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2014年4月9日水曜日

しいんと切ない心地

以下は、古井由吉の『東京物語考』からの抜粋が主であり、もともとは《昭和五十七(一九八二)年七月から翌年八月にかけて十四回にわたり、岩波書店の小冊子「図書」に連載された随筆》とある。十回目までは、德田秋聲、正宗白鳥、葛西善藏、宇野浩二、嘉村礒多の作品をめぐって書かれ、十一回目に古井由吉自らの東京住いの略歴ーーここには近作『蜩の声』や初期長篇『女たちの家』と重なる叙述がふんだんにあるーー、そして最後の三つの章が荷風と谷崎をめぐる。「あとがき」には、《どうやらこの仕事のスタートの時から、私はこの両大家をアンカーとして頼みにしていたようだった。戦災中および戦後を映す鏡として、荷風の「罹災日録」と谷崎の「瘋癲老人日記」と、そしてまた荷風の短篇小説「買出し」が、早くから私の念頭にあった》、と。

おそらく、老婆の遺体を後に捨てて、死物狂いに松林の丘陵を越えた、境を越して気分の一変した買出しの女の姿が、私の随筆を発端から引っ張っていたと思われる。今の世にある者にとって、こちらへ向かって来る姿であるはずなのに、なぜか後姿ばかりが目に染みてならない。(『東京物語考』岩波同時代ライブラリー「あとかぎ」) 
彼処まで行つてしまひさへすれば、松林一ツ越してさへしまへば、何の訳もなく境がちがつて、死人の物を横取りして来た場所からは関係なく遠ざかつたやうな気がするだらうと思つたのだ。行き合ふ人や後から来る人に顔を見られても、彼処まで行つてしまへば何処から来たのだか分るまいと云ふやうな気がするのである。(永井荷風『買出し』

死者の物を掠めて五貫目半(二十一キロ)の荷の重みを背負って岡ひとつ越える。そしてその境の向こうで換金して身軽になって去る。おそらく、荷風によるこの買出しの女の闇雲な逞しさの叙述が、むしろ共感をもって、『東京物語考』という随筆の通奏低音となっているということなのだろう。たとえば三十七歳で往った嘉村礒多の章「幼少の砌の」の最後には《死期を知るがごとくに、寿命をくっきりと生きる、奔放に見える自己表白が結局は予言に近いものとなって成就する、これが昔の人間の、われわれには敵わぬところだ。くらべれば現代の人間は総じて、涯のよほどぼけた人生を送っている、つまり、その点ではるかに幼いということだ》とあり、古井由吉はこれが書かれた80年代の初頭、すなわち「軽さ」の時代風潮のなかで書かれた随筆で、ひとの、あるいはとくに時代変遷のなかでの「日本人」のあり様を問い直していると言ってよい。さらにはまた、同じ「幼少の砌の」にはこうもある、《現代の都市生活者はやはり芯がいつまでも幼い。それは人の、葬式などの機会にしばしば露呈する。傷つきやすい、傷ついたらそれきりになりやすい。世馴れているようでも、難事に対処する能力はよほど衰弱した。親となっても小児に留まり、保護者責任者の立場に置かれても、一身の苦にかまけ、振りまわされる。人を殺してもまず自身のことを訴える》、と。

もっともそれはこの随筆だけでなく、氏の小説作品において常に問われているのだろうし、たとえば最近のインタビューでも《行き詰まりが前方にみえれば、ただ生きて暮らすことに緊張がよみがえり、かえって衰弱から守られ活力がでると思う。腹を据えて生きるということでしょうか》と。あるいは別のインタビューでは、


「安泰が続くとみんなが同じ現実を共有していると思い込んで意思疎通も短い言葉ですませてしまう。自然、言葉は切れ切れになっていく。これでは危機が迫ったときに言葉が追いつかない」。一方で「震災で味わわされた言葉の無力感をじっくりかみしめ、緊張感を意識の底に持ち続ければ事態は変わる」と。

「例えば、(津波がきたとき)最後まで避難を呼びかけて命を失った人がいたが、それらはこの国の人のどんな美徳から来ているのか。失われたものを考えるだけでなく、逆に何が失われていなかったのかを考えるのも一つの方法でしょう」

わたくしはこの言葉に触れてかどうかはさだかではないが、震災後、ツイッターに書き込むのをやめたり、アカンウントを削除したりした。だがやはり唯一と言っていい日本に住む方々の生の発話への名残り惜しさに思い余って再開しはしたが、それ以降はいわゆるメンションという形式で《同じ現実を共有していると思い込んでいる》他人と「仲良く」湿った瞳を交わし合い頷きあうのはやめた。それは今この古井由吉の文を読み返せば、《言葉の無力感をじっくりかみしめ、緊張感を意識の底に持ち続け》ることの反映であると、いささか気取ってみてもよいのかもしれない。

いずれにせよ、いわゆる「私小説」系譜の作家たちも含んで俎上に載せられるこの随筆は、その通念としての「女々しい」私小説作家のイメージとは異なり、《それにしてもこれらの小説は、あらためて読めば、じつに強い文章の骨格を供えている》のがよく知れる。《その骨格に拠り、心身を賭けて、豪気なように苦悩している。これもまた古い精神のなごりなのかもしれない》。

『買出し』とほぼ同じ頃書かれたと思われる荷風の日記には、《今の世に生きんとするには寒気をおそれず重き物を背負ふ体力あらば足るなり。つくづく学問道徳の無用なるを知る》(『断腸亭日乗』 昭和二十二年一月廿二日)とある。


さて古井由吉の『東京物語考』本文から、荷風をめぐる箇所をいくらか抜き出すが、最後の三章が、「命なりけり」、「肉体の専制」、「境を越えて」という章題をもっており、それぞれ荷風、谷崎、荷風をめぐって書かれている。しかしながら、谷崎の章「肉体の専制」も、冒頭は次の荷風をめぐる叙述で始まっている。

昭和四十年頃に私は或る同人誌に加わっていたが、その同人の一人で戦中にお年頃を迎えた女性がこんな話をしていた。終戦直後、その女性は千葉県のほうにいたらしいのだが、或る日総武線の電車に乗っていたら市川の駅から、荷風散人が乗りこんできた。例の風体をしていて、まず車内をじわりと物色する。それからやおらその女性の席の前に寄ってくると、吊り皮につかまって、身を乗り出すようにして、しばし脇目もふらずに顔をのぞきこむ。

色白の細面、目鼻立ちも爽やかな、往年の令嬢の美貌は拝察された。それにしても荷風さん陣こそ、いかに文豪いかに老人、いかに敗戦後の空気の中とはいえ、白昼また傍若無人な、機嫌を悪くした行きずりの客に撲られる危険はさて措くとしても、当時の日本人としては何と言っても懸け離れた振舞いである。

「昭和四十年頃、同人誌に加わっていた」とあるが、古井由吉は1964年~1969年、高橋たか子らと同人雑誌『白描』に加わっていたとはウェブ上から拾うことができる(『乱読すれど乱心せず: ヤスケンがえらぶ名作50選』安原顯)。この《色白の細面、目鼻立ちも爽やかな、往年の令嬢》は、高橋たか子かと初めは思ったが、彼女の生年を確めてみると1932年でありーーああ、わたくしの母と同年生まれなのだーー、終戦直後はまだ十代前半であり、年齢があわない。




            (ありし日の偏奇館)

さて荷風の二つの章の叙述を順不同に抜きだす。まずは最終章の「境を越えて」から。

《寧ろ一思に藏書を賣拂ひ身輕になりアパートの一室に死を待つにしかじと思ふ事もあるやうになり居たりしなり》と、これは(……)昭和二十年三月十日の麻布市兵衛町偏奇館炎上の記の内、罹災前の心境を語った言葉である。それに続いて、《昨夜火に遭ひて無一物となりては却て老後安心の基なるや亦知るべからず》とある。

さしあたっては老後の安心どころか、五月末には東中野のアパートをまた焼け出され、六月末には逃げた先の岡山で、すでに火炎の照る中を寝床から跳ね起きて振分け荷物で宿屋の梯子を駆け降り、橋を押し渡って田の間にうずくまり(なぜだが「斷腸亭日乘」のほうではこの辺の詳細が省かれ、しかも《伏して九死に一生を得た》という場所がやや違うようなのだが)、戦争の終った時には恐怖に取り残されたかたちで土地に身の置きどころもなくなりかけ、八月の末日に復員軍人と一緒に列車に押しこまれて東京にもどればここにも住処はなく、熱海の知人の別荘に身を寄せて翌二十一年六十八歳の元旦の「斷腸亭日乘」に、

……六十前後に死せざりしは此上もなき不幸なりき、老朽餓死の行末思へば身の毛もよだつばかりなり。

株の配当もなくなったので今年からは筆一本でしのがなくてはならない。それに食糧事情が逼迫して、元旦から朝飯を抜くために寝床の中で本を読んで空腹を紛らし、正午近くに起き出て葱と人参を煮て麦飯の粥を炊き、食後には炭火がないのでまた寝床に入って鉛筆で売文の草稿をつくる。

