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2014年2月20日木曜日

フォーレとヴァントゥイユ(プルースト)






尿酸値が高く左膝のぐあいがあまりよくないのだが、フォレ(フォーレ)の曲をやるというので丈高いユーカリ並木の美しい通りにあるG音楽教授夫妻宅の内輪の音楽会に訪れる。三〇人弱の集まりで若いひとが多い。欧州で音楽活動をしているふたりのご子女のうちひとりが戻ってきていて、そのヴァイオリストの娘さんがG夫人とフォレのピアノソナタを演奏する。若い学生さんが、声は細いが美しい声で歌曲をうたう。四重奏や五重奏曲のいくつかの断片をやる。G氏のチェロのなんとすばらしいこと!






フォレはこの国にあう。二十年前この国に最初に訪れてここに居を定めるかどうかを試し住みするために、小さな殺風景なアパートを一ヶ月ほど借りた。そのときフォレばかりを聴いていたことがある。


五階建ての三階にある部屋、白く塗られた壁がくすみつつある、武骨で古くさく縦に細ながい部屋だったが、鎧戸だけは重く立派だった。朝その鎧戸の隙間――その扉は緑とクリームを混ぜたような色で塗られており瀟洒で気品があったーー、そこから光の筋が模造大理石の床に模様を眺めながら、こちらのスタイルの美味なコーヒーを入れ、フォレを聴く。路上市場のようなところで一枚50円ほどで手に入れた歌曲集やソナタ、ピアノ四重奏のCDを繰り返して聴いた。





そのとき以来、フォレはわたくしにとってはプルーストのヴァントゥイユであり、フォレを聴くと、当時かかえていた個人的な鬱屈の先から洩れるわずかな光、新しい生活へ希求の香気が蘇る。

プルーストによる精細で執拗なまでの音楽の記述は、ヴァントゥイユの「ソナタJや「七重奏」にモデルがないはずがないとの印象を与えずにはいない。実際プルーストは、アントワーヌ・ボスコとジャク・ド ラクルテルに宛てた書簡に、モデルとなつた音楽について言及しているのである。書簡によれば、ヴァントゥイユのソナタは、主にサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに由来し、しゃがれ声の冒頭はフランクのソナタであり、フォーレのバラードである。「トレモロの震え」はワグナーの「ローエングリーンJのプレリュードである。また、印象に残つている演奏は、ジャック=ティボーの奏するサン=サーンスのソナタであり、エネスコの演奏するフランクのソナタである。(……)

プルーストは1903年にフイガロ紙に掲載された「エドモン・ド・ポリニャッ夫人のサロン」と『失われた時を求めて』の「因われの女」の中で、フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番に言及している。また、フォーレの「バラード」をヴァントゥイユのソナタに「利用」した、と1915年のアンス・ビベスコ宛ての書簡で明かしている。そして翌年、ガストン・プーレ弦楽四重奏団の演奏によリフォーレのピアノ四重奏曲を聴き、それをヴァントウイユの七重奏に利用したという。また、プルーストはフォーレのピアノ五重奏曲にも興味を寄せ、オデオン座でのフォーレ・フェステイバルでこの曲を初めて聴き、ガストン・プーレ四重奏団と作曲家フォーレ自身を思い切つて自邸に招き、自分ひとりのために演奏を依頼している。この曲もヴァントゥイユの七重奏のモデルになつたことは「ここは、フォーレの弦楽四重奏曲第1番卜短調のカペーの弾くヴァオリン・パート」とプルーストの残したノートにあることから明らかである。(Anne Penesco Proust et le violon interieur (Les Editions duCerf, 2011)書評 安永愛)




