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2014年11月12日水曜日

きみは惜しむだろうか 季節が晩秋に向かって容赦なく流れ去るのを

きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを

迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで


ーーー 清岡卓行「石膏」より 『氷った焔』所収(1959             


※Gustave Courbet L'origine du monde(ラカン所有の経緯について


いまさらクルーペの「世界の起源」でもないが、ラカンの「裂け目の光のなかに保留されているもの」(対象a)やら「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」やらの起源のひとつは、この根源的に開いた裂け目にあるには相違ない。


神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』著作集3 P350)





……案の定! いったん畑の平面へ降りてから風呂の焚き口へ登る、小石を積んだ短い段々の中ほどに、そこで立ちどまれば顔の高さに、こちらへゆるくかたむいた50センチ×30センチの薄暗いガラスのスクリーンが風呂場の板壁を壊してとりつけられているのだ。剥がした羽目板や新しい角材の残りと大工道具が、物置の脇にたてかけられていた。僕らが並んで位置につくやいなや、僕らの頭をまたいで前へ出る具合に向うむきの若い娘ふたりの下半身が、かしいだスクリーンに現れた。

――この角度がな、Kちゃん、女をもっとも動物的に見せるよ、とギー兄さんは解説した……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』




根源的に開いた裂け目について考えるさい、それが子どもと<母>の近親相姦的な二者関係結実を阻止するべく、子どもを象徴的去勢/隔離の次元へと追いこむ、父権的な<法>/<禁止>の干渉からもたらされた産物と理解する安直は退けなければなるまい。この裂け目、「バラバラに寸断された身体」という経験は、あらゆる物事に先だって存在しているのだ。それは死への衝動が産み落としたもの、快楽原則の円滑な運用を停止させる何らかの過剰/トラウマ的な享楽が侵入した結果の所産であり、そして父権的な<法>は――鏡像との想像的同一化とは異なり ――この裂け目を飼い慣らし/安定化する試みのひとつなのである。忘れてはならないのは、ラカンにとって<エディプス>的な父親の<法>とは、突き詰めれば「快楽原則」に服し、それに資するためだけに存在している点である。(ジジェク『厄介なる主体』)


Robert Mapplethorpe

予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。(……)

余は 女のまたに手を入れて、手あらく その陰部をかきまわした。しまいには 5本の指を入れて できるだけ強くおした。・・・ ついに 手は手くびまで入った (啄木のローマ字日記

「吾れはあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候。」(節子)

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から“彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの”、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。ロマンティックな恋愛に引き続いた結婚の教訓とは次のようなことである。――あなたはあのひとを熱烈に愛しているのですか? それなら結婚してみなさい、そして彼(彼女)の毎日の生活を見てみましょう、彼(彼女)の下品な癖やら陋劣さ、汚れた下着、いびき等々。結婚の機能とは、性を卑俗化することであり、情熱を拭い去りセックスを退屈な義務にすることである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私訳)

すなわち、世界の起源の「裂け目の光のなかに保留されているもの」が、結婚によって消え去ってしまう。じっくり観察してしまえばなおさらである。


荒木経惟



Méry, l'an pareil en sa course
Allume ici le même été
Mais toi, tu rajeunis la source
Où va boire ton pied fêté.

メリよ、年はひとしく運行を続けて
いまここで、同じ夏を燃え立たせる
しかし、君は泉を若返らせて
祝福される君の足がそこへ水を飲みに行く

ーーーマラルメのメリへの誕生祝の四行詩(愛人メリ・ローランの47回目の誕生日1886 保苅瑞穂訳)


Mery Laurent(マネの愛人、その後、マラルメの愛人)


若かりし世界の起源の持ち主も
年は流れる川と同じ運行を続けて
夏の終りへ向かって容赦なく流れ去る
晩夏もたちまちにして過ぎ去り
楚々として秋は来る
北風に苛らだち西風に雨を感知して
日に日に地表はむくつけきい容貌と変つてくる
ああ母の如くも優しく美しい季節よ! 
いまだ火のない暖炉の中から蟋蟀の細い寂しい唄が聞えてくる


Stéphane Mallarmé et Mery Laurent (1896) par Nadar



2014年5月19日月曜日

五月十九日 老女の仕草

……また、読者の中で、いなくなった作者がたとえわずか三行ばかり生きるってことがあるでしょう。たとえば僕が高校の頃読んだ文豪の作品、当時はそんなにわからなくても、鮮明に残る数行がありました。で、後年、それに導かれて読み返すわけです。(古井由吉 「言葉の宙に迷い、カオスを渡る/大江健三郎+古井由吉」「新潮」2014年6月号)

