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2013年7月29日月曜日

猟場の閉鎖

建築成った伽藍内の堂守や貸椅子係の職に就こうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱いている者は、すでに勝利者なのである。勝利は愛情の結実だ。……知能は愛情に奉仕する場合にだけ役立つのである。(サン=テグジュペリ『戦う操縦士』堀口大学訳

須賀敦子さんはこの文を引用して、次のように書いている、《自分が、いまも大聖堂を建てつづけているか、それとも中にちゃっかり坐りこんでいるか、いや、もっとひどいかも知れない。座ることに気をとられるあまり、席が空かないかきょろきょろしているのではないか。》と。(『遠い朝の本たち』)

おそらく多くの人はこのようなのだろうし、それは生活していく上では(食べていく上では)ある程度は止む得ないともいえる。

かつて仏国では、法科と医科の学生は、ここでいう「敗北者」たちであったと読める文をレヴィ=ストロースは書いているが、現在の日本ではどうだろう(もっとも晩年のレヴィ=ストロースが、体制のなかにちゃっかり座りこんでいなかったか、といえばそれも疑わしいーー参照「共感の共同体」)。

文科と自然科学の学生? 教員たち? 子供っぽい世界に留まりたいと願う連中、とレヴィ=ストロースは書いているが、これも現在どんな具合なのか知るところではない。彼らのなかに有能な専門家もいるには違いない。そして、《プロフェッショナルは絶対に必要だし、誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)であるだろう。

しかしながら、彼らのすべてが共同体の「体制主義者」であったり、隠れ体制派ばかりでもあるまい。
大学が近代において身分社会を補完し解毒する役割を果たしてきたことは事実である。しかし、学歴社会と大学の存在価値とは本来は別個である。大学とは変人、奇人をも含めて知識人を保護し、時にそこから人類更新の契機を生み出させる点で欠かせない場ではなかろうか。学歴社会が必ずしも大学を必要としないのは前近代中国を見ればよい。そして、まさかと思いたいのだが、学歴社会は生き残って、「知識人」は消滅に近づいたのではなかろうか。知識人のほうが弱い生き物で再生しにくいからである。(中井久夫「学園紛争とは何であったのか」『家族の深淵』1995所収)

…………
一九二八年頃には、様々な学科の一年目の学生は、二つの種類というより、ほとんど別個の二つの人種と言ってよいようなものに分けられた。一つは法科と医科の学生で、もう一つは文学と自然科学の学生である。

外向的と内向的という言葉は、およそ陳腐ではあるが、恐らく、この対照を表現するには最も適当であろう。一方には、「若者」(民俗学が伝統的に、この言葉を年齢階級の一つを指すのに用いているような意味での)、騒々しく無遠慮で、およそ最低と思われる俗悪さと手を握ってでも世の中を安全に渡ろうと心を砕き、政治的には極右(その時代の)を指向している「若者」。そしてもう一方には、今からもう老け込んでしまった青年たち、慎重で、引っ込み思案で、一般に「左傾」しており、彼らが成ろうと努めているあの大人たちの仲間に今から数えられるべく、苦行している青年たちがあった。

この差異を説明するのは、それほどむずかしいことではない。第一の、一定の職務を遂行する準備をしている青年たちは、学校というものもこれで終りであり、すでに社会の機能の体系の中で占めるべき地位を確保されていることに、彼らの言動によって凱歌をあげているのである。リセの生徒という未分化の状態と、彼らがそれに就くことを予定されている専門化した活動との中間の状況に置かれて、彼らは自分たちを欄外余白のようなものとして感じており、一方の条件にも他方の条件にも適合する、矛盾した特権を要求するのである。

文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業などは、また別の性質のものである。これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。(……)彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。(……)彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』Ⅰ 川田順造訳 p77-79)


この二つのカテゴリーのひとたちが、たとえば「危機」の際、役立たずであったにしても、在野の「知識人」やら「芸術家」がいるではないか。

あたかもそれが内的な感受性の繊細さを証拠だてるものであるかのように、彼は外的な葛藤を内的な不幸としてしか体験していない。(……)芸術家を自称するもののほとんどは、痛みを内面化することこそが自分の役割だと思い込んでいる。その思い込みは、当然のことながら表層的な鈍感さで芸術家を保護することにもなるだろう。だから、芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
顔をしかめて距離をとろうとする一群の人びとを排除するのではなく、彼らの否定的な反応をいわば必須の条件として成立する秩序(……)。知識人や芸術家たちの反応は決して思いもかけぬものではなく、そのとき口にされる言葉のおさまる文脈そのものが、きまって予測可能なものだからである。そして、その文脈の予測さるべき一貫性が、いわゆる大衆化現象と呼ぶべきものなのだ。

