きみに向かって倒れかかってきたら
きみはそいつを抱きとめられるかい
つまりシャツについたヘドを拭きとる前にさ
ぼくは抱きとめるだろうけど
抱きとめた瞬間に抱きとめた自分を
ガクブチに入れて眺めちまうだろうな
他人より先に批評するために
……
――谷川俊太郎『夜中に台所でばくはきみに話しかけたかった』より
「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。
真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。
他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわれわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。
われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。……(ニーチェ『曙光』第133番)
谷川俊太郎 不可避な汚物との邂逅
路上に放置されているその一塊の物の由来は正確に知り得ぬが、それを我々は躊躇する事なく汚物と呼ぶだろう。透明な液を伴った粘度の高い顆粒状の物質が白昼の光線に輝き、それが巧妙に模造された蝋細工でない事は、表面に現れては消える微小だが多数の気孔によっても知れる。その臭気は殆ど有毒と感じさせる程に鋭く、咄嗟に目をそむけ鼻を覆う事はたしかにどんな人間にも許されているし、それを取り除く義務は、公共体によって任命された清掃員にすら絶対的とは言い得ぬだろう。けれどそれを存在せぬ物のように偽り、自己の内部にその等価物が、常に生成している事実を無視することは、衛生無害どころかむしろ忌むべき偽善に他ならぬのであり、ひいては我々の生きる世界の構造の重要な一環を見失わせるに至るだろう。
その物は微視的に見れば、分子の次元にまで解体し、他の有機物と大差ない一物質として科学の用意する目録の中に過不足ない位置を占めるだろうし、巨視的に見れば生物の新陳代謝の、また食物連鎖の一過程として、既に成立している秩序の内部に或る謙虚な機能を有しているとも言い得るだろう。事実そこには何匹かの蛆が生存を始めているし、如何なる先入観もなく判断し得ると仮定すれば、その臭気すら我々の口にする或る種の嗜好物のそれと必ずしも距たってはいないのだ。
光にさらされ、風化し、分解し、塵埃となって大気に浮遊し、我々が知らずにそれを呼吸するに至るまでの間は、その存在に我々が一種の畏怖を覚える事は否定できぬ事実であって、そのような形でのその物と向かいあう人間精神は、その畏怖のうちにこそ、最も解明し難い自らの深部を露わにしていると言えよう。
いかに献身的な医師も、どこか「いつわりのへりくだり」がある。ある高みから患者のところまでおりて行って“やっている”という感覚である。シュヴァイツァーでさえもおそらくそれをまぬかれていない。むしろ、神谷さんに近いのはらい者をみとろうとして人々、すなわち西欧の中世において看護というものを創始した女性たちである。その中には端的に「病人が呼んでいる」声を聞いた人がいるかも知れない。神谷さんもハンセン氏病を選んだ。神谷さんの医師になる動機はむしろ看護に近いと思う。この方の存在が広く人の心を打つ鍵の一つはそこにある。医学は特殊技能であるが、看護、看病、「みとり」は人間の普遍的体験に属する。一般に弱い者、悩める者を介護し相談し支持する体験は人間の非常に深いところに根ざしている。誤って井戸に落ちる小児をみればわれわれの心の中に咄嗟に動くものがある。孟子はこれを惻隠の情と呼んで非常に根源的なものとしているが、「病者の呼び声」とは、おそらくこれにつながるものだ。しかし多くの者にあっては、この咄嗟に動くものは、一瞬のひるみの下に萎える。明確に持続的にこれを聞くものは例外者である。医師がそうであっていけない理由はないが、しかし多くの医師はそうではない。(中井久夫「精神科医としての神谷美恵子さんについて」『記憶の肖像』所収)
神谷美恵子が精神病の恐怖を秘めていたとしても当然であり、実際、多くの精神病患者が挫折したところで辛くも成功したということさえできる。それは両側が断崖である痩せ尾根を走りとおすことである。神谷美恵子が生前すでに「何ともかかがやしかった」とも「とてもさびしく見えた」とも評され、本書の読後にも「不幸なひとではなかったか」という感想を聞いたのはこのきわどさゆえであろう。
ポーはその不幸な生涯のどん底から「この世で到達可能な幸福」の四条件として「困難であるが不可能でない努力目標」「野心の徹底的軽蔑」「愛するに足る人の愛」「野外での自由な身体運動」の四つを挙げている。彼女をこれらの点についてみるならばポーよりもはるかに幸福であろう。第一についてはいうまでもなかろう。第二に、もし世俗的権力欲にいささかでも誘われたらすべては空しかったであろう。彼女が進んで辺縁に身を置き、もっとも疎外された人々とともにあろうとし、もっとも些細な仕事をも喜んで引き受けたのは図らずも自身の精神健康への大きな貢献であった。第三に「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」と御子息の一人が口走ったように、彼女の家族であることも希有な難行である。彼女を聖女から分かつものは結婚して出産してなお彼女でありつづけたことである。彼女の夫君であることに成功しつつ、自身すぐれた生物学者である夫君の存在も「才能は単独ではありえない」とする定理の例証であろう。(中井久夫『時のしずく』所収)
