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2014年11月11日火曜日

一歩後退二歩前進 高橋悠治

音楽についてなんたら書くのはもうやめたよ
せいぜいYOUTUBEを貼り付けるぐらいだね
オレにできるのは。

次ぎのような文章を書くべきなのさ本来ひとは。
1978年初版発行なんだから
悠治40歳のときのものさ

ところできみたち、
いまこういった文章に当ったことがあるかい?
長い文章じゃなくていいさ
ツイッターだっていいよ
あるかい?

エラそうにツイッターがどうのこうのと言っている
ションベンくさい売れっ子の研究者やら評論家がいるが
アイツらとんでもないひよわなエリートじゃないかい?






『ロベルト・シューマン』 高橋悠治


一歩後退二歩前進

シューマンについて考えてみよう。なぜ十九世紀のロマン主義の音楽家にいまかかわりあわなければいけないのか?

学問的な研究をする興味はない。他人の生きた時代、他人の生き方、他人の思想を正確に理解し、記述し、批判したって何になるのだ? 作品のかくされた意味を読みとって、それをどうするのだ? シューマンの音楽とのであいを演出しオレもオマエもおなじなやみなんだ、とくれば小林秀雄のようにひよわなエリートをだますことはできるだろうが、文化の役割を無条件に肯定するのは宮廷道化役のすることだ。芸術家の孤立無援の思想をエラそうに言いたてるがよい。そのことばがもっともらしくひびくのは、本人も気づかぬうちにカネで買われてしまっている思想だからだ。過去にかかわるのはどんな時か?

 
    コブ

  コブ
  あれはきみか?
  タマリンドの木につるされ
  血にまみれ-
  ヤツらがきみの両手を切りおとしたのはなぜだ?
  きみはどうしてもたたかうのだと言った
  コブ、いまきみを信じるよ
  おぼえているかい
  朝、村へいくぬかるみ道をあるいたことを?
  日が照りつけ、道は遠く
  きみにおくれまいとしても、つかれた脚はすべるだけ
  きみは歩調をゆるめて待ってくれた
  いっしょに歩く時をすごすため
  きみのしてくれたおかしな話
  女の子が雨の日学校へいこうと
  一歩前進すれば、道がすべって二歩もどる
  そこで女の子はうしろを向いてあとずさりして歩いていった
  そしたらたちまち学校についた
  ぼくらは笑った、するとホラ
  村がもう見えた
  脚も元気をとりもどした
  どうしてもたたかうのだと言ったね、コブ
  いまきみを信じるよ
  今日、コブ
  きみを見て
  木からぶらさがり
  手を切りおとされた姿を見て 
  ぼくは思った、ぼくはもう二度と歩けまいと
  それからきみの笑いを思いだし
  どうしてもたたかうのだといったことばを思いだし
  ぼくは元気をとりもどす
  コブ、いまきみを信じるよ

一九七六年十月六日、バンコクのタマサート大学で四人の学生が右翼になぐり殺され、死体は木につるされてさいなまれ、焼かれた。そのなかの一人のために、友人が書いた詩がこれだ。ことばの技術をきわめた日本の現代詩人たち、ことばが銃弾のようにまっすぐ人を打つ技術を教えてくれ。

現在の状況がきびしく、まともに前進できない時、過去を問題にしながら後退すると見せて前進することもできる。障害物をとびこえるためにうしろへさがる、あのやり方だ。やがて助走、目もくらむ一瞬の跳躍がくる。われわれのいるのは、だがここではない。一九七六年十月のタイのクーデターの前の状況ほどわるくはないが、別な意味で、一層悪質な状況、脚元がすべりだしたのを感じながらも、まだこのまま前進できると信じている時、そのくせぬかるみしか見えず、真の敵の姿はどこにもなく、一歩踏みだす度に後退していく、こんな時だ。見えている風景がニセであり、抵抗もニセであるような、奇妙な安定のなかで生きている、こんな場所だ。

現代の危機、文化の危機については、たくさんのことが言われた。言うほどに、ことばはそらぞらしく、行動はちぢかまっていく。危機を言うことばの効力だけは信じられると言うのか? 価値がゆらぐのを危機と言うなら、ことばが何で例外になろう? ことばに表現するだけで批判や抵抗が成立するとおもえるとすれば、日本ではことばが実践の裏打ちをもたない無意味な身振りにすぎないからゆるされているのをわすれている。ことばの価値がまずすりへってしまった。

大江健三郎は書く、「死をおしつけてくる巨大なものへの最後の抵抗として、なにもかもを笑いのめし、価値を転倒させる道化」。何と悲愴ぶった笑い、センチメンタルな道化だろう。しばいがかった最後の抵抗の前に、巨大なものをその名ではっきり名指し、最初の抵抗を見せてくれ。キム・ジハの笑い、殺されたタイの大学生の笑いにくらべれば、ピンチランナーの笑いは笑いを信じない笑いだ。力なく、そのくせ重苦しい笑いが空中に飛びかっている、ah、ha、ha。

ことばの価値がすりへると同時に、沈黙も意味をうしなった。言うべき時にはだまって身をかわし、しゃべらなくてよい時にはとめどなくしゃべる。

状況に足をとられて前進できない時、前進を言いつつ後退しているのがわかった時、沈黙が必要だ。いままでの方法、領域はすてて、すばやく撤退しなければならない。それでなければ自分のあやまちをくりかえし、それを防衛しながら状況におぼれていくのだ。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。

2014年7月27日日曜日

失敗者としてのバッハ




いいなあ、久しぶりにバッハの『フーガの技法』聴くのだけれど。
Contrapunctus 13いいなあ
グールドどんなふうにやってるんだっけ





ああやっぱりグールドってのはたまらんなあ

1972年、アムスコ・ミュージック・カンパニーから出版された《平均律クラヴィーア曲集》第一巻の楽譜に寄せたグールドの序文「フーガの技法」(Art of Fugue)の抄訳(宮澤淳一訳)でも貼り付けておくか。ただしこれはバッハの最晩年の作品(The Art of Fugue)の解説ではないよ。

バッハはいつもフーガを書いていた。これほど彼の気質に合った探究の対象はなかったし、彼の技法の発展がこれほど的確に評価できるものはほかにない。

彼は常に自分の書いたフーガによって判断されてきた。晩年、当時の前衛作曲家たちがもっとメランコリーなものを志向するようになってからもフーガを書いていたため、彼は昔のあまり啓蒙されていない世代の生き残りとして斥けられた。偉大なる草の根のバッハ復興運動が19世紀初頭に始まったとき、それを担ったのは善意あるロマン派の人たちだった。彼らが《マタイ受難曲》や《ロ短調ミサ》のがっしりとした氷に覆われたような合唱に見たのは、演奏不可能ではないにしろ、解明不可能な謎の数々だった。彼らがそこに身を奉ずべき価値を認めたのは、それらの謎から誇らしげな信仰心が立ちのぼっていたからである。忘れ去られた文化の眠る下層土を掘り起こす考古学者のように、彼らは自分たちの発見したものに感銘を受けた。だが彼らにとっては何よりも、この発見において主導権を発揮したことが喜びだった。(……)

今日のわれわれもバッハの作品の意味するところと彼の創造的な衝動の多様性を理解したつもりでいるかもしれないが、とにかくわれわれは彼の全音楽活動の中心がフーガにあることを認めている。バッハの手法は常にフーガと隣り合わせにある。彼の磨いたあらゆるテクスチャは結局はフーガに向かう運命にあった。実に何気ない舞曲の調べであれ、きわめて厳粛なコラールの主題であれ、それらは応答を求めているかのようで、フーガ的な手法において十二分に実現しうる対位法的な飛翔を熱望しているように思える。彼が実例を示したあらゆる響きも、声楽と器楽のあらゆる組み合わせも、幾多の応答が行われるのを許し、またそうした応答がなければ完全性を欠く作り方になっているかのようだ。カンタータでコーヒーを出すときや、アンナ・マグダレーナのためのアリアを走り書きするときのような、この上なくゲミュートリヒな、つまりこの上なく居心地のよい瞬間さえ、フーガの始まりそうな気配が漂っている。(……)

なるほどバッハはフーガの手法を誰よりもたやすく身につけたかもしれない。だがフーガとは一晩で習得できる技能ではない。その証拠としてバッハ初期のフーガが残っており、その中には20歳前後に書かれたトッカータ風のぎこちないフーガもある。いつ果てるともなく反復し、稚拙な継起を繰り返し、編集者の赤鉛筆が絶望的なほど入るであろうそうしたフーガは、大袈裟な和声に幾度となく屈している。これこそが若き日のバッハが闘うべきものであった。当時のバッハは自己批判能力に欠けていて、主題と応答さえあれば満足だった。チェンバロのためのトッカータニ短調に含まれる2つのフーガのうち、先のものは、基本主題の提示を、主張においてだけで何と15回も延々と繰り返すのである。(……)素材の要求に見合った形式を確立するフーガは稀であった。

ここにフーガの歴史的な課題がある。つまりフーガとは、ソナタ(少なくとも古典派のソナタの第1楽章)が形式であるという意味での形式ではない、むしろフーガとは、作品それぞれの奇妙な要求に見合った形式を発明するための誘発剤なのである。よいフーガが書けるかどうかは、形式を生み出すことへの興味において紋切り型をどれほど手放せるかにかかっている。だからこそフーガという音の冒険は、どうしようもなくマンネリ化したものにも、きわめて挑発的なものになりうるのだ。

こうしたフーガへの10代のぎこちない試みからまるまる半世紀後、フーガにおける明らかに時代錯誤的な究極の試みがなされた。《フーガの技法The Art of Fugue》である。バッハはこの作品を完成することなく世を去ったが、フーガの巨大化の試みをそれなりに楽しんだ。これは、少なくとも時代的にみれば、フェルッチョ・ブゾーニがネオバロック的な誇張を行うまでは誰も手を出さなかったものである。記念碑的な大きさの作品だが、撤退しようという雰囲気が全体を包んでいる。確かにバッハは作曲の実践的な関心から撤退し、妥協を許さぬ創作の理念的な世界へと足を踏み入れつつあった。この撤退の一面として、旋法的とも呼べるような転調概念への回帰がある。最初の調へ必ず戻っていくという調性の帰巣本能は、彼の作品のうち、比較的説教臭くないものに発揮されていたが、この曲集の中でそれが行われている箇所はいくつもない。《フーガの技法》に用いられている和声法は、はなはだしく半音階的だが、初期のフーガよりも同時代性に欠けるし、そして調性の地図をあてもなくさまよううちに、私はチブリアーノ・デ・ローレやドン・カルロ・ジェズアルドの曖昧な半音階主義の精神的な子孫なのだとしばしば宣言してしまうのだ。(……)

ワイマール時代の未熟な作品と、自己の立場を堅持するような強烈な集中力を発揮した《フーガの技法》との間にも、バッハは文字どおり数百のフーガを書いた。明示の有無はともかく、あらゆる楽器編成のために書き、ほとんど完璧な対位法を、実によどみない形で示している。そうした作品すべてにとって、そしてその後に現れる同じ形式の作品すべてにとって、尺度となるのが、それぞれに24の前奏曲とフーガを収めた全2巻の《平均律クラヴィーア曲集》である。驚くほど多種多様なこの作品集は、線的な継続性と、和声的な安定感との調和を成し遂げている。これはバッハが初期に徹底的に避けてきたものであると同時に、《フーガの技法》では時代錯誤的な傾向のため、本当に小さな役割しか担わされていないものである。この《平均律》でバッハが調性に示す才能は、素材と堅く結ばれており、主題と対主題の動機的な気まぐれを強調できる転調の自由に駆り立てられているように思われる。このように素材と調性を同じ次元で実現することにおいて、バッハは様式的に束縛されなかったばかりか、ほとんど一曲ごとに別個の和声を用いることができた。





いいなあこれも
フーガの技法がやっぱり一番飽きないんじゃないか
ただ最初から通して聴こうなんて気になっちゃいけない
そんなことしたら疲れてボロボロになっちまうからな

「バッハは失敗した。かれはしばらくわすれられていた。・・・(中略)・・・失敗であったというもうひとつの理由は、作品にまとまりのないことだ。<平均律クラヴィア>はたいへんムラだし、<フーガの技法>は未完成で、<ゴールドベルク変奏曲>はとても注意ぶかく計画されたが、全体をききとおすのは不可能だ。・・・(中略)・・・かれは完全な作品をつくることができずに失敗したが、それはよいことでもある。完全な作品はとじたへやのようなもので、きき手の想像力にはたらきかけない。未完成にのこすのは、全体に風をあてる窓をあけるようなもので、その方がよいのだ。」(高橋悠治『失敗者としてのバッハ』)

悠治いいこというねえ

ところでこのパルティータいつの録音なんだろ
たぶん若い頃かなんだろうけど巧いなあ






こんな録音していて代用品だと思われたら
やっぱり頭くるんだろうよ




ピアノは生活の手段だった。(……)ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グー ルドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。(……)

確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられない ためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。(高橋悠治「ピアノを弾くこと」




まいったなあこの写真
男前だねえ
エロティシズムの記憶だなあ
パルティータの演奏だぜ
性のかおりがいっぱいだよ

たとえば、古典組曲は、17世紀にイギリスで、アルマンド、クーラント、サラバンドが定番となり、フランス宮廷に輸入されたとき、ジーグが加わった。アルマンドはドイツ舞曲、クーラントはイタリー・フランス起原、サラバンドはスペイン、ジーグはイギリスのものだった。それぞれ異国の民俗舞踊を洗練したということになる。逆に言えば、外国で洗練されたものを逆輸入するのはさしつかえなかった。ジーグのように自国の先住民ケルト人に由来する「野蛮な」踊りは、宮廷では取り上げられなかった。それらはどんな踊りだったのだろうか。音楽史はほとんどそれには触れない。だが舞踊史はちがう。それは音楽のように精神性を気取ろうとしても、あまりに身体的なものだ。以下の記述はSonny Watson's StreetSwing.com による。そこには2000ページにおよぶダンスとダンサーの記録がある。

アルマンドは男女のペアが列を作って踊るもので、男が女の腰をつかまえて目がまわるほど速く回転させるのが特徴だったと言われる。クーラントは走るという意味で、3人の女を壁際に立たせ、3人の男が部屋の反対側から求愛の身ぶりで近寄るが、女たちはそっぽを向いてしまう。だが最後はいっしょになって踊りくるう。