最後の部分がはじまるところでスワンがきいた、ピアノとヴァイオリンの美しい対話! 人間の言語を除去したこの対話は、隅々まで幻想にゆだねられていると思われるのに、かえってそこからは幻想が排除されていた、話される言語は、けっしてこれほど頑強に必然性をおし通すことはなかったし、こんなにまで間の適切さ、答の明白さをもつことはなかった。最初に孤独なピアノが、妻の鳥に見すてられた小鳥のようになげいた、ヴァイオリンがそれをきいて、隣の木からのように答えた。それは世界のはじまりにいるようであり、地上にはまだ彼ら二人だけしかいなかったかのようであった、というよりも、創造主の論理によってつくられ、他のすべてのものにはとざされたその世界―――このソナタ―――には、永久に彼ら二人だけしかいないだろうと思われた。それは一羽の小鳥なのか、小楽節のまだ完成していない魂なのか、一人の妖精なのか、その存在が目には見えないで、なげいていて、そのなげきをピアノがすぐにやさしくくりかえしていたのであろうか? そのさけびはあまりに突然にあげられるので、ヴァイオリン奏者は、それを受けとめるためにすばやく弓にとびつかなくてはならなかった。すばらしい小鳥よ! ヴァイオリン奏者はその小鳥を魔法にかけ、手なずけ、うまくつかまえようとしているように思われた。すでにその小鳥はヴァイオリン奏者の魂のなかにとびこんでいた。すでに呼びよせられた小楽節は、ヴァイオリン奏者の完全に霊にとりつかれた肉体を、まるで霊媒のそれのようにゆり動かしていた。スワンは小楽節がいま一度話しかけようとしているのを知るのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)

いまは晩年の弦楽四重奏OP121をもっとも愛する。弦楽四重奏のなかでは、おそらく他の作曲家のものも含めて、ベートーヴェンOP131と同じくらいーーいやよく聴くのはフォレの方だーー愛する。第二楽章が好みだが、第三楽章もよい。昨晩は夫妻とその仲間たちの合奏による第三楽章をきいた。

ひかえめな初老の男が、少年のような音楽の悦びの表情を輝かせて、思い切りチェロで歌をうたう。そして合奏者に親しい合図を送って瞳を見交わす。演奏と同じくらい、演奏者の顔の表情に魅せられる。






エベーヌ四重奏団の面子ような生きのいい若者と愉快に会話ができて、ひさしぶりに生き返ったような気分になった。






そのまえの年、ある夜会で、彼はピアノとヴァイオリンとで演奏されたある作曲をきいたことがあった。最初彼はただ楽器からにじみでる音の物質的な性質だけしかたのしもなかった。それからヴァイオリンの、ほそくて、手ごたえのある、密度の高い、統率的な、小さな線の下から、突如としてピアノの部分の大量の音が、ざわめきながらわきたち、月光に魅惑される変記号に転調された波のモーヴ色の大ゆれのように、さまざまな形をとり、うちつづき、平にのび、ぶつかりあって、高まってこようとしているのを見たとき、それだけでもう彼は大きな快楽にひたったのであった。しかし、そのうちふとある瞬間から、スワンは、輪郭をはっきり識別することも、彼に快感をあたえているものをそれと名ざすこともできないままに、突如として魅惑された状態で、たそがれどきのしっとりした空気にただようばらの匂が鼻孔をふくらませるように、通りすがりに彼の魂を異様に大きくひらいたあの楽節かハーモニーかをーーそれが何であるかを彼自身も知らなかったがーー心のなかでまとめてみようとつとめたのだった。(……)

その楽節は、ゆるやかなリズムで、スワンをみちびき、はじめはここに、つぎはかしこに、さらにまた他のところにと、気高い、理解を越えた、そして明確な、幸福のほうに進んでいった。そしてその未知の楽節がある地点に達し、しばし休止ののち、彼がそこからその楽節についてゆこうと身構をしていたとき、突然、楽節は方向を急変し、一段と急テンポな、こまかい、憂鬱な、とぎれない、やさしい、あらたな動きで、彼を未知の遠景のかなたに連れさっていった。それから、その楽節は消えた。彼は三度目にその楽節にめぐりあいたちとはげしく望んだ。すると、はたして、その楽節がまたその姿をあらわしたが、こんどはまえほどはっきりと話しかけてくれなかったし、まえほど深い官能をわきたたせはしなかった。しかし、彼は家に帰ると、またその楽節が必要になった、あたかも彼は、行きずりにちらと目にしたある女によって生活のなかに新しい美を映像をきざみこまれた男のようであり、その名さえ知らないのにもうその女に恋をし、ふたたびめぐりあうてだてもないのに、その女の新しい美の映像がその男の感受性にこれまでにない大きな価値をもたらす場合に似ていた。(同「スワン家のほうへ」)





