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2013年4月30日火曜日

興味深い人物


いや、実に興味深い人物だ
やめられないね

私はあなたを騙しているのは、探偵が殺人者を待ち伏せし、公式に従って、殺人者のメッセージをその真の意味において、すなわち、反転された形式で、送り返す点から生じる。探偵は殺人者に言うーーここで私はあなたを騙している。あなたがメッセージとして送っているものは私があなたに表明していることであり、そうすることによって、あなたは真実を語っているのである。(ラカンのセミネールⅩⅠからだが、いくらか編集)


 フロイトやラカンは探偵小説の熱心な読者だったらしいが、彼らは探偵たちの天才的推理だけを愛したわけではないので、その傍らの凡庸な脇役、つまり警察署長やら、あるいは助手的な役割を担う人物(ホームズにとってのワトソン、ポワロにとってのヘイスティング、等々)の役割に注目している。


あれら興味深い人物の発話は、ワトソンのようだぜ
残念ながら、自らはそれに気づいていないようだが
いやそれだからよりいっそう役に立つ
つまり、助手は探偵に情報を提供するが、助手自身はその情報の意味がまったくわからない
このなにもわかっていない「助手」がオレにも必要でね


探偵は誤った見解を、真理に到達するためには捨てなければならないたんなる障害としては捉えているわけではなく、むしろ、その誤った見解を通してはじめて、彼は真理に到達するのだから。――つまり、《真理へとじかに通じる道はない》(ラカン)

《アガサ・クリスティの作品の一つで、ヘイスティングはポワロに、自分は日常的な偏見にみちたただの凡庸なありふれた人間だというのに、ポワロの探偵の仕事にとってどのように役に立っているのか、と尋ねる。ポワロはヘイスティングに、それだからこそ、つまりドクサの領域とでも呼びうるものーー自然な一般的見解――を具現化した凡庸な人間として、ヘイスティングを必要としているのだ、と答える》

――まあこういった具合で、興味深いのだよ


そしてヘイスティングより一層好ましいのは
自分は日常的な偏見にみちたただの凡庸なありふれた人間だと思っていないところだな


もちろんオレもある領域では、ヘイスティングの役割を担っているわけだがね

いやもっと正確にいえば、

《他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか》(中井久夫「世界における徴候と索引」)

ーーというわけで、お互いさま、と礼節をもって穏やかにいっておくぜ

その「無知」がわれわれを生かしているのさ


殺人犯は、犯行の後、真の動機を隠し、無実の人に罪を着せるような印象をつくりあげることによって、犯行の痕跡を消さなければならない(古典的なトポスーー殺人は被害者の近親者によって犯される。その犯人は、被害者の不意の出現に慌てた強盗の仕業だという印象を与えるようにと、あれこれ細工する)。その偽りの光景によって、殺人者は一体誰を騙そうとしているのか。偽りの光景を演出するとき、殺人犯はどんなふうに「推理」しているのか。それはいうまでもなく、探偵の忠実な相棒に具現化された、ドクサの、つまり「一般的見解」の領域そのものである。したがって、探偵は、自分の目ざましい洞察力と相棒の凡庸な人間性との対照を目立たせるためにワトソンを必要としているのではない。常識的な反応をするワトソンがどうして必要かといえば、それは、殺人犯が偽りの光景を演出することによってもたらそうとしている効果を最も明快な方法で暴露するためである。(ジジェク)

おい、そこのよき相棒よ
逃げ隠れしなくてもよい




2013年4月29日月曜日

デリダのリシャール殺しと蓮實重彦のルサンチマン

蓮實重彦の「大江健三郎殺し」に引き続く。

…………


 まずは、さる、ほどよく「聡明」で「知的」な、と思われる人物の過日のツイート。

『「知」的放蕩論序説』の蓮實重彦「リシャール殺し」のところを読んだけれど、思っていた以上に文脈は複雑かもしれない。蓮實的視点には、ブランショとデリダVSリシャールとフーコー、という構図があるようだ。 pic.twitter.com/iVgatrzjQr

(承前)蓮實重彦が言いたいことはわからないでもないけれど、類稀なる知性を持つ氏は基本的に否定と反動の人じゃないかと思う。誰かを馬鹿として蔑むことでしか自分の聡明さを表現できないから。殺人事件なるものを捏造してデリダ派を殺人者に仕立て上げることでリシャールを擁護する姿勢もその表れ。


別人物)――蓮實といえばアラン・レネdisでデビューしたという、最初からdis芸の人ですよ

@芸の腕はあるんでしょうね。反動と否定のスタイルはドゥルーズがニーチェと共にルサンチマンと呼んだものだけれど。


何も蓮實重彦の人格を云々しようというのでもなければ、彼のDis芸の質が低いと言いたいわけでもない。ましてや蓮實なる存在を抹殺する事件を期待するのでもなければ、その存在を過小評価するわけでもない。蓮實なる説話論的磁場を傍らに押しやれなかった日本の批評の力のなさこそを嘆くのである。

――もうひとつ、蓮實重彦をルサンチマンとする真打のツイートがあったが、さすがに恥ずかしくなって削除したようだ。



まあこの人物がどういう系統の人かよくわからないが、前後のツイートを読むと、ブランショやベケットファンのようで、思想系のツイートをtogetterなどしてしばしばまとめているようであり(たとえばポール・ド・マンやナンシーなど)、それなりの「学究」なのではないか。すくなくともtogetterによるまとめでは、それなりに名の知れた若い「学究」たちの発言にまじえて自らのつぶやきも多く取り入れて並べており、たんなる無名のディレッタント、思想家や文学者の「とりまき」の一人であればそんな真似は恥ずかしくて出来まい。



たぶんブランショを愛するあまり、蓮實重彦ルサンチマン説を語ったのだろうし、微笑ましい存在ではある。――《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)

いずれにせよ、『「知」的放蕩論序説』は、わたくしの手許になく、情報提供には感謝せねばならない。

さっそく蓮實重彦の「リシャール殺し」の箇所を写し取ろう。

……リシャールにあって人を惹きつけるのは、あくまでも流れであって、遠近感覚の形成にはむしろさからっている。というより、かろうじてあるかにみえる領域の襞を浸透によって液化し、見えなくしてしまう。最終的にはそれらの関係が見えてしまっても、そこにたどりつく過程では、眼をつむったまま流れにひきこまれるような印象を持つほかない。おっしゃる通り、確かに「リシャール殺人事件」は、ブランショ、デリダの系譜の中で進行するのですが、実は初期からもっと小さな反論がいろいろ出まして、ジュネットも書いています。それに対して、フーコーが反批判を試みている。「深さの暗喩に魅了された」リシャールが、「水面下のきらめき」をとらえようとしたとして非難されたが、それは誤りだとフーコーはいいます。ここに起こっているのは、いかなる境界も知らぬ言葉の塊だというのです。「まさに諸形式の溶解、それらの絶えざる敗走」を語ることで「言葉の裸形の体験」に迫ろうとする。それがリシャールの問題であり、多くの批判はあたらないというのです。こうして、デリダが問題にする五年くらい前に、フーコーによるリシャールの擁護があって、ある種の心理主義か形式主義に行きつくことのない流塊のようなものの運動について触れていたわけです。とすると、デリダはその擁護を知りつつ、ということは、フーコー批判にも通じるかたちでリシャールを批判する。彼は、リシャールが「ブリ(襞)」というものをテーマにしてしまったのが気に入らないわけです。彼には「あいだ」という主題があって、その「あいだ」には何もない。その「あいだ」にグラデュエーションを設けてしまうのがリシャールであって、そうすると「あいだ」というものも消えてしまう。しかし、問題は、そのような場における殺人ではない。つまりデリダは随分と戦略を持ってリシャールについて書いているんですけれども、そのことも知らずに、もっとも繊細なリシャール的な読み方さえ知らずに文学が語れると思ってしまう鈍感な人たちが、フランスのみならず、日本にもアメリカにも生産されてしまっているということが問題なのです。その生産に、デリダははからずも手をかしてしまい、その責任を、デリダは取ることができない。けれども、倫理は、デリダに取れと要請していると思う。ただ、その要請に関して、デリダは今のところ応えていないし、要請すらなかったことにしているのが、この殺人事件の最大の問題だと思うんですね。要するに、デリダは、「知」の放蕩息子の存在を否定してしまった。しかし、それはみずからが蕩児として振舞っているデリダ自身の否定につながりかねない……(蓮實重彦『「知」的放蕩論序説』)


