕広栄社)。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


大和総研レポート 2013年5月14日 「超高齢日本の 30 年展望」(理事長 武藤敏郎 監修)より

世界経済は、 著しく高齢化する中国のプレゼンスが低下し、 経済の中心は依然として米国であり続けるだろう。
世界経済を長期的に展望するとき、各国の栄枯盛衰が見込まれるなか、米国経済が凋落することなく相対的に強いポジションを維持していくという見方は大方で一致していると思われる。良好な経済パフォーマンスが一定の出生や移民を維持しており、反対に出生や移民が経済パフォーマンスを支えるという双方向の因果関係があると考えられるが、現状でも欧米先進国のなかで例外的に人口が増えているという好循環の構図が米国にはあるという点が重要である。欧州のソブリン問題も、結果的に米国の覇権を再認識させていると思われる。
米国の高齢化の進展速度は、中国やブラジル、インドといった新興国と比べても緩やかである。米国が若さを保つチャネルの一つは移民だが、オバマ大統領は 2 期目の就任演説の中で移民制度改革に言及しており、 1,000 万人を超えるとされる不法移民の取り扱いに加えて、 高い技術を持つ者の受け入れに一段と積極的になれば、潜在成長力を押し上げることにつながろう。長期的な強みに綻びが見え始めているといわれる米国だが、他の国々に比べると若さを維持する人口構造になっている。
<世界の構図を変える可能性を持つ米国のシェール革命>:技術革新によって開発・利用可能になったシェールガス・シェールオイルの増産(シェール革命)で、米国は 2020 年頃までには世界最大の原油生産国になると国際エネルギー機関(International Energy Agency :IEA)は見込んでおり、米国内のガス需要は 2030 年頃には石油を抜いてエネルギーのなかで最大のシェアになるという14。 世界的にみても、 ガス需要は大幅に増加すると予想されているため、米国にとってこれは重大な変化である。実際、米国がエネルギー輸入国から輸出国に転換する可能性も示唆されている。
世界の実質 GDP 成長率は、当面は平均年率 4%強で成長するものの、2020 年頃からは成長率が低下していくものと見込まれる。その原因は、世界 GDP 成長率の約半分を占める中国の寄与度が労働力人口の減少により、2020 年前後から低下するためである。予測の最終年である 2040 年においては、世界 GDP 成長率の寄与度はまだ中国が大きいものの、次第に米国とインドの寄与度が高まっていく。米国も高齢化による労働力人口の減少の影響を免れることはできないが、移民の流入でその影響が緩和されることや、インドは他国と比べて人口構成が若いため、労働力人口の低下のスピードが遅く、相対的に高めの成長率が維持されるものと考えられるからである。そのため、世界経済の牽引役は、中国から徐々に、米国やインドへと移り変わるものと考えられる。
米国連邦準備制度理事会(FRB)が大手金融機関に課した 2013 年のストレステストでは、最悪の景気悪化シナリオとして、米国自身の深刻な景気後退に加えて、中国経済の大幅な減速に起因する世界経済の悪化をダウンサイドリスクに想定した。一年前の同テストでは、欧州経済の悪化・金融市場の混乱がリスク要因だったが、今回はやや様変わりし、それだけ中国の存在が無視できなくなっている。
中国の高齢化が急速に進むとみられる背景の一つは、1979 年から導入されている“一人っ子政策”であり、同政策によって出生率は急激に低下した。同時に経済発展によって死亡率が低下した結果、人口ピラミッドの形がいびつになってきた3。2010 年時点で中国の 65 歳以上人口が全人口に占める割合 (高齢化比率) は 8.2%に達し、 経済発展の途上段階で人口構造の成熟化が進んでいる。高齢化に伴う社会的コストが増える一方で、その費用を負担する現役世代の伸び率が鈍化している状態であり、今後中国では現役世代の負担感が大幅に高まっていくと予想される。

具体的に、高齢者人口(65 歳以上)を生産年齢人口(現役世代、15~64 歳)で割った老年人口指数を求めてみると、 2010 年時点では 100 人の現役世代で 11 人の高齢者を支えていたが、 2020年には 17 人、2050 年には 42 人を支えることになり、約 4 倍の負担になる。