サラバンドは、グァテマラの木製の笛の名前だったと言われる。踊り自体はイスラームからスペインに輸入されたもので、女2人、後には男女のペアによる速い踊りとなり、みだらなものとしてフェリペ二世に禁止されたこともあったが、しばらくしてフランス宮廷に登場した。しかし太り過ぎのルイ十四世が踊れるように、テンポを落とした荘重なものになったとされる。ジーグは16世紀の3弦のヴァイオリンの名前でもあった。それで伴奏される踊りは、胴を動かさず、足を急速に動かすもので、やがてフランスで大流行する。

バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータなど組曲の6曲セットを作っている。当時のドイツは、ヨーロッパの田舎だった。文化の中心パリの流行は、周辺地の音楽家の手で古典性をおびる。それらはもう踊られるためのものではなく、むしろ音楽語法を身に着けるためのモデルであり、ヨーロッパ中心の音楽世界地図でもあった。その装飾的な線の戯れにはどこか、かつての性的身ぶりの残り香がある。若いバッハは、入念に粉を振った最新の鬘をつけ、若い女を連れ、パイプをくわえて街をそぞろ歩く伊達男だったと言われる。音楽がまだ化石になっていないのも、そこにただようエロティシズムの記憶のせいかもしれない。(踊れ、もっと踊れ  高橋悠治)






※附記:作曲家の生活


雨の朝きみは武満徹を思い出している。
かれが亡くなって一月たった。
きみはかれのピアニストだった。
作曲の助手だったこともある。そこできみは
細かく書き込まれたスケッチから
映画のためのオーケストラ・スコアを作り、
楽器について、映画と音楽の関係についてまなんだ。
ながいあいだのように思っていたが、それは
ただ3年ほどの、しかし密度のある時間だった。
それからかれの友人となり、つぎに批判者となった。
そのことでかれはきずついた。
だが、きみとちがって、かれは
きみのことを悪くいうことはなかった。
きみは別な道を行った。
しばらく会うこともなかった。
何年もたって、ある町でかれの楽譜が売られていた。
崇拝者の列が、かれのサインを待っていた。
きみは、昔きみのために書かれた曲の楽譜を買って
列に加わった。
冗談のつもりだったが、あれは冗談だったのか。
そしてまた友人となり、十年がすぎた。

しばらくかれの姿を見なかった。
病気といううわさだった。
ひとに会わないようにしているのだと思って
たずねることもしなかったが、
きみは何にこだわっていたのか。
そのあいだに季節はめぐり、きみは
友人を二度うしなうことになった。

記憶はもろいものだ。
かれとはじめて話したのは嵐の夜だった。
台風で電車が止まり、古い旅館に泊まった。
やかましい雨の音のなかで、何を話したのか。
かれの娘が生まれた夜も、きみはかれの家に泊まっていた。
知らせを待ちながら、何を話したのか。
ことばは浮かんでこない。
ありありと感じられるのは、かれの声の響だけだ。
かれを思い出すとき、かれの音楽は響いてこない。

半年以上たってるのに
再生回数400程度じゃないか
最近の若いのは悠治なんて興味ないのかねえ






2014年6月4日水曜日

過去を変えることは不可能であるという思い込み

@RichterBot: (ジャン=フィリップ・コラールのシューマン『ピアノソナタ第三番』を聴いて)
それまでのコラールは第一級のピアニストのように私には思われていた。
ところが聴き終わって残念ながら見解を改めた。(スヴャトスラフ・リヒテル)

おそらく誰にでもあるだろう
それまで信頼していた人物への評価が
あるひとつだけののきっかけで
積み木の山のように
がらがらと崩れてしまうということが。

たとえば映像作家のある作品にメロドラマの汚点を感じ
遡って振り返ると以前には気づかなかった
その甘さの汚点がしみのように拡がって見えて
チャオ! あなたはもう結構というのが。

ツイッターでの発話者にさえある
なかなかよい詩を引用しているではないか
いい趣味だな
と感じ入っていたところ
ひとつの自己陶酔に溺れたツイートで
ああこの人物の詩への愛はすべてがナルシシズムに由来している
そのように唐突に悟り
もう結構となるというのが。
むしろそのとき己れのメロドラマ性に気づかされ
いっそう倦厭するようになるということが。

 フロイトに「遡及性」という概念
Nachträglichkeit (retroactivity)があるが
遡及的に欠点が明らかになるということが
われわれの生にはふんだんにある。
もちろんそれも誤解であり得るし
遡及的に美点が明らかになることもある。


フロイトの遡及性は次のようなことだ。
「遡及的」な外傷という形で使われる
子供が最初にある性的な光景を目撃したとき、
そこには外傷的なものは何ひとつなかった
子どもはなんら衝撃を受けたわけでは毛頭なく
意味のよくわからない出来事として記憶に刻み込んだだけ。
だが後年性的な袋小路に遭遇して
子供は幼いときの記憶を引っ張り出し、
遡及的に外傷化されるというふうに。
内的なトラウマと言われるものは
オリジナルな外傷があるのではなくて
多くの場合、このような遡及的な外傷だと
フロイトはある時期から外傷論の見解を変更している。

ボルヘスのカフカ論や
エリオットの「伝統と個人的な才能」
ドゥルーズの「純粋過去」などとも
しばしば指摘されるが遡及性にかかわる
個人あるいは文化の歴史の過去が変わる
正確には「再構成」される

過去を変えることは可能であるとする
中井久夫の次の文はおそらく
フロイトやエリオットを参照しているはず。

過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

《フロイトの夢の研究に徴しても、老人の回想に照らしても、「現在との緊張における」という限定詞つきの意味での「個人的過去の総体」は一般に「人格」と呼んでいるものにほぼひとしい。》(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」)

このように「現在との緊張関係における」という但し書きが必要なのだ
個人の過去、あるいは「人格」というものは。
他人や作品の評価も同じく。


…………

ボルヘスはカフカの先駆者として
「運動を否定するゼノンのパラドクス」
(たとえば『城』の運動の否定のパラドクス)
9世紀の作家、韓愈の麒麟にかんする寓意譚
キルケゴールの「中産階級的主題にもとづく宗教的寓話」
等々を挙げながら、次のように書く。

程度の違いこそあれ、カフカの特徴はこれらすべての著作に歴然とあらわれているが、カフカが作品を書いていなかったら、われわれはその事実に気づかないだろう。(……)
ありようを言えば、おのおのの作家は自らの先駆者を創り出すのである。彼の作品は、未来を修正すると同じく、われわれの過去の観念をも修正するのだ。(ボルヘス「カフカの先駆者」)

決定的な「芸術家」とはこのように過去の総体を再構成する
過去を変えてしまう、未来を変えるだけではないのだ
そんな芸術家の作品に遭遇できることは稀であるにしろ。

あるいはエリオットの《過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない》。

一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序全体がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。(エリオット「伝統と個人的な才能」吉田健一訳)

さらにはまた ドゥルーズ=プルーストの「純粋過去」。

紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ途端、それを誘い水にして、コンブレは、かつて生きられたためしがない光輝のなかで、まさにそうした純粋過去として再び出現する。(ドゥルーズ『差異と反復』p140)

《かつて現在であったためしがない純粋過去》、すなわち、

たとえばプルーストの『失われた時を求めて』において、語り手である<私>は、ある偶然の感覚性にともなって「本質的な意味では忘却していた過去」、コンブレで過ごした子供時代、その家や町や人びとが突如として生き生きと甦ってくるのを経験する。それはだから生き直すことである。しかしそれは人々が通常そう思っているように、なにか始原となるもの、オリジナルをなす出来事があって、それを同じように(あるいは類似したままに)繰り返すということではない。コンブレで過した子供時代は、実のところそのときそこで必ずしも生きられたのではなかった。むしろかなりの歳月がたったあとで、まったく新しいフォルムにおいて、その一つの真実のうちにーー現実世界においては等価物を持たなかった真実――のうちに生きられたのだ。すなわち再び生きられたのであり、かつまた同時に初めて生きられたのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』の訳者あとがきにかえられた小論「ドゥルーズとニーチェ」より 湯浅博雄)

この「純粋過去」は中井久夫のよって「メタ記憶」と言い換えられる。
それが正確に合致する概念であるかどうかは別にして
おそらく「メタ記憶」のほうがわれわれには馴染みやすい言葉だろう。

マドレーヌや石段の窪みは「メタ記憶の総体としての〈メタ私〉」から特定の記憶を瞬時に呼び出し意識に現前させる一種の「索引 ‐鍵 indice-clef 」である(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって ――プルースト/テクスト生成研究/精神医学」)

索引-鍵によって過去が再び生きられるのであり
しかも初めて生きられる過去なのであって、
ただたんに古くなっただけの過去(相対的過去)を
そのまま想起したのではない。
「現在との緊張関係における」過去なのである。

現在のあるささいな出来事が
潜在的でしかなかった過去を「遡及的に」構成しなおす
それが《再び生きられ、かつ初めて生きられる》ということだ。


ドゥルーズの「純粋過去」概念は、
「反復」概念にも大きくかかわる。

そこにはまず想起/反復という二項対立がある。

恋愛”においてある個体にこだわることは、その個体を単独性においてではなく、一般的なもの(イデア的なもの)のあらわれにおいてみることであるからだ、たとえばこの女しかいないと思いつめながら、また次に別の女にこの女こそと思いつめていくようなタイプがある。フロイトがいったように、この女への固執は、幼年期における母への固執の再現(想起)である。次々と相手を変えながら、そのつどこの女と思い込むようなタイプは、フロイトのいう「反復強迫」である。実は、反復強迫は、キルケゴールのいう反復ではなくて想起であり、同一的なものの再現なのである。ここには他者は存在しない。たんに、法則的(構造的)な再現(表象)があるだけだ。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

この「想起」から抜け出て「反復」しなければならない。

同一的な規則を前方に想定するような行為は「想起」(キルケゴール)にほかならないが、そうでない行為、規則そのものを創りあげてしまうような行為は、「反復」または「永劫回帰」とよばれる。(同『探求Ⅱ』)

高橋悠治にひどく美しい「ふりむく」をめぐる文がある。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』

われわれは、過去に受身であり
かつそれに決定されている、
「自由意志」などないというスピノザの言う如く。
にもかかわらず「ふりむく」という行為によって
過去の座標軸そのものを変えることができる
高橋悠治の言葉はそのように読みたい。


確かに、われわれの愛は、母に対する感情を反復している。しかし、母に対する感情は、われわれ自身が経験したことのないそれとは別の愛をすでに反復しているのだ。…極限では、愛の経験は、全人類の愛の経験であり、そこに超越的な遺伝の流れが貫流している(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
反復されることになる最初の項などは、ありはしないのだ。だから、母親へのわたしたちの幼児期の愛は、他の女たちに対する他者の成人期の愛の反復なのである。(ドゥルーズ『差異と反復』)







2014年5月13日火曜日

五月十三日 小林秀雄と岡崎乾二郎

微恙あり。尿酸値上がる。薬を飲むといつもの如くいささかの嘔吐感。

…………

岡崎乾二郎:日本にグリーンバーグがいなかったのは、グリーンバーグより優秀な小林秀雄がいたから。 #genroncafe

――などと御大はオッシャッテイルらしい。

これはどこで語ったのかよく分からないが、次のような発言もあるそうだ(小林秀雄について:メモ)。

岡崎乾二郎 先日、近畿大学で小林秀雄の『近代絵画』を扱いました。小林秀雄は その当時読める物を海外の文献を含めてだいたい読んでいる。これだけ文献を読んでいる 日本人は彼しかいないだろうというぐらい読んでいる。確かに論としてはヒントしか 書かれていないんですが、発展させればクレメント・グリンバーグからさらに現代の ロザリンド・クラウスの議論に通じる論点までがそこにはある。なぜそういう射程 の深さがあったかというと、もちろんボードレールからアルフレッド・バーに至るまで、 先程の柄谷さんの話ではないけれど読むべき基本文献を読んでいたからですね。グリンパーグ やらクラウスと共通の出発点をきちんと押さえていた。小林秀雄というとそれだけで誤解 があって、現代の美術批評はもちろん、その当時もおそらく誰もこの本の可能性を理解して いなかったでしょう。「解説」を読むと案の定理解していなくて「画家たちの魂の深み」 みたいなことが書いてある(笑)。

つまり小林秀雄が前提とした文化的コーパス(サブカルチャーまで含めたかなりの広さの)を共有していないと、小林秀雄が何を言っているか、何を批判しようとしていたかは、わからない。グリンバーグが昔、日本に来て、マティスやセザンヌをみたことがない日本人には自分のいっているモダニズムの議論は意味がないだろう。それはむしろ幸せなのかもし れないなんてことをアイロニカルにいったけれど、この言葉は少なくとも小林秀雄には通用 しなかった。逆にいえば、ゆえに小林の美術論も当時の日本はおろか、現代の日本の文化の 状況でもまったく理解されえないだろうとも感じるのですね。その小林をわれわれが批判 しようとするときには、それ相当の覚悟がいる。せめて小林と同じくらいは美術や音楽に 触れていないとどうしようもない。現在小林よりもはるかに容易にそれに触れる チャンスがあるのに小林ほどにも経験がないというのはどうしようもない。

ははあ、かつて岡崎乾二郎は小林秀雄をめぐって「所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない」としたらしいが、これはとくに『近代絵画』をめぐってではなかったか。

岡崎 どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。(グリーンバーグ講義ノート1)。

これも批判の対象は、とくに小林秀雄に照準を向けてだろうが、それにもかかわらずやはり偉大だということか。それとも今の「批評」の程度が低すぎるということか。

一時期、高橋悠治や蓮實重彦の小林秀雄批判などがあり、それはそれで小林秀雄の弱点を的確に突いていた。


批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。

この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。

作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。

ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。

日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。

ここで、《うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋》と書く高橋悠治の言葉は、岡崎乾二郎の《所詮、鎖国経済下の骨董屋の議論に過ぎない》という文の出所(のひとつ)としてもよいだろう。

名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。(蓮實重彦『表層批判宣言』)

70年代にこういった小林批判があり、その後小林秀雄批判が流行した時期がある。たとえば柄谷行人の批判→ 「意図的な誤読の「楽しみ」

――で、わたくしはこう引用したからといって、何を言おうとするわけでもない。まあそれでもプルーストぐらい引用しておこう。

私は知っていた、――あまりにも長期にわたってかがやかしい名声を博していたものを闇に投じたり、決定的に世に埋もれるように運命づけられたかと思われたものをその闇からひきだしたりする批評の遊戯なるものは、諸世紀の長い連続のなかで、単にある作品と他の作品とのあいだにのみおこなわれるものではなく、おなじ一つの作品においてさえもおこなわれるものであることを。(……)天才たちがあきられたというのも、単に有閑知識人たちがそれらの天才たちにあきてしまったからにすぎないのであって、有閑知識人というものは、神経衰弱症患者がつねにあきやすく気がかわりやすいのに似ているのである。(プルースト「ゲルトマントのほう 二」井上究一郎訳) 
批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっているから、作家が大衆によって判断されること(大衆にとって未知である探求の領野に芸術家がくわだてた事柄を、大衆が理解することも不可能でないとしての話だが)をむしろ好む傾向ともなるのであろう。というのも、大衆の本能的生活と大作家の才能とのあいだには、本職の批評家と皮相な駄弁や変わりやすい基準とのあいだより以上に、多くの相通じるものがあるからで、大作家の才能は、他のいっさいのものに命じられた沈黙のただなかで敬虔にききとられた本能、よく把握され、十分に仕上げられた本能にほかならないのである。(同 プルースト「見出されたとき」井上究一郎訳)

ところで、小林秀雄の『本居宣長』というのは、鴎外の『渋江抽斎』をモデルのひとつにしてるんじゃないだろうか。このところ抽斎伝や蘭軒伝を読んでいるのだが、まだ『本居宣長』を「再読」してみる気にはなっていない。




2014年4月26日土曜日

四月廿六日 「密閉した全体じゃない」

ちょっとかなりいい加減に書いたな、いま読み返してみてそう思うが、書きなおすのはメンドウなのでそのまま投稿する。「小説」のひとになっていいてね、いま。邪魔するなよな、おい!

