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2013年8月14日水曜日

私はとても旅をしようという気になれない(ドゥルーズ)

たとえばツイッターのドゥルーズbotに次のようなものがある。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。(ドゥルーズ『記号と事件』)

ひとはこれをどのように読むのか。ひょっとして、その感想を語るために旅に出るなどと読むなどということはないか。

わたくしはまったくドゥルーズ読みではないが、あまり「動かない人」であったドゥルーズというおぼろげな「知識」というかイメージ程度はあり、すこし調べると上の文の続きはこうあるようだ。

旅をするとは、何かを言うためにどこかに出かけて行き、また何かを述べるために帰ってくることにほかならない。行ったきり帰ってこないか、向こうに小屋でも建てて住むのであれば話しは別ですけどね。だから、私はとても旅をしようという気になれない。生成変化を乱したくなければ、動きすぎないようにこころがけなければならないのです。トインビーの一文に感銘を受けたことがあります。『放浪の民とは、動かない人たちのことである。旅立つことを拒むからこそ、彼らは放浪の民になるのだ』というのがそれです。(ドゥルーズ「哲学について」『記号と事件』)

ーーここで、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の冒頭、《私は旅や探検が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている。だが、そう心に決めるまでにどれだけ時間がかかったことか!》を想い起こしてもよい。

まあこういったものであって、短く切り取られたツイッターのbotは、その前後を探ってみれば、そこで受け取られかねない内容のまったく反対のことを語っている場合がある。以前、ロラン・バルトbotをリツイートしながら、まったく逆の理解をしている人を見かけて、すこしからかってみたことがあるが、わたくしも知らぬ作家の短文で同様なことをやっているのかもしれず、他人の誤読を鬼の首をとったようにして諌める気分は失せてきつつある。そんなことをしたって無駄だ、抵抗できようがない……

《浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。》(小林秀雄「林房雄」)


上の文には、わたくしが数少なく読むことのあるドゥルーズの『プルーストとシーニュ』、――1964年に初版が出版、1970年に「アンチロゴスまたは文学機械」の部分がつけ加えられた第二版。そして1976年に、「狂気の現存と機能――クモーー」を追加した第三版が刊行されているのだが、――ドゥルーズがひどくこだわり続けたこの書の「アンチロゴス」、あるいは「クモ」の章のドゥルーズがいる。

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。『失われた時を求めて』は、大聖堂や衣服のように構築されているのではなく、クモの巣のように構築されている。語り手=クモ。その巣そのものが、或るシーニュによって動かされるそれぞれの糸で作られ織りなされつつある『失われた時を求めて』である。巣とクモ、巣と身体は、ただひとつの同じ機械である。語り手に極度の感受性、異常な記憶力が与えられても役に立たない。それらの能力についての、意志的で組織的ないかなる使用でできない限り、彼には器官がない。逆にひとつの能力は、強制され、無理じいされるときには、語り手において行使される。そしてこの能力に対応する器官が、この能力に重ねて置かれるが、しかしそれはその無意志的な使用を惹起する活動によって眼覚めさせられた強度の素描としてである。そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。スパイ、警官、嫉妬する者、解釈する者、そして要求する者――狂人――普遍的な分裂病患者である語り手の身体=クモが、そこから自分自身の錯乱の操り人形、器官のないおのれの身体の強度な力、おのれの狂気のプロフィルを作るために、偏執病患者であるシュルリュスに一本の糸をのばそうとし、色情狂であるアルベルチーヌにもう一本の糸をのばそうとする。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

もちろんそれ以前にも『アンチ・オイディプス』にはこうある。

はっきりしているのは、語り手は何も見ず、何も聞かないで、ひとつの器官なき身体であり、あるいはむしろ、いわば自分の巣の上でじっと身構えている蜘蛛のような存在であるということである。この蜘蛛は何も観察しないが、ほんの僅かの兆候、ほんの僅かの震動にも反応して、自分の餌にとびかかる。


もっともこう引用したからといって旅をするのが悪いわけではない。ユルスナールや須賀敦子のような方もいるだろう。
ずっと見ていると、あなたっていつもそうなのよ。このところ、なにか暗いなあ、って思うことがあって、そんなとき、あなたはじぶんで気づいているかどうかわからないけれど、ちょっと旅行にでもって思いつくらしいの。そして、どういうわけか、旅のあとはふわっと明るくなって帰ってくる。なにか重たいセーターを、旅先で脱ぎすてたみたいなのね。(須賀敦子『ユルスナールの靴』)