……それにきまって顔をしかめてみせる一部の知的=感性的な特権者たちの拒絶反応とによって支えられた政治的な秩序(……)。距離をとろうとする意識が口にさせる「紋切型」に無自覚な者たちをこれまで凡庸の一語で呼んできたが、○○は、まさしくそうした凡庸さをきわだたせる現象にほかならない。いささかの軽蔑をこめて顔をそむける知識人や芸術家の居心地の悪そうな表情そのものが、○○にはなくてはならぬ情景ですらあるわけだ。それが、あたりを埋めてくれる無表情な群衆とともに、この国家的な行事を活気づけてさえいるのである。(同上)


《……職業として芸術家になって行って、芸術家にも職人にもなるのでなくて芸能人になる。部分的にか全面的にか、とにかく人間にたいして人間的に責任を取るものとしてのコースを進んで、しかし部分的にも全面的にも責任をおわぬものとなって行く。ここの、今の、芸術家に取っても職人にとっても共通の、しかし芸術家に取って特に大きい共通の危険がある、この危険ななかで、芸術家が職人とともに彼自身を見失う。》(中野重治「芸術家の立場」)

ーーこう引用して、柄谷行人は次のようにかつて書いた。

こうした「芸能人」のなかに、中野はむろん学者や知識人をいれている。中野がこの「芸能人」という言葉が「何かの程度で何かをいいあてている」と書いたとき、彼はたしかに何かをいいあてていたといってよい。というのは、まさにこの時期「大衆社会」という言葉があらわれ、且つその言葉が「いいあてている」ような現象が出現していたからだ。

中野がこれを書いた1960年以降、芸術家あるいは知識人は失墜した。かといって、職人あるいは大衆が自立したわけではない。そのかわり知識人でも大衆でもないような大衆があらわれた。それは中野がいう「芸能人」に対応しているといってよい。べつの言葉でいえば、ハイ・カルチャアでもなくロー・カルチャアでもない、サブ・カルチュアが中心になって行った。むろん、それがもっと顕著になるのは八〇年代である。この時期、中野のいう「芸能人」にあたるものは、ニューアカデミズムと呼ばれている。学者であり且つタレントである、というより、正確にいえば、学者でもタレントでもない「きわめて厄介な」ヌエのような存在。しかし、これまでの「知」あるいは「知識人」の形態を打ち破るものであるかに見える、このニュー・アカデミズムはべつに「あたらしい」ものではない。それは近代の知を越える「暗黙知」や「身体技法」や「共通感覚」や「ニュー・サイエンス」を唱えるが、これらは旧来の反知性主義に新たな知的彩りを与えたものにすぎない。そして、彼らは新哲学者と同様に、典型的な知識人なのである。(……)

しかし、中野のいう「芸能人」は、べつに1950年代後半以降の新しい現象ではない。むしろ、芸術家や知識人は、それがあらわれたときすでに中野のいう「芸能人」のような存在だったというべきなのである。べつに芸術を実現しているわけでもないのに、「芸術家」と名乗る人たち。「知識」を追求しているわけでもなく、そのことを指摘されれば、実践が大切であり大衆に向わねばならないという人たち。そして、大衆から孤立しているが、その理由が大衆の支持を最も必要とするからにすぎないような人たち。こういう種族がもともと知識人や芸術家なのである。(柄谷行人「死語をめぐって」)

もちろん、そんな連中ばかりではない、という錯覚にわれわれは閉じこもる必要がある。それでなければ、危機の際、下り坂を転げ落ちるしかない。

現代には、ある種の諸力がみなぎっていることは確かである。それも莫大な量の力であるが、しかしそうした諸力は、野放しの衝動的な力であり、まったく荒々しい直情径行的な力なのである。人々は、まるで地獄の厨の釜をのぞき込むときのような怯えた目つきで、不安そうにそれらの力の動静をうかがっている。いつなんどき沸騰して、爆発し、恐るべき災厄を予告するかわからないからである。(……)