…………

むかし書いたのをいまごろ何人かの人が読んでくれると、
ああこんなことを書いたんだなと思い出すのだけれどさ

非-全部はメタランゲージである」は、三ヶ月ほど前に書いたんだな
非全体の論理、あるいは女性の論理ってやつだけれど

あんまりむつかしいこときいてくるなよな
思いつきで書いているところも多いんだから
自分で考えろよ、資料は提示するからさ

資料:ラカンの男性の論理と女性の論理/カントの力学的アンチノミーと数学的アンチノミー)」ってのは、かなり昔に書いたのだが、ここで引用されている田中純の論文はまず読んどけよ


ジジェクが『Less Than Nothing』(2012)で
前期ウィトゲンシュタインを、ラカンの「男性の論理」
後期ウィトゲンシュタインを「女性の論理」とを
関連させて語っている箇所があるけれど
(後期というのは「家族的親和性」のこと)
こっちのほうがまずは分かり易いかもしれない

英文のままにするよ
いくらなんでももうそろそろ邦訳でるだろ

Slavoj Žižek: Formulae of Sexuation: The All With an Exception
Lacan elaborated the inconsistencies which structure sexual difference in his “formulae of sexuation,” where the masculine side is defined by the universal function and its constitutive exception, and the feminine side by the paradox of “non‐All” (pas‐tout) (there is no exception, and for that very reason, the set is non‐All, non‐totalized). Recall the shifting status of the Ineffable in Wittgenstein: the passage from early to late Wittgenstein is the passage from All (the order of the universal All grounded in its constitutive exception) to non‐All (the order without exception and for that reason non‐universal, non‐All).

That is to say, in the early Wittgenstein of the Tractatus, the world is comprehended as a self‐enclosed, limited, bounded Whole of “facts” which precisely as such presupposes an Exception: the mystical Ineffable which functions as its Limit.

In late Wittgenstein, on the contrary, the problematic of the Ineffable disappears, yet for that very reason the universe is no longer comprehended as a Whole regulated by the universal conditions of language: all that remains are lateral connections between partial domains. The notion of language as a system defined by a set of universal features is replaced by the notion of language as a multitude of dispersed practices loosely interconnected by “family resemblances.”

《私たちが見ているのは、多くの類似性――大きなものから小さなものまで――が互いに重なり合い、交差してできあがった複雑な網状組織なのである。》(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』66節)

《私は、この類似性を特徴付けるのに「家族的類似性」という言葉以上に適切なものを知らない。なぜなら家族の構成員の間に成り立つ様々な類似性――体格、顔つき、眼の色、歩き方、気性、等々――は、まさにそのように重なり合い、交差しているからである。そこで私はこう言いたい、「ゲーム」もまた一つの家族を構成しているのだ、と。》(『哲学探究』67節)

ウィトゲンシュタインが反対するのは、複数的な規則体系を、一つの規則体系によって基礎づけることであるといってよい。しかし、数学の多数体系はまったく別々にあるのではない。それは相互に翻訳可能だが、共通の一つをもたないだけである。彼は、そうした「互いに重なり合ったり、交差し合ったりしている複雑な類似性の網目」を「家族的類似性」と呼ぶ。《われわれが言語と呼ぶものすべてに共通な何かを述べる代わりに、わたくしは、これらの現象すべてに対して同じことばを適用しているからといって、それらに共通なものなど何一つなく、――これらの現象は互いに多くの異なった仕方で類似しているのだ、と言っているのである。そして、この類似性ないしこれらの類似性のために、われわれはこれらの現象すべてを「言語」とよぶ》(『哲学研究』)――(柄谷行人『トランスクリティーク』P106)
前期ウィトゲンシュタインは、「語りえないものについては沈黙しなければならない」と書いている(『論理哲学論考』)。その場合、「語りえないもの」とは、宗教と芸術である。この点で、ウィトゲンシュタインがカント的であることは容易に指摘しうる。(……)

しかし、後期ウィトゲンシュタインはどうか。『哲学探究』における言語ゲーム論では、科学・道徳・芸術といった領域的区分が廃棄されている。それは彼がカント的なものから遠ざかったように見えさせる。しかし、すでに述べてきたように、カントの「批判」の核心がそのような区分に関係なく、他者を持ち込むことにあったとすれば、むしろ後期ウィトゲンシュタインのほうがはるかにカント的なのだ。その「他者」は、経験的にありふれているにもかかわらず、超越論的に見いだされたものである。同 P112

ーーとあるけれどさ
ラカンの非全体の論理ってのは、はっきりはわかんないねえな
家族的親和性だけじゃないには決まってるからな

非全体の論理が説かれるラカンのアンコールのセミネールなんて
オレはどう頑張っても精読する気にならないからな
英訳ですこしは読み流したのだけれど
前半と後半でいっていることがすこしずづ動いていくんだよな
非全体の論理の実践の書だね、あれは

『READING SEMINAR XX Lacan's Major Work on Love,Knowledge, and Feminine Sexuality』 E D I T E D B Y Suzanne Barnard Bruce Finkってのを以前、ウェブから無料で手に入れたのだが、いま見当たらないがどういうわけか

まあ探せばこの手のものはいくらでもあると思うぜ


ところで、「ロマン・ヤコブソンのコミュニケーション論―― 言語の「転位」 ――(朝妻恵里子)」に

言語は孤立し密閉した全体と解釈することができず、全体としても部分としても同時に見なければならない

とあるけれど、この「密閉した全体じゃない」ってことなんだな、まずは。

「無限判断」ってことなのだよ

二〇世紀において、数学基礎論は論理主義、形式主義、直観主義の三派に分かれる。このなかで、直観主義(ブローウェル)は、無限を実体としてあつかう数学に対して、有限的立場を唱えた。《古典論理学の法則は有限の集合を前提にしたものである。人々はこの起源を忘れ、なんの正統性も検証せず、それを無限の集合にまで適用してしまっているのではないか》(ブローウェル『論理学の原理への不信』)。彼は、排中律は無限集合に関しては適用できないという。排中律とは、「Aであるか、Aでないか、そのいずれかが成り立つ」というものである。それは、「Aでない」と仮定して、それが背理に陥るならば、「Aである」ことが帰結するというような証明として用いられている。ところが、有限である場合はそれを確かめられるが、無限集合の場合はそれができない。ブローウェルは、無限集合をあつかった時に生じるパラドックスは、この排中律を濫用するからだと考える。

『純粋理性批判』におけるカントの弁証法は、アンチノミーが排中律を濫用することによって生じることを明らかにしている。彼は、たとえば「彼は死なない」という否定判断と「彼は不死である」という無限判断を区別する。無限判断は肯定判断でありながら、否定であるかのように錯覚される。たとえば、「世界は限りがない」という命題は「世界は無限である」という命題と等置される。「世界は限りがあるか、または限りがない」というならば、排中律が成立する。しかし、「世界は限りがあるか、または無限である」という場合、排中律は成立しない。どちらの命題も虚偽でありうる。つまり、カントは「無限」にかんして排中律を適用する論理が背理に陥ることを示したのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』第一部・第2章 綜合的判断の問題 P95-96ーー「否定判断」と「無限判断」

こういったことは頭でわかっていても、
つい否定判断の領域で語ってしまうのだよな
でも女性の論理を男性の論理で語ってもどうしようもないぜ
論文形式で図式的に書いたら「女性の論理」はどこかにいっちまうからな

知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

「女性の論理」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬ「女性の論理」となり、「女性の論理」の労働となれねばならぬ、ということだよ。

メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。》(ロラン・バルト『作品からテクストへ』)

小説のようなエクリチュールしかないんじゃないか

たとえば、金井美恵子は、《中上健次は私の家に泊っていった時、ホモの家に来たみたいだな、と言ったものですが、私はといえば、彼を、まったくこれは中上のオバだ、と思いましたし、第一、彼の書く小説は、ある意味で女性的です――そして、それが秀れた小説の特徴なのです。》(『小説論』)とするし、クンデラなら、「相対的で両義的な小説の言語」や「小説の知恵(不確実性の知恵)」(『小説の精神』)としたり、あるいは「神の笑いのこだま」とか「非論理的・非合理的なものの介入」などの表現を駆使しつつ何人かの(男性)小説家について語るとき、それは非-全体の論理(女性の論理)に近しいことを語っているに相違ない。

アンナ・カレーニナが狭量の暴君の犠牲者なのか、それともカレーニンが不道徳な妻の犠牲者なのか、あるいはまた、無実なヨーゼフ・Kが不正な裁判で破滅してしまうのか、それとも裁判の背後には神の正義が隠されていてKには罪があるからなのか、…どちらが正しくてどちらが間違っているか。エンマ・ボヴァリーは我慢のならない女なのか、あるいは勇敢で人の心をうつ女なのか。ウェルテルはどうか。彼は多感で気高いのか。あるいは、のぼせ上がった攻撃的な感情家なのか。小説を注意ぶかく読めば読むほど答えることはできなくなる。(……)小説の<真実>は隠されており、表ざたにされず、また表ざたにされ得ないものなのである。(クンデラ『小説の精神』)

やっぱ小説じゃないか

蓮實重彦『表象の奈落』所収の「小説の構造」(初出=「国文学」1977年12月号)の冒頭にこうある。

もしかりに、ヨーロッパが真の反省的思考に目覚める瞬間があるとするならば、そのときヨーロッパが描きあげるだろうその自画像は「小説」を中心にした構図におさまることになるだろう。あるいは逆に「小説」を構図の中心に据えたヨーロッパ像が想定されぬ限り、ヨーロッパはその自意識を獲得することはなかろうというべきかもしれない。「小説」を視界におさめなかったが故に、デカルトは真の反省的思考を実践しえなかったし、マルクスも、またニーチェも、そしてフロイトも、「小説」を曖昧にとり逃がしてしまったが故に、ヨーロッパ的な現実を周到に描きつくすにはいたらなかったのだ。階級闘争も、永劫回帰も、無意識も、「小説」に対してはひたすら無効の身振りしか演じてはいない。そしてその事実を自覚する瞬間に、ヨーロッパは初めて真の反省的な思考を獲得することになるだろう。またそうでない限り、ヨーロッパは、ルイ十四世の時代と質的にはほとんど変わらぬ仕草で思考をめぐらせ続けるほかあるまい。

これは、ただ蓮實重彦一流の挑発であろうか?
『表象の奈落』は2006年に出版されている。なぜ彼は今頃30年以上前のこの小論をここに掲載する気になったのか。

小論の最後には、こう書かれている。

もしかりに、過去一世紀を「小説」の時代と呼ぶのであれば、それは、この身分の賎しくいかがわしい言葉の戯れから、賎しさといかがわしさを分離し、それを見ずにすごすことの歴史であったといえる。それに視線を落とさずにいることがもはや不可能となったいま、「小説」の歴史は、必然的に近代がその真の反省的意識に目覚めるという事件の生まなましい叙述たらざるをえないところにさしかかっていると思う。

《身分の賎しくいかがわしい言葉の戯れ》を
見ずにすませているヤツばかりだからな
対話とか議論とか論文とか言ってさ

そもそも議論するってのはこういうことだからな

よく定義されたことばをつかって書くことは およそ論議のなされるための原則と言えるだろう このこと自体がすでに 語り尽くすことができないものを わかったように語るという罠にかかっている ひとつのことばが厳密に定義できるなら それは意味するものとしての記号にすぎないだろう 世界のかわりにそれをあらわす記号を操作しても 無限を有限で置きかえるこの操作からのアプローチは 逆に無限回の操作を要求することになる 推論はかならず反論をよび 論理の経済どころか ことばは無限に増殖する(現代から伝統へ  高橋悠治

別にラカン理論なんてどうでもいいのだよ
どうでもいいというのは言い過ぎだが
高橋悠治のように理論を参照せずに
たとえばカフカを読んで
カントの無限判断やら
ラカンの非全体の論理や
ヴィトゲンシュタインの家族的親和性
に近い処に自ら到達するってのが肝心かもな

それが考えるってことさ

ーーという具合に胡麻化しておくよ


※附記(ジジェク『斜めから見る』における「非-全体」の論理の叙述)