リシャール殺しについては詳しくないが、蓮實重彦にとって、《文学的にいって僕が進んで影響を受けた人物は二人しかいない。これは隠すまでもないし、しばしば公言していることですが、言葉やイメージにどう接近するかという姿勢において快いモデルとして、ジャン・ピエール・リシャールとアンリ・フォシオンを持っている。問題のたて方とか、方法論といった問題ではなく、対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法を学んだのです》(『闘争のエチカ』)と語られているから、リシャールが敬愛の対象であることは間違いない。

蓮實重彦がリシャールに多く言及するのは、『『批評あるいは仮死の祭典』(1974)の最終章のリシャール論であるがこれも残念ながら手許にない。

いま手許にある『表象の奈落』所収のデリダ論、『「本質」、「宿命」、「起源」』において僅かながらの言及があるが、そこには初期デリダの「力と意味」(1963)に触れつつーージャン=ピエール・リシャールの『マラルメの想像的宇宙』は1961年に刊行されているーー、デリダが書く《文学の批評は、あらゆる時代に、本質によって、また宿命によって、いつも構造主義的である》という文をめぐって書かれる。

この文は、伝統的なイデアリズム批評、――「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える先行論」、その「神学」的たることをまぬがれぬこの「伝統批評」の観念論批判としての「構造主義的」であることの擁護としてとりあえずは読むことができるだろう。

しかしそれは単純なものではない、

《「文学の批評は、あらゆる時代に、本質によって、また宿命によって、いつも構造主義的である」と書くことには、いまなお人類によって大がかりに共有されている「神学」的な治癒への祈願をあらかじめ封印する機能がそなわっていたといえる》とはいえ、《その程度の機能しか想定せずにテクストを書き綴るほどデリダが低次な論争的主体ではないことを、人はよく承知している》と蓮實重彦は書く。


そしてデリダの「構造主義的批評」を批判=吟味する文が、――デリダ自ら「未来の思想史家の視点」をフィクションとして想定し、その歴史的な視線が何を見落とすかを指摘することから始まる戦略性をもってーーとされるが、その高度な戦略的文が引用される、

たぶんあすの日には、人はこれをふとした逸脱とは呼ばないまでも、力それ自体の緊張としての力への注意集中のさなかに起こった一つの弛緩現象として解釈するだろう。力を、その内部において把握する力をもはや人が持っていないときには、形式が魅了する。

こうしてデリダのリシャール批判=吟味をめぐる言葉が引用されつつ、次のように書き綴られる。

 《『マラルメ』の著者ジャン=ピエール・リシャールの構想する「構造的な《透視図》」は、「古典的な歴史の決定ずみの全体性」とは異なるといえ、なお「形式」による中和作用をこうむることで「力が退いていったあとの全体性」たらざるをえないと断定する主体》は、《リシャールの『マラルメ』を「本質」と「宿命」によって「構造主義」的たらざるをえない「文学の批評」と見なしている》――、いやこれでさえ果たしてこう語っている主体はデリダだろうか、あるいは未来の思想史家なのか、と、読者は、蓮實重彦とともに、虚空をまさぐる宙吊りのもどかしさに耐えざるをえないのが、デリダのテキストというものである。


しかしながら、いずれにせよ、蓮實重彦はリシャールから《方法論》ではなく、《対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法を学んだ》とするのだから、それがデリダ本人であろうと未来の思想史家だろうと、デリダのテキストにおけるリシャール吟味の「力が退いていったあとの全体性」という言葉には、異議を呈せざるを得ない立場にあることは窺われる。もちろん、冒頭近くに引用された『「知」的放蕩論序説』のフーコーのリシャール擁護の言葉、「まさに諸形式の溶解、それらの絶えざる敗走」を語ることで「言葉の裸形の体験」は、蓮實重彦の「対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法」と共鳴する。


蓮實重彦の「テーマ論」的な読み、それは作者の意図によって限定されたコンテクストの中では仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせることにある。これが意味の戯れ、無数の意味の闘いの場、「表層」を愛撫する愛の技法といわれるものだ。その見事さはわたくしの知るかぎり『夏目漱石論』に著しい。

蓮實重彦はことあるごとに私はデリダ派ではない、とは語る。

しかし、《いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……》(デリダ「署名、出来事、コンテクスト」)を引用しつつ、こうも書かれるのだ。

私はいわゆるデリダ派に属する人間ではないが、この「いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され」たというエクリチュールの「孤児性」という概念には深い共感をいだかざるをえない。その「孤児性」なくしては、仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせることとしての「読むこと」は成立しえないからである。(「『赤』の誘惑」をめぐって)

この《仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせること》が、蓮實重彦の悪評?高い「表層批評」なのであり、あるいは「魂の唯物論的擁護」の内実であるだろう。それは『闘争のエチカ』の語りを読めば明らかだ。


……みんな、批評というものを解釈だと勘違いしてしまったんですよ。解釈といったって、形式を読むこともしなければ、ましてや魂の唯物論的な擁護などと思ってもみない。共同体が容認しうるイメージへと作品を翻訳することを意味の解釈だと思っちゃった。(……)  批評の第一の役割は、作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げることであり、それを閉ざすことではない。ところが、みんな、無意識に意味生成の場を狭めればそれが主体的だと思ってるんです。僕はそれを可能な限り豊かなものにすることを一貫してやってきた。べつに、意味を無視したわけじゃあないんです。読むことって、無数の意味の闘いでしょ。表層というのは、その闘いの現場であるわけです。解釈が始まるのは、その闘いの現場を通過してからの話でなければいけない。



魂の唯物論的な露呈をさまたげているもの、それはイメージです。観念といってもよい。つまり、表象可能なものによってしか批評が支えられていない。ここで魂というのは、いささかも宗教的な意味はないし、また、プラトニズム的な色彩も含んではいないものです。むしろ、ドゥルーズのいうアンタンシテ(強度)に触れて具体的に他となる部分が魂であって、唯物論的というのは、たんなる物質というのではなく、肉体的な運動、つまりアクションを必然化するものなのです。宗教やプラトニズムの残滓が、魂の唯物論的な露呈をさまたげているというべきなのです。その意味で、現代の批評は、宗教的でプラトニズム的だとさえ言えると思う。

僕が表層批判ということを、あえて誤解を覚悟でいったのは、そうした現状にいらだってのことです……。 (批評をめぐって(蓮實重彦)―――『闘争のエチカ』より

…………

《殺人事件なるものを捏造してデリダ派を殺人者に仕立て上げることでリシャールを擁護する姿勢》と書く冒頭の研究者だか編集者だか、あるいはそれ以外か、ただ思想、文学好きの人物だけなのか、そのあたりはうかがい知れないが、これらを読めば、それは誤解であることがわかるだろう。

わたくしも、どちらかというと「愛」の人であり、蓮實重彦を《類稀なる知性を持つ氏は基本的に否定と反動の人じゃないかと思う。誰かを馬鹿として蔑むことでしか自分の聡明さを表現できない》などとされると、どうもこの人物のいう「ルサンチマン」に陥りそうである。ときに悪口雑言もあるには違いない蓮實重彦の「イメージ」、その「先入観」の暴力のみでこんなことが言われているのではないか、と恋人を貶された初心な若者のように頭に血が昇ってしまう。リシャール殺しのデリダへの反撥を離れて(つまりこれについてはたいしたことを知っているわけではないので文句をいう筋合いはない)、このように一般論として「基本的に否定と反動の人」などと語られると、なぜか《不快な渇きが僕の血管の血をにごらせ》る(ランボー「いちばん高い塔の歌」)。



