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2014年1月27日月曜日

「言葉のコラージュ」と「原典のない翻訳」

前回、《自分が書く詩に飽きたので、「現代詩年鑑2013」掲載の作品から、無断でコラージュしてみました》とする谷川俊太郎のコラージュ詩を掲げた。

ところでアンドレ・ブルトンにも次のようなコラージュ詩がある。

軍人たち
かまうものか 私の詩句 のろのろしたことの
運び
活気
言わせておいた方がましだ
間接税収税人の
アンドレ・ブルトンが
退却を待ちながら
コラージュにふけっていると  André Breton, « Pour Lafcadio » [1919]

「自動記述」の手法によってより知られているアンドレ・ブルトンだが、そもそも自動記述の代表作『溶ける魚』の草稿には、新聞の切り抜きによるコラージュ詩が含まれていたようだ。
(中田健太郎『アンドレ・ブルトンにおける自動記述とコラージュ』による)


 …………

わたくしは「自分の言葉」で表現しようとすると、これはどこかで覚えこんでいた台詞を無意識的に劣化させた表現ではないか、と思えてしまうタチで、とくに海外住まいで日常的に日本語を使うことが稀なせいもあり、ーーと書いたところですでに劣化させた表現をしているわけだ、《昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象》という文を。

『大戦の終末』はきわめて素直な文章だといえるかもしれない。素直な、というのは誰かに教えこまれたのでもないのに、昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象を与えるからだ。事実、人間の死の予言は、神の死という言葉が流通しうる文化的な圏域にあっては、いずれ誰かが口にすべき言葉として予定に組みこまれていたもののはずである。あからさまに言明されることはなくとも、そうした命題が論じられて何の不思議でもない文脈が用意されていたのであり、それにふさわしいきっかけが与えられればたちどころに顕在化するはずの、潜在的な主題でさえあったといえるだろう。(蓮實重彦『物語批判序説』)

この文は紋切型表現批判をめぐる箇所なのだが、蓮實重彦に言わせれば、サルトルの『大戦の終末』でさえこのようなのだから、凡人はあまり気にすることはないともいえる。

さらには、書くことはみな「なぞり書き」であるという福田和也=ド・マンの発言がある。
ぼくは、書くことはみな「なぞり書き」だと思う。あらゆる意味でなぞり書きであって、それこそド・マンが、古典主義は意識的ななぞり書きをやって、ロマン主義は無自覚ななぞり書きだという言い方をしている。要するになんにもなしに書くことなんていうことはありえないわけで、いずれもなぞり書きである。ただそれに対して自覚的な人が批評家で、無自覚な人が批評家でないというわけではない。自覚的でありながら、それを非顕在的にするのが一応近代小説だったと思う。それがなぞり書きであるということは、非顕在的で、ナラティヴには表われない。それに対して批評というのは、無自覚な人であっても、それはなぞり書きだということがわかる構造になっているのが近代までの性格だったのでしょうね。(共同討議「批評の場所をめぐって」『批評空間』1996Ⅱ-10 福田和也発言))

そもそも美文家として誉れ高い三島由紀夫の文章について、こんな言葉さえある。

・三島さんのレトリック、美文は、いわば死体に化粧をする、アメリカの葬儀屋のやっているような作業の成果(大江健三郎)

・「目の前の現実に対して言葉は既成の言葉の中からほとんど自動的に選ばれる。つまりは美文が生まれる訳である」と大岡昇平は言っている。要するに銭湯の壁画みたいだと(丹生谷貴志)

ーー三島由紀夫の文章がこのようであるかどうかは評者により見解の相違があるだろうが、中途半端な才能の持ち主が文学的表現をしようとすると、「銭湯の壁画」のようにみえたり、「死体に化粧」であるのは、ツイッターやブログなどでうんざりするほど見られるだろう。

さて少し前に戻って、「自分の言葉」をめぐって鈴木創士氏は次のように書く。

「自分の言葉で表現しろ」は誤解を生む言いかたである。言葉は本来他人のものであり、その他人もまた別の他人から借りてきたのであって、言葉の使用法などというものはすでにして言葉の誤りである。規則や慣習に反抗した程度で損なわれる「自分」など、もともと表現するに値しないお粗末なものなのだ(鈴木創士ツイート)

ただしその剽窃やら引用やらなぞり書きでさえ才能は現われるもので、それは次の通りである。

文章など何をやってもいい。自分を引用しようが、引用を捏造しようが、自分を根絶やしにしようが、自分は自分などと言えないようにするためにどんな手を使おうが構わない。ただ全くピアノをやらない人に五分間滅茶苦茶の即興をやれと言っても続かないように、文章にもそういうところがあります。ばあ!(鈴木創士)

いわば語彙の豊富さ、音調、リズム、歯切れのよさ、ドモリよう、立ち止まり方などに才能が現われるのであって、ーーと書けば、これも劣化された要約であり、《細部がときならぬ肥大化を見せ、言葉の独走が起る》、あるいは、《言葉が独走するときに起るその種の衝突は、必ずしも迅速さの印象を与えるとは限らない。それは停滞としても、迂回としても、無方向な横滑りとしても起りうる》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)と引用しておくほうがよい。

あるいはドモリとか立ち止まり方などというのは、ドゥルーズやアランの言葉を頭の片隅に覚えこんでいるのだが、正確に記憶しているわけではないための劣化である。

文体とは、自らの言語のなかでどもるようになること。難しい。なぜなら、そのようにどもる必要がなければならないのだから。発語(パロール)でどもるのではない、言語活動(ランガージュ)そのものによるどもりなのだ。自国語そのものの中で異邦人のごとくであること。逃走の線をひくこと。(ドゥルーズ『ディアローグ』)

ーーこのドゥルーズの発言には、プルーストの「美しい書物は一種の外国語で書かれている」がベースにある。

アランの文も並べておこう。

・散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ。

・脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。

・散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。


さて、ここで基本に立ち戻るならば中井久夫の文がよい。

「文体」とは何であるか。古くからそれは「言語の肉体」であるといわれてきた。「言語の肉体」とは何であるか。それは、言語のコノテーションとデノテーションとの重層だけではない。歴史的重層性だけでもない。均整とその破れ、調和とその超出だけでもない。言語の喚起するイメージであり、音の聴覚的快感だけではない。文字面の美であり、音の喚起する色彩であり、発声筋の、口腔粘膜の感覚であり、その他、その他である。(中井久夫「創造と癒し序説」)

これらの才能の顕れの肝要な技法として、《「軽薄にソネットを扱いそこにピタゴラス的な美をみないのは馬鹿げている」(ボードレール)。ピタゴラス的な美とは、”現実”や”意味”と無関係に形式的な項の関係のみで成り立つものである》(柄谷行人『隠喩としての建築』)ということを忘れてはならない。

他にも、言葉の意味とはけっして無関係でないにもかかわらず「形式的」といえる技法として、オクシモロンというものがある(以下は、安永愛「 ポール・ヴァレリーのオクシモロンをめぐって」より)。

ヴァレリーはオクシモロンを多用した、《修辞学で言うオクシモロンoxymoronという言葉は、語源の上ではギリシャ語で「鋭い」を表すoxyと「愚か」の意味のmorosとが結びついたもので、「無冠の帝王」とか「輝ける闇」などの表現のように、通念の上では相反する、あるいは結びつき難い意味を持つ二つの言葉が結びつき、ぶつかりあいながら、思いがけない第三の意味を生み出すという一つの表現技法》。

魅惑の岩、豊かな砂漠、黄金の闇、さすらふ囚われびと、おぞましい補ひ合ひ、昏い百合、凍る火花、世に古る若さ、はかない不死、正しい詐欺、不吉な名誉、敬虔な計略、最高の落下(中井久夫訳ヴァレリー『若きパルク 魅惑』巻末の「オクシモロンー覧表」より)

シェイクスピアなら次の如し。

ああ喧嘩しながらの恋 、ああ恋しながらの憎しみ、ああ無から創られたあらゆるもの、ああ心の重い浮気、真剣な戯れ、美しい形の醜い混沌、鉛の羽根、輝く煙、燃えない火、病める健康、綺麗は汚い、汚いはきれい……

たとえば蓮實重彦のいくつかの概念《魂の唯物論》、《表象の奈落》などがオクシモロンでなくてなんだろう。

これはオクシモロンとはやや異なるが、偉大な思想家により、ひとつの言葉が相反する意味を示すことが説かれるのを知っていると、その語は特別な輝きをもつということがある。