ウィンストン・チャーチルの有名なパラドックス( ……)。民主主義は堕落とデマゴギーと権威の弱体化への道を開くシステムだと主張する人びとにたいして、チャーチルはこう答えた。「たしかに民主主義はありとあらゆるシステムのうちで最悪である。問題は、他のどのシステムも民主主義以上ではないことだ」。この発言は「すべてが可能だ。いやもっと多くのことが可能だ」という全体集合を提示する。その中では問題の要素(民主主義)は最悪のように見える。第二前提によれば、「ありとあらゆるシステム」という集合はすべてを包含しているわけではなく。付加的な要素と比べてみれば件の要素がじゅうぶん我慢できるものであることがわかる。この論法は次の事実に基づいている。すなわち付加的要素は「ありとあらゆるシステム」という全体集合に含まれているものと同じであり、唯一の相違はそれらはもはや閉じられた全体の要素としては機能していないという点である。政府のシステムの全体の中では民主主義は最悪であるが、政治システムの全体化されていない連続の中には民主主義以上のものはない。したがって、「それ以上のものはない」という事実から、民主主義が「最良」であるという結論を引き出してはいけない。民主主義の利点はまったく相対的なものでしかないのである。この命題を最上級で定式化しようとしたとたん、民主主義の特質は「最悪」となってしまうのである。(ジジェク『斜めから見る』 P62~)

《…Winston Churchill's wellknown paradox. Responding to those detractors of democracy who saw it as a system that paved the way for corruption, demagogy, and a weakening of authority, Churchill said: "It is true that democracy is the worst of all possible systems; the problem is that no other system would be better." That sentence is based on the logic of "everything possible and then some." Its first premise gives us the overall grouping of "all possible systems" within which the questioned element (democracy) appears to be the worst. The second premise states that the grouping "all possible systems" is not allinclusive, and that compared to additional elements, the element in question turns out to be quite bearable. The procedure plays on the fact that additional elements are the same as those included in the overall "all possible systems," the only difference being that they no longer function as elements of a closed totality In relation to the totality of systems of government, democracy is the worst; but, within the nontotalized series of political systems, none would be better. Thus, from the fact that "no system would be better," we cannot therefore conclude that democracy is "the best"—its advantage is strictly limited to the comparative. As soon as we attempt to formulate the proposition in the superlative, the qualification of democracy is inverted into "the worst."》

フロイトは『非医師による精神分析の問題』の「あとがき」において、女性に関して、ウィーンの風刺新聞「ジンプリチシムス」に載ったちょっとした対話を思い出し、( ……)「すべてではない」というパラドックスを持ち出している。「一方の男が、女性の欠点と厄介な性質について不平をこぼす。すると相手はこう答える、『そうは言っても、女はその種のものとしては最高さ』」。だからこそ女は男の症候なのである。女には我慢がならないが、女以上に素敵なものはない。とても女とはいっしょに暮せないが、女なしで生きるのはもっと困難なのだ。(同上)
……女のことになるとまず極まって悪く言っていたし、自分のいる席で女の話が出ようものなら、こんなふうに評し去るのが常だった。――「低級な人種ですよ!」

(……)さんざん苦い経験を積まさせられたのだから、今じゃ女を何と呼ぼうといっこう差支えない気でいるのだったが、その実この『低級な人種』なしには、二日と生きて行けない始末だった。男同士の仲間だと、退屈で気づまりで、ろくろく口もきかずに冷淡に構えているが、いったん女の仲間にはいるが早いかのびのびと解放された感じで、話題の選択から仕草物腰に至るまで、実に心得たものであった。(チェーホフ『犬を連れた奥さん』ーー低級な人種ですよ!/その種のものとしては最高さ






2014年4月14日月曜日

遠くからのサイレンの音

母・髙橋英子(1914.1.31 2013.5.21)》とある。九十九歳で逝去。
この母の追悼詩が書かれた(公表された)のは、ほぼ十ヶ月後ということになる

サイレンが遠く聞こえる
懐中電灯の青い光 にぎりしめ充電する微かな音 
暗い家
ねむい子どもを歩かせ 赤ん坊を背負って急ぐ
川向うの洞窟へ
いつももんぺ 髪は手ぬぐいで包む
昔のことは言わなかった
聞いておきたかったことも 
 もう忘れたよ としか言わなかった
音楽は もういらない
家を離れて 病院の四人部屋
 出てきたな
 びっくりした
 見舞いに来たの

 いっしょにあそんで たのしかったね
 もっとあそびたいけど
 いまは つらいことばかり

日が暮れてゆく
血圧、脈、呼吸の波がゆれている
呼吸が波立ち 乱れ
他の波に波紋が伝わる
波頭が折り重なり 狭まり尖って
 せわしく喘ぎ
          たちまち砕け散る


「サイレンが遠く聞こえる」と始まる。だが遠くから唐突にやって来るのが掛けがえのない記憶だなどと他人の言葉を勝手に解釈はしまい。ただわたくしの記憶はそうであるというだけだ。《音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる》とは、シュネデールのグールド論のなかの言葉だった。シューマン論ではこうある。

痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)

「私」もそうだ、私の内部には無限があり、内部の核、その奈落の底には外部がある。《自我であるとともに、自我以上のもの》といえばラカン派の言葉のようだが、プルーストの言葉でもある。

私の全人間の転倒。夜がくるのを待ちかねて、疲労のために心臓の動悸がはげしく打って苦しいのをやっとおさえながら、私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。いま私をたすけにやってきて魂の枯渇を救ってくれたものは、数年前、おなじような悲しみと孤独のひとときに、自我を何ももっていなかったひとときに、私のなかにはいってきて、私を私自身に返してくれたのとおなじものであった、自我であるとともに、自我以上のもの(内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器)だったのだ。L’être qui venait à mon secours, qui me sauvait de la sécheresse de l’âme, c’était celui qui, plusieurs années auparavant, dans un moment de détresse et de solitude identiques, dans un moment où je n’avais plus rien de moi, était entré, et qui m’avait rendu à moi-même, car il était moi et plus que moi (le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait).

私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。(……)こうして私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。(プルースト「ソドムとゴモラ 二」 井上究一郎訳)

こうやってプルーストの「心情の間歇」の章の文を抜き出せば、さらには《喪は緩慢な作業によって徐々に苦悩を拭い去ると人は言うが、私にはそれが信じられなかったし、いまも信じられない》と引用することもできる。

プルーストの小説の「語り手」が祖母の死について言ったように、私もまたこう言うことができた。《私はただ単に苦しむということだけでなく、その苦しみの独自性をあくまで大事にしたかった》と。なぜなら、その独自性は、母のうちにある絶対に還元不可能なものの反映だったからである。そしてそれが、まさに還元不可能であるゆえに、一挙に、永遠に失われてしまったのだ。喪は緩慢な作業によって徐々に苦悩を拭い去ると人は言うが、私にはそれが信じられなかったし、いまも信じられない。私にとっては、「時」は死別の悲しみを取り除いてくれる、ただそれだけにすぎないからである(私は単に死別したことを悲しんでいるのではない)。それ以外のことは、時がたっても、すべてもとのまま代わらない。というのも、私が失ったものは、一個の「形象」(「母」なるもの)ではなく、一個の人間だからである。必要不可欠なものではなく、かけがえのないものだからである。私は「母」なしでも生きてゆくことができた(われわれはみな、遅かれ早かれそのようにしている)。しかし私に残された人生は、確実に、最後まで、形容しがたい(特質のない)ものとなることであろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

高橋悠治の母への追悼詩は十ヶ月後に書かれているとしたが、昨年の六月の「掠れ書き29(時を刻む論理)」には僅かな痕跡がある。 

ところで、死に近づいていく人の場合は、耳もとで呼びかけても、意識がないのか、あっても、応えるための筋肉が麻痺しているのか、死んでいく こと、生きているからだが持っているエネルギーや可能性をすべて使い尽くす作業にかかりきりでいるので応えたくないのか、ついにわからないま まに終わる。瞑想がついにおよばない生と死の、それにもかかわらずと言うか、それゆえの、だれのからだにも起こっている現実が、外からの視線 を拒否する、と言えないだろうか。意識はなくても、生きようとするからだの意志、と言うと意識のレベルで捉えられるかもしれないが、からだの 動きは、意志で動かす随意筋の範囲を越えて、動きつづけていなければ死んでしまう、心拍や呼吸だけでなく、意識を通さない、意識に上らないが 動き続けている、不随意筋といわれるものの運動があって、ここにいまある世界のなかに、ほんのしばらくのあいだでも存在していることはできる のだろうから、と言ってみたくもなる。

生命を維持している「しるし」とされている、心拍や呼吸の時間は、「刻む」とか「数える」とか言ってしまうけれど、じつは波打っているのだか ら、たとえば心臓の筋肉が血液を押し出す瞬間だけを感知して、波の頂点の間隔を計ったときの「刻む」という言い方から、時計のような機械の時 間とつい比較することになるが、人工の時間ではない特徴の一つには「ゆらぎ」があることを思いだすと、時間のありかたがまったくちがう、しか し、その質のちがいを語るのも、「ゆらぎ」という現象があることでさえ、機械の時間のことばでしか言うことができない、それが人間のことばの 限界のように見えるが、ことばはそういうものだったのか、いつからかそれが変わったのか、そんなことを思ってしまう。

高橋悠治はかつて、《ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ》 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』)とした。

悠治の追悼文はどれもこれも美しい
だれ、どこ」を見よ
あるいは

雨の朝きみは武満徹を思い出している。
かれが亡くなって一月たった。
きみはかれのピアニストだった。
作曲の助手だったこともある。そこできみは
細かく書き込まれたスケッチから
映画のためのオーケストラ・スコアを作り、
楽器について、映画と音楽の関係についてまなんだ。
ながいあいだのように思っていたが、それは
ただ3年ほどの、しかし密度のある時間だった。
それからかれの友人となり、つぎに批判者となった。
そのことでかれはきずついた。
だが、きみとちがって、かれは
きみのことを悪くいうことはなかった。
きみは別な道を行った。
しばらく会うこともなかった。
何年もたって、ある町でかれの楽譜が売られていた。
崇拝者の列が、かれのサインを待っていた。
きみは、昔きみのために書かれた曲の楽譜を買って
列に加わった。
冗談のつもりだったが、あれは冗談だったのか。
そしてまた友人となり、十年がすぎた。

しばらくかれの姿を見なかった。
病気といううわさだった。
ひとに会わないようにしているのだと思って
たずねることもしなかったが、
きみは何にこだわっていたのか。
そのあいだに季節はめぐり、きみは
友人を二度うしなうことになった。

記憶はもろいものだ。
かれとはじめて話したのは嵐の夜だった。
台風で電車が止まり、古い旅館に泊まった。
やかましい雨の音のなかで、何を話したのか。
かれの娘が生まれた夜も、きみはかれの家に泊まっていた。
知らせを待ちながら、何を話したのか。
ことばは浮かんでこない。
ありありと感じられるのは、かれの声の響だけだ。
かれを思い出すとき、かれの音楽は響いてこない。


あるいは

     どこから来たかではない
    そこには二度と還れないから
            どこへ行くかでもない
     なにかをめざすことはもうないから
          いまいる場所が問題だ
  それがやっとわかってきた

   二○○一年二月
ヤニス・クセナキスが死んだ
            かすかにのこっていた
    ヨーロッパとの縁も これで切れてしまった
       一九六○年には勅使河原宏のはじめた草月アートセンターがあった
そこには武満徹や秋山邦晴がいた
  クセナキスと
        またケージともそこではじめて会った
      いまは だれも生きていない
    柴田南雄も死んだ
           音楽をつくるときに意識していた人たち
     ちかづくにせよ とおざかるにせよ
    航路の支えだった友人たちはもういない



音楽なんか聴かなくても生きていける。


音楽というものがまだほろびないとすれば、明日には明日の音楽もあるだろう。だが、それを予見することはわれわれのしごとではない。いまあるような音楽が明日までも生きのびて明日をよごすことがないとおもえばこそ、音楽の明日にも希望がもてるというものだ。音楽家にとってつらい希望ではあっても。

ーーとはグールド追悼の「かっこいい」捨てぜりふだった。

人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。

コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。

それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。(「音楽の反方法論的序説」)
フィリピンの作曲家にして音楽学者ホセ・マセダが
何年も前に言っていたことがある。
(……)
「バッハもモーツァルトも、支配者のために書いた。
音楽で支配関係を表現した。
みんながわずかなものをわけあって生きることを
あらわす音楽はなかった」(同上)

2013年12月20日金曜日

暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとする(フロイト、ドゥルーズ)

私はおよそ世界観の製造などを心がけていない。そういうことは哲学者にまかせるがよい。疑いもなく哲学者というものは、あらゆる事情が書きしるしてある旅行案内をもたないと、人生の旅行ができないのである。彼らはその高次の必要性の立場から、軽蔑をもってわれわれを見下すにしても、われわれはあまんじてそれをうけよう。われわれに自己愛的な傲慢があるのは否定できないにしても、自らを慰めて、こう言いたい。これら「人生の指導者」どもは、いくばくもなく、すべて古ぼけてしまうのであって、その旅行案内の再版を余儀なくさせるのは、まさにわれわれの近視眼的にせばめられたささやかな仕事であり、かれらの最新版の旅行案内さえも、もとは、昔の便利で完全な教義問答に代わろうとしているにすぎないのだ。科学が今日まで、世界の謎に光明をあたえることが、どんなに少なかったかは、われわれとてもよく承知している。だが、哲学者のあらゆる騒音は事態を変えはしないこと、確実性を唯一の信条として追求していく忍耐づよい研究の続行だけが、徐々に変革をもたらすこと、これもわれわれはよく知っている。暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。(フロイト『制止、症状、不安』(1926)旧訳フロイト著作集6からだが、一箇所訳語を変更 「高級な貧困」→「高次の必要性」)

《暗闇をさまよう者は、歌をうたってその不安をうちけそうとするが、だからといって、すこしでも明るく見えてくるわけではない。》

まったく異なった文脈で書かれているのだが、『ミラ・プラトー』には、《暗闇をさまよう者は、歌をうたって》カオスのなかに秩序をつくれ、とある、まるでフロイトの美しい表現を使い反フロイトの言葉を紡ぎだすかのようだ。

暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(……)

