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2013年4月29日月曜日

デリダのリシャール殺しと蓮實重彦のルサンチマン

蓮實重彦の「大江健三郎殺し」に引き続く。

…………


 まずは、さる、ほどよく「聡明」で「知的」な、と思われる人物の過日のツイート。

『「知」的放蕩論序説』の蓮實重彦「リシャール殺し」のところを読んだけれど、思っていた以上に文脈は複雑かもしれない。蓮實的視点には、ブランショとデリダVSリシャールとフーコー、という構図があるようだ。 pic.twitter.com/iVgatrzjQr

(承前)蓮實重彦が言いたいことはわからないでもないけれど、類稀なる知性を持つ氏は基本的に否定と反動の人じゃないかと思う。誰かを馬鹿として蔑むことでしか自分の聡明さを表現できないから。殺人事件なるものを捏造してデリダ派を殺人者に仕立て上げることでリシャールを擁護する姿勢もその表れ。


別人物)――蓮實といえばアラン・レネdisでデビューしたという、最初からdis芸の人ですよ

@芸の腕はあるんでしょうね。反動と否定のスタイルはドゥルーズがニーチェと共にルサンチマンと呼んだものだけれど。


何も蓮實重彦の人格を云々しようというのでもなければ、彼のDis芸の質が低いと言いたいわけでもない。ましてや蓮實なる存在を抹殺する事件を期待するのでもなければ、その存在を過小評価するわけでもない。蓮實なる説話論的磁場を傍らに押しやれなかった日本の批評の力のなさこそを嘆くのである。

――もうひとつ、蓮實重彦をルサンチマンとする真打のツイートがあったが、さすがに恥ずかしくなって削除したようだ。



まあこの人物がどういう系統の人かよくわからないが、前後のツイートを読むと、ブランショやベケットファンのようで、思想系のツイートをtogetterなどしてしばしばまとめているようであり(たとえばポール・ド・マンやナンシーなど)、それなりの「学究」なのではないか。すくなくともtogetterによるまとめでは、それなりに名の知れた若い「学究」たちの発言にまじえて自らのつぶやきも多く取り入れて並べており、たんなる無名のディレッタント、思想家や文学者の「とりまき」の一人であればそんな真似は恥ずかしくて出来まい。



たぶんブランショを愛するあまり、蓮實重彦ルサンチマン説を語ったのだろうし、微笑ましい存在ではある。――《愛しているときのわたしはいたって排他的になる》(フロイト『書簡集』)

いずれにせよ、『「知」的放蕩論序説』は、わたくしの手許になく、情報提供には感謝せねばならない。

さっそく蓮實重彦の「リシャール殺し」の箇所を写し取ろう。

……リシャールにあって人を惹きつけるのは、あくまでも流れであって、遠近感覚の形成にはむしろさからっている。というより、かろうじてあるかにみえる領域の襞を浸透によって液化し、見えなくしてしまう。最終的にはそれらの関係が見えてしまっても、そこにたどりつく過程では、眼をつむったまま流れにひきこまれるような印象を持つほかない。おっしゃる通り、確かに「リシャール殺人事件」は、ブランショ、デリダの系譜の中で進行するのですが、実は初期からもっと小さな反論がいろいろ出まして、ジュネットも書いています。それに対して、フーコーが反批判を試みている。「深さの暗喩に魅了された」リシャールが、「水面下のきらめき」をとらえようとしたとして非難されたが、それは誤りだとフーコーはいいます。ここに起こっているのは、いかなる境界も知らぬ言葉の塊だというのです。「まさに諸形式の溶解、それらの絶えざる敗走」を語ることで「言葉の裸形の体験」に迫ろうとする。それがリシャールの問題であり、多くの批判はあたらないというのです。こうして、デリダが問題にする五年くらい前に、フーコーによるリシャールの擁護があって、ある種の心理主義か形式主義に行きつくことのない流塊のようなものの運動について触れていたわけです。とすると、デリダはその擁護を知りつつ、ということは、フーコー批判にも通じるかたちでリシャールを批判する。彼は、リシャールが「ブリ(襞)」というものをテーマにしてしまったのが気に入らないわけです。彼には「あいだ」という主題があって、その「あいだ」には何もない。その「あいだ」にグラデュエーションを設けてしまうのがリシャールであって、そうすると「あいだ」というものも消えてしまう。しかし、問題は、そのような場における殺人ではない。つまりデリダは随分と戦略を持ってリシャールについて書いているんですけれども、そのことも知らずに、もっとも繊細なリシャール的な読み方さえ知らずに文学が語れると思ってしまう鈍感な人たちが、フランスのみならず、日本にもアメリカにも生産されてしまっているということが問題なのです。その生産に、デリダははからずも手をかしてしまい、その責任を、デリダは取ることができない。けれども、倫理は、デリダに取れと要請していると思う。ただ、その要請に関して、デリダは今のところ応えていないし、要請すらなかったことにしているのが、この殺人事件の最大の問題だと思うんですね。要するに、デリダは、「知」の放蕩息子の存在を否定してしまった。しかし、それはみずからが蕩児として振舞っているデリダ自身の否定につながりかねない……(蓮實重彦『「知」的放蕩論序説』)


