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2014年11月8日土曜日

ナウモフ 平均律BWV862フーガ、あるいはシューマン

まず二人の名演奏家のBWV862(バッハ平均律第一巻十七番変イ長調)。

◆Richter plays Bach: WTC1 No. 17 BWV 862 Fugue




◆Edwin Fischer: Das Wohltemperierte Klavier, Book I BWV 862 (Bach)

ーープレリュードも含む。




そしてエミール・ナウモフによるフーガ。

◆Naoumoff plays Bach's fugue in A flat major from WTC 1





ーーさてどの演奏がお気に入りかどうかはどうでもよろしい。このフーガはすばらしい。シューマンが調性を短調にかえて見事にパクったことは、知る人ぞ知るである。






バッハ、フォーレへの執拗な愛、そして幼い頃からの教師であったナディア・ブーランジュNadia Boulanger(彼女はフォーレの生徒だった)へのノスタルジックな愛溢れる自作ワルツをママ・ナディアに捧げるなど(Valse pour Nadia for piano four hands)、いかにもおたく風のエミール・ナウモフであるが、次のようにマエストロ然としてシューマンを弾くNaoumoffもいる。






ナウモフよ、きみはこんな華麗な曲を無理してやる必要はないのではないか? とはいえシューマンだから許しちゃうが。でもこんな別な世界からやってきたような演奏があるからな→ Schumann - Carnaval op.9 - Michelangeli Lugano 1973ーーでも聴いてると、泣けるところいっぱいあるな……第18曲のAveuもいけるな、ピアニッシモの大家と呼ぶべきかーー、きみに惚れてるからな、オレ。

しかしこれに勝てるつもりかい?




どうせシューマンやるなら最晩年のOP.133やってくれないかな。〈母〉なるものへの愛のひとロラン・バルトが最も好んだ曲のひとつシューマンの最晩年の狂気直前に作った暁の歌を。どうもこれといった演奏に当らないから。マエストロ・ナウモフだったら、OP.133いけるんじゃないか、OP.9の第5曲Eusebius.でやった感じでさ。

ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』(暁の歌)の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)





2014年9月18日木曜日

クーによる身体の欲動の噴出

ナチによる大量虐殺に加担したのは熱狂者でもサディストでも殺人狂でもない。自分の私生活の安全こそが何よりも大切な、ごく普通の家庭の父親達だ。彼らは年金や妻子の生活保障を確保するためには、人間の尊厳を犠牲にしてもちっとも構わなかったのだ。(ハンナ・アーレント)

ーーと、ツイッターにて拾ったのだが、何度か引用した中島義道の次の言葉はアーレントのパクリなんだな。

ナチスを最も熱心に支持したのは、公務員であり教師であり科学者であり実直な勤労者であった。当時の社会で最も真面目で清潔で勤勉な人々がヒトラーの演説に涙を流し、ユダヤ人という不真面目で不潔で怠惰な「寄生虫」に激しい嫌悪感を噴出させたのである。(『差別感情の哲学』中島義道)
魔女裁判で賛美歌を歌いながら「魔女」に薪を投じた人々、ヒトラー政権下で歓喜に酔いしれてユダヤ人絶滅演説を聞いた人々、彼らは極悪人ではなかった。むしろ驚くほど普通の人であった。つまり、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であった。(中島義道『差別感情の哲学』)

パクリというのは何の問題もない。もちろん自らの体験から出てきた言葉が尊いには決っているが。

耐え難いのは差異ではない。耐え難いのは、ある意味で差異がないことだ。サラエボには血に飢えたあやしげな「バルカン人」はいない。われわれ同様、あたりまえの市民がいるだけだ。この事実に十分目をとめたとたん、「われわれ」を「彼ら」から隔てる国境は、まったく恣意的なものであることが明らかになり、われわれは外部の観察者という安全な距離をあきらめざるをえなくなる。(ジジェク『快楽の転移』)


ーーというわけで、「自己批判精神」と「繊細な精神」を徹底的に欠いた「善良な市民」であるのだけはやめとけよ、なあ、おい!

…………

総統のピアニスト(ヒトラーのお気に入りだった)Elly Neyエリー・ナイのシューマンのEtudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5に少し前びっくりして、彼女の他の録音をYouTubeでときどき聴いているのだが、わたくしには、ベートーヴェンの演奏はちょっと抵抗があるものが多い。

後期ベートーヴェンを、中期ベートーヴェンみたいにやられたら、オレの耳には我慢できないぜ、それがヒトラー好みだったら、趣味わるいな、やっぱりアイツ。もっともヒトラーが好んだワーグナーのオペラは,露骨にドイツ的な《マイスタージンガー》でも、東方の野蛮な遊牧民からドイツを防衛するために武器を取ることを訴える《ローエングリン》でもなくて、名誉や恩義などの象徴的義務にみちた日々の生活という昼を捨て去り、人を夜に埋没させて自己の死を恍惚として受容させる傾向をもつ《トリスタン》だったらしいが。

ところで、ヒトラーを「理解を超えた悪魔」として捉えるのではなく戦争神経症者(毒ガストラウマ)として捉えようとする立場もある。

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))

ーーで、何の話だったか?

エリー・ナイはシューマンがよい。すばらしくよい。




ひと月半ほど前、Schumann, Kinderszenen Op 15,Elly NeyがUPされており、昨晩気付いたのだが、これも、--上の演奏ほどではないがーー、とてもよい。





たまたま耳新しく聴いたのでことさら新鮮なのかもしれないが、今のわたくしには著名なハスキルやアルゲリッチの録音より、ずっと魅惑される(第十二曲Kind im Einschlummernの、やや速いテンポもいいなあ、ゆったりとした抒情過多の演奏きかされ過ぎだからなあ、--ところで、ゴダールの『映画史』の3Aでは、シューマンの「子供の情景」の二曲目が流れる。しばらくすると「ミス/クララ・ハスキル/と/一緒/に」との字幕がはいって、すぐに微笑したアルゲリッチの俯いた画像がCDの輪のなかに現われる、CDの上下には赤字で「エラー/マルタ・アルゲリッチ」と)。

エリー・ナイの演奏の魅惑は、ひょっとして打鍵(クー)によるところも大きいのではないか。

バルトは声について「きめ」(グラン)を間うたようにピアノについて「打つこと」(クー)を問う。

ルービンシュタインは打つことができない。許し難く凡庸な優等生アシュケナージはもちろん、時にすぱらしく重いピアニシモを聴かせる老練なブレンデル、そしておそらくポリーニさえ、打つことができないと言うべきだろう。

彼らは音楽の制度に余りにも見事に適合しているため、分節構造の内部のしかるベき位置に音を置いていくことしかできないのだ。

ナットやホロヴィッツは打つことを知っている。いや、打つというのは知ってできることでほない、彼らは音楽の制度から何ほどかずれているがゆえに、分節構造からはみ出るような音をどうしようもなく打ち出してしまうのである。(浅田彰『ヘルメスの音楽』

若い浅田彰ーー「ヘルメスの音楽」は1985年出版だから、28歳だなーー思い切ったこというねえ、アシュケナージやブレンデルはまだしも(ブレンデルだって、許し難く凡庸な優等生さ)、ポリーニさえ、打つことができないって言ってんだから。もちろんここで「敢えて」名前を外しているグールドは、クーのひとという評価に決まってるし(浅田彰の偏愛の対象だからな)、では「完璧主義者」のーー最近、老いのせいか人の名前を忘れることが多くなったよ、一分間ほど名が出てこないぜーーミケランジェリってのは、さあて、どういう評価してんだろ。ツイッターで音楽のこと書くなら、このくらいのこと書けよな、そこの若いの。ミケランジェリは、打つことができない、とかさ。

誤解されると困るから書いておくが、ステージで脳溢血で倒れた後の、ミケランジェリは、少なくとも完全にクーの人だぜ




ーーポリーニも脳溢血やるべきじゃないのかね

さて寄り道が長くなった。
ホロヴィッツはここでは脇にやり(Kinderszenenの話だぜ)、
イヴ・ナットの演奏を聴いてみよう。

まず、1930年の録音。




打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する。だからといって、打つことを分節構造と双対をなす連続体の側に帰属させるようなことがあってはならない。

打つことはその両者の<間>であり境界点なのであって、打つ音のつらなりは連続体の側にも分節構造の側にも属さない独自のリズミックな運動体を形作るのである。

中沢新一は(「チベットのモーツァルト」の中で)連続体にポツンと点が打たれるときにもれる禅の笑いについて語っている。その点は連続体に属さないのと同様に分節構造にも属さず、あくまでも両者の<間>のパラドキシカルな場所にあってゆらめいている。ただそれだけのことが何ともいえずユーモラスな笑いを誘うのだ。

ひとたびそういう点のつらなったリズミックな運動体として世界をとらえることを知れば、硬直したニ元論や弁証法を持ち出す必要はさらになくなるだろう。バルトが「打つ音」と言うのも、まさにそのような点のことだと考えてよい。

半ば連続体に身をひたしつつそこからとび出そうとする点、自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなしていくとき、そこに音楽が生まれる。(浅田 彰)