歌はカオスからとびだしてカオスのなかに秩序をつくりはじめる。ひとりの子どもが、学校の宿題をこなすために、力を集中しようとして小声で歌う。ひとりの主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」厚表紙版p359)

だが、《歌には、いつ分解してしまうかもしれぬ危険がある》という面も肝要なのだろう。そして上の文だけでは反フロイトであるかどうかは、実のところわからない。だが上の文のすこしまえにはこうある。精神分析家は、歌の、そのリトルネロのことが分っていない、と。

われわれは、リトルネロ(リフレイン)こそ、まさに音楽の内容であり、音楽にひときわ適した内容のブロックであると考える。一人の子どもが暗闇で心を落ち着けようとしたり、両手を打ち鳴らしたりする。あるいは歩き方を考え出し、それを歩道の特徴に適合させたり、「いないいない、ばあ」(Fort-Da)の呪文を唱えたりする(精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとするからだ)。タララ、タララ。一人の女が歌を口ずさむ。「小声で、やさしく一つ節を口ずさむのが聞こえた。」小鳥が、独自のリトルネロを歌いはじめる。ジャヌカンからメシアンにいたるまで、音楽は実にさまざまな形で、小鳥の歌に貫かれている。ルルル、ルルル。音楽は幼児期のブロックによって、また女性性のブロックによって貫かれている。音楽はありとあらゆるマイノリティに貫かれているが、それでもなお絶対な力能を構成する。子供たちのリトルネロ、女たちの、さまざまな民族の、さまざまな領土の、そして愛と破壊のリトルネロ。そこにリズムが生まれる。シューマンの全作品はリトルネロや幼児期のブロックから成り立ち、そこに独自の処理がほどこされている。こうしてシューマン独自の子供への生成変化と、クララという名をもつ女性への生成変化が生まれる。子供の遊戯や子供時代の光景、そして小鳥の歌をすべて拾いあげ、音楽史上のリトルネロが示す斜線上の、あるいは横断的な用例を一覧表にまとめあげることはできるだろう。しかし一覧表など何の役にも立たない。実際には音楽にとって本質的で必然的な内容が問題となっているのに、一覧表を作ってしまうと、主題や題材のモチーフの豊富な実例に目を奪われることになるからだ。リトルネロのモチーフは不安、恐怖、悦び、愛、労働、行進、領土など、さまざまでありうる。しかしリトルネロ自体はあくまでも音楽の内容なのである。

われわれは、リトルネロが音楽の起源であるとか、音楽はリトルネロをもって始まると主張しているのではない。いつ音楽が始まるのか、実のところよくわからないのだ。それにリトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか。しかし音楽が存在するのは、リトルネロもまた存在するからだ。音楽は内容としてのリトルネロととりあげ、これをつかもとって表現の形式に組み入れるからだ。音楽がリトルネロとブロックをなし、それを別のところにもたらすからだ。それ自体は音楽でない子供のリトルネロが、音楽の<子供への生成変化>とブロックをなす。((同「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p344)

《精神分析家は《Fort-Da》を適切に語ることができない。《Fort-Da》は一個のリトルネロだというのに、彼らはそこに音素の対立関係や、言語としての無意識を代理する象徴的構成要素を読みとろうとする》だけでないように、ラカンは最晩年ララング概念を紡ぎだしたとしてよい。

lalangue(ララング)とはまず、喃語lalationと関連づけられ、当然、乳幼児に認められるものだが、母親がこれに加わる。母親も自分の赤ん坊には、「大人のことば」以外にも、赤ん坊が喋る喃語を真似てやはり喃語を喋る。母親は赤ん坊の欲望(ここでは、まずは、敢えて、要求とか欲求ということばを用いないで説明したい)を叶えようとする一方で、その母国語を教える。lalationからla langueへ入ってゆく、そこにlalangueができあがるとしてもよいであろう。(ラカン『ラ・トゥルワジィエーム』 La Troisième




……一つの<線―ブロック>が音の中間を通りぬけ、位置決定が不可能な独自の環境(中間)で芽を吹くのだ。音のブロックはインテルメッツォ〔間奏曲〕である。つまり音学的組織をすりぬけ、なおさら強度の音を放つ器官なき身体、あるいは反-記憶なのである。

「シューマン的身体は一箇所にとどまることがない。(……)インテルメッツォは全作品と一体化している。(……)極言するあんら、インテルメッツォしかないのだ。(……)シューマン的身体には分岐しかない。この身体はみずからを構築していくのではなく、ただ間奏曲(休止)を積み重ね、不断の分岐を続けるのだ。(……)シューマン的鼓動は、狂乱しながらもなお、コードをそなえている。そして鼓動を刻む音の狂乱が一般には見過されがちなのは、一見したところ、この狂乱が穏当な言語の限度内に収まっているからである。(……)調性には、矛盾し、しかも共存しうる二つの面があると想定してみよう。一方にはスクリーンが、つまり既知の組織にしたがって身体を分節する言語がありながら、しかしもう一方では、矛盾したことに調性が、別の水準では馴致すべきはずの鼓動に対して、その巧みなしもべとなるのだ。」(ロラン・バルト『第三の意味――映像と演劇と音楽と』)(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」p342)

◆ロラン・バルトがその晩年もっとも愛した曲のひとつ、op133の冒頭の『暁の歌』






別の観点から、次のような言い方もある。古井由吉は、カオスのなかに秩序をつくるということではなく、リアル(現実界)に直面したときに、それに耳を塞ぐために、音楽を聴くのではないか、という意味に受けとれる文章を書いている。もっともドゥルーズ&ガタリは《リトルネロは、むしろ音楽を妨げ、祓いのけ、あるいは音楽なしですませるための手段ではないか》と書いていることを忘れているわけではない。

騒音に押し入られるままになっている人間にとって、ときたまはさまる静まりこそ、おそろしい。静まりとは言いながら内に狂躁の、おもむろな切迫のようなものをはらむ。内にふくらみかかる狂躁を出し抜くためにも、外へ向かって自分から躁がなくてはならない。取りあえず喋りまくる。人がいなければ何でもよいから音を立てる。誰もいない部屋にもどるとまずテレビをつける。まさに、沈黙を忌む、である。耳を澄ますのも、沈黙を招くおそれがあるので、よほど用心しなくてはならない。人との話によけいな間を置くのも、お互いに沈黙の中へ惹きこまれそうになるので、あぶない。

これでは耳の上げ底どころか、心の上げ底になる。道理で物を深くは感じ止められないばかりに、深く思うこともできなかったはずだ。そのことは自嘲して済ますとしても、そうなるとしかし、今の世の男女の交わりは、お互いに沈黙をふせぐための、躁がしさの交換になるはしないか。死者たちのもとまで通じるような沈黙の中へぽつりぽつりと滴る、睦言や兼言や怨言は、絶えて久しい。(古井由吉『蜩の声』)

 あるいは。
音楽こそ人生の苦悶の精華ではないか。どこかで血が流れていると、響きがいよいよ冴える。

ところがたった一人の恍惚者は果てた後の沈黙を心の静かさと取り違えて、祭司みたいな手つきでレコードを替えて塵を払い、また始める。これにはよほどの神経の鈍磨が必要だ。そうそう自らを固く戒めてきたはずなのに、近頃私はまた、夜中にステレオの前に坐りこんでレコードを取っ替え引っ替え回す悪癖に馴染んでしまった。 ただ、音の流れが跡切れると、間がもてない。音が消えたとたんに、自分を囲む空間のまとまりがつかないような、物がひとつひとつ荒涼とした素顔を見せて、私を中心にまとまるのを拒むような、そんな所在なさを覚える。

しかしさいわい、音楽と私とは、相変らず折合いが良くない。一節がこちらの身体の奥へすこしく深く響き入って来ると、私の神経はたちまちざわめき立ち、音楽のほうもなにか耳ざわりすれすれのところまで張りつめ、両者は互いを憎むことにならぬようあっさり別れる。(古井由吉『哀原』赤牛ーートラウマを飼い馴らす音楽

ある種の音楽を聴きつづけるには、《よほどの神経の鈍磨が必要》であるには相違ない。

《If we make music and listen to it,. . . it is in order to silence what deserves to be called the voice as the object a".( Jacques-Alain Miller, 1989 cited in Dolar, 1996)》-- Mladen Dolar,”The Object Voice”

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object.(……)

The true object voice is mute, "stuck in the throat," and what effectively reverberates is the void: resonance always takes place in a vacuum—the tone as such is originally a lament for the lost object.— ---Zizek"I Hear You with My Eyes"――「「声」と「沈黙」

音楽が《沈黙と測りあえるほど》(武満徹)のものであるなら、つまり現実界の沈黙の声に耳をすますことを促すものであるならば、どうやって絶え間なしに聴きつづけることができよう。

たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』 「音の輪が回る」ーー音と沈黙の「地」と「図」

◆Glenn Gould PIANO SOLO(ミシェル・シュネデール 千葉文夫訳)より。

彼の演奏について語ろうとしても、いくつかの言葉しか思い浮かばない。遠さ、戦慄、なにか異様なもの。彼はわれわれを試練に遭わせるーーあまりにも透明なあの音、昇華作用を経たあのピアノが耐えられないという人々をわたしは知っている。このピアノを聴くと彼らの皮膚はひきつり、指は痙攣するのだ。試練はときに恐ろしいものを含んでいる。わたしもまた、そのせいで、彼があとに残したあの無の彫刻からできるだけ離れていたいと思うことがある。
美は耐えがたいものであり、また不寛容なものでもある。美は容赦なくわれわれの視線をさぐり、音を聞こうとする耳を誘惑し、待機中の言葉をつかみかかり、電撃と緩慢さを交錯させる。美はみずから充足し、わたしたち抜きで存在するのだが、それでいて嫌になるほど執拗に呼びかけ、こちらにはわかるはずもない答えを要求する。<パルティータ>第六番の冒頭の数小節からは、あの苦痛をともなう喜び、あのわれわれを分割する瞬間的な光、リルケが語ったあの「恐るべきもののはじまり」が感じられる。完成しながら消えてゆくなにかだ。アルペジオで奏される単純な和音は、ほとんど無に近くも、安定し厳格で簡素な構造となっている。それが開かされるのは、われわれを切り開くという理由だけのことからだ。意図も計算もなく、自身をもって切りつけてくる身振りだ。メスのような冷たさで、音楽の肉体とひとつになった肉体、わたしの肉体めがけて曲線を切りつけてくるのだ。

グールドは連続と切れ目が同時に見いだされるアーティキュレーションのもとにあの数小節を弾いた。そこには長いこと気がかりを見すえ、自分自身の裂け目を真正面から受け止めようとしてきた人間の無頓着な手つきのたしかさがある。
グールドの場合には、なによりもヘルダーリンが望んだ表現の透明さ die Klarheit der Darstellungがある。このような透明な光は熱狂的な憑依体験の対極にあるわけではない。このような光は、静謐なものでもなければ抑制されたものでもない。それは奪い取ることであり、切開を意味するのだ。それでいてこの光は冷たく遠くにある。神的なるものの訪れは火、炎、煙の上がる光景を意味しない。グールドを訪れた神はヘルダーリンを訪れた神と同一である。ディオニュソスではない。熱狂的な暗闇の神ではない。アポロンであり、正しきもの、透明なるものなのだ。


だがグールドのバッハ演奏には事物の謎めいた明証性――われわれからはなにも期待せず、われわれに欲望や記憶があるとは夢にも思わないでいる事物の明証性がある。そのとき音楽は耳に聞えてくるものではなく、われわれを聞くものとなる。

グールドによるバッハの<トッカータ>の演奏はこうしたものだ。この音楽は、耳をそばだてわれわれのことを聴きながら、しかも音楽それ自身しか聴いていない。そのとき人が受け取ることになるのは、親密さをことごとくそぎ落してしまった音のもつれであり、凍てついた微かなフレーズの光であり、手が摑むのは、ひろげた両方のてのひらに入る分量の沈黙なのだ。

だが依然として音楽であるには違いない。あらゆるものにもまして力強く、あらゆるものを横断してやってくる音楽、別の時間と別の場所から洩れて聞えてくる音楽。年老いていると同時に年齢のない音楽。信じがたいほどに音楽それ自体にぴったり調和した音楽。この音楽のなかには取り返しのつかぬなにかが存在している。そのなにかが前進する。むきだしの裸であって、恩寵はやってこないだろう。なおも夜のなかの声だ。消滅に抗して発せられる声、消滅そのものの声だ。その声はなんと忍耐強く執拗なのだろう、そしてこの音楽はなんと疲れを知らぬことか、もはや歩くことができなくなったようにして足を大地に引きずり、眼を天空にさまよわせながら前進するこの音楽は。


◆ジャン・ジュネ『ジャコメッティのアトリエ』 宮川淳・訳

美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を 去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。だから、この芸術と、ひとびとが悲惨主義と名付けるものとは、はるかに隔たっている。

ジャコメッティの芸術はあらゆる存在、のみならず、あらゆる事物のこの秘められた傷を見出だそうとのぞんでいる。この傷がそれらの存在や事物を照らし、輝かさんがために。私にはそう思える。




もちろん、われわれ「俗物」は、つねに彼らのようでありうるわけではないだろう。音楽や彫刻だけでなく、文学だってときには慰安の芸術が必要なのだ。

俗物(philistine)は成熟した大人であって、その関心の内容は物質的かつ常識的であり、その精神状態は彼または彼女の仲間や時代のありふれた思想と月並みな理想にかたちづくられている。(……)「ブルジョア」という言葉を、マルクスではなくフロベールの用例に従って私 は用いる。フロベールの意味での「ブルジョア」は一つの精神状態であって、財布の状態ではない。ブルジョアは気取った俗物であり、威厳ある下司である。

順応しよう、帰属しよう、参加しようという衝動にたえず駆り立てられている俗物は、二つの渇望のあいだで引き裂かれている。一つは、みんなのするようにしたい、何百万もの人びとがあの品物を褒め、この品物を使っているから、自分も同じものを褒めたり使ったりしたい、という渇望である。もう一つは排他的な場、何かの組織や、クラブ、ホテルなどの常連、あるいは豪華客船の社交場(白い制服を着た船長や、すばらしい食事)に所属し、一流会社の社長やヨーロッパ の伯爵が隣に座っているのを見て喜びたい、という渇望である。(ナボコフ『ロシア文学講義』)