…スワンや彼の妻はこのソナタに、明瞭にある楽節を認めるのだが、私にとってその楽節は、たとえば思いだそうとするが闇ばかりしか見出せない名前、しかし一時間も経ってそのことを考えていないときに最初はあれほどたずねあぐんだ綴がすらすらとひとりでに浮かびあがってくるあの名前のように、ソナタのなかにあって容易にそれとは見わけにくいものなのであった。また、あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、ヴァントゥイユのソナタで私がそうであったのだが、われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。(……)

そればかりではない、私がソナタをはじめからおわりまできいたときでも、たとえば距離や靄にさまたげられてかすかにしか見ることのできない記念建造物のように、やはりこのソナタの全貌は、ほとんど私に見さだめられないままで残った。そこから、そうした作品の認識にメランコリーがむすびつくのであって、時間が経ってからのちにそのまったき姿をあらわすものの認識はすべてそうなのである。ヴァントゥイユのソナタのなかにもっとも奥深く秘められた美が私にあきらかになったとき、はじめに認めてたのしんだ美は、私の感受性の範囲外へ習慣によってさそわれて、私を離れ、私から逃げだしはじめた。私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。われわれが毎日気がつかずにそのまえを通りすぎていたので、自分から身をひいて待っていた楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものより長く愛しつづけるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費していたであろうから。それにまた、すこし奥深い作品に到達するために個人にとって必要な時間というものはーーこのソナタについて私が要した時間のようにーー公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまでに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに Ⅰ』 井上究一郎訳 文庫 P172-174)









2014年2月17日月曜日

カペー四重奏とプルースト

表題は「カペー四重奏とプルースト」だが、書いているうちに別のところにいってしまった。

カペークァルテットの演奏録音のいくつかを貼り付け、そこにプルーストとカペーの関係をすこし付加しようと思っただけなのだが、そのなかでプルーストの次の言葉に出遭った。


・音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではない

・粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ。

すなわち隠れたテーマはこの文にかかわるが、そして重点の置き方を構成し直すべきかと思ったが、メンドウなのでそのままにする。

…………


◆カペークァルテットCapet String Quartet ラヴェル




◆エベーヌクァルテット Quatuor EBENE

ーーこの若いクァルテットのヴィオラ奏者の自己主張の強さが好みなのだが(第一ヴァイオリンの呼気がまざまざしく聞こえてきそうなその歌いようはもちろんのこと!)、第一ヴァイオリンが際立つカペー時代にはこういうことは少ない。





◆カペー ドビュッシー弦楽四重奏G





…………

◆カペー ベートーヴェン OP131





ここではあえてほかの著名な演奏楽団のものは貼り付けないが、フレージングやアーティキュレーションなどが、驚くほど「現代的」にわたくしにはきこえる(ポルタメントの古さには耳を塞ぐわけにはいかないが目を瞑ろう)。もちろん第一ヴァイオリン主導であり過ぎる当時のスタイルの翳は色濃く落ちているが、第二ヴァイオリンのなんと素晴らしいこと! それにボウイングの新鮮さ。その飄逸と清澄、高雅と峻厳。媚を排した孤高。これは、大時代的、ロマン派的な演奏スタイル以前の、すなわち第一次世界大戦以前の香気ということか? ディレッタントに過ぎないわたくしには、いわゆる現代的なアンサンブルの妙技といわれるものよりも、こういった演奏のほうがモダン(モダン? いや来るべきモダンといおう)に聞こえてしまう。いや一時期比較的熱心に聴いたアルバン・ベルク四重奏団のアンサンブルの妙技なるものに食傷しているだけなのかもしれないが。(《カペーは良いけれど、今きくと、私にはどうしてもついてゆけない古めかしさがある》(吉田秀和 ベートーヴェン作品131『私の好きな曲』--ワルカッタナ、時代錯誤的で。まあたしかに第一楽章はアンサンブルの妙の楽章だからちょっといけない、かつてここだけ聴いて続けて聴くのをやめたせいで、今までカペーに親しんでいなかった)