リシャール殺しについては詳しくないが、蓮實重彦にとって、《文学的にいって僕が進んで影響を受けた人物は二人しかいない。これは隠すまでもないし、しばしば公言していることですが、言葉やイメージにどう接近するかという姿勢において快いモデルとして、ジャン・ピエール・リシャールとアンリ・フォシオンを持っている。問題のたて方とか、方法論といった問題ではなく、対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法を学んだのです》(『闘争のエチカ』)と語られているから、リシャールが敬愛の対象であることは間違いない。

蓮實重彦がリシャールに多く言及するのは、『『批評あるいは仮死の祭典』(1974)の最終章のリシャール論であるがこれも残念ながら手許にない。

いま手許にある『表象の奈落』所収のデリダ論、『「本質」、「宿命」、「起源」』において僅かながらの言及があるが、そこには初期デリダの「力と意味」(1963)に触れつつーージャン=ピエール・リシャールの『マラルメの想像的宇宙』は1961年に刊行されているーー、デリダが書く《文学の批評は、あらゆる時代に、本質によって、また宿命によって、いつも構造主義的である》という文をめぐって書かれる。

この文は、伝統的なイデアリズム批評、――「《思想》とか《内的構想》が書物に先立って、書物は単にそれを書き表すだけだ、と考える先行論」、その「神学」的たることをまぬがれぬこの「伝統批評」の観念論批判としての「構造主義的」であることの擁護としてとりあえずは読むことができるだろう。

しかしそれは単純なものではない、

《「文学の批評は、あらゆる時代に、本質によって、また宿命によって、いつも構造主義的である」と書くことには、いまなお人類によって大がかりに共有されている「神学」的な治癒への祈願をあらかじめ封印する機能がそなわっていたといえる》とはいえ、《その程度の機能しか想定せずにテクストを書き綴るほどデリダが低次な論争的主体ではないことを、人はよく承知している》と蓮實重彦は書く。


そしてデリダの「構造主義的批評」を批判=吟味する文が、――デリダ自ら「未来の思想史家の視点」をフィクションとして想定し、その歴史的な視線が何を見落とすかを指摘することから始まる戦略性をもってーーとされるが、その高度な戦略的文が引用される、

たぶんあすの日には、人はこれをふとした逸脱とは呼ばないまでも、力それ自体の緊張としての力への注意集中のさなかに起こった一つの弛緩現象として解釈するだろう。力を、その内部において把握する力をもはや人が持っていないときには、形式が魅了する。

こうしてデリダのリシャール批判=吟味をめぐる言葉が引用されつつ、次のように書き綴られる。

 《『マラルメ』の著者ジャン=ピエール・リシャールの構想する「構造的な《透視図》」は、「古典的な歴史の決定ずみの全体性」とは異なるといえ、なお「形式」による中和作用をこうむることで「力が退いていったあとの全体性」たらざるをえないと断定する主体》は、《リシャールの『マラルメ』を「本質」と「宿命」によって「構造主義」的たらざるをえない「文学の批評」と見なしている》――、いやこれでさえ果たしてこう語っている主体はデリダだろうか、あるいは未来の思想史家なのか、と、読者は、蓮實重彦とともに、虚空をまさぐる宙吊りのもどかしさに耐えざるをえないのが、デリダのテキストというものである。


