『この傑作では、すべてが、完璧で、必然で、変更の余地が全くない』と、この曲(ベートーヴェン 作品 131)について賛辞をおしまなかったのは、晩年の死ぬごく前の、ストラヴィンスキーであった。
ストラヴィンスキーという人は、本当におかしな芸術家だった。二十歳そこそこであの最高のバレエ音楽、特に《春の祭典》を書き上げたのち、バッハに帰ったり、ペルゴレージからチャイコフスキーに敬意を表したりした末、晩年にいたって、ヴェーベルンに「音楽の中心点」を見出すに至ったかと思うと、その後長生した数年のあと、いよいよ死ぬ時をまつばかりとみえたころになって、今度はヴェーベルンも、自分の作品も、もうききたくないと言いだし、みんな投げすててしまい、ベートーヴェンに熱烈な賛辞を呈しつつ、死んでいった。これは、どういうことだろう? もっとも、ストラヴィンスキーは、若いころだってベートーヴェンの偉大さを認めてなかったわけではないと、後年、ロバート・クラフトに述懐しているが、しかし、それもまた奇妙な事情の下で、だった。というのは、彼は、一九二二年《ルナール》の初演のあと、招かれていたパーティでマルセル・プルーストに出会った。
『プルーストは、ストラヴィンスキーとは戦前〔第一次大戦〕すでに知りあいになっていたが、〔このパーティで〕最初に口をきいた時、荒れ模様の初演を終えたばかりの大作曲家に呈する質問としては、もっとも無器用な質問を彼にむけたのだった。―― 「ベートーヴェンはお好きですか?」 ――「大嫌いですよ」――「しかし晩年の四重奏曲などは ……」とプルーストは抗議した。「彼が書いたもののなかで最悪の作品ですよ」とストラヴィンスキーはどなった』(ペインター、岩崎力訳《マルセル・プルースト》)
晩年になって、この時の様子を改めてクラフトにきかれると、こう弁解したのだ。『プルーストは、直接彼のベッドから、例によって、夕方おそく起きて、やってきたのだった。まっさおな顔をして、こったフランス式の服装に、手袋をはめ、ステッキをもっていた。彼は、私に音楽の話をしかけてきて、ベートーヴェンの後期の四重奏曲に対する感激を吐露していた。これは、当時のインテリ文士のきまり文句で、音楽的判断というより、文学的ポーズになっていた。そうでなければ、私も、大いに共鳴するところだったのだ』(ストラヴィンスキー、ロバート・クラフト、吉田秀和訳《百十八の質問に答える》
――― 吉田秀和『私の好きな曲』上 P15-16
だいたい「この作品を一生愛し続けてます!」ってのは、どこかいかがわしくないかい?
すくなくとも、その「愛」は作品に由来するのではなく、<わたくし>に原因がある。あるいはこういってもよい、その作品のなかに<わたくし>が書き込まれている。あるいは、追憶やら、掛け替えのない出来事の記憶に係る。
《われわれも相当の年になると、回想はたがいに複雑に交錯するから、いま考えていることや、いま読んでいる本は、もう大して重要性をもたなくなる。われわれはどこにでも自己を置いてきたから、なんでも肥沃で、なんでも危険であり、石鹸の広告のなかにも、パスカルの『パンセ』のなかに発見するのとおなじほど貴重な発見をすることができるのだ。》(プルースト「逃げさる女」)
フロイト曰く、
《成人においては、新奇さが常に悦楽の条件である》なら、すぐれた作品でも何度も繰り返せば退屈を生む。》
ーーたぶん退屈するほど繰り返して聴いていない場合なら、一生愛は続く。つまりたいして愛していない。
ーー謎のような女だったら、三週間の間をおいたら、続くかも。 音楽は?
《……複雑な曲をはじめてきくときには、われわれの耳には何もきこえないことがよくある。(……)あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、(……)われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。》
まあこのような「女」だったら別だ。
所有しなかったら、続くよな。
まあこのような「女」だったら別だ。
私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。
所有しなかったら、続くよな。
…その独自の美にこめられた力のために人の目につきにくくなり、知られずに残っていたあの楽節、それがいよいよ最後にわれわれのもとにやってくる、そんなふうにおそくやってくるかわりに、われわれがこの楽節から離れるのも最後のことになるだろう。われわれはそれを他のものよりも長い時間を費やしていたであろうから。それにまた、奥深い作品に到着するために個人にとって必要な時間というものは、―――このソナタについて私が要した時間のように―――公衆が真に新しい傑作を愛するようになるまえに流される数十年、数百年の縮図でしかなく、いわば象徴でしかないのである。(以上、プルースト「花さく乙女たちのかげに」)
ニーチェ曰く、
《諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望!》
《諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば!》
《あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか?》
《諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか?》(『曙光』 539番)
――だよな、気分によって愛する作品は変わる。
プルースト曰く、
《昔から、一つの作品が完全に理解され勝利を博するころには、まだ無名の、べつの作家の作品が、一段と気むずかしい何人かの知識人のまわりに、新しい礼讃をまきおこしはじめ、やがて強い威力をほとんど失ってしまった有名作家にとってかわらなかったためしはめったにない。》(『ゲルマントのほう Ⅱ』井上究一郎訳)
まあ、上の文はなかばジョークだよ
ーーこうやって、遠ざけつつ、一生、愛し続ける作品はあるだろうよ