私の詩のなかで、〈手〉と〈掌〉という文字を探すことは、きわめて困難な筈である。それは私が意識的に、それらの文字を避けてきたからである。もちろん〈手足〉とか〈波の手〉とか類似の用語は若干あると思うが。(……)
〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性にもたれかかって、安易に成立った作品を見ると、私はやりきれない気持になる。
〈手〉や〈掌〉は、私の嫌いな〈文字〉ではなく、むしろ好きなほうである。〈手〉はこれからも必然性があれば使うだろうけれど、まだ私は〈掌〉という〈文字〉を書くことはないだろう。(吉岡実「手と掌」)
「翳」という文字がある。たとえば、日の光を受けた街路樹が、地に落すかげ、重なり合った木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない。心の具合が顔や軀の上に惨み出てユラユラ動いている場合も、「翳」である。(吉行淳之介)
吉岡実は《〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性》という。吉行淳之介は《木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない》という。両者は文字の象徴性にかんして全く正反対の態度のようにも見えるが、二人ともいかにも文字遣いへの繊細さを語っている(ふたりの言わんとしていることは、それだけではないのだろうが、ここでは深く追求しない)。
吉岡実の文字の象徴性にもたれかかることへの抵抗は、詩人だからということだけではなく、やはり吉岡の潔癖さにも由来するのだろう。《詩でね、変らない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変りたい》 (吉岡実)
吉行には「翳」だけでなく、「軀」という字への拘りがあるのはかつてはよく知られていた。散文だから象徴性が煩わしくならないということはあるのか、ーーだが、あまりに「軀」という漢字のエロティックさを強調することが重なれば、ときにうるさいと感じる人がいるのも想像されないではない。いずれにせよ、このような敏感さをもつのがすぐれた書き手の特徴であるのは、わたくしが言うまでもなかろう。
吉岡実の文字の象徴性にもたれかかることへの抵抗は、詩人だからということだけではなく、やはり吉岡の潔癖さにも由来するのだろう。《詩でね、変らない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変りたい》 (吉岡実)
吉行には「翳」だけでなく、「軀」という字への拘りがあるのはかつてはよく知られていた。散文だから象徴性が煩わしくならないということはあるのか、ーーだが、あまりに「軀」という漢字のエロティックさを強調することが重なれば、ときにうるさいと感じる人がいるのも想像されないではない。いずれにせよ、このような敏感さをもつのがすぐれた書き手の特徴であるのは、わたくしが言うまでもなかろう。
「軽薄にソネットを扱いそこにピタゴラス的な美をみないのは馬鹿げている」(ボードレール)。ピタゴラス的な美とは、”現実”や”意味”と無関係に形式的な項の関係のみで成り立つものである。(柄谷行人『隠喩としての建築』)
吉行のまだ比較的若い頃の作品では、「軀」ではなく「躰」が使われている。ここには「翳」も出てくるので引用しておこう。
「あたしを嫌いなくせに。あたしだって好きじゃない」
その言葉が、奇妙に僕の欲情を唆った。僕は娘の顔を眺めた。うっすらと荒廃の翳が、その顔に刷かれていた。僕は娘の躯を眺めた。紡錘形の、水棲動物めいた躯が衣裳のうえから感じられた。(吉行淳之介『焔の中』1956年)
吉行淳之介はかつて三島由紀夫の文体を《漢字の美的感覚に寄りかかり過ぎている》と批判している。だが後年《あの発言は自分の嫉妬からだった》と洩らすことになる。
もっとも文字面の美をどのように追うかは、作家のタイプにもよるようであり、谷崎潤一郎はその『文章読本』で、志賀直哉の文を引用して、《それを刷ってある活字面が実に鮮やかに見える》としてこの見事なお手本を繰り返し玩味すべきとしているが、続けて、流麗な文(和文調)と簡潔な文(漢文調)――源氏物語派と非源氏物語派――に分けて文章の美が説かれ、谷崎潤一郎自身は流麗な調子を好み、《この調子の文章を書く人は、一語一語の印象が際立つことを嫌います》と書かれることになる。
…………
吉岡実の詩には、漢字と平仮名の均衡を眺めるだけでほれぼれする詩行がある。
たとえば「子供の臀に蕪を供える」は「子供の尻に蕪を供える」ではけっしてないだろう。
そしてつねに「臀」が使われるわけではない。
「臀」は豊かにふくらんでいる部分を指すなどと説かれたりすることもあるが、吉岡実はもちろんそんな定義などにこだわりはしない。
「臀」は豊かにふくらんでいる部分を指すなどと説かれたりすることもあるが、吉岡実はもちろんそんな定義などにこだわりはしない。
・いつもパンを焼くフライパンの尻を叩きながら
・水着の美女の尻
ーーこの二つの詩行における「尻」は「臀」にするわけにはいかない(美感上、としておこう)。
いくつか視覚的にも美しい詩行を抜き出そう。
・誠実な重みのなかの堅固な臀
・驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた
・洗濯物は山羊の陰嚢
・母親の典雅な肌と寝間着の幕間で
・美しい魂の汗の果物