しかしながら、いずれにせよ、蓮實重彦はリシャールから《方法論》ではなく、《対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法を学んだ》とするのだから、それがデリダ本人であろうと未来の思想史家だろうと、デリダのテキストにおけるリシャール吟味の「力が退いていったあとの全体性」という言葉には、異議を呈せざるを得ない立場にあることは窺われる。もちろん、冒頭近くに引用された『「知」的放蕩論序説』のフーコーのリシャール擁護の言葉、「まさに諸形式の溶解、それらの絶えざる敗走」を語ることで「言葉の裸形の体験」は、蓮實重彦の「対象としての言葉をどう愛撫するかという愛の技法」と共鳴する。


蓮實重彦の「テーマ論」的な読み、それは作者の意図によって限定されたコンテクストの中では仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせることにある。これが意味の戯れ、無数の意味の闘いの場、「表層」を愛撫する愛の技法といわれるものだ。その見事さはわたくしの知るかぎり『夏目漱石論』に著しい。

蓮實重彦はことあるごとに私はデリダ派ではない、とは語る。

しかし、《いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され、孤児としてその誕生時より自らの父の立会いから分離されたエクリチュールーーーこうしたエクリチュールによる本質的な漂流……》(デリダ「署名、出来事、コンテクスト」)を引用しつつ、こうも書かれるのだ。

私はいわゆるデリダ派に属する人間ではないが、この「いかなる絶対的な責任からも最終審級の権威としての意識から切り離され」たというエクリチュールの「孤児性」という概念には深い共感をいだかざるをえない。その「孤児性」なくしては、仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせることとしての「読むこと」は成立しえないからである。(「『赤』の誘惑」をめぐって)

この《仮死状態に陥っている言語記号を目覚めさせること》が、蓮實重彦の悪評?高い「表層批評」なのであり、あるいは「魂の唯物論的擁護」の内実であるだろう。それは『闘争のエチカ』の語りを読めば明らかだ。


……みんな、批評というものを解釈だと勘違いしてしまったんですよ。解釈といったって、形式を読むこともしなければ、ましてや魂の唯物論的な擁護などと思ってもみない。共同体が容認しうるイメージへと作品を翻訳することを意味の解釈だと思っちゃった。(……)  批評の第一の役割は、作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げることであり、それを閉ざすことではない。ところが、みんな、無意識に意味生成の場を狭めればそれが主体的だと思ってるんです。僕はそれを可能な限り豊かなものにすることを一貫してやってきた。べつに、意味を無視したわけじゃあないんです。読むことって、無数の意味の闘いでしょ。表層というのは、その闘いの現場であるわけです。解釈が始まるのは、その闘いの現場を通過してからの話でなければいけない。



魂の唯物論的な露呈をさまたげているもの、それはイメージです。観念といってもよい。つまり、表象可能なものによってしか批評が支えられていない。ここで魂というのは、いささかも宗教的な意味はないし、また、プラトニズム的な色彩も含んではいないものです。むしろ、ドゥルーズのいうアンタンシテ(強度)に触れて具体的に他となる部分が魂であって、唯物論的というのは、たんなる物質というのではなく、肉体的な運動、つまりアクションを必然化するものなのです。宗教やプラトニズムの残滓が、魂の唯物論的な露呈をさまたげているというべきなのです。その意味で、現代の批評は、宗教的でプラトニズム的だとさえ言えると思う。

僕が表層批判ということを、あえて誤解を覚悟でいったのは、そうした現状にいらだってのことです……。 (批評をめぐって(蓮實重彦)―――『闘争のエチカ』より

…………

《殺人事件なるものを捏造してデリダ派を殺人者に仕立て上げることでリシャールを擁護する姿勢》と書く冒頭の研究者だか編集者だか、あるいはそれ以外か、ただ思想、文学好きの人物だけなのか、そのあたりはうかがい知れないが、これらを読めば、それは誤解であることがわかるだろう。

わたくしも、どちらかというと「愛」の人であり、蓮實重彦を《類稀なる知性を持つ氏は基本的に否定と反動の人じゃないかと思う。誰かを馬鹿として蔑むことでしか自分の聡明さを表現できない》などとされると、どうもこの人物のいう「ルサンチマン」に陥りそうである。ときに悪口雑言もあるには違いない蓮實重彦の「イメージ」、その「先入観」の暴力のみでこんなことが言われているのではないか、と恋人を貶された初心な若者のように頭に血が昇ってしまう。リシャール殺しのデリダへの反撥を離れて(つまりこれについてはたいしたことを知っているわけではないので文句をいう筋合いはない)、このように一般論として「基本的に否定と反動の人」などと語られると、なぜか《不快な渇きが僕の血管の血をにごらせ》る(ランボー「いちばん高い塔の歌」)。