高校の頃に初めて読んだ作品『嘔吐』の冒頭近くにある「構わなかったら靴下とらないわよ」という文の前後は忘れ難い。

私は、ひとりで、完全にひとりで暮らしている。決してだれとも話はしないし、なにも受けねばなにも与えない。(……)「鉄道員さんたちの店」のマダムのフランソワーズがいることはいる。しかし私は、彼女と話すと言えるだろうか。ときどき夕食のあとで、彼女がジョッキのビールを運んでくるとき、私はたずねる。
「今夜は暇かい」
彼女がいいえと言ったためしはない。私は、時間ぎめかあるいは日ぎめで彼女が貸している二階の大きな寝室のひとつへ、彼女のあとについて行く。私は金をやらない。私たちの色事はおあいこなのだ。彼女は歓びを味う。(彼女には一日にひとりの男が必要だ。だから私以外にも大勢の情人を持っている。)こうして、私にはその原因がわかりすぎているある種の憂鬱から解放されるのだ。しかし私たちは、せいぜい二言か三言を交すにすぎない。しゃべることがなんの訳に立つか。めいめいは勝手に生きている。それに彼女の眼から見れば、私はなによりもまずカフェのお客にすぎないのだ。彼女は服を脱ぎながら言う。

「ねえ、ブリコっていう食前酒を知ってて。今週それを注文したお客がふたりいたの。女の子が知らなかったので、あたしのところへ知らせにきたわ。旅行者だったからパリでそれを飲んだのよ、きっと。どんなものか知らずに買うのはいやだわ。構わなかったら靴下とらないわよ」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

パンティストッキングも悪くはないが、やはりただのストッキング(with ガーターベルト)がいっそうエロティックであるのは、どういうわけか? ーーというのは捏造された疑問符である。

身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではないだろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析がいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちららと見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出である。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

あるいはストッキングをつけたままの方が、なぜひとは、ときにエロティックの感を抱くのかは、これもロラン・バルトの説明がある。

昔の中国では、夫は妻のむき出しの足を見てはいけないとされていました。《ヴォルガのトルコ女性はむき出しの足を見せることは不道徳であると考え、寝る時も靴下をはいたままなのだ。》バタイユの集めた民族学的資料はもっともっとつけ足す必要があるでしょう。アメリカの《ペッティング・パーティ》や、女たちがセックスをする時も服を脱がないあるアラブ民族の風習を想い起こす必要があるでしょう。現代のある作家が報告したことですが、服を脱いでも、靴下だけは脱がないある男娼たちの奇癖もあります。こうしたことは着衣と性行為との関係を考えさせてくれます。これはさんざん論じられたストリップの問題とは全然関係ありません。なぜなら、われわれの社会はみずから《エロティック》であると信じていますが、実際の性行為について、性行為の身体については、決して語らないからです。これこそ、われわれがおたがい同士で一番知らないことですーーおそらく、道徳的タブーからではありません。無益さのタブーによるのです。要するに、必要なのはーーこれは見かけほど月並みなことではありませんーー裸体について考え直してみることでしょう。実際、われわれにとって、裸体は造形的価値です。エロティックな造形的価値といってもいいでしょう。いいかえれば、裸体はつねに形象化の態勢にあります(ストリップがその例です)。それは、表現のイデオロギーと密接に結びついていて、典型的な形象となります。肢体〔フイギュール〕の形象〔フイギュール〕です。裸体を考え直すということは、一方えは、裸体というものを、歴史的、文化的、西欧的(ギリシャ的)概念として理解することであり、他方では、それを身体の「場景」からエロティックな好意の分野に移すことであります。ところで、裸体と表現との共犯性を垣間見始めると、それに悦楽を生む力があるかどうか怪しくなります。つまり、裸体は(おそらく快楽の分野に結びついているけれど、喪失や悦楽の分野とは結びついていない)文化的対象であり、したがって、要するに、道徳的対象ということになるでしょう。裸体は倒錯的ではないのです。(ロラン・バルト「テクストの出口」 )

これらは、「快原則の此岸/彼岸」、「欲望/欲動」、「快楽/享楽」、ストゥディウム/プンクトゥムの話にかかわってくるが、ここではそれに触れるつもりはない。(参照:ベルト付きの靴と首飾り ロラン・バルト


…………

ところでMery Laurent(メリ・ローラン)は、マラルメによる誕生祝の四行詩で有名だが、マネのかつての愛人でもあった(参照:「青空のさなかで耐えること」)




Méry, l'an pareil en sa course
Allume ici le même été
Mais toi, tu rajeunis la source
Où va boire ton pied fêté.

メリよ、年はひとしく運行を続けて
いまここで、同じ夏を燃え立たせる
しかし、君は泉を若返らせて
祝福される君の足がそこへ水を飲みに行く




プルーストの『失われた時をもとめて』のオデットには、何人かのモデルがいるらしい。大伯父ルイ・ヴェイユが情人であった高級娼婦(ココット)のロール・エーマン、あるいはプルーストの少年時代の女友達の母、ド・ベナルギダ夫人とともに、メリー・ローランもそのひとりである。



