《要素自体はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方で歴史と文化的コンテキストの、他方でそれらの要素が参加している体系の構造の関数である(それらに応じて変化する)。》(レヴィ=ストロース『野性の思考』大橋保夫訳 P65-66)
《いかなる「構造」も、何らかの意図・目的・意味なしに考えられない(……)。
レヴィ=ストロースは、要素自体より要素と要素の関係をみる方法によって、一見さまざまに異なる神話の構造的同一性を見出そうとした。しかし、経験的な多様性・偶然性は、たんに付随的なものにすぎないだろうか。むしろ「構造」の方が付随的なものではないだろうか。》(柄谷行人『隠喩としての建築』p19)
《…「構造」はそれを統合する超越論的主観を暗黙に前提としている。しかし、構造主義者がこうした「主観」なしにすませうるのみならずそれを否定しうると考えたのは、彼らが、存在しないが体系を体系たらしめるものを想定したからである。それが、ゼロ記号である。(……)ゼロ記号とは、それ自身は無でありながら体系性を成立させるような「超越論的主観」の言い換えなのであって(……)構造主義はゼロ記号の導入とともにはじまったのだが、構造主義者自身はその哲学的含意について考えなかった。たんに、彼らはそのことによって、主観から始まる近代的思考を払拭しえたと信じた。だが、主観なしにすませると思いこんだとき、彼らは暗黙に主観を前提としていることを忘れたのである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』P119~)
…………
◆レヴィ=ストロース『野性の思考』大橋保夫訳より
《……たとえ近隣の文化であっても、表面的には同一ないし近似的に見える要素を使って、まったく違った体系を作り上げる場合のあることが確かめられる。北アメリカの諸部族のあいだでは、太陽が、場合によっては「父親」や恩恵を与えるものと考えられ、場合によっては人間の肉や血に飢えた人食い鬼と考えられる。そうなれば、植物や鳥の亜変種といったような特殊なものを相手にする場合、非常に多様な解釈の可能性があることを予期するのが当然ではなかろうか?》 P76
《ごく単純な一つの対立構造が、意味負荷の逆転を伴って何度も現れる例として、ローデシアのルヴェル族とオーストリア南部州北東部のいくらかの部族における色の象徴性を比較してみよう。オーストリアの方では、死者の母系半族のメンバーは、代赭色顔料を体に塗り、遺体に近づく。反対半族のメンバーは白い粘土を体に塗り、遺体から離れている。ルヴェル族も赤土と白土を使うが、こちらの場合は白粘土や白い穀粉は先祖の霊への捧げものとして使われる。成年式のときは代りに赤粘土が使われる。赤が生命と生殖の色だからである。したがって、どちらの場合にも白が「無標識」の立場に対応し、赤――対立する色彩性の極――が、死または生に結びつけられている。同じオーストラリアの例で、フォレスト・リヴァー地区では、死者と同世代のメンバーは体を白と黒に塗り遺体から遠ざかる。それに対し、他の世代のものは体に色を塗らず、遺体に近づく。したがって、同等の意味負荷に対し、<白/赤>の対立が<白黒/ゼロ>の対立に置きかえられている。前の場合のように白と赤の価値が逆転するのではなくて、こんどは白の価値は変らず(ここでは非色彩性の色である黒と結びつけられている)、反対極の内容が逆転し、「スーパー・カラー」である赤からまったくの色なしにかわっている。またオーストラリアの別の部族バード族は、<黒/赤>の対立を用いて象徴系を作っている。偶数番の世代(祖父、本人、孫)にとっては黒が喪の色で、奇数番の世代(父と息子)、すなわち本人の世代と同一視されない世代には赤が喪の色となる。ルヴァル族にあっては<死/生>、オーストラリアにあっては<彼の死/私の死>という、標識度の違った二項の間の対立が、色なし、黒、白、白黒、赤(最高度の色彩性)などより成る一つのシンボル連鎖から選び出された二要素ずつの組合せで表現される。
ところで、フォックス・インディアンにも同じ基本的対立が見出されるが、この場合には対立は色から音に移される。埋葬の儀式が行われているあいだ、「死者を埋葬する者たちは語り合うが、他のものは一言も発しない」。ことばと無言、雑音と沈黙の対立は、したがって、色と色なしの対立ないし色彩度の違う色の間の対立に対応する。これらの観察は、「祖型」や「集団無意識」にうったえるさまざまな理論のすべてに断罪を下すものと私には思われる。共通なのは形式だけであって、内容ではない。もし内容に共通なものがあるとすれば、その理由は、ある種の自然物や人為物の客観的属性か、あるいは伝播や借用に、すなわちいずれにしても精神の外に求められるべきものである。》P78