今のわたくしの耳には、次の1954年の録音よりも、上の1930年のほうが好ましい。そこではバルト=浅田彰のいう《打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する》ことが目覚しい。





ーーホロヴィッツ、なんで外したんだって?
芸術家気取りのきみたち、ホロヴィッツきらいだろ、だからさ
「許し難く凡庸な優等生」をなんとかはずそうと
「不良」を気取っているそこの〈きみ〉もだよ

スヴャトスラフ・リヒテルBOT
(ホロヴィッツについて①)
……驚くべき人物、
それでいて不快極まりない、
それでいて卓越したうまさ(「音楽院」的な意味で)、
それでいて夢幻的な音色、という具合に何もかもが矛盾している。
何という才能!それでいて何という下卑た精神……。
(ホロヴィッツについて②)
これほどに気さくで、これほどに芸術家気質で、これほどに限界のある人物とは(いたずらっぽい笑い方を聞いてみよ、彼の姿を見よ)。
それでいて何という巨大な影響を若いピアニストたち(音楽家ではない)の感性に及ぼしたことか。
すべてがあまりにも不可思議だ……。
(ホロヴィッツについて③)
加えてあの「陰険な」ワンダ[ホロヴィッツ夫人]が、例のいわゆる「寛容」にして助力を惜しまぬ女性がいつも傍らに待機して、何事にも目を光らせている。
ほかに何と言ったらよいかわからない。(11月13日



2014年7月26日土曜日

アンドレイの恋

以下は、アウステルリッツの戦闘で負傷、妻との死別などで、鬱屈した生活を送っていたアンドレイ公爵がナターシャとめぐり合い、恋に陥る箇所で、『戦争と平和』のなかでも、最も美しい場面のひとつだろう。というか十代半ばに初めてこの書を読んだとき、もっとも魅了された箇所ということであり、ほかの人がなにを言っているのかはしらないし、引用されているのは見たことがない(この作品で頻繁に言及される名高い箇所は、〔「あなたは読まないで話していますね」、あるいは『戦争と平和』〕にいくらか引用してある)。


◆トルストイ『戦争と平和』(二) 米川正夫訳 岩波文庫p251~

アンドレイ公爵は貴族団長のところへいったら、なんとなんとをきかなくてはならないと考えて、もの思わしげな浮かぬ顔つきをしながら、愉楽村〔オトラードノエ〕なるロストフ家をさして、庭園の並木路を進んでいった。と、右手に当って、木立のかげからうきうきした女の叫び声が聞え、彼の幌馬車の前を横ぎる少女の一群が目に入った。一人のやせたーーおかしいほどやせた、瞳の黒い黒髪の少女が、ちかぢかと公爵の馬車に駆けよった。少女は黄色い更紗の着物をきて、白いきれで頭を結えていたが、ほぐれた髪の束がそのかげからはみ出ていた。少女はなにやらおおきな声で叫んだが、見知らぬ人に気がつくと、そのほうを見ないようにして、笑い声をあげながらもときたほうへ駆け出した。

アンドレイ公爵はなぜかしら、急に苦しいような気持ちになってきた。空は美しく、太陽はあかるく、あたり全体がうきうきとして見える。ところが、このやせた可愛い女の子は、彼という人間の存在を知りもしなければ、また知ろうとも思わない。しかも、それでいて自分一個のばかばかしい(きっとそうに違いない)、けれども楽しい幸福な生活に満足して、仕合せに感じているではないか!『あの子は何がうれしんだろう? 何を考えているのだろう? まさか操典のことだの、リャザンの年貢の整理なんかじゃあるまい。何を考えているのかなあ? なぜあんなに仕合せなんだろう?』われともなしにアンドレイ公爵は、好奇心に誘われて腹の中でこうきいてみた。




……退屈な一日のあいだじゅう、主人側の年長者や、客の中でも地位のある人たちが、アンドレイ公爵をもてなした(……)。そのあいだ、アンドレイ公爵は、べつな若い人たちの仲間にまじってなにがおかしいのかしきりとはしゃいで笑っているナターシャのほうを、いく度もなく見やりながら、『いったいあの娘はなにを考えているのかしら、なにがうれしいのだろう?』とたえず自問するのであった。

その晩、一人きりになると、彼は新しい土地へきたために、長いあいだ寝つくことができなかった。しばらく読書していたが、やがて、いったん蠟燭を消してまたつけた。内から窓枠をはめた部屋の中は蒸し暑かった。彼は、入り用の書類が町においてあってまだとってきてないからといって、自分を引き止めたあのばかな老人(彼はロストフ伯爵をこう呼んだ)にむかっ腹を立ててみたり、ずるずるひき止められた自分自身をののしってみたりした。

アンドレイ公爵は起き上がって窓に近より、戸を開けにかかった。月光は窓が開くやいなや、まるでずっと前から外に張り番をしながらこの機会を待ちもうけていたかのように、さっと室内へ流れこんできた。彼は窓の戸を開けた。それはすがすがしい、静まりかえった明るい夜であった。彼のすぐ前には一方の側が黒くて、いま一方の側を銀色に照らし出された、枝を刈りこんだ木立が一列並んでいた。木立の下はなにかしら露にみちてむくむくして、しっとりと濡れた草があって、ところどころ葉や茎が銀色に輝いている。黒い木立の向こうには露に光る屋根が見え、やや右よりには幹や枝のくっきりと白い、もくもくした大きな木があって、その上には満月に近い月が、ほとんど星のない明るい春の空にかかっている。アンドレイ公爵は窓に頬づえをついた。彼の眼はこの空にすわった。




※Nuit d'Étoiles(星の夜)は、ドビュッシーの1876年(14歳)の作品とか1880年(18歳)の作品とか言われているが、詳細は不明。いずれにしろ最も初期の作品のひとつ。

アンドレイ公爵の部屋は二階であったが、その上の部屋にも人がいて、やはり寝ていないような気配であった。彼は上から響いてくる女の声を聞きつけた。

「たったもう一ぺんだけよ。」と三階の女の声が言った。アンドレイ公爵はすぐにそれが誰かわかった。

「いったい、まあ、あんたはいつ寝るの?」といま一人の声が答えた。

「あたし寝ないことよ、寝られないんですもの、しかたないわ! ねえ、もう一ぺんお名残りに……」二人の女の声は、なにかの末尾になるらしい音楽の一節を歌いだした。

「ああ、なんていい気持ちなんでしょう! さあ、もう寝るのよ、これでおしまい。」

「あんたお寝なさい。あたしだめよ。」第一の声が窓に近よってこう答えた。察するに、彼女はすっかり窓にのりだしてしまったらしく、衣ずれから息づかいまで聞えるのであった。あたりは月とその光と影と同様にしんとして、化石のようになってしまった。自分が偶然こんなところにいあわせたことを気取られまいとして、アンドレイ公爵は身じろぎさえもはばかった。




「ソーニャ、ソーニャ!」と第一の声がふたたび響いた。「まあ、どうして寝たりなんかできるんでしょう! まあ、ちょっとごらんなさいな、なんていいんでしょう! ほんとになんていいんでしょうねえ! さあ、お起きなさいってばよう、ソーニャ」彼女はほとんど涙声でこう言った。「だって、こんな美しい晩はけっして、けっしてありゃしないわ。」

ソーニャはしぶしぶなにか答えた。

「いやよ、まあちょっとごらんなさい、なんて月でしょう! ……本当になんて美しい景色でしょうねえ! あんたもちょっとここへきてごらんなさいよ。あたしの好きなソーニャ、ここへきてごらんなさいってばさあ。ほらね、見てて? ここんとろこへしゃがんでね。ほら、こんなふうに自分の膝を抱いてねーーしっかり、できるだけしっかり抱かなくちゃだめよーーそしてひと思いに飛んでみたらどうでしょう? こんなふうにして!」

「およしなさいよう、落っこちてよ……」

相争うような物音が聞えた。ソーニャは不平らしい声で、「だってもう一時すぎてよ」。

「ああ、あんたはいつもいつも水をさすんだわ。さあ、あっちぃいらっしゃい、いらっしゃい。」

ふたたびしんと静まりかえった。けれど、アンドレイ公爵は、彼女が依然としてそこに座っていることを知っていた。ときにひそやかな身じろぎの音、ときにため息が聞えたからである。

「あああ、本当になんというこったろう!」とふいに彼女は叫んだ。「どうせ成るものは寝るんだわ!」と言い、窓をぱたりと閉めた。

『そうだ、俺の存在などにはなんの用もなにんだ。』なぜかこの少女が自分のことをなにか言い出しはしないかと、恐ろしいような期待をいだきながらこの話し声に耳を傾けているうちに、アンドレイ公爵はふいとこう考えついた。『それに、またしもあの娘! まるでわざとのようだ!』と思った。

とつぜん、彼の全生活に矛盾する若々しい想念と希望の入りまじった渦巻が、思いがけなく心中に沸いてきた。とても自分の心持ちをはっきりさせることはできない、そう思って彼はすぐ眠りに落ちてしまった。