神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』)


 で、なんの話であったか。

前回の谷川俊太郎のコラージュは、一行毎のコラージュであるようだが、文章といいうものは、実は単語のコラージュのようなところがあるわけだ、ということを言いたいために、松浦寿輝の次の文を引用するつもりだったのだ。

どの語彙を選ぶかどの構文を採るか、その選択の前で迷う自由はあっても、新たな選択肢そのものを好き勝手に発明することは禁じられているのだから、語る主体としての「わたし」が自分自身の口にする言葉に対して発揮できる個性など高が知れている。

しかし、実はこの制約と不自由こそ、逆に「わたし」が独我論的閉域から開放されるための絶好の契機なのである。どんな些細な言葉ひとつでもそれを唇に乗せたとたん、「わたし」は他者のシステムに乗り入れることになる。それを言い表そうとしないかぎり「わたし」自身に属する独自な感覚であり思考であると思われたものも、口に出すやいなや如何ともしがたく凡庸な言葉の連なりとして「わたし」自身の鼓膜によそよそしく響き、幻滅を味わうというのはよくある体験なのではあるまいか。自分の奥底まで届いた唯一のかけがえのない貴重な出来事を言葉にしようと試みて、語れば語るほど言葉がよそよそしく遠ざかってゆくというもどかしさが、われわれをしばしば苛立たせていないか。

だが、このよそよそしさとこのもどかしさこそ、言語の実践を彩っているもっとも豊かなアウラと言うべきものなのである。よそよそしさの溝を何とか跨ぎ越えよう、触れえないものに何とか触れようとして虚空をまさぐる宙吊りの時間のもどかしさに耐えながら、「わたし」は言葉を欲望する。言葉という他者に刺し貫かれることで豊かになりたいと願うのだ。

そんなとき、言葉は、まさしくあの「わたし」をうっとりさせる春宵の風の正確な等価物となる。むしろ、受精の機会を求めて風に乗って飛散する花粉のような何ものかと言うべきかもしれぬ。そして、よそよそしさともどかしさそのものを快楽に転じながら「わたし」が辛うじて声に出したり紙に書き付けたりしえた発語の軌跡とは、あたかもこの濃密な花粉を顔いっぱいに浴びてしまった人体に現れる過剰な免疫反応としての花粉症の症状にでも譬えられるかもしれぬ。他者のシステムとしての言語を前にした発語のもどかしさの快楽とは、眼の痒さやくしゃみを堪えながらしかし鼻孔をくすぐる花の香に陶然とすることをやめられずにいる者の、甘美なジレンマに似ている。(松浦寿輝『官能の哲学』)

さて最後に、次の古井由吉の驚くべき言葉をもう一度考えてみる「ふり」をするために掲げておこう。

……自分のは原文のない翻訳みたいなものだと言っていたこともあります。実際に原典があったらどんなに幸せだろうと思いますよ。ただ、原典のない翻訳というものは、文学一般のことかもしれないとも思っているんです。(古井由吉「文藝」2012年夏号)



2013年7月18日木曜日

アンドレ・ブルトンとその女たち


自由な結合(抜粋)  アンドレ・ブルトン (松浦寿輝訳)

わたしの女の 森の火事の髪の毛
熱の閃光の思念
砂時計の胴
わたしの女の 虎の歯と歯の間のかわうその胴
わたしの女の 最下等の大きさの星々のリボン飾りと花束の口
白い地面の上の白い鼠の足跡の歯
こすられた琥珀とガラスの舌
わたしの女の 短刀に突き刺された聖体パンの舌
眼を開け閉じする人形の舌
信じられない石の舌





《私は誰か? 珍しく諺にたよるとしたら、これは結局、私が誰と「つきあっている」かを知りさえすればいい、ということになるはずではないか?》(アンドレ・ブルトン『ナジャ』巖谷國士訳)


さて、表題はアンドレ・ブルトンと彼の女たちなのだが、まずはいささか寄り道して、レヴィ=ストロースとアンドレ・ブルトンの亡命船のなかでの有名な出会いの箇所をその前後をふくめて『悲しき熱帯』から抜き出す。







《マルセーユの港で耳にした話から、私は、一隻の船が間もなくマルティニックに向けて出発するはずだということを知った。ドックからドックへ、密談の交わされている場所から場所へと渡り歩いて、私はついに、問題の船は、それに先だつ数年間、ブラジルへのフランスの大学使節の人々が忠実な乗客としてほとんど独り占めにしていた、あの「海洋運送会社」の船であるということを突き止めた。冬の北風の吹いている一九四一年の二月、私は、暖房もなく七分通り閉鎖されている事務所で、かつて会社からいつも私たちのところへ挨拶に来ていた職員を見つけた。まさしくあの船はいた。そして、あの船は出航しようとしているのだ。それなのに、私は乗ることができない。なぜ? 私には納得が行かなかった。彼は私に説明できなかったーーもう、前のような船旅はできないでしょう。それなら、どんなふうになったというのだ? ああ、それはたいへん長くて苦しい旅ですよーー彼は私のことを、そんな状態で想像してみることもできなかったのだ。

この気の毒な男は、かつてフランス文化の小型大使であった私を、まだ思い浮かべていたのであろう。一方私は、もう自分が、強制収容所の獲物になったように感じていた。(……)相手の気遣いは、かえって私を困惑させた。私は広々とした海の上で、当てもなく彷徨う自分という存在を取り戻すことを想ってみた。密航船に乗り込むという冒険に投げこまれた一摑みの水夫たちと、作業や粗末な食事を分け合うことを許され、甲板に眠り、来る日も来る日も海と何の気がねもなく差し向いで暮らす、そんな私の存在を想ってみた。




ついに私は、「ポール・ルメルル大尉号」の切符を手に入れた。乗船の日、鉄兜をかぶり、軽機関銃を握りしめた機動部隊の兵士が埠頭を取り巻き、乗船者は、見送りに来た近親や友人たちからまったく遮られ、兵士たちの小突かれたり怒鳴られたりしながら、別れの言葉もおちおち交わしてはいられなかった。その兵士たちの人垣をくぐり抜けながら、ようやく私にも事態が吞み込めてきた。そこに始まろうとしていたのは、まさしく乗船者一人一人の孤独な冒険であった。それはむしろ、徒刑囚の出発というべきものであった。私たちの受けた取扱いよりも、乗船客の人数に私は唖然としてしまった。というのは、まもなく気付いたのだが、二つの船室しかなく、簡易ベッドが合計しても七つというこの小さな蒸気船に、およそ三百五十人もの人間が詰め込まれようとしていたのだから。二つの船室の一つは三人の婦人に当たられ、他の船室は四人の男性に割り振られることになったが、そのうちの一人に私もはいっていた。かつての豪華な船の客の一人が、家畜のように運搬されるのを見るに耐えなかったB氏(私はここでB氏に感謝したい)の好意によるものであったが、これは過大な好意というべきであった。なぜなら、私と一緒に乗船した他の人たちは、男も女も子供も、通風も悪く明りもない船艙に詰め込まれたからである。そこには、大工が俄造りで組み立てた、藁布団付きの、何段にも重なった寝台があった。(……)

          (André Breton and his daughter Aube, c. 1940)


「賤民ども」――憲兵はそう呼んでいたがーーの中には、アンドレ・ブルトンやヴィクトール・セルジュも含まれていた。この徒刑囚の船をひどく居心地が悪く感じていたアンドレ・ブルトンは、甲板に空いている極めて僅かの部分を縦横に歩き回っていた。毛羽立ったビロードの服を着た彼は、一頭の青い熊のように見えた。彼と私とのあいだに、手紙の遣り取りによって、その後も続いた友情が始まろうとしていた。手紙の遣り取りは、この果てしない旅のあいだかなり長く続いたが、その中で私たちは、審美的に見た美しさというものと絶対的な独創性との関係を論じた。