             Méry Laurent: Manet’s and Proust’s Model


…………


さて、サルトルの『嘔吐』に戻れば、先ほど引用した箇所の一ページ先に次の文がある。これはかつてはたいして印象に残っていなかった箇所だ。

たとえば土曜日の午後四時ごろだった。駅の工事場の板敷きの歩道端を、スカイブルーの服を着た小柄の婦人が、笑いながらハンカチを振りつつ急ぎ足であとずさりしてきた。それと、同時に、クリームいろのレインコートを着て黄いろの靴を穿き、みどりいろの帽子を冠った黒人が、口笛を吹きながら道の角を曲ってきた。たえずあとずさしていたこの婦人は、夕暮になると灯の入る、柵に吊した角灯の下でこの黒人につき当った。それでちょうどそこには、湿った材木の匂いが強くする柵と、あの角灯と、黒人の両腕にかかえられた小柄で人のよさそうな金髪の婦人とが、夕焼けの空の下に同時に存在したのである。もし四人か五人でこの衝突や、あれらの柔らかなすべての色彩や、綿毛のように見えた青いきれいな外套や、明るいレインコートや、角灯の赤い硝子などを見たと仮定してみる。私たちは、ふたりの顔に表われた子どもっぽいびっくりした様子を、きっと笑ったことだろう。(同『嘔吐』)

 今読むと、ゴダールの映画のいくつかの場面のような色彩の眩暈を覚える。あるいはロラン・バルトがモロッコでの印象を寸描した『アンシダン(偶景)』のいくつかをたちまち想起する。

浅黒い若者、ミント・リキュール色のシャツ、アーモンド・グリーンのズボン、オレンジ色の靴下、見るからにしなやかな赤い靴。
みすぼらしいレインコートを着て、気違いじみた(明るい青の)帽子をかぶった黒人の少年と汚い歩道を裸足で歩いているヒッピーの娘がカフェ・サントラルの現地人の前を通る。少年は一人の娘を物にしたが、おかしな西欧性に公然と迎合しているのだ。


だがここではほかに《もし四人か五人でこの衝突》に遭遇したら《ふたりの顔に表われた子どもっぽいびっくりした様子を、きっと笑ったことだろう》と書かれる箇所のほうにも注目しよう。独りのその場面に遭遇したロカンタンは笑わなかったのだ。私たちは知り合いと一緒であれば、自らの印象の幸福感に酔うよりも仲間同士で笑うほうに傾いてしまう。

……というのは、彼といっしょにしゃべっているとーーほかの誰といっしょでもおそらくおなじであっただろうがーー自分ひとりで相手をもたずにいるときにかえって強く感じられるあの幸福を、すこしもおぼえないからであった。ひとりでいると、ときどき、なんともいえないやすらかなたのしい気持に私をさそうあの印象のあるものが、私の心の底からあふれあがるのを感じるのであった。ところが、誰かといっしょになったり、友人に話しかけたりすると、すぐ私の精神はくるりと向きを変え、思考の方向は、私自身にではなく、その話相手に移ってしまうので、思考がそんな反対の道をたどっているときは、私にはどんな快楽もえられないのであった。ひとたびサン=ルーのそばを離れると、言葉のたすけを借りて、彼といっしょに過ごした混乱の時間にたいする一種の整理をおこない、私は自分の心にささやくのだ、ぼくはいい友達をもっている、いい友達はまたとえられない、と。そして、そんなえがたい宝ものにとりまかれていることを感じるとき、私が味わうのは、自分にとって本然のものである快感とは正反対のもの、自分の薄くらがりにかくれている何かを自分自身からひきだしてそれをあかるみにひきだしたというあの快感とは正反対のものなのであった。(プルースト『花咲く乙女たちのかげにⅡ』井上究一郎訳)

さらにいえば、クンデラの『不滅』の冒頭の老女の仕草に《胸がしめつけられた》と書かれる叙述、それはひょっとしたらサルトルの《黒人の両腕にかかえられた小柄で人のよさそうな金髪の婦人》から生れたのではないかとさえ今は思う、ーーたぶんそれは思い過ごしなのだろうが。

そのご婦人は六十歳か、六十五歳くらいだったろう。ひろびろしたガラス窓を通して、パリがすっかり見えるモダンな建物の最上階にあるスポーツ・クラブのプールを前にして、長椅子に寝そべりながら、私は彼女をみつめていた。(……)

誰かに話しかけられて私の注意はそらされてしまった。そのあとすぐ、また彼女を観察したいと思ったとき、レッスンは終っていた。彼女は水着のままプール沿いに立ちさってゆくところで、水泳の先生の位置を四メートルか五メートルほど通りこすと、先生のほうをふりかえり、微笑し、手で合図した。私は胸がしめつけられた。その微笑、その仕草ははたちの女性のものだった! 彼女の手は魅惑的な軽やかさでひるがえったのだ。戯れに、色とりどりに塗りわけた風船を恋人めがけて投げたかのようだった。その微笑と仕草は魅力にみちていたが、それにたいして顔と身体にはもうそんなに魅力はなかった。それは身体の非=魅力のなかに埋もれていた魅力だった。もっとも、自分がもう美しくないと知っているにちがいなかったとしても、彼女はその瞬間にはそれを忘れていた。われわれは誰しもすべて、われわれ自身のなかのある部分によって、時間を越えて生きている。たぶんわれわれはある例外的な瞬間にしか自分の年齢を意識していないし、たいていの時間は無年齢者でいるのだ。いずれにしろ、水泳の先生のほうをふりかえり、微笑し、手を仕草をした瞬間(先生はもうこらえきらなくなり、吹きだしてしまった)、自分の年齢のことなど彼女はなにも知らなかった。その仕草のおかげで、ほんの一瞬のあいだ、時間に左右されたりするものではない彼女の魅力の本質がはっきり現われて、私を眩惑した。私は異様なほど感動した。(クンデラ『不滅』菅野昭正訳)