・いまは緑の繻子の靴に踏まれる森の季候
・賢い母親は夏の蝉の樹木の地に
・数ある仮死のなかから溺死の姿を藉りる
…………
吉行淳之介の代表作『砂の上の植物群』(1964)から、いくつかのパラグラフを行分け、かつ句読点を削除して抜き出してみよう。
…………
絶え間なく動いている女の唇だけが
目立っていた
その唇にも血にまみれたように口紅が塗られてあった
女というものの抵抗できぬ逞しさを示しているようにもみえ
見知らぬ動物の発情した性器のようにもみえた
彼の予想では川村朝子は白粉気のない顔で
ぎこちなく店の隅に佇んでいる筈だった
しかし彼女は真赤に唇を塗り
身軽に店の中を歩きまわり
物馴れた酒場女のような口をきいた
濃い化粧は彼女を醜くしてはいなかった
平素よりももっと
可愛らしく愛嬌のある顔になっていた
ただいかにも人工的な趣がつきまとっていた
そして時折ひどく成熟した
むしろ四十女といってよい表情が
その顔に現われる瞬間があるように見えた
その顔は手がかりの付かぬものを
いきなり眼の前に突き出されたように
彼にはおもえた
旅館の玄関に立って案内を乞うと
遠くで返事だけあって
なかなか人影が現われてこなかった
少女と並んで三和土に立って待っている時間に
彼は少女の軀に詰まっている
細胞の若さを強く感じた
そして自分の細胞との落差を
痛切に感じた
少女の頸筋の艶のある青白さを見ると
自分の頸の皮が酒焼けで赤黒くなっており
皮がだぶついているような気持になった
待っている時間は
甚だしく長く感じられた
ふたたび何かが軀の中で爆ぜ
兇暴な危険な漿液が軀に充ちてくるのを感じた
…………
太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである
娼婦たちの軀が熟したときに漂ってくる
多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい
それに消毒液の漂白されたようなにおい
の絡まり合った臭気とは
全く違ったものだった
…………
…………
…………
それ以外にも、中井氏は、文字に色を感じる「共感覚者」であるとは、氏のエッセイで何度か打ち明けられているところだ。この共感覚は、ランボー、プルーストも持ち合わせているのが知られている。
ーー参照:表象文化論学会2009研究発表4:共感覚の地平——共感覚は「共有」できるか?
より詳しくは、http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51545/1/Kitamura_panel.pdf
※附記
…………
明子の眼に映る札束は
金銭としてのものではない
明子に純潔を説いてやまぬ
姉の京子の軀の裂目から
露出した臓物のようなものとして
明子の眼には映っている筈だ
…………
長い病気の恢復期のような心持が
軀のすみずみまで行きわたっていた
恢復期の特徴に
感覚が鋭くなること
幼少年期の記憶が軀の中を
凧のように通り抜けてゆくこととがある
その記憶は
薄荷のような後味を残して消えてゆく
…………
立上がると
足裏の下の畳の感覚が新鮮で
古い畳なのに
鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた
それと同時に
雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや
縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや
線香花火の火薬の匂いや
さまざまの少年時代のにおいの幻覚が
一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた
…………
たとえば最後のパラグラフの、「におい」と「匂い」の使い方を注意してみてもよい。
「藺草のにおい」「蚊帳の匂い」「蚊遣線香の匂い」「火薬の匂い」「少年時代のにおい」の使い分けは、おそらく漢字とひらがなの字面の美感からくる選択ではないだろうか。
あるいはもうすこし上の引用には、《太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである/娼婦たちの軀が熟したときに漂ってくる/多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい/それに消毒液の漂白されたようなにおい》とある。
これらは字面というよりも、よい香りとそうでない香りによって、匂い/においと区別して使用していると考えられるもする。
「におい」という語に注意を払ったので、中井久夫の「かおり」「香り」「香」「匂い」の使い分けへの極度の繊細さをあらわす冒頭の文を引用しておく。この小論の末尾には「匂いの記号論」という表現がでてくることからも分かるように、匂いの徴候感覚に人にふさわしい出だしであるといえる。中井久夫の語句の選択の多様性は字面の美感とともに音調によることも多い。
…………
たとえば最後のパラグラフの、「におい」と「匂い」の使い方を注意してみてもよい。
「藺草のにおい」「蚊帳の匂い」「蚊遣線香の匂い」「火薬の匂い」「少年時代のにおい」の使い分けは、おそらく漢字とひらがなの字面の美感からくる選択ではないだろうか。
あるいはもうすこし上の引用には、《太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである/娼婦たちの軀が熟したときに漂ってくる/多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい/それに消毒液の漂白されたようなにおい》とある。