進駐軍の缶詰を開けては彼我の生活を較べて、《人間も動物なれば其高下善悪は食料によりて決せらるべし、近年余の筆にする著作の如きも恐らくは見るに足るべきものには非ざるべし》と歎く。また一方で、二十年の九月の中頃には、荷風の無事を知った知人たちから、戦争からの解放を喜ぶ手紙の来るのを、《一點眞率の氣味なし》と、国の荒廃を思い併わせて憂えている。また、文芸出版復興の兆しもすでにあり雑誌や新聞の記者たちが熱海まで荷風を訪れてくるのを、《さしたる用事でもなきに、東京より乗りがたき汽車に乗りて人を訪問する此の人達の生活も、亦奇ならずや》と訝る。(古井由吉「境を越えて」『東京物語考』)

次は、「命なりけり」からだが、ふたりの大文豪の対面場面がことさら見事に描写されており、《しいんと切ない心地に引きこまれる》永井荷風、明治十二年生の昭和三十四年没、谷崎潤一、明治十九年生の昭和四十年没。

その岡山でもわずか二週間あまりして市内壊滅の空襲に遭っている。そのあいだ荷風は人の周旋により銀行預金の一部をようやく引出して旅館に住まい、日ごとに岡山の街を散策して一種明視の感をもって市中の風景を「日錄」に綴っている。たとえば船着場の黄昏の風景を、

橋下に小舟を泛べ篝火を焚き大なる四手網をおろして魚を漁るものあり。橋をわたりて色里を歩む。娼家皆二級飲食店の木札掲ぐ。燈火ほのぐらき納簾のかげに女の仲居二三人づつ立ちて人を呼留む。されど登樓の客殆ど無きが如く街路寂然たり。店口に寫眞を掲ぐるものと然らざるものとの別あり。掲ぐるものは小店なるが如し。たまたま門口に立出る娼妓を見るに紅染の浴衣にしごきを巾びろに締め髪をちぢらしたるさま玉の井の女に異らず。青樓櫛比の間に寺また淫祠あり。……

春水の人情本の絵のごとくに眺める。ひき比べる玉の井あたりはすでに猛火に焼き払われた。命を落とした女たちもいるだろう。麻布偏奇館も焼け落ちた。東京はほぼ全滅し大阪神戸も同じ運命をたどったらしい。しかし岡山の市民はそれまでに戸障子を震わせるほどの爆音も耳にしたことがなかったという。この閑静な中で、絵のごとくに眺めるのはおそらく、終末の近さを感じる目である。一地方都市の壊滅といえども、そこからさしあたり逃れるすべのない人間には、世の終末に等しい。近々敵はかならずここをも襲う、その時にはのどかな城下町はよけいに凄惨なことになるだろう、と空襲を重ねて体験してきた者ならそう思う。思うよりも先に、不思議なような街の静けさを眺める。

六月二十八日の未明二時にこの街もまた警報なしに襲われた。焼失家屋二万五千戸、死者一六七八人という。《夢裏急雨の濺来るがと如き怪音に驚き覺むるに、中庭の明るさ既に晝の如く》荷風は洋服を着込み枕元の行李と風呂敷包みを振分けにして宿屋の梯子を駆け降り表へ飛び出す。《逃走の男女を見るに、多くは寢間着一枚にて手にする荷物もなし》とある。まず市の東を流れる旭川の橋のたもとまで走って対岸の後楽園の林の間から焔のあがるのを見たが構わず橋を押し渡って田園地帯へ逃げこむ。初体験の市民たちよりも老人ながらはるかに迅速沈着な退避だったのだろう。心得のない避難者たちはどうかして、燃える市内をただ炎に怖じてぐるぐると逃げ惑ったりするものらしい。その中をひとりまっしぐらに町の外へ落ちていく大柄の老人の姿は、人目に際立たなかっただろうか。

ところが田圃のあるあたりまで来て、前方の農家数軒がおそらく零れ弾を受けて炎上し牛馬が走り出て水に陥るのを見るや、《予は死を覺悟し路傍の樹下に蹲踞して徐に四方の火を觀望す》とある。死を云々とは偏奇館炎上の際にも、身の危険のかなり迫ったはずの東中野罹災の際にも見えない。わずかに二月二十五日の空襲の直前、取って置きのコーヒーに砂糖をたっぷり入れてパイプをふかし、この世に思い残すこと云々の言葉が見えるが、あれとこれとの隔りを思うべきだ。習うほどに剥出しになる、意気地のなくなるのが恐怖である。前方の農家はやがて焼け落ちて火は麦畑を焼きつつおのずから煙となったとある。

爆音が引いて川の堤の上にもどり対岸の市街のいまや酣の炎上を眺めた時には、空がようやく明けて、また雨が俄に降りはじめる。近くの家の軒下に罹災者と一緒にしばらく雨を避けて、火の衰えた市中にもどり、さらに知人を頼って岡山市の西端の田園地帯まで、振分けの荷を肩に雨中一、二里の道を歩む。知人の世話によって野宿を免れたことを、《其恩義終忘るべきにあらず》と書いている。終生ずいぶん身勝手な人だったとも聞いたが。

七月三日に同じ岡山の西はずれの三門町に人の邸の二階を借り、乏しい自炊暮しをして終戦まで至っている。この頃にも周辺をよく歩いたようで、裏山あたりから近辺の風光を望んで心鬱々として楽しまぬことを歎いたり、西へ田舎道を二里半も隔った人の家を訪ねたり、これはおそらく所在なさを紛らわすためであったのだろうが、どこかしらに食糧か住居か、安堵のたよりを求める心が忍んでいたかと思われる。戦後の散歩にもその習い性の、影が残ったのではないか。生きながらえるために歩いている、と言っても大袈裟ではないのかもしれない。

七月二十五日には東京から杵屋五叟(従弟:引用者)の手紙が来て、荷風の惨状を見かねてすぐに帰京するように切符も宿所も手配するとの旨に、《周章狼狽殆ど為すところを知らず。纔に亂筆數行。卽座には歸りがたき旨書き送にぬ》とある。二十六日には同じ岡山県の奥の勝山に難を避けている谷崎潤一郎から小包みが岡山駅留めで届き、《鋏、小刀、朱肉、半紙千餘枚、浴衣一枚、角帶一本、其他なり。感淚禁じがたし》とある。

八月二日には数日続いた下痢の後、暮れに井戸水で冷水摩擦をしている。感冒予防の為であるが、この際病気への恐怖が心についたのに違いない。夜にはすぐに寝つくようになった、とやや自嘲的に記されている。

八月九日に《赤軍滿州に寇すと云》と見え、翌十日には《數日前廣島市燒滅以後、岡山の人々再び戰々兢々。流言蜚語百出す》とあり、その早朝に勝山行の切符を買いに行っている。



ーーー谷崎が当時勝山の借りたと云われるもと酒楼の離れ「小野はるさん」の住居。


二日置いて十三日の未明にまた岡山駅に並び、徹夜の人に混って四時半の出札を待ち、途中諦めかけたが切符は手に入り、いったん朝食を摂りに家へ帰って十時前の汽車で発つ。伯備線で新見、姫新線に乗換えて勝山までの、隧道また隧道の深い谷を縫う旅である。車中坐り合わせた老婆からジャガイモとメリケン粉とカボチャを煮てつきまぜたようなものを貰って案外美味と思ったり、窓外の狭い渓谷を眺めて一歩一歩嚢中に追い込まれて行くが如き心地がしたりして、一時半に勝山に着く。谷崎はもと酒楼の離れの二階二間を書斎として、階下には疎開してきた親戚たちが大勢住まっている。その谷崎宅で佃煮とむすびと、風呂を貰って、谷崎に案内されて三軒ほど先の旅館に落着く。米は谷崎宅から届けられる。宿の夕飯は豆腐汁に渓流の小魚三尾に胡瓜もみで、《目下容易には口にしがたき珍味なり》。


ーーーー谷崎に案内されて荷風が宿泊した三軒ほど先の元赤岩旅館。

翌日の昼飯は谷崎宅で小豆餅米の東京風赤飯を振舞われる。その席で谷崎から勝山滞在を、断わられるかたちになる。山陽諸都市の罹災につれてこの土地も日に日に食料が逼迫して避難者たちはろくに喰えぬありさまだという。初めに手紙で誘ったのは谷崎のほうであったらしいのだが、事情すでにかくの如くなれば長く氏の厄介にもなり難し、と翌朝すぐに岡山へ帰る決心をする。駅に行って切符のことを訊くと朝五時に来なくては駄目だろうと言われて、それに備えて宿にもどって午睡にかかる。ところが暮れ方に谷崎から使いがあり、牛肉が手に入ったのですぐに来るようにと言われて駆けつけると、酒も暖められている。谷崎夫人も一緒で、上機嫌に呑んだようで、九時過ぎに宿へ帰っている。

翌八月十五日、宿の朝飯は卵に玉葱の味噌汁にハヤの付焼に茄子の糠漬、《これも今の世にては八百膳の料理を食する心地なり》とある。食後谷崎宅に寄ると、切符はすでに手に入れられてある。十一時二十分の汽車で、いくらも時間がない。前日の昼からここまでの荷風、潤一郎の心のやりとりの機微は、読者の想像にまかせるべきだろう。身の寄せどころを失いかけた荷風にはやはりこの土地への未練が最後まであったはずだ。谷崎も谷崎なりにこれが精一杯のもてなしだったのだろう。一夜二夜の客ならば肉でも馳走できようが長逗留の罹災者には団子ひとつも分けにくい。切符一枚にも誰かが早朝から駅前に立たなくてはならない。やむを得ず追い帰したり追い帰されたり、その侘びしさを体験した人なら、向かい合う両文豪の姿を浮べて、しいんと切ない心地に引きこまれることだろう。