女は七十歳、八十歳になっても、ある仕草によってかつての少女時代を彷彿させる魅惑が現れるときがある。だがこれもその印象に眩惑されるのは、独りでいるときだけであり、多人数でその仕草に出会ったら、互いに目配して笑ってしまうだろう。





2013年8月9日金曜日

青空のさなかで耐えること

Patience, patience.
Patience dans l'azur
chaque atome de silence
est la chance d'un fruit mûr !

耐えること 耐えること
青空のさなかで耐えること
もの言わぬ瞬間(原子)の一つ一つが
成熟への機会である。

ーーPatience dans l'azur Paul Valéry  ヴァレリー(中井久夫訳)


それに私も、どうすればこのソナタ(シューベルト D.960)の心理的な重みに耐えることができるだろう。たとえウィークデーの夜、小さなホールで演奏するだけとしても。このソナタをわが家で弾いたら何が起こるだろう?大文字の「他者」がそのまったき光輝と恐怖とともに出現する。ある意味において、このソナタは私の不俱戴天の敵なのだ。弾けば弾くほど、私は具合が悪くなる。私を傷つけ、私の苦痛をいつまでも引きのばすことを知りながら―――今回も、とどめの一撃を与えてはくれないのだ―――私はこの他者を抱きしめ、接吻する。日常生活の中でなら、こんなにひどいカタストロフに襲われれば命を落としていただろう。(ヴァレリー・アファナシエフ『ピアニストのノート』)

 さして美しくも醜くもない一人の女性が―――リストの『ピアノソナタ ロ短調』のビデオクリップを製作する。(……)このカリスマ的女性ピアニストは、衣装を替えたり付けたりひげをつけたりパイプを吹かしたりして、ファウスト、メフィストフェレス、マルガレーテの三役を演じ分けてみせる。すると聴衆は言う。「何という個性、何という大胆さ、何という芸術家、何というピアニストなんだろう!」。ソナタの演奏がへたくそなことは言わずもがなだが、誰もそんなことは気にもしない。そもそも、ほとんど曲を聴いてはいないのだ。(同上)



ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)
※あの「詩人」とは、もちろんヴァレリーのこと。






マラルメとドガ(ヴァレリー『ドガに就いて』吉田健一訳より)

この二人の交渉は決して簡単な性質のものではなく、またそうある筈がなかった。というのは、ドガの残忍なまでに無遠慮な意識的に邪慳な性格ほど、マラルメの意識的な性格と異なっているものはなかった。

マラルメは或る思想の下に生きていたのであって、彼が想像していた或る最高の作品が彼の生涯の究極の目標であり、それは彼にとって彼の存在を正当化するものであると同時に、宇宙そのものが包含する唯一の意味でもあった。彼はこの、宇宙の本質たる純粋な概念を保存し、それをますます明確にしていく目的の下に、彼の外面的な生活とか、人や出来事に対する彼の態度とかを根本的に建て直し、変換して、この概念を規準としてすべてのことを評価したのだった。敢て言えば、彼にとって人とか作品とかは、彼が発見したことの真理がどの程度に其処に明確に感知されるかということによって整理され、それによってそれらの人とか作品とかの価値が決定されるのだった。ということは、彼が彼の脳裡において多数の存在を容赦なく処分し、抹殺し去ったことを意味するのであって、彼が何人に対しても、礼儀を重んじ、忍耐強く、また真に驚歎すべき優しさを以て彼らを迎えたということの根柢には、常にこの非情さが横たわっていたのである。彼は誰が彼を訪問しても必ず面会し、すべて彼の所にくる手紙に、常に典雅な、そして絶えず新しい言い廻しで満たされた文章で答えた……。彼のそういう洗練された応対の仕方や、相手が誰であるかを問わない鄭重さはしばしば人を驚かせ、私にしても、極めて素朴な意味でそれを不愉快に思ったことがあるが、彼はこの普遍的に礼儀正しい態度によって、何人も侵すことができない一つの武装区域を設定し、その圏内に彼の稀有の矜持は、それが彼のものであることにおいて少しも損なわれることなく、彼と彼自身の特異さとの親密な対決の、無類の結実として存在する場所を与えられたのだった。

