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2013年5月12日日曜日

馬骨の好嫌


 ……個人の好き嫌いということはある。しかしそれは第三者にとって意味のあることではない。たしかに梅原龍三郎は、ルオーを好む。そのことに意味があるのは、それが梅原龍三郎だからであって、どこの馬の骨だかわからぬ男(あるいは女)がルオーを好きでも嫌いでも、そんなことに大した意味がない。昔ある婦人が、社交界で、モーリス・ラヴェルに、「私はブラームスを好きではない」といった。するとラヴェルは、「それは全くどっちでもよいことだ」と応えたという。(加藤周一『絵のなかの女たち』)


ひとは、生まれて此の方、「私は~が好きです」と言い表わすのを、周りのものから学ぶ。親から、教師から、友人から、そして書物やラジオ、映像などから。生意気盛りになれば、敬愛するつもりになった「芸術家」や「知識人」から。

彼らがふとその「とりまき」に洩らしたり、あるいは老境に達して書いたりする(いや老いに達せずとも、創造の泉が枯れたときに語られ書かれたりする)「心情的な」言葉に耳を傾け、そこで語られる「私はこれこれが好きです」「これこれを愛しつづけた」などを口真似したくなる。

だが、《どこの馬の骨だかわからぬ男(あるいは女)》が個人の好き嫌いを語っても《そんなことに大した意味がない。》

もっとも、大して意味がないことを知りながら、あるいはなんらかの意味があると錯覚して、ひとは、好き嫌いを他人に向けて語りたくなってしまう。とくに思いがけないものを見つけた場合はなおさらだ。もっともそれは何を見出したか、そしてその見出したものの質、見出した人の繊細さの多寡によって、声を大にして他人に語ったり、逆にひっそりと数少ない友にだけに語りたくなる、という相違はあるだろう。

……このような、やわらかで、しかも凛とした文体に1990年に出会うとは、奇蹟のようであった。そして、過不足のない文の運びがあった。ピトレスクな文章でないのに、読むにつれて過不足のないイメージがわいてきて、穏やかな現場感とでもいうべきものが私の中に満ち満ちるのであった。

まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)

中井久夫は当時、すでに数々の名エッセイを書いているのだから、この須賀敦子への愛の告白は「大して意味のないこと」ではない。だがそれにも関わらず、声をひそめて、むしろひとには触れ回りたくないとされている(中井久夫の書き物は、すべて依頼原稿であると自ら語っており、この文は『須賀敦子』特集の雑誌のために、”やむえず”書いた、--と言いうるかどうかは別にしてーー、声高に語る気配は全くない)。愛とは本来そういうものだろう。ホモ・ヒステリクス(感情を価値に仕立てた人間)の声高な賛嘆は、愛ではない。

たとえば当時、既に「文芸」の領域で、多くの著書を書いていた加藤周一は次のように書く、

私は藝術についての漠然として主観的なお喋りを、私自身のそれを含めて、好まない。(加藤周一著作集「芸術の精神史的考察 I」あとがき 1979


どこの馬の骨だかわからぬ男のひとりである<わたくし>は、漠然として主観的なお喋りを、ひそやかさを失って語ってしまったとき、これらの言葉を思い起し恥じ入る。


仮に声をひそめて語ったにしろ、人生は次のような孤独のかずかずであることを知らぬわけではないのに。

私はその驚きのことをときどき人に話してみたが、しかし誰も驚いてはくれず、理解してさえくれないように思われたので、私自身も忘れてしまった(人生は、このように、小さな孤独の数々から成り立っているのだ。) (ロラン・バルト『明るい部屋』)

だが、すでに評価の定まった作品ではなく「新奇」の作品に驚いたときには、ことさらひとに語りたくなるという欲望は抑え切れはしない。

岡崎乾二郎は次のようにいう、(「古谷利裕 岡崎乾二郎に関するテキスト」からであり、一部、岡崎の言葉を読み取った古谷氏が語っている部分もある)

作品から感じられた「何か」が、恣意的な気まぐれではなく作品に由来するということが証明されなければならないのか。それは何も、作品というものを擁護するためではない。もしそれが示さないならば、「私」の感覚が、「私」の外側にある客観的な世界とどのように繋がっているのか分からなくなってしまうからだ。
芸術作品を分析し批評するということは、本来他者を必要としないものかもしれない「経験の質」を、それでも外に向けて露わにして、他者に供するものとすることだ。 