しかしながらここは大人しく節度をもって、ああいった連中が、蓮實ルサンチマン説を頷き合って喜んでいるのを垣間見つつ、いささかの憐笑を口に浮かべながら、「まぁ、世界というのはその程度のものだと思います」と、蓮實氏とともに諦めの呟きを洩らすだけにしておこう。

蓮實重彦の「大江殺し」をすこしまえまとめたが、おそらくデリダの「リシャール殺し」とは意味合いが異なるとはいえ、蓮實によって「~殺し」と語られるときのニュアンスが彼らにはまったく分かっていないようにしか思えない(ーーなどと文句をいうのは、蓮實重彦への「愛」によって「排他的」になった<わたくし>の苛立ちによると重ねて書いておく)。

殺すこと、それは、《僕は、同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体するということですね。》(『闘争のエチカ』)と語られる。そしてその「大江殺し」、つまり大江の物語の「解体」後、大江健三郎の圧倒的優位を『小説から遠く離れて』で書く、それは、《記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか》(『闘争のエチカ』)の実践であり、かつ「作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げる」<肯定>の人の振舞いである。

『「知」的放蕩論序説』で、デリダの責任と倫理が語られるとき、「リシャール殺し」の後、「知」の放蕩息子の義務を負った蕩児デリダは、リシャールの顕揚でなくてもよい、別の対象なり別の仕方で、なにかを「輝かせる」ことがされただろうか、と語っているようにも思えるが、このあたりも詳しくはわからない。


次の文をどう読むかは、愛の対象の相違によって、異なるのだろう、《デリダは随分と戦略を持ってリシャールについて書いているんですけれども、そのことも知らずに、もっとも繊細なリシャール的な読み方さえ知らずに文学が語れると思ってしまう鈍感な人たちが、フランスのみならず、日本にもアメリカにも生産されてしまっているということが問題なのです。その生産に、デリダははからずも手をかしてしまい、その責任を、デリダは取ることができない。けれども、倫理は、デリダに取れと要請していると思う。ただ、その要請に関して、デリダは今のところ応えていないし、要請すらなかったことにしているのが、この殺人事件の最大の問題だと思うんですね。要するに、デリダは、「知」の放蕩息子の存在を否定してしまった。しかし、それはみずからが蕩児として振舞っているデリダ自身の否定につながりかねない……》

ところで、ニーチェの教えの、《既成の価値の批判を断行》と「ルサンチマン」は識別しがたいとでもいうのか、「既成の価値の批判」を安易に「ルサンチマン」などと語られることはないのか、――「通念となった価値(ドグサ)批判」のコインの表裏でありえる感情は、ときには嫉妬という意味での「ルサンチマン」としてもよい場合があるのだろうか。

あのルサンチマンとはほど遠いロラン・バルトでさえ、何度も<ドクサ>批判をしているではないか。


“ドクサ”(このことばは今後もたびたび登場するはずだ)、それは“世論”であり、“多数派の精神”、“プチ=ブルジョワの全員同意”、“先入見の暴力”である。外観や世論や便宜に適合した話しぶりいっさいを、《ドクソロジー》と呼ぶことができる(ライプニッツから借りた用語)。(『彼自身によるロラン・バルト』)


ときにどうしても守らなければならないものがあれば、ゴダールのように、背中からでも撃つ必要があるのであろうが、そこにも「ルサンチマン」は読みにくい。


デリダのリシャール殺し、蓮實重彦の大江殺し、ゴダールのトリュフォー殺し、あるいはここで唐突に『アンチ・オイディプス』における「フロイト殺し」や「精神分析殺し」を思い出してもよい、それらは、そのときの「時流」、「物語」、「ドクサ」を「標的」として、それが殺す対象だったということなのであり、それは「既成の価値の批判を断行」なのであって、けっしてルサンチマンなどではない。

 山田宏一によれば、ゴダールのトリュフォー殺しは次のようなものではないかと書かれる。
二人の確執はヌーヴェル・ヴァーグという家族の中で起こった兄弟喧嘩にすぎない。「やさしさ」に埋没したトリュフォーをもう一度そこから抜け出させ、かつてのあの「フランス映画の墓堀り人」とまでよばれた批評家時代のトリュフォーの怒りをめざめさせるためには、ゴダールの執拗なまでの憎悪と挑発が必要だったのだ。そのように言う人もいるそうだ。

蓮實重彦の「解説…アイリスに憑かれて」によれば、《そして、葬儀に参列しなかったゴダールの口から何度ももれたフランソワという名前の、ひたすら何かを悔いているような響き。》ーー「〔増補〕トリュフォー、ある映画的人生」山田宏一・著



ゴダールはもちろんのこと、蓮實重彦の振舞いがすこしでも次のようであるかどうか、とくと振り返ってみたらいい。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)


まあ蓮實重彦も口が悪いには違いないので、それはルサンチマンというものではなく、「精神の健康のあかし」なのではないか、と「愛」の人である<わたくし>はニーチェとともに呟いてみる、――《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

あるいはニーチェ=ドゥルーズとともに、蓮實重彦の70年代からの数々の批判、それは小林秀雄であったり大江健三郎、江藤淳批判でもあり、その後にも、村上春樹やら、丸谷才一など、枚挙に暇がないが、あれは既成の価値批判を断行する「ライオン」のようだ、としてみる。


『ツァラトゥストラ』の第一部は、次のような三つの変身の物語で始まっている。
 「どのようにして精神は駱駝となるか、またいかにして駱駝はライオンとなるか、そしてライオンはついに小児となるか」。駱駝とは荷を担ぐ動物である。駱駝は既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担いでいる。駱駝はそうした重荷を担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する。ライオンは諸々の彫像を壊し、重荷を踏みにじり、あらゆる既成の価値の批判を断行する。そしてそのライオンの役目はついに小児となること、すなわち<戯れ>と新たな始まりになること、新しい価値および新しい価値評価の原理の創始者となることである。
 (……)三つの変身のあいだにある断絶は、おそらくまったく相対的なものに過ぎないだろう。ライオンは駱駝のうちにも現存しており、ライオンのなかには小児がいる。そして小児のなかには悲劇的な結末が存在しているのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』)

終生、駱駝でしかありえないほどよく聡明な、つまり凡庸な研究者たちは、蓮實重彦の嘲弄がこたえるにはちがいない。

みんな、文学は教えられないというけど、文学の教育は可能なんです。日本では、文学教育のプロフェッショナルがいなかったというだけのことです。文学部系のアカデミズムがあまりにも弱体だったので、教育が機能しなかったのであり、そのうち、みんががあきらめちゃった。これは、不幸なことですよね。これが有効に機能していたら、いまの批評家の半分は批評家にならずにすんだと思う。自分の趣味とは関係なく、文学の名において、おまえは才能がないと言う人がいなかったんです。(『闘争のエチカ』)

もちろん駱駝たちも、たとえば情報提供者としてひどく役に立つこともあるわけで、 ポストモダン批判のおりしばしば語られたように、駱駝も経ず、ライオンも経ず、小児のまま<戯れ>にのみ耽溺する<わたくし>のような人間よりはずっと好ましい。まずは駱駝のように、既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担がねばならぬ。

《駱駝はそうした重荷を担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する》--砂漠へと向かうには、孤高に耐える強さがなくてはならない。


冒頭の蓮實重彦ルサンチマン説の人物はそろそろ駱駝としてだけ振舞うのではなく、ライオンの振舞いを真似てみたところ、いささか時期尚早であったのか、それとも砂漠に向かわずに、居心地のよい「村」社会の、気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいを交わすことのできる納屋の片隅に居座り続けてたいした荷物も背負っていなかったせいかは判然としないが、そのためライオンでなく雌猫の仕草のようにしかみえないというだけであり、いくら可愛らしい仔猫に過ぎないとしても、その勇気には賞讃を送りたい。