今後の中国は、これまでの 2 桁台の高い成長率から質の伴った安定成長へスムーズにシフトするという目標を実現しながら、社会保障制度など膨張する費用を賄わなければならない。例えば、子どもが 1 人しかいない家庭では高齢者介護が大きな負担になるために、年金補助制度などを強化していく方針であるという。

ちなみに、 日本において高齢化比率が中国の 2010 年と同じ 8.2%を上回ったのは 1977 年であった。中国の現在の経済規模は日本を抜いて世界 2 位だが、1 人当たり名目 GDP(2010 年時点)は 4,400 米ドル程度であり、 1977 年当時の日本の 1 人当たり名目 GDP6,100 米ドルを下回っている。この間の生活水準や物価の変化を考えれば、その格差はより大きい。単純な比較はできないが、中国では人々の生活が豊かになる前に高齢化が始まっている。


◆柄谷行人 岩井克人対談集1990『終りなき世界』より

岩井)ぼくは、アメリカの資本主義とは、世界資本主義のなかで特別な位置を占めてきたし、これからも占めていくと思っているのです。没落したと言っても、当分のあいだ没落しえない構造になっている。

柄谷)もちろんそうですけれどもね。しかし、ぼくはやっぱり戦後アメリカが世界に進出したことが、むしろ彼らの本来もつ孤立主義というかモンロー主義に抵触するように思うんです。没落ではないが、内にこもるという気がする。

岩井)ただぼくね、そのアメリカに関する認識が柄谷さんとちょっと違うなと思うのはね、アメリカの資本主義には二重性があると思ってる点なんですよ。ひとつは、ドイツや日本と同様に国民経済としてのアメリカです。共同体的なアメリカと言ってもよいかもしれない。

ただ、アメリカの場合、もうひとつ、自分の中に世界資本主義そのものを抱えているアメリカというのがあるんです。もちろん共同体としてのアメリカというのは非常にモンロー主義ですね。でも同時にやっぱり、移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカというのがある。これは、まさに世界資本主義の縮図なんですよ。それゆえ、アメリカはみずからの中に世界資本主義を抱える国として、まさに広義の世界資本主義のなかで特異な位置を占めているわけです。世界はたしかにアメリカ、ヨーロッパ、アジアという三極構造になっていくとは思うんですが、同時に三極の第一番の極であるアメリカのなかに、世界資本主義の縮図が織り込まれているという構造になっていて、必ずしも純粋な三極構造じゃないと思うんですね。三極プラス世界それ自体という、複雑な入れ子構造ですね。

アメリカの内部にあるこの二つの資本主義、それはアメリカにおける民主主義と自由主義ということかもしれないのですが、それはけっして民主党と共和党という対立には還元できない、もっと根源的な内部構造なんだと思います。そして、このアメリカ内部における世界資本主義のダイナミズムが、たんなるアメリカ、ヨーロッパ、アジアという拡大された国民経済の三極のあいだの勢力関係以上のダイナミズムを世界にもたらし続ける気がしますね。日米経済摩擦というのも、やはり同時にアメリカの内部における二つの資本主義のあいだの対立の問題の反映であるとみることもできる。九十年代において、三極構造だけでは理解できないダイナミズムがありうるわけで、これをやっぱりみていかないといけないような気がしますね。

柄谷)それは同感ですが、ぼくが言いたいのは、アメリカにあるモンロー主義の可能性をむしろ見てなきゃいけないということなんですよ。つまりあまりにも戦後のアメリカに慣れすぎて、むしろモンロー主義が基底にあるということを忘れているのではないかと思うんですね。アメリカのナショナリズムの思想的元祖は、エマソンですね。彼は、日本の本居宣長とある意味でよく似ているんです。彼のトランセンデタシズムは、歴史や伝統を切断して、自分の内部と経験に問えということですが、これは別の意味で、アメリカのナショナリズムです。なぜなら、歴史や伝統はヨーロッパのものだからです。

エマソンは「ヨーロッパへ行くな」とも書いている。これは、宣長が「漢意」を批判して、おのれ自身の心(もののあはれ)を重視したのと平行しています。日本の場合と同様に、これは、反インテレクチュアリズムとして根強いですね。ただし、日本と違って、インテリのほうも頑固で根強いですが、と言うのも、インテレクチュアルはヨーロッパから直接に来ていますからね。書物だけが来るのではない。とにかく、このエマソン主義は、政治的な表現をとるかどうかは別としても、アメリカの思想的基底にあるものだと思う。この意味で、ぼくはアメリカは巨大な「島」だと思っているんです。