新見での乗換えを済ましたところで夫人から贈られた弁当をひらき、《白米の握飯、昆布佃煮に牛肉を添へたり。欣喜名狀すべからず》。ほんとうに、着のみ着のままの年寄りが、端の乗客が覘いたら吃驚するような弁当だ。満腹して睡るうちに西総社倉敷も過ぎて二時に岡山到着、上伊福町というところの焼跡を通りかかり道端の水道で顔を洗って汗を拭い、休み休み三門町の寓居へ帰ったという。そちらもすでに罹災者たちが多くて居づらくなっていたらしい。

夏の焼跡の水道でよれよれの荷風散人が顔を洗っている。戦争の終ったこともまだ知らない。

谷崎潤一郎の実質的な文壇デビューは、明治四十一年、三十歳の荷風が二十四歳の谷崎を「谷崎潤一郎氏の作品」(「三田文学」11月号)で強力に推賞したことによる(「永井荷風と谷崎潤一郎の交友関係」より)。

痩躯長身に黒っぽい背広を着、長い頭髪を後ろの方へなでつけた、二十八、九の瀟洒たる紳士」が会場戸口に入ってくる。「『永井さんだ』と、誰かが私の耳の端で言った。私も一と目ですぐそう悟った。そして一瞬間、息の詰まるような気がした。(……)

最後に私は思い切って荷風先生の前へ行き、『先生! 僕は実に先生が好きなんです。僕は先生を崇拝しております! 先生のお書きになるものはみな読んでおります!』と言いながら、ピョコンと一つお辞儀をした。(谷崎潤一郎『青春物語』)

 荷風の日記から、両大文豪の「歴史的」邂逅の前と直後の二つの記述を抜きだしておこう。

大正八年八月四日。谷崎潤一郎氏来訪。其著近代情癡集の序詞を需めらる。
昭和二十一年四月初四。雨。新生社主人青山氏谷崎氏が上京を機會に、同氏と余とを招飮したき趣、昨日社員酒井氏を遣はされしかど、病後のつかれ猶痊えざれば、江戸川の堤に近き郵便局に至り電報にて辭意を報ず。

晩年の荷風をめぐっては、「春本『濡ズロ草紙』を草す(荷風『断腸亭日乗』)」などにいくらかのメモがある。






2014年2月9日日曜日

マンゴーの花

灌漑用水路のまっすぐな流れだって
水が流れていくのを眺めるのはよいものだ
「二十年ほど前は
まだコンクリートの堤防
を作らない人間がいた。
あのすさんだかたまったシャヴァンヌの風景があった。」(西脇順三郎)
息子と石切り遊びをした
用水路は向う岸の藪まで三十米はある
橋の上流もすこし下流もコンクリートの堤防
なのにこの一キロほどは今も地肌のまま
果樹園がかたまってある地域だからか




マンゴーの花が匂う
シナモンのような香

庭の十本ほどのマンゴーの樹は
すべて切り倒してしまった
のは妻がマンゴーにかぶれるからだ
樹には赤蟻が大量につき
ウルシオールに似たマンゴールを運ぶ
物干竿や紐を伝わって
日干しのシャツやジーンズにもぐりこむ
この赤蟻に噛まれるとひどく痛い
蟻を殺虫剤で処理してしまえば
果実のつきが極端に悪くなる
未受精の処女の花の使者





海辺のホテルのシナモンの香
をふくませたタオルで
顔を拭ったらみるみる赤くなった
休暇が一日台なしになった
田舎育ちにもかかわらず
妻はマンゴーシナモン中毒
樹木や花には未練はないが
花のにおいには未練がある


もっとも花時にはバイクを小径に走らせれば
家々の庭木のマンゴーの花のにおいに包まれる

「どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる」
この茨木のり子の「六月」は一連目のほうがもっといい
「どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける」

しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。(……)
私はしばらく手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。(……)
津村も私も、歯ぐきから腹の底へ沁み通る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた、私は自分の口腔に吉野の秋を一杯頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれほど美味ではなかったかも知れない(谷崎潤一郎『吉野葛』)

と美濃柿の熟柿を愛でる谷崎の文の
仏典中の菴摩羅果〔あんもらか〕とはマンゴーのことだが
季節には安価にふんだんと手に入り
マンゴーかぶれの細君もぱくぱく食べる
熟す前の青い実さえ細切りにして食べる
魚醤で煮つけた魚に付合わせる
当初は珍しかったそれも
刺身のつまの大根の千切り
と今ではあまり変わらない










2014年1月15日水曜日

エロスとゆらめく閃光

備忘:ドゥルーズとジジェクの死の欲動」から引き続く。

生の欲動(エロス)は死を目指し、死の欲動(タナトス)は生を目指す。

life drive aims towards death and the death drive towards life (Paul Verhaeghe『Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender』ーーポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe)とジジェクをめぐる備忘より)

いっけん奇妙な言い方だ。エロスとタナトスにはいろいろな見解がある。すぐれたフロイト・ラカン読みであることは明らかなベルギーの精神分析医ポール・ヴェルハーゲの見解もそのまま受け取る必要はない。


ところでエロスが死をめざす、というとき、ヴェルハーゲはなにを言おうとしているのか。

◆『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』(Paul Verhaeghe)より(私意訳)。
エロスとタナトスは切り離された欲動ではない。その二つは、生の過程を逆の方向を言い表わす。明らかにされることは、次の典型的な特徴である。二つの方向の一方がより現前化し優勢になると、他の方向がより強くなるということだ。それはエロスとタナトスの二組だけのことではない。ヨーロッパが統合すればするほど、ナショナリストへの傾き、さらには地域主義者さえへの誘因がより強くなる。

Eros and Thanatos are not separate drives: they indicate opposing directions for the course of life. This accounts for a typical characteristic—the more one of the two directions is present and predominates, the stronger the other will become as well. This does not only apply to couples. The more a united Europe is achieved, the stronger nationalist and even regionalist trends become.
女性、享楽、不安はエロスの部分である。男性、ファリックな快楽、悲哀はタナトスの部分である。この性向が意味する分岐は、快楽はあまりにも大きな喪失を生み出すということだ(Tristis post Coitum 性交後の悲しみ)。不安は自我の消滅にかかわり、それが享楽の条件である(たとえば性的融合によってエゴは消え去る刻限がある)。悲哀はファリックな快楽(たとえばオーガズム)の結果による共生の喪失にかかわる。この観点から言えば、男性と女性の対立は、まったく相対的なものであり、それは能動性と受動性の対立として捉えなおすべきだ、すなわち、どの主体も他者に相対するときに取り得る態度として。

woman, jouissance and anxiety are part of Eros; man, phallic pleasure and sadness are part of Thanatos. The affect indicates the break where pleasure results in too great a loss: anxiety relates to the disappearance of the ego that is a condition for jouissance. Sadness relates to the loss of symbiosis as a result of phallic pleasure. In this respect, the opposition between man and woman is extremely relative and should be interpreted more as an active versus a passive position, which any subject can adopt vis-a-vis the other.

どうやら、オーガズムの瞬間の「小さな死」が、エロスとタナトス概念の重要なヒントのようらしい。

生の欲動/死の欲動を峻別しているかのように読まれもするフロイトの後期欲動論のもうひとつの鍵言葉は、 drive fusion (Triebmischung)だ。すなわちエロスとタナトスの欲動の融合であり、別々に現われるのは稀である、とされている。

エロスが死をめざす、という意味は、〈母〉との融合を目指すということであり、だがそのとき個体は消滅する。不安とはその消滅の怖れの不安だ。

タナトスが生をめざす、という意味は、エクスタシーの瞬間の個体の消滅から逃れだし、しかしながらつねにエロスの欲動と合体して、ファリックな快楽(性交に代表される)の反復衝動をするということだ。灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動。

ラカンの『セミネールⅩⅩ』(『アンコール』)の、”ENCORE”は、もっと、もっと何度も、という意味だ。すなわち反復衝動。ラカンはそのセミネールで、ふたつの享楽を示す、男性的なファリックな享楽と女性的な〈他者〉の享楽。後者は「快原則の彼岸」にあるものとされる。

あるいはセミネールⅩⅠには、次のような言葉もある、
The loss of eternal life, which paradoxically enough is lost at the moment of birth, that is, birth as a sexed being, because of meiosis (Seminar 11, 205; Seminar XI, 187).