訳者注):ユング、エリアーデおよびその一派に対する批判。ユングによれば、「集団無意識」は祖先によって獲得され、遺伝的に継承される人類共通の無意識で、「個人無意識」の深層となる。「祖型」archetypes(原型、古態型などとも訳される)は集団無意識のドミナントで、人類の原始的精神の経験が凝縮継承された、普遍的なシンボル生成パターンである。「祖型は(……)脳の構造とともに継承される。というよりそれは、脳構造の心的諸面である。」(ユング『分析心理学論集』)レヴィ=ストロースは、意味の結びついた祖型が生理的根拠をもつとする考え方を厳しく批判する。無意識的構造を探求しても、この相違は構造主義理論にとって根本的である。(『構造人類学』参照)
《レヴィ=ストロースが神話研究でとくに注意したのは、「ユング主義」にならないようにしたことだった。ユングはさまざまな神話を収集し、分析しなから、人間の集団的な神話的に心理を描き出す象徴を探しもとめようとする。レヴィ=ストロースが試みたのは、「神話の機能に絶対的な意味を与える」ことを避けることだった(p.82)。ユング主義の問題点は、神話のレベルを超越したところで、意味をみつけようとすることだ。それに神話の外に何からの制度を発見しようとする通例の試みも不適切なのだ。
というのも「象徴に固有で不変の意味があるのではない、象徴はコンテクストから独立してあるのではない。象徴の意味は何よりもまず、それが置かれている場によって決まる」(Ibid.)からである。レヴィ=ストロースはまた神話における水の意味を考察しながらも、「わたしは一瞬たりとも水の原型的な象徴の助けをかりなかった」と強調する(p.270)。重要なのは人間の心のうちに集団的に潜む象徴の意味ではなく、「形式的同型性」だからである(p.271)。
レヴィ=ストロースはさまざまな神話の語っている内容や意味ではなく、それぞれの要素がその神話で果たしている役割と機能の共通性を調べようとする。それぞれの神話の語る意味だけを考えると、「神話というものはたんなる寄せ集めにすぎない」ことになる。しかしその構造と機能に注目すると、まったく異なる神話にみえたものが「同じひとつの神話」であり、「そのひとつひとつが、あるひとつのグループの内部でおこなわれた変形の産物」(p.200-201)であることを指摘できるようになるのだ。それぞれの社会の制度や環境や風土におうじて、それにふさわしい変形が行われるのであり、その操作の手つきを指摘すれば、同じ神話に還元することができるのである。
たとえば人間の寿命の短さを示すいくつかの神話がある。これらの神話をその要素の機能から分析していくと、「見かけは非常に異なるが……同じメッセージを伝えており、相互の違いは使っているコードの違いにすぎない」ことがわかる(p.238)。使われているコードは、人間の五感であり、目、耳、舌、皮膚、鼻のそれぞれの機能が可能なかぎりですべて使われている。そのうちでも特権的な地位を与えられているのが舌、味覚のコードであり、「他のコードが味覚のコードのメッセージを翻訳すること」が多い。
この神話で味覚のコードが重視されるのは、人間の寿命の短さの神話は、「火つまり料理の起源の神話」がその入り口の役割をはたしているからである。料理は自然から文化への移行を意味するだけでなく、人間の条件を定義するために最適な営みであり、象徴だからである。》
《丸山真男は西洋と比較して日本を考察した人ですが、もう一人、中国と比較して日本を考察した人がいます。中国文学者の竹内好ですね。彼の考えでは、近代西洋との接触において、アジア諸国、特に中国ではそれに対する反動的な「抵抗」があったのに、日本ではそれがなくスムースに「近代化」を遂げた。それは、「抵抗」すべき「自己」が日本になかったからだ、というのです。それは、日本には思想の座標軸がなかったという丸山真男の意見と同じです。つまり、原理的な座標軸があることは、「発展」よりもかえって「停滞」をもたらす。日本の「発展」の秘密は、自己も原理もなかったことにある。竹内好は、一時的な停滞を伴うとしても、中国のような「抵抗」を通した近代化が望ましいというわけです。そして、そのほうがむしろ西洋に近い、と。
私は彼らの考えに別に反対ではなかった。いろいろ考えると、確かにその通りなのです。近代日本のさまざまな問題がこの辺に集約される。ただ、私が問うたのは、ではなぜそうなのか、ということです。その場合、どうしても集団としての日本人の心理を見ないわけにはいかなくなる。広い意味で「精神分析」的にならざるを得ないわけです。