諸個人は、あたかも自分がそんな不安や懸念などまったく知らぬかのようにふるまっているけれども、そういう事実のせいでわれわれの眼がくらませられることはありえない。彼らの不安そうな落ち着きのなさを見ると、どれほど彼らもそのような懸念に影響されているかがよくわかる。彼らはこれまでいかなる時代にも見られなかったほどの性急さと、一種の排他主義で、私利私欲のことばかり気にしており、たとえば建築したり、作づけしたりする場合でも、それはもっぱら自分のためであって、また将来のことを念頭においてはおらず、目先のためでしかないのである。幸福という獲物を求める狩は、その獲物を今日か明日のうちに捕らえねばならぬとしたら、そういう場合ほど性急でせわしない狩となることはないだろう。というのも明後日に、猟場が閉鎖されてしまうと予告されているのだから。われわれが生きているのは原子の時代、原子のひしめく混沌の時代なのである。(『反時代的考察』――ドゥルーズ『ニーチェ』より 湯浅博雄訳)

ーーさて、いささか「偽善的」な引用から、以下は、「偽悪的」な語りに移調することにする。



あれら巷間に渦巻く「芸能人」的お喋りは、明日の猟場の閉鎖を観念しているせいじゃあるまいな?

「芸能人」とは、徹底した観客重視の態度を恥じない人物たちのことだぜ

受けねらいも生活するには大事だろうよ、人文学の危機の時代らしいからな

それとも単なる自己顕示欲の変形であり、虚しい社交的慰戯の一様態かい?


日本の情報ってのは、最近はツイッターぐらいでしか見ないのだけれど、人間観察にはいいねえ

新種の「人間園」って感じだな

一九世紀の動物園設立に先立って精神病院の見物が一八世紀都市住民の日曜日の楽しみであった(“人間園”)としても、これにも一つだけよい点、すなわち精神医療を公衆の目にさらすところがあり、精神病院をめぐる忌まわしい事件、とくに遺産横領のために相続人を病院に入れる事件は、むしろ一九世紀の特徴である。(中井久夫『分裂病と人類』)

最近の若い研究者が、いまだ大好きらしい、ドゥルーズやらデリダ、最近ではポール・ド・マンも復活らしいが、残念だな、同時代的な思想家がいなくて。


かつて三十代の浅田彰が同時代の思想家たちと軒並対談したわけだがーージジェク、サイード、ボードリヤール、バラード、ヴィリリオ、リオタール、フクヤマなど(対談集「歴史の終わり」と世紀末の世界』)、そんな試みは今はないのかね。相手がいないってわけかい? それとも目立たないだけで、だれかがどっかでやってるのかね

もっともこの対談は、「冷戦終結」という議題があった時期で、出版社による企画だったのかもしれないけれど。いまでも、議題がないわけでもないだろう、たとえばジジェクは四つ挙げている。

歴史的現実のなかに、この[コミュニズムの大文字の]〈概念〉を実践に写すよう強く働きかける敵対性の存在を位置づけなければならない。……

そのような敵性は四つある。①迫りくる環境破壊の狂気。②いわゆる「知的所有権」に関連した知的財産についての不適切な考え。③とりわけ遺伝子工学などの 新しい科学テクノロジーの発展にまつわる社会・倫理的な意味。……④新しい形態のアパルトヘイト=新しい〈壁〉とスラム。

最 後の特徴――〈包摂される者〉から〈排除される者〉を分けているギャップ――は、前の三つと質的に異なる。前の三つはハートとネグリが「コモンズ」と呼ぶ もの、社会的存在であるわれわれが共有すべき実体の別の側面を表したものだ。これを私有化することは暴力行為に等しく、いざとなればやはり暴力をもってし てでも抵抗しなければならない。(スラヴォイ・ジジェク 『ポストモダンの共産主義』

このなかでの、とくに「新しい形態のアパルトヘイト=新しい〈壁〉とスラム」ってのは、いやでも目に付くわけでね。


ーー浅田彰はそれぞれの専門分野の人たちから微細な批判はあるにしろ、やっぱり特別な才能だった(過去形でいうのはマズイのかもね)ということで諦めているわけでもあるまい?