アメリカが実際に閉鎖的になると、世界的に影響しますね。たとえば明治の末、日本人移民の締め出しが起こった。江藤淳の説によると、石川啄木の「時代閉塞の現状」というのは、アメリカが日本からの移民を拒絶したということから来るらしい。つまり日本の空間から出る道がなくなったったわけですね。それは日本だけじゃない。一九三〇年代、ヨーロッパでファシズムが起こったのは、アメリカの移民制度のせいだという説もありますね。

岩井)全くその認識は正しいと思います。アメリカがみずからの内にある世界資本主義を閉塞させてしまうと、世界は単純な多極的な構造になって、共同体と共同体がじかにぶつかり合うという不安定性が増幅してしまう。今度の東ドイツから西ドイツへ大量の移民が逃げたということもあるけれども、やっぱりアメリカという国が長い間東ヨーロッパやソ連から移民を受け入れてきたということが大きかったんだと思う。これが、東ヨーロッパやソ連を世界資本主義のなかに巻き込んだ現実的な力として働いたんですね。そういう意味での、アメリカの勝利なんですよ。西欧民主主義などという原理の勝利じゃなくて、移民を受け入れるという事実の勝利なんです。

柄谷)そうですね。ぼく自身、亡命ということ、移住ということを考えたとき、やはりアメリカしか考えてないですね(笑)。現在でも、世界で亡命しうる国と言えば、じつはアメリカ以外はない。

岩井)ぼくもそうですよ(笑)。かつてスピノザの両親がポルトガルからオランダに亡命した。あのときはオランダというのが世界資本主義の中心地だった。亡命できる都市と世界資本主義の中心地というのは、必然的に一致するんですね。やっぱりその意味ではアメリカがこれからも亡命の地であるということで、まさにその限りにおいて世界資本主義の中心地としての地位を保っていくんじゃないかと思います。

柄谷)日本は絶対に亡命の地じゃない。ぼくは亡命の地たりうるかどうかにおいて、その国の「自由」の度合い、あるいは、世界資本主義における比重を測りうると思いますね。

岩井)ほんとにそうですね。

柄谷)ある意味で、東欧・ソ連問題というのは、アメリカ人からみたら、みんな親戚の問題ですね。以前たまたまヴィデオを見たんだけど、アルメニアの大地震のときに、BBCがニュースを二時間ぐらい特集しているんですね。アメリカのアルメニア人がみな集まってワイワイ言ってるわけです。地震が起こったところはソ連ですよ。だけど、それに関してものすごい救援活動をやるんですね。テレビも大々的に支援する。これは、日本人がアメリカという国にもっているイメージに合わないところだと思います。

岩井)特にアルメニアなんてのは国自体がなくなったでしょう。ソ連の中に吸収されたし、残りはトルコの中に一部あるということで。アメリカが逆にアルメニアのいちばん利益代表というところがあるでしょう。

柄谷)だから、ぼくは、アメリカの帝国主義としての世界進出という面は確かにあるけれども、もう一方に、本質的に世界的にならざるをえないところがあると思う。というのは、結局外国から生身の人間が来ているということですね。だから、アメリカ人は世界中の人間が潜在的にアメリカ人だと考えており、その意味で「外部」がないんですね。自分たちの原理はどこにでもあてはまるべきだと思っている。それは、「世界の警察」のようにふるまうアメリカ国家とはまたべつのレヴェルですが。

上の柄谷行人の発言のなかに「反インテレクチュアリズム」という語が出てきていることに注目しておこう。

《いまやヤンキー化の進行はとどまるところを知らない。気合とアゲのバッドセンス、ポエム化の蔓延、現場主義のリアリズムと夢を語るロマンティシズム、「知性より感性」の反知性主義。ヤンキー化の源泉をさぐることで、あたらしい「日本人」の姿が見えてくる。》(斎藤環「ヤンキー文化と日本文化」――「日本精神分析2.0」
日本は、岡倉天心が『東洋の理想』で書いたように、アジアの諸文化・思想がどんどん入ってきて、排除もされず累積してきた貯蔵庫のようなところがある。もちろん、排除しないというのは、それ自体が排除の形態なので、つまりは、何の影響も受けないということです。アメリカもじつはそうです。しかし、実際の人間が来る。日本に来るのは文物だけです。たとえば、われわれにとって、中国はいうまでもないけど、インドの哲学とか芸術とか言えば、なにか懐かしいような感じ、われわれの一部であるような感じがあります。しかし、インド人がこの国に来たわけじゃないから、たんにイメージなんですね。