実際、丸山は『日本の思想』のあと、1972年に「歴史意識の古層」という論文を発表しています。これは『日本の思想』の今あげたような問題、神道とか思想の座標軸がないといった話を、古代に遡行して考えようとしたものです。彼はそれを『古事記』の分析を通して行ないました。そのとき、彼が「古層」に見出したのは、意識的な作為・制作に対して自然的な生成を優位におく思考です。古層とは、一種の集合的な無意識です。しかし、彼は「歴史意識の古層」という概念を、それ以上理論的に裏づけようとしていません。
一方、その当時流行っていたのは河合隼雄の日本文化論ですね。「母性社会日本の病理」といった本がそうなのですが、この人はユング派ですから、当然集合無意識みたいなものを実在しているかのごとく扱います。そして、このようにいう。《西洋人の場合は、意識の中心に自我が存在し、それによって整合性をもつが、それが心の底にある自己とつながりをもつ。これに対して、日本人のほうは、意識と無意識の境界も定かではなく、意識の構造も、むしろ無意識内に存在する自己を中心として形成されるので、それ自身、中心をもつのかどうかも疑わしいのである》(『母性社会日本の病理』)。
しかし、私はこのように集合的無意識を何か実在のように扱うことを、疑わしく思います。ある日本人の個人を精神分析することはできますが、「日本人の精神分析」は可能だろうか。可能だとしたら、いかにしてか。ユングの場合、集合無意識という概念をもってくるから、それは可能です。では、フロイトはどうか。彼は集団心理学と個人心理学の関係について非常に慎重に考えています。彼の考えでは個人心理なんてものはない、それはすでにある意味で集団心理だから。彼はまた、個人心理と別に想定されるような集団心理(ル・ボン)のようなものを否定する。では、個人において集団的なものがどのように伝わるのか。それに関しては、どうもはっきりしないのです。例えば、個体発生は系統発生を繰り返すという説をもってきたり、過去の人類の経験が祭式などを通して伝えられる、とか、いろんなことをいうのですが、はっきりしない。
ところが、ラカンはそのような問題をクリアしたと思います。それは彼が無意識の問題を根本的に言語から考えようとしたからです。言語は集団的なものです。だから、個人は言語の習得を通して、集団的な経験を継承するということができる。つまり、言語の経験から出発すれば、集団心理学と個人心理学の関係という厄介な問題を免れるのです。ラカンは、人が言語を習得することを、ある決定的な飛躍として、つまり、「象徴界」に入ることとしてとらえました。その場合、言語が集団的な経験であり、過去から連綿と受け継がれているとすれば、個人に、集団的なものが存在するということができます。
このことは、たとえば、日本人あるいは日本文化の特性を見ようとする場合、それを意識あるいは観念のレベルではなく、言語的なレベルで見ればよい、ということを示唆します。》
“レヴィ=ストロースのいうシニフィアンとシニフィエのあいだの不整合な関係は、その用語の開発者であるソシュールの定義からすれば、奇妙なものとしかいいようのないものだろう。記号はシニフィアンとシニフィエが表裏一体となってできるのだから。 しかし、レヴィ=ストロースは、人間の基本的条件のゆえに、構造においてシニフィアンの系列とシニフィエの系列とのあいだに不整合な関係が生ずるという。すなわち、構造としての言語においては、他の系列との関係や系列内の他の項との関係によってすべての項の位置が決まるために、その体系はすべてが一挙にしか生まれえなかったが、シニフィエにシニフィアンを割りあてる「認識」のほうは、時間の中で徐々にしかなされない。そのためその意味内容がまだ認識されずにシニフィエが欠けているシニフィアンが出てきて、シニフィアンとシニフィエのあいだに、神でなければ解消しえない不整合(「シニフィアンの過剰」)が生ずるのだという。マナ型の観念は、その不整合を埋めるために、「空白」の位置は与えられてはいるけれども認識されてはいないシニフィエに割りあてられる「浮動するシニフィアン」である。”(小田亮『レヴィ=ストロース入門』より引用)
ここでは「浮動するシニフィアン」とされているが、いまでは「浮遊するシニフィアン」とするのが一般的であろう。
ーー「現実の臨界2:シュルレアリスムから人類学へ」より
ーー「現実の臨界2:シュルレアリスムから人類学へ」より
「イメージ〔シニフィアン〕は記号の中に観念〔シニフィエ〕と同居することができるし、またもし観念がまだそこに来ていなければ、将来それが来るべき場所をあけておき、陰画的にその輪郭を浮き出させる・・・記号はまだ内含をもつにいたらないことがありうる。」このシニフィエから切り離されたシニフィアンを、レヴィ・ストロースは「浮遊するシニフィアン」と呼ぶ。