母との出産時の分裂により、永遠の生が失われる。エロスとはその永遠の生に回帰したいという衝動であるということになる。だがそれは不可能であり、タナトスはエロスの衝動と融合して、永遠の反復運動をする。どうやらヴェルハーゲの主張はそういうことらしい。

もっとも〈母〉との融合の永遠の生というが、いろんな母がいる。

フロイトは、シェイクスピアの『リア王』の叙述を引用して次のように書いている。

ここに描かれている三人の女たちは、生む女、性的対象としての女、破壊者としての女であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係なのだ。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身と、男が母の像を標準として選ぶ愛人と、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『三つの小箱』)

ドゥルーズのマゾッホ論なら次の如し。

マゾッホによる三人の女性は、母性的なるものの基本的イメージに符号している。すなわちまず原始的で、子宮としてあり古代ギリシャの娼妓を思わせる 母親、不潔な下水溝や沼沢地を思わせる母親がある。―――それから、愛を与える女のイメージとしてのエディプス的な母親、つまりあるいは犠牲者として、あ るいは共犯者としてサディストの父親と関係を結ぶことになろう女がある。―――だがその中間に、口唇的な母親がいる。ロシアの草原を思わせ、豊かな滋養を さずけ、死をもたらす母親である。(……)滋養をさずけ、しかも無言であることによって、彼女は他を圧する……。彼女は最終的な勝利者となる。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』蓮實重彦訳)

精神分析的なエロスとタナトスをめぐる覚書をめぐっては、ここでいったん離れる。小説家や詩人の言葉に耳を傾けてみよう。

川は光っていた。水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証しのように秋幸には思えた。明るく青い水が自分のひらいた二つの眼から血管に流れ込み、自分の体が明るく青く染まっていく気がした。そんな感じはよくあった。土方仕事をしている時はじょっちゅうだった。汗を流して掘り方をしながら秋幸は、自分が考えることも判断することもいらない力を入れて堀りすくう動く体になっているのを感じた。土の命じるままに従っているのだった。硬い土はそのように、柔らかい土にはそれに合うように。秋幸はその現場に染まっている。時々、ふっとそんな自分が土を相手に自瀆をしていた気がした。いまもそうだった。(中上健次『枯木灘』)

究極のエロスとは〈母〉なる大地との合体のことだ。エロス欲動によって惹きおこされる高揚感は、母なる大地に吸いこまれるような感覚であり、なにものかか大きなものへの融合感覚のめまいだ。エロスは決して主体の能動性から生じるものではない。受動性からだ。襲われるものであり、刺し貫ぬかれるものだ。見るのではなく見られる、聞くのではなく聞かれる、触れるのではなく触れられるのであり、では嗅覚はといえば、においとはそもそも襲われるものだろう。その意味で嗅覚は触覚とともに、もっともエロスを呼びおこすことの多い感覚だ。


いやプルーストのマドレーヌの味覚はどうだというのか。刺し貫かれるのがどの感覚によるのかは、ひとによるのだろう。運動感覚、振動感覚、視覚の場合は色彩感覚がことさらエロスを齎すのは、中上健次が書くとおり。染まる、日に染まる、青い水の色彩が血管に流れ込む。

秋幸は単につるはしを土にふりおろす掘り方が好きだった。日は秋幸を風景の中の、動く一本の木と同じように染めた。風は秋幸を草のように嬲った。秋幸は土方をやりながら、自分が考えることも知ることもない、見ることも口をきくことも言葉を聴くこともないものになるのがわかった。いま、つるはしにすぎなかった。土の肉の中に硬いつるはしはくい込み、ひき起こし、またくい込む。なにもかもが愛しかった。秋幸は秋幸ではなく、空、空にある日、日を受けた山々、点在する家々、光を受けた葉、土、石、それら秋幸の周りにある風景のひとつひとつへの愛しさが自分なのだった。秋幸はそれらのひとつひとつだった。土方をやっている秋幸には日に染まった風景は音楽に似ていた。さっきまで意味ありげになむあみだぶとともなむほうれんぎょとも聴こえていた蝉の声さえ、いま山の呼吸する音だった。

つるはしはもちろん母なる大地に向かう性器だ。秋幸のファリックな享楽は、大地を犯す、永遠の生を目ざして。〈母〉との融合を目ざして。

秋幸はまた働いた。自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。

〈母〉との融合感覚は束の間のものだ。そこで〈死〉にめぐり会う。タナトスの衝動が繰り返される。この長篇の言葉にただならぬ震えや脈動を与えているのは、エロスとタナトスの至高のエクリチュールがあるからだ。

梢の葉は柔らかく若く、両腕に道具をかかえ倉庫とダンプカーの間を行き来する秋幸の頭に触れた。その感触が短かく刈った髪を上から撫ぜおろす女の手を思い出させた。

光が、風が、自然が、秋幸を愛撫する。そして中上の震えた言葉がわれわれを刺し貫く。

《丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに》(大岡信「春 少女に」より)

だれもも知っているはずだ、この「ゆらめく閃光」(ロラン・バルト)の感覚の襲撃を。
触れえないものに何とか触れようとして虚空をまさぐる宙吊りの時間のもどかしさに耐えながら、「わたし」は言葉を欲望する。言葉という他者に刺し貫かれることで豊かになりたいと願うのだ。そんなとき、言葉は、まさしくあの「わたし」をうっとりさせる春宵の風の正確な等価物となる。むしろ、受精の機会を求めて風に乗って飛散する花粉のような何ものかと言うべきかもしれぬ。そして、よそよそしさともどかしさそのものを快楽に転じながら「わたし」が辛うじて声に出したり紙に書きつけたりしえた発語の軌跡とは、あたかもこの濃密な花粉を顔いっぱいに浴びてしまった人体に現われる過剰な免疫反応としての花粉症の症状にでも譬えられるかもしれぬ。他者のシステムとしての言語を前にした発語のもどかしさの快楽とは、眼の痒さやくしゃみを堪えながらしかし鼻孔をくすぐる花の香に陶然とすることをやめられずにいる者の、甘美なジレンマに似ている。(松浦寿輝『官能の哲学』より)

いや評論文ではなく、松浦寿輝の「実践」をみよう。

一人称の物語はここで終る もう手袋のほころびやテーブルの上の焼け焦げをかすめては消えてゆく 曇った眼差しだけしか残っていない 濡れた壜の口のあたりをたゆたう 倦み疲れた冬の光だけしか残っていない 波のざわめき 鳥の声 石灰がにおう世界の夕暮 書かれたものはもう声にはのらないから「うしろへ」とか「あとで」といったつつましい嘘をひっそり呟くだけだ「蒼ざめた女の薫る髪」や「唾液に光る山狼の白い牙」を裏側からなぞりかえし 消しつくし 眼前をよぎって無意味に堕ちてゆく濡れた光景から目を逸らすだけだ 寝台の上に降り出す雪の翳った白さに耐えながら 充血した性器を押しひらく 欲望もなく 熱もなく 掃海作業のようにすすむ さめた劇 牛乳がしたたる小さな尻 掘り起こされたばかりの百合の球根 何ひとつ口にせずただひらいた両手を暗い天候の愛撫にゆだねる 濁った時間 媚薬のように 浚渫機はゆっくりとまわり 静脈のなかに朽ちた溺死者を探す 骨と骨とが響きあう つめたい透視図法 魚のひれ 藻 息 彼は彼女が彼らの 彼女に彼らを彼と あるかなきかの明るみに目を凝らす 修辞は狂い 構文も曖昧にただよいはじめ よどんだ室内が窓の外に流れ出し すべてが無色に溶けてゆく 手と足は相殺しあい 髪は水にそよぎ 失墜や遭遇や別離といった熱すぎる文字が削り落とされてゆく 歌ってはならぬ楽譜 投げてはならぬ石 揺れる吊り橋 視界を埋めつくす水母の死骸 それは物語の終焉ではなくて 終焉の物語のはじまりにすぎないのか 愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています あなたを愛しています あなたを(松浦寿輝『ウサギのダンス』より)

あるいは、中井久夫のエッセイはときに驚くほどのエロスとタナトスの混淆から生じる官能、その震えと脈動を伝えてくれる。次の文は、まずは「におい」だ。それは死臭でもある。--《花の腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香り》、《すれちがう少女の残す腋臭のほのか》なにおい。そして、《ひしひしとひとを包む透明な気配》の無形の力に吸い込まれていく、中上健次が大地に吸いこまれたように、日の光を浴びたように。

ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。

それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。

金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。

二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこの香の出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。

この木立は、桜樹が枝をさしかわしてほのかな木下闇をただよわせている並木道の入口にあった。桜たちがいっせいにひらいて下をとおるひとを花酔いに酔わせていたのはわずか一月まえであったはずだ。しかし、今、それは遠い昔であったかのように、桜は変貌して、道におおいかぶさっているのはただ目に見える葉むらばかりでなく、ひしひしとひとを包む透明な気配がじかに私を打った。この無形の力にやぶれてか、道にはほとんど草をみず、桜んぼうの茎の、楊枝を思わせるのがはらはらと散らばっていた。(中井久夫「世界の徴候と索引」より)

さらにまた、《女体を思わせる地形がかすかにしかし確実にエロスを感じさせる陰影の地に直立して立つ優雅な姿》と書かれる次の文はどうだろう。

……山桜の大木はかならずといってよいほど、二つの丘の相会うところ、やわらかにくぼんでやさしい陰影を作るところ、かすかな湿りを帯びたあたりにある。

(…… )本居宣長は、けっして散る桜を歌わなかった。「敷島の大和心をひと問はば朝日に匂ふ山ざくら」 ――。匂いは、嗅覚だけのことではない。花咲く山桜の大樹の周りの風景へのみごとなとけこみを「匂う」と表したにちがいない。実際、私の家の背山、向山にも、周囲の春の浅みどりに、あるいはまだ山肌を透けてみせる樹々の裸の枝のあいだに、ひっそりと、ほのかな淡い桜色のしずかなほのおをにじませている山桜の一もと二もとが、みうけられる。

そのとおり。山ざくら、この日本原種の桜は、けっして群がって咲きはしない。山あいの窪に、ひっそりと、かならず一もとだけいるのである。そして、女体を思わせる地形がかすかにしかし確実にエロスを感じさせる陰影の地に直立して立つ優雅な姿のゆえに、桜は、古代の人の心を捉えたのであろう。(中井久夫「桜は何の象徴か」)

《私が名指すことのできるものは、事実上、私を突き刺すことができないのだ。名指すことができないということは、乱れを示す良い徴候である。》(ロラン・バルト)--快原則の彼岸にあるものとはこういうことだ。たとえば西脇順三郎の詩は、そのことばかりを謳っているようにみえる。束の間の永遠、その垂直に立つ刻限を。

《とつぜん夏が背中をすきとおした/石垣の間からとかげが/赤い舌をペロペロと出している》

《柿の木の杖をつき/坂を上っていく/女の旅人突然後を向き/なめらかな舌を出した正午》

ーー「正午」?!

