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2013年7月3日水曜日

鈴木健と「未来の他者」

前回、「未来の他者」をめぐっていくつかメモし、未来への責任どころか、未来世代に責任を押し付ける「幸福主義者」たちばかりだという意味合いのことを書いたが、たとえば、評判の高い『なめらかな社会とその敵』(鈴木健)は(わたくしは残念ながら未読なのだが)、《『なめらかな社会とその敵』の想定読者は三百年後の未来人。だが古代人たる評者にも、その意気込みはわかる。まったく新しい通貨システム! しかもお金の意味すら変え、社会自体の変革まで射程に入れる遠大さだ。》(山形浩生書評)であり、稀にみるヴィジョンの人、鈴木健をわれわれは持っているのを知らぬわけではない。

鈴木健氏の思考のベースは、すでに2001年時点で、『NAM生成』所収の「ネットコミュニティ通貨の玉手箱」において示されており、わたくしは以前(3、4年前)、この論文やら、彼の官僚ゴールデンパラシュート提案などを、ツイッター上で紹介したおり、柄谷行人のNAM運動出身の鈴木健と書いて、彼に窘められたことがある(いや、僕はNAM出身じゃありませんよ、あれはただ手伝っただけです、と)。

ツイッター上での発話から窺うに、鈴木氏は岩井克人・水村美苗夫妻とも、ときに食事などして会っているようであり、岩井克人の名著『貨幣論』も当然視野に入れて考えられているはずで、つまりマルクスの価値形態論やケインズの美人投票論系譜の人としておこう(読んでないから分らないけれど、すくなくとも2000年の論から窺えば)。

いずれにせよ養老孟司にまで、《久しぶりに野心的な本を読んだ。若い世代がこういう本を書く時代まで生きたのは、年寄り冥利に尽きるというべきか。》(養老書評)と呟かせているようで、資本主義や民主主義の行く末、柄谷行人やジジェクのコミュニズム復活を願う選択肢とは別の選択肢を提案しつつ未来の他者を思考する稀有な人が日本の若い世代にも存在する。


「お前は、なんで読まないんだ? 海外在住を隠れ蓑にして他人事のように書いて!」
「……いや、すまん。で、まあこんなことを書くのはやめておいた方がいいかい? 前回の文のちょっとした言い訳なんだけど」
「本ぐらい、是非読みたいなら、日本から送ったらいいだろうに」
「この国はいまだ検閲があるんだよ、以前、サド関係の本が、図版があったせいか、没収されてね、それでこりごりさ。

十年以上まえのことだから、いまは改善されてるのかもしれないけどね、人に訊けば、検閲なんかないよ、という人もいて、つまりはオレの特殊事情もあってね……

以前、日本で暮していたとき、一時的に銀行系のなんとか研究所のたぐいに勤めていて、まあすぐ辞めたのだけれど、そのあと、こっちのレポートを依頼されてね、効果的な袖の下の使い方に係るレポートでね……その後遺症もあるんだろうなあ、たぶんーーなんて書いて連中に読まれたら、連行されるかもな」

――つまりこの会話文は、「虚構」だぜ、怠慢で新しい本なんか読みたくないだけだよ