……ところが阪神・淡路大震災である。私が聞いた話では、奈良女子大学では外国からの留学生が早速飛び出していって、はっと気づいた日本人学生が二、三日後にあとに続いたということである。留学生にはボランティアは当たり前のことであった。
私は当時、災害の中心にある大学医学部精神科の教授だった。気がついてみると、私はボランティアたちの渦の中にいた。精神科医が休暇をとってやってきた。ありとあらゆる層から来た人たちが走り回っていた。私自身も、だれからの指図も受けず、自分でそのときどきに最善と思うことをしていた。人々の観察と自己観察とから、私はボランティアというものが何かを考えてみる機会を得た。
私は私なりに理詰めなところがあるから、ボランティアの倫理的根拠というものをたどってみた。私は孟子の「惻隠の情」に行き着いた。「忍びざるのこころ」とも言われるこの情は、孟子の人間性善説の基礎になっている。井戸に落ちようとしている子供を見たときには、だれもがはっとして駆け寄って助けようとする。この、反省意識や理性的判断以前の心の動きに、孟子は人間の本性は善である証拠の一つを見た。
私にはこういう覚えがある。例えば、乗り物の中で、「この中に医師がいないか」という放送がある。そういうときに感じる何かである。ではすっと立てるかというと、そうではない。専門が違う、だれかが立ってくれるだろう、いまから急ぎの用がある、などなど、こういう言い訳はつねにわいてくる。結局、立たないままでいる口実は必ずあるので、その口実を無視するかしないかが決め手になる。もう一つは、恥をかかないかどうかである。いざ立って役に立たなかったり、間違ったことをしたら恥ずかしいということである。小学校のときに手を挙げて当たられたとたんに答えを忘れてしまった恥ずかしさは、生涯抜けないものだ。
ところで、私が思い切って立つと、わらわらと立つ人が出てくる。仲間がいる心強さがあるのだろう。やはり、最初に立つのは、学会で最初に質問するのと同じ、二番手とは違う、大変なエネルギーがいる。
「座視するのに忍びない心」というものは、確かにだれにでもあるのだろうけれども、それが発動するまでには葛藤があるということだ。いじめを見過すかどうかになると、その葛藤は大変だ。震災の場合には、返り討ちに遭うということはないし、一人だけということはないけれども、やはり、布団をかぶって寝てしまうか、立って走り回るかを分ける最初の一瞬というものがある。どちらになるかは最初は紙一重であると思う。いったんどちらかに踏み切れば、どんどんそちらのほうに行く、どうも、そういうふうに人間の心はできているらしい。(中井久夫「ボランティアとは何か」『時のしずく』所収)
…………
《「優しい」人は他人の加害性に関しては恐ろしく敏感である。だが、こういうかたちでたえず他人を裁き他人に暴力を振るっているという自分の加害性に関しては、都合よく鈍感である。》(中島義道『うるさい日本の私』)
他者に対して寛容でなければならないという私の義務は、実際には、その他者に近づきすぎてはいけない、その他者の空間に闖入してはいけない、要するに、私の過度の接近に対するその他者の不寛容を尊重しなくてはいけない、ということを意味する。これこそが、現代の後期資本主義社会における中心的な「人権」として、ますます大きくなってきたものである。それは嫌がらせを受けない権利、つまり他者から安全な距離を保つ権利である。(ジジェク「ラカンはこう読め!」p173)
些細な詩 谷川俊太郎
もしかするとそれも些細な詩
クンデラの言うしぼられたレモンの数滴
一瞬舌に残る酸っぱさと香りに過ぎないのか
夜空で月は満月に近づき
庭に実った小さなリンゴはアップルパイに焼かれて
今ぼくの腹の中
この情景を書きとめて白い紙の上の残そうとするのが
ぼくのささやかな楽しみ
なんのため?
自分のためさ
オレかい?
咄嗟に動くものは、一瞬のひるみの下に萎えるタイプだな
それでも知らんぷりして、「見たくないものを見ない〈心の習慣〉」(丸山真男)を保ってすましこむほどには洗練もされていないし、「優しい人」でもないつもりだが、これも実際に<出来事>に直面したらなんともいえないな
ロラン・バルトの「冒険」の定義は、「不意にやって来るもの」だが、不意打ちに弱いタイプでね
些細な変化に敏感で案外大変化に強いとか不意打ちにすごく弱いタイプというのは徴候的認知者らしくて、中井久夫はこのタイプだが、オレは大変化にも弱そうだな、布団をかぶって寝てしまうかも
「言葉を失う」という紋切型表現だけは、最近は敬遠しているけれどね
私自身、言葉に迷うことが増えた。「絆」「寄り添う」など、安易に使えない、使いたくない言葉が増えていく。「頑張って」は誰かを傷つける、「被災者」や「被災地」と十把ひとからげにしたくない、福島を「フクシマ」と記号にしていいのか……。どんな言葉も軽過ぎて、でも「言葉を失う」という常とう句も嫌だった。(「言葉」は変わったのか 谷川俊太郎さんから返信)