しかしながらここは大人しく節度をもって、ああいった連中が、蓮實ルサンチマン説を頷き合って喜んでいるのを垣間見つつ、いささかの憐笑を口に浮かべながら、「まぁ、世界というのはその程度のものだと思います」と、蓮實氏とともに諦めの呟きを洩らすだけにしておこう。

蓮實重彦の「大江殺し」をすこしまえまとめたが、おそらくデリダの「リシャール殺し」とは意味合いが異なるとはいえ、蓮實によって「~殺し」と語られるときのニュアンスが彼らにはまったく分かっていないようにしか思えない(ーーなどと文句をいうのは、蓮實重彦への「愛」によって「排他的」になった<わたくし>の苛立ちによると重ねて書いておく)。

殺すこと、それは、《僕は、同時代の批評家の義務は、時代を先導しつつある作家を殺すことにあると思う。つまりその物語を解体するということですね。》(『闘争のエチカ』)と語られる。そしてその「大江殺し」、つまり大江の物語の「解体」後、大江健三郎の圧倒的優位を『小説から遠く離れて』で書く、それは、《記号でも作品でもいい。文章でもかまわない、それを、ものとして、物質として、それが語られているその場で、みずから輝かせることが批評ではないか》(『闘争のエチカ』)の実践であり、かつ「作品の意味が生成される可能性を思い切り拡げる」<肯定>の人の振舞いである。

『「知」的放蕩論序説』で、デリダの責任と倫理が語られるとき、「リシャール殺し」の後、「知」の放蕩息子の義務を負った蕩児デリダは、リシャールの顕揚でなくてもよい、別の対象なり別の仕方で、なにかを「輝かせる」ことがされただろうか、と語っているようにも思えるが、このあたりも詳しくはわからない。


次の文をどう読むかは、愛の対象の相違によって、異なるのだろう、《デリダは随分と戦略を持ってリシャールについて書いているんですけれども、そのことも知らずに、もっとも繊細なリシャール的な読み方さえ知らずに文学が語れると思ってしまう鈍感な人たちが、フランスのみならず、日本にもアメリカにも生産されてしまっているということが問題なのです。その生産に、デリダははからずも手をかしてしまい、その責任を、デリダは取ることができない。けれども、倫理は、デリダに取れと要請していると思う。ただ、その要請に関して、デリダは今のところ応えていないし、要請すらなかったことにしているのが、この殺人事件の最大の問題だと思うんですね。要するに、デリダは、「知」の放蕩息子の存在を否定してしまった。しかし、それはみずからが蕩児として振舞っているデリダ自身の否定につながりかねない……》

ところで、ニーチェの教えの、《既成の価値の批判を断行》と「ルサンチマン」は識別しがたいとでもいうのか、「既成の価値の批判」を安易に「ルサンチマン」などと語られることはないのか、――「通念となった価値(ドグサ)批判」のコインの表裏でありえる感情は、ときには嫉妬という意味での「ルサンチマン」としてもよい場合があるのだろうか。

あのルサンチマンとはほど遠いロラン・バルトでさえ、何度も<ドクサ>批判をしているではないか。


“ドクサ”(このことばは今後もたびたび登場するはずだ)、それは“世論”であり、“多数派の精神”、“プチ=ブルジョワの全員同意”、“先入見の暴力”である。外観や世論や便宜に適合した話しぶりいっさいを、《ドクソロジー》と呼ぶことができる(ライプニッツから借りた用語)。(『彼自身によるロラン・バルト』)


ときにどうしても守らなければならないものがあれば、ゴダールのように、背中からでも撃つ必要があるのであろうが、そこにも「ルサンチマン」は読みにくい。


デリダのリシャール殺し、蓮實重彦の大江殺し、ゴダールのトリュフォー殺し、あるいはここで唐突に『アンチ・オイディプス』における「フロイト殺し」や「精神分析殺し」を思い出してもよい、それらは、そのときの「時流」、「物語」、「ドクサ」を「標的」として、それが殺す対象だったということなのであり、それは「既成の価値の批判を断行」なのであって、けっしてルサンチマンなどではない。

 山田宏一によれば、ゴダールのトリュフォー殺しは次のようなものではないかと書かれる。
二人の確執はヌーヴェル・ヴァーグという家族の中で起こった兄弟喧嘩にすぎない。「やさしさ」に埋没したトリュフォーをもう一度そこから抜け出させ、かつてのあの「フランス映画の墓堀り人」とまでよばれた批評家時代のトリュフォーの怒りをめざめさせるためには、ゴダールの執拗なまでの憎悪と挑発が必要だったのだ。そのように言う人もいるそうだ。