これに反してドガは一歩も人に譲ることがなく、事情を斟酌したりするには余りにも性急で、専らはったりで物事を批判し、まったく弁解の余地を残さないような辛辣な言葉ですべてを片づけてしまうことを好み、そういう彼の苦々しい気持が、何事も彼の何処かに潜んでいることが感じられ、事実彼は些細なことで機嫌を悪くし、たちまち激昂するのだった。そしてそれはマラルメの少しも変わることのない、滑かな、他人に対する気遣いに掛けて実に微妙な、そして絶えずこの上もない皮肉を裡に含んでいる態度とは似ても似つかぬものだった。

マラルメもドガのそういう、自分とは正反対の性格には幾分辟易していたように私には思われる。

ドガの方では、マラルメのことを常によく言っていたけれど、彼は主としてマラルメの人物に好意を寄せていたのだった。そして彼にマラルメの作品は、一人の卓越した詩人の精神がほんの少し変になった結果であるとしか考えられなかった。しかもそういう誤解は芸術家の間にはありがちなことなのであって、むしろ彼らは、お互いに理解し合うことが全然ないように出来ているということさえも容易に想像されるのである。殊にマラルメの書いたものはその性質からして、あらゆる種類の諧謔や嘲笑の的となるのに適していた。その点でドガの意見は、マラルメも時々寄ることがあったゴンクールの家の常連がやはりマラルメの作品について考えていたことと少しも異る所がなかった。彼らはマラルメの人物に魅せられて、彼らと話している時は極めて明晰な頭脳の持主であり、常に無類の正確さと純粋さで豊富に暗示しつつ話をする人間が、何か書くと、全然意味が取れない、煩雑さそのもののような作品がその結果として出来上るのを、まったく不思議なことに思っていたのだった。殊に彼らには、彼ら自身は努めてその歓心と顧慮とを獲得しようとしている公衆というものをマラルメが完全に無視しているのが、どういう訳なのか少しも理解することが出来なかった。そしてもしその時、自分の著作の法外な出版部数を第一義のことに考え、同じ文学者として互いに激烈に嫉妬しあっていたこれらの大作家たちに、五十年立たないうちに彼らの言説に対する信頼や、彼らが書いた有名な小説の売れ行きがまったく衰えて、その代わりに、長い期間に亙って極度に意識的に練磨された形式の効果によって流行や読者数の影響を絶した、マラルメの僅少な、秘教的な作品が優れた精神の持主たちの裡に、完璧さというものの強大な諸能力を発揮することになることを予言したら、彼らはどれほど驚いたことだろう。

或る日ゴンクールの家に集まった人たちが議論をしている時、ゾラがマラルメに、彼の考えでは糞とダイヤモンドは同じ値打ちだと言った。「そうね、――しかしダイヤモンドはそうざらにあるものじゃないな」とマラルメが答えた。

ドガは平気でマラルメの詩を種々の笑い話の種に使った。マラルメの詩は、


Victime lamentable à son destin offerte …

(その宿命に捧げられたる憐むべき供物、……)

だった。

例えばドガの話によると、マラルメが或る日彼が作った十四行詩を弟子たちに読んで聞かせた。弟子たちはそれにすっかり感心してしまってそのあげく、各々その解釈を試みた。或るものは、其処には夕焼けの空が歌われているのだと言い、また或るものは、其処には荘厳な日の出が詠まれているのだと言った。そうするとマラルメは、「そんなことはないよ……。これは私の箪笥の歌なんだ」と言ったそうである。

ドガはこの話をマラルメの面前でもしたことがあるらしく、その時マラルメは微笑したが、それは少し無理な微笑だったということである。



            ーーーPortrait of Mery Laurent 1888-1889


マラルメのメリへの誕生祝の四行詩(愛人メリ・ローランの47回目の誕生日1886 保苅瑞穂訳)

Méry, l'an pareil en sa course
Allume ici le même été
Mais toi, tu rajeunis la source
Où va boire ton pied fêté.

メリよ、年はひとしく運行を続けて
いまここで、同じ夏を燃え立たせる
しかし、君は泉を若返らせて
祝福される君の足がそこへ水を飲みに行く




ーーーStéphane Mallarmé et Mery Laurent (1896) par Nadar


この詩には異本がある。それもあわせて。

L'an pareil en sa course au fleuve qua voici
S'écoule vers la fin d'un été sans merci
Où le pied altéré, fêté par l'eau, se cambre
Pour le taquiner mieux au bout d'un ongle d'ambre.

