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2013年5月31日金曜日

春信の女と歌麿の女の胸(加藤周一)



以下、加藤周一の『絵のなかの女たち』よりだが、図像は、春信の「雪中相合傘」と歌麿の「山姥と金太郎」以外は、引用者がつけ加えた。


日本の若い恋人たちを考えるとき、私はいつも鈴木春信の「雪中相合傘」を想いうかべる。二人は寄り添うが、抱き合うのではない。傘をもつ手がわずかに触れるばかり。一種の抑制、はにかみとでもいうべきものが、そこにはある。しかし雪の日の人通りは少く、二人の私語を聞く者はない。やっと二人きりになったというよろこび、あるいはむしろ「生きることのよろこび」と称すべきものも、また、おのずから姿態にあらわれている。







色彩は素晴しい。殊に男の着物の黒い色面は、裏地の赤の抑えた色調、女の着物と雪の白との対比において、際立っている。春信(1725-70)は、一七六五年頃、木版画の多色刷、いわゆる「錦絵」を創始したといわれている(彼の錦絵の彫工としては遠藤五緑、摺工としては湯本幸枝の名が知られる)。それから一七七〇年の死まで、およそ五年間に、多数の(現存するもの八〇〇点余り)錦絵を作った彼は、色彩家として群を抜いていた。その春信の色のなかでも、均質な黒の平面の用法は、大胆で、しかも繊細を極める。しかし錦絵に黒を活用したのは、春信だけではなかった。役者絵の勝川春章は、美人画の春信に匹敵する。いずれにしても、一八世紀のヨーロッパは、まだかくも品位高く、かくも輝かしい黒という色を知らなかった。





春信の錦絵の画題は、人物である。女一人、または女二人、女の群像は少くて、男女一対の図柄は多い。その多くが人物を場景のなかに置く。屋外の風景もあり、室内もあるが、また殊に縁先のように半ば室内で、背景に屋外の風景をあしらうものもある。いずれも劇的でなく、日常的で、おだやかな場面である。同じことは、徳川時代の多くの画工のように春信が描いた「春画」についてもいえるだろう。一組の男女は、むしろ小さく、屋外の風景(水辺、舟中、山中など)や、室内の窓際(障子が開かれていて、外が見える)など、何らかの場景のなかに、描きこまれている。また春信の「春画」では、当事者のほかに第三者――しばしば子供――が描かれていて、二人の行為を見まもっている。すなわち当事者とその局部は、物理的および社会的環境のなかで、対象化され、客観化され、相対化されるのである。当事者の主観からこれほど遠い「春画」はほかに少いだろうし、その意味でこれほど上品な「春画」も少いだろう(歌麿のそれとの対照)。













春信の女主人公は、ほとんど常に、若くて、痩せている。小さな手、細い脚、腰の膨みはほとんどなく、少女の顔をしていて、その細身を優雅にくねらせている。吉原の女も、町屋の娘も、その意味では同じ。浮世絵の美人の類型の一つを、この画家は高度の「デフォルマション」と強い様式化を通して作りだした。純粋に鑑賞用の、絵のなかにしかいない少女たちーー彼らは愛されるために、また愛されるためにのみ、存在していた。

しかし錦絵が描きだした理想の美人は、もとより少女だけではない。春信の後、清長は、成熟した女の長身と、その着物の流れるような線を、大川端の涼み台に配した。また殊に歌麿は、「大首絵」の技法と同時に、年増女の豊かな胸と複雑な表情を発見した。一八世紀後半から一九世紀前半へかけて、江戸文化が、女の姿態のこれほど多様な理想像を生みだしたのは、なぜだろうか。おそらく単に人さまざまということではあるまい。もし価値の多様性によって一文化の成熟の度合が測られるとすれば、世俗的江戸文化の感覚的な享楽主義が、そのとき頂点に達し、日常生活の狭い枠組のなかで、あらゆる対象に微妙なよろこびを見出すに至っていたのだろう。少女にも、年増にも、小さな手にも、豊かな胸にも、また閉じた眼にも、薄くひらいた口にも、常に美を発見することができるのは、高度の文化である。(加藤周一「春信の女」『絵のなかの女たち』所収)