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」)

この「ゆらめく閃光」。
その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ポルノグラフィにはエロスもタナトスもない。肝腎なのは「ゆらめく閃光」である。

身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではないだろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析がいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちららと見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出である。

それはストリップ・ショーや物語のサスペンスの快楽ではない。この二つは、いずれの場合も、裂け目もなく、縁もない、順序正しく暴露されるだけである。すべての興奮は、セックスを見たいという(高校生の夢)、あるいは、ストーリーの結末を知りたいという(ロマネスクな満足)希望に包含される。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)
バルトが『テクストの快楽』で巧みに表現している「出現=消滅の演出」、つまり、最終的な真相の暴露へと向けて衣裳を脱ぎすててゆくストリップ・ショーの観客を捉える欲望ではなく、衣服の縁と縁とが間歇的にのぞかせる素肌の誘惑、ほとんど偶発的といえる裂け目の戯れ、距離でも密着でもなく、それじたいが不断の運動である「出現=消滅の演出」。それを肯定することを快楽と呼ぶことも、おそらくはとりあえずの命名法でしかないだろう。それは苦痛と呼ばれてもよかろうし、受難と名指されることさえ不自然とも思われぬほどに致命的な体験である。「出現=消滅」の戯れを組織する演出とは、傍観者としての観客が享受しうる距離を廃棄し、距離でもあり密着でもあるための不断の変容を要請するものであるからだ。その点において、いったん秩序に順応しさえすれば露呈の瞬間へと導かれる物語の欲望とはまったく異質の欲望が、「テクスト」の快楽を煽りたてていることがわかる。その体験は、たしかに誰もが気軽に試みてみるわけにはゆくまいが、だからといって特権的な個体だけに許されているわけでもない。原理的にはあらゆる存在に向けて開かれていさえいるはずなのに、現実には、その受難=快楽に進んで身をまかせようとする者はごく稀である。それが権利だとは思われていないからだ。誰もが真実の露呈という永遠の儀式にたどりついて終りとなる物語を欲望し、その欲望を漸進的に満足させる説話論的な秩序に埋没することこそが快楽なのだと確信している。受難=快楽としての浅さは、かくして、いたるところで回避されることになるだろう。(蓮實重彦『物語批判序説』)
…………


ほかにも触感の作家谷崎潤一郎ならば、羊水に全身を浸して暗闇を漂うかのごとき視力の喪失による、無意識的な乳幼児期における乳首と唇との至福の交合の不意の再現、《私をしっかりと抱きしめたまゝ立ちすくんだ。私も一生懸命に抱き附いて離れなかつた。甘い乳房の匂が暖かく籠もっていた》(『母を恋ふる記』)――このようなエロス感覚がある。次の吸い物椀は、母の乳房に違いない。

私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味(ぬくみ)とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではあゝは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁(ふち)がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣(ふく)む前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心特、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。(……)

 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥へ沁むようにジイと鳴っている、あの遠い虫の音のようなおとを聴きつゝこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心特なのであろう。日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたゝく蝋燭(ろうそく)の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』)


長くなった。次の「部分欲動と死の欲動をめぐる覚書」へ引き続く。



2013年11月13日水曜日

五石六鷁の作法

他の蜂が皆巣に入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ残つた死骸を見る事は淋しかつた。(志賀直哉「城の埼にて」)

とありますが、初心の者にはなかなかこうは引き締められない。

日が暮れると、他の蜂は皆巣に入って仕舞って、その死骸だけが冷たい瓦の上に一つ残って居たが、それを見ると淋しかった。

と云う風になりたがる。それを、もうこれ以上圧縮出来ないと云う所まで引き締めて、ようやく前のようなセンテンスになるのであります。(谷崎潤一郎『文章読本』)

上に引かれた段落の前には、《それを刷ってある活字面が実に鮮やかに見える》として志賀直哉の見事なお手本を繰り返し玩味すべきとされ、その圧縮した文章、すこしの無駄もないものを作り出す工夫が絶賛されている。そして、かくの如き文を生み出すには、《センテンスの構造や言葉の順序を取り変えたり、全然用語を改めたりする必要》も起る云々、と書かれた直後にあらわれる。しばしば名文を褒めるときに、字面が立ち上がっているなどと云われることがあるが、それを言い表わす代表的な文章のひとつとしてよい。

もっとも、流麗な文(和文調)と簡潔な文(漢文調)――源氏物語派と非源氏物語派――に分けて文章の美を説く箇所でもあり、谷崎潤一郎自身は流麗な調子を好み、《この調子の文章を書く人は、一語一語の印象が際立つことを嫌います》とされる。他方、志賀直哉の文が一語一語が際立つ簡潔な名文の代表とされて上のように書かれているわけだ。

ところで文章の作法の教えのひとつとして「五石六鷁〔ゴセキロッゲキ〕の作法」というものがある。『春秋』の注釈書『公羊伝』による教えであって、中井久夫は日本語の作法として格別に肝要だとしている。さて、志賀直哉の上の文には「五石六鷁」の形跡はあるのだろうか、と思いを馳せてみる。


◆中井久夫「一つの日本語観ーー連歌論の序章としてーー」より(『記憶の肖像』所収)。

日本語が論理的に曖昧であるという声が内外にある。どんな言語でも曖昧な文は作ろうとすればできる。英語でも、受身にすれば、主語を回避できるし、実際、日常なされていることである。しかし、日本語が曖昧であるという印象の根拠で、われわれの問題と関連して注目する価値のあることが二つあると私は思う。自然な、よい日本語とそうでない日本語の区別は、主にこの二つをどうするかにある。

一つは、未知を既知に繰り込んでゆく順序の自然さの如何である。この点に関してのよい教えを、私は、日本語作法の本ではなく、中国古典『春秋』について周末から漢初にかけて書かれた注釈『公羊伝』に見出す(竹内照夫『四書五経』より引用)。

僖公十有六年。春、王正月戊申、朔、隕石于宋、五。是月、六鷁退飛過宋都。
(春、王の正月戊申、朔、宋に隕石あり、五つ。是月、六鷁退飛して宋の都を過ぐ)

公羊伝は「なぜ、まず隕といい、次に石というか。隕石とは記聞(聞こえたことの記録)である。まず何かが隕〔お〕ちた音が聞こえる。次に調べてみると石と知る。次に数えてみると五つである。だから隕石……五という文になるわけだ。……なぜまず六といい、次に鷁〔ゲキ〕というか。六鷁退飛とは記見(見えたことの記録)である。まず何かが飛んでいるのが見える、六つである。よく見ると鷁という鳥である。なおもよく見ると後方へ飛びしさってゆく(「退飛」とは強風のため鳥が頭の向きとは反対の方向へ吹き戻されながら飛んで行くこと)。だから六鷁退飛……という文になるわけだ」と説き、春秋の文は、……論理や文法の上でも記事文一般にとって模範とすべき表現法を有するもの、と見ている。……穀梁伝も同じで、次のように説いている、「隕を先に石を後に書くのは、隕ちた物があって、次に石と知るからである。……君子は隕石や鷁飛などの事件にすら、その書法をおろそかにしない。ましてや人事に関して謹厳なるべきこと、論をまたない。すなわち、五石六鷁の記事文を厳正にすることも、また、王道を盛んにする一法なのである」。

私は日本語の作文には「五石六鷁の作法」が重要であると思っている。日本語発話の状況依存性と既知メッセージ省略の大きさを考慮すれば、この作法は特別の考慮に値する。この作法は、物事を認知する順序であるから、当然、イメージが聞き手に自然に浮かぶような順序となる。おそらく、日本語の発話においては、未知を順々に既知へと繰り込む際、「五石六鷁の作法」によって次第に眼の前が開けてくるような快い感覚を与えるものが、よい質の発話と感じられるのであろう。日本語の発話においてイメージは無視できない要素である。必ずしも視覚イメージばかりでなくーー。