(……)熱帯に近づくにつれて増してゆく暑さが、船艙にいることを耐え難くしたので、甲板は次第に、食堂と寝室と育児室と洗濯場と日光浴場とを兼ねたものに姿を変えて行った。しかし、最も不快だったのは、軍隊で「衛生管理」と呼ばれているものであった。甲板の欄干に沿って左右対称に、左舷は男性用、右舷は女性用として、乗組員が木の板で喚起窓も灯りもない二対の小屋を拵えておいた。小屋の一つには、朝だけ水が出るシャワーの口が幾つか取り付けられていた。もう一つには、内側だけざっとトタン張りになった長い木の溝が、海の上に突き出ていたが、その用途は説明するまでもないであろう。このあまりにひどい混雑に耐えられず、大勢そろってしゃがむことがどうしても嫌ならばーー第一、それは船の横揺れのために不安定なものだったーー、非常に早起きをする以外に手立てがなかった。航海のあいだじゅう、感覚の細やかな人々のあいだに一種の競争が行われるようになり、遂には、午前三時に行かなければ比較的静かに用を足すことを期待できなくなった。おちおち寝てはいられないようにさえなった。二時間くらいのずれはあったが、シャワーについても事情は同じであった。シャワーに関しては、用便の場合のような羞恥心の配慮からそうなったというより、人混みの中に自分の場所を取ることが先決だったのである。もともと少ししかない水は、大勢の湿った体の触れ合いで蒸発してしまうかのように、膚に流れて行きさえしなかった。用便もシャワーも、人々は早く済ませて外へ出ようとした。なぜなら、これらの通風孔のない仮小屋は、切ったばかりで樹脂の出る樅の木の板で作られていたが、汚水や尿や海の風が染み込んだために、太陽の下で、なま暖かくて甘酸っぱい、吐き気を催させるような臭いを放ちながら腐り始めていたからである。その臭いは他の臭気に加わって、たちまち耐え難いものになった。とくに、海にうねりのある時はそうだった。》(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』「船で」P17-P23 川田順造訳)


「賤民ども」の中には、アンドレ・ブルトンがいた、とある。だが当時のブルトンの妻子、ジャクリーヌとオーブはどうだったのか。一緒に米国への旅に加わったのか、という問いから、いくらか調べてみる。ジャクリーヌがユダヤ系であったかどうかは不明。だが娘はユダヤ系であるには相違ない。

Escape lines and aid to refugees are now considered the first resistance activities in Marseille, though not so much political and ideological as humanitarian. From mid-August 1940, American journalist VARIAN FRY and his rescue committee (with both official and clandestine activities) helped some 1,500 artists and intellectuals, many Jewish, including André Breton, Claude Lévi-Strauss, Anna Seghers, Arthur Koestler, Marc Chagall and Max Ernst to flee to the USA. (Marseille - the first Capital of the Resistance)



   (ブルトンの二番目の妻Jacqueline Lamba左は若きジャコメッティ)



《1941 年にブルトンはアメリカに向かうことになるのだが、 この時はジャクリーヌとオーブ(娘)も同行している。ところが 1941 年の秋には、ブルトンとジャクリーヌは別居することになる。そして 1943 年の夏にジャクリーヌはアメリカ人の彫刻家であるデヴィド・ヘアと生活を共にするようになる。このような状況の中、1943 年の 10  10 日頃にブルトンはレストラン・ラレーズでエリザと知り合うことになる。


                    (Elisa Claro, retrato de Jorge Opazo 1940)


1944 年の 3  8 日にブルトンはパトリック・ワルドバルグに手紙を書いているのであるが、その中で秘法 17 番について本を書こうとしていること、その中でモデルとして自分の好きな女性を取り上げるとしているのであるが、その女性こそエリザであり、ブルトンにとって第三の妻となるのである。ブルトンとエリザは共にヴァカンスを過ごしたりするのであるが、この時期ブルトンは『秘法 17 番』を書き、1945 年の 6 日にはエリザにこれを捧げている。この時期においてブルトンとエリザは実質的には夫婦同然であったと思われるが、アメリカにおいては法的に結婚していないことでの煩わしさもあったようで、離婚と結婚という手続きをとることに決め、1945 年の 7  30 日、ジャクリーヌと離婚し、 エリザと結婚している。》(アンドレ・ブルトンにおけるシュルレアリスム的 エクリチュールと女性たちの関係  加藤彰彦より)


“waking dream”, séance de réve éveillé photographed by man ray, 1924
seated: simone breton(Simone Kahn), left to right: max morise, roger vitrac, acques-andré boiffard, andré breton, paul éluard, pierre naville, giorgio de chirico, philippe soupault, jacques baron & robert desnos



《……実はナジャと出会ったころのブルトンは妻のシモーヌとうまく行っていなかったようである。シモーヌ・カーンとは一九二〇年七月に出会って二一年九月十五日に結婚した。ブルトン二十四歳。

      (ブルトン第一番目の妻シモーヌ・カーンSimone Kahn)


それから六年、どうやら倦怠期だったのか、ナジャは単なる風変わりな娘ですんだが、一九二七年の末頃にシュザンヌ・ミュザールに出会って激しい恋に落ちた。シュルレアリスムのグループも分裂と再編成がはじまる時期である。『ナジャ』の最後の美に関する考察はどうやらシュザンヌに首ったけになっている時に書かれたようだ。(……)》




    シュザンヌ・ミュザールSuzanne Muzard, マン・レイ撮影)


《しかしシュザンヌには、一九三〇年九月、三年足らずのつき合いであっさりと捨てられた。ブルトンはかなりショックだったらしい。一九三四年五月、ジャクリーヌ・ランバと出会い、八月にはめでたく結婚にこぎつけた。》




(Leon Trotsky, Diego Rivera, and André Breton,Jacqueline Lamba, Mexico, 1938)



結局、娘オーヴをもうけたジャクリーヌとも一九四五年六月に離婚し、エリザ・クラロ(Elisa Claro)とアメリカのネヴァダで結婚した。四十九歳、……。

ーーポンピドゥ・センターの『アンドレ・ブルトン』展図録(一九九一年)より。(「美は痙攣であるかないか」より)





《Kahlo did have some material as well as artistic and personal connections with the French Surrealists. André Breton and his wife Jacqueline Lamba, with whom Kahlo had an intimate love affair, were among the French Surrealists that she encountered. Whilst on a trip to Mexico, Breton invited Kahlo to France to exhibit her work to the European artistic fraternity and general public but, taking up the invitation, she found upon her arrival that nothing had been organized by Breton and it was only with Marcel Duchamp's help that the exhibition went ahead.》 (Carpentier, 1949 Frida Kahlo: An Artist 'In Between' Anna Haynes (Cardiff University)






《ブルトンを初めとするシュルレアリストたちは、自分たちの集まる場所をシュルレアリスム本部と呼んでいたのであるが、この本部には様々な人が訪れていて、その中にオールド・イングランドの経営者と離婚したリーズ・メイエ(リーズ・ドゥアルム)がいた。アンリ・ベアールによると、 「あまりにも感受性が強すぎる男性たちを悩ませるというあだっぽい女性たちが持つこの才能でもって、 リーズ メイエはブルトンを手玉にとり、 それで彼はうろたえてしまう。 」》(AB p.195)



           (Lise Meyerリーズ・メイエ)


《アンリ・ベアールによると、 「まさに誘惑そのものであり、 ブルトンにとってリーズ・メイエは永遠にシバの女王であるだろう。 (AB p.195) ということであるが、ブルトンのテキストの中に彼女の存在を具体的に物語る記述を見出すことはできない。

この次に現われるのがナジャであって、(……)経緯としては次のようなものである。1926 年の 10 4 日にブルトンはナジャと出会うことになり、10 13 日まで毎日会うが、それ以降は間隔があくことになる。1927 年の 2 月中旬には、 ナジャとの関係が中断する。 そしてこれ以降は 『ナジャ』 の執筆へと至るわけである。





ここにおいて明らかなことは、ナジャのことでブルトンは翻弄されるとか思い悩むということはあまりなかったのではないかと思われることだ。むしろブルトンは既に言及したリーズ・メイエに翻弄されていて、 1927 年の秋頃には彼女との関係を断ち切っている。 これはブルトンが愛情を注いでいるにも拘らず、それを台無しにしてしまう彼女の意地悪さと無理解が原因であるらしい͈͑。》(K)




リーズ・メイエ Lise Meyer (旧姓イルツ Wirtz )と名のっていた頃の「手袋の貴婦人 dame au gant 」にブルトンは夢中になり、彼女に軽くあしらわれていると分かってさえも、なおブルトンは自分の熱烈な愛情を彼女に表明した。

しばらくシュルレアリスムの影の女王とみなされ、彼女の雑誌『ヌイイの灯台 Le Phare de Neuilly 』(1933年)にはデスノス、ヴィトラック、クノーら運動の離反者を迎え入れたにもかかわらず、どんな騒ぎもおこすことはなかった。
アルトーとはとくに親密で、彼女は最大限の援助をした。(リーズ・ドゥアルム Lise Deharme 1898-1980)