対談でも言ったことだが、わたしの眼に浅田 彰氏は、「知のフットボール」の世界選手権に参加して戦う日本チームの布陣において、さしずめ攻撃的ミッドフィールダーすなわち司令塔と映っている。相手方のパスを遮断して自分のものにしたボールを、すばやくジグザグにドリブルし、一人、二人、三人と抜き去って、いきなり鋭く長いパスを出す。このパスがなかなか一筋縄で行くような代物ではない。俊足をもって鳴るフォワードの面々も、まずたいていのところは追いつけず、シュートの機会を空しく逃してしまう。浅田氏は無表情のまままた新たにボールを追いはじめるが、なぜあれに追いつけないのか、あれに追いつけないかぎりシュートの機会など永遠にめぐってくるまいと、内心ではチッと舌打ちしているに違いない。一方、フォワードはフォワードで、いきなりあんなところに蹴り出されても困る、そもそも俺たちを非難する前に、やれるものなら自分でシュートを決めてみたらどうなんだという憤懣を抱く者もいないではない。

ここ二十年来の日本の知的空間には、自分ならばもっと巧くゲームを組み立てられると慢心した小ミッドフィールダーたちが数多く輩出したが、刻々移り変わる知の現況を浅田氏ほど的確に把握し、ボールと複数の身体の絡み合いを彼ほど華麗に演出しうる者は結局出ていないように思う。もしシュートが決まるとすればそれはこのパスを誰かが拾ってくれることによって以外にないといった、ぎりぎりの地点にボールを出しつづける彼のわざを継承する人材はわれらのチームに育っていないのだ。それにしても浅田氏も五十歳に近づいていることを考えれば、これは由々しい問題ではないか。練習の積み重ねでシュートの精度は高まるだろうし、ドリブルの小技も上達するだろう。だが、絶えず動きつづけるゲームの全体を把握する動体視力だの、ここぞという一瞬を狙い澄まして賭けに出る大胆さだのは、糞真面目に自己鍛錬してどうにかなるようなものではない。

四方田犬彦や伊藤俊治と雑誌『GS』を始めたとき、浅田氏はまだ二十七歳くらいだったはずである。「ニューアカ」などと蔑称される二十年前の知的風土は、なるほど軽薄と言えば軽薄、卑俗と言えば卑俗であったが、しかしそこには少なくとも、大学をもジャーナリズムをも巻き込んで制度に幾つもの風穴を開け、そこから新鮮な風を呼び入れようという勢いだけはあった。手堅い研究発表で業績を稼ぎいい子、いい子と褒められたいなどとは彼らの誰も思っておらず、ただ華麗なゲームを組み立てて満場の観客を唸らせたいという野心にのみ突き動かされ、ときにいかがわしい香具師や曲芸師を演じることも恐れずに、とにかくフィールドの端から端まで度胸よく、全力疾走しつづけていたのである。

浅田 彰の衣鉢を継ぐ攻撃的ミッドフィールダーが若い世代から出てくるべきだと思う。むろん、往時と今では様々な条件が異なっていることはわかっている。これまでにないような陰鬱な閉塞状況があたりを覆い尽くしているのに、それを閉塞とも逼塞とも感じさせない巧緻な力学が働いて、若い世代を萎縮させている。社会は大学に目先の有用性のみ求め、人文科学は徹底的に馬鹿にされている。浅田氏自身誰も拾ってくれないパスを出しつづけることにいささか倦んで、後退戦に入りかけているようにも見える。だが、だからこそ、である。こんな時代だからこそ、的確な状況認識と気宇壮大なヴィジョンを併せ持った知的リーダーが二十代、三十代の若い知識人の間から出現しなければならない。

対談で浅田氏は、翌日に予定された研究発表パネルの要旨を見るかぎり、既成のパラダイムの中で動いているにすぎないという印象を否めない、という趣旨の発言をされたが、これもまた彼の出した攻撃的なパスの一つなのではあろう(「攻撃的」というのは敵に対してのみならず、味方に対してもということだ)。ただ、このボールを受けてくれる味方のプレーヤーは誰もいまい、いるはずがあるまいという諦念とともに蹴り出された、やや自棄的なパスのようにわたしには感じられた。

現在の若手研究者の思考を拘束するほどの強力なパラダイムが、今日あるのかどうかは甚だ疑問である。かつては駒場の「映画論」の授業でレポートを書かせると、蓮實重彦氏の文章の拙劣な模倣が続出して辟易したものだが、今では「映画の表層と戯れる」といった類の論文はすっかり払底してしまい、それが良いことか悪いことかは軽々には断定できない。わたしに迫ってくる印象はむしろ、もはやパラダイムは崩壊したというものだ。かつてのパラダイムが機能不全に陥る一方、新たなパラダイムは誰も提起できずにおり、その結果、とりあえず「良心的」アカデミズムの中で当たり障りなく事態を収拾しようとする微温的な空気が支配的になっているようにも感じられる。それは日本のみならず世界的な現象でもある。この停滞状況にいささかの活力を吹き込むために、「表象文化論学会」にいったい何ができるだろうか。(対談:浅田 彰(京都大学) + 松浦寿輝(東京大学)「人文知の現在」