この後、「第二は」、と続き「時枝の風呂敷」をめぐって書かれるがここでは割愛する。


さて、《他の蜂が皆巣に入つて仕舞つた日暮、冷たい瓦の上に一つ残つた死骸を見る事は淋しかつた》である。

《他の蜂が皆巣に入つて仕舞つた日暮》において、日暮が先の印象ではあるまい。同時、もしくは《他の蜂が皆巣に入つて仕舞つた》のにまず心眼が向かい、そこで「ああ、もう夕暮れだな」という感慨が生れたとするのなら、「五石六鷁の作法」に適う。《日が暮れると、他の蜂は皆巣に入って仕舞って……》とされては、未知を既知に繰り込んでゆく順序の自然さは劣る。

夕暮れとなり、日中、陽に照らされていた瓦は冷え冷えとして見える。これも印象の順序に書かれている。そこでの《冷たい瓦の上に一つ残つた死骸》なのであって、あらためて冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見遣る事で、《淋しかつた》のであれば、これも「五石六鷁の作法」に適う。《その死骸だけが冷たい瓦の上に一つ残って居た》の文のように「冷たい瓦」がうしろに来てしまえば、感覚の印象の順序が守られていない(ここはいささか強引かもしれない。「……とも解釈できる」としておこう。「一つ残つた死骸」が先にきても違和はすくないが、「日暮れ」→「冷たい」と続くほうが物事を認知する順序としては好ましく感じる)。

一般には、電車に跳ねられた事故の療養のために温泉宿にひとり淋しく過ごす志賀氏の心境が二重写しになっている、と解釈される箇所であり、上の「五石六鷁の作法」の解釈はいささか牽強附会気味かもしれないが、谷崎潤一郎が初心者がやり勝ちな、として冗長に書き換える二番目の文よりは、志賀直哉原文のほうが、明らかに「五石六鷁の作法」に適っているという風に言えるには相違ない。

志賀の文が常に「五石六鷁の作法」に従っているわけではないだろう。だが彼の一読なんの変哲のないような文章までがときおり思いがけず後々まで印象に残っていることがあるのは、その簡潔な美以外に、未知を既知に繰り込んでゆく順序の自然さに負うところが大きいのではないか、--そういった観点で読み直してみる価値はありそうだ。

以下はしばしば引用される有名な箇所である。
踏切りの所まで来ると白い鳩が一羽線路の中を首を動かしながら歩いていた。私は立ち留ってぼんやりそれを見ていた。「汽車が来るとあぶない」というような事を考えていた。それが鳩があぶないのか自分があぶないのかはっきりしなかった。然し鳩があぶない事はないと気がついた。自分も線路の外にいるのだから、あぶない事はないと思った。そして私は踏切りを越えて町の方へ歩いて行った。
「自殺はしないぞ」私はこんな事を考えていた。(『児を盗む話』)
Kさんは勢いよく燃え残りの薪を湖水に遠く抛った。薪は赤い火の粉を散らしながら飛んで行った。それが、水に映って、水の中でも赤い火の粉を散らした薪が飛んで行く。上と下と、同じ弧を描いて水面に結びつくと同時に、ジュッと消えてしまう。そしてあたりが暗くなる。それが面白かった。皆で抛った。Kさんが後に残ったおき火を櫂で上手に水を撥ねかえして消してしまった。

舟に乗った。蕨取りの焚火はもう消えかかっていた。舟は小鳥島を回って、神社の森の方へ静かに滑って行った。梟の声がだんだん遠くなった。(志賀直哉『焚火』)

すくなくともこの『焚火』のふたつの段落に於て「五石六鷁の作法」の実践、つまり、感覚の印象の順、物事を認知する順序に書かれていることは瞭然としている。

ところで中井久夫には、上に引用された『焚火』の箇所を想起せざるをえない圧縮された・無駄のない文がある。
岐阜の長良川の鵜飼の火。夏の湿った夜気。暗闇ににじむ焔の船が近づいてくる。小さく、あくまで小さく。時に燃え上がる。火の粉が散る。焔の反映は左右に流れて、水面にこぼした光のインクの一滴だ。(中井久夫「焔とこころ、炎と人類」『日時計の影』所収

ーー倒置法が使われている箇所(「小さく、あくまで小さく」)を除いては、未知を既知に繰り込んでゆく順序の自然さがあるとしてよいだろう。

…………


小林秀雄は昭和四年に次のように書いている(谷崎潤一郎の『文章読本』は昭和九年)。
なるほど志賀氏の文体は直裁精確であるが、それはある種の最上の表現がそうであるように直裁精確であるにすぎないので、ここに氏の細骨鏤骨の跡を辿ろうとし、鑿々たる鏨の音を聞こうとするのはおそらく誤まりだ。(小林秀雄『志賀直哉』)

小林秀雄は志賀直哉の文章に《細骨鏤骨の跡を辿ろうとし、鑿々たる鏨の音を聞こうとするのはおそらく誤まりだ》--つまり、彫琢の跡などを探し辛い、としているわけだ。

もっとも今では草稿と定稿の比較研究もあってそれなりの推敲がなされているのが知られている。たとえばインターネット上にある「志賀直哉における「自分」の一人称代名詞用法について]」(金,晶)という論文をみればそのことは自ずと知れる。この論文は志賀直哉の文章の特徴のひとつである、再帰代名詞としての「自分」ではなく、主格としての「自分」の用法を分析する目的で書かれているのだがーーたしかに「私」が使われる場合と「自分」が使われる場合とどう違うのか、は翻訳者の方であれば苦労されるのだろうーー、それを検討するなか、草稿と決定稿との比較がなされている。

上の「彫琢の跡などを探し辛い」と読める文は、小林秀雄一流のレトリックとして取り扱うべきであり、小林の言いたい肝腎な事は次に続いて書かれる志賀直哉の《物を見るのに、どんな角度から眺めるかということを必要としない眼》であろう。

私はいわゆる慧眼というものを恐れない。ある眼があるものをただ一つの側からしか眺められない処を、さまざまな角度から眺められる眼がある、そういう眼を世人は慧眼と言っている。つまり恐ろしくわかりのいい眼を言うのであるが、わかりがいいなどという容易な人間能力なら、私だって持っている。私は慧眼に眺められてまごついたことはない。慧眼のできることはせいぜい私の虚言を見抜くくらいが関の山である。私に恐ろしいのは決して見ようとはしないで見ている眼である。物を見るのに、どんな角度から眺めるかということを必要としない眼、吾々がその眼の視点の自由度を定めることができない態の眼である。志賀氏の全作の底に光る眼はそういう眼なのである。(小林秀雄『志賀直哉』)

…………

最後に、中井久夫が「五石六鷁の作法」を説く小論「一つの日本語観」は、「連歌論の序章として」という副題をもっており、連歌の「五石六鷁」に触れた箇所を抜き出しておこう。

連歌について私の言わんとすることはすでに明らかであろう。これは全体の意味が存在しない詩という点で特異でもあり、複数で作るという意味でも稀な詩形式である。

雪ながら山もとかすむ水無瀬かな
ゆく水とほく梅にほふ里
川風に一むら柳春みえて
舟さす音もしるき明け方
月やなお霧渡る夜に残るらむ
霜おく野原秋は暮れけり

…………

連歌にうとい私もこの「詩」とその接触の美学を味わいうる。外国語に訳せないなどとくだらぬことは言うまい。連歌を高く評価しているのは、とりわけドナルド・キーンの日本文学史である。この六番の間にも季節は第四番を介して、春から秋へ転換している。この六番が非常に鮮明に視覚的であるのは、まず、さきの五石六鷁の作法にかなっているからである。そして、焦点がソフトになったりシャープになり、距離が遠ざかり近づく(第四番だけ聴覚が前景に出ており、これが舞台まわしをつとめている)。地表の人工衛星写真がフィルムの感光特性によってさまざまな影像を与えるように、ここでフィルム特性をかえれば、まだまだいろいろな映像が得られる。たとえば音の分析である。背景に共有されている文化である。具体的には王朝の名歌のかずかずである。われわれには、作者が知らなかった味わい方もできる。これらに触発された俳諧である。蕪村と芭蕉がすでに顔をのぞかせているのではないか。


※引用されている連歌はもちろん「水無瀬三吟百韻」から。


…………

上の文を読み返してみれば、谷崎、志賀、小林、中井各氏の文の、なんという優れて簡潔なひきしまり具合よ、それに引きかえ、オレの書いた文の冗長さ、その憐れなさま。

これでもすこしは書き直したんだがね、やりだしたら全部変えたくなるんだよな、そしていじくっているうちに文章がかたくなってきたり、枯れてきたりで……マイッタネ










2013年10月1日火曜日

キノコとクリの季節(西脇順三郎)

秋  西脇順三郎


灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に
麦の穂や薔薇や菫を入れた
籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。
生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。


 「近代の寓話」に「形而上学的神話をやつている人々と/ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ」とあるのを、西脇順三郎自ら、《これは実は「猥談」をしている同僚のことだ》と解説したそうだ。(「記憶の塔」)
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/19niikura-kioku.pdf

「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、
散文とはその図式的側面を主にした使用である」
(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文)

詩にどんな徴候を感じるか
それは読み手しだいだ
西脇があれは猥談だといったって
猥談として読む必要はない

『失われた時をもとめて』の初稿のラスクやトーストが
「厳格で敬虔な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、
お菓子でつくった小さな貝の身」
「溝の入った帆立貝の貝殻のなかに
鋳込まれたかにみえるプチット・マドレーヌ」に変わったって
鋳込まれた〔moulé〕ーーmoule(ムール貝)には、女陰の意味があったって
そう読む必要はないように