ここで鈴木創士氏のツイートを思い出しておこう、ーー《ああ、学者と称する人たち、哲学者、研究者と称する人たち、芸術家、作家も少し…俺は編集者まがいのこともやってたし、いまもほんのちょっだけやってるので、彼らがどれだけ頭が悪く、人格もなってなくて、くだらない連中かということに口を蓋できないときがある。特におっさんが最悪だ。お生憎様!》


2013年4月28日日曜日

蓮實重彦の「大江健三郎殺し」



まあ、本当のことをいうと、柄谷さんと僕とで大江の時代を終わらせちゃったわけですね。大江の時代というのは、いわば一つの物語で、作家はそんな物語から自由になるべきだ、またそれから自由になったとき本当の仕事ができるのだという意識から、僕も意識的に大江を殺そうとしたわけです。大江の時代というものをね。

僕は、同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体するということですね。三島由紀夫は、大江健三郎が大江の時代を持ったという意味では三島の時代を遂に持てなかった人です。それは、批評家がたえず三島を抑圧していたからなんだと思う。僕の考えでは、中村光夫と寺田透とが、三島の時代の到来を流産させ続けていたという構図ができあがります。三島由紀夫も、この二人には頭があがらなかった。こうした批評家の機能というものはもっと重視されてよい。文壇が緊張感を欠いて面白くなくなってのは、その次の世代の批評家たちが、篠田一士とか川村二郎とかが、同時代作家を言葉で殺したり生かしたりすることが批評家の義務とは思わないし、また思ったにしてもとうていそんな力もない人たちだったからでしょう。(『闘争のエチカ』P94)



《一つの物語で、作家はそんな物語から自由になるべきだ》、蓮實重彦や柄谷行人が大江健三郎を自由にしたかどうかの判断は保留されるべきだろうが、当時の大江が囚われていた「不自由」とは、のちに引用で示されるように、《「文学」と「社会」とが程よく接し合った地帯に足をふまえ、あえて言葉の凡庸化をも怖れずに「現代的課題」の幾つかを説いてまわり、そんな身振りによって、文学の側に向き直ったときの足場をより堅固なものたらしめるという擬似イデオローグ》としての「不自由」であり、かつ大江自らが書くように《「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作者自身にとって文学とはなにか?」)》を担う「役割」を執筆活動の支えとしてことであるとされる。またべつに大江健三郎が当時の構造主義的風潮に乗り、山口昌男などに強い影響を受け、「中心と周縁」理論や「道化」理論をその小説の骨組みに無分別な利用を試み、「理論」に馴致されて小説を書いてしまうなどという批判は、これはおそらく柄谷行人が中心にしてなされたのだろうが、それを追ってみるほどには詳しくはない。

ここでは高橋悠治の文を附記しておこう、

大江健三郎は書く、「死をおしつけてくる巨大なものへの最後の抵抗として、なにもかもを笑いのめし、価値を転倒させる道化」。何と悲愴ぶった笑い、センチメンタルな道化だろう。しばいがかった最後の抵抗の前に、巨大なものをその名ではっきり名指し、最初の抵抗を見せてくれ。キム・ジハの笑い、殺されたタイの大学生の笑いにくらべれば、ピンチランナーの笑いは笑いを信じない笑いだ。力なく、そのくせ重苦しい笑いが空中に飛びかっている、ahhaha。(『ロベルト・シューマン』)


このような「擬似イデオローグ」の大江健三郎を自由にするために、蓮實などによる「大江殺し」がなされたあと、ほぼ十年ほどの時を隔てて蓮實重彦は、大江健三郎の圧倒的優位を『小説から遠く離れて』で書く、それは、《記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか》(『闘争のエチカ』)の実践を試みたとしてよい。

『小説から遠く離れて』では、たとえばこう書かれる。
皮膚の表層にはりつくような粘液的なもの (……) 村上龍と中上健次と大江健三郎を結びつけるものは、 質こそ違え、 そうした細部へと注がれる彼らの非物語的な視線なのだ。

言葉が方向を変えるとは、 文脈を踏みはずし、 無方向に拡散しながら、 物語的な根拠を喪失させることを意味するが、 補足的な付加が根拠の強調であるなら、 言葉の方向転換とは横断的な 「変換」 にほかなるまい。 必ずしも充分な成果をあげているとはいいがたいにせよ、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』が目ざしているのは、断じて自作に対する補足的な付加の試みではなく、みずから「交通」 (柄谷行人)の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみなのだ。 そして文脈とは共同体が容認する規則にほかならず、 決ってコミュニケーションを抑圧するものなのである。

では、それ以前の大江殺しはどんなことばでなされたか。


まずは、蓮實重彦「健康という名の幻想」『表層批評宣言』所収)より引いてみよう。


いったい小説家の大江健三郎は、どうして『ピンチランナー調書』という「作品」を書いたのか。作家たる大江氏はどんな思想をそこにこめようとしたのか。いかなる意味をそこに読みとればいいのか。われわれ読者をどこへ引きずって行こうとしているのか。「作品」と向かいあった思考がたどるのは、おおむねそうした謎解きの運動だ。つまり「作品」とは、読むことによって埋められる空白、あるいは越えられる距離としてそこに姿をみせているのだ。この運動は奇妙なことに、いまここにあるはずの「作品」をいったん虚構化してなかったことにして、逆にいまここにはない不在の作者の思想を問題化し、隠された意味をさぐるべく距離の彼方へ視線をなげかけるという仕草をともなうが故に、すぐれて抽象的な運動だということになろう。つまり、読むことは、「作品」に接することによって作者の思想と「作品」の意味とが自分の内部に欠落していると実感することで始まる、局部的で過渡的な不均衡を解消せんとする試みなのだ。「作品」の意味ではなくそこにこめられた個人的体験の切実さに触れんとする運動も、それと同じ身振りを演ずることになるだろう。いずれにせよ、意味にしても切実な体験にしても、それが「作品」の表層にあからさまに露出していたのでは、読むことの善意を保証するあの程よい困難が失われてしまうと気遣ってか、人はきまって背後に隠されたもの、距離をへだてて隠されたもの、つまりはあからさまな現存ではなくもっともらしい不在と戯れることを好んでうけいれてしまう。いずれにせよ読むことは、思考がそうであったように喪失の体験からはじまり、自分は感知しえないところで起こっているその喪失を回復したところで動きをとめる健康への歩みなのだ。作者の思想がわかった、「作品」の意味が読めたという時点で完成させる過渡的な運動としての読むことと想像される文学的体験が、何ら特殊なものでない点はそれで明らかであろう。そうした視点からすれば、「作品」を読むとは、思考の退屈な日常にほかなるまい。思考がそうであったように、読むこともまた決って勝利するのだ。もちろん、どうしても理解できないという無力感に苛立つこともないではないが、それは過渡的な不快さであるにすぎず、そのことに執着して遂に完璧な頽廃に行きついてしまったものなど誰ひとりいはしない。要するに、「作品」の現存ぶりに心底から脅えるものはないということだ。それは、「作品」を数ある問題の一つにすぎないとして高を括る抽象的な安心が広く行きわたっていて、その現在をたやすく抽象化する仕草が具体性だととり違えられてしまうからである。
 作者にそれなりの思想があり、「作品」にそれなりの意味がそなわっているのは当然のはなしだ。だが、思想は作者ではないし、意味もまた「作品」ではない。それは、読者が作者の「生」と「作品」の現在とを、抽象化することではじめて視界に浮上する問題であるにすぎない。それを理解する試みは決して無駄ではあるまいが、そのとき読者が無意識に身を譲りわたすものが、「生」と現在とをことが終れば廃棄しうる二義的な媒介に還元してしまう嘆かわしい頽廃にほかならぬという事実だけは、そうたやすく忘れられてはなるまい。抽象と具体性とをとり違えることの不幸は、不倫という罪を背負って行き続けることの不幸などとは比較にならぬ絶対的な頽廃へと人を導くものなのだ。そしてその絶対的な頽廃とは、「生」の現在をいともたやすく虚構化したように「作品」の現存に脅える資質をおしげもなく放棄させる。そのとき「作品」は、その意味や作家の思想に従属し、あきらかに一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう。読者は「作品」が作者に素直に従属すると思い、作者もまたその所属を当然と感じ、みずからの「作品」に脅える資質を放棄する。恐ろしいのは、この両者による脅える資質の均等なる放棄ぶりだ。というのも、作者=読者という対立が偽の葛藤にほかならなかった事実が、そこにあられもなく露呈されてしまうからである。何のことはない、彼らはともに「生」=現在が自分に所属し、思いのなりにそれを操作し統禦しうるものと錯覚しているのだ。恐ろしいことではないか。しかもそう錯覚することの恐ろしさがいとも簡単に忘れられ、真に恐れるにたるものが抽象化されうる環境を、思考の「制度」と呼ぶのである。そして、「制度」化された思考が脅える資質を放棄した対象として、「生」=現在と「作品」との同義語的な関係がひとまず明らかにされたと思う。だが、その関係はより積極的に明らかにされねばならない。それにはどうするか。