「ゼロ記号」は数学におけるXのように意味の不定値を表す働きをする
「その独自の機能は、シニフィアンとシニフィエの間のずれを埋めること、あるいはより正確にいえば、〔・・・〕シニフィアンとシニフィエの間の相補関係が損なわれて、両者のあいだに不整合な関係が生じていることを徴づけることである」ーー「浮遊するシニフィアン」=ズレを埋めるゼロ記号
「レヴィ・ストロースが体系を体系たらしめるものをゼロ記号(数学)に求め、それによって体系化をはかったのに対して、ブルトンはむしろ、体系がみえなくしてしまうもの、体系の体系性(前意識)によって抑圧されてしまうものを語ろうと苦心惨憺したのである」(「レヴィ・ストロースとブルトンの記号理論」浅利 誠)
The first to fully articulate the necessity of such a
signifier was Lévi‐Strauss, in his famous interpretation of “mana”;
his achievement was to demystify mana, reducing its irrational connotation of a
mythic or magical power to a precise symbolic function. Lévi‐Strauss’s
starting point is that language as a bearer of meaning by definition arises at
once, covering the entire horizon: “Whatever may have been the moment and the
circumstances of its appearance in the ascent of animal life, language can only
have arisen all at once. Things cannot have begun to signify gradually.” This
sudden emergence, however, introduces an imbalance between the two orders of
the signifier and the signified: since the signifying network is finite, it
cannot adequately cover the endless field
of the signified in its entirety. In this way, a fundamental situation perseveres which arises out of the human
condition: namely, that man has from the start had at his disposition a signifier‐totality which he is at a loss to
know how to allocate to a signified, given
as such, but no less unknown for being given. There is always a non‐equivalence
or “inadequation”
between the two, a non‐fit and overspill which divine
understanding alone can soak up; this generates a signifier‐surfeit
relative to the signifieds to which it can be fitted. So, in man’s effort to
understand the world, he always disposes of a surplus of signification … That
distribution of a supplementary
ration … is absolutely necessary to insure that, in total, the
available signifier and the mapped‐out signified may remain in the
relationship of complementarity which
is the very condition of the exercise of symbolic thinking.
