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2013年8月22日木曜日

なにをしてこようと吹き来る風に問われる理由がない

《カミュは駄目です。とりわけ『異邦人』の下品さは、太宰治とどっこいどっこいではないでしょうか》

《あんたらよく平気でそういうことをいうな》

《あなた、小説は読めないんだから引っ込んでろ》

さて、誰が語っているのか?



蓮實)そもそも日本の近代小説は、大半がポエジーに依存してきた。(……)先日、たまたま高橋源一郎さんの『さよなら、ニッポン』を読んでいて、大江健三郎さんの中原中也をめぐる講演を高橋さんが聞く場面で大笑いしてしまいました。「帰郷」という作品が大嫌いだったという大江さんは、その最後の「心置きなく泣かれよと 年増婦〔としま〕の低い声もする ああ おまへはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云ふ」という部分で、「なにをしてこようと吹き来る風に問われる理由がない」と怒り狂ってたらしい(笑)。それでまざまざと思い出したのは、わたくしが大学に入ったときも、「汚れちまつた悲しみに……」と滔々と暗唱するやつがいて、仰天したことでした。

川上)いまでも、あの詩はちょっと好かれていますよね。

蓮實)しかし、日本の小説はあれを壊さなくちゃいけない。第一、「ああ おまへはなにをして来たのだと」のあとに「……」と点が六つも並んでいる。この点はなんだ、と(爆笑)。当時のわたくしが耐えがたかったのは、このような点を平気で書くことや、それが印刷されたものを眺めて恥ずかしさを感じない連中が少なからずいたことでした。そんなややつは馬鹿だ、と。だから高橋さんの本を読んで、同じころに同じ詩について、ぜんぜん違う理由で大江さんも怒っていたのを知り、心から愉快でした(笑)。

川上)三点リーダー問題ですね。今は句点をみっつ、というのもありますが。。。どちらも使うと雰囲気が出るんですよね……(笑)。

蓮實)その雰囲気は、散文のものではないんです。あれが許されるのは歌謡曲の世界でしょう。あとは丹生谷貴志さんくらい。

川上)私もあとで自分の書いたものを全部調べます(笑)。

蓮實)「――」まではいいんです。許せないのは、「……」に含まれる曖昧な情緒です。

…………

《「心置きなく泣かれよと 年増婦〔としま〕の低い声もする ああ おまへはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云ふ」という部分で、「なにをしてこようと吹き来る風に問われる理由がない」と怒り狂ってたらしい(笑)。》


――まあ、なんというのか、これはいろんな角度から読めるはずで、大江健三郎がどんな思いで怒り狂っていたのかは知るよしもないが、こういった情緒纏綿たる詩に溺れきってしまうことへの抵抗というのは、やはりあるもので、それは(わたくしの場合)、あまりにも強く訴えかけて来て己れの弱さを掻きまわされる気持になることがあって反撥したくなるということだ。

小説を楽しみに読むという習慣はとうに失ったが、詩は今日でも楽しみに読む。ふとあけて見て打たれることのあるのは詩集だけである。(大岡昇平「秋の悲歎」1966初出『中原中也』)

わたくしは、大岡昇平が上のように書いた年齢を超えてしまったディレッタントに過ぎないが、「ふとあけて見て打たれる」、ひどく打たれるそれらの詩(あるいは音楽)に溺れたままでいいのか、という心持にはなることはある。

《だが自分の詩を読み返しながら思うことがある/こんなふうに書いちゃいけないと/一日は夕焼けだけで成り立っているんじゃないから/その前で立ちつくすだけでは生きていけないのだから/それがどんなに美しかろうとも》(谷川俊太郎)


大江健三郎が四国の森に帰郷して、吹き来る風に「ああ おまへはなにをして来たのだ」という感慨に捉われてしまったことがないはずはない、――などと断言するつもりはないが、かりにそういったことがあっても自分の弱さを逆撫でされる気分に陥って怒りを覚えることがあっても不思議ではない。

抵抗や反撥の仕草だって、ときにはセンチメンタルに感じられるときがある。

大江健三郎は書く、「死をおしつけてくる巨大なものへの最後の抵抗として、なにもかもを笑いのめし、価値を転倒させる道化」。何と悲愴ぶった笑い、センチメンタルな道化だろう。しばいがかった最後の抵抗の前に、巨大なものをその名ではっきり名指し、最初の抵抗を見せてくれ。キム・ジハの笑い、殺されたタイの大学生の笑いにくらべれば、ピンチランナーの笑いは笑いを信じない笑いだ。力なく、そのくせ重苦しい笑いが空中に飛びかっている、ah、ha、ha。(高橋悠治『ロベルト・シューマン』)

高橋悠治は同じ論でこうも書く、《ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 》――大江が中也への詩句への怒り狂う情動の起源には、こういったものがあるかもしれないとの錯覚のなかに閉じこもってみてもよいのではないか。

K伯父さんにしても、オーバー経由でこの土地の伝承に根ざす小説はいくつも書いている。しかしあの人にも自分がその物語を本当に生きたという確信はないのじゃないか? だからこそ、さきのギー兄さんにいろいろ受け皿を作ってもらっても、帰ってきてオーバーの物語の続きを生きてみる覚悟はできなかったんだ。K伯父さんは私をここへ送り込むために働いてくれた。その動機はね、自分がここへ帰ってこれないのをギルティーに感じていたからじゃないか? 