ーーということで、「何ができるだろうか」と言いっ放しで、諦めたせいでもあるまいが、松浦寿輝は東大早期退職しちゃったけど

ジジェクやバティウは古すぎるのか過激すぎるのか、ひょっとして訓詁学に専念していて同時代的すぎるのか、あるいはコミュニズムを敬遠しているのかはしらないが、ナンシーやらアガンベン、ダマシオ、デュピュイやら(古い名前しかあがってこない「知識」しか持ち合わせていないが)、あるいはメイヤスーやマラブーが何を言っているのか知らないけれど、この比較的新しい名の人物だっていい、彼らと対談してみようとする日本の「優秀な」研究者ってのはいないのかね。

メイヤスーは確かに興味深い哲学者だが、彼自身がまだ1冊しか本を出していない段階で英語のメイヤスー論の単著(Graham Harman,”Quentin Meillassoux: Philosophy in the Making”)まで出るという状況は異常だろう。フーコーやデリダの時代に英米の大学で「フレンチ・セオリー」が流行した、ところが巨匠たちがどんどん去っていくなか、残ったバディウが異常に有名になり(他方、フランスでも遅まきながらスラヴォイ・ジジェクの影響が強まって、その線でバディウが浮上しもした)、その弟子も英米の学者たちが先物買いでもてはやしてるという感じではないか。(浅田彰「メイヤスーによるマラルメ」

訓詁学も専門家のみなさんには必要なのだろう、それに、《彼奴高慢な顔をして、出来も仕無い癖にエラがって居る、一つ苦しめて遣れ》って振舞いは最近は得意らしき研究者もいるし、尊重しなければならないがね

或る一人が他の一人を窘めようと思って、非常に字引を調べて――勿論平常から字引をよく調べる男でしたが、文字の成立まで調べて置いて、そして敵が講じ了るのを待ち兼ねて、難問の箭を放ちました。何様も十分調べて置いてシツッコク文字論をするので講者は大に窘められたのでしたが、余り窘められたのでやがて昂然として難者に対って、「僕は読書ただ其の大略を領すれば足りるので、句読訓詁の事などはどうでもよいと思って居る」など互に鎬を削ったものである。(幸田露伴「学生時代」



ところで、きみたちの「大好きな」ドゥルーズは「議論」と聞けば、逃げ出したらしいぜ

It took me some time to learn this, but I think that I truly became a philosopher when I understood that there is no dialogue in philosophy. Platos dialogues, for example, are clearly fake dialogues in which one guy is talking most of the time and the other guy is mostly saying ‘yes, I see, yes my God it is like you said — Socrates, my God that’s how it is’. I fully sympathise with Deleuze who said somewhere that the moment a true philosopher hears a phrase like ‘let’s discuss this point’, his response is ‘let’s leave as soon as possible; let’s run away!’ Show me one dialogue which really worked. There are none!”
―――Slavoj Žižek in Conversations with Žižek

まあ、なんでもいいが、きみたちの好きな思想家なり文学者なりが、SNSなどで、すこし調べたら済むような紹介やら、内輪で論文の褒め合いやら、夜郎自大の承認欲求の劇を演じるものかどうか、たまには振り返ってみたらどうだい? きみたちの振舞いが彼らにどう映るのか、と。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

そうだな、紹介しあうのも、新蛸壺社会が進化しているのだったら、あながち無駄とはいわないけれどね、--《「紹介書評」は初歩的書評のようであるが、人々が日々関心を持つ世界が狭くなり、「新タテ社会」といおうか、多数の書が出版されつづける現在では非常に有用である。》(中井久夫ーー「ただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退く」より)

…………

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。現実界的(リアル)なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』