「成熟した大人」であるならば、慰めばかりの音楽を選び、いつまでも聴きつづけることができるのだろう。次の文はべつに女性だけの話ではない。

女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。(三島由紀夫「反貞女大学」

つまりはこういうことだ。

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

ーーもちろんここでの「凡庸」とはナボコフのいう「俗物」性のことだ。


…………

夜のこわさ。夜でないこわさ。
ひとことでいい。もとめるだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きている、待っているというしるしだけ。いや、もとめなくていい。一息だけ。一息もいらない。かまえだけ。かまえもいらない。おもうだけで。おもうこともない。しずかな眠りだけでいい。……………カフカ(高橋悠治『カフカ/夜の時間』より)
ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。もし、ぼくらの読む本が、頭をガツンと一撃してぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のためにぼくらは本を読むのか? きみが言うように、ぼくらを幸福にするためか? やれやれ、本なんかなくたってぼくらは同じように幸福でいられるだろうし、ぼくらを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう。いいかい、必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。(カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年1月27日

カフカは、ギムナジウム時代、ニーチェを読んでいた。《ぼくらの内の氷結した海を砕く斧》とは、たとえば、『ツァラトゥストラ』の「幻影と謎」に、《かれの心の氷が割れた》という表現がある。

あるいは、あらあらしい断崖と断崖の間に立っていたツァラトゥストラは、喉に匐いこんだ蛇のため、《のたうち、あえぎ、痙攣し、顔をひきつらせている》若い牧人を見る、そしてツァラトゥストラの絶叫の声、《蛇の頭を噛み切れ。噛め!》――命令どおり噛み蛇の頭を吐き出したあとは次のように書かれる、《それはもはや牧人ではなかった。人間ではなかった、――一人の変容した者、光につつまれた者だった》

この箇所も同じように、《ぼくは、自分を咬んだり、刺したりするような本だけを、読むべきではないか》との照合がある。



                                      [Prague]August 28  1904]


現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオやテレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。

これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。(大岡昇平『常識的文学論』)




2013年11月17日日曜日

「美しい」と「おもしろい」

以下、主に資料の列記。

…………

《批評というものが不可能になったとか、力がなくなったとか言われるけれども、僕の理屈では、むしろ消費者や素人ほど批評家であらざるをえない。(略)彼らがデータとして頼りにできるものは、最低限、自分の身体的な反応しかないわけで、それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか。それが日常生きていく上で常に強いられる。これは基本的に批評の原理そのものでしょう。》(岡崎乾二郎)


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕

◆小林秀雄「美を求める心」

言葉の姿と言つても、眼に見える活字の恰好ではない。諸君の心に直かに映ずる姿です。 この歌の姿といふ事は、古くから日本の歌人が、歌には一番大切なものと考へて来たもので す。西洋では詩のフォームと言ひ、このフォームといふ言葉は、今日、形式と訳されて使はれてをりますが、フォームといふ西洋でも古い言葉は、日本にも古くからある姿といふ言葉で訳す方が、よほどいゝ訳なのです。それはともかく、姿のいゝ人がある様に、姿のいゝ歌がある。歌人の歌の言葉は、真白な雪の降つた富士の山のやうな美しい姿をしてゐるのです。だから、赤人は、富士を見た時の感動を、言葉に現した、或は言葉にした、と言ふよりも、さういふ感動に、言葉によつて、姿を与へたと言つた方がいゝのです。感動といふものは、読んで字の如く、感情が動いてゐる状態です。動いてゐるが、やがて静まり、消えて了ふものです。さういふ強いが不安定な感動を、言葉を使つて整へて、安定した動かぬ姿にしたと言つた方がいゝのです。

◆『闘争のエチカ』(柄谷行人 蓮實重彦対談集)

蓮實)それにも、こっちはやや責任がないわけではないけれども、構造主義が定着しなかったのは、そもそも構造というものが思考しがたいというのが、ひとつあるわけでしょう。構造は図式ではなく機能する形式だという点で、思考の対象たりがたい。それはやはり歴史的な体験の欠如からくるものでしょうね、たぶん。だから機能する構造の歴史を見てゆけば、構造主義になるはずだということがあると思うわけ。

ただし、もうひとつ機能する形式に対する感性の不在ね。三島由紀夫だってそうした形式に対しての感性はまったくないと思うわけ。

柄谷)ないね。

蓮實)形とかフォルムとか、そういうものに対する感性が彼には欠けている。彼が持っているのは、機能を停止したあとの形式のイメージにすぎない。だからせいぜい安保の対応をどうかするという程度のことでしょう。形式は生きられていないですよね。

その形式に僕は魅かれます。だからレヴィ・ストロースを読んで、いろんな不満があったって、最終的にはやっぱり偉い人だ。三島を読むより、文学的に高度な興奮を与えてくれますもの。しかし、なぜ批評がフォルムを括弧に括った形で平気でいられるんだろう。

いわば形式に眩惑されていないわけね、眩惑されれば恐ろしくて逃げるやつが出てくると思う。それはいいのです。フォルムなんて怖くてやってられないっていって。ところが怖くて逃げているわけじゃなくて、それはそういうものもあるだろうけれども、適当にそれなしでやっていけると高を括って無感覚に安住する形で避けているだけなんですね


◆(共同討議)「芸術の理念と<日本>」 浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎、柄谷行人 『批評空間』 No.10 1993年 

柄谷行人) 小林秀雄の有名な言葉で、「美しい『花』がある、『花』の美しさといふ様なものはない」というのがある。しかし「美しさ」がないんだったら、「花」もないですよ。美が概念なら、花も概念でしょう。ぼくは「花」なんて見たことがない(笑)。「この花」と言っても、結局は概念から逃れられない。ものを書くなら、そこで勝負するほかない。とにかく概念がいやなら、いっさい物を言わないことだね。「美はひとを沈黙させる」なんてことも、書くべきではない

浅田彰) 小林秀雄で言うと、私といまここの美しい「花」(あるいはランボーでもモーツァルトでも)との特権的な出会いというトポスがあって、とにかくそれをバーンと出せばみんな平伏するしかない、と。磯崎さんも「見えない制度」で言われるように、その安っぽいトリックをもっとも鮮烈に批判したのは高橋悠治でしょう。

小林秀雄には「分析=記述が無い」(蓮實重彦「批評空間」第 3 号、 1991 年)


高橋悠治《小林秀雄「モオツァルト」読書ノート》(1974年)

批評は文学であり、「批評の方法も創作の方法と本質上異なるところはあるまい」と言う。このねたましげな表現にかくれて、小林秀雄は作品に対することをさけ、感動の出会いを演出する。その出会いは、センチメンタルな「言い方」にすぎないし、対象とは何のかかわりもない。冬の大阪で、小林秀雄の脳は手術を受けたようにふるえたかも知れないが、モーツァルトのメロディーは無傷で通りすぎてゆく。出会いは相互のものでなければならない。 
 この本は、つまらないゴシップにいやらしい文章で袖を引き、わかりきった通説のもったいぶった説教のあげくに、予想通り、反近代に改造されたモーツァルト像をあらわす。 
 作品について書かれた例外的な個所では、そのまわりをぐるぐるまわるだけである。うす暗いへやで古いツボをなでまわしながら、「どうです。この色あい、このつや、何ともいえませんね」などと悦に入る古道具屋には、かつて水をたくわえるためにこのツボをつくった職人の心はわかるまい。  ゴシップのつみかさねから飛躍して、「誰でも自分の眼を通してしか人生を見やしない」とか、「ヴァイオリンが結局ヴァイオリンしか語らぬように、歌はとどのつまり人間しか語らぬ」などの大発見にいたるそのはなれわざには、眼もくらむおもいがする。やがては、「雪が白い」とか、「太郎は人間である」というような大真理だけを語ったことを感謝しなければならない日もくるだろう。 
 日本の音楽批評は、小林秀雄につけてもらった道をいまだに走りつづけている。吉田秀和や遠山一行や船山隆が、まわりくどい文章をもてあそんで何も言わないための「文学」にふけり、音楽の新刊書はヨーロッパ前世紀の死者へのレクィエム以外の何ものでもなく、死臭とカビがページをおおっている。「近代は終わった」とか「現代音楽は転換期にある」などと言う声をきけば、吸血コーモリのようにむらがって、できたての死体の分け前にあずかろうとするが、自分たちが二世紀前の死体の影にすぎないことには、とんと気がつかないらしい。

《『吉田秀和全集』のなかの一巻に解説を書いた。他人の考えを理解することはできない。離れたところから見て、それとはちがうことを考えて書く。そ れが批判で、批評かもしれないが評論とはどこかちがうニュアンスがある。批判は継承でもあり伝統でもありうるが、分析や評論は伝統にはならないだ ろう。付け、あしらい、転じ、それが伝統の運動。

批評家や学者・研究者は作られたものからはじめる。デカルトは暖炉の傍のソファーで夢を見る。論理も感覚もことばにして、細部を追ううちに時間の 迷路に入りこむ。ことばの上で対象の全体を表現することが仮にできたとしても、それが何になるだろう。音は音の記憶でしかない。残像や軌跡、廃 墟、ここから立ち去った影にどうして追いつけるだろう。作曲家や演奏家にはまだないものが聞こえることもある。蜃気楼にすぎなくても「まだ意識さ れないもの、近づいてくる別な世界」とエルンスト・ブロッホが言う。

そこにない音楽が批評のことばから起き上がることだってないとは言えない。印象や記憶や感触ではない、立ち去ったものを追う道ではない、その瞬間 にうごいていたことに気づく交差する軌道に移ってどこへともなく運ばれていく。》(高橋悠治「だれ、どこ」吉田秀和(1914ー2012)




◆『闘争のエチカ』(柄谷行人 蓮實重彦対談集)

蓮實)だけど僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもそれで成功する人がね。
(……)
分析を言説化する手続きってものが、共同体的な倫理によって支えられていてもかまわない。またそのかぎりでは分析の対象が僕の興味のないものでもかまわない。
(……)意味生成の可能性をとことん拡げてその一つひとつのケースを検討することがないから、分析の言説化ではなく、言説化のための分析しか行われない。要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。
(……)

蓮實)九鬼周造は、日本的と呼ばれる「いき」の概念を分析し、その要素と汲み合わせから、構造と機能を近代的に記述している。九鬼のその後の言動はともかく、これは貴重な試みですよね。いちおう、日本的な記号を分析し、記述したわけですから。西田幾多郎はそこまでやっていない。

《現代の批評をよく知らない人にも聞いてもらいたいのですが、現代の批評とは、少数の「本当に美しいもの、かっこいいもの、おしゃれなもの」を見抜くことではありません。現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。

現代の批評では、「本当にかっこいい、美しい、おしゃれなもの」を「真に」選択可能であるとは考えません。対象にプラスの価値を賦与するのは、特定の「文脈」(言い換えれば、評価者集団の慣習)です。なので、特定のものをこれこそ傑作と断言するのは、特定の価値観へのコミットでしかない。

特定の価値観をベストであると信じるのは「イデオロギー」です。私たちは特定のイデオロギーを必ず有するし、それをベースにして表現活動をしますが、しかし「批評」とは、特定のイデオロギーの主張ではない。批評は諸イデオロギーの「比較」を基本とします。イデオロギーの主張は「政治」です。》(千葉雅也ーー日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる


…………

高橋悠治/茂木健一郎 「他者に痛みを感じられるか」

美しいか美しくないかっていうふうに感じるのはね 音楽つくる人の感じ方じゃないんですね   おもしろいかおもしろくないかなんですよ  それで それは 美しいっていうのはある基準を必要とするわけでしょ? だけど おもしろいかおもしろくないかっていうのは それはね 基準はあるかもしれない あるかもしれないけど そういうことを定義してはいけないものなんですよ

それは こういうものはおもしろい 何故ならっていうふうにいくでしょ そうするとそれにとらわれるわけですからね  だからそうじゃなくて こういうものがある これはおもしろい そこからどういう違うものができるかっていうことでやっていくわけですからね  それは、もう おもしろいと思ってそれを自分でやる瞬間にもう違ってくるわけですよ  で どういうふうに違ってくるかっていうことで 伝統なりそういうものがあったわけでしょ

 (面白いか面白くないかでやるっていうのは科学も同じでして、ただ、その後で普通は何らかのジャッジメントがあるはずなんですよ、面白いといって作った小学生の科学理論とアインシュタインの相対性理論を等価におくことはできない…ですね、やはりそれは … … … ジャッジメントをファシズムとおっしゃられるのでしたらね…)

いや そういうことはいいませんよ
 (そういうことはどうお考えですか、事実上ジャッジメントということはあるわけですよね)

おもしろいかおもしろくないかは判断ですよねえ ともいえるわけですよね  でもそれはきっかけにすぎないわけだから  それで ひとりがね 自分がおもしろいというだけでは それはね 何かをつくれないんですよ 

 それは音楽っていうのは誰か聴かなきゃ成立しないようなものでしょ  だからひとりだけの音楽っていうのはないんですね  それは言葉も同じだと思うけど 言葉っていうのは生まれつきあるものではないでしょ   それで まあ子供のころから言葉をおぼえるということは  言葉っていうのはようするに 二人以上の人間がいて成立するものでしょ それで言葉でなにかを考えたり感じたり表現したりするっていうことは ようするに ある種の複数の人間がいないとそもそも成り立たないことだと思うんですよ
  
 じゃあそこで どうして個人ということに重きをおくのかっていうのは なにか意図があってのことでしょ?

