私はカルテを読んで頭にはいりにくければ、朗読し、筆写し、ワープロに打つ。その間で何かが私の腑に落ちてくる。明敏な頭脳の人にはさぞ迂遠愚鈍な作業と思われるであろう。しかし、私にはそうしないとわからない何かがある。「刑事は現場を百遍踏むそうだ」と私は自ら慰める。(中井久夫「訳詩の生理学」)
病者と非病者は、対をなすものではない。病者が「有徴者」(印がついたものthe marked)であるのに対して、非病者は無徴者であるから、「非病者」という否定的表現しかできないはずであって、「健常者」ということばはおかしい。(中井久夫『治療文化論』1990)
被害者は「有徴者 the marked」である。疎外されがちである。この疎外はおそらく非有徴者たちの生存に有利なのだろう。共感しうる少数者は、その共感による苦痛と、当事者でないことによる一種の罪悪感あるいは後ろめたさとの間に板挟みになり、さらに一般大衆からの疎外感を味わう。建前はともかく、実際に心的外傷の治療を志す医師が少ないこと、そういう医師が孤立しがちなこと、心的外傷患者が精神科医にも必ずしも歓迎されていないのではないかという恐れは、まだ治療法が確立していないという理由だけによるものだろうか。被害者の弁護を進んで行う弁護士も少ないという。それは弁護士が「加害者でメシを食っている」ためだけではないだろう。それにもかかわらず、とにかく、少数の人たちは、心的外傷という苦しい領域に敢えてかかわろうとしている。わが国では一九九五年以後、特に顕著となったといってよいだろう。それまで、個人的不幸は個人が耐え忍ぶべきものとされていた。犯罪報道の過熱が問題にされる今であるが、一九七二、三年以前は犯罪、特に少年犯罪は報道されず、少年の犯罪だと聞いただけで、もう、新聞記者は警察から引き揚げたと『毎日新聞』に書いてあった。(中井久夫「トラウマについての断想」初出 2006『日時計の影』)
女性に対する性的嫌がらせについて、男性が声高に批難している場合は、とくに気をつけなければならない。「親フェミニスト的」で政治的に正しい表面をちょっとでもこすれば、女はか弱い生き物であり、侵入してくる男からだけではなく究極的には女性自身からも守られなくてはならない、という古い男性優位主義的な神話があらわれる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)
このジジェクの文を、中井久夫のいう「有徴者」(被害者、病者)という語を使って、変奏してみよう。
――《有徴者にたいする差別について、非有徴者が声高に同情している場合は、とくに気をつけなければならない。「親有徴者的」で政治的に正しい表面をちょっとでもこすれば、有徴者はか弱い生きものであり、侵入してくる非有徴者からだけではなく究極的には有徴者自身からも守らなくてはならない、という古い非有徴者=「健常者」優位主義的な神話があらわれる。》
…………
だが傭兵だけではない、売春婦でもある、と。
これら当事者側に立とうとする理想的な態度としてよいかもしれない。だが中井久夫は次のようにも語っていることを忘れてはならない。
私が「ああそうだ」とその世界を生で感じたのは、犯罪被害者死を遂げた人の家族たちとの会合である。犯罪被害者支援の集まりの後の夕食会であった。被害者家族たちの食卓には他の誰も座っていない。一席だけ空いているところに私は座った。
その卓だけ明らかに何かが違っていた。新たに被害者になった人たちに対して長く被害者家族でありつづけていた人たちが話しかけていた。今のあなたがたは自分たちがとおってきた道の初めのほうにいる、時間だけが救いだ、被害者同士しかわかりあえない、などなど。
それはしめやかな雰囲気などでは全然なかった。家族たちは大声で語り、笑い、ビールの杯を重ねた。それと語る内容との大きな開きが異様であった。それが呼吸に努力を要するほどの「空気の薄さ」を生んだ。隣の卓の学者同士の談話が遠い遠いものに聞こえた。
それは「基本的信頼」を失った痛々しい傷跡だった。ふつう、行きあう人間は何ごともなく行きあう。私たちの日常である。たいていはそれ済むのだが、それがいきなりそうでなくなった人たちである。それからその後に来るもの。世界全体ががらりと変わる。
考えてみれば、私たちの「基本的信頼」には根拠がない。「そういう保証があるか」というのは、議論において相手の言葉を詰まらせる必殺の技である。神さえそういう保証はしない。私たちは、大地に「揺るがないもの」という基本的信頼を置いて道を歩き、家を建てている。このいわれない仮定が覆ったのが震災被災者である。大西洋岸でのリスボンの地震が、この世はありうる世界の中の最善の世界であるという十八世紀西欧の楽観論哲学をくつがえしている。