年はここを流れる川と同じ運行を続けて
夏の終りへ向かって容赦なく流れ去る
喉の渇いた足はそこで水に祝福されて、琥珀色の爪先で
水をもっと、からかおうとして、指を反らす。



-----{Blog} Philippe Sollers

メリ・ローランは、かつてマネの愛人だった。
…………


附記:中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)より、メモ。

蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

浅田彰) 例えば、デリダ論の本を書いたとして、十年後に知らない誰かがそれを読むというのが、本当のレスポンスであり、大文字の他者の承認なのであって、いま流行っているアニメについてブログに書いたら、その日のうちに 100個くらいレスポンスが来たと言っても ……。… そういう小文字の他者からのレスポンスは一週間後には最早なかったに等しいでしょう。即時的なレスポンスのやりとりがコミュニケーションだという誤った神話に惑わされてはいけない。

蓮實重彦)それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。

浅田彰) そうですね。ドゥルーズは、哲学者でありながら、あるいはまさにそれゆえに、論争(はやりの英語で言えばディベート)は何も生み出さないから嫌いだと明言した。そう言いながら、彼はガタリと二人で本を書き、いろいろ長いインタビューに答えてもいる。それは、しかし、ディベートではないわけです。 …ドゥルーズは、その新哲学派を徹底批判するために自費出版のパンフレットを出す一方、メディアにおけるレスポンスを求めないために書く。そのためなら二人で書いたっていい、そういう立場であって、その姿勢は今こそ学ぶべきものだと思います。( 2009年9 月18日)


2013年8月5日月曜日

メモ:マラルメとストローブ&ユイレ





「私はこの桁外れな作品を見た最初の人間であると信じています。マラルメはこれを書き終えるとすぐ私に来訪を求め、私をローマ街の居室へと招じ入れたのでした。......彼は黒ずんだ、四角な、捩じれ脚のテーブルの上へ詩稿を並べると、低い、抑揚のない声で、いささかの《効果》もねらわずに、ほとんど自分自身に語るかのように読み始めました......

 ......自作の『骰子一擲』をはなはだ平板に読み終わったマラルメは、ついにその字配りを私に示しました。私は一つの思想の外貌が初めて我われの空間内に置かれるのを見る気がしました......そこでは紙片の上に、最後の星辰の不思議な燦めきが、意識の隙間に限りなく清くふるえており、しかも、その同じ虚空には、一種の新しい物質のように、高くまた細長く、また系列的に配置されて言葉が共存していたのです!

 この類例のない定置法は私を茫然自失させました。全体が私を魅惑しました。......この知的創作を前にして、私は感嘆と、抵抗と、熱烈な興味と、まさに生まれようとする類推との複合体になっていました。」(ポール・ヴァレリー『骰子一擲』プレイヤード版全集第一巻――柏倉康夫『マラルメ探し』より)


《私が知っている限りでは、マラルメは人の前で自分の作品を読むということを曾てしたことがなかった。確かに彼は一八九七年に、私に彼の『骰子一擲』を読んで聞かせたが、それは二人きりの時であったし、それに、この作品の驚異的な新しさがその実際の効果を験して見ることを許しているように彼には思われたのに相違なかった。》(ヴァレリイ『ドガに就いて』吉田健一訳)








《遠い昔から信じられてきたのは、言葉のある種の細み合わせには、うわべの意味以上に強いちからを負荷することができ、それらは人間よりも事物によって、理性的な魂よりも、岩や、水や、獣や、神々や、隠された宝石や、生命の活力やその弾性力によってこそ、いっそうよく理解され、精神にとってよりももろもろの<霊>にとってこそ、いっそう明瞭なものとなるということである。律動的な呪文に対しては、ときには死さえも屈服して、墓から亡霊が解き放たれたのだった。》(ポール・ヴァレリー「ときおり私はマラルメに語った……」)


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……その作品の作者の一人でもあれば同時に被写体でもあるユイレは、さらに、その声をフィルムのすみずみまでにゆきわたらせている。パリのペール・ラシェーズ墓地の芝生の斜面に腰をおろして横坐りとなり、パリ・コミューンの犠牲者達の記念碑が位置しているはずの右手をきっと見すえながら『骰子一擲』の一部を読みあげている彼女の声……





一般に『骰子一擲』として知られているこの作品の題名を正確に再現するなら、『骰子の一擲は、決して偶然を廃棄しないだろう(Un coup de dés jamais n'abolira le hasard)』となるのだが、活字のうえではそのいずれもがローマン体の大文字で登場し、それが意味論的な文脈を超えて複数のページに振り分けられており、ここではそれが同じ人物によって読まれることになる。つまり、『すべての革命はのるかそるかである』における『骰子一擲』の朗読は、差異の体系としての言葉の意味論的な秩序とは無縁に、もっぱら印刷術上の差異にふさわしく遂行されており、単語と単語とを一見無原則に引き離しているページの余白は、ひとまず無視されることになる。

題名を読む男の声のほかに、すべてが大文字のみで書かれたり(いま見た題名の場合がこれにあたる)、大文字と小文字とで書かれたりする語のそれぞれのローマン体とイタリック体との違い、ならびにポイントの大中小の違いをきわだたせるために、さらに八つの異なる声が動員されている。合計九つの声は、国籍と性別を異にする人物によってになわれ、それぞれがペール・ラシェーズの芝生にほぼ等間隔に腰をおろしている。