《『ナジャ』の第一部を雑誌で発表したのが 1927 年の秋であり、直前にはシモーヌとの関係の悪化、リーズ・メイエとの関係の断絶があったわけであるが、この『ナジャ』の発表の後 11 月にはシュルレアリストたちが集まるカフェでシュザンヌ・ミュザールと出会い、お互いに惹かれ合うことになる。当時シュザンヌは雑誌の編集長でもあった。


       (André Breton et Suzanne Muzard rue Fontaine)

エマニュエル・ベルルの愛人だったのであるが、ブルトンとシュザンヌは二人で南フランスに出かけている。12 月半ば経済的事情もあり、二人はパリに戻り、シュザンヌはベルルとよりを戻すのであるが、ブルトンにしてみればシュザンヌは離れてしまったわけではないという意識がある。このあたりのことは具体的ではないながらも『ナジャ』の第三部において書かれていて、シュザンヌは「君」という呼びかけのもとブルトンにとって唯一無二の女性として表現されている。(……)
  
1931 年の初めにはブルトンはシュザンヌと決定的に破局することになるわけだが、 これは主としてブルトンの経済的問題があって、シュザンヌがそれに満足できなかったためらしい。》





《1934 5 29 日にブルトンは第二の妻となるジャクリーヌ・ランバと出会うことになる。第一章においては、実際の妻であるシモーヌの他に数々の愛人が存在し、ブルトンは本当のところ誰に愛情を注いでいたのかよくわからないといった具合であったが、このジャクリーヌとの関わりが始まってからは、少なくとも資料によれば他に愛人がいたということはないようである。ブルトンはジャクリーヌに頻繁に手紙を出し、また実際に会ってもいたわけで、彼女との関係は密接なものになっていく。 そして 1934 年の 8 14 日に二人は結婚することになる。 このことについては、 ブルトンは『狂気の愛』の中において明らかにしていることは既に指摘した通りである。1934年の 10 月には『水の空気』を刊行するのであるが、これはジャクリーヌに向けて書かれたものであることがわかる。ただそれは様々な状況から判断した上でのことで、それらを抜きにしてテキストからだけでそれを判断することは不可能である。つまりそこには一般的なものとして昇華された愛が表現されているということなのである。ブルトンとジャクリーヌの関係は順調であったようで、楽しく過ごしている様子が窺える。1935 年の 10 20 日には、娘のオーブが生まれる。ところが 1936 年になると、ブルトンとジャクリーヌの関係は悪化し始める。

               (Jacqueline Lamba und Frida Kahlo 1938 in Mexiko)



突然不和になり、ジャクリーヌはフォンテーヌ通りのブルトンの自宅を出て、田舎に行ってしまうということがある。ところがまたその危機は解消されるといった具合で、ブルトンは終始愛情を注いでいることがわかる。このような不安定な関係はそれ以後も続き、資料によればジャクリーヌとオーブがいつどこで過ごしたかが記されるようになる。つまり家族三人揃って幸せな日々を過ごしたということではないようだ。この不和の原因についてブルトン自身よくわからなかったようだが、 アンリ・ベアールの指摘によれば次のようなことが考えられる。 「国際的な状況が、人民の議論の余地のない圧勝にも拘らず、憂慮すべきであるとすれば、ブルトンのそれもまさに同様である。資金がなく、ブルトンは<美術評論家>の資格で、文部省に援助を願い出なければならなかった。 美術学校の方針で、 ブルム政府就任の当日、 2000 フランの貸付けがブルトンに渡された。それでもって、ブルトンはロンドンに赴き、ロリアンで滞在することができたのである。揉め事がジャクリーヌとの間に生じて、ブルトンはそれらがある種の場所の有害な影響の結果ではないかと自問する。 (AB pp.336-337)》アンドレ・ブルトンにおけるシュルレアリスム的 エクリチュールと女性たちの関係  加藤彰彦より)


    (Jacqueline Lamba In Spite of Everything 1942--History of Art: surrealism)



《「ブルトン について本質的なことは」 、 とデュシャンは 私に言う、 「私は彼ほど愛の容量の大きい人 間を知らない。 生の偉大さを愛するもっとも 大きな力。 私たちが、 彼にとっての問題が、 生に対する愛の質、 生の驚異に対する愛の質 そのものを守ることであったことを知らなけ れば、 彼の嫌悪については何も理解できない でしょう。 ブルトンは、 心臓が鼓動を打つよ うに愛した。 売春を信じる世の中にあって、 彼は愛に恋する人だったのです。 彼の特徴は そこにあります」 。》


                 (André Breton et Jacqueline Lamba rue Fontaine)


《アンド レ・ブルトンがマルセル・デュシャンについ て初めて私に話してくれた時、 それはヴァレ リーに関してであった。 「私の目には」 、 とブ ルトンは私に言った、 「1896年、 すなわち私の生まれた年に、 私がほとんどそらんじてい た作品 『テスト氏との一夜』 を刊行したヴァ レリーは、 かつてランボーの周りに形成され えたような神話に固有の威光をまとっている ように映ったのです。 何らかの頂点に到達したとたんに、 作品がいわば作者を 「拒絶」 した のだと言わんばかりに、 ある日突然、 自分の 作品に背を向ける人物という神話」 。 こうし た振る舞いが彼の魅力となっていたのだ。 こ の眩暈を覚えるような光のなかに映し出され たヴァレリーは、 「何年ものあいだ、 若輩の詩人のどんな質問にもいちいち面倒がらずに答 えてくれたのです」 。 とブルトンは私に告白 した。 「彼は私が自分自身に対して気難しく なるようにしてくれました。 私がそうなるのに必要なあらゆる労苦を、 彼はいとわなかっ たのです。 私がいくつかの高度な規律に絶え ず気を配るようになったのは、 彼のおかげで す」 。 「唯一の男は」 、 と彼は付け加えた、 「私 の目からみて今日これほどに重要な唯一の男 は、 マルセル・デュシャンです」 。 そうこうしているうちに、 「裏切った」 のは ヴァレリーであった。 彼は昔の詩に手を加 え、 テスト氏を生き返らせようと努めたの だ。 そして彼がアカデミー・フランセーズに 入会した日、 ブルトンは 「なによりも大切に」 していたその書簡を売却したのである。 何も この幻滅には耐えられなかった。 1914年の戦 争による 「血と愚行と泥とに満ちた下水だめ。 軍隊が話題の中心となっていたこの時代に、 レニエ、 ペギー、 クローデルといった手合い が時流に乗じた栄光の賛歌を歌うのが見られ た」 。 二人の男だけが、 「このウツボの犇く穴 に」 なにがしかの光を射し入れた。 ヴァシェ、 そして 「私は驚嘆させる」 というのをモットー に選んだアポリネールである。 しかしこの重 要な預言者は、 戦争という恐るべき事実を前 にして、 「期待された護符とはまるで違う幼 児期への沈潜」 をもって反応した。 それとは 反対にヴァシェは、 行く手に立ちはだかる一 切を非神格化する徹底的な反抗の 「原理」 を、 言葉と行為によって具現化する 「水晶の鎧」 を 身にまとった存在であり、 「感情の鮮明な角 度と方形を描くダンディ」 であった。》(デュシャン、 ブルトンを語る アンドレ ・ パリノ)ー)http://www.nact.jp/news/pdf/news17_web-1.pdf




ヴァレリーがアカデミー・フランセーズに 入会した日、 ブルトンは 「なによりも大切に」 していたその書簡を売却した、とある(ヴァレリーは、アナトール・フランスの死によって空席となったアカデミー・フランセーズの新会員に迎え入れられた)。

 《「死体よ、ぼくらはおまえの同類どもを愛すまい!」と、二十九歳のエリュアールは書いた。「アナトール・フランスとともに、人間の奴隷根性のいくらかがなくなる。術策、伝統主義、愛国主義、日和見主義、懐疑主義、そして心情の欠如が埋葬されるこの日こそ、祝祭であれ!」と、二十八歳のブルトンは書いた。「くたばったばかりのこの男は[……]今度は煙となって消え去るがいい! ひとりの人間が残すのは僅かなものだ。それでもこの男について、いずれにしろこんな男が存在したと想像するのは憤激にたえない」と、二十七歳のアラゴンは書いた。》(ミラン・クンデラ「明け方の自由 暮れ方の自由」、『カーテン――7部構成の小説論』西永良成訳)