いくつかの無根拠な基本的信頼にもとづいて私たちは生きている。物理的世界の恒常性も、私たちの心身の健康も、社会的基盤の確実さも、人々の善意も、実際は、それは私たちがお互いに生きてゆくことを可能にしている仮定にすぎない。それが無根拠・無理由のいわれない基本的信頼である。これを疑うことは「杞憂」といわれ、たいていはそれで済む。
それは確率の問題である。そして、私たちの寿命の短かさが、重大な犯罪被害に遭う確率、地震、洪水、噴火などに遭う確率を少なくしている。一般に私たちの寿命が短いために運が不平等なのだといえるだろう。無常感は一世にして多くを味わった戦乱の中世に生まれた。
しかし、それは第三者の立場に立っての言説である。当人たちも、わが身に起こるまでは「ひとごと」でもあった。犯罪被害者で、「それまではひとごとと思っていたからバチが当ったのだ」と感じておられる方もあった。わが身に起こってはじめて、起こったことは取り消せず、失ったものと時間が呼び戻せないことを身を以て味わう。それは人生の不条理を知り、理不尽を知る「実存的」体験である。(中井久夫『徴候・記憶・外傷』「あとがき」より)
精神科医は傭兵のようなものではないか、と言う(『治療文化論』)。
「苦しい時だけの傭兵だのみ」(……)傭兵が状況をこえることができないのは、精神科医と同じである。時に突然解雇される。決して、秩序回復の日に招待され表彰されることはない。
そして信頼できるのは自らの技術と状況把握力のみである。傭兵にもっとも必要とされる資質は「即興能力」ability of improvizationであるという。眼前の状況をとっさに把握し、手持ちの材料だけを用いて、状況から最大のメリットを搾り出す能力ability of exploitationということができる。やま場において、雇い主はもちろん、状況の中にいるひとたちの誰をも頼りにしてはいけないし、できないのである。
相似性については、なお尽きないが、とにかく精神科医は、以上のことを「歎き節」ではなく、いうまでもない自明の前提条件として受け容れるものでなくてはならないと私は思う。
ビンスヴァンガーに、「きみは二階の陽光をたのしみたまえ、ぼくは地下室で仕事をする」といったフロイトは、この辺りの事情がよくわかっていたのであろう。
だが傭兵だけではない、売春婦でもある、と。
もうひとつの、私にしっくりする精神科医像は、売春婦と重なる。
そもそも一日のうちにヘヴィな対人関係を十いくつも結ぶ職業は、売春婦のほかには精神科医以外にざらにあろうとは思われない。
患者にとって精神科医はただひとりのひと(少なくとも一時点においては)unique oneである。
精神科医にとっては実はそうではない。次のひとを呼び込んだ瞬間に、精神科医は、またそのひとに「ただひとりのひと」として対する。そして、それなりにブロフェッショナルとしてのつとめを果たそうとする。
実は客も患者もうすうすはそのことを知っている。知っていて知らないようにふるまうことに、実は、客も患者も、協力している、一種の共謀者である。つくり出されるものは限りなく真物でもあり、フィクションでもある。
職業的な自己激励によってつとめを果たしつつも、彼あるいは彼女たち自身は、快楽に身をゆだねてはならない。この禁欲なくば、ただのpromiscuousなひとにすぎない。(アマチュアのカウンセラーに、時に、その対応物をみることがある。)
しかし、いっぽうで売春婦にきずつけられて、一生を過まる客もないわけではない。そして売春婦は社会が否認したい存在、しかしなくてはかなわぬ存在である。さらに、母親なり未見の恋びとなりの代用物にすぎない。精神科医の場合もそれほど遠くあるまい。ただ、これを「転移」と呼ぶことがあるだけのちがいである。
以上、陰惨なたとえであると思われるかもしれないが、精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う。(P197-198)
これら当事者側に立とうとする理想的な態度としてよいかもしれない。だが中井久夫は次のようにも語っていることを忘れてはならない。
あるいはジジェクなら、《犠牲者に「本気で同情する」》ことをめぐってなんと語っているか。
……たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。(ジジェク『斜めから見る』p260)
被害者の側に立つこと、それは正義感の捌け口に終るだけでしかないことがままあるのだ。
……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。
社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)
…………
ところで、メタレベルに立った言説はしばしば批判される。だがマルクスを想いだしてみよう。当事者、あるいは現場主義ではみえないものをみようとしたマルクスを。
レヴィ=ストロースは、若き彼の真の二人の師(マルクス、フロイト)を称揚しつつ次のように語っている。