岩井)だからアメリカについて、石原慎太郎がアメリカをレイシズム(人種差別主義)と非難したけれど、あれは的が外れている。とくにアメリカの場合、まず当たり前のこととして、国内に多民族を抱えているでしょう。たとえばフランシス・フクヤマがいい例で、日系人やアジア系がかなりのパーセンテージいるわけだし、そんなに単純なかたちのレイシズムにはなれない。

柄谷)アメリカには現に多数のレイスが共存しているのだから、レイシズムは確かにあるし、陰では悪口を言うかもしれないけれど、けっして公言できませんね。たとえば、「ジャップ」とか言えないのは、日本人が抗議するからではなくて、日系アメリカ人がいるからです。ハワイみたいに、日系人が州知事をやってるようなところもあるわけです。

岩井)それから上院議員が二人ぐらいいますしね。アメリカ政府は戦時中の強制収容所の賠償金を日系人に支払いはじめましたね。これらの議員の尽力ですね。

柄谷)しかし、それじゃ日系人が、プロ・ジャパンかと言うと、そうではないわけですよ。

岩井)そう、全然ない。日系人だから賠償金に関する法律を通すんだというのではなく、一応アメリカ人として、戦時中のアメリカ人が本来の道義性を失った行為を同じアメリカ人にしたことの賠償だという論理を使ってね。

柄谷)だから、ああいう単純なレイシズム非難に対しては、日系人も怒ると思うんですね。レイシズムの一言ですむんだったら、戦後四十五年間の日系人の戦いはなかったことになるんですね。それは、アメリカ人としての、アメリカの理念のための戦いだったわけで、彼らはアメリカ人としての誇りを持っているわけですから。アメリカ人が日本人を人種差別しているという単純な言い方に対しては、むしろ彼らが怒ると思うな。それだったら、日本人のほうがはるかにレイシストですからね。

岩井)ぼくは日本人は百パーセント、レイシストだと思いますよ。日本のコマーシャルに典型的に出てくるあの白人崇拝というのが、逆方向のレイシズムでしょう。アジア蔑視、白人優越主義の裏返しですよね。もちろん、いろいろな肌の色の有名人も出ますけれど、それは有名人だからなだです。つまり下士官根性の現われなわけですよね。上に媚びて、下に威張るというね。明治以来、日本は常にそうだったと思うんですね。そして、それと同時に、白人もふくめた意味での外人排斥的なレイシズムもある。(柄谷行人 岩井克人対談集『終わりなき世界』1990)

…………

※附記:毎日新聞の記事2010、「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 建築家・磯崎新さん」より(リンク切れになっているが、以前メモしたものから)

米軍普天間飛行場移設問題などでは米国との関係に揺れ、中国には今年にもGDP(国内総生産)で追い抜かれる。政権交代はしたものの、鳩山政権は視界不良だ。

 日本は鎖国状態でやっていけますか? 「日本は鎖国状態を恐れる必要はありませんよ。今の日本は、米国から外される、中国から追い抜かれるとビクビクしている。だけど、日本はむしろ孤立した方がいいんです」。意外な答えが返ってきた。

 「僕はこの鎖国状態の期間を『和様化の時代』と呼んでいいと思います。歴史を見れば、和様化の時代は、輸入した海外の技術を徐々に日本化していく時期にあたります。今はこの和様化、つまり『日本化』を徹底する時期だと思いますね」

 磯崎さんに言わせれば伊勢神宮もしかり。漢字とひらがなが入り交じった日本語も、外国語をいかに日本化するかを考えたことから今の形となった。戦 後で言えば、自動車やカメラだ。日本が始めた産業ではないにもかかわらず、実用化、大量化、精密化して世界の群を抜く製品化に成功した。

 「どう言ったらいいんですかね」などと言葉を探しながら語る磯崎さん。

 「歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」



2014年2月7日金曜日

消費税率は「2030年代中頃までに25%ぐらいにならざるを得ない」(武藤敏郎)