ここには、前回のエクリチュールをめぐる資料で示されたように、大江健三郎の小説の読み手が、「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」(デリダ)つまり「イデアリズム」に囚われてしまっているのではないかという疑義が呈されているといってよいだろう。そこに生じる《絶対的な頽廃とは、「生」の現在をいともたやすく虚構化したように「作品」の現存に脅える資質をおしげもなく放棄させる。そのとき「作品」は、その意味や作家の思想に従属し、あきらかに一人に作家がある目的を持って書いたものでありながらも、思想や意味をはるかに超えた豊かな混沌として存在に迫ってくることをやめてしまう》ということになる。

これはデリダの次の文を再掲すれば明らかなように、小説を「エクリチュール」として読む享楽の拒否である。それは《細部へと注がれる彼らの非物語的な視線》の忘却といってもよいし、《みずから「交通」 (柄谷行人)の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみ》に眼を閉じることといってもよい。蓮實重彦の「物語」批判の中心はこれらに関わる。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(「署名、出来事、コンテクスト」)

上の批判はおおむね大江健三郎の読者への批判であるように思われるが、次に同じ『表層批判宣言』所収の『言葉の夢と「批評」』を読めば、当時の大江健三郎自身、エクリチュールとして小説を書くことから遠ざかりつつあってのではないか、という疑念が呈されている。
――《誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。》


誰であってもかまうまいが、たとえばほぼ同じ時期に似かよった年齢で早熟な才能の開花を立証しあい、いっときは熱い連帯を生きえたかにみえながら徐々に顔をそむけあい、いまではたがいに相手の存在を避けながら、対立する二つのモチーフをめぐって異質の文体で言葉をつらねているかにみえる「批評家」江藤淳と「小説家」大江健三郎とをとりあげ、その最近の「作品」を一方では『漱石とその時代』から『一族再会』、そして『海舟余波』へとたどり、また一方で『万延元年のフットボール』から『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』をへて『洪水はわが魂に及び』へとたどってゆくとき、誰もが誤読するはずのないモチーフの著しい違いや、明白な文体的な異質性にもかかわらず、江藤氏が江藤淳として、大江氏が大江健三郎としてあるさまを立証すべき言葉の差異がそこにはほとんど想定しえず、むしろ両者がいかにもそれらしく「文学」と調和しあってしまうときに顕在化する類似の濃密さに改めて驚かずにはいられない。その類似は、二人がしばしば発表の舞台とする「文藝春秋」と「世界」という二冊の月刊「総合誌」が、その潜在的読者の欲望の発現形態やそれと妥協しつつその感性を操作する編集方針の対蹠的なさまにもかかわらず、なお、今日的思考収奪の構造に於て同じ装置として機能しているが故に二人は似なければならぬといった、誰でもが思いつきそうな次元での類似であるばかりでなく、両者とも、「文学」と「社会」とが程よく接し合った地帯に足をふまえ、あえて言葉の凡庸化をも怖れずに「現代的課題」の幾つかを説いてまわり、そんな身振りによって、文学の側に向き直ったときの足場をより堅固なものたらしめるという擬似イデオローグとしての類縁性が、その前言語的地熱を煽りたてていたはずの炎の色彩や形態の異質性を遥かに凌駕しているといった意味での類似ばかりをいうのでもない。「自分の知らない過去の時代、しかし自分がこの世に生を享けるすぐ前には存在していた時代の感触を知りたい」という、「ほとんど生理的な欲求」(『海舟余波』プロローグ)が江藤氏の筆を駆り、いっぽう「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作者自身にとって文学とはなにか?」)が大江氏の執筆活動を支えているのだとするなら、一方は歴史の時間軸にそって精神の系譜をさぐり、いま一方は世界の地理的な拡がりに対応する空間上に存在の基盤を模索するというその発想そのものが、たとえば『一族再会』にみられる「系譜」への執着と『万延元年』に読みとれる「根」の象徴を介して一つに結ばれ、一族の系譜を描いてみた誰もが知っている「分岐」という現象が樹木の「根」の図解と酷似しているように、同じ一つの想像力に操作されてしまうほかはないことは明白なのだが、前者にあっては歴史における「公」と「私」、後者にあっては「個人」と「全体」という関係でそれぞれの主要なモチーフが展開されはじめるとき、江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似するさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遥かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれていないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。


『表層批判宣言』と『小説から遠く離れて』のあいだの蓮實重彦の大江健三郎批判と顕揚は、あるいは大江健三郎の資質その美点と欠点とに違った側面から光を照射したといいうる部分もあるだろう。ただ、冒頭に引用されたように、ある時期の大江の「擬似イデオローグ」の役割を「解体」することが、「大江殺し」の内実であり、それは、《同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体する》の試みであったには相違ない。



→「デリダのリシャール殺しと蓮實重彦のルサンチマン」へ続く。


…………


※追記:『表層批判宣言』「あとがき」より

ここにおさめられた五つの文章は、いわば肉体的なエンターテイメントを目指しつつ、ここ五年ほどのあいだに書かれたものである。肉体というのは、いうまでもなく言葉の肉体であり、従って、ある種の生理的な反応を、運動の領域に惹起できればというのがこの書物の目指すところであったかもしれない。嘘か本当か知るよしもないし、たぶん嘘だとは思うが、この書物の中にその名前が少なからずひかれている現代日本のもっともすぐれた小説家は、目次に蓮實重彦の名前が印刷されているのを見ると、その雑誌を即座にくず籠に放り込んでしまうという。たぶんに誇張されたものであろうこの挿話は、しかし、かれにそれが徹底した虚構であったにしても、たまたま目次を目にした場所がくず籠から遠かったりした場合、その小説家が、書斎の空間を横切って投げとばすという、ピンチランナー目がけての牽制球を投げる投手のような仕草を想像させるという意味で、運動論的な感動を波及させてくれる。また、この小説家ほどすぐれているわけではないがそれなりに大家として知られる作家の一人は、日本語が滅茶苦茶になったことを立証する一例として、ここにおさめられている文章の一つの冒頭の部分を、その流れゆく日々の一日に「一時間かけて」写しとってある雑誌に発表したのだが、その一時間が彼に強請しただろう生理的疲労を思うと、この挿話もまた、やはり感動的であるといえる。「知」的に読まれることだけは避けたいと願っていたこの書物が、これほど直接的に肉体にうったえかける生理的=運動的な反応を期待しうるとは思ってもいなかったので、この事実には率先に感動せざるをえなかったのだ。……


なお70年代の後半の仕事である『表層批判宣言』からしばらく経って、大江健三郎の短篇小説
『見せるだけの拷問』(1984)には次のような箇所がある。


中年の大江とほぼ等身大とおぼしき主人公は、カリフォルニア大学、バークレイ校のオフィスのしまりぎわに訪ねてきた日本人の青年、《肌の具合や眼の表情は、相当にくたびれた中年男のものだが、顔を輪郭づけている髯を剃れば、思いがけなく若い、ただ外国生活の鬱屈にしぼみかけている顔の》青年を、ビールとソーセージの酒場に案内して、彼と小さな丸テーブルで面と向いあっている、ビールのピッチャーにはまだ三分の二も残っている……