当時〔一九一三年から翌年〕パリ中の人々が熱狂し(とはいってもプルーストの関心はそのためにかきたてられたわけではなかったが)、最近編成しなおされたばかりのカペー四重奏団の十八番だったベートーヴェン晩年の四重奏曲に彼は熱中していた。音楽会がすんだのち、プルーストは楽屋に足を運び、率直な、しかし微妙さを欠いてはいない言葉で自分の感動をのべ、カペーを驚かすと同時に魅了した。「ベートーヴェンの天才と演奏者の技倆に関して、あれほど深い洞察を見せた評価を聞いたことはかつてなかった」--のちカペーはそう断言した。(ペインター『マルセル・プルースト』)

『この傑作では、すべてが、完璧で、必然で、変更の余地が全くない』と、この曲(ベートーヴェン 作品 131)について賛辞をおしまなかったのは、晩年の死ぬごく前の、ストラヴィンスキーであった。

ストラヴィンスキーという人は、本当におかしな芸術家だった。二十歳そこそこであの最高のバレエ音楽、特に《春の祭典》を書き上げたのち、バッハに帰ったり、ペルゴレージからチャイコフスキーに敬意を表したりした末、晩年にいたって、ヴェーベルンに「音楽の中心点」を見出すに至ったかと思うと、その後長生した数年のあと、いよいよ死ぬ時をまつばかりとみえたころになって、今度はヴェーベルンも、自分の作品も、もうききたくないと言いだし、みんな投げすててしまい、ベートーヴェンに熱烈な賛辞を呈しつつ、死んでいった。これは、どういうことだろう? もっとも、ストラヴィンスキーは、若いころだってベートーヴェンの偉大さを認めてなかったわけではないと、後年、ロバート・クラフトに述懐しているが、しかし、それもまた奇妙な事情の下で、だった。というのは、彼は、一九二二年《ルナール》の初演のあと、招かれていたパーティでマルセル・プルーストに出会った。

『プルーストは、ストラヴィンスキーとは戦前〔第一次大戦〕すでに知りあいになっていたが、〔このパーティで〕最初に口をきいた時、荒れ模様の初演を終えたばかりの大作曲家に呈する質問としては、もっとも無器用な質問を彼にむけたのだった。―― 「ベートーヴェンはお好きですか?」 ――「大嫌いですよ」――「しかし晩年の四重奏曲などは ……」とプルーストは抗議した。「彼が書いたもののなかで最悪の作品ですよ」とストラヴィンスキーはどなった』(ペインター、岩崎力訳《マルセル・プルースト》)

晩年になって、この時の様子を改めてクラフトにきかれると、こう弁解したのだ。『プルーストは、直接彼のベッドから、例によって、夕方おそく起きて、やってきたのだった。まっさおな顔をして、こったフランス式の服装に、手袋をはめ、ステッキをもっていた。彼は、私に音楽の話をしかけてきて、ベートーヴェンの後期の四重奏曲に対する感激を吐露していた。これは、当時のインテリ文士のきまり文句で、音楽的判断というより、文学的ポーズになっていた。そうでなければ、私も、大いに共鳴するところだったのだ』(ストラヴィンスキー、ロバート・クラフト、吉田秀和訳《百十八の質問に答える》)

本当に、そうかしら? いや、そうだったとしておこう。
だが、彼がプルーストの音楽についての真剣な関心を全くみそこなったのは、これはもう釈明の余地がないのではないかしら。

――― 吉田秀和『私の好きな曲』上  P15-16

プルーストが自宅に呼んで己れのためにのみ演奏させたのは、プルーストの年譜(吉田城作製)によればプーレ四重奏団でとされているが(ガストン・プーレはドビュッシーと親交があった)、これはセレスト(家政婦フランソワーズのモデル)の証言もある。だがAnne Penesco Proust et le violon interieur 書評 安永愛)によれば、《プルーストは、ガストン・プーレ弦楽四重奏団の他に、 リュシアン・カペー弦楽四重奏団にも自邸での演奏を依頼している》とある。ただしセレストは否定しているとする情報もあり、ひょっとして「演奏を依頼している」だけで実現しなかったのかもしれないが判然としない。


この安永愛氏の書評は、プルーストの小説に頻繁にその名が出てくる架空の音楽家ヴァントゥイユ、そのソナタや七重奏曲のモデルをめぐって実に興味ふかいことが書かれており、一読の価値あり。ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/7321/1/8-0101.pdf