Every signifying field thus has to be “sutured”
by a supplementary zero‐signifier, “a zero symbolic value, that is, a sign
marking the necessity of a supplementary symbolic content over and above that which the signified already contains.”
This signifier is “a symbol in its
pure state”: lacking any determinate meaning, it stands for the presence of meaning as such in contrast to its
absence; in a further dialectical twist, the mode of appearance of this supplementary signifier which stands for meaning
as such is non‐sense (Deleuze
developed this point in his Logic of Sense). Notions like mana thus “represent nothing more or less than that floating
signifier which is the disability of all finite thought.”
The first thing to note here is Lévi‐Strauss’s
commitment to scientific positivism: he grounds
the necessity of mana in the gap between the constraints of our language and infinite reality. Like the early Badiou
and Althusser, he excludes science from the dialectics of lack that generates the need for a suturing element. For Lévi‐Strauss,
mana stands for the “poetic” excess
which compensates for the constraints
of our finite predicament, while the
effort of science is precisely to suspend mana and provide direct adequate
knowledge.
Following Althusser, one can claim that mana is an
elementary operator of ideology which reverses
the lack of our knowledge into the imaginary experience of the ineffable
surplus of Meaning. The next step
towards “suture” proper consists of three interconnected gestures: the universalization of mana (the zero‐signifier
is not just a mark of ideology, but a feature
of every signifying structure); its subjectivization (re‐defining
mana as the point of the inscription
of the subject into the signifying chain); and its temporalization(a temporality which is not empirical but logical, inscribed into the
very signifying structure). With this
subjectivization, the standard Althusserian difference between science and ideology is left behind—no
wonder Badiou introduces the Truth‐Event and the subject as the agent of fidelity to the Truth‐Event
in terms which strangely resemble Althusser’s analysis of ideological interpellation as
the transformation of (human‐animal) individuals into subjects: the Truth‐Event
is the big Other which requires the fidelity of the subject who recognizes itself in it.
This triple gesture, a crucial step from mana to “suture,”
was gradually accomplished by Lacan, starting with his articulation of the
concept of the “point de capiton” (quilting point) whose apparent
reference obviously points towards suture. As in Lévi‐Strauss,