たとえばフランス文学者で、日本文学への批評のみならず映画批評においても新しい権威のH氏や、経済学用語を文芸批評にとりいれて根強い信奉者を持つK氏について、青年は激越といっていいほどの支持をあらわした。(……)
――HやKのいう、あんたのイカガワシサのね、表層にあるものと、深層にあるものを、あんた自身感じとっているわけで…… やはり自己規制はするでしょう? しかし新しい仕事を読むと、あんたのイカガワシサが衰えていないのをね、HやKは見るわけね。もっともそんなこと百も承知で、あんたは仕事しているわけで……
……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……









2013年4月27日土曜日

エクリチュールをめぐってのいくつか



 《声の現前を欠いた書かれた記号は、その「間隔化」によって、話された記号とは区別されなければならない》とするのは、『署名、出来事、コンテクスト』のデリダだが、そこでは、《書かれた記号は、そのコンテクストと断絶する力、すなわち、それが書き込まれる瞬間を組織する諸現前の総体と断絶する力を含んでいる》と書かれ、これがデリダによるエクリチュールの簡潔な定義だ。

蓮實重彦はそのデリダ小論「「本質」、「宿命」、「起源」」(初出「新潮」2005.1)において、デリダの初期の「力と意味」を引きつつ、次のように書く。

「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える単純な先行論」の一般化された形式を、「イデアリズムと呼ばれる伝統批評」にほかならぬと彼(デリダ)は断じている(……)。だが、「神学」的たることをまぬがれぬこの「伝統批評」の観念論――そこには、私はこう思うとのみ宣言して解釈さえ放棄する無邪気な「無神論者」も含まれようーーは、彼にとって文学の批評の名に値するものとはいいがたい。なぜなら、それは「神学」的な解釈手段を無自覚に文学に適用したものでしかなく、そこには批評など成立しようもないからである。

われわれ凡人は、デリダのように、書かれた物が書き手に先行すると見てとることに、いまだ疎い。ついうっかり、「《思想》とか《内的構想》が書物に先立ってあり、書物は単にそれを書き表」したものだと見てしまう。

だがこのデリダの考え方は彼の特許でもなんでもなく、たとえば柄谷行人のヴァレリー論においてこう書かれる。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

――そして、このヴァレリーの考え方も、柄谷行人によればマルクスの価値形態論から来る(ヴァレリーは、マルクスの熱心な読者だったらしい)。

そしてその後は、ヴァレリー系譜のブランショ、あるいはバルト、デリダ…、ということになるのだろう。


われわれの多くは、書かれた文の向うにすぐさま書き手を見てしまう。もちろん書き手の方も、自分の考え、見解を書き物に表わしていることに疑念を抱くこと少ない。

ところでロラン・バルトに言わせれば、学者や知識人の書く文はエクリチュールではない。

パロールの側にいる教師に対して、エクリチュールの側にいる言語活動の操作者をすべて作家と呼ぶことにしよう。両者の間に知識人がいる。知識人とは、自分のパロールを活字にし、公表する者である。教師の言語活動と知識人の言語活動の間には、両立しがたい点はほとんどない(両者は、しばしば同一個人の中で共存している)。しかし、作家は孤立し、切り離されている、エクリチュールはパロールが不可能になる(この語は、子供についていうような意味に解してもいい〔つまり、手に負えなくなる〕)所から始まるのだ。(「作家、知識人、教師」)

ではエクリチュールとはなんなのか。そもそも英語圏では“writing”と訳されるだけだ。書かれたものは、すべてエクリチュールではないのか。

いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……(「署名、出来事、コンテクスト」)

《自らの父の立会いから分離された》、すなわち書き手から分離され、「書かれた言語記号は本質的に無責任な漂流性を生きるもの」として書かれ読まれるものがここではとりあえずエクリチュールであるとしておこう。

これはなにも難しいことではない、《つねにいまここにありながら、 ある種の錯覚から見えなくなってしまっているものに改めて視線を注ごうとしているだけ》なのだ。

バルトの『作者の死』を引きつつ蓮實重彦は『物語批判序説』でこう書く、
……まぎれもなく一人の人間によって書かれた文章の中に、 それが日常的な伝達とは異質の水準に展開される言葉である場合、 誰がそのように語っているのか識別が困難となるいくつもの指摘がまぎれこむことによってもたらされる、 語る主体の曖昧化といったもの(……)。 書きつつある本人の生身の肉体はいうに及ばず、 あらゆる種類の自己同一性への言及が不可能となるそうした言語的環境がエクリチュールにほかならず、 それはどんな時代にも存在していたのだが、近代の登場人物としての「作者」の概念が誇大視された結果、あたかも「作者」がその言葉の起源であるかに考えられてしまった……。


ここでフーコーを挿入しよう。

周知のように、ある語り手による物語というかたちをとった小説では、一人称代名詞、直接法現在、時間的・空間的な位置決定の記号はけっして正確には作家にも、彼が現に書いている時点にも、彼の書くという動作そのものにも送り返しはしない。それらは、もうひとつの自己へ-そこから作家までのあいだに程度の差はあれ距離が介在するばかりか、その距離が作品の展開してゆく経緯そのものにおいても可変的でありうるようなもうひとつの自己へ、と送り返すのです。作者を現実の作家の側に探すのも、虚構の発話者の側に探すのも同様に誤りでしょう。機能としての作者はこの分裂そのもののなかで、-この分割と距離のなかで作用するのです。(フーコー『作者とは何か?』清水徹・豊崎光一訳)
デリダ、バルト、フーコーを引用したのだ、ドゥルーズ/ガタリからも付記する。

 書くことは〔エクリチュール〕とは意味することとは縁もゆかりもなく、測量すること、地図化すること、来るべき地方さえも測量し、地図化することにかかわるのだ。(『千のプラトー』)
…………


「他者」としての言葉を書き連ねるうちに、突如その細部が艶かしい運動ぶりを示してしまう、筋の持続を散逸させかねない描写の自己増殖、因果論的な意味の開花を超えたイメージの喚起性。訳知らず細部がときならぬ肥大化を見せ、言葉の独走が起ってしまう。もちろん言葉が独走するといっても常に迅速さを齎しわけではない、それは停滞としても、迂回としても、無方向な横滑りとしても起る。

世界を所有するには言語の媒介によるほかないのだが、にもかかわらず言語そのものを所有しみずからに同化し尽くすことはどうしてもできないという逆説的な事態。象徴体系としての言語との関係を生きるにあたって、日々刻々「わたし」を引き裂き続けているのはこのパラドックスである。  言葉を発するとは、しかじかの順序に従って既知の単語を並べてゆくという単調な身振りにすぎない。だが、たかだがそれだけのものでしかないこの日常的な営みは、実のところ「わたし」にとって、そのつど統御しがたい匿名の衝動によってひとたび攪拌され、断片化と拡散の運動による新たな生成を受け入れることなしには切り抜けることのできない困難な試練としてある。発語は、程度の差こそあれそのつどつねに、「わたし」ならざるものへ向かって溢れ出してゆくことを「わたし」に強いるのだ。(松浦寿輝『官能の哲学』より)

ひとは紋切型の発話に終始していないかぎり、書いている最中、《統御しがたい匿名の衝動によってひとたび攪拌され、断片化と拡散の運動》に驚くことはないか。

夏目漱石の『三四郎』におけるエクリチュールを、大根と活塞でみたが、中上健次の文は、その小説だけでなくノンフィクションにおいてでさえ、統御しがたい匿名の衝動の慄きが伝わって来る。