私はここに来てからK伯父さんのテレビで放映された講演を聞いた。サッチャンも一緒だったから、いくらかはあの時に話し合ったと思うけれども、この土地で育った子供の時に回心を思った話があったね。K伯父さんは、水車小屋で古雑誌を読んでいてアシジのフランチェスコの挿話に出会った。そして深く惧れたというんだ。しかし、それは別のことを隠しているレトリックだという気がする。フランチェスコが弟子に呼びかけたように、自分もこの土地のフランチェスコに呼びかけられたらどうしようと、魅きつけられもし、恐れもしたというんだがね。この土地に根ざすフランチェスコなら、それはオーバーの物語のなかに出てきたにちがいないだろう? オーバーの物語ってくれたことを心底信じることができなかった、しかもそれから自由になることはできない。それがK伯父さんの、生涯の悔いやら遺恨やら恐怖やらの根源なのじゃないか? それがつまり、この土地のフランチェスコということじゃないか?(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第一部 P32)

小説のなかの話だが、これでさえ、大江健三郎は何人かの批評家の批判を「内面化」しての内省(自己対話)として読むことができる。内面化とは批判の平準化だ。それは「卑小なものの体制」を確立する。

価値の平準化

ニーチェにも、バタイユにも、同じテーマがあります。「未練」のテーマです。現在のある形がおとしめられ、過去のある形が賛えられるのです。この現在も、この過去も、実をいえば、歴史的ではありません。両者とも、デカダンスという、両義的で形式的な運動によって読み取られます。こうして、反動的でない未練、進歩的な未練が生まれるのです。デカダンスとは、通常の共示〔コノタシオン〕とは逆ですが、凝りに凝った、過剰文化的な状態を意味しているのではなく、逆に、価値の平準化を意味しているのです。たとえば、悲劇の大量復活(マルクス)、ブルジョワ社会におけるお祭り的消費の隠密性(バタイユ)、ドイツ批判、ヨーロッパの病い、疲弊、最後の人、《あらゆるものを矮小化する》あぶらむしのテーマ(ニーチェ)。これに、ミシュレの一九世紀 ――彼の世紀―― に対する、「退屈」の世紀に対する毒舌をつけ加えてもいいでしょう。皆、ブルジョワ的平準化がもたらす同じ嘔吐感を感じています。ブルジョワは価値を破壊しません。平準化するのです。小さくし、卑小なものの体制を確立します。(ロラン・バルト『テクストの出口』)

大江の森林へのロマンティックなまでの希求、ーー《それにしてもいつから》、そんなことが《書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。》

「自分の知らない過去の時代、しかし自分がこの世に生を享けるすぐ前には存在していた時代の感触を知りたい」という、「ほとんど生理的な欲求」(『海舟余波』プロローグ)が江藤氏の筆を駆り、いっぽう「きわめて不確かな感覚において、なにごとか狂気めいた暗く恐ろしいものに対抗し、手さぐりで自分の根をおろすべくつとめる」という「あいまいな営為」(「作者自身にとって文学とはなにか?」)が大江氏の執筆活動を支えているのだとするなら、一方は歴史の時間軸にそって精神の系譜をさぐり、いま一方は世界の地理的な拡がりに対応する空間上に存在の基盤を模索するというその発想そのものが、たとえば『一族再会』にみられる「系譜」への執着と『万延元年』に読みとれる「根」の象徴を介して一つに結ばれ、一族の系譜を描いてみた誰もが知っている「分岐」という現象が樹木の「根」の図解と酷似しているように、同じ一つの想像力に操作されてしまうほかはないことは明白なのだが、前者にあっては歴史における「公」と「私」、後者にあっては「個人」と「全体」という関係でそれぞれの主要なモチーフが展開されはじめるとき、江藤氏の想像力が「海」、大江氏のそれが「森林」というイメージをほとんどロマンチックなまでに希求し、いわば、いまここにはない失われた風景としての「海」と「森林」とを背景として、「航海者」と「狩猟者」の相貌を浮きあがらせずにはいないのだから、二人の言葉の類似ぶりはただごととも思えないのだが、実はそうした類似するさして重要なものではない。真に驚くべき類似は、にもかかわらず江藤氏と大江氏とがたがいに違ったことを語っていると信じ込み、しかもその確信において、才能の点で自分たちより遥かに劣っているはずのあまたの「批評家」や「小説家」たちといともたやすく馴れあって、薄められた「貧しさ」としての「戦後文学」のうちに埋没してしまう自分に無自覚だという類似であろう。書こうとする個体の意志や欲望にさからいもなくしなだれかかり、馴致されつくしているかとみえる言葉が、実は素直さを装って気軽に存在を招き寄せ、そのしなやかな可塑的流動性によっていとも円滑に筆に乗るかとみせて人目を欺き、かえって言葉への至上権をかすめとって、その洞ろな内面に充実ぶりの錯覚をそっとまぎれこませてしまうという危険を顧みることもなく、書けば書けてしまうという事実のうちに「作家」の特権的視座が確立しうると思いこむことの類似性、それが今日の「文学」的頽廃をあたりに蔓延させているのだが、そんな頽廃を江藤氏も大江氏もまぬがれていないのだ。誰もがそれなりに二つや三つは存在の暗部に隠し持っているだろう「切実な主題」をめぐり、「文学」がたえず捏造してやまない幾つもの疑問符に言葉を妥協させ、前言語的地熱の程よい高まりが、「普遍的」かつ「現代的な課題」と折合いをつけるのを待つといった怠惰な作業が、それにしてもいつから、書くことなどと信じられてしまうようにいたったのか。(「言葉の夢と「批評」」『表層批判宣言』所収――「蓮實重彦の「大江健三郎殺し」」より)