これを似非能動性とジジェクは呼んでいるのだが、どうせ能動的になるなら、次の「能動性」にしろよな。

能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳)
知識人の仕事は、ある意味でまさに、現在を、ないこともありえたものとして、あるいは、現にあるとおりではないこともありえたものとして立ち現れさせながら語ることです。それゆえにこそ、現実的なもののこうした指示や記述は、「これがあるのだから、それはあるだろう」という形の教示の価値をけっして持たないのです。また、やはりそれゆえにこそ、歴史への依拠――少なくともここ二十年ほどの間のフランスにおける哲学的思考の重大な事実の一つ――が意味を持つのは、今日そのようにあることがいつもそうだったわけではないことを示すことを歴史が役割としてもつかぎりにおいて、つまり、諸事物が私たちにそれらがもっとも明白なのだという印象を与えるのは、つねに、出会いと偶然との合流点において、脆く不安定な歴史の流れに沿ってなのだということを示すことを歴史が役割として持つ限りにおいてなのです。(「構造主義とポスト構造主義」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ 1982-83 自己/統治性/快楽』黒田昭信訳)


強迫神経症者なんて、いまはめったにいないのかね

ラカン派によれば、二十世紀の「神経症」の時代から、二一世紀の「ふつうの精神病」やら「ふうつの倒錯」の時代らしいからな

ひょっとして、きみたちは新種のパラノイアじゃないかい? 

あるいは旧式の執着気質者として復活したのかね、小破局の再建者として。


かりに執着性格者のみからなる社会を想定してみるがよい。その社会が息づまるものであるか否かは受け取る個人次第で差があるだろうが、彼らの大問題の不認識、とくに木村のpost festum(事後=あとの祭)的な構えのゆえに、思わぬ破局に足を踏み入れてなお気づかず、彼らには得意の小破局の再建を「七転び八起き」と反復することはできるとしても、「大破局は目に見えない」という奇妙な盲点を彼らが持ちつづけることに変わりはない。そこで積極的な者ほど、盲目的な勤勉努力の果てに「レミング的悲劇」を起すおそれがあるーーこの小動物は時に、先の者の尾に盲目的に従って大群となって前進し、海に溺れてなお気づかぬという。(中井久夫『分裂病と人類』)

どこの海に溺れたいのかい?

戦争の海だけはやめとけよな

それとも隠れ戦争主義者ってわけかい?

こうやってウェブにお世話になってるわけだからな、きみたちもこのオレも

つまりアメリカの国防総省のエリートたちが軍事費で作り出したインターネットのおかげで

自在な夜郎自大を誇ることができるってわけさ


※追記:中井久夫は「執筆過程の生理学」という小論(『家族の深淵』所収)にて、下記のように書いている。編集者の役割、あるいは能力の衰退がいわれる中で、書き手たちのSNS上でのやり取りが、このような呟き合いであるならば、あながちつねに非難されるものでもないとしておこう(この論で、中井久夫が「自由連想」、「抵抗」あるいは「徹底操作」という語彙を使用しているのは、もちろんフロイトの『想起、反復、徹底操作』からのものである)。

ある程度本格的な企画の場合に、初期高揚だけで完成することは決してと言ってよいほどない。しかし、この時期に「パレット」をできるだけ充実させておくことがずっと後で生きてくる。「パレット」の充実には、聞き手がいるとずっと楽である。独りでは限界がある。ここにも一つ、編集者の「治療」の有用性がある。

これは、「自由連想」をさせて、「抵抗」を破って、「徹底操作」をして「洞察」に到達せしめる精神分析治療に似た過程であると私は思う。「自由連想」とは編集者との駄べりである。

「自由連想」は、主題やキーワードの持つ意外な側面を明らかにし、新しい可能性を開く。著作というものは、発端に立った時に終点まで見通せる直線道路のようなものではない。そういうものであれば、おおよそ詰まらないものだろう、予期外の転回に引かれて読者は読み進むものである。「自由連想」によってこれから書く領域の思わぬ複雑なひだひだが見えてくれば成功である。

「抵抗」にはいろいろある。怖い批評家の言葉の先取りもある。従来の自説が足を引っ張ることもある。ある箇所がとうてい越せない難所に見えることもある。ある部分についての知識が絶望的に欠如していると思うこともある。これらは、みな「抵抗」である。しかし、対話のうちに、難所もさしたるものでないようにみえてくる。ある部分は回避してもよいことがわかる。あるいは違った接近法がよいと知れる。このように「抵抗」を言語化し吟味することが「徹底操作」である。そうすると、この課題でこのようなものなら著者にもできるという、「現実原則」に則った「洞察」が生まれる。この手続きなしで、編集者が「ま、よろしくお願いします」で引き下るとロクなものができない。

編集者は地方にはいないが、その代わり、さいわい、私は大学教師で、周囲に若い人がいる立場にあるので彼らを大いに利用させてもらっている。私のほうが聞き役になることもむろんある。