2014年6月17日火曜日

「内なる声 Innere Stimme」

シューマンのクララへの手紙より(1839年3月11日 結婚一年前)。

1週間以上もあなたに手紙を書いていませんでしたね。でも私はあなたの夢を見て、これまで経験したことのないほどの愛をもってあなたのことを想っています。ピアノの前に座っては、いっぺんに作曲しつつは文章を書き、笑いながら泣く毎日です。あなたにはこれらが全部、私のOp.20のグランド・フモレスケの中に美しく書き表されているのがわかることでしょう。曲はもう楽譜屋の手の中にあります。
私はこの世で起きるあらゆることから影響を受けて(……)その気持ちを表現したいと思っていたところ、音楽の中で表すという方法を見つけたのです。そのため私の楽曲は時に理解しがたいですが、それは音楽が色々な興味と結び付けられているからなのです。





譜例⑥を参照いただきたい。(……)三段譜表の中段に「内なる声Innere Stimme」と書かれた旋律の存在である。上段は右手で、下段は左手で奏されるが、中段の旋律は演奏されない。実はこれまで述べてきた譜例④の冒頭のバス旋律(複前打音がタイで伸ばされた音)は、譜例⑥の「内なる声」の旋律の前半四小節に書かれた二分音符による旋律d1-c1-b の音価を拡大したものである。さらに「内なる声」の続く4小節に書かれた四分音符(と二分音符)による旋律b-es1-d1-d1-c1-d1 は、譜例④のソプラノ旋律(第467 小節以下)と対応している。


この対応関係を踏まえた上で再び譜例⑥「内なる声」に目を向けると、後半四小節の旋律に強弱変化の記号がある。つまり、b からes1 にかけてクレッシェンド、d1 にディミヌエンドの指示がある(なお、d1 に対するディミヌエンドの指示は、三段譜表の最後を締めくくる二分音符d1 にも見られる)。

この部分と同じように対応する譜例④のコラール風の旋律にも強弱変化をつけると、音価を引き伸ばされた「内なる声」は、歌うように、音を伸ばしたり大きくしたり減衰したりできる「声」として聞こえてくるのである。(「内なる声が語るもの―シューマンの《フモレスケ》とフィスハルモニカ」 筒井はる香
http://www.seijo.ac.jp/graduate/gslit/orig/journal/art/pdf/sart-020-05.pdf)

◆Yves Natによる全曲演奏



Alicia de LarrochaVladimir HorowitzRadu LupuSviatoslav Richter

……シューマンの最も内省的な面の現れとして《フモレスケ》作品20の第2部に見られる「Innere Stimme=内なる声」を挙げたいと思います。中段に書かれた「内なる声」である音符は実際には演奏されず、ただ心の中で静かに歌われるべき旋律を意味しています。現実的な音響とは関係ないこうした書法や、モットーとしての詩の提示はシューマン独自の詩的世界の現れであり、シューマン以外ではほとんど考えられないことだと思います。

その一方で、シューマンはこの「一つの静かな音」とはクララであると彼女への手紙の中で書いています。この曲はクララのために献呈しようと計画されていました(実際出版された時には、ベートーヴェン記念碑の寄付を提唱したリストへ献呈されましたが)。シューマンは手紙の中で「第1楽章は私の書いた最も情熱的な曲でしょう。あなたへの深い嘆きです」と書いています。

1楽章の最後にアダージョの部分が突然出てくるのですが、この部分の旋律はベートーヴェンの《遥かなる恋人へ》という歌曲集からの引用であると言われています。シューマンが引用したというその歌は歌曲集の第6曲目にあたりますが、「さあ愛する君よ、以前に歌ったこの歌を受け取っておくれ。心の中からほとばしる、ただ憧れだけがこめられた歌を。そしてこの歌で、我々を隔てる邪魔物を消してしまおう」という内容の歌詞が付いているのです。これはシューマンからクララへのメッセージそのものといえます。シューマンは、ベートーヴェン記念碑のためにふさわしい、また自分自身の思いともマッチするベートーヴェンのこの曲を自身の《幻想曲》へさりげなく織り込んだのでした。楽譜を受け取ったクララは「幻想曲を読みながら美しい夢を見ました。このように深い印象を受けたことはありません」とシューマンへの手紙に書いています。聡明な女性であり、なおかつ優れた音楽家であったクララなら、すぐこのメッセージにも気付いたはずです。

シューマンにとっての「一つの静かな音」が自分自身の心の声なのか、クララのことを指しているのか断定することはもちろんできません。しかしロマン派の時代とは比較にならないくらい生活のおけるあらゆる点で進歩を遂げ、ほとんどの情報や物をすぐに手にできることができる私たちにとって、世界がますます雑多な音に満ち溢れ、どこかで静かに鳴っているはずの一つの音に耳をすますことが難しくなっていることは間違いないでしょう。(後藤友香理)


 ※ジジェクは90年代から、このシューマンの内なる声を繰りかえして語っているのだが、最近の書(『LESS THAN NOTHIING』2012)では、「内なる声」はドゥルーズの純粋差異のことだとしている(Slavoj Žižek: The Pure Difference)。ーーもっともジジェクが音楽や絵画を語るときは(少なくとも)額面通り受け取ると必要はない。

Deleuzian “pure difference” at its purest, if we may put it in this tautological way, is the purely virtual difference of an entity which repeats itself as totally identical with regard to its actual properties: “there are significant differences in the virtual intensities expressed in our actual sensations. These differences do not correspond to actual recognizable differences. That the shade of pink has changed in an identifiable way is not all-important. It is that the change is a sign of a re-arrangement of an infinity of other actual and virtual relations.”67 Does not such a pure difference take place in the repetition of the same actual melodic line in Robert Schumann’s “Humoresque”? This piece is to be read against the background of the gradual loss of the voice in Schumann’s songs: it is not a simple piano piece, but a song without the vocal line, with the vocal line reduced to silence, so that all we actually hear is the piano accompaniment. This is how one should read the famous “inner voice” (innere Stimme) added by Schumann (in the written score) as a third line between the two piano lines, higher and lower: as the vocal melodic line which remains a non-vocalized “inner voice” (which exists only as Augenmusik, music for the eyes only, in the guise of written notes). This absent melody is to be reconstructed on the basis of the fact that the first and third levels (the right and the left hand piano lines) do not relate to each other directly; that is, their relationship is not that of an immediate mirroring: in order to account for their interconnection, one is thus compelled to (re)construct a third, “virtual” intermediate level (melodic line) which, for structural reasons, cannot be played. Schumann takes this use of the absent melody to an apparently absurd level of self-reference when, later in the same fragment of “Humoresque,” he repeats the same two actually played melodic lines, yet this time the score contains no third absent melodic line, no inner voice―so that what is absent here is the absent melody, absence itself. How are we to play these notes when, at the level of what is actually to be played, they repeat the previous notes exactly? The actually played notes are deprived only of what is not there, of their constitutive lack; or, to refer to the Bible, they lose even that which they never had.68 Consequently, when we suspend the symbolic efficiency of the inexistent “third melody,” we do not simply return to the explicit line; what we get is a double negation―in the terms of the Lubitch joke, we do not get straight coffee, but a no-no-milk coffee;69 in terms of Schumann’s piece, we do not get a straight melody, but a melody which lacks the lack itself, in which the lacking “third line” is itself lacking.

…………

死なずに生きつづけるものとして音楽を聞くのがわたしは好きだ。音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。《遠くからやってくるように》、シューマン(<ノヴェレッテ>作品二一の最終曲、<ダヴィッド同盟舞曲集>作品六の第十八曲、あるいはベルク(<ヴォツェック>四一九-四二一小節)に認められるこの指示表現は、このうえなく内密なる音楽を指し示している。それは内部からたちのぼってくるように思われる音楽のことだ。われわれの内部の音楽は、完全にこの世に存在しているわけではないなにかなのである。欠落の世界、裸形の世界ですらなく、世界の不在にほかならない。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド PIANO SOLO』)

※ダヴィッド同盟舞曲集第十八曲とあるが、第十七曲の間違いか(ⅩⅦ Wie aus der Ferne(遠くからのように)、ⅩⅧ Nicht schnell (速くなく))。




痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)


2014年4月3日木曜日

バッハ平均律17番とシューマンOP.72

Jill Crossland、--といっても初めて聴くのだがーーのバッハの平均律十七番変イ長調BWV862。




ーー実はこちらを先に聴いて、どんなピアニストなのかと調べてみたら、バッハ弾きとのこと→Rameau - Jill Crossland (2012) Various clavier works

冒頭のラモー「鳥のさえずり」はギレリスの至高の演奏がよく知られているがーーというかほとんどそれしか知らなかったがーー、10 great pianists perform Rameau, Le Rappel des oiseauxの比較などというものもある。誰が演奏しているかが書かれていないところがなかなかよい。

連中は何もいうことがないので、名前だけでものをいうのです。テレビは、対話というか、そうした話題をめぐって話をする能力を確かに高めはしました。だが、見る能力、聴く能力の進歩に関しては何ももたらしていない。私が『リア王』にクレジット・タイトルをつけなかったのはそのこととも関係を持っています。

ふと、知らないメロディを聞いて、ああ、これは何だろうと惹きつけられることがあるでしょう。それと同じように、美しい映像に惹きつけられて、ああ、これは何だろうと人びとに思ってもらえるような映画を作ってみたいのです。しかし、名前がわからないということは人を不安におとしいれます。新聞やテレビも、一年間ぐらい絶対に固有名を使わず、たんに、彼、彼女、彼らという主語で事件を語ってみるといい。人びとは名前を発音できないために不安にもなるでしょうが、題名も作曲者もわからないメロディにふと惹きつけられるように、事件に対して別の接し方ができるかもしれません。

いま、人びとは驚くほど馬鹿になっています。彼らにわからないことを説明するにはものすごく時間がかかる。だから、生活のリズムもきわめてゆっくりしたものになっていきます。しかし、いまの私には、他人の悪口をいうことは許されません。ますます孤立して映画が撮れなくなってしまうからです。馬鹿馬鹿しいことを笑うにしても、最低二人の人間は必要でしょう(笑)。(ゴダール「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」(1987年8月15日、於スイス・ロール村――蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)

(10名のピアニスト名は、コメント欄にほかの人が演奏者名を書いているので、安心して聴きたまえ!)