とはいえ、九人の人物が同じ画面におさまっているのは、パリ・コミューンの犠牲者たちの記念碑をなめるようにフィルムにおさめる冒頭の長い移動ショットのみであり、いったん朗読が始まってしまうと、それぞれが受けもっている活字のつらなりを口にする瞬間に朗読者の姿が独立したショットで示され、その同じショットが、読まれているテクストの活字の種類が変化するまで、キャメラのアングルもそのままに持続する。したがって、『骰子一擲』の活字に律儀に依存している『すべての革命はのるかそるかである』の編集の原則は単純きわまりなく、演出もまた、ほとんど杓子定規だとさえいってよい。あるいは、読まれるべきテクストの活字の配列の視覚的な途方もなさにもかかわらず、その途方もなさの視覚化をいっさい放棄していることが、ストローブとユイレの独創性だといったらよいだろうか。







あらゆるショットは、朗読者が朗読を始める瞬間に始まり、朗読を終える瞬間に終わる。それ以外に画面転換の原理はないというこの杓子定規な演出は、ことによると、これが彼らにとって生涯で初めてのフランス映画であることからきているのかもしれない。フランス語の作品ということでなら、コルネイユの同名の戯曲にもとずく『オトン(Les Yeux ne veulent pas en tout temps se fermer, ou Peut-être qu'un jour Rome se permettra de choisir à son tour)』(1969)が存在するが、イタリア人を出演者としてローマで撮影されたこの作品はドイツ=イタリアの合作であり、まさに亡命者の作品と呼ぶにふさわしいものだ。『すべての革命はのるかそるかである』は、亡命から帰還した彼らにとって、文字通り最初のフランス映画なのであり、ここでのストローブとユイレは、ある意味で、あらゆる映画的な贅沢を自分に禁じているかに見える。それは、パリで、マラルメの『骰子一擲』を字義通りにキャメラにおさめるという途方もない贅沢が許されたからに違いない。長い亡命生活のはてに帰還した祖国の首府でフィルムを回す機会にめぐまれた彼らは、それがごく自然な選択であるというかのように、パリ・コミューンの記憶とマラルメの詩とを交錯させてみたのであり、そのこと自体が途方もない映画的な贅沢だったといえるだろう。





ローマン体で綴られる題名の文字を読む男性は、ごく少ない数の大文字のイタリック体で綴られる語を読む男性同様、ほぼ正面を向いた姿勢で画面におさまっており、フランス人ではなかろう彼ら独特の訛りが強調されている。それぞれの活字の違いにしたがって朗読する女性たちはいずれもやや斜めに左を向いた姿勢でキャメラの前に位置しており、男性はいずれもほとんど右向きの姿勢でとらえられている。その中で、冒頭の一字のみ大文字となる場合もあるが、そのほとんどが小文字で綴られたテクストの朗読にあたるダニエル・ユイレが、おそらくもっとも長く画面に映っており、見開きのページに配された語句の複雑な配置をも細心にたどり、パリ生まれのこれといった訛りの不在によって、断片化された活字の配列に音声的な持続感を導入している。「思考たるもの、ことごとく骰子の一擲を発する」という最後の一行を読んでいるのも彼女なのだから、朗読者の中で最後に目にする人物もまた彼女なのである。







ペール・ラシェーズの高みから見下ろしたパリの光景がしばらく挿入されてから、画面が変わってクレジット・タイトルが流れようとするとき、ナダールによるマラルメの肖像写真があらわれる。それをきっかけとして、一九世紀の詩人マラルメならいくらでも視覚的に再現できるのに、その声は再現しえず、それにかわって、ストローブとユイレが、一編のフィクションとして、マラルメの『骰子一擲』の活字ごとの声の違いをきわだたせつつ、映像と音響を組織してみせたのであり、そこれそ生者の声にほかならぬと言葉を結ぶつもりでいたのだが、二一世紀の映画作家ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレの身にごく最近起こった変化が、その結論を無効にしてしまう。まぎれもなく二〇世紀の作品であったはずの『すべての革命はのるかそるかである』が、ステファヌ・マラルメの『骰子一擲』と同様、歴史的な過去の作品となってしまったからだ。

人は、いま、二〇世紀の映画『すべての革命はのるかそるかである』を一九世紀の詩篇『骰子一擲』を読むように見なければならない。この苛酷な現実に、人はしばらくは馴れることができまい。馴れずにいることができない代償としてユイレの声と表情とが記録されていたことのアーカイヴ的な安堵感にひたりきることは、到底できまい。



―――蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー  思考と感性とをめぐる断片的な考察』「Ⅸ 偶然の廃棄」の章より