もちろん朧げながら最初からそう感じてしまう読み手だっている

長いあいだ、プチット・マドレーヌはわたしを苛立たせてきた。(……)何といっても、スプーンのなかでとけ崩れるこの菓子の、色あせた昔の匂いとそのスポンジ状の質感に、なにかそれがいかがわしい、ひょっとすると淫らなことでさえあるかのような居心地の悪さを覚えてきた。(フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」)

ゴモラの女アルベルチーヌが「囚われの女」となって
しきりに求めるアイスクリーム、アスパラガス、牡蠣などだって
ただ食欲旺盛の乙女の好みとだけ読んだっていい

(ここでの比喩は)……カイエ1 のオナニスムのテクストにもあった妙な形の雲が浮かんでおり, しかもそれは帆立貝coquille de Saint-Jacques に似ており,弁がついているvalvé と言うのだから穏やかではない。なぜなら,驚くべきことにこれらの表現は決定稿のマドレーヌの描写にぴったり一致するからである。

Ph. ルジュヌがvalve をvulve に通じるものと考え,マドレーヌの形(……)を女性器に適合したものと考えたのは,決して根拠のないことではなかったのだ。カイエ27 のテクストは何よりもそのアナロジーを雄弁に実証している。と言うのは,女性器としての雲のイメージは直後に来るジルベルトとの接吻の場面を予告し,主人公のリピドーを暗示する性的な風景だからである。(吉田城「プルーストと性的風景」





荒木について騙りたいと思うが
キノコやクリの話ではない
ましてや栗と栗鼠でもない
ヒョウタンを磨きたいわけでもない
麦の穂でつついた薔薇や菫が
なぜ林檎や栗にはやがわりしたのかも
知るところではない
だがおそらく秋のせいだ
さらに晩秋には籠は不用となる
朽ち枯れたキノコの具合をもう考えることもなく
川ばたに季節はずれの蕾を膨らますアマリリスを慈しみ
あるいは谷さきに埋もれた二股大根を愛でるのみ






《微熱あるひとのくちびるアマリリス》(吉岡実)

たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠ってゐる女の子の口に指をいれようとなさつたりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。
「女の子を起こさうとなさらないで下さいませよ、どんなに起こさうとなさつても、決して目をさましませんから…。女の子は深あく眠つてゐて、なんにも知らなんですわ。」と女はくりかえした。(川端康成『眠れる美女』)

《聖天様には油揚のお饅頭をあげ、
大黒様には二股大根、
お稲荷様には油揚を献げるのは
誰も皆知っている処である》(荷風『日和下駄』)

盛リ上ガッテイル部分カラ土蹈マズニ移ル部分ノ,継ギ目ガナカナカムズカシカッタ。予ハ左手ノ運動ガ不自由ノタメ,手ヲ思ウヨウニ使ウコトガ出来ナイノデ一層困難ヲ極メタ。「絶対ニ着物ニハ附ケナイ,足ノ裏ダケニ塗ル」ト云ッタガ,シバシバ失敗シテ足ノ甲ヤネグリジェノ裾ヲ汚シタ。シカシシバシバ失敗シ,足ノ甲ヤ足ノ裏ヲタオルデ拭イタリ,塗リ直シタリスルコトガ,又タマラナク楽シカッタ。興奮シタ。何度モ何度モヤリ直シヲシテ倦ムコトヲ知ラナカッタ。(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』)

聖天様のお饅頭は男女の悩みのため
大黒様の二股大根は破壊と豊饒、
お稲荷様の油揚は大地に蒔かれた種への祈願
いまは誰も皆知っているわけではない







「いちはつのような女と
はてしない女と
五月のそよかぜのようなと
この柔い女とこのイフィジネの女と
頬をかすり淋しい。
涙とともにおどる
このはてしない女と。」(西脇「無常」)







荒木の写真は、自分がいなくても自分が写りこむ「私写真」と本人が称するように、写真家の"存在"を痛烈に感じさせるものだ。直接姿を見せずとも、自分を写真の中に色濃く写し出す。(……)

こうした写真家の意図が、「自然に、ありのままに裸体が存在しているはず」という見るものの思惑を、そして見るものの視線を中断させるのだ。できるだけ写真家の痕跡を消そうとしていたグラビア写真とは正反対の行動である。荒木の写真は、扱う題材が一般的なポルノグラフィーとほとんど変わらない、もしくはそれ以上に過激であるにもかかわらず、「役に立たない」写真であるとされている。伊藤俊治の言葉を借りれば、「孤独な満足」を得られないのである。ポルノグラフィーでは可能だった鑑賞者と被写体との個人的な関除に、第三者として荒木が割って入っているからだ。(「私的な視線によるエロティシズム : 荒木経惟の作品を中心とした写真に関する考察」秦野真衣








荒木の写真に出てくる女性たちは、たいてい裸である。そのうえ大股を広げたり、尻を突き出したりして性器を露に見せることも少なくない。時にはまさに性交の最中に撮られたと思われる写真もある。写された女性たちの姿は、暴力的なポルノグラフィーの姿とほとんど変わりはない。にもかかわらず荒木の写真がポルノグラフィーではないのは、作者の存在があるからであった。(……)シーレの絵の中の女性も荒木の写真の中の女性も、彼女たちの視線を向けている方向をみると、自分の目の前に存在する作者のことしか考えていないように思われる。どんなに笑いかけていても、煽情的なポーズをとっていても、彼女たちの視線は「見る」ものの視線を飛び越えていく。モデルたちはカメラに振られていることに対しては充分に自覚的だが、その背後にある写真を見るであろう無数の視線には反応を示さない。自分にとって重要で、意味を成すのは目の前にいる写真家との関係だけだからだ。(同上)








問題は、この絵に"描かれているもの"だ。裸の女性のポーズは挑発的であるにもかかわらず、この絵はポルノグラフィーではない。その理由を飯田善國は「そこに描かれているのは性の演技ではなく、画家とモデルとの一回限りの、ある微妙な関係だけが真の主題として措かれているから」だと説明する。「一回限り」とは「生」が一回であることによる時間の限定であり、シーレもモデルも共に一回性の中で出会い、生きる。シーレの視線があれほど真撃であるのは、たった一回の出会いを逃すまいと必死だからだ。(同上)











作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない。私に興味があるのは、それが絵としてどれほど完成し、どれほど独創的であったか、ということである。歌麿のすべての版画のなかでも、これほど完成し、これほど独創的なものは、おそらく少い。(加藤周一「対象との距離」『絵のなかの女たち』所収

ーーなどというつもりは、わたくしには毛ほどもない
ただシーレとクリムトを同時に好むヤツは
あまり信用したくないということはある

浅田彰が荒木経惟の写真のウェットな感傷性を批判しても
あまり聴く耳をもたないということもある

荒木経惟は(……)、しみったれた私の人生の断片を薄汚い私写真として切り売りし、臆面もなく俗情に訴えてみせる。あざとい戦略であったにせよまさしく私への撤退だったわけです。もっとも、勤務先の電通のゼロックスを使って写真集をつくってしまうとか、猥雑表現の検閲と戦いながら穴倉のような小部屋を女性器の写真でうめつくすとか、(……)、そこには肥大した私へのだらしない居直りだけがのこるんですね。

 その篠山紀信から荒木経惟へ、極端に外在化されたものから悪い意味で内面化、主観化されたものへ、というシフトが起こった。それは一見、商業的なものから私的なものへのシフトのように見えて、実は私的なものこそが商業的により効果的だったという皮肉な落ちがついたわけです。(浅田彰 中平卓馬という事件)







2013年7月12日金曜日

熟柿と後家

体調復帰祝いに庭球仲間すっぽん持参にて久振りに鼈鍋の宴裏庭にて張る。齢の離れた艶福家の檀那を病で喪った美肌の妖後家をも励ます会なり。

傷心の妖女は酔醒しのためにとて、熟柿とマンゴー(菴摩羅果)の山を持参す。遠目に姿すらりとした三十女は、漁村育ちのがっしりと堅太りした骨太な軀を、胸元や着物の裾から覗かせてふだんの身だしなみのよさをいささか崩し、馴れない純米酒に酩酊して真っ赤になった頬額とアマリリスの唇にて熟柿を頬張るなり。「真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい」

マンゴーは三文字か四文字か

《三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。》(中井久夫 後詳引用)


上岡龍 ○ 郎が放送禁止用語についてのトークで、「関西の番組では、おまんこは放送できるけど、おめこはあきまへん。」――だそうだ。(女性器の呼称について

桃栗三年柿八年梅は酸い酸い十八年

桃栗三年後家三ヶ月

腿膝三年、尻八年

尻酒三年栗と栗鼠菊座はすいすい海女と栗鼠


ーー「微熱あるひとのくちびるアマリリス」(吉岡実)


わたくしは、「掌に載せて、一顆の露の玉に見入った」。そして自分の手のひらの中に、妖女の「霊気と艶光が凝り固まった気がした」。

掌に砂を載せて掌を閉じる
眼に砂を載せ掌を握る。
悲しみである。
思い出す。四月。初めて感じた、きみの重み、きみの身体
人体は粘土と罪より成る。
誕生の日のようなアマリリスの祝日
思い出す、きみの苦痛。きつく唇を噛んだ跡
肌の深い爪跡にその時の痕が永遠に残るだろう