まあそう苛立つなよ
すこしは経済に興味があったほうでね
バブル時代の職業柄だがね
少なくとも己れが
「知らないということを知っている」のだよ
貴君は優秀そうな「正義」の味方のようだから
「知っているということを知らない」のだろう
これが「無意識」ってやつさ
「知らないということを知らない」ような手合いが
跳梁跋扈するなかではお互いましなほうさ



いま消費税増に反対するのは実質上社会保障費削減に賛成することだぜ
――この見解はゆずりがたいな

日本に住んでいたら誰もがいやに決ってるさ、消費税増なんて
でも超高齢化社会の国民負担率が低水準のままやっていけるはずはない
ってのは目を塞ぎようがないコンセンサスだよな
ちがうかい?
湯浅誠だって内閣府参与になって実状知ったら
おとなしくなっちゃったよな





この三十年来目先の不快を先送りにしてどん詰まりになったのは
先行世代のせいさ、もちろん
やつらが悪いだけでそれをオレたちに皺寄せするなよな
ってのが若い世代の苛立ちだってのはわかってるよ
でも消費税増の必要性を語っただけで御用学者の括りに入れるなんてのは
先行世代と同じ資質であるにはちがいないぜ

加藤周一氏は、「今日も残る戦争責任」の記事の中で「生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。」(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)81ページ記事引用)

戦争責任のはなしをするつもりはないよ
日本の財政のはなしさ
目先の不快を言い募り、将来の大きな問題を先送りにする精神
その社会的、文化的条件はいっそう際立っているんじゃないかい?
インターネット上で脊髄反射的に苛立って徒党を組むあれらの連中は

もちろんオレがいまこんなことを書けるのも
二十年まえ日本脱出して消費税増も社会保障費削減にも
ほくそ笑んでさえいればいい立場であるのは自覚してるよ

バブル時代に引き返せない道」ってのを読んだのが大きかったな
当時一時的に銀行系の「研究所」なるものの
下っ端の資料集めの役をしていたのだがね
この上司たちの楽観性、バカジャネエカと思ったね

つまりは資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主義的モラリズムで彌縫するだけ。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかない。(浅田彰 シンポジウム『倫理21』と『可能なるコミュニズム』2000.11.27)

浅田彰の発言にある「弥縫」ってヤツで長年やってきたんだから
将来もなんとかなるさってのがわれわれ日本人の大半なんだろうけどさ
いまさらアベノミクスにだけ期待するわけにもいかないぜ
あるいはベーシック・インカムの導入なんて夢物語をみているだけでもね
スイスで国民投票があったじゃないかって?
あんなの実現したら日本での導入がもっと困難になるんじゃないか
いくら頑張ったって日本では10万円が限界らしいから
人口八百万弱の国だからなあ


田中:僕の事務所がある尼崎市は約20万世帯なんだけど、そのうちの実に1万823世帯が被保護世帯。20軒に1軒の割合だよ。日本全体でも120万世帯を超えていて、ここ数年急増しているんだ。生活保護を受けると、親子3人で月額16万2170円の生活扶助基準額のほかに、出産費用を含む医療費が全額無料になり、更に住宅扶助、子どもの学用品、給食費も扶助の対象になる。もちろん、消費税以外は税額ゼロ。20、30代の単身者でも生活扶助費だけで月額8万3700円。で、何が問題かというと、いったん生活保護を受け始めた人はその状況から抜け出せないのではなく、結果として抜け出さないということ。だって、真面目にタクシードライバーとして働くよりも「豊かな日々」を過ごせるんだもの。毎年、生活保護から脱却するのは全体の1割。ところが、その中の半数は高齢者を中心とする死亡。他の自治体への転出等を除いた、収入増で脱却するのは全体の2%程度にとどまっている。で、国全体で年間3兆円も投じられているんだよ。

「働きたくても働けない」というより、「働けるけど働きたくない」人が大勢いる。これこそ、鳩山首相がガンジーから引いた「労働なき富」じゃないかと。もちろん、障害者や高齢者、短期的に母子、父子家庭になった人は健常者たちと同じスタートラインに立てないから支援すべきだけど、「健常者」が生活保護を受けるケースが増加しているなら、「働かざる者食うべからず」という諺を教科書から消さなきゃいけなくなる。前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね。

