このブログを検索

2013年5月13日月曜日

死者たちはなぜ戻ってくるのか?


死者たちはなぜ戻ってくるのか?
彼らが正しく埋葬されなかったから
彼らの葬式はどこか間違っていた
象徴的儀式の不全に憤る死者
死者は未払いのままの象徴的借金を
取り立てるために戻ってくる

ラカンの教訓
アンティゴネーとハムレットの父親の亡霊
「生ける死者」として執拗に<あなた>を付け回す
残虐な復讐と狂った高笑いに引き裂かれた人間の姿で


あらためていうまでもないが、象徴化そのものは象徴的殺人と同じである。われわれは何かについて語るとき、その何かの現実性を保留し、括弧に入れておく。まさにそれだからこそ、葬式は象徴化をもっとも純粋な形で例証しているのである。葬式を通して、死者は象徴的伝統のテクストの中に登録され、その死にもかかわらず共同体の記憶の中に「生き続ける」だろうということを保証される。一方、「生ける死者の帰還」は正しい葬式の裏返しである。正しい葬式にはある種の諦め、すなわち喪失を受け入れることが含まれているが、死者の帰還は、伝統のテクストの中にはその死者の場所がないということを意味している。ナチスによるユダヤ人大量虐殺とソ連の強制労働収容所という二つの大きな外傷的出来事は、二十世紀における死者の帰還の典型的な例である。その犠牲者たちの影は、われわれが彼らを正しく埋葬するまで、すなわち彼らの死という外傷を歴史的記憶に組み込むまで、「生ける死者」として執拗にわれわれを付け回す。(ジジェク『斜めから見る』「<現実界>はいかに回帰して、応答するのか」P54

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは
                        口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへとよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ
……

パウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」)




もちろん「生ける死者」は日本にもいる

加藤周一は日本は、大勢順応の習慣が強い国であると言っている。そのため、現在の出来事には関心を強く持つが、過去や未来を現在と関係づけて見るということを余りしない。それは、過去の事実、ことに不快な事実を正面から見る習慣がないとということになる。このことは、まさに靖国神社参拝に対する日本とアジア諸国の温度差により確認できる。また、この温度差は上記したことに加え、日本が適切な処理をしていないことの表れでもある。更に加藤周一は、日本人にははっきり良かった悪かったということの意識が明瞭ではなく、そんなに悪くなかったという考えがある。そしてそれがためにその考えは常に息を吹き返す可能性があるとも言っている。(矢内原忠雄の植民地研究における植民地の事実確認www.ritsumei.ac.jp/~yamai/8kisei/sasaoka.pdf 

<あなた>には関係がないか
だが一億総懺悔の二十一世紀版「絆」のなかに
共感の共同体」のなかにいるではないか

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(「加藤周一 戦後を語る」)

そこの<きみ>
そんな処でまで
戦争犯罪を生み出した
社会的、文化的条件存続
の貢献に励むな

仲良し同士の慰安感の維持
和を以て貴しとする精神
見たくないものを見ない心の習慣
<きみ>のそのはしたない心や振舞を捨去れ

<きみ>の成熟
子供っぽいロマン派の夢を捨てて
「現実」に「責任」のとれる「大人」になるだと?
それこそがもっとも子供っぽいロマン派の考え方

停滞をとりあえず成熟と呼ぶことで
みんながおのれの貧しさを肯定しあう
その輪から逃れろ

<きみ>は今いったいどこにいるつもりか
愛想笑いをするな
もっと滲め


もっと滲んで  谷川俊太郎

そんなに笑いながら喋らないでほしいなと僕は思う
こいつは若いころはこんなに笑わなかった
たまに笑ってくれると嬉しかったもんだ

おまえは今いったいどこにいるつもりなんだい
人と人のつくる網目にすっぽりとはまりこんで
いい仕立てのスーツで輪郭もくっきり

昔おまえはもっと滲んでいたよ
雨降りの午後なんかぼうっとかすんでいた
分からないことがいっぱいあるってことがよく分かった

今おまえは応えてばかりいる
取り囲む人々への善意に満ちて
少しばかり傲慢に笑いながら

おまえはいつの間にか愛想のいい本になった
みんな我勝ちにおまえを読もうとする
でもそこには精密な言葉しかないんだ

青空にも夜の闇にも愛にも犯されず
いつか無数の管で医療機械につながれて
おまえはこの文明の輝かしい部分品のひとつとなるだろう

          (『世間知ラズ』より)