引用してもいいのだが、断片では誤解を招きそうな個所がある。すなわち今まで一般にはサンサースがモデルとされたり、いやフランクやフォーレだとされたりしてきたが、プルーストは後年サンサースは凡庸な音楽家だと言っているらしい。だが、そのあたりが微妙なのだ。ラヴェルやフォーレの記述個所は除き、サンサースをめぐる個所だけ引用しよう。

ヴァントゥイユのソナタの聴取の記述に最も大きなインスピレーションを与えたものと、プルーストの書簡から読み取られるのは、サン=サーンスのヴァイオリン・ソナタである。しかし奇妙なことに、プルーストはサン=サーンスについて、自分の好みではなく凡庸な作曲家だと、1915年にアントワーヌ・ビベスコ宛ての書簡で述べている。これは一体いかなることなのだろうか。アンヌ・ペネスコは、その答をボードレールについてのプルーストの評論の記述の中に見出している。それによれば、音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではないというのである。また、プルーストは未完の小説『ジャン・サントゥイユ』の「粗悪音楽礼賛」のくだりでこう述べているという。「粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(中略)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ」と。

サン=サーンスの音楽を「粗悪音楽」とは言い切れないだろうが、良い音楽か否かは間わず、「夢」や「涙」と結びつく音楽であればポエジーの糧になるというプルーストの考え、そして彼が必ずしも好みではない音楽家の作品を『失われた時を求めて』における音楽の記述の発想源としていたというのは、興味深い。

《音楽が「有益な夢想」を与えてくれさえすれば、詩人の賞賛する音楽の客観的クオリティは問題ではない》とは、プルーストの小説のなかで、このブログでもしばしば引用しているとても示唆的な次の文と似たような見解を感じる。

われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)

安永愛氏によれば、ベネスコはプルーストのサンサースの評価を次のように書いている。

プルーストのサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタに寄せる思いは、『失われた時を求めて』の語り手がジルベルトに寄せる思いと同じく、初恋のようなものではなかったか、とアンヌ・ペネスコは推測している。プルーストは、やはりサン=サーンスのヴァイオリン・ソナ夕に魅了されていたのだとペネスコは断じる。かつて愛し、離れてしまったものへの、疼くようなやるせない思いが、文学テクスト上のヴァントゥイユの音楽の創出にあずかっていたというのが、ペネスコの見立てである。

音楽だけでなく芸術作品一般において(あるいは男女の愛の対象においてさえも?)、「石鹸の広告」のような作品を愛していても恥じることなかれ! と宣言するつもりはないが、《粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ》には相違ない。「社会の」? いや「個人の情緒の歴史」でももちろんよい。これは<対象a>にかかわるのだ。→ 「人間的主観性のパラドックス」覚書

それは、「好き」の次元に属するのではなく、「愛する」の次元には属するものであり、ロラン・バルト用語のプンクトゥムのことと言ってもよい、――刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目、または骰子であり、「私」を突き刺すばかりか、「私」にあざをつけ胸をしめつける偶然。


たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分的な対象である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(ロラン・バルト『明るい部屋』ーーベルト付きの靴と首飾り (ロラン・バルト)

サンサースの作品は、プルーストにとって、己を引き渡すことになってしまうものだったのかもしれない。ひとは己を引き渡すものについて語るときはアンビバレントな愛憎の仮装によってしか語れない。ロラン・バルトは彼の至高のプンクトゥムの写真(母の幼年時代の「温室の写真」)を写真論でもある『明るい部屋』に掲載することを拒む。《「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう》(『明るい部屋』)

心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない。(堀江敏幸『河岸忘日抄』)

ーー本来、そうであるはずだ。

ところで、<あなた>はそういう作品をもっているか?

実際、「読書」とはあくまで変化にむけてのあられもない秘儀にほかならず、読みつつある文章の著者の名前や題名を思わず他人の目から隠さずにはいられない淫靡さを示唆することのない読書など、いくら読もうと人は変化したりはしない。(蓮實重彦『随想』)

堀江敏幸がいうような「ぜったいに明かせない」というのは極論だろう。長い生涯において、ふとその名を口に洩らすことがあるだろう、少年が秘密の宝を親しい友と共有するようにして声をひそめてつぶやくことが。だがおおやけの作品にはめったにその名がでてこない。作家や芸術家たちの秘密、場合によっては作家の核心はそこにある。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。( ……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)