ブルトンは、アルトー、バタイユさえ除名したくらいだ。ましてやアカデミー・フランセーズの会員やら新会員だと?
ブルトンが「シュルレアリスム第二宣言」でアルトーやバタイユ、その他のかつてのシュルレアリストを批判し、除名したことはよく知られている。そのためにブルトンは一生嫌な野郎だと思われ続け、除名された連中がその後も相変わらずあまりにも過激な人たちだったことも手伝って、むしろブルトンのほうこそが独裁者の仮面をかぶった一種の日和見主義者だと悪口を叩かれ続けることになる。言うに事欠いて、ブルトンが日和見主義者だって? 私は十代の頃、アルトーやバタイユほどの人物を除名することのできるグループなんてなかなかイケてるじゃないかと思っていたが、この話はほかのところでもしたので一応置いておくが、ともあれ後世の研究者たちや誰それが、やたら心理主義的に、勿論恥ずかしいことだからご自分の立場とやらを柄にもなく気にしすぎていることをできる限り隠しつつ、とやかく宣(のたま)うような次元の話ではないことだけは最初に言っておこう。(ブルトンとアルトー 鈴木創士

もちろんプルーストも当然のごとく彼らの餌食だろう(いや相手にしてもらえないのか?)

プルーストの小説に出てくるベルゴットはアナトール・フランスがモデルというのが通説である(1899年にアナトール・フランスの希望で娘シュザンヌとマルセル・プルーストとの結婚話が持ち上がったことがあるが、実現しなかった)。

《ベルゴットのもっとも美しい文章は、実際に、読者に、自己へのより深い反省を要求したが、読者はそんなベルゴットよりも、単に書きかたがうまくなかったという理由でより深く見えた作家たちのほうを好むのであった。》(プルースト『見出された時』)


「私の性格の主な特徴 ――愛されたいという欲求、( ……)私が男性に望む特徴――女性的魅力。私が女性において好む長所 ――男のような勇気と、友だちづきあいにおける率直さ。( ……)私の主要な欠点――「意欲する」ことを知らず、またできないこと。( ……)気に入りの散文作家――現在のところ、アナトール・フランスとピエール・ロティ。好きな詩人 ――ボードレールとアルフレッド・ド・ヴァニー。( ……)好きな作曲家――ベートーヴェン、ワグナー、シューマン。気に入りの画家 ――レオナルド・ダ・ヴィンチ、レンブラント。」(プルースト 一八九二年 二一歳 あるアンケートへの返答)

《シュルレアリズム! よせやい! ブルトンのオカルト的な謹厳ぶり …アラゴンの思わせぶりなペテン …アルトーのアンチ-セクシャルな興奮 …バタイユひとりだけが、あの抑圧的ながらくた置場のなかで少しばかりの品位を保っている …とりわけサルトルと比べて …『嘔吐』… まさに打ってつけの言葉だよ …ジュネ… 要するに、性的に見れば何もない …惨憺たるもんだ…<ヌーヴォー・ロマン>? ご冗談を …ない、ない、何も、納得できる女なんてこれっぽっちもない …つまり、無だ… 一冊の本もない …エロティックな意味で、手ごたえのある条りさえひとつもない …》(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)

― ーシュルレアリスム。 私にとってそれは、 青春の絶頂のもっとも美しい夢を体現して いた。(デュシャン、 ブルトンを語る アンドレ ・ パリノー)


「ある日、フロールの二階でサルトルがクノーにシュレルリアリズムの何が残っているのかと訊ねた。
《青春をもったことがあるという感じだ》
と彼は私たちにいった。私たちは彼の答えに打たれ、彼を羨んだ。」(ボーヴォワール『女ざかり』下 P193 朝吹登水子・二宮フサ訳)



          (ブルトンと第一の妻シモーヌ・カーン)

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)








2013年7月16日火曜日

男と女のワイセツ行為

男のズボンの中を盗撮する女性がほとんどいないように、男が排泄するシーンに興奮を覚える女性がほとんどいないように、哲学する女性はほとんどいない。逆に言えば、女性たちはこういうワイセツ行為に欲求を覚えないように、哲学に欲求を覚えないのだ。》(中島義道『生きにくい…』

この見解の正否を云々するまえに、まずここはカント学者であり最近ではニーチェへの言及も多い中島義道氏に敬意を表して、カントとニーチェを引用しよう。

今日では、形而上学にあらゆる軽蔑をあらかさまに示すことが、時代の好尚となってしまった。(……しかし)実際、人間の自然的本性にとって無関心でいられないような対象に関する研究に、どれほど無関心を装ったろころで無益である。自分は形而上学に対して無関心であると称する人達が、いくら学問的な用語を通俗的な調子に改めて、自分の正体をくらまそうとしたところで、とにかく何ごとかを考えるかぎり、彼等がいたく軽蔑しているところの形而上学的見解に、どうしても立ち戻らざるをえないのである。(カント『純粋理性批判』)
女は真理を欲しない。女にとって真理など何であろう。真理ほど女にとって疎遠で、厭わしく、憎らしいものは何もない。──女の最大の技巧は虚言であり、女の最高の関心事は外見と美しさである。われわれは、われわれ男たちは告白しよう。われわれは女がもつほかならぬこの技術のこの本能をこそ尊重し愛するのだ。われわれ、そのわれわれは重苦しいから、女という生き物と附き合うことで心を軽くしたいのである。女たちの手、眼差し、優しい愚かさに接するとき、われわれの真剣さ、われわれの重苦しさや深刻さが殆ど馬鹿々々しいものに見えてくるのだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』 木場深定訳)

あるいは、《男の幸福は、「われは欲する」である。女の幸福は、「かれは欲する」ということである。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)



「実際、人間の自然的本性にとって無関心でいられないような対象に関する研究に、どれほど無関心を装ったろころで無益である」であるならば、「男と女」についてもしかり。《どうしてもそこに立ち戻らざるをえないのである》。陰陽、明暗、天地…、それらは古来、すべて男と女の話ではないか。
谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。
玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「玄牝の門」)
二一世紀の現在、女や、売春、娼婦の話を抜かして、どうして哲学(知を愛すること)であることができよう。
アフロディテ・ミュリッタ崇拝においては、乙女たちの神聖なる売春を含む淫らで頽廃的な祭礼が行われた。この祭礼は……女神を演じる聖なる娼婦が、その相手役の神ベロス=ヘラクレスの役を演じる奴隷と共に民衆の前に登場し、神聖なる売春の交接儀礼が行われる際に、最大の山場を迎えることになった。この男神を演じる奴隷は、ヘラクレスと同じように、祭りの最後には火刑に処された。(クロソウスキー『古代ローマの女たち』ーーバッハオーフェンの「母権制」と、ニーチェ、あるいはドゥルーズ=マゾッホ

もっとも「女」も「娼婦」も神秘だ。ジ・アザー・セックス、ジェンダーは謎のままにして置きたい》(中井久夫)
ーーだが、それにもかかわらず、男たちは「女」の謎にどうしても立ち戻らざるをえない。

女は常に神秘であった、とフロイトは書く、そして、《私は、女性は男性と同じ超自我を持っていない、そして彼女達は男よりもこの点ずっと自由で、男の行動、活動に見られるような限界が無い、という印象を持っている。》

中井久夫は精神科医像のひとつとして「傭兵」のようなものと書いたあと、次のように書き綴る。
もうひとつの、私にしっくりする精神科医像は、売春婦と重なる。

そもそも一日のうちにヘヴィな対人関係を十いくつも結ぶ職業は、売春婦のほかには精神科医以外にざらにあろうとは思われない。

患者にとって精神科医はただひとりのひと(少なくとも一時点においては)unique oneである。

精神科医にとっては実はそうではない。次のひとを呼び込んだ瞬間に、精神科医は、またそのひとに「ただひとりのひと」として対する。そして、それなりにブロフェッショナルとしてのつとめを果たそうとする。

実は客も患者もうすうすはそのことを知っている。知っていて知らないようにふるまうことに、実は、客も患者も、協力している、一種の共謀者である。つくり出されるものは限りなく真物でもあり、フィクションでもある。

職業的な自己激励によってつとめを果たしつつも、彼あるいは彼女たち自身は、快楽に身をゆだねてはならない。この禁欲なくば、ただのpromiscuousなひとにすぎない。(アマチュアのカウンセラーに、時に、その対応物をみることがある。)