(エリティス「青い記憶の歳」より 中井久夫訳)

《これは少年愛である。アマリリスはアヌスの美の隠喩である。――》



「何もお構い出来ませぬが、ずくしを召し上がって下さいませ」
と、主人は茶を入れてくれたりして、盆に盛った柿の実に、灰の這入っていない空の火入れを添えて出した。

ずくしはけだし熟柿であろう。空の火入れは煙草の吸い殻を捨てるためのものではなく、どろどろに熟れた柿の実を、その器に受けて食うのであろう。しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋のごとく膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。(……)私はしばらく手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光が凝り固まった気がした。(……)歯ぐきから腸の底へ沁み徹る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた。私は自分の口腔に吉野の秋を一杯に頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれほど美味ではなかったかも知れない。(谷崎潤一郎『吉野葛』)


女は酩酊さめやらず、だれかの慰めの言葉が気に障ったのか、唐突に「ほおっておいてほしいの」ときつく言い放つと、ふらふらと席を立ち、「けやきの木の小路を/よこぎる女のひとの/またのはこびの/青白い終りを」、築山のむこうに辿り、山影にて着物の裾を尻端折り、怪訝な顔を浮かべたひとりの老少年の《柿の木の杖をつき/坂を上っていく/女の旅人突然後を向き/なめらかな舌を出した正午》(『鹿門』)


三人の子を育てた
「長い歳月の起伏をみせて
そのちいさい稜線の終るところ
まるい尻のくぼみから
生き生きと湯気の立つ」(石垣りん)
サフラン色の抛物線を生垣に投げかけた


「割れた少年の尻が夕暮れの岬で
突き出されるとき
われわれは 一茎のサフランの花の香液のしたたりを認める
波が来る 白い三角波」吉岡実「サフラン摘み」より)


「女から
生垣へ
投げられた抛物線は
美しい人間の孤独へ憧れる人間の
生命線である」(西脇順三郎)


「世界は光る、きらりと、
朝まだき露の滴が山裾の野に光るように。

今、影が伸びる、神のため息のように、長く、いっそう長く。」(エリティス「アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩」中井久夫訳)


ほかの老少年も「くちなしの藪がしげる窓/からのぞいてみた。 」(西脇順三郎)

「さんざしの藪の中をのぞくのだ/青い実ととび色の棘をみている/眼は孤立している」


病みあがりのあるじも連れ小水す

鼈宴名残の酒臭し バラ色の海綿体に映るはわが酔顔なり 青空に描かれる噴水の放物線に仰天す

「わが馬ニコルスのキララで包まれた陰頭が青空へせり上る」(吉岡実)

そして興奮の絶頂、狂乱の最中、声がしわがれ、女性的な生殖のアルトに変わる時、きまってヘリオガバルスが現われる。太陽の宝冠を戴き、火のように燦く無数の宝玉をちりばめたマントを身にまとい、金に浸して金泥に覆われた、不動の、硬直した、無用にして無害な男根を露にし、恥骨の上には一種の鉄の蜘蛛をつけているが、サフラン色の粉を塗った臀を過度に動かすたびに蜘蛛の足は彼の皮膚を擦りむいて血を流させるのだ。(『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』アントナン・アルトー, 多田 智満子訳)


生徒|吉岡実

木造の古い小学校の便所の暗がりで
女生徒は飛びあがりつつ小水をするんだ
もし覗く者がいるなら それは虎の仮面をかぶった神
男生徒は夏の校庭を影を曳きながら 歩きまわる
半ズボンの間から 回虫を垂らしつつ 永遠に






《従妹の姿態をモデルに最初の人形を組み立てたハンス・ベルメールにとって恋愛とは、ナルシシズムと近親相姦願望を相手のなかに投影できる可能性だった。(……)

ブルトンは「皺のない言葉」(『失われた足跡』所収)にて、「私たちのいちばん確実な存在理由が賭けられた」場合、「言葉は愛の行為をおこなう」と述べている。》(宮川尚理「「愛を行なう」言葉たち : ウニカ・チュルンのアナグラム詩」による)。http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=14619



「夏草の茂る林のなかの大きな木の幹の陰で、なやましくも脱皮する少女、草むらに寝そべり、幼い陰茎に蝉をとまらせ恍惚としている少年」(吉岡実)


「川の瀬の岩へ
女が片足をあげて
「精神の包皮」
を洗っている姿がみえる
「ポポイ」
わたしはしばしば
「女が野原でしゃがむ」
抒情詩を書いた
これからは弱い人間の一人として
山中に逃げる」(吉岡実「夏の宴」--西脇順三郎先生に)


ブルトン:強姦とは何か?
ペレ:速度の愛。

ブルトン;理性とはなにか? 
エリュアール;それは月に食われる雲

マルセル・フェリー(ブルトンの愛人):孤独とはなにか?
ブルトン:王座の足もとに座る女王。

S. M.:眼とは何?
A. B.:香水工場の徹夜番の女。

S. M. :興奮とは?
A. B. :小川の中の汚点。

――――「愛を行う」言葉たち(宮川尚理)より


わたしの女の 砂岩と石綿の尻
わたしの女の 白鳥の背と尻
わたしの女の 春の尻
グラジオラスの性器
わたしの女の 金鉱床とかものはしの性器
わたしの女の 海草とボンボンの性器
わたしの女の 鏡の性器
わたしの女の 涙をいっぱいに溜めた眼
紫の武具と磁針の眼
わたしの女の サヴァンナの眼
わたしの女の 牢獄で飲むための水の眼
わたしの女の つねに斧の下にある薪の眼
水準器の眼 空気の土の火の平衡器の眼


ーー自由な結合(抜粋)  アンドレ・ブルトン (松浦寿輝訳)


今朝、妻に促されて、血圧と尿酸値を測れば、傍らの女の「驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた」(吉岡実)

またしばらく節制なり


…………


私は、詩の翻訳可能性にかんしての議論は表層言語の水準では解決できないものであると考えている。訳詩というものがそもそも果たして可能かという議論はいつまでも尽きない永遠の問題である。これが、ゼノンの逆理に似ているのは、歩行は現実にできているのだが、それを歩行と認めるかどうかという問題だからだ。ゼノンの逆理に対してディオゲネスは「立って歩けば解決できる」と言ったが、それでもなお「歩いているというのは何かの間違いだ」「ほんとうは歩けないはずだ」という反論はありうるだろう。つまり、詩の訳はできているし、あるのだが、それでもなお「それは原詩とはちがう」「ほんとうは詩の訳はできない」ということはできる。

私は、多くのものが他のもので代表象〔ルプラザンテ〕できる程度には詩の翻訳は可能であると考える。それだけでなく、もっと強く、原文を味到できる人も、その人の母語が別の言語であるならばその人の母語によって訳詩を読むことにかけがえのない意義があると考える。

その詩を母語としない外国語学の専門家が原文を母語のように味到できるという可能性は絶無ではないが、言語の生理学からは非常に至難の技である。ましてや詩である。

人間は胎内で母からその言語のリズムを体に刻みつけ、その上に一歳までの間に喃語を呟きながらその言語の音素とその組み合わせの刻印を受け取り、その言語の単語によって世界を分節化し、最後のおおよそ二歳半から三歳にかけての「言語爆発」によって一挙に「成人文法性adult grammaticality」を獲得する。これが言語発達の初期に起こることである。これは成人になってからでは絶対に習得して身につけることができない能力であると決っているわけではないけれども、なまなかの語学の専門家養成過程ぐらいで身につくものではないからである。

それを疑う人は、あなたが男性ならば女性性器を指す語をあなたの方言でそっと呟いてみられよ。周囲に聴く者がいなくても、あなたの体はよじれて身も世もあらぬ思いをされるであろう。ところが、三文字に身をよじる関西人も関東の四文字語ならまあ冷静に口にすることができる。英語、フランス語ならばなおさらである。これは母語が肉体化しているということだ。

いかに原文に通じている人も、全身を戦慄させるほどにはその言語によって総身が「濡れて」いると私は思わない。よい訳とは単なる注釈の一つの形ではない。母語による戦慄をあなたの中に蘇えらせるものである。「かけがえのない価値」とはそういうことである。

この戦慄は、訳者の戦慄と同じでなくてもよい。むしろ多少の違和感があることこそあなたの中にそういう戦慄を蘇えらせる契機となる。実際、訳詩家は翻訳によって初めて原詩の戦慄を翻訳に着手する以前よりも遥かに深く味わうものである。そうでなければ、経済的に報われることが散文翻訳に比してもさらに少ない詩の翻訳を誰が手掛けるだろうか。

翻訳以前の原詩は、いかに精密であり美しくてもアルプスの地図に過ぎない。翻訳は登頂である。ただに頂上を極めることだけではなく、それが極められなくとも、道々の風景を実際に体験する。翻訳を読むことは、あなたが原文を味到することが十分できる方〔かた〕であって、その翻訳にあきたりないところがあっても、登頂の疑似体験にはなる。愛するすべての外国語詩を原語で読むことは誰にもできない相談であるから、訳詩を読むことは、その言語に生まれついていない人には必ず独立の価値があって、それをとおして、原詩を味わうのに貢献すると私は思う。(中井久夫「訳詩の生理学」)