もしわたしたち馬の骨が好き嫌いを語ることにすこしでも意味があるなら、この「経験の質」を語ってこそであろう。その行きかたは、一般に、二通りある。岡崎乾二郎が『ルネサンス 経験の条件』で試みたように、《あくまで形式的な次元で、作品がどのような論理によって構成されているのかを分析していく》(浅田彰)、そしてそれでも分析しきれない残余を自己の掛け替えのない印象とするのか、それとも対象の形式的側面からではなく、自己の内部にのびている印象からはじめる場合。

ーーここでラカンの<対象a>、あるいはロラン・バルトの「しみ」「プンクトゥム」などのいわば第三の仕方(いや、第二の道の変奏)に少しだけ触れるとするなら、対象の内には、すでの<私>が書き込まれているのであり、プルーストの芸術批評もこの範疇であろう。

《視線gazeと眼eyeとの二律背反的な関係を思い出してみよう。ラカンによれば、対象を見ている眼は主体の側にあるが、視線は対象の側にある。私が対象を見るとき、かならず対象はすでに私を見つめている。その点に立つと私には対象が見えないような、ある点から。》(ジジェク)



浅田彰自身はもちろん第一の形式的な次元、つまり岡崎乾二郎の立場をとる。

浅田:批評的立場を選んだからには、徹底して明晰であろうとすべきでしょう。僕は奇妙な形で文学にひかれています。妙に小器用で、他のジャンルのことはよく分かったような気がするのに、文学はどうしても隅々まで理解できない。ただ、そういう不可解なものを語るとき、それをまねるのではなく、明晰な理解可能性という、いわば貧しい領土にとどまって、ギリギリのところで書いていきたい。それが、自分にとって本当に分からないものの発見につながると思っていますから。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊  対談 大江健三郎&浅田彰)


「形式」的訓練を受けていないものは、後者によるしかないが、後者の立場をとる場合は、小林秀雄の亜流の批評家のように、《作品をダシにおのれを語るばかり》となってしまうことが殆んどだ。

もっともかつての「形式」分析から遠く離れたようにみえる天才たちの、いわゆる「印象批評」は捨てがたい。

あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。(プルースト『見出されたとき』)

プルーストの語りは、突如、《作品をダシにおのれを語る》ことから、《おのれをダシにして作品を語る》ことに反転する瞬間がある。若きプルーストが友人に、マラルメが愛人に捧げた四行詩(かつてはマネの愛人でもあったメリへの47回目の誕生祝のための)を語る箇所。


この喉の渇いた足は植物のように水を飲みに行く。これはわれわれの器官がそうであるところのあの目立たない存在、たしかに一個の生命でありながら、目立たない生命を生きているらしいあの存在がどんなものであるかをわれわれに見事に掴ませてくれる(……)。この足は食物の根のように水を飲む。そのあとで、いかにも足はうれしそうに、まるで渇きが止まったように感じていないだろうか。同様に水に祝福された足というのがえもいえず甘美だ。水は乱された無数のさざ波と一緒になった楽しげに浮かれていて、さざ波はさざ波で自分を踏みつけに来る美しい女の《足》にきらめく愛撫の囁きに来る。要するに親しい短信ともいうべきもののなかに、これほど多くの古風な言葉遣いや、偉大さや、神話や、趣味や、そして自然を見出すのはなんという楽しみだろう。(……)そもそも生命を厳かに祝祭することがマラルメの魅力なのであり、詩人の役割というものなのだ、―――やれやれ!
マラルメをめぐっての最も名高い書物のひとつ『マラルメの想像的宇宙』の著者ジャン・ピエール・リシャールは、このプルーストの解釈を評して、「これ以上完璧に《器官的な》理解はまず想像できないだろう」、と。(参考:デリダのリシャール殺しと蓮實重彦のルサンチマン


…………

さて、巷間に流布する「私の好き嫌い」の大半は、自らの「経験の質」を問うものではない。

もっとも、わたしたちが競いあって「好きな」作品の情報を流し合うとき、今だ巡り合っていない思いがけない「作品」を知る僥倖に遭遇することがないではない。

今は情報過多の時代なのであり、《情報量が多くなればなるほど、何がいいのか、何が面白いのか、人に聞かなくちゃわからない。》(柄谷)

この発言を受けて、浅田彰・坂本龍一・柄谷行人の鼎談(1996)で、《だからたいていのことは浅田君に聞くわけ(笑)》と応じるのは坂本龍一だ。


まあ情報は、どちらかといえば「どこかの馬の骨」に聞くよりも、「浅田君」の類の情報発信に頼りたいには相違ない。最近でも、「トリスターノによるブクステフーデ再発見」は、浅田彰らしい情報発信だ。

フランチェスコ・トリスターノとブクスフーデの紹介ばかりでなく、その記事にあるエミール・ナウモフ(グールドのピアノ曲を演奏したり、フォーレのレクイエムをピアノで演奏したり、異色の試みで知られる1962年生まれのピアニスト)の紹介もある。

