「たとえば<愛>という言葉の中身が、年齢とともに経験を重ねて、私の場合若い頃に比べて深まっていると感じています。同じようなことが震災という言語化し難い大きく深い経験によって、多くの人にたとえば<絆>という言葉に起こったのではないかと考えられます。しかしメディア上で多用されるにつれて、この言葉の中身は急速に軽く薄くなってゆき、個人の心の中ではかけがえのない大切な言葉だったものが、ただの決まり文句に堕していったのも事実でしょう」(震災後、「言葉」は変わったのか 谷川俊太郎さんから返信)
絆
一億総懺悔の現代版
責任の所在を隠すときに使われる
ときに「寄り添う」と言い換えられる
学校教育の場でもいじめ事件の折などに使われる
「クラス全員が反省しています」
みんなに責任があると言いながら誰も謝罪しないこと
「震災が原因で書けなくなったこと、書きたくなったこと、書かねばならないと思ったことはありません。<言葉を失った>という言葉が新聞、テレビなどのメディア上でしばしば見られましたが、本当に言葉を失ったのなら沈黙するかもっと寡黙になるはずなのに、目についたのはむしろ過剰なまでの饒舌だったと私は感じています。
私自身は震災後、善かれ悪しかれ平常心を保っていられたので、普段の生活では饒舌にも寡黙にもなりませんでしたが、私的な日常の言葉と公的な詩の言葉とでは、少々発語の次元が異なるので、詩に関しては寡黙に傾きました」(同 谷川俊太郎)
言葉を失う
絶句ともいう
減らず口の常套句
何にでも口を出すのを義務とこころえる
インテリ連に多用される
一歩下がって身を引くことには縁がない
追悼式の日に
「自分は追悼を拒否する」
「今さら感慨めいたことはいいたくない」
「突然ひとが311を語りだしたのを怪訝におもう」
などとノタマウことになり
口を塞ぐことができない
「人々がどんな言葉を求めているかは、私には分かりません。ただ、社会に大きな出来事が起こったとき、その衝撃から逃れようとして、人々には短く要約された言葉、スローガン的な言葉を求める傾向があると思います。感性に訴える詩が、理性に訴える散文よりも震災後の人々に力を持ったとすれば、詩の言葉がその曖昧さ、多義性によって、理性が及ばない意識下の混沌に届いたからではないでしょうか。情報、解釈、意見の洪水からのつかの間のカタルシスを、詩というジャンルが担ったのではないかと思います」(同 谷川俊太郎)
《アウシュヴィッツ以降、不可能なのは詩ではなく、散文である。収容所の耐え難い雰囲気を詩的に喚起することは功を奏する。(……)言葉がついえる時音楽が現れるという警句に耳を傾けるべきである。》(ジジェク『暴力ー6つの斜めからの省察』)