蓮實重彦の「解説…アイリスに憑かれて」によれば、《そして、葬儀に参列しなかったゴダールの口から何度ももれたフランソワという名前の、ひたすら何かを悔いているような響き。》ーー「〔増補〕トリュフォー、ある映画的人生」山田宏一・著



ゴダールはもちろんのこと、蓮實重彦の振舞いがすこしでも次のようであるかどうか、とくと振り返ってみたらいい。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)


まあ蓮實重彦も口が悪いには違いないので、それはルサンチマンというものではなく、「精神の健康のあかし」なのではないか、と「愛」の人である<わたくし>はニーチェとともに呟いてみる、――《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

あるいはニーチェ=ドゥルーズとともに、蓮實重彦の70年代からの数々の批判、それは小林秀雄であったり大江健三郎、江藤淳批判でもあり、その後にも、村上春樹やら、丸谷才一など、枚挙に暇がないが、あれは既成の価値批判を断行する「ライオン」のようだ、としてみる。


『ツァラトゥストラ』の第一部は、次のような三つの変身の物語で始まっている。
 「どのようにして精神は駱駝となるか、またいかにして駱駝はライオンとなるか、そしてライオンはついに小児となるか」。駱駝とは荷を担ぐ動物である。駱駝は既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担いでいる。駱駝はそうした重荷を担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する。ライオンは諸々の彫像を壊し、重荷を踏みにじり、あらゆる既成の価値の批判を断行する。そしてそのライオンの役目はついに小児となること、すなわち<戯れ>と新たな始まりになること、新しい価値および新しい価値評価の原理の創始者となることである。
 (……)三つの変身のあいだにある断絶は、おそらくまったく相対的なものに過ぎないだろう。ライオンは駱駝のうちにも現存しており、ライオンのなかには小児がいる。そして小児のなかには悲劇的な結末が存在しているのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』)

終生、駱駝でしかありえないほどよく聡明な、つまり凡庸な研究者たちは、蓮實重彦の嘲弄がこたえるにはちがいない。

みんな、文学は教えられないというけど、文学の教育は可能なんです。日本では、文学教育のプロフェッショナルがいなかったというだけのことです。文学部系のアカデミズムがあまりにも弱体だったので、教育が機能しなかったのであり、そのうち、みんががあきらめちゃった。これは、不幸なことですよね。これが有効に機能していたら、いまの批評家の半分は批評家にならずにすんだと思う。自分の趣味とは関係なく、文学の名において、おまえは才能がないと言う人がいなかったんです。(『闘争のエチカ』)

もちろん駱駝たちも、たとえば情報提供者としてひどく役に立つこともあるわけで、 ポストモダン批判のおりしばしば語られたように、駱駝も経ず、ライオンも経ず、小児のまま<戯れ>にのみ耽溺する<わたくし>のような人間よりはずっと好ましい。まずは駱駝のように、既成の諸価値の重圧を担い、また教育の重荷を、道徳とか文化・教養の重荷を担がねばならぬ。

《駱駝はそうした重荷を担いで砂漠へと向かい、そしてそこでライオンに変身する》--砂漠へと向かうには、孤高に耐える強さがなくてはならない。


冒頭の蓮實重彦ルサンチマン説の人物はそろそろ駱駝としてだけ振舞うのではなく、ライオンの振舞いを真似てみたところ、いささか時期尚早であったのか、それとも砂漠に向かわずに、居心地のよい「村」社会の、気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいを交わすことのできる納屋の片隅に居座り続けてたいした荷物も背負っていなかったせいかは判然としないが、そのためライオンでなく雌猫の仕草のようにしかみえないというだけであり、いくら可愛らしい仔猫に過ぎないとしても、その勇気には賞讃を送りたい。



ここで鈴木創士氏のツイートを思い出しておこう、ーー《ああ、学者と称する人たち、哲学者、研究者と称する人たち、芸術家、作家も少し…俺は編集者まがいのこともやってたし、いまもほんのちょっだけやってるので、彼らがどれだけ頭が悪く、人格もなってなくて、くだらない連中かということに口を蓋できないときがある。特におっさんが最悪だ。お生憎様!》