いやいや 茂木さんが置いているか置いていないかではなくてね なぜ個人主義というようなものが発達したかっていうようなことですよ  個人主義といってもいろんな個人主義があるわけで ヨーロッパのはひとつのバラエティにすぎないわけですね

 (高橋さんの言っていることには共感してるんですけども、美しいということを差別だとかファシスト的だとか否定して…それはわかるんですが、美しいっていうものを葬り去った時に現れる世界っていうのはなんなのか…葬り去れるものなのか) 

美しいっていうような判断がファシズムだっていうのは 茂木さんがおっしゃったんですよ ぼくは言ってませんよ 
 美であるか美でないかっていうようなことは ものを作るときの動機にはならないっていうことなんですよ
 (それはいいですよ)
だからそれでいいんじゃないですか  

 (いやでも、それは今は高橋さんが抑制的に言われてるだけで、ぼくは高橋さんの著書を読んでそこで言っているだけです、つまり、小林秀雄は骨董屋のように昔からある骨董品を撫でまわして …ああいう言い方をされるのはそれでわかるんですけども、そこで否定されているものはそんなにたちの悪いものではないんじゃないですか)

いや たちが悪いもんですよ あれは  あのねえ 名人が達人がっていくら言ったってね 美がなんとかであるっていくら言ったって じゃあ それを作るのはどうするのかっていうことはわかんないでしょ?
 (それは、小林が文章を作ったわけじゃないですか、同じことですよ) 
いや 同じことじゃないですよ
 (いや僕は同じことだと思います) 
それはね批評家としての
 (批評家の文はその人の作品なんですから、そこで音楽家の立場を特権化する権利がどうしてあるんですか?おかしいですよそれ、それは作家と批評家の古典的な構図を当てはめているだけじゃないですか)  
そんなことはないですね 
 (いや、ものをつくる人間を特権化する態度がおかしいと思います)
  
ものをつくる人間を特権化してるんじゃないですよ
 (いやしてるじゃないですか今も)

音楽をつくるっていうことは つくることのすべてだと思います? 

 (そんなことを言ってないですよ、だから、小林は本をつくったんじゃないかと言ってるんです、『無常といふ事』とか、作品じゃないですか、文字の配列を並べてるわけだから、それはひとつの作品じゃないんですか、それはまったくここで述べていることと同じじゃないんですか、つくるという態度においては。なんでその、わかんないけど、ものを作る人間と骨董屋でものをなでまわして有難がる古典的な人間の図式に当てはめて切り捨てるんですか)

その図式に当てはめていると思いました?ぼくのどこにその図式があるんですか?  違いますよ
 (どこが違うんですか) 
ものをつくるときは 美しいものを作ろうというふうには しないということのどこが特権化なんですか
 (それは文章を 書く人だって同じだと思いますよ)
 
いや 「美」っていうふうに言ってるのは 結果でしょ だから結果から始めて ものをつくることはできないんですよ  それは そういう人を特権化してるんじゃないですよ 料理つくるんだって何だって同じですよ
 (それはそうだと思いますけど) 
そうでしょ? だからそれでいいじゃないですか どこが特権化なんですか

 (ぼくが一貫して理解できないのは、最後に美しいものができて、それを美しいと思うと言うことには意味がないと思っているんですか?)
  
それは 意味がないって言ってませんよ  それは ものをつくるときには役に立たないって言ってるんですよ  そういうことを例えばモーツアルトについていくら言ったって そんなことは何の役にも立たないわけですよ
 
  (ものを作る上では役に立ってないでしょうね、でもそれによってインスピレーションを得て文章を書くということはひとつの制作ということじゃないんでしょうか)
  

それは小林秀雄の文章がいいっていうことを言ってるんですか? そうじゃなくて じゃあ モーツアルトについて書いて そしてそこから違う音楽なり何かが生まれてくる そういうプロセスを解明するっていうようなことのほうが なんちゅうのかなあ これは美しいとかさあ これは天才であるとか言ったって言葉の無駄じゃないですか? 

ここで高橋悠治が語っている「美しい/おもしろい」の二項対立は、プルーストの次の文を思い出させる。

『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章)

つまり、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈、ことば/名などの二項対立に連なるように感じる。
そして批判される「美しい」は、《時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではない》(参照:準備と注解/岡崎乾二郎)の文脈にあるはずだ。


ただし高橋悠治の「美しい」批判は、言葉の使用法によるだけの話であり、誤解してはならないのは、ひとが「美しい」というとき、高橋悠治の「おもしろい」と似た使い方をする場合もある、ということだ。

たとえば三十歳代の蓮實重彦は次のように藤枝静男賛をした。(参照:「美しい」といふ事(岡崎乾二郎、蓮實重彦

《短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる》


《人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ》る、これは「おもしろい=きっかけ」となるものだろう、そしてここからすべてが始る。

だが「美しい」という形容詞は誤解されやすい。多くの場合、ひとは「ウツクシイ」ということによって、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけだ。そこで高橋悠治は「おもしろい」としているわけだ。そしてこの「オモシロイ」という形容詞も、「ウツクシイ」という形容詞と同様に、その言葉を使う人によって、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけの場合もある。

ただし、ここでは、高橋悠治の一見とりとめもない発話から、わたくしはそう読む、とだけしておく。別の読み方もあるのかもしれない。



◆大岡昇平の小説「再会」より(青山二郎(Y 先生)の小林秀雄(X 先生))

私を除いて酔って来た。Y 先生が X 先生にからみ出した。

「お前さんには才能がないね」

「えっ」

と X 先生はどきっとしたような声を出した。先生は十何年来、日本の批評の最高の道を歩いたといわれている人である。その人に「才能がない」というのを聞いて、私もびっくりしてしまった。

お前のやってることは、お魚を釣ることじゃねえ。釣る手附を見せてるだけだ。 (Y 先生は比喩で語るのが好きである)そおら、釣るぞ。どうだ、この手を見てろ。 (先生は身振りを始めた)ほおら、だんだん魚が上って来るぞ。どうじゃ、頭が見えたろう。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

しかし Y 先生は自分の比喩にそれほど自信がないらしく、ちょろちょろ眼を動かして、X先生の顔を窺いながら、身振りを進めている。

「遺憾ながら才能がない。だから糸が切れるんだよ」

X 先生がおとなしく聞いてるところを見ると、矢は当ったらしい。Y 先生は調子づいた。 「いいかあ、こら、みんな、見てろ。魚が上るぞ。象かも知れないぞ。大きな象か、小さな象か。水中に棲息すべきではない象、象が上って来るかも知れんぞ。ほら、鼻が見えたろ。途端、ぷつっ、糸が切れるんだよ」

「ひでえことをいうなよ。才能があるかないか知らないが、高い宿賃出してモツァルト書きに、伊東くんだりまで来てるんだよ」

「へっ、宿賃がなんだい。糸が切れちゃ元も子もねえさ。ぷつっ」

こうなると Y 先生は手がつけられない。私も昔は随分泣かされたものである。

私はいいが、驚いたことに、暗い蝋燭で照らされた X 先生の頬は、涙だか洟だか知らないが、濡れているようであった。私はますます驚いた。

…………

レナード・バーンスタインは『音楽のよろこび』(1954)のなかで次のように書いている。

彼は、音楽における意味を四種のレベル、すなわち①物語的=文学的意味 ②雰囲気=絵画的意味 ③情緒反応的意味 ④純粋に音楽的な意味 に分類したうえで、 ④だけが音楽的な分析を行うに値すると述べる。

さらに「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」と。

高橋悠治の小林秀雄の「モオツァルト」批判は、この①②③しかないと言っていることになる。「寄生虫」ばかりだと言っているのだ。

もっとも小林秀雄の「モオツァルト」には、少なくとも、そこで語られている音楽を「ただちに聴きたい」という気持ちにさせる効用はあるには違いない。

文学批評というものは、石川淳の批評的エッセイがまさしくそうであったように、そこで語られている作品を、ただちに読みたい気持ちにさせなければいけない。(金井美恵子)


ところで、SNSでの発話や、いまわたくしが書いているブログの如き印象批評・主観批評でしかないような記事は、われわれをますます「近代以前」の状態にしているだろう。

《要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。》(蓮實重彦)

近代以前、すなわちプレモダンのレクリチュールとエクリチュール、--浅田彰なら「土人」の発話というだろう。いまこのように書いた事自体、浅田彰がこういったというだけの、土人の発話なのだ。

まあ、それもたまにはいい。たまにはパチンコもいいだろう(「ツイッターはインテリのパチンコ」という名言がある)。だが、つねにそうあっては埒が明かない。

《シネフィルに代表されるような限定された興味と趣味の共同体の内部で、最新流行の「センスのいい映画の見方」(蓮實重彦経由の古い映画の見方も含めて)を、あるいは「天皇の語り方」を追いかけていこうとするスノビスムが、作品に負のバイアスをかけているということ、むしろ、作家はそういうスノッブであることをやめ、孤独な「蛮人」になるべきだということである。金井美恵子がこう言った、浅田彰がそれにこう反応した、などという根も葉もない下らぬ噂話にうつつをぬかすのは、閉ざされたスノッブ村の「土人」でしかない。》(浅田彰 i-critique


浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。

大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。

浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)

…………


ツイッターなどでの発話を批判ばかりするつもりはない。たとえば、いまは書き手と編集者との対話など稀になっているのだろうから、次のような使い方はあるのだろう。

ある程度本格的な企画の場合に、初期高揚だけで完成することは決してと言ってよいほどない。しかし、この時期に「パレット」をできるだけ充実させておくことがずっと後で生きてくる。「パレット」の充実には、聞き手がいるとずっと楽である。独りでは限界がある。ここにも一つ、編集者の「治療」の有用性がある。

これは、「自由連想」をさせて、「抵抗」を破って、「徹底操作」をして「洞察」に到達せしめる精神分析治療に似た過程であると私は思う。「自由連想」とは編集者との駄べりである。

「自由連想」は、主題やキーワードの持つ意外な側面を明らかにし、新しい可能性を開く。著作というものは、発端に立った時に終点まで見通せる直線道路のようなものではない。そういうものであれば、おおよそ詰まらないものだろう、予期外の転回に引かれて読者は読み進むものである。「自由連想」によってこれから書く領域の思わぬ複雑なひだひだが見えてくれば成功である。

「抵抗」にはいろいろある。怖い批評家の言葉の先取りもある。従来の自説が足を引っ張ることもある。ある箇所がとうてい越せない難所に見えることもある。ある部分についての知識が絶望的に欠如していると思うこともある。これらは、みな「抵抗」である。しかし、対話のうちに、難所もさしたるものでないようにみえてくる。ある部分は回避してもよいことがわかる。あるいは違った接近法がよいと知れる。このように「抵抗」を言語化し吟味することが「徹底操作」である。そうすると、この課題でこのようなものなら著者にもできるという、「現実原則」に則った「洞察」が生まれる。この手続きなしで、編集者が「ま、よろしくお願いします」で引き下るとロクなものができない。

編集者は地方にはいないが、その代わり、さいわい、私は大学教師で、周囲に若い人がいる立場にあるので彼らを大いに利用させてもらっている。私のほうが聞き役になることもむろんある。(中井久夫「執筆過程の生理学」)



「小林秀雄」も同じく。彼がつねに批判されるものではないように。そもそも《「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、むしろ自己吟味である。》(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収)


◆『考えるヒント』より

……私の書くものは、勢い、印象批評、主観批評の部類とされたが、其後、私は、自分の批評の方法を、一度も修正しようと思った事はない。何も自分の立場が正しく、他人の立場が間違っていると考えた為ではない。先ず好き嫌いがなければ、芸術作品に近寄る事も出来ない、という一見何でもない事柄が、意外に面倒な事と考えられ、この小さな事実が、美学というものを幾つもおびき寄せては、これを難破させる暗礁のように見え出し、言わばそれで手がふさがって了ったが為である。(小林秀雄「井伏君の「貸間あり」」)
週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)
ある対象を批判するとは、それを正しく理解する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならず、また、そのためには、分析あるいは限定という手段は必至のものだ。カントの批判は、そういう働きをしている。彼の開いたのは、近代的クリチックの大道であり、これをあと戻りする理由は、どこにもない。(……)

批評文を書いた経験のある人たちならだれでも、悪口を言う退屈を、非難否定の働きの非生産性を、よく承知しているはずなのだ。承知していながら、一向やめないのは、自分の主張というものがあるからだろう。主張するためには、非難をやむ得ない、というわけだろう。(……)

論戦に誘いこまれる批評家は、非難は非生産的な働きだろうが、主張する事は生産する事だという独断に知らず識らずのうちに誘われているものだ。しかし、もし批評精神を、純粋な形で考えるなら、それは、自己主張はおろか、どんな立場からの主張も、極度に抑制する精神であるはずである。でも、そこに、批評的作品が現れ、批評的生産が行われるのは、主張の断念という果敢な精神の活動によるのである。(小林秀雄「批評」)

いずれにせよ、書物だけではなく、現在すべての「作品」は、「批評を待って一人前」と言える。ところが、その「批評」が、多くの場合、共同体、その規則への所属を無邪気に確認しているだけであることが多い、ということだろう。あるいは小林秀雄のいくつかの文に見られるように、《どういうわけかわからないけれど、この私にだけ見えちゃったっていう人がいるわけね。あるいはそれによって事後的に私という主体性を支えている、そういう話になっちゃう。本人は、私が、とは主張していない。受動的であるかのように装ってしまう。》(岡崎乾二郎)ということが。だから「批評」は「形式的」(要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述すること)でなくてはならないのだが、そんな批評は稀にしかみることができないというわけだ。

かつては、できるそばから読みきかせてくれるのを待っている小さな親密なサークルが作家の周囲にあった。一般に現代では読者の顔がみえにくい。現代の本は書評を待って一人前――成年に達するといえようか。逆にいえば、書評されない本は永遠に未成年である。(中井久夫ーー「ただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退く」)





2013年11月14日木曜日

「人は文なり」の時代

「文は人なり」という言葉は、たいした言葉で、なんのかの言いながら、文学の研究法も鑑賞法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずるためには、作者との直かのつあないなぞない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは、作者が死にきり、したがって作品をいちばん大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである。ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす。友だちの言行は、しばしば彼の作品より鋭く強く豊かである。おそらく友情というもののする業だ。(小林秀雄「島木健作」『作家の顔』所収)

二〇世紀後半のテクスト論の流行を経由した現在、「文は人なり」など古臭いというなかれ。

柄谷行人が、七十年代の終わりに次のように書いたのを知らぬわけではないし、マルクスの価値形態論経由らしきヴァレリーの『芸術についての考察』の指摘を知らぬわけでもない(参照:「行間にはなにも書かれていません」)。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

しかし、後年、柄谷行人は次のようにも言っている(ツイッター上から拾ったので出典不明。「後年」というのは推測であり、『隠喩としての建築』にも同様なヴァレリー論があるが、そこには記されていない)。

作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。

つまるところ、《作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働き》は、やはり「文は人なり」という隻句に辿り着く。