the “quilting point” sutures the two fields, that of the signifier and that of
the signified, acting as the point at which, as Lacan put it in a precise way,
“the signifier falls into the signified.”……(Zizek"LESS THAN NOTHING"CHAPTER 9 Suture and Pure Difference)
私がユングにたいしてアレルギーを持たないでおられるのは、河合先生や山中先生の御人柄をとおしてユングを垣間見ているからかもしれないのである。御二人ともユンギアンであることは間違いないし、公言もしていられるのだが、ユングのプロパガンディストではない。ということはダーウィンにおけるハクスリやヘッケルのごとくではないのである。「ユングもこういっているけれども」という時の河合先生は、心なしか、声を落とされる。そういうデリカシーのあるユンギアンでなければ、ちょっとかなわないのではないかという気がしないでもない。
ユングの著書は、邦訳でも、どうも読みとおせないのである。それは、私の頭が悪いという単純な理由以外にも、何かありそうである。たしかにユングの著書は読みやすいものではない。『変容の象徴』など、読みはじめるといったい私はどこへつれてゆかれるのだろう?というかすかな当惑の気持ちから離れられない。ドイツ語で読もうとするとデーモニッシュな感覚に圧倒されて、困惑のただ中にほうりだされるような気がする。
個人的には、私はたまたま、ユングが親近感を覚えたグノーシス派であるとか、グノーシス派のひとつの根である新プラトン学派とか、大乗仏教とか、チベットの宗教の方を、ユングの名を知らない若い時期に少しかじったことがある。そういうものと重なってユングを読んでしまうのであろう。それは、全く偶然に図書館でてにとったものであるが、オルダス・ハクスリ晩年の『永遠の哲学』(Perennial Philosophy)の邦訳であった。1952、3年のことではなかったか。すでに挙げたものの他に西欧中世キリスト教神秘家やスウェーデンボルグや禅宗などを加え、それらに共通なものを抽出して『永遠の哲学』と銘打ったものである。こういう神秘主義的なものはほとんどすべての宗教にある。回教神秘主義などは最近脚光をあびている。怪力乱神をかたらぬ現世主義の中国にも道家がある。もっとも、ハクスリの本自体は、今読めば、おそらく井筒俊彦先生の著作の厳正さと深遠さの前では影がうすくなる程度のものではないかと思う。当時の私を引きつけたのもアンソロジーとしてであったかもしれない。
とにかく私は、田中美知太郎先生の名訳でプロティノスの『一者について』を読んだり、山口益先生の仏教史を読んだりした一時期を持った。しかし、私の中で根づよく逆らう反流があった。それは「永遠の哲学」に参入することは、いささかなりとも、パスカルのいうSacrificium intellectus(知性の犠牲)が必要なのではないか。それは困るというささやきであった。それは、当時の私がひとつのよりどころにしていたフランスの詩人・思想家ポール・ヴァレリーの引力圏からのささやきであった。当時のヴァレリーはデカルト的伝統の最後の後継者としてフランスの知性の代表だった。彼がスウェーデンボルグを愛読しつつも、神秘主義への傾斜の誘惑と絶えず闘っていたことは、ずっと後に知ったことである。(中井久夫「私のユング風景」著作集6『個人とその家族』)
《これからわたしは、まさにこの「価値形態論」のなかに、資本主義社会の危機=全般的な過剰生産による恐慌、というマルクス自身の等式を無効にしてしまうより根源的な思考の可能性が秘められていることをしめしてみようと思うのである。だが、そのためには、マルクスの価値形態論を、マルクスが完成させた思考の体系としてではなく、マルクスを完成させない思考の方法として読み直す必要がある。マルクスにしたがいながら、マルクスを読み直さなければならないのである。
じっさい、われわれは、商品の価値形態の発展を弁証法的に追跡していくマルクスの議論をもう一度こと細かく追跡しなおすことによって、マルクスが価値形態論を完成させたと考えた光りまばゆい貨幣形態の姿では、商品の価値形態はけっして完成していないことを知るはずである。まさに価値形態論の構造じたいが、みずからの完成を拒み、みずからに無限のくりかえしを強いることになるのである。そして、価値形態論のこの無限のくりかえしの極限において、われわれは黄金色の輝きを失い、商品の世界のなかにあって商品よりもはるかにみすぼらしい姿になった貨幣形態をみいだすことになるだろう。だが、そのみすぼらしい姿にこそ本来の意味での「貨幣の謎」が隠されているはずである。》(岩井克人『貨幣論』)
《スイスのローザンヌ大学に籍をおくことになったワルラスの(……)一般均衡理論が、ローザンヌにおけるワルラスの後継者であったパレートをつうじて、近隣のジュネーブ大学で一般言語学を講義していたフェルディナン・ソシュールにつよい影響をあたえたことは、ピアジュが『構造主義』のなかで指摘しているとおりである。ソシュールがいわゆる「構造主義」の創始者とみなされているのは、言葉の世界としての「ランガージュ」を「純粋な価値の体系」(『一般言語学講義』)として規定したことにあったことはいうまでもない。言葉とは価値であり、価値とは関係のなかにおいてのみあらわれてくる。これによって、ソシュールは、ひとつの言葉は先験的にあたえられたひとつの概念を意味しているという、通俗的な言語観を否定しようとしたのである。
それゆえ、もしわがマルクスが構造主義のマイナーな先駆者以上の存在であるとしたならば、それはかれが商品の世界を価値体系として規定したことにあるのではない。マルクスの思考を古典派経済学や新古典派経済学の「構造主義」から区別するのは、商品世界のなかでこの価値の「体系」とはいったいどのような「形態」をもたなければならないのかという問いを発したところにある。》(同上)