しかし、いっぽうで売春婦にきずつけられて、一生を過まる客もないわけではない。そして売春婦は社会が否認したい存在、しかしなくてはかなわぬ存在である。さらに、母親なり未見の恋びとなりの代用物にすぎない。精神科医の場合もそれほど遠くあるまい。ただ、これを「転移」と呼ぶことがあるだけのちがいである。

以上、陰惨なたとえであると思われるかもしれないが、精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。(『治療文化論』P197-198)

ーーこう引用したからといって、女の本質は娼婦であるとか、「聖なる娼婦」などというクリシェをここで想い起こすつもりはない。ただ、Come on! とだけ呟いておくことにする。
……in the famous anecdote about George Bernard Shaw—at a dinner party, he asked the upper‐class beauty at his side if she would spend a night with him for 10 million pounds; when she laughingly said yes, he went on and asked if she would do it for 10 pounds; when the lady exploded in rage at being treated like a cheap whore, he calmly replied: “Come on, we have already established that your sexual favors can be bought—now we are only haggling over the price …”(zizek"LESS THAN NOTHING")
ここで「女と本はベッドに連れこむことができる」という古い俚諺から「知」の探索そのものが女体の秘部をまさぐるようでもあったとか、パリを「遊歩」することそのものが娼婦の股ぐらの慰安を求めるようであったとかするベンヤミンをもなぜか附記しておく。《内蔵の中にいると私たちがどれほど安堵するものかということを知りたければ、眩惑されるままに、暗いところが娼婦の股ぐらにひどく似ている街路から街路へ入り込んでいかねばならない。》(ベンヤミン断章)ーー女性の場合、知=股ぐらの探求は、自らに「弦牝の門」がすでに備わっているのだから、おろそかになりがちなのはやむえない。おそらく哲学する女性はほとんどいないことの機微のひとつであろう。


ところで中井久夫の別の書には、次のような発言がある。
中井)……あの、診察している時、自分の男性性というのは消えますね。上手にいっているときは。ほんものの女性性が出るかどうかはわかりませんけど、やや自分の中の女性性寄りです。少なくとも統合失調症といわれている患者さんを診るときはそうですね。

(鷲田)自分からそれは脱落していくのですか。

(中井)いや、機能しない。まあ統合失調症の人を診た直後に非行少年かなんかを診たらもう全然だめなんです。カモられてしまう。(「身体の多重性」をめぐる対談 中井久夫/鷲田清一 『徴候・記憶・外傷』所収より)
こうやって、いまだ限られた男たちであるにしろ、「女になる」こと、「娼婦になる」ことの偉大さが気づかれつつある、《……女性は、おそらく男性の知覚よりも深いそれをもつものです。たぶんそれは次のことのよるのでしょうーーでも私の言っているのは愚かなことですーー、つまり彼女は、自分のうちに男性を迎え入れるように物事を受けとることに慣れていて、彼女の快楽はまさにそれを受け入れることにある、ということです。彼女は現実を受け入れるつもりでいる、あえて言うなら、完全に女性的な同じ姿勢のうちに。彼女は、男性以上、場合に応じて、ぴったり合った解答を見つける可能性をもっているのです》(ミケランジェロ・アントニオーニ

ただ残念なことに、<わたくし>の如き愚かな《大多数の男は男であるからこそ生きるのがキツイのに、その「男」を捨てることができないという宿命にあります。ここには深くかつ単純な理由が潜んでいて、男は「ただ男であるがゆえに女よりすぐれている」という神話(迷信)から解放されていないからなのです。》(中島義道『ぐれる!』)ーーまあでもこれは旧世代の大多数であり、「父なき世代」においては、男たちは、「女性なるものに不可避的に惹きつけられる」、――それは、《父性隠喩の不成立によって「母のファルスになる」という欲望を「ファルスをもつ」に変換できなかった主体が、「母に欠けたファルスになることができないならば、彼には、男性たちに欠如している女性になるという解が残されている」(lacan E566)ことに気づくからである》(「ラカンの愛の定義」より)


さて、女がのぞき趣味がないのかどうかは、男のわたくしには窺いしれない。だが、のぞかれる趣味はどうなのか。おおくのミニスカ、ローライズ(Lowrise)、スリットやら胸元の開きなどをめぐる論があるだろう(当地はローライズと腰脇のスリット、シースルーの天国なり)。もっともあれらを女のワイセツ行為などと命名したら、フェミニストたちだけでなく、女性全般から袋叩きにあうのは承知しており、あるいは女性鑑賞を楽しみにしている男たちにも迷惑がかかるわけで、わたくしは、そんなことは決して書かない(逆言法とは、言わずにすますつもりだと言うこと、つまり黙っているはずのことを言ってしまう修辞法の文彩のことであり、たとえば、《私は次のことは語らないつもりだ》と言っておいて、その後えんえんと語るやり方だ……)。







身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではないだろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析がいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちららと見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出である。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

ーー過度に開いていると(出現ー消滅の演出がないと)、エロティックではなくなるぜ、最近はそれを狙っているのであれば、女はかぎりなく戦略的であり、ある種の男の欲望を萎えさせることに貢献している。《痴漢たちは、発見され処罰されることをきわめて深く懼れているものの、同時に、その危険の感覚なしには、かれの快楽は薄められあいまいになり衰弱し、結局なにものでもなくなる。禁忌が綱渡り師にその冒険の快楽を保証する。》(大江健三郎『性的人間』)

大江のような旧世代の男ではなく、ここではラカン派フェミニストの見解のほうがいい。

コプチェクによれば、恥じらわねばならない場面に直面させぬよう、覆い隠し、保護することは一見よいことに思えるが、不安にさせる「余剰」全てを露呈し、不安を取り除こうとする現代において、隠しておくべき秘密として秘匿しておくこと自体が、暴こうとする不当な行為に弁解を与え続けることになりかねないと警告する。(2006/10/8 Joan Copjec (コプチェク)講演会

ラカン派のフェミニストに耳を傾けなくても、男に飽きたかしこい女性たちは、覆い隠さないように、という警告を本能的に守っている。逆にいまだ男に飽きていないらしい女たちは、男を魅了し誘惑するためには、ほどよく隠す術を本能的に知っている。

もっとも男たちにもいろんな種類があって、たんにセックスを見たいという中学生や高校生的な夢を持ち合わせている連中がいるから厄介だが、こちらの方は陰湿さがないから御し易い。いやいやローライズでおしりの割れ目までみえてしまったら、今度は陰門や陰毛の出現ー消滅のエロティシズムというものもあって、ある種の男たちを魅了させるから気をつけろ! ようするになにをしたって、相手しだいでヤバイのが人の世であるぜ


 ところで上野千鶴子女史は最近かくのごとくノタマっている。

性欲にはけ口が必要であるならば、ムラムラは自分で解消すればいい。相手のあるセックスをしたければ、相手の同意が必要なのは当たり前だろう。セックスは人間関係なのだから、関係をつくる努力をすればよい。(……)

カネまで払って男性がやりたい理由は、私には永遠の謎だ。男たちが変わるのに何世紀かかるかわからないが、この男の不気味さは男に解いてもらいたい。(上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化

逆に、あれらミニスカやローライズの氾濫する女の衣裳の不気味さを解いてもらいたい。流行だとか便宜性やらきれいにみえるなどといって誤魔化さずに。いや、わかっている、そんな愚かなまねはしないのは。「男たちってスケベで単純で、まったくどうしようもないわ、カワイイところはあるには違いないけど」、などとして、ボディブローで徐々にへこませるのがよいのをよくしっている。《女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……》(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

そもそも「真理」を哲学的に追究するなんて、そんなことしてなにになるのよ、バカねえ、男たちって

《婦人たちのあいだで。--「真理? まあ、あなたは真理をごぞんじではないのね! それは私たちのすべての羞恥心の暗殺計画ではないでしょうかしら?」--》(ニーチェ『偶像の黄昏』16番)

《すべての立派な女性にとって、学問は羞恥に逆らう。彼女らにはその際、自分たちの皮膚の下を、──さらに厭なことには! 着物と化粧の下を覗かれるような気がするのだ。》(『善悪の彼岸』)

わたくしは上野千鶴子を貶すつもりは毛ほどもないのだ。かつて名著『スカートの下の劇場』でお世話になった覚えがある(いまではあまり覚えていないが)。いまウェブ上から拾ってみると、かつては下記のように指摘してくれた人が、男にかんしてはいまだ「カネまで払って男性がやりたい理由は、私には永遠の謎だ」などと語ってしまうのが不満でないでもないが。