ところで今ではツイッターなどのSNS上で、作家の日常茶飯の様子が窺われ、もちろんその多寡はあるにしろ、今では実際の友だちではなくても、「にわか友だち」「ヴァーチャル友だち」の親しみを覚えるなどということが起こっている。

すると、《友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである》などということになり、《ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす》、すなわち「作品」を古典を読むようにして読む具合にはますますいかなくなる。

そもそも古典でさえもイメージで読まれることが多い。いや読まれもせずイメージで語られるのみのことが多い。

ギュスターヴ・フローベールと口にするがはやいか、(……)誰もが意味なくすべてを納得した気分になってしまう(……)。そして、知っているという事実をたがいに確認しまうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。(……)誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。(蓮實重彦『物語批判序説』p18-19)

「ギュスターヴ・フローベール」という固有名詞には、いくらでも他の小説家や批評家、思想家の名前を代入して読むことができる。たとえば隣のおにいちゃんやらおねえさんの親しみやすいイメージを介して著作も読まれるようになり、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》(同『物語批判序説)。


制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在しないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それが(……)現代的な言説なのである。

その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こをが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。(『物語批判序説』)


冒頭に引用された小林秀雄の「島木健作」の文の続きにはこうある。

「或る作家の手記」の批評文を書こうとしてペンを取り上げると、おのずとこんな前置きめいたものが書けてしまった。作品の印象は、僕に親しい作者日常の言動と離れ難い。「或る作家の手記」という作品が、僕の家の向かいの二階で風邪をひいてたぶんうどんなぞ食っているのである。僕は今文学のなかから出て来て、友情のなかにいることに気づく。そして、そういう気持ちが、批評する者にとっては、どういう筋合いのものだろうか、というようなことは、僕は少しも考えたくない。

友であれば批評し難い。それは確かであり、ツイッター上で「にわか友だち」がうどんなぞ食っているのだ。そこから読み手の批評が生れるだろうか。

もちろん小林秀雄が書く友情関係による「批評の死」は、インターネットだけの問題によるのではない。たとえば高橋悠治は次のように書いている。

浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は 11 人の知識人との対話集だが、 これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。

(……)

どの対談を読んでも、知識人たちは、 知っているものが、知っていることを 知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。 (もっとも、かれらはインタビューをうけている、 と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。) それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの じっさいの姿なのだろう。 相手かまわず超高速のフランス語で、 思想のウイルスを過剰露出する。 それが、たちまち回収済みの情報になって、 次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。 歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、 現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、 かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、 (のかもしれない、) という思いが 一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。

対話の最後に柄谷行人がくる。 この操作された順番で、 それまで知のシステムのあいだをくぐっては、 パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、 そのからくりに気づかずに 「世界」についての思いこみをひたすら独語する お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、 群れのなかの相似形の疑似対話で、 知の円環は閉じられる。(高橋悠治 音楽の反方法論序説)

浅田彰自身、柄谷行人のふっきれなさを、《理論的にある核心をつかんでいながら、社会性においてホモソーシャルな秩序、要するに、文壇バーの世界にどっぷり浸かっているってこととも無関係じゃないと思う》(『新・憂国呆談 神戸から長野へ』)などとしている。


今でも、「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」やらが、いささか小粒になったようにもみえる「思想家」たちのあいだでなされているとしてよいだろう。

浅田彰)僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦)下らない。それは批評の死を意味します。
(……)
それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。(中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」

この二人の対話でさえ、高橋悠治だったら、「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」と言うかもしれない。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう25)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

だが何が問題なのか、提灯もちの振舞いの?

いまさらヴァレリーのテスト氏におけるように、《われわれは自分の考えをあまりに他人の考えのかたちに照らし合せて評価しすぎるということだ! 》とか、《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ》などとは言うまい。

だがご機嫌うかがいの振舞いばかりしていれば、次のような現象はほとんど免れ難い。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

…………

さきほど(11/14夕)、さる若いすぐれた書き手(S氏とC氏)のちょっとした舌戦があった。両者とも注目すべき人なのでいささか興味深い。が、その内容には触れない。そのあと、一方の書き手の友人であるこれも若い書き手Oが次のように書いている。

・本来連帯すべきなのに、つまらない自意識を立てて、あえて悪者ぶって関係者間に無駄な消耗を引き起こす必要はまったくない。そういう「夜戦」はいらない。同世代の連帯を妨げる目障りな言動は、「上の世代」によって大事にされた結果できた「可愛いボク」を守るためのものなのか。甘えるな。

・豊かな時代だったら、「飲み屋のけんか」の延長の議論が話題にもなり、本も売れただろう。だが、人文界隈の不毛な議論を続けて読者を離れさせたのもまた、「飲み屋のけんか」の結果ではないか。


上に蓮實重彦の批判的な言葉、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》を挙げたが、最近では、意図して連帯すべきだと言っているようだ。つまり「批評の死」の時代だ、金のために。

でもそのね すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた そういう事実  言葉があれだけど 

つまり 文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが そういうことはいわなかったし それで成り立ってたわけですよ  それで 今すべてがビジネスだというようなことになったときに そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない 儲かる人は儲かるし 力のある人はもっと力があるし そういうようなことでしかないわけでしょ  そうすると そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから 

どういうふうに違うものがあるかということになりますね(高橋悠治/茂木健一郎 「他者に痛みを感じられるか」


2013年10月27日日曜日

自身で経験した事件の話し方(小林秀雄)

《人間は、自身で経験した事件についてさえ、数日後には噂話に影響された話し方しかしないものだ。》 (小林秀雄「ペスト」)

ツイッターbotからだが、こういう思いがけない出会いがあるから、眺めるのをやめられないってのはあるな。すぐさま別の文章が浮んでくる。


…………

寺田寅彦氏はジャアナリズムの魔術についてうまい事を言っていた、「三原山投身者が大都市の新聞で奨励されると諸国の投身志望者が三原山に雲集するようなものである。ゆっくりオリジナルな投身地を考えている余裕はないのみならず、三原山時代に浅間へ行ったのでは『新聞に出ない』のである。このように、新聞はその記事の威力によって世界の現象自身を類型化すると同時に、その類型の幻像を天下に撒き拡げ、あたかも世界中がその類型で充ち満ちているかの如き錯覚を起させ、そうすることによって、更にその類型の伝播を益々助長するのである」。類型化と抽象化とがない処に歴史家の表現はない、ジャアナリストは歴史家の方法を迅速に粗笨に遂行しているに過ぎない。歴史家の表現にはオリジナルなものの這入り込む余地はない、とまあ言う様な事は一般常識の域を出ない。僕は進んで問いたいのだ。一体、人はオリジナルな投身地を発見する余裕がないのか、それともオリジナルな投身地なぞというものが人間の実生活にはじめから存在しないのか。君はどう思う。僕はこの単純な問いから直ちに一見異様な結論が飛び出して来るのにわれながら驚いているのだ。現実の生活にもオリジナルなものの這入り込む余地はないのだ。(小林秀雄「林房雄の「青年」」)


◆『闘争のエチカ』(蓮實重彦・柄谷行人対談集)より。

柄谷)……たとえば、小説というのはアイロニーだと思います。リアリズムは結局アイロニーとしてしか存在したことがないわけですよね。いわゆるリアリズムというのは、それ自体約束の地であって、現実とは別なのです。しかし、現実とよばれるものも、逆に小説を前提としているのではないか。

たとえば、“事実は小説より奇なり”とかいう言い方があるけれども、その場合、「事実」は、小説を前提しているんですね。そして、小説の約束からずれたものが、「事実」とよばれているわけです。リアリズムの小説であれば、たとえば偶然性ということがまず排除されている。たまたま道で遇って、事態が一瞬のうちに解決したとか、そういうことは小説では許されないわけですが、現実ではしょっちゅう起こっている。そういうのが出てくると大衆文学とか物語とかいわれるんですね。かりに実際にあったことでも、それを書くと、リアリズムの小説の世界では、これはつくりものだといわれる。いちばん現実的な部分が小説においてはフィクションにされてしまうわけですね。

しかし、一方で、僕らがやっていることが、すでに小説に書かれた通りでしかないということがありますね。たとえば大岡昇平の『野火』なんかそうですね。主人公は、小説の通りにやっていることを許しがたいと思う。そこでは、つまり、小説をこえた体験が書かれているというよりも、どんな体験も小説の枠内にあるにすぎないということが書かれている。あれは、パロディです。(……)

リアルというやつはほんとにアンリアルであって、あまりにもリアルにすると、アンリアルになっちゃうということはカフカがやったことですけどね。

蓮實)……「人生」という言葉でわれわれがすぐ納得しちゃうのは、なんか真っさらなものだという話なんですね。ところが「人生」というのは文化であるわけでしょう。どういう形で文化かといえば、滑稽なまでにほかの言葉に犯されて、誰が見たって真剣に自分を考えてみたら滑稽ですよ。それほどまでに、いわば引用とか物語を知っちゃっているとか、物語の逆さえ知っちゃっているという惨めな存在である。そのことを、これまでのいわゆる人生論というのは拒否しちゃうわけですよね。

僕が人生という言葉をいっているのは、ほかの人の言葉に犯された人間であるからだめだとか、そこから自由になって自分の言葉を発見しなければいけないとか、そういうことではなくて、人生というのは初めから滑稽なわけでしょう。その始めから滑稽なことを、たとえばほんとうらしい小説というのは滑稽らしく書いていないですよね。

…………

ツイッターのつぶやきとは、こうではなく、

私的な生活や感想をツイートやブログで公開していれば、見えない他人から監視されている囚人の安心感にひたりながら、格差社会から排除されて いる現実を意識しないで済むのだろうか。インターネットのなかの仮想友人だけでなく、現実の人間も仮想化しているから、じっさいに困ったとき は、だれも助けてくれないどころか、ゴシップの種にしかならないのに。(壁の向うのざわめき  高橋悠治

こうであるならどんなにいいだろう。

tweet は「さえずる」、小鳥のか細い高い鳴き声だったが、ツイートは「つぶやく」と訳されている。いまは時々コンサートの予定や「水牛」に書いた文章にリンクす る「お知らせ」のツイートをしているだけで、情報が多すぎて情報にならないのに、だれが読むかわからない空間で「さえずる」のではすぐ忘れら れるだけだろうが、それがちがう場所を指す標識ならば、そこに行ってみる手間をかけるために、かえって読まれる場合もありえなくはないとも考 えられる。それにしても確率は低く、しかも確率のように数で偶然を制御する考えとは縁を切ろうとしているのだったら、そんなことを問題にする のもおかしいはずだが。

ツイートの別な使い方。「ボット」のように、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所として使えないかと思ってはいるが、なかなか とりかかれないまま。
(……)

見知らぬ他人の声で「つぶやく」。「水牛のように」に毎月こんなことを書いているのも、自分のために書きとめておくだけだ、とは口実で、じつ は公開の場で考えてみせるパフォーマンスではないのか、と時々疑いながら。

ほとんどのツイートは夜郎自大のナルシシズムの発現にしかみえないのが残念だ。

掠れ書き。飛白書。空白を含んだ過ぎ去る瞬間の記憶を書きとどめておく。誰のでもない 声の時々きこえなくなるつぶやきは考えるときのように現実か ら離れて論理を追うのと はちがうが、それでも気がつくと考えにふけっている意識を身体にひきもどしながら、し かも逸れていくプロセスもそこに現れ る徴を道標のように残しておく。迷路の脇道にいずれもどることもあるだろう。だれのために書いているのか。だれもいない内部空間を外 から観察する のはだれだろう。ちがう風景が見えている。書いてしまえばそこから離れ ているのだから、こんどは外から見える曲がり角に移動してそこからきこえてくる声を待つ。 (掠れ書き


あなたを落ち込ませることとは? /アホな連中が幸せそうにしているのを見ること(ジジェク)

ーーという具合になるのは、オレがアホであるせいではないのか、と時々疑いながら。

どこにいようと、彼が聴きとってしまうもの、彼が聴き取らずにいられなかったもの、それは、他の人々の、彼ら自身のことばづかいに対する難聴ぶりであった。彼は、彼らがみずからのことばづかいを聴きとらないありさまを聴きとっていた。

しかし彼自身はどうだったか。彼は、彼自身の難聴ぶりを聴き取ったことがないと言えるのか。彼は、みずからのことばづかいを聴き取るために苦心したのだが、その努力によって産出したものは、ただ、別のひとつの聴音場面、もうひとつの虚構にすぎなかった。

だからこそ、彼はエクリチュールに自分を託す。エクリチュールとは、《最終的な返答》をしてみせることをあきらめた言語活動のことではないか。そして、他人にあなたのことばを聴き取ってもらいたいという願いをこめて、自分を他人に任せることによって生き、息をする、そういう言語活動ではないか。(『彼自身によるロラン・バルト』)

ツイッターの場での「わたし」「僕」の氾濫……。それがなかったならどんなによいだろう、自由間接話法の、だれとも知れない声の仮の置き場所であったなら。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)


………

次はリヒテルbot

《(シュナーベルの演奏するベートーヴェンのピアノソナタ第五番ハ短調の録音*を聴いて)文字通りこの注目すべき解釈に唖然となった。
曲が突如としてほとんど触れられるほどに生き生きと躍動したからだ。見事だ!》




ピアノを弾く人間は誰でもグールドを襲った誘惑に遭遇することがある。ナボコフの小説〔『ルージン・ディフェンス』〕でルージンがチェスの勝負をするようにピアノを弾くという誘惑であり、非物質的で摑みがたく存在しない要素しか相手にしないという誘惑だ。ルージンはチェスボードなしのチェスの試合を夢みるのだし、グールドはピアノなしのピアノ演奏を夢みる。

彼の文章でもこのような禁じられた情念が思わず述べられる瞬間がある。

彼がシュナーベルのうちに愛したのは、「ピアノに本来そなわる諸要素を無意識のうちにほぼ完全に否定しようとする意志」なのだという。ピアノはグールドの無意識だったのだろうか。やがてすっかり放棄してしまうときがやってくる。「ほとんどピアノは弾かない。一時間か二時間か、それも月に一度、接触をもつためだ。だがときにピアノに触る必要が出てくる。そうしないとちゃんと眠れなくなるのだ。」(ミシェル・シュナデール『グールド 孤独のアリア』)