<吉野>に入ったのは夜だった。吉野の山は、闇の中に浮いてあった。吉野の宿をさがして、車を走らせる。道路わきの闇に、丈高い草が密生している。その丈高い草がセイタカアワダチソウなる、根に他の植物を枯らす毒を持つ草だと気づいたのは、吉野の町中をウロウロと車を走らせてしばらく過ってからだった。車のライトを向けると、黄色の、今を盛りとつけた花は、あわあわと影を作ってゆれる。私は車から降りる。その花粉アレルギーをひき起こすという花に鼻をつけ、においをかぎ、花を手でもみしだく。物語の土地<吉野>でその草の花を手にしている。(『紀州』)

まあこういったことは優れた書き手だけに起こることで、われわれ凡人はそんなことは稀にしか起こらず、せいぜい、どこかの文を読んでの無自覚な「要約」を自分の意見として提示したり、あるいは昔からひそかにくり返し暗記していた台詞がふと口から洩れてしまっただけであることが多いのだろう。よくても学者たちのような「自分のパロールを活字にし、公表する者」(バルト)でしかないのであれば、そんな書き物の向うに書き手をみる読者ばかりであっても致し方ない。ヴァレリーでさえ、書き手の生活上の消息に《相当な好奇心を抱くことがある》と書いているわけだから、「勝手にしたらいい」。

またときには、そうせざるを得ない性格をもった書き物だってあるかもしれない。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

ニーチェの骨抜き


中島義道氏がインタヴュー記事のなかで次のように語っている。

超人ニーチェによる超人のための書『ツァラトゥストラ』。だが、中島さんは「この本は、ニーチェが自戒するため、理想像を描いたように見える。現実の彼は超人とは最も対極的。ルサンチマン(嫉妬、恨み)を克服せよと言いつつ、自身は最もルサンチマンにまみれていたのです」と人間像を語り始めた。

裕福な牧師の家に生まれ、天才と呼ばれて育ち、弱冠二十四歳でバーゼル大学の教授に就任。だが、最初の著作『悲劇の誕生』が批判され、学会から追放同然の扱いを受けたことで歯車が狂った。スイスのルツェルンやシルス・マリアなど、ニーチェの滞在地に足を運んで人物像を探った中島さんは断じる。「それまで、ニーチェはどんな批判を受けても、格下の“畜群”の嫉妬とみなして相手にしなかったけど、この時はそうはいかず、生涯、恨み続けた。立派な人でも何でもありません」。誠実で傷つきやすいが故に、猛烈に弱者=善人を批判するニーチェについては、著書『善人ほど悪い奴はいない』(角川oneテーマ21)に詳しい。(超人と対極の俗物性  甘口ニーチェ論を蹴散らす 中島義道さん(哲学者)



この短い記事では詳しいことは分からないが、ニーチェ超訳のたぐいに苛立つ人の言のひとつなのだろう、ーー《ナチスはニーチェの思想を「編集」したが、超訳はそれに類したことあるいはもっとひどいかもしれない。なぜならこの行為の眼目はニーチェを骨抜きにして、ただの口当たりのいい、人に説教ばかり垂れている内容空疎な文化人、わかりやすさのファシズムに迎合する大衆受けの間抜けにすることにあるからだ》(鈴木創士twitter)


――まあしかしなんという「はしたない」連中の多いことよ。これはニーチェとは関係ないが、たとえば、ブロガー出身の評論家Uなる人物が、ロラン・バルトのエクリチュールを語りつつ、いつのまにかそれをリーダビリティなどという話にしてしまう。これもバルトの考え方を骨抜きにすることでなくてなんだろう(参照:U氏ブログ、エクリチュールについてエクリチュールについて(承前)リーダビリティについて)。これを《わかりやすさのファシズムに迎合する大衆受けの間抜けにすること》としなくてどうしよう。
わたしには自分のことを書くことができない。それでも自分のことを書こうとするわたしとは、いったい何者であるのか。彼がエクリチュールの中へ入りこむにつれて、エクリチュールは彼を収縮せしめ、空虚なものにしてしまうだろう。漸進的な破壊が起り、あの人のイメージまでが少しずつ巻き込まれてゆくだろう(なにかについて書くとは、それを無効にすることなのだ)。やがて嫌悪感が生じ、ゆきつくところは、なんの役に立とうでしかないだろう。愛のエクリチュールを閉塞せしめるのは、表現可能性についての幻覚である。作家として、自分が作家だと思っている者として、わたしは、言語の効力について自分をあざむきつづけている。「苦痛」という語はいかなる苦痛をも表現しないのだということ、したがって、そのような語を用いたところでなにひとつ伝達できないばかりか、たちまちにいらだちのもとになるのだということ(ばかばかしさは別にしても)が、わたしにはわかっていない。自分の「誠実」さを埋葬せずして書くことはできないのだと、誰かがわたしに教えてくれなければなるまい(常にオルペウスの神話、振り返ることなかれ)。エクリチュールが要求するのは、恋する者がおのれの「想像界」をいくばくか犠牲にして、そのかわりにいくばくかの現実を、自分の言語を通じて引き受けることなのである。かかる要求を認めようとすれば断腸の思いを禁じえない。わたしに産み出せるのは、せいぜいが「想像界」についてのエクリチュールであり、しかもそのためには、エクリチュールについての「想像界」を放棄しなければならないだろうーーおのが言語に悩まされつづけなければならないだろう。恋する者とその相手という二重の「イメージ」に加えられる不正(侮蔑)を、耐え忍ばなければならないだろう。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』) 



さて冒頭のニーチェについては、すこしまえ引用した吉田秀和の反響が聞こえてくる、ここに再掲してみよう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。( 神崎繁『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』より) 
――この文がいつ書かれたのはいまは判然としないが、かなり前のことでないか。(吉田氏の師匠格であった小林秀雄が語っていてもよさそうだ)。


もちろん反ルサンチマン、反同情だけでなく、反キリスト、反フェミニズム的ニーチェも同様。

《書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。(……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。》(ニーチェ『善悪の彼岸』289番)

――そもそも強烈に何度も反復される批難というものは、《それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。》(フロイト)


ニーチェが、女性にたいして終生無器用だったからこそ、性欲の処理に困惑を極めたからこそ、あるいは妻を求めて空しかったからこそ、たとえば、次のように語られたのではないかと一時でも疑ってみよう。

真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』序文) 

寡聞にしてその信憑性が明らかではないが、次のようなエピソードなどもある。

ニーチェはワーグナーと交際していたとき、ワーグナーはニーチェの健康を心配し、彼の体の不調は過度のマスターベーションにその 原因があるのではないかと考えて彼に結婚をすすめた。1876年31歳のニーチェは結婚しようという考えを抱くようになる。体調が悪く 大学の講義を中止し保養旅行にでかける。ジュネーブに滞在中に若いオランダ女性と出会い、わずか4時間一緒に散歩しただけで、彼女に 手紙で求婚した。異性との交際の経験がないニーチェは交際のノウハウなど持っていないのであっさり断られる。(ニーチェの恋


「全く拙劣で下手くそな遣り口」のため、「女たち=真理は籠洛されなかったのではないか」、――この文は、ときには、《それを語った当人に戻してみることこそ、必要》なのではないか。

ここでラカンの『同一化』セミネールからニーチェの谺を抜き出そう。

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。「我思う」にしても同様である。教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立止まらないからにすぎない。(ラカン『同一化』)

――私はこう思う、私の意見では、私はこれこれが好きです、などとも同様。

《「我思う」というのは、論理的には幾人かの論理学者を困らした「私は嘘をつく」以上に確固としてものではない。》(ラカン「同一化」)

《「我思う」は、「私は考えていると思っている」と捉えることができる、そしてそれは、「彼女は私を愛していると私は思う」以外の何ものでもない。》(同上)

ーー安易に語られる「私は思う」、「私は好きです」、などいう発話は、ただひたすらその人物の過剰なナルシシズムを振りまいているだけにしか見えず、その臭気に鼻を抓むよりほかない。ーーああ、ツイッターなどにこの手合いのなんと多いこと!