――まあナウモフのことは知らなかったわけではなかったが。八歳の頃、ナディア・ブーランジュに見出され、ブーランジュ自宅での練習風景映像(グールトを撮りつづけたフルーノ・モンサンジョンによるもの)がYouTubeにある。この機会にあらためてすこし念入りに調べてみると、いまでは、かつての天才少年の瞳の輝きはまったく失せてしまい、うらさびれた気配を濃厚に漂わせた冴えない禿げ中年に成り下がってしまっているが、しかしながら、そのナウモフは、バッハのコラールを編曲したり、フォーレの唯一の四重奏op.121の二楽章(アンダンテ)をピアノ用に編曲して演奏をしたりしており、かつての面影をわずかに窺わせていることを知ることができた(かな?)。

いやいや、この「馬の骨」は、このop.121のアンダンテをひどく愛していて、ひっそりでも、声高でもなんでもいいから、語りたくなるのだが、まずいよな、ここで書かれている内容からしたら。まあ、そうはいってもナウモフがこの曲を編曲してこうやって聴かせてくれるだけでも、サワギたくなるぜ、ドウシヨウ? (「これは、ちょっと把えどころのないような夢幻的な超脱的な雰囲気の中で、それとはさだかでないが、しかし通じるものには通じるといった感触で、苦悩の跡があり、息苦しさと、それを静かに耐え忍ぼうとしている精神の働きがある……」、などと書いても、ワカンネエダロウナ、なあ、おい! この傑作の原曲を聴くヤツどころか、演奏する連中だって世界中に僅かしかいないんだから)ーー「人生は、このように、小さな孤独の数々から成り立っているのだ」。

…………

さて寄り道から戻れば、「どこかの馬の骨」、つまり形式的分析の訓練を受けていないものは、その凡庸さにもかかわらず、天才たちの物真似をすることになり、作品をダシにおのれを語るばかりで、それを「二重の貧困」(浅田彰)と呼ぶ。

そんなものが情報発信をしたって、「浅田君」のたぐいではない<わたしたち>の情報はうっちゃられても致し方ない。だがそれを何らかの価値があると錯覚して情報を互いに流し合って頷くようなことになれば、次のような現象が起こる。

まがりなりにも芸術的とみなされる記号は、読まれ、聴かれ、見られる対象としてあるのではない、ともにその名を目にしてうなずきあえる記号であれば充分なのである。だから、それを解読の対象なのだと思ってはならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

あるいは次のような欲望の場となる。
人間の社会的欲望には、他人を模倣して他人と同一の存在であると認めてもらいたい模倣への欲望と、他人との差異を際立たせ自己の独自性を認めてもらいたい差異化への欲望とのふたつがある───岩井克人「ヴェニスの商人の資本論」より
ーーここで書かれる「他者」は、ヘーゲルから抽出されており、ラカンの欲望の公式の<他者>とは全くことなることに注意。

人間の欲望は<他者>の欲望である。そこではde(英of)が、文法学者が「主観的決定」と呼ぶものを提供している。すなわり人間は<他者>として(qua 英as)欲望する。それゆえに<他者>の質問―――それは主体が託宣を期待する場所から主体へと戻ってくるのだが―――は、「汝何を欲するか?」というような形をとる。「汝何を欲するか?」は、主体を自分自身の欲望に導く最良の道なのである。(ラカン『エクリⅢ』)

ここでのラカンの<他者>とは、大文字の他者であり、ヘーゲルの「他者」は、小文字の他者である。


ヘーゲルの他者は欲望する者として主体も同様の欲望をもつことを必要とします。主体から承認を受けるためです。他者が欲するものはaです。ここにあらゆる袋小路の元凶があります。「わたしが対象として承認されるのであれば、そしてこの対象は見てのとおりそもそも意識、自己意識ですから、暴力以外による解決はありえません ふたつの意識のあいだで裁断を下すことがどうしても必要になる」からです。(ラカン『不安セミネール』を読む


つまり、ヘーゲル=岩井克人の小文字の他者aは、イマジネール(想像界)のナルシシズム(鏡像)の他者であり、「精神病的」(パラノイア的)なもの。そしてラカンの大文字の他者」Aは、神経症的なものにかかわる。

…………


さて元に戻れば、つまり「情報を互いに流し合って頷くようなことになれば」の続きだが、時に《にこやかな態度をたもつことを強要する威嚇作用》ともなりうる。

私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集めたこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざまな享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

…………

ところで、「私はこれこれが大好きです」とひとが問われもせずに連発するとき、その内容以外にも、別のことを語っている(これはラカン派では、「言表内容 enonce」と「言表行為 enonciation」の落差といわれるものだ)。


たとえばこんなことを語っているのが聞こえてこないか。

――私はこんなに趣味がいい人間なのです
こんな私を見てください、どうですこの私!