さて寄り道はやめて平均律に戻り、リヒテルのフーガだけ聴いてみよう。






そして、シューマンOP 72のフーガ(一曲目)。リヒテルの演奏もあるが、ここでは楽譜付きのイェルク・デムスの演奏で(この時期シューマンはバッハにことさら惚れこんでいたらしい)。






《あらゆる『創造』の九九パーセントは、音楽であれ思想であれ、模倣だ。窃盗、多かれ少なかれ意識して。》(ニーチェ遺稿)










2014年2月5日水曜日

ああ、ツマンネエ!

左膝が張れてきた
一週間ぐらいかかりそうだ
食事も二階の書斎兼寝室に運んでもらう
寝ころがって音楽を聴きつづける
ああ、ツマンネエ!
フォレやショパンは飽きた
ベートーヴェンやモーツアルトなんて
とっくの昔からウンザリだ
シューベルトやシューマンも飽きた




読めば読むほどよいかというと、これにも限度がある。文章というものにはすべて、一定時間内にある程度以上の回数を反復して読書すると「意味飽和」という心理現象が起こる。つまり、いかにすばらしい詩も散文もしらじらしい無意味・無感動の音の列になってしまう。これはむしろ生理学的現象である。音楽で早く知られた現象である。詩というものは一定時間内には有限の回数しか読めない。つまり詩との出会いはいくらかは一期一会である。それだけではない。無意味化するよりも先に、その詩人の毒のようなものが読む者の中に溜まってきて、耐えられなくなる。ヴァレリー詩の翻訳の際に、彼のフランス語の「イディオシンクラシー」(医学でいえばまさに体質的特異性!)が私の中で煮詰まってきて、生理的な不快感となった時期があった。(中井久夫「訳詩の生理学」 『アリアドネからの糸』所収)

グールドだって「意味飽和」だ
めったに聴かない
単純な曲だけがすくいだ




グールドのCD版なんてのもウンザリだ


◆ブルーノ・モンサンジョンとの An Art of the Fugue DVD版より(おそらく1979年製作)




◆CD版(1964年録音)





…………

グールド1957年モスクワ・ライヴ録音シンフォニア(ここではハ長調は演奏されていない)。





彼のスタジオ擁護論は、同一楽曲をコンサート録音で聴く人間を納得させるにはいたらない。一九五九年八月二十五日ザルツブルグでの<ゴールドベルク変奏曲>、一九五七年五月十二日モスクワで演奏されたベルクのピアノ・ソナタ、あるいは一九五八年六月十日ストックホルムで演奏された同じ曲、ストックホルムでのベートーヴェンのピアノ・ソナタ作品110などはスタジオ録音によるそれらの姉妹よりもはるかに美しい。

スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。ストックホルムでのピアノ・ソナタ作品110の実況録音には厚みがある。時間に対してどこか緊張したところ、なにか奪われたもの、最後のシカゴ・コンサートで同じ曲目の演奏がどのようなものだったかを想像させるに足るなにかが存在する。時間の切迫が動作を鋭くし思考の速度をはやめるチェスの勝負のように、ある種の絶対的必然性があるのだ。スタジオの場合、時間はじゅうぶんにある。あらゆる方向で時間をたどりなおすことができる。自由だともいえるが、それなりの代価を払わねばならない。

同じようにグールドはつねに同一例をもちいてコンサート演奏が外面的なものに終わる点を批判する。バッハの<パルティータ>第五番の例であり、この曲は一九五七年にソ連各地で彼が演奏し、その年の夏の終りに帰国して録音されたものだ。彼の主張によれば、<パルティータ>の録音のなかでこの曲が一番ひどい出来であり、「ことさらピアニスティックで」あり、「バッハではなくリスト編曲のバッハ」だというのだ。

欠点はまさにコンサートが演奏におよぼす変形作用によるものだった。カデンツァはあまりにも奔放であり、元の楽譜にフレーズとパラグラフの切れ目をたどれないほどであり、強弱の急速な変化、クレッシェンドとデクレッシェンドが演奏に「侵入」している。というのも「チャイコフスキー・ホール二階のバルコニー席まで音楽を届かせる」必要があったからだ。たしかに演奏は場所によって変化するわけであり、たとえばホロビッツは彼のピアノのテクニックの大部分(ことにペダルの使用法)は大ホールでの演奏の必要から生み出されたものだとみずから認めている。

しかしながらグールドがマイクに托したこの二種類の演奏を数小節ばかり聞きくらべてみると呆然とせざるをえない。たしかに「冷たい」ヴァージョンでは構造がよりはっきりと浮き彫りにされている。だが、「実況録音」ヴァージョンでは息づかい、時間の呼び声、不可抗力などによって独特の緊迫した感じが生まれている。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』)
…………

【三種類のパルティータ五番】


◆1957年ライブ録音




◆1954年トロントラジオ放送(it's a radio broadcast, June 7, 1954 - "Distinguished Artists". CBC)





◆1957年12月、ニューヨークスタジオ録音






2014年1月31日金曜日

総統のピアニスト





Elly Neyエリー・ナイの名はまったく知らなかった(Rosita Renardの演奏録音を探すなかで見つかったもの)。

エリー・ナイは、総統のピアニストと呼ばれていたそうだ。すなわちヒットラーのお気に入り。ベートーヴェンの目覚しい録音がYoutubeにある。

冒頭のエリー・ナイの演奏、シューマンのEtudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5にはびっくりした。リヒテルの演奏は次の如し。





ポリーニ(6:40より)




…………

※附記

イギリスの傑出したワグネリアンであるジョン・デスリッジは,かつて次のような注目すべき事実を強調した.ヒトラーが好んだワーグナーのオペラは,露骨にドイツ的な《マイスタージンガー》でも,東方の野蛮な遊牧民からドイツを防衛するために武器を取ることを訴える《ローエングリン》でもなく,名誉や恩義などの象徴的義務にみちた日々の生活という昼を捨て去り,人を夜に埋没させて自己の死を恍惚として受容させる傾向をもつ《トリスタン》だった,ということである.キルケゴール流に言うならば,この「政治的なものの美的な宙吊り」こそが,まさにナチのとった態度の背景としてのファンタスムの中核を成すのだが,そこで重要であったのは何か政治以上のもの,美的なものと化して人を恍惚に誘うある共同体的体験であり,その典型的な例としてニュルンベルクの政治集会で夜な夜な行なわれた儀式をあげることができるだろう.(ジジェク「『アンダーグラウンド』、あるいは他の手段による詩の継続としての民族浄化」)

私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ『哲学の終りと思惟の使命』より)
一時期のめりこんだ政治活動と、童話の創作活動がどういう関係にあったのか。政治活動を否定したことによって、そこからあの童話の世界が生まれたのではなく、このふたつはじつはほとんど同時現象なんですね。あの奇跡のような傑作群と、危険なユートピア思想への傾倒は、深くつながっている。(中沢新一 対談「宮沢賢治と日本国憲法 」)
だが、と最後に急いで付け加えなければならないが、ここには何か恐ろしく不吉なものがある。それは、賢治の見た「二つの風景」(「春と修羅」)、現実空間と異次元の詩的空間とが二重化した場処に孕まれた危うさへの予感だろうか。死に魅入られたこの空間を満たす「水いろ」の透明な情炎、あるいは透明性へのあまりに「まつすぐ」な情炎の禍々しさ。宗教と科学技術とを最先端の過激さで交わらせようとした賢治の想像力が、その切っ先で煌めかせた不穏な何ものかの到来の兆しを、震災後の危機と賢治botとの遭遇、そしてそこに生じたシンクロニシティに認めたことを末尾にこうして記すのみで、この短い「心象スケツチ」めいた記述は閉ざさなければならない。
 テクストでは触れなかったが、この禍々しささえ帯びた透明性への情炎には、ファシストのための「ガラスの家」であるカーサ・デル・ファッショを建てたイタリア・ファシズムの建築家、ジュゼッペ・テラーニの「汚れなきファシズム」を連想した(鳥のさえずり──震災と宮沢賢治bot)。


《わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)


音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』ーー「悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう」)







2013年12月20日金曜日

暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとする(フロイト、ドゥルーズ)

私はおよそ世界観の製造などを心がけていない。そういうことは哲学者にまかせるがよい。疑いもなく哲学者というものは、あらゆる事情が書きしるしてある旅行案内をもたないと、人生の旅行ができないのである。彼らはその高次の必要性の立場から、軽蔑をもってわれわれを見下すにしても、われわれはあまんじてそれをうけよう。われわれに自己愛的な傲慢があるのは否定できないにしても、自らを慰めて、こう言いたい。これら「人生の指導者」どもは、いくばくもなく、すべて古ぼけてしまうのであって、その旅行案内の再版を余儀なくさせるのは、まさにわれわれの近視眼的にせばめられたささやかな仕事であり、かれらの最新版の旅行案内さえも、もとは、昔の便利で完全な教義問答に代わろうとしているにすぎないのだ。科学が今日まで、世界の謎に光明をあたえることが、どんなに少なかったかは、われわれとてもよく承知している。だが、哲学者のあらゆる騒音は事態を変えはしないこと、確実性を唯一の信条として追求していく忍耐づよい研究の続行だけが、徐々に変革をもたらすこと、これもわれわれはよく知っている。暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。(フロイト『制止、症状、不安』(1926)旧訳フロイト著作集6からだが、一箇所訳語を変更 「高級な貧困」→「高次の必要性」)

《暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。》

まったく異なった文脈で書かれているのだが、『ミラ・プラトー』には、《暗闇をさまよう者は、歌をうたって》カオスのなかに秩序をつくれ、とある、まるでフロイトの美しい表現を使い反フロイトの言葉を紡ぎだすかのようだ。

暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(……)

歌はカオスからとびだしてカオスのなかに秩序をつくりはじめる。ひとりの子どもが、学校の宿題をこなすために、力を集中しようとして小声で歌う。ひとりの主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」厚表紙版p359)

だが、《歌には、いつ分解してしまうかもしれぬ危険がある》という面も肝要なのだろう。そして上の文だけでは反フロイトであるかどうかは、実のところわからない。だが上の文のすこしまえにはこうある。精神分析家は、歌の、そのリトルネロのことが分っていない、と。

われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子どもが暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない、ばあ」(Fort-Da)の呪文を唱えたりする(精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとするからだ)。タララ、タララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つ節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌いはじめる。ジャヌカンからメシアンにいたるまで、音楽は実にさまざまな形で、小鳥の歌に貫かれている。ルルル、ルルル。音楽は幼児期のブロックによって、また女性性のブロックによって貫かれている。音楽はありとあらゆるマイノリティに貫かれているが、それでもなお絶対な力能を構成する。子供たちのリトルネロ、女たちの、さまざまな民族の、さまざまな領土の、そして愛と破壊のリトルネロ。そこにリズムが生まれる。シューマンの全作品はリトルネロや幼児期のブロックから成り立ち、そこに独自の処理がほどこされている。こうしてシューマン独自の子供への生成変化と、クララという名をもつ女性への生成変化が生まれる。子供の遊戯や子供時代の光景、そして小鳥の歌をすべて拾いあげ、音楽史上のリトルネロが示す斜線上の、あるいは横断的な用例を一覧表にまとめあげることはできるだろう。しかし一覧表など何の役にも立たない。実際には音楽にとって本質的で必然的な内容が問題となっているのに、一覧表を作ってしまうと、主題や題材のモチーフの豊富な実例に目を奪われることになるからだ。リトルネロのモチーフは不安、恐怖、悦び、愛、労働、行進、領土など、さまざまでありうる。しかしリトルネロ自体はあくまでも音楽の内容なのである。

われわれは、リトルネロが音楽の起源であるとか、音楽はリトルネロをもって始まると主張しているのではない。いつ音楽が始まるのか、実のところよくわからないのだ。それにリトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか。しかし音楽が存在するのは、リトルネロもまた存在するからだ。音楽は内容としてのリトルネロととりあげ、これをつかもとって表現の形式に組み入れるからだ。音楽がリトルネロとブロックをなし、それを別のところにもたらすからだ。それ自体は音楽でない子供のリトルネロが、音楽の<子供への生成変化>とブロックをなす。((同「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p344)

《精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとする》だけでないように、ラカンは最晩年ララング概念を紡ぎだしたとしてよい。

lalangue(ララング)とはまず、喃語lalationと関連づけられ、当然、乳幼児に認められるものだが、母親がこれに加わる。母親も自分の赤ん坊には、「大人のことば」以外にも、赤ん坊が喋る喃語を真似てやはり喃語を喋る。母親は赤ん坊の欲望(ここでは、まずは、敢えて、要求とか欲求ということばを用いないで説明したい)を叶えようとする一方で、その母国語を教える。lalationからla langueへ入ってゆく、そこにlalangueができあがるとしてもよいであろう。(ラカン『ラ・トゥルワジィエーム』 La Troisième




……一つの<線―ブロック>が音の中間を通りぬけ、位置決定が不可能な独自の環境(中間)で芽を吹くのだ。音のブロックはインテルメッツォ〔間奏曲〕である。つまり音学的組織をすりぬけ、なおさら強度の音を放つ器官なき身体、あるいは反-記憶なのである。

「シューマン的身体は一箇所にとどまることがない。(……)インテルメッツォは全作品と一体化している。(……)極言するあんら、インテルメッツォしかないのだ。(……)シューマン的身体には分岐しかない。この身体はみずからを構築していくのではなく、ただ間奏曲(休止)を積み重ね、不断の分岐を続けるのだ。(……)シューマン的鼓動は、狂乱しながらもなお、コードをそなえている。そして鼓動を刻む音の狂乱が一般には見過されがちなのは、一見したところ、この狂乱が穏当な言語の限度内に収まっているからである。(……)調性には、矛盾し、しかも共存しうる二つの面があると想定してみよう。一方にはスクリーンが、つまり既知の組織にしたがって身体を分節する言語がありながら、しかしもう一方では、矛盾したことに調性が、別の水準では馴致すべきはずの鼓動に対して、その巧みなしもべとなるのだ。」(ロラン・バルト『第三の意味――映像と演劇と音楽と』)(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p342)

◆ロラン・バルトがその晩年もっとも愛した曲のひとつ、op133の冒頭の『暁の歌』






別の観点から、次のような言い方もある。古井由吉は、カオスのなかに秩序をつくるということではなく、リアル(現実界)に直面したときに、それに耳を塞ぐために、音楽を聴くのではないか、という意味に受けとれる文章を書いている。もっともドゥルーズ&ガタリは《リトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか》と書いていることを忘れているわけではない。

騒音に押し入られるままになっている人間にとって、ときたまはさまる静まりこそ、おそろしい。静まりとは言いながら内に狂躁の、おもむろな切迫のようなものをはらむ。内にふくらみかかる狂躁を出し抜くためにも、外へ向かって自分から躁がなくてはならない。取りあえず喋りまくる。人がいなければ何でもよいから音を立てる。誰もいない部屋にもどるとまずテレビをつける。まさに、沈黙を忌む、である。耳を澄ますのも、沈黙を招くおそれがあるので、よほど用心しなくてはならない。人との話によけいな間を置くのも、お互いに沈黙の中へ惹きこまれそうになるので、あぶない。

これでは耳の上げ底どころか、心の上げ底になる。道理で物を深くは感じ止められないばかりに、深く思うこともできなかったはずだ。そのことは自嘲して済ますとしても、そうなるとしかし、今の世の男女の交わりは、お互いに沈黙をふせぐための、躁がしさの交換になるはしないか。死者たちのもとまで通じるような沈黙の中へぽつりぽつりと滴る、睦言や兼言や怨言は、絶えて久しい。(古井由吉『蜩の声』)

 あるいは。
音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。

ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。

しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉『哀原』赤牛ーートラウマを飼い馴らす音楽

ある種の音楽を聴きつづけるには、《よほどの神経の鈍磨が必要》であるには相違ない。

《If we make music and listen to it,. . . it is in order to silence what deserves to be called the voice as the object a".( Jacques-Alain Miller, 1989 cited in Dolar, 1996)》-- Mladen Dolar,”The Object Voice”

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object.(……)

The true object voice is mute, "stuck in the throat," and what effectively reverberates is the void: resonance always takes place in a vacuum—the tone as such is originally a lament for the lost object.— ---Zizek"I Hear You with My Eyes"――「「声」と「沈黙」

音楽が《沈黙と測りあえるほど》(武満徹)のものであるなら、つまり現実界の沈黙の声に耳をすますことを促すものであるならば、どうやって絶え間なしに聴きつづけることができよう。

たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』 「音の輪が回る」ーー音と沈黙の「地」と「図」

◆Glenn Gould PIANO SOLO(ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)より。