…………


喜多川歌麿(1753-1806)には、「山姥と金太郎」の図がいくつかあって、そのなかの一枚、金太郎が山姥の露わな胸の乳を吸い、左の乳首を指でまさぐりながら、横眼に画面左方のどこかを見ている「大錦」は、この浮世絵師の特徴を要約している。「大錦」とは、大判にして錦絵である。大首絵は、人物に接近して、その頭部または胸像を画面一ぱいに写す。歌麿が美人画に用いて大いに成功した構図で、少し後れて写楽が役者絵に活用したものである。色摺りを重ねた錦絵は、歌麿の発明ではなく、一八世紀中葉から行われて、春信や清長がすでに名手であった。








ここでの構図は、髪ふり乱した女の顔を画面の上半部に、その顔と同じ位の大きさの豊かな乳房と、その胸にとりつく子供の顔とをならべて、画面の下半分に配する。衣裳は、わずかな部分が、右下の隅(女の着物の紫)と左下の隅(子供の着物の緑)に見えるにすぎない。浮世絵は原則として衣裳の線や色彩を強調するから、この構図は大胆で独創的である。色彩の面からいえば、女の肌の白さを際立たせるのに、乱れてふりかかる黒髪を一条ずつほとんど細密画の手法で描き分け(デューラーを思わせる)、子供の顔と指(その他の部分は見えない)を赤みがかった褐色で濃く塗りつぶす。女と子供の肌の色の対照という趣向もまた独創的で、ほとんどマネーの「オリュムピア」での、横たわる女の裸体と黒人の召使いの対照とを、想い出させる。


歌麿は女の表情の細かい変化を、極度の省筆と浮世絵の様式を通して、表現することに独得の工夫をこらしていた。一方の乳首に口を含ませ、他方の乳首を指にまさぐらせる女の顔には、ほとんど恍惚の表情があり、その表情は女の髪の乱れによっても強められている。髪を整えるのは、今も昔も、社会的約束の体系へ自己を組みこむことであろう。それに対して、乱髪は、非社会的私的空間(たとえば寝起き)、周辺的存在(山姥は「良家の子女」ではない)、非日常性(たとえば戦乱)、合理的自己統御からの逸脱(宗教的または性的恍惚)などを、示唆する。


乳を吸う子供はなぜ母親の方を見ないで、何処か遠くを見ているのだろうか。それはこの子供が金太郎だからにちがいない。金太郎は、子供ながら怪力を備える。その怪力は、母子関係の展開する私的空間を越えて、歴史的社会的空間のなかで発揮されなければならない。彼は、子供であり、同時に子供ではない。口に含む乳首の感覚には、彼の現在があり、横眼に眺める世界には、彼の未来がある。別の言葉でいえば、金太郎は、ここで、その存在(感覚的な現実)と可能性(後の金時)を同時に生きている。しかるに山姥は、彼女の現在に、その感覚に、あるいは子供の子供としての面への愛着のみに生きている。金太郎は、彼女自身とは根本的にちがう存在、もう一人の別の人間、ほとんど一人の男である。歌麿は、女の乳房を愛撫する男の代わりに、金太郎を描いたのである。




そもそも浮世絵木版画の女は、原則として衣裳をまとっているから、例外はあるけれども(たとえば湯呑みの図)、乳房を示すことは少ない。秘戯図においてさえも、その多くは裸体でなく、上半身を着物につつんで、下半身を露わにするだけである。乳房の魅力を強調するのは、歌麿の作画の特徴の一つだといってよい。そのなかでも、代表的なのが、この「山姥と金太郎」であって、乳房の象徴の両義性は、よくここに描きだされている。すなわち母性の象徴であり、同時に、性的魅力の象徴である。……(加藤周一「歌麿の女の胸」『絵のなかの女たち』所収)