1997年の日本での最初のレトロスペクティヴのときにも話したのですが、僕などはストローブ=ユイレのフィルムをどうしてもジャン=リュック・ゴダールのそれと対比してしまうんですね。ゴダールの有名な言葉に、「正しいイメージ(une image juste)なんてものはない、単にイメージが(juste une image)あるだけだ」というのがあります。あらかじめ現実があって、それを正確あるいは不正確にイメージに写し取る、そういう構えは捨てよう、と。単にイメージがあり、イメージのイメージがあり、イメージのイメージのイメージがある、そういうイメージの乱反射のなかで、メディアによるメディアの批判、たとえば、ヴィデオによる映画の批判を通じてのヴィデオによる映画の再構築といった作業をずっとやっていくのが、ゴダールの軌跡だったんですね。シチュアシオニストの言葉で言うと、「スペクタクルの社会」を「スペクタルの社会」の内部からそのメカニズムを通じて批判するということにもなっていく(その点でシチュアシオニストから見るとゴダールは「スペクタクルの社会」に取り込まれているということにもなるわけですが)。1970年代半ばからものを考えはじめた僕たちの世代にとって、このゴダールの戦略は当たり前というか非常に理解しやすいものでした。裸の現実があるとか、それを正確なイメージとして写し取るとか、そういう構えは古臭い社会主義リアリズムなどに通じる「素朴唯物論」として馬鹿にされていた。メディアのなかのイメージの無限(自己)反射の次元にとどまり、それを内側からずらしていくゴダール的な戦略のほうが、新しく、しかも現実的に見えたんですね。それに対してストローブ=ユイレは、いや「juste une image」 とだけは言えない、「une image juste」がある、と頑固に信じていた人たちだと言えるのではないか。むろん、彼らは、自然らしい演技を自然らしく撮影すればいいと考えるナチュラリスト(自然主義者)ではない。にもかかわらず、やはり現実というものに正しい角度から正しくキャメラを向けて正しいイマージュとして写し取ることが絶対に必要だと信じているリアリスト、ある意味で旧左翼的な「素朴唯物論」に戻りかねないようにさえ見えるリアリズムを断固として守り抜くリアリストだと思うんです。(ただ、付言すれば、本当は事態はもっと込み入っている。1997年の講演のときから僕がこの文脈で考えていたのは、ルイ・アルチュセールの『哲学と学者の自然発生的哲学』という、ある意味でドグマティックとも言える特異なテクストであり、そこにおける「真理(vérité)」と「正しさ(justesse)」の区別です。アルチュセールによれば、科学的命題の「真理(vérité)」が現実のデータによる実証・反証で確定されるとしても、哲学的テーゼの「正しさ(justesse)」の場合はそうはいかない。哲学は科学的なものとイデオロギー的なものの間に介入して境界線を引く実践であり、理論における階級闘争なのであって、その「正しさ(justesse)」は階級闘争のなかにおける立場によってはじめて決定される、ということになる⦅とすると、科学的命題の「真理(vérité)」もそう簡単には決定できなくなる⦆。旧ソ連のルイセンコ事件などを想起すれば、これは科学の政治的歪曲につながりかねない危険な定式化であるとも言えるでしょう。そういうアルチュセール的な意味での「正しさ(justesse)」――たんに現実との正確な対応という意味での「真理(vérité)」ではなく――に即してストローブ=ユイレにおける「une image juste(正しいイメージ)」ということを言ってみたので、「素朴唯物論」に近く見えもするかれらの立場は実はつねに高度に政治的である、あるいはかれらは「素朴唯物論」を政治的に選択している、と言うべきでしょう。それに関連して、ストローブ=ユイレが同じ映画でもさまざまなヴァージョンをつくってしまうということがある。これは一見すると「正しいイメージ」はない、という態度の表れのようにも見えます。「真のイメージ(une image vraie)」はない、という意味なら、その通りでしょう。いかし、「正しいイメージ(une image juste)」は必ずあると考えるからこそ、彼らはいっそう「正しいイメージ」を求めて妥協を知らず複数のヴァージョンまでつくってしまうのであって、そんなことは考えずに済むのなら最初のヴァージョンで十分ということになるでしょう)。

 ともあれ、一方で、僕は、メディアによるメディアの批判と再構築をずっとやってきたゴダールの仕事がまさに巨大な万華鏡のような『映画史』に集大成され、そこからまた別の形で新しい映画が生まれてくる、その過程を強い関心をもって見てきたわけですが、他方で、それに対するもうひとつの極として、正しい現実に正しい角度から正しくキャメラを向けて正しく捉えることにとことんこだわり抜いたストローブ=ユイレに、ある重しのような役割を期待し続けてきた。ゴダールがイメージの乱反射のなかでいわば上へ上へと浮遊していくとき、ストローブ=ユイレが現実に根ざした正しいイメージにこだわって大地を歩み続ける、それがいわば映画空間の両極を張っているというのが、ぼくの大雑把な構図でした。




……ストローブ=ユイレがやってきたことは、ある意味で、67年の『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』でレオンハルトやアルノンクールたちと協働したときから本質的に変わっていないとも言える。むしろ不思議なのは、レオンハルトやアルノンクールらの仕事が音楽の領域ではわりに当たり前のこととして受け入れられるようになったのに対し、ストローブ=ユイレの仕事が映画の領域ではますます孤絶していくように見えることの方だという気さえします。(講演「ダニエル・ユイレ追悼――ストローブ=ユイレの軌跡 1962-2006」2006年12月9日 浅田彰