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。
美は耐えがたいものであり、また不寛容なものでもある。美は容赦なくわれわれの視線をさぐり、音を聞こうとする耳を誘惑し、待機中の言葉をつかみかかり、電撃と緩慢さを交錯させる。美はみずから充足し、わたしたち抜きで存在するのだが、それでいて嫌になるほど執拗に呼びかけ、こちらにはわかるはずもない答えを要求する。<パルティータ>第六番の冒頭の数小節からは、あの苦痛をともなう喜び、あのわれわれを分割する瞬間的な光、リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」が感じられる。完成しながら消えてゆくなにかだ。アルペジオで奏される単純な和音は、ほとんど無に近くも、安定し厳格で簡素な構造となっている。それが開かされるのは、われわれを切り開くという理由だけのことからだ。意図も計算もなく、自身をもって切りつけてくる身振りだ。メスのような冷たさで、音楽の肉体とひとつになった肉体、わたしの肉体めがけて曲線を切りつけてくるのだ。

グールドは連続と切れ目が同時に見いだされるアーティキュレーションのもとにあの数小節を弾いた。そこには長いこと気がかりを見すえ、自分自身の裂け目を真正面から受け止めようとしてきた人間の無頓着な手つきのたしかさがある。
グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。


だがグールドのバッハ演奏には事物の謎めいた明証性――われわれからはなにも期待せず、われわれに欲望や記憶があるとは夢にも思わないでいる事物の明証性がある。そのとき音楽は耳に聞えてくるものではなく、われわれを聞くものとなる。

グールドによるバッハの<トッカータ>の演奏はこうしたものだ。この音楽は、耳をそばだてわれわれのことを聴きながら、しかも音楽それ自身しか聴いていない。そのとき人が受け取ることになるのは、親密さをことごとくそぎ落してしまった音のもつれであり、凍てついた微かなフレーズの光であり、手が摑むのは、ひろげた両方のてのひらに入る分量の沈黙なのだ。

だが依然として音楽であるには違いない。あらゆるものにもまして力強く、あらゆるものを横断してやってくる音楽、別の時間と別の場所から洩れて聞えてくる音楽。年老いていると同時に年齢のない音楽。信じがたいほどに音楽それ自体にぴったり調和した音楽。この音楽のなかには取り返しのつかぬなにかが存在している。そのなにかが前進する。むきだしの裸であって、恩寵はやってこないだろう。なおも夜のなかの声だ。消滅に抗して発せられる声、消滅そのものの声だ。その声はなんと忍耐強く執拗なのだろう、そしてこの音楽はなんと疲れを知らぬことか、もはや歩くことができなくなったようにして足を大地に引きずり、眼を天空にさまよわせながら前進するこの音楽は。


◆ジャン・ジュネ『ジャコメッティのアトリエ』 宮川淳・訳

美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を 去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。だから、この芸術と、ひとびとが悲惨主義と名付けるものとは、はるかに隔たっている。

ジャコメッティの芸術はあらゆる存在、のみならず、あらゆる事物のこの秘められた傷を見出だそうとのぞんでいる。この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんがために。私にはそう思える。




もちろん、われわれ「俗物」は、つねに彼らのようでありうるわけではないだろう。音楽や彫刻だけでなく、文学だってときには慰安の芸術が必要なのだ。

俗物(philistine)は成熟した大人であって、その関心の内容は物質的かつ常識的であり、その精神状態は彼または彼女の仲間や時代のありふれた思想と月並みな理想にかたちづくられている。(……)「ブルジョア」という言葉を、マルクスではなくフロベールの用例に従って私 は用いる。フロベールの意味での「ブルジョア」は一つの精神状態であって、財布の状態ではない。ブルジョアは気取った俗物であり、威厳ある下司である。

順応しよう、帰属しよう、参加しようという衝動にたえず駆り立てられている俗物は、二つの渇望のあいだで引き裂かれている。一つは、みんなのするようにしたい、何百万もの人びとがあの品物を褒め、この品物を使っているから、自分も同じものを褒めたり使ったりしたい、という渇望である。もう一つは排他的な場、何かの組織や、クラブ、ホテルなどの常連、あるいは豪華客船の社交場(白い制服を着た船長や、すばらしい食事)に所属し、一流会社の社長やヨーロッパ の伯爵が隣に座っているのを見て喜びたい、という渇望である。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

「成熟した大人」であるならば、慰めばかりの音楽を選び、いつまでも聴きつづけることができるのだろう。次の文はべつに女性だけの話ではない。

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」

つまりはこういうことだ。

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

ーーもちろんここでの「凡庸」とはナボコフのいう「俗物」性のことだ。


…………

夜のこわさ。夜でないこわさ。
ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくていい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない。おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。……………カフカ(高橋悠治『カフカ/夜の時間』より)
ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日

カフカは、ギムナジウム時代、ニーチェを読んでいた。《ぼくらの内の氷結した海を砕く斧》とは、たとえば、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」に、《かれの心の氷が割れた》という表現がある。

あるいは、あらあらしい断崖と断崖の間に立っていたツァラトゥストラは、喉に匐いこんだ蛇のため、《のたうち、あえぎ、痙攣し、顔をひきつらせている》若い牧人を見る、そしてツァラトゥストラの絶叫の声、《蛇の頭を噛み切れ。噛め!》――命令どおり噛み蛇の頭を吐き出したあとは次のように書かれる、《それはもはや牧人ではなかった。人間ではなかった、――一人の変容した者、光につつまれた者だった》

この箇所も同じように、《ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないか》との照合がある。



                                      [Prague]August 28  1904]


現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオやテレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。

これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。(大岡昇平『常識的文学論』)




2013年11月10日日曜日

ショパン派/リスト派

ピアニストを二つに分けると、ショパン派、リスト派があって、内田光子はショパン派だと言っているそうだ。「ショパンの作品ではそれぞれの音がとても重要で考えられている」

どちらでも派が多いのだろうし(とくに聴き手は)、それが悪いわけではない。

ショパンだって、たとえばマズルカ派/ピアノソナタ派(あるいは《革命》やら《英雄ポロネーズ》やらのわたくしには頭が痛くなる曲派)があるだろう。

十代のころは、バッハ(あるいは一部それ以前の宗教曲を含む)/その他の音楽派気味のところがあったのだけれど。

――というわけで、「それが悪いわけではない」のではないと書いているようなものだが、いやそんなことはない、たんなる趣味の問題であって……以下略。

たとえば、シューベルト派/シューマン派とかベートーヴェン派/モーツァルト派などとは決して言い難い(少なくともわたくしには)。




※ピアノ伴奏を除いてディスカウの歌声だけなら、1956年ザルツブルクコンサートの実況録音も捨て難い。



ところでショパンでさえ、こういう言い方がある。

サロンはもともとスノッブなしでは成立しない(……)。ショパンがサロンの人間だったということは、彼が芸術を自分の本心を打ちあける手段と考えることから、遠く離れていたという意味である。彼は、人間の間にまじっている限り、言いたいことの大部分は言わずに生きていた。彼は「友人としての人間」を信じず、また信じないでもすませられるようなエチケットの確立したソサイエティにまじって、非の打ちどことのない挙止の中に身と心を包んで、生きていた。(……)
ショパンは、きき手を、より敏感にする。ショパンの音楽は、元来がそれほど音楽的な人でもなく、また音楽がなければ生きられないといった習慣のない人をも、その音楽をきいている限り、音楽の魅力に敏感なきき手にかえる力をもっている。

……いずれにしろ、私たち日本人には、全体の一見単調な反復の中に、細部の微妙な変化、洗練、巧緻といったものを、かぎつけ、見出し、それを享受する能力が発達しているというのが、私の考えである。(吉田秀和『私の好きな曲』)

《黒鍵》とか《告別》とか《木枯し》とか《革命》などとあだ名されるものは、妥協の産物であって、《誰に妥協したのか? 大衆の好みへのそれであり、出版社、あるいはピアニストの好みへのそれである。(……)ショパンを、ベートーヴェンより深刻なものとうけとったり、シューマンよりすぐれた芸術家とみることは、私にはどうしてもできない。(……)ショパンは精神の問題を避けて、芸術をつくりすぎた。》

もっともリストに比べればまだましだ、ともいう。
ショパンは、生活の次元での他人への思いやりという点では、どうやら、あまり寛大な人ではなかったらしいが、それは彼の心情の偏狭さ、冷酷さ、あるいは自己中心主義よりもむしろ虚弱な健康が許さなかったのと、彼の心情の貴族性というか精神的集中度の非常な高さが、人々のありふれた考え方に応じて周囲をみることを許さなかったという事情によるのかも知れない。(……)その点で、ショパンは、たとえばリストと極端にちがっていた。リストは、あまりにも他人の好むところがわかりすぎ、それを無視して、自分を忠実に守る力が弱すぎた。それにまた、あまりにも「成功の味」を知りすぎていたので、それに酔いすぎ、それから離れることがむずかしすぎた。

いやリストだって最晩年には他人の好むところから離れて作られた曲があるぜ、――と書いておこう。

しかしわたくしの好みの曲と毛嫌いしている曲とを同時に好むなどという人があると、コイツ、オレの好みの曲の上っ面しか聴いてないんじゃないだろうか、とヒソカに呟くことになり、ことによると、アバヨ! ということになりかねない。いずれにせよ、個人の好みをひとにあまり押しつけるべきではない。