フロイトは、仮説に立つと、より多くのものを説明ができるといっている。そしてレヴィ=ストロースが言うのと同じように、別のより高い説明価値がある仮説があれば、いつでも乗り換える用意があるともしばしば語っている。
ところで、メタレベルに立った言説はしばしば批判される。だがマルクスを想いだしてみよう。当事者、あるいは現場主義ではみえないものをみようとしたマルクスを。
レヴィ=ストロースは、若き彼の真の二人の師(マルクス、フロイト)を称揚しつつ次のように語っている。
分類から導かれた仮説が、決して真ではありえず、ただより高い説明価値があるかどうかだけが重要。(『悲しき熱帯』)
三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界(……)。
十九世紀は、一次的な証言の統合とは異質の視点からの事態の把握が、体系的な知の操作によっていくらも可能であることを人類に示した一時期でもあるということを忘れてはなるまい。
もちろん、その体系的な知にしても、所詮は一つの虚構に過ぎまい。だが、一つの有効な虚構を始動せしめることによって、直接的な情報の蒐集による歴史的な事件の了解とは比較にならぬ具体性をもって、証人の語る物語とは異質の物語が語りうるのである。(……)そうした直接的な証言性を超えた領域で、パリ・コミューンという歴史的なできごとの構造的な把握を可能にするだろう。一八七一年五月にパリにはいなかった一人の亡命ドイツ人が、ロンドンを一歩も離れることなくパリ・コミューンをめぐる興味深い物語を語りえたのはそのためである。(……)
問題は、マクシムにとって、その場に居合わせたわけでもない者に事態の分析を許す知の体系が、生身の証人が語る物語の限界をきわだたせるに充分な全体的視野の構築を許すという新たな説話論的な現象が、理解不能であったという点である。パリに育った生粋のパリジャンである自分だけが、パリという都会の蒙った騒乱の日々を語りうるのだと彼は信じて疑わない。(……)
(マクシムの)『パリ・コミューンの歴史』と「パリの痙攣」の二冊は、著者それぞれの政治的姿勢の違いにもかかわらず同じ構造の言説に属しており、基本的には、誰がより多くの正しい情報を持っているかという点にすべてが還元されるだろう。その場にいない人間に何が語れようかという、疲れを知らぬ旅人マクシムの一貫した立場(……)。
ところで、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化こそがジャーナリズムの基盤なのだから、こうした立場はこんにちまで根強く生き残っている。だが、ある種の十九世紀的な知の配置は、この種の立場に明白なかたちでさからいながら、二十世紀的な物語を準備しつつあったといえる。実際、ロンドンに亡命中のドイツ人が、事態の推移に寄りそうようにして『フランスの内乱』を書きえたのは、マルクスがそのような知の配置に敏感であり、またその配置の変革に創造的に関わりえたからにほかならない。その説話論的な戦略は、話者の説話論的な特権の否定だといってよかろうが、それはまた同時に、その場にいたという説話論的な特権の虚構的な肥大化としてあるジャーナリズム的磁場の根底的な批判ともいえるだろう。あるいはまた、語ることそのものに露呈される階級性批判としてもよいが、別のいい方をするなら、旅行記的な言説の根本的な否定ということにもなろう。
(……)実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
現場主義には限界がある。そのことを熟知したうえで、刑事のように現場を百遍踏むのは構わない。現場に数度訪れただけで、己れの見たいところだけ見て「オレは現場を知っている」という手合いがもっとも厄介だ。だが「ジャーナリスト」などほとんどそんな連中ばかりではないか。
たとえば東浩紀氏が書いたものがわたしの心に響いてこないのは、それがカタログ的な知から構成されているよう に見えるからです。基本にあるのはジャック・デリダや量子力学の名を借りた思想カタログもしくは思想フィクショ ンです。実際に砂漠のなかを歩いたか、ジャングルのなかを歩いたか、実際に異国の地で何年も過ごしたか、という ような、生身の体験や根源的な危機感が感じられない。自らは安全な場所に身を置いて、頭の中で順列組み合わせで 知識を再構成している。厳しい言い方をすれば、人も羨むエリート大学卒業生が書斎で捏造した小賢しいフィクショ ンです。迷える子羊たちはその人の言うことについてさえ行けば何とかなると思ってしまう。藤田博史
…………
理論的な態度と実践的な態度があるとして、片方ばかりを称揚しても始まらない。
木村の精神病理学は、精神病理学というものの両翼である基礎構造論と失調破綻発病論のうちで前者に力点をいれているので、破綻と修復の過程をもっぱら関与的に観察している私と補いあう関係にある(中井久夫「世界における索引と徴候」)