これがイマジネールなナルシシズム臭というもので、まあそれが好きな人も、それに鈍感な人もいるだろう。

問われもせずに、私はこれこれが大好きです、と連発するのは、上のようなナルシシズムだけではないかもしれない。淋しくて友を求めるルアー(餌)の場合もある。だが、そこにはやはり、この私に振り向いてください、というナルシスティックな押しつけがましさがあるので、なんともやりきれない。

フロイトは、『ナルシシズム入門』で、《ある人物のナルシシズムは、自己のナルシシズムを最大限に放棄して対象愛を求めようとしている他のひとびとにとっては非常な魅力をもつものだ》などと書いているが、他人のナルシシズムに魅惑される人もいるし、わたくしのようにその腐臭に鼻を抓んでばかりいる人間もいる。

まあフロイトが正しいならば、わたくしは自己のナルシシズムをまったく放棄していないということになるわけだ。


ナルシシストとナルシシズムを放棄した人間の関係であろうと、ナルシシスト同士がお上品に褒めあったりしている稀な場合であろうと、それは上に引用された岩井克人=ヘーゲルのいう欲望の場、あるいは巷間によくいわれる「承認欲求」の機制であるはずだ。

「承認欲求」の場の他者は、結局は「自己意識」なのであり、つまり主人と奴隷の関係であるとは、80年代に腐るほど語られた。

忘れてはならないのは、「私に似た」他の人々、競争や相互承認といった鏡像的関係を結ぶ私の同類たち、《私の似姿、鏡像としての隣人》、その裏側にはつねに、《根源的<他者性>、飼いならすことのできない怪物的<モノ>の計り知れない深淵が潜んでいる》(ジジェク)ことだ。時にその怪物的な<モノ>が噴出するのに耐えねばならない。

この怪物的<モノ>が、フロイトが『文化への不満』で語る「隣人」なのであり、またリルケの『マルテの手記』の隣人である。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(『マルテの手記』)
…………


いずれにせよ、ひとの発話は、なんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達するのであり、なにかを語っているとき、古くデカルト的にいえば、こう語る私はなにに囚われているのだろう、という問いを自らに発してみることもときには必要だろう。

ラカン派的にいえば、こうなる。

誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできま す。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

別にこれは発話だけの話ではないので、たとえばジジェクならこう言う、
大都市に住み、(どうみても彼には役に立たない)四輪駆動車を所有している男は、たんにきまじめで現実主義的な生活を送っているだけではない。むしろ彼は、自分がきまじめで現実的な姿勢という旗印の下で生活していることを示すために、そのような車を所有しているのだ。ストーン・ウォッシュのジーンズをはくことは、人生に対するある特定の姿勢を示すことである。(『ラカンはこう読め!』)

きまじめなポーズ、自由人のポーズ、あるいは上品なポーズ以外にも、思想家的ポーズ、文学的ポーズ、などいろいろあるだろう、いま、オレがこう書いているのは、いわば「精神分析」的ポーズや、ニーチェやプルースト的な「心理学者」的ポーズをとっているということになるのかね、――きみらのやっていることなんかとっくの昔にお見とおしさ! というのがオレの「メタ-言語学的位置」であるというわけだ。で、メタ言語的位置を白状している今は、なんのポーズだろう。こんなことを打ち明けるほどおれは誠実なんだ、という「誠実家」のポーズだ、――で、以下メタ言語的位置は無限連鎖してゆくということになるよな


まあ、こういった「いわずもかなのこと」を知ったかぶりで書いてしまうのが、「凡庸さ」ということなのであり、蓮實重彦に言わせればこういうことになる。

どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、しかもそう信じることの典型的な例外性が、複数の無名性を代弁しつつ、自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

まあ、オレは「自分の所属している集団」なんてものはないつもりだから、そして「有効な予言」どころか、どうせ誤読されるに違いないと思ってるからよ、「意識的には」、-ー容赦してもらうぜ。

(いや、わかってるよ、オレにも所属している集団があるのは。孤立を衒って、スノッブを回避しようとしながら、避けようとする身振りの単調さによって連帯するはしたない村の土民にきまってるだろう)



ーーーというわけで、この<わたくし>の度重なる「好き嫌い」批判、ナルシシズム批判というのは、《それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。》(フロイト)

人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト『囚われの女』)