《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎 の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざま な享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ーー今、わたくしの書いている文章は、リスト好きにとっては、威嚇作用になっているはずだから、読んだらダメだぜ

プルースト曰く、

《あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、(……)われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。》

あるいは、《彼がききとったそれほどたいせつではない部分の「美」は、もっとも奥深く秘められた美があきらかになったとき、彼から離れ、逃げ出してしまった》と。

おい、そこのきみ、きみはそれほどたいせつではない部分の「美」を聴いてるだけじゃないかい? というわけだ。

私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。(プルースト「花さく乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)
……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

ところで演奏家だって、たとえばジャズだったら、モンク派/オスカー・ピーターソン派とかがある(繰りかえせば、これも趣味の問題なのであって、クリフォード・ブラウン派/マイルス・ディビス派など言う人があっても、こっちの方はまったく肯んじえない)。

ヤクザの親分派/堅気派の二分法だってある。

ドビュッシーの前奏曲集の演奏比較で、ポリーニは「いい人すぎる」とか、ミケランジェリを「ニコリともしない」やら、サンソン・フランソワを「デカタン」とか、ミシェル・ベロフを「ネクラ」等々、青柳いずみこ氏が書いているが、この感じはやっぱりかなり当っているんじゃないか。とくにポリーニの「いい人すぎる」ってのは絶妙だな、ほかの曲でも。もっともこれらはおおむねある時期のある演奏に限ってであって、たとえばステージで脳溢血で倒れてそのあと復活してからのミケランジェリは、音楽する喜びに溢れていて「ニコリともしない」どころじゃない、病気の前だって、マズルカなんてのは情感あふれて冷たい完全主義者どころじゃない(たとえばOP33-4)。ヤクザの親分の器だね。





… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)



さて冒頭に戻れば、内田光子はシューマンの作品133を最近弾きだしたようだ。七十歳になったらバッハの平均律をやりたいとも言っている。

シューマンだって最晩年のこの曲・練習曲派/なんだかガチャガチャ聴こえる派があるだろうな(たとえばよく弾かれる幻想曲はオレにはどうもダメだ)。失礼! またたんなる趣味の話だよ


「シューマンへの愛の表明は、ある意味 で、今日、時代に『逆らう』ことで、責任ある愛でのみ可能である。社会的命令によってではなく、自ら望んでシューマンを愛することは、主体に自分の時代に 生きていることを強く自覚させることになる。」(ロラン・バルト)






《音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる》








内田光子のこの録音を最初聴いたときは、左手の和音が重いなとか和音の中音の響きが強すぎるとか、あるいは右手で軽やかに歌うべき箇所の歯切れが悪いなどと感じたのだが、何度か聴くうちに、左手の和音の重さの深淵から突如閃光として煌めくソプラノの飛翔が際立つ印象を生む箇所に魅惑される(第二曲の中盤はことさら)。このところアンデルジェフスキの演奏がお気に入りで、いまのところ乗り換えるつもりはないが、内田の演奏の左手の沈潜したやや濁った響きとゆらめく閃光の輝きの対照は独自の魅力をもたないでもない(それにしても、第三曲は濁り過ぎてほとんど聴くに耐えないのだけれど、ウチダさん?ーーPCスピーカーが悪いのかな、重低音が響くボーズだからな)。内田光子は最近のコンサートのプログラムの最終曲で、この作品133の第一曲「暁の歌」を演奏しているようだ――ちょっと待てよ、第四曲は内田がいいかもな、アンデルジェフスキよ、この曲に限ってはちょっと軽すぎるんじゃあないか?ーー、まあ細かい話はこの際どうでもよろしい。この作品133を愛する演奏家に強い好感をもつということだ(しかしたとえばHélène Boschiのように暁の歌の最初の音を不器用に入ってもらっては興醒めだということはある)。


ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』(暁の歌)の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)






「暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。」(ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ


痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』) 




シューマン--「はるかな解放へのあこがれが、抑圧されたものの素朴なゆめへの共感としてあらわれる」(高橋悠治)

死なずに生きつづけるものとして音楽を聞くのがわたしは好きだ。音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。《遠くからやってくるように》、シューマン(<ノヴェレッテ>作品二一の最終曲、<ダヴィッド同盟舞曲集>作品六の第十八曲)あるいはベルク(<ヴォツェック>四一九-四二一小節)に認められるこの指示表現は、このうえなく内密なる音楽を指し示している。それは内部からたちのぼってくるように思われる音楽のことだ。われわれの内部の音楽は、完全にこの世に存在しているわけではないなにかなのである。欠落の世界、裸形の世界ですらなく、世界の不在にほかならない。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド PIANO SOLO』)




2013年10月2日水曜日

音と沈黙の「地」と「図」

音がきこえはじめたとき音楽がはじまり、
音がきこえなくなったとき音楽がおわるのだろうか。
音楽は目に見えないし、なにも語らないから、
音のはじまりが音楽のはじまりなのか、
音のおわりが音楽のおわりなのか、
音楽のどこにはじまりがあり、おわりがあるのか
さえわからない。

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』4 「めぐり」)


たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー同16 「音の輪が回る」

高橋悠治が沈黙について語るとき、
きっと武満徹の言葉を思い出しているに違いない

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)
私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態(同上)

もっとも
武満徹のことばはそのまま信じるには美しすぎる
との疑いを持ちながら

武満自身がことばのひとだった。スケッチブックにさまざまなことばを集めながら作品の構想を得ただけでなく、自分の音楽についてもたくさんのことばを残したために、武満を論じた他人の文章のほとんどは、それらのことばを論じているか、それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている。

かれが自分の体験について語ったことばも、たいへん魅力的だが、真実であるにはあまりにうつくしい。かれが自分と自分の作品のまわりに織り上げた伝説にとらわれずに、このひとを語るためのことばは、まだ存在しない。もし、かれの音楽がこれからも忘れられずにいれば、ことばに覆われているかれの生と音楽を解き放つ考証も、いつかは可能になるだろうか。(武満徹の「うた」 高橋悠治

沈黙に耳をすます武満徹はアレグロを書けなかった

「二つの作品」、と言っても3曲の未定稿があり、いたるところで音を訂正しかけたまま放棄されている。アレグロの音楽を書こうとして苦しんでいたらしい。始め と終わりのある「音楽」らしい音楽を書こうとして、始めることはできても、終わりにたどりつけなかったのかもしれない。

「二つの小 品」、またアレグロ。すぐ終わってしまう。やはり、一つのはじまりだけでアレグロを書くことはできない。アレグロとは速度ではなく、擬似的二元性だから、 元気よく走り出すためには、元気なく取り残されるものを必要とする。これをソナタ形式と呼んでもいいが、それこそ近代的父権主義の音楽でなくてなんだろ う。武満は、幸か不幸か、アレグロを書くことができなかった。

それにつづくのは、のちに「二つのレント」の第1曲になるものの発 端。これは何回と無く書きなおされて、完成された版は、批評家の山根銀二に「音楽以前だ」と言われたほど、このフレーズのまわりをひたすらめぐる。対立を もたないことは、構成をもたないことではないが、ドイツ的音楽観は対立と闘争を絶対視する。

レントは、武満の身体が受け入れることのできた音楽の時間だった。ピアノで一つ一つの和音の響をたしかめる作曲家の身体。さまよう手がさぐりだ した響の余韻に立ち止まりながら、時には激しくぶつかる音程を打ち込んでみる。(同上)


音と沈黙は、どちらが地で図なのだろう
これが高橋悠治の問い(のひとつ)だ

そして《答がある問いは ほんとうの問いではない》

質問してはいけない
  なぜなら と師は言われないが
            わからない者がする質問は
           その水準での誤解にもとづいている
 それに応えれば その水準から出られなくなる
     そしてわかれば 質問してもむだだとわかる
 質問はなくなっても 問いはのこる
        あるいは答のない問いだけが生きつづける

ーー3月の練習  高橋悠治

《沈黙は音と限りなく接していて、 音が次第に微かになり、消えていくとき、 音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。 逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、 ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。》

ーーこの問い
だがそこに中井久夫の「記号」、「徴候」、「余韻」の問い
と近似したものをわたくしは読んでみたい誘惑に駆られる

「この世界が、はたして記号によって尽くされるのか。なぜなら、記号は存在するものの間で喚起され照合され関係づけられるものだからだ。」「世界は記号からなる」という命題にふと疑問を抱いた。

「いまだあらざるものとすでにないもの、予感と余韻と現在あるもの―――現前とこれを呼ぶとして―――そのあいだに記号論的関係はあるのであろうか。」「嘱目の世界に成立している記号論と、かりに徴候と予感や過去のインデクス(索引)と余韻を含む記号論があるとして、それを同じ一つのものというのは、概念の過剰包括ではないか。そのような記号論をほんとうに整合的意味のある内容を以って構成しうるのか。ひょっとすると、スローガン以上にでないのではないか。」

「ではどういうものがありうるのか。」「世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するとことでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界である。これをプレ世界というならば、ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平線に明滅しているものほど、重大な価値と意味とを有するものではないだろうか。それは遠景が明るく手もとの暗い月明下の世界である。」(中井久夫「世界における索引と徴候」)

だが高橋悠治の問いからは
安易に記号を音とすることさえできない
ましてや徴候と余韻を沈黙とするなど
あまりに単純な頭脳のなせる技
だろうか?