いずれにせよ、ニーチェに対してだって、《……なぜなら、私の興味をひくのは、人々のいおうとしている内容ではなくて、人々がそれをいっているときの言いぶりだからで、その言いぶりも、すくなくともそこに彼らの性格とか彼らのこっけいさがにじみでているのでなくてはいけなかった》(プルースト「見出された時」)であるべきなのであり、《誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできま す。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?》(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)なのだ。


…………

《人生への愛、それはわれわれに疑惑をいだかせる女への愛なのだ……》(ニーチェ対ワーグナー・エピローグ)


さてもうひとつ、ニーチェの語り口を耳をすまして聞いてみよう。

ここでついでに、わたしは女というものが何かをよく知っていると、あえて仮説的に主張してようだろうか? この知識は、ディオニュソスがわたしに持ってきてくれた財産の一端である。ことによったら、私は、「永遠の女性」の本質に通じた最初の心理学者なのかもしれない。女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! (『この人を見よ』手塚富雄訳) 



ーー《語りたまえ、そうすればすべてが明らかになる。出来事と諸力に対するきみたちの位置、きみたちの盲目性、きみたちの操作の範囲、きみたちの暗黙の信仰、鏡のなかの自分自身を見るきみたちの仕方が …語りたまえ、そうすればいまにもきみたちは思わず本心を洩らすだろう。叙述したまえ、そうすればきみたちは、自分の思考で考えていることよりずっと多くを言うだろう。悪と関わるきみたちのやり方。ただひとつの悪、実存することの悪だ。全能なる羨望と嫉妬のなかで。一般化された大人の稚拙さのなかで。》

もうすこしソレルス『女たち』から引用を続けよう。

(…… )わかりきったことだ。そいつは前面に出てくる。哲学者は旅の逸話のなかで馬脚をあらわす。政治家は物語の色合いの秩序のなかで。さあ、耳をそばだててよく聞くがいい。ヒステリーはその後ろ、すぐ後ろにある、聴診器なんかいらない、それはどんなにささいな文章をも際立たせ、最もささいな形容詞のなかでもそれがふつふつと沸き立っているのが聞こえる。途方もない無意識の退廃、そしてぼく、ぼくが、ぼくが、ぼくが。純粋な思考、それは私だ。絶対への暗示、それは私だ。超越性、それは私、またしても私だ。歴史の意味、それは私だ。異論の余地のない善、それはつねに私、私でしかあり得ない。

(……)ナルシシズムのあの無限の機織り(……)、このナルシシズムにあっては、誰ひとり誰にも耳を傾けず、各々の生きた小片は一般化された夢遊病の性質を帯びている。眠りや死のそれ以外に、共通の場所、共同体の場所はないのだ。「人は理解し合っている」 …いや、理解なんかまったくしていない! これっぽちも! ……ぼくが、ぼくが、ぼくが …私が自分以外の存在を受け入れる振りをするのは、いまこの存在が腐敗しつつあり、私の望むとおりに霧散しつつあるような印象を私が抱いているからである

(……) …耳をかっぽじってよく聞くがいい …それはつねに女の問題なんだ、とどのつまり …人の語り合うことすべてが …女「なるもの」を伝えるため …問いのなかの問いから逃れるためだ …to beではなく……not to be でもなく …「父」… 禁断の核 …(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)


――というわけで、この<わたくし>の度重なる「私は思う」「私は好きです」批判も《それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。》(フロイト)





2013年4月26日金曜日

大根と活塞


漱石の『三四郎』に、大根を「しごいて」、小川が濁る、という箇所がある。
それで空も濁る。

まずは藁屋根の下に赤いものがぶらさがっている(ここで、なんの隠喩か、などと問うつもりはない)

向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
この文のすこし前にはこうある、《町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。》

谷中の土地に流れる小川――

「谷中」はもちろん地名だーー学生時代あの近辺に住んでいて、谷中は懐かしい土地なのだけれど、最初に昔風の温泉マークつき宿を利用したのは、その散歩の途次だね、玄関でいささか居心地のわるい数分を過ごしたな、「ごめんください」と何度も呼んでも音沙汰がなく、傍らの女友達と互いに顔を見交わせて、さてどうしよう、ひきかえそうか、あるいは、別の客が入ってくるんじゃないか、などと背後の引戸の向うの気配にさえ敏感になって、ーー《旅館の玄関に立って、案内を乞うと、遠くで返事だけがあってなかなか人影が現れてこなかった。少女と並んで三和土に立って待っている時間に、彼は少女の軀に詰まっている細胞の若さを強く感じた。そして、自分の細胞との落差を痛切に感じた。少女の頸筋の艶のある青白さを見ると、自分の頸の皮が酒焼けで赤黒くなっており、皮がだぶついているような気持になった。》(吉行淳之介『砂の上の植物群』)という具合で、冷汗が滲んだ何分かの後に、廊下を近づいてくる足音がきこえて、遣手婆風の渋い和服をきた初老の女が現われ、こちらの顔をじろりと見回しながら悠長な挨拶をされる、という、ーーもっともオレの細胞は傍らの少女と同様若かったが







ーー御休憩2500円か、そのくらいだっただろうな


谷中は、谷の中でもあり、谷間である
漱石は学生時代より老子に親しんでいたことが知られている

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「福永光司氏による書き下し(玄牝の門)」

小川は、小川三四郎の小川でもある
美禰子は、峰子であり、丘に立ち空をながめる女だ

《上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋(ふた)の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。》

《「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」 三四郎は即答ができなかった。「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。「知りもしないくせに。知りもしないくせに」》


そもそも漱石の女たちは「空」を眺める、最晩年の『明暗』のお延にいたるまで

《「おい何を見ているんだ」
 細君は津田の声を聞くとさも驚ろいたように急にこっちをふり向いた。
「ああ吃驚した。――御帰り遊ばせ」
 同時に細君は自分のもっているあらゆる眼の輝きを集めて一度に夫の上に注かけた。それから心持腰を曲めて軽い会釈をした。
 半ば細君の嬌態に応じようとした津田は半ば逡巡して立ち留まった。
「そんな所に立って何をしているんだ」
「待ってたのよ。御帰りを」
「だって何か一生懸命に見ていたじゃないか」
「ええ。あれ雀よ。雀が御向うの宅うちの二階の庇に巣を食ってるんでしょう」
 津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかしそこには雀らしいものの影も見えなかった。》(『明暗』)

三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。

百姓が大根を洗って、小川は濁る
「石の上に鶺鴒」とは、
《日本神話では、イザナギ、イザナミに交合の術を教えたのはセキレイである。 彼らがいまだ性交を知らなかった頃に、セキレイが首尾を揺るがすのを見て、性交を学んだ。 婚礼の調度に鶺鴒台があるのはそれに由来する》だ

「せきれいの鳴くせせらぎの」(西脇順三郎『禮記』より「水仙」)、水仙、すなわち水の精の住むせせらぎ

そうして「重なったものが溶けて流れ出す」

ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
 「空の色が濁りました」ーー、これらを漱石の夢のようなエクリチュールとするのは、李哲権の『隠喩から流れ出るエクリチュールーー老子の水の隠喩と漱石の書く行為』(2010)による


 …………


「湘南の暗い水からぬけてきたきみの、ぬれてまたすこしおもみをました胸を、ふるえる手でそっとまとめる。そこがわたしの最初の岸だ。活塞のすきまを撚れながら、すずしい風が通る。肉はこの向きで夏を消す」(荒川洋治「季節の暗い水につかって」『荒川洋治詩集 鎮西』より)

「湧いてきた意思がようやくふたりの下肢をわける。わたしたちは二つの種別のへやへかえるのだ。肉が干いた少女の空きを,はじめての夜気がくぐる。でもからだの一部は,わたしとつれだったまま,まだ特殊にあつい。」(同「季節の暗い水をつかって」より)


表題の「大根と活塞」の「活塞」、――「かっそく」と読む、ピストンのこと。