女性がパンティを選ぶ理由はおよそ二つに大別されるそうです。
一つは男性を意識した、言わずもがなのセックスアピール。
二つめは、自意識を満足させるためのナルシズムです。


次に、なぜ女性はパンティをはくのでしょう。
まず、恥ずかしいというのがありますよね?
だけど、どうしてあそこを見られたら恥ずかしいのでしょう?
でも、恥ずかしいという気持ちが性的快感に変化するのは否めない事実で、子孫繁栄のためにはなくてはならないものなのでしょうね。

そのほかに、パンティで性器を隠すことによって、性器の価値を高めるという意味もあるそうです。
見ちゃダメ!と隠せば隠すほど見たくなるのは、よくあることで、だからこそ女性はパンティで性器を隠し、とっても大切なものなのだと暗に示しているという論理です。(読書「スカートの下の劇場」

上野千鶴子は、この時期、「男」として振舞ったのではないか。いまでは齢を重ねて「女」に戻っているので、男のことなどなんにもわかんねえ、と言い放っているのではないか。愛でたし芽出度し、慶賀なり。
実のところ、ニーチェが大いに嘲笑を浴びせているフェミニストの女たちは男性なのだ。フェミニズムとは、女が男に、独断的な哲学者に似ようとする操作であり、それによって、女は真理を、科学を、客観性を要求する、即ち、男性的幻想のすべてをこめて、そこに結びつく去勢の効力を要求するのである。(デリダ『尖筆とエクリチュール』)


男サイドの言い訳はいくらでもある。

「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』)


あるいはラカン派の男女の不思議を解く試みなら、かくの如し。

・男の欲望は、おのれの幻想の枠にフィットするような女を直接欲望すること。
・女の欲望は、男の幻想の枠にフィットするように、男に欲望される対象となること。

…… it is wrong to contrast man and woman in an immediate way, as if man directly desires an object, while woman's desire is a “desire to desire,” the desire for the Other's desire. We are dealing here with sexual difference as real, which means that the opposite also holds, albeit in a slightly displaced way. True, a man directly desires a woman who fits the frame of his fantasy, while a woman alienates her desire much more thoroughly in a man—her desire is to be the object desired by man, to fit the frame of his fantasy, which is why she endeavors to look at herself through the other's eyes and is permanently bothered by the question “What do others see in her/me?” However,a woman is simultaneously much less dependent on her partner, since her ultimate partner is not the other human being, her object of desire (the man), but the gap itself, that distance from her partner in which the jouissance féminine is located. Vulgari eloquentia, in order to cheat on a woman, a man needs a (real or imagined) partner, while a woman can cheat on a man even when she is alone, since her ultimate partner is solitude itself as the locus of jouissance féminine beyond the phallus. ZizekLess Than Nothing2012

レヴィ=ストロースは、ユダヤ人狩りのためマルセイユからアメリカに亡命する船旅のことを書いている(『悲しき熱帯』)。小さな蒸気船、――二つの船室と簡易ベッドが合計して七つしかないーー、そこにおよそ三百五十人もの人間が詰め込まれる。彼自身はひとつの船室を四人の男性で分け合う幸運に恵まれる。だが他の乗客は、男も女も子どもも、通風も悪く明りもない船倉に詰め込まれ、そこには大工が俄造りで組み立てた、藁布団付きの、何段にも重なった寝台があった。《その「賤民ども」ーー憲兵はそう呼んでいたがーーの中には、アンドレ・ブルトン(……)も含まれていた。この徒刑囚の船をひどく居心地悪く感じていたアンドレ・ブルトンは、甲板に空いている極めて僅かの部分を縦横に歩き回っていた。毛羽立ったビロードの服を着た彼は、一頭の青い熊のように見えた。》便所はとてつもない臭気、風呂の水もろくに出ない。寄港地で、レヴィ=ストロースと、チェニジア人は、二人の若いドイツ婦人を励ましに行く。《この二人の婦人は、体を洗えるようになりさえしたらすぐ、彼女らの夫を欺きたいと思っていることを、航海のあいだ、私たちに印象づけた》から。

つまりは、ここにも《女の欲望は、男の幻想の枠にフィットするように、男に欲望される対象となること》があり、そのためには汗と垢まみれになった軀を清めることがなによりも肝要なのだ。男たちはおのれの不潔さには女たちほど頓着しない。



「カネ払ってまでやりたい」理由の一端は、すこし長い説明がいるが、簡略化すれば下記の通り。

われわれは生まれたときの最初の他者は、母親あるいは乳を与える養育者である。この他者をめぐって、ラカン派の向井雅明は次のように書いている。
子供は母親から生まれ、まず母親と二人だけの関係にある。この時点ではよく母親と子どもの間には融合的関係があり、子供はまだ外世界に興味を持っていないと言われるが、ラカンはそれをはっきりと批判し、子どもは殆ど生まれてからすぐに外世界、他者(A)(大文字の他者:引用者注)にたいして開かれていると主張する。そしてこの時点からすでに母親の欲望というものを想定する。母親の欲望とは子どもが母親にたいして持つ欲望という客体的意味もあるが、それよりもまして母親の持っている欲望という主体的な意味が決定的である。母親はまず欲望を持っている者とされるのだ。そして人間の欲望は他者の欲望であるという定式から、子供にとって他者はまず母親であるから、子供の欲望は母親の欲望、つまり母親を満足させようという欲望となる。母親の前で子供は母親を満足させる対象の場にみずからを置き母親を満足させようとする。つまり母親のファルスとなる。(向井雅明『精神分析と心理学』)


男女児かかわりなく、幼児の欲望はまずは<他者>の欲望を満足させることである(想像的ファルス化)。だがこの後、正常な発達であれば、男児は父への同一化、女児は母への同一化へ向かう(参照:「ファルス」と「享楽」をめぐって)。この過程で、男女児ともそれぞれの失望がある。


たとえば女児の場合、「父が自分に子を与えてくれる」願望(ラカン)をもつが、それは実現されない(それ以前に、フロイトの『女性の性愛について』によれば、女児は、母が自分にペニスを与えてくれなかった批難をする)。

男児の場合、母を対象とし続けるが、母に欠如を発見する(母の去勢)。その反動として「おとしめ」があり、「他の女(娼婦)」を欲望する。


この男性の場合、ラカン派の説明では、次のようなことが起こる。
Uber die allgemeinstre Erniedrigung des Liebeslebens(1912), GW VIII pp.78-91, SE XI pp.177-190、「「愛情生活の心理学」への諸寄与」,高橋義孝訳,著作集10, pp.176-194、このフロイトの論文によると、「おとしめ」とは、母親を娼婦とみなすという空想のこと。この空想は、愛情生活のなかの割れ目を少なくとも空想の中では埋めようとする努力であるとされる。具体的には、少年がエディプスコンプレックスのなかで、性交という恩恵を自分にではなく父に与えた母を恨みに思い、その一方で、そういう母親の態度を、母親の不誠実だと思う。そして、この不誠実は空想のなかに生き延びていき、母親や愛情の対象の娼婦性という空想が生まれるとされる。これは、母という<他者>の望むものが私ではなく、他のもの、つまりファルス(父)であると想像され、<他者>の無矛盾性が否定され、<他者>にはひとつの亀裂があることを知る。(ラカン『ファルスの意味作用』註)

男の不思議はこのように説明されているわけで、しかしながら「結局、小児性を克服できずに育った男たちってわけじゃないの?」(「幼少の砌の髑髏」)などと脊髄反射的な反応が予想されはするが、もし女に「哲学的に」でも「精神分析的に」でも、追求する気があるならば、そうそう簡単にうっちゃっていい議論でもあるまい(繰り返すがそんな気がないのを知っている)。

いまさらフロイトやラカンでもないでしょ、ドゥルーズ=ガタリにしっかり批判されてとっくの昔に決着ついたんじゃないのかしら? などと嘲弄しておくのがいい。

ジジェクが、《ドゥ ルーズとガタリが見落としているのは、最も強力なアンチ・オイディプスはオイディプスそのものだということである。オイディプス的父親は父-の-名とし て、すなわち象徴的法の審級として君臨しているが、この父親は、享楽-の-父という超自我像に依拠することによってのみ、必然的にそれ自身強化され、その 権威を振るうことができるのだ》などと反駁したって、いまさらジジェクのような小者になんたら言われてもね、ジジェクさんかわいいとこあるけど、とあっさりかわしてしまうのが、女たちの「偉大さ」だ。