《予感というものは、……
まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして
息をひそめているという感覚である。
むつかしいことではない。
夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。
(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、
残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。
驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと
安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。》(中井久夫「世界における索引と徴候」)

音楽を聴くとき徴候と余韻を楽しむ
ということはたしかにある
それがもっとも貴重なもの
だと錯覚に閉じこもることがある

あるいは、ロラン・バルトのいう「ゆらめく閃光」

その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(『明るい部屋』)

ただし、こう語られるのは、いわゆる「写真論」のなかである


ところでジジェクによれば
ラカンは、沈黙は「図」で
音は「地」である、と語っているらしい

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object. When the intricate musical tapestry disintegrates or collapses into a pure unarticulated scream, we approach voice qua object. In this precise sense, as Lacan points out, voice and silence relate as figure and ground: silence is not (as one would be prone to think) the ground against which the figure of a voice emerges; quite the contrary, the reverberating sound itself provides the ground that renders visible the figure of silence.

ーーSlavoj zizek, "I Hear You with My Eyes"; or, The Invisible Master

もっともこれはジジェクの「自由間接話法」であり
ラカンがどこで語っているのかは探しだせないでいる

地と図についてはいろいろ語られてきた

「地」と「図」が基礎的であるとしても、それらが相互に反転してしまうことを禁止できないところにある。最も基礎的な与件である「一つの地の上の一つの図」ということの決定不可能性が疑われないのは、現象学的方法の限界である。(柄谷行人『隠喩としての建築』)




ジジェク=ラカンの主張も、
わたくしたちの「常識」を覆すものとしてのみ捉えるべきで
つねに「地」と「図」は相互に反転する
ウィトゲンシュタイン「うさぎ─あひる図」の話を想起してもよい

ウィトゲンシュタインは言う。私たちはこの図を、うさぎの頭としても、あひるの頭としても見ることができる。つまりこの絵は、二つの(そしてそれ以上の)異なる「アスペクト」で見られうる。しかし私たちは、いま自分にその図がどのように見えているかを、その図を描いたり、模写したりすることによっては示しえない。(平倉圭「バカボンのパパたち」

音楽においてもっとも美しいものは沈黙である、とアンドラーフ・シフはいう
すぐれた音楽教育の場でしばしば言われてきたように
「間」を聴くこと、「沈黙」を図とすること?





ここではあえて「間」と「徴候」「余韻」の作家
ヴェーベルンについては触れない
とくに何度か引き合いに出した初期のOP.5については
だれかが、吉田秀和やブーレーズが、似たようなことを語ったから
《それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている》のかもしれない
ウェーベルンはOP.5を後年オーケストラ用に編曲しているが
わたくしにはその長びく余韻、切れ味のなさにほとんど耐えられない
指揮者、演奏にもよるのだろうが、耳をすます態勢が殺がれてしまう


齢を重ねるにしたがって
大きな音に耐えられなくなり
アンダンテやアダージョ、レントの曲を
好んで聴くようになっている


もっともあるいは爆音かつアレグロの曲を聴いても
ホワイト・ノイズを聴く瞬間がひとにはあるだろう

60年代のミニマル・ミュージックは、
西洋楽器や民俗楽器で単純な音形を反復し、
それらの重ね合わせがモワレ効果で
意識をトリップに誘い込むといった
「知覚の現象学」を追求したが、
テクノミニマル・ミュージックは、
正弦波や白色雑音[ホワイト・ノイズ]といった
もっと基本的な要素を反復し、
正弦波同士が相殺しあって無音に聴こえるといった
「知覚の機械学」を追求する。
それは20世紀音楽が最後に到達した文字通りの零度なのだ。》(浅田彰

《砂や頁岩を洗い、
流木や防波堤に砕ける水の無限の変奏を捉えるためには、
思考速度を落とさなければならない。
それぞれのしずくはどれも違った音高で響き、
尽きることなく供給されるホワイトノイズに、
波がそれぞれ異なったフィルターをかける。
断続的な音もあれば、連続的な音もある。
海では、両者が原始の調和の中に融和している。》
マリー・シェーファー:作曲家、サウンドスケープの創始者、鳥越けい子他訳)


 ……たとえば、幻聴であるが、まず、幻聴はふしぎなものであるといっても、人間の神経系には幻聴を起こす能力が備わっている。たとえば、ほぼ一定の間隔で同じ音をボツボツボツと聞かせると、ただの音に聞えては次には言葉に聞こえ、またただの音に聞こえるということを繰り返す。また、外からの音がなくても、頭の中には血の流れる音が本来はやかましく聞こえているのを、フィルターをかけて消しているので、非常に静かな環境ではこの音が聞こえる。年をとってフィルターの力が弱まると、これはドクドクという耳鳴りとして聞こえるようになる。それが時々声になることは多くの老人が経験している。

しかし、こういう幻聴は「大丈夫ですよ」でお終いになる。幻聴が恐怖や不安を生むのは、それが不思議だからだけではない。何に対する警戒かわからないでしかも警戒心が高まっている状態が土台になっているからである。そういう時はすべての感覚が鋭敏になっているので、舌の先に赤いブツブツが見えたりする。これは味覚が鋭敏になっているのである。しかし、特に聴覚が敏感になるのは、聴覚が元来ウサギのように警戒のための感覚だからである。そうすると低い完全雑音(ホワイトノイズ)を拾って言葉として聞いてしまうのは、上に述べた幻聴を起こす能力による。実際、無意味な音を無意味なまま聞き流すほうが脳には無理なのである。深夜の静かさを無数の音がひしめいているように聞いてしまう、アレである。この場合、頭の中なのか頭の外なのか、区別がそもそもつかない。人間の精神は起こる感覚が内のものか外のものかを区別するようにしているが、いつも間違わないとは限らない。特に完全雑音の場合は内外の区別が難しい。それがどういう言葉になるかは、多分、その時に考えるともなく考えていた事柄と関係があるのだろう。深刻な幻聴もそうでない幻聴もあり、暗い内容もあるが明るい内容もあるのはそのためであろう。(中井久夫「症状というもの」『アリアドネからの糸』所収)


シューマンの幻肢としての音もある

《人間の足 でも手でもいんですけど、
事故や戦闘などで切断したあとで、
幻肢痛というのがあって、(……)幻肢痛というのは、
存在しない身体器官の先端が痛 んだり疼いたりするという感覚のことで、
ベトナム戦争の戦闘で身体器官を失った人が、
もう無いはずの左足の先端が痛いといったようなことがよく書かれていました。
これは、つまり人間の身体が外形的な物理的存在として、
自分の頭脳なり感覚のなかで統合されている、
という考え自体が実は幻想に過ぎないのかもしれない、
ということを考えさせます。
身体とは、存在しない自分の肉体をも
同時に引きずっているようななにかだ、ということ》



痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。

ーーミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫 訳) 


シューマン研究者でもあるチェリスト
スティーヴン・イッサーリスのバッハ・サラバンド





数々の名演はある
ロストロポーヴィチ
など

わたくしは少年時代、最初にフルニエで聴いたのだが
このサラバンドに関してはもう聴くことは難しい

ロシア人たちの演奏は素晴らしいが
響かせすぎるところがあると最近は感じる

ヨーヨーマは練習風景の映像で
より優れたものがあったはずだが
いまは探しだせないでいる


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕


上で問われた得体の知れないものは、もちろん「沈黙」である

そして厄介なのは「得体のしれないもの」生み出す技術を獲得したにしろ
受け手がそれを感じとる耳をもっているかどうかはまったく別の問題であり
人びとは驚くほど馬鹿になっています」の時代ならば
そんな「得体のしれないもの」はうっちゃって
次のように叫びたいヤツがほとんどだということだ

聴衆は言う。「何という個性、何という大胆さ、何という芸術家、何というピアニストなんだろう!」。ソナタの演奏がへたくそなことは言わずもがなだが、誰もそんなことは気にもしない。そもそも、ほとんど曲を聴いてはいないのだ。(アファナシエフーー青空のさなかで耐えること

もちろん以前もそうだったのだろう
だが現在はいっそうじっくり聴くことが少なくなって、
「名前」でのみ語るようになってきているはずだ

いわゆる文化の大衆化現象は、たんなる量的な変化をいうのではなく、芸術的な記号の流通形態の変化なのである。(……)そのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。(大衆が芸術作品を讃美するのは)みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

オレもひとのことは言えないが叫ばないようにだけはしているつもりだ

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

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《ソレルスによれば、何年か前あるフランスの若者のグループが、わざとランボーの「イリュミナシオン」をコンピュータで打ち直し平凡な作者名をつけてフランスの幾つかの主要な出版社に原稿を送りつけたらしい。新人の詩人が出版の是非を打診したみたいに。結果は予想どおりすぐに出た。全員が「拒否」!》(鈴木創士)