これらは字面というよりも、よい香りとそうでない香りによって、匂い/においと区別して使用していると考えられるもする。
「におい」という語に注意を払ったので、中井久夫の「かおり」「香り」「香」「匂い」の使い分けへの極度の繊細さをあらわす冒頭の文を引用しておく。この小論の末尾には「匂いの記号論」という表現がでてくることからも分かるように、匂いの徴候感覚に人にふさわしい出だしであるといえる。中井久夫の語句の選択の多様性は字面の美感とともに音調によることも多い。
ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。
それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。
金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。
二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこの香の出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。(中井久夫『世界の徴候と索引』)
中井久夫によれば、「もの」としての語、その物質的側面とは、語が単なる意味の担い手なのではなく、まずは音調があり、発語における口腔あるいは喉頭の感覚、あるいは舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もあるとする。
中井久夫の音調や音韻への驚くべき繊細さは次の文にも現れる。
これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。
さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。(「「詩の基底にあるもの」――その生理心理的基底」)
中井久夫の音調や音韻への驚くべき繊細さは次の文にも現れる。
…プルーストが「心の間歇」を題名の有力な候補としながら結局は最終的には却けたのはどうしてかについての憶測を記しておこう。題名としての言葉の美を比較すれば、最終題名「失われた時を求めて」A la recherche du temps perduはa音が多く明るさがあり、また流れるようなrechercheが滝壺のような淀みであるtemps perduで享けとめられて、心に訴えるその力はi、e、oeの卓越する硬く静止的な「心の間歇intermitterennce du coeur」と格段の相違である。また、題名の「射程」が大きく違う。
しかし、そういうこととは別に、この長篇小説が必ずしも「心の間歇」だけに光を当てたものではなくなっていったからではないだろうか。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)
それ以外にも、中井氏は、文字に色を感じる「共感覚者」であるとは、氏のエッセイで何度か打ち明けられているところだ。この共感覚は、ランボー、プルーストも持ち合わせているのが知られている。
ちなみに私の場合、ひらがな、カタカナ、漢字、ラテン文字、ギリシャ文字には一字一字に色彩が伴っている。文字が複合して単語になれば、また新しく色が生じる。それぞれ弁別性があるような、非常に微妙な色彩である。この「色」が単語の記憶に参加しているらしい。(……)
「文字の色」にかんしてよく挙げられるのはランボーの詩「Aは黒……」であるが、Aが黒であるはずはないと私は思っている。詩人は反対の色を挙げることによってショックを与えようとしているのであると私は読む。Aは多くの人に尋ねたが、ニュアンスの差はあっても皆「明るい赤」である。(……)
私の場合には、音と色の連合なのか文字と色との連合なのかほんとうにはわからない。またどこから始まったのかその起源も不明であるが、四歳の時にはすでに色を意識していた。たとえば、形容詞とそれが形容する名詞との「色が合わない」と私は使えないのである。(中井久夫「記憶について」『アリアドネからの糸』所収P121-122)
ーー参照:表象文化論学会2009研究発表4:共感覚の地平——共感覚は「共有」できるか?
より詳しくは、http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51545/1/Kitamura_panel.pdf
※附記
〔ランボーの〕母音のソネットほど有名ではないが、おそらく同じ程度に関与的なプルーストのつぎのテクストを思い出していただきたい。《……赤味をおびた上品なレースをまとったあんなに背が高く、そのいただきが最後の音節の古金色に照り映えているバイユーBayeuxの町。アクサン・テギュが古井由吉ガラス戸〔ヴィトラージュ〕に黒い木の枠の菱形模様をつけているヴィトレVitréの町。その白身が卵の殻の薄黄から真珠色へと変化するやわらかなランバルLamballeの町。脂肪質の黄ばんだ末尾の二重母音がバターの塔で上部を飾るノルマンディーの大聖堂、クータンスCoutancesの町》など。(……)
彼の音声的動機づけは(おそらくバルベックの場合を除けば)ほとんどすべて音と色彩との等価性を含意していて、ieuは古金色、éは黒、anは黄ばんだ色やブロンド色や黄金色、iは緋色である。(ロラン・バルト「プルーストと名前」)