浅田:昔、北海道で、旭川あたりから札幌の病院にタクシーで通わなきゃいけないとか言って、その交通費を数千万円請求してたって事件があったね。まあ、そういうのはヤクザがらみだったりする特殊なケースで、すべての人がそうだってわけじゃない。しかし、役所で裁量的に誰に支給を認めるか決めるようなシステムは、やっぱり危うい。そういう裁量の余地をなくして、赤ちゃんから老人まで誰にでも一律に支給するのが、ベーシック・インカムのいいところではあるんだな。

田中:そうなんだよ。1人月額5万円から7万円を支給して、後は自己責任というかたちでね。日本では自己責任というと切り捨てるという先入観が強いけど、個々を見ていけば、誰だって苦しいんだという言い分はあるから、逆にそれが裁量行政で族議員や既得権益団体がつけ込む隙にもなっているんだ。デンマークをはじめとする北欧でベーシック・インカムを導入し始めているのも、福祉垂れ流しではない、きめ細かさと効率的なアウトカムを求める中で理解されているんだよ。民主党のなかでも、組合出身じゃないような中堅や若手議員は、党大会の来賓挨拶で僕が提唱したらけっこう、賛同しているんだけどね。


自分の国の事故なのにドイツのように脱原発宣言できなかったり
消費税8%や10%で文句がでるような国で
ベーシック・インカム導入なんてのは忘れたほうがいい
なんてことはオレはいわないがね
ひょんなことで奇跡はおこるかもしれない

BI制度は資本主義の最終形態だとか
資本の論理が悪用するだろうとも
ジジェクは言っていたはずだが
さてどこでだったか
いまはさしあたりこのインタヴュー記事を引用しておくよ
……popularised in Europe and latin America, of basic income. I like it as an idea but I think it's too much of an ideological utopia. For structural reasons, it can't work. It's the last desperate attempt to make capitalism work for socialist ends. Interview with Slavoj Zizek - full transcript

柄谷行人はBI制度に賛成してもいいはずだが
たぶん一国だけでそんなものを導入してもダメだという立場なんだろうな
「世界共和国」のひとだからな
ジジェクも似たようなもんじゃないか
「コミュニズムよ、ふたたび」だからな

「世界史は、ヘゲモニー(覇権)国家の没落、その座を巡る攻防、新たなヘゲモニー国家の確立という繰り返しが反復的に起きている」(……)

 1990年代以降に世界を席巻している新自由主義は、70年代以降に衰退したヘゲモニー国家のアメリカが自由主義を放棄して進められた帝国主義的なもので、歴史的段階とした。そして、次のヘゲモニー国家が確定するまでは激しい競争になるとし、「確実に戦争に向かうだろう。そしてそれが、(経済政策の)帝国主義を終わらせる」と断言(柄谷行人 岩波書店、100周年記念でシンポ

ほかにも中国がヘゲモニーを握るのは困難だ
インドの可能性があるとオッシャッテルらしい
中国ヘゲモニーの困難さの指摘はジジェクの見解も同様

中国はひとりっこ政策がたたって
もうすぐ高齢化社会で
人口もインドに抜かれるらしい

《インドは2028年までに、中国を抜いて世界一の人口大国になる可能性がある》(国連予測

でなんの話だったか
消費税だったな
オレのベースは次の見解だね
元財務次官、日銀副総裁の武藤敏郎氏が取り仕切っているのだが
東京オリンピック競技大会組織委員会の事務総長でもあるらしい
さっきのはPDFで140ページ以上あるからさ
経済に関心がないひとはちょっときついかもしれない
しかも、ここで消費税率25%とは、かなり控えめにみた税率である。①医療や介護の物価は一般物価よりも上昇率が高いこと、②医療の高度化によって医療需要は実質的に拡大するトレンドを持つこと、③介護サービスの供給不足を解消するために介護報酬の引上げが求められる可能性が高いこと、④高い消費税率になれば軽減税率が導入される可能性があること、⑤社会保険料の増嵩を少しでも避けるために財源を保険料から税にシフトさせる公算が大きいこと――などの諸点を考慮すると、消費税率は早い段階でゆうに30%を超えることになるだろう。

ーーなどという指摘があるので一読に値するのだけれど

もしメンドウ臭いなら
あるいは「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏くらいでもいい
それとも別の研究所の「2040年の日本、衝撃のシミュレーション」でもいい
まあこのへんはちょっと探せばいくらでもあるのだからさ
「見たくないもの」を見ない〈心の習慣〉丸山真男)さえなければね
一応情報を提供しておくよ