さて、小説には、「覗き」場面がいくらでもある。著名な「権威」ある作家たち、たとえば三島由紀夫の『午後の曳航』やら晩年の『豊饒の海』など、あるいは大江健三郎にも頻出する。
ナオミさんが先頭で乗り込む。鉄パイプのタラップを二段ずつあがるナオミさんの、膝からぐっと太くなる腿の奥に、半透明な布をまといつかせ性器のぼってりした肉ひだが睾丸のようにつき出しているのが見えた。地面からの照りかえしも強い、熱帯の晴れわたった高い空のもと、僕の頭はクラクラした。(大江健三郎「グルート島のレントゲン画法」『いかに木を殺すか』所収)

女流作家でも、山田詠美ならこのように書いてくれる。

私は、あなた以外の何ものをも求めない。目の前の男のためだけに口紅を塗り、香水を噴き付ける。だから、部屋には、いつも、良い匂いが漂っ ている。愛する人を持った女は、朝のシャワーの 後に、香水瓶の蓋をあける。(山田詠美『チューイングガム』)


いずれにせよ、同じ小説でも、男と女では読み方が違うのだろう、たとえば次の文ならば、おおむね、男はのぞく主体に同一化し、女は覗かれる客体に同一化するのだろう。

女はついにあらわな姿を見せた。

靴をぬぐために、非常に高く脚をくみ、肉体の深淵をぼくの眼にさらした。
きらきら光る編上靴にとじこめられていた上品な足や、にぶい色の絹の靴下につつまれていた、ほっそりした膝頭や、華奢な足首のうえに、優美な壺のようにゆたかに開いたふくらはぎなどを見せた。ひかがみのうえ、ちょうど靴下が白くぼやけたくぼみのなかに終っているあたりには、おそらく素肌がのぞいているのだろう。ぼくには、やっきになって邪魔をする闇や、女におそいよる薪のちらつく輝きとで、下着と肌の見分けがつかない。あれは下着のやわらかい布なのだろうか、それとも素肌なのだろうか。無なのだろうか、すべてなのだろうか。ぼくの視線はその裸身を得ようとして、闇や炎と争った。額を壁に、胸を壁にぴたりと寄せ、壁を打ちたおし、突きぬこうとするほどに、拳で必死に押しながら、こうしたとりとめのない不確かさに眼がいたくなるほど、なんとかして、腕ずくでも、もっとよく見よう、もっと多く見ようと、あせりにあせった。(アンリ・バルビュス『地獄』田辺貞之助訳)

あるいは、こんな描写ならどうか。

暖炉の火が穏やかな気配の弱さになっている。それを立て直そうとして、《火箸で突つき、黒く炭化したところに新たな薪をもたせかけて吹く》。ーー男は火箸で突っついて吹きたいのであり、女は…、女のことは知るところではない…

大江健三郎の中篇『人生の親戚』の「僕」は、《炎の起ったところでふりかえると、スカートをたくしあげている紡錘形の太腿のくびれにピッチリはまっているまり恵さんのパンティーが、いかにも清潔なものに見えた》。それは米人のセックスフレンドとの切磋琢磨する性交をつうじて、生臭い肉体に属するものは、どこかに移行して、《精神の属性のみが残った》ような清潔さだ……、と。

――「僕」はこんな夢を見たとの記述が小説の前半にはある。

彼女はうすものを羽織っているのみで、(……)下半身は裸、合成樹脂の黒いパイプ椅子に足を高く組んで掛けている。こちらはその前に立っているのだが、足場が一段低いので、頭はまり恵さんの膝の高さにある。p80

かつて「僕」が、まり恵さんと一緒に、プールで泳いだとき、《彼女の大きく交差して勢いよく水を打つ腿のつけねに、はみ出た陰毛が黒く水に動き、あるいは内腿の皮膚にはりつくのを見た》、その「出来事」が夢の表象として現われる。

まり恵さんの、腿に載せたもう片方の腿があまりに引きつけられているので、性器の下部が覗きそうだが、そこに悪魔の尻尾がさかさまに守っている。つまりはしっとりした黒い陰毛が、クルリと巻きこむように性器を覆っている。p80



もっともフロイトによれば、覗姦・露出のメカニズムは、原初的には、「性器が自分自身によって覗かれる」のが出発点のひとつであって、単純に覗く/覗かれるの二項対立があるというわけではない。


フロイトの『本能とその運命』(フロイト著作集 6 人文書院)では、サディズムとマゾヒズムの分析のあと、次のように覗見と、露出(誇示)をめぐって書かれている。

※「本能Trieb」は最近の訳では「欲動」と訳されるが、ここでは旧訳のままとする。……
もう一つの対立的組合せ、すなわち覗くことと、露出することをそれぞれ目標とする本能を研究してみると、少し違った、さらに単純な結果が出てくる(性的倒錯の用語では覗見症者Voyeur と露出症者Exhibitionist)。そしてここでも前の場合と同じような段階に分けることができるのである。すなわち、

(a)覗きが能動性として、他者である対象にたいして向けられる。

(b)対象を廃棄し、覗見本能が自分自身の身体の一部へと向け換えられ、それとともに受身性へと転じて、覗かれるという新しい目標が設定される。

(c)新しい主体が出現し、それに覗かれようとして自己を露出する。

能動的な目標が受身的な目標よりも早く登場し、覗くことが覗かれることに先行するのも、ほとんど疑いのない事実である。しかしサディズムの場合との重要な差異は次のような点である。つまり覗見本能においては、(a)の段階よりも、もう一つ前の段階が認められるのである。覗見本能は、すなわち、その活動の端緒において自体愛的であり、たしかに対象を持ちはするものの、それを自分自身の身体に見出すわけである。覗見本能が(自己と他者とを比較するという過程をたどった上で)、その対象を他者の身体の類似の対象と交換するにいたるのは、そののちのことなのである(段階a)。ところで、このような前段階は次のような理由から興味深いものになる。つまりこの前段階から、交換がどちらの立場で行なわれるかに応じて、その結果として成立する覗見症と露出症という対立的組合せの両極面が現われてくる。すなわち、覗見本能の図式は次のように書き表わすことができよう。







 このどこかでの段階で、ラカン理論ではさらに「想像的ファルスの欠如」(母の去勢)が係ってくるはずだが、いまはそれには触れない(参照:心的装置の成立過程における二つの翻訳)。

そもそもラカン派の「去勢」とは、まずは母におちんちんがないことなのだ、--想像的ファルスの欠如-φは、「去勢」とも読まれる。それは主体の去勢ではなく(少なくとも”だけ”ではなく)、「去勢の意味作用は,(子供の去勢ではなく)母の去勢によっておこる」(ラカンE687)



 最後に、デリダのインタヴュー記事を附記しておこう(女性と哲学「デリダ・インタビュー(4)LAWEEKLY, 2002118/14日」)。


【問】なぜ女性の哲学者はいないのでしょう。

【答】哲学のディスクールというものが、女性、子供、動物、奴隷をマージナル
なものとして抑圧し、沈黙させるように組み立てられているからです。これは哲
学の構造であり、これを否定するのはばかげたことでしょう。そのために偉大な
女性の哲学者が現われないのです。もちろん偉大な女性の思想家はいますよ。で
も哲学というのは、思想のうちでもごく特殊な思想、特別な考え方なのです。た
だ現代では、こうしたことは変わりつつあります。

【問】あなたはご自分をフェミニストと考えられますか、

【答】大きな問題ですが、ある意味ではそう考えています。わたしの仕事の多く
は、ファロス中心主義の破壊にかかわるものでしたし、自分で言うのも変ですが、
哲学のディスクールの中心でこの問題を提起した最初の人の一人でしょう。もち
ろんわたしは女性の抑圧がなくなることを望んでいます。哲学におけるファロス
中心主義的な土台のもとで、女性の抑圧が続いていることを考えると、とくにこ
れは重要な問題です。ですからこれに関してはわたしはフェミニズム文化に連帯
しています。

でもフェミニスムの特定の表現には、留保を抱かざるをえません。たんに男女の
ヒエラルキーを逆転させることや、伝統的に男性的な行動とみなされている好ま
しくない側面を女性が採用することは、誰の役にもたたないのです。