ただし須賀敦子は、旅の思いや、ミラノの記憶を語るのに、二〇年ほどの年月の醗酵が必要だった。

多くのひとの旅はアランが書く次の文の冒頭のようにになり勝ちなのだ。

丁度今はバカンスの季節だが、次から次へと名所旧蹟のたぐいをかけずり回る人々で、どこもかしこもいっばいだ。もちろん、わずかの時間のうちに、いっぱい見物しょうという寸法だろう。なるほど、あとで話の種にするのであれば、これほど結構なことはない。引き合いに出す場所の名前は多いに越したことはなかろうし、これで十分暇つぶしにもなるだろう。

だけども、自分のために、本当に見るために、そんな風にかけ回るのだとすると、私は首をかしげざるを得ない。走りながら眺めれば、何もかも似かよって見える。いかなる渓流も、渓流であることに変りはない。かくして、大急ぎで世界を駆けめぐつてきたところで、出発前よりたいして思い出が豊富になってはいない。

何を見物するにしろ、その真の豊かさは細部にある。見る、ということは、細部を一つ一つ経めぐること、その各々にしばし足をとどめること、そして再び全体を一目で把握すること、である。こんな手順を踏みながらも、次から次へと素速く見て回ることができるのかどうか、私にはわからない。が、少くとも私はだめだ。毎日、美しいものを眺めることが出来、例えばサントゥアン寺院を、自分の家にかけてある絵と同じように見ることの出来るルーアンの人達は幸せである。

それに対し、美術館にしろ観光地にしろ、たった一度きり立ち寄るだけでほ、まずきまってその思い出は混乱し、ついには輪郭のぼやけた一種の灰色の画面となってしまうだろう。

私の好みに従えば、旅行するとは、一度に一メートルか二メートル進んでは立ち止まり、再び同一の物の新たな相貌をじっくり挑めることなのである。しばしば私は、ほんの少し右や左に動いては、腰をおろす。すると、全てが一変して見える。それは、百キロ進むよりも、はるかに有益だ。

一つの渓流から次の渓流へと訪れたところで、眼に映るのは、常に同じような渓流である。しかし、岩から岩へと足場を変えれば、この同じ渓流が一歩ごとに姿を変える。すでに見物したものへ再び立ち戻ると、間違いなく、それは新しいもの以上に心をとらえて離さない。事実、そこにあるのは、新しいものなのだ。(アラン「旅行者」)

ここでさらにフローベールの友人であったマクシムとシャルル、つまりマクシム・デュ・カンとシャルル・ボードレールのふたりを対照させて書く蓮實重彦の文を抜き出してみよう(『凡庸な芸術家の肖像』)。

そこでは、「旅」とは「何かを述べるために帰ってくること」――《そう宣言することの率直な凡庸さは、こんにちではもはや凡庸さとは意識されることもなく希薄に共有されてしまっている》とすることができる文が含まれる。


凡庸さを、何ものかの欠如としてではなく、過剰なる何ものかとして具体的に触知すること。それがこの物語の主題というべきものであるとするなら、不断の運動によって空間を踏査するマクシム的「旅人」と、室内にとどまったままの空想的旅行者シャルルとの比較はほとんど意味を持ってはいない。マクシムが凡庸であるとするなら、「乾かされた海藻の上に、山の頂きに、激流の岸辺に、人里はなれた岩の上にこそ身を横たえてまどろむべきなのだ」と説く『現代の歌』の詩人が、そうした孤独な彷徨者を顕揚するかにみえる詩的姿勢にもかかわらず、実は、旅をいささかも無償の運動体験とは見做していないからである。

無償という言葉が惹き起こしがちな誤解を避ける意味からいいそえるなら、旅は、旅を表象するものの生産を伴わぬかぎり旅とは認識されていないとすべきかもしれぬ。表象という言葉がまぎらわしいというのであれば、さらにはそれを証拠といいかえてもよい。つまり、旅は、「旅行記」の執筆とその過程で撮った「写真」の整理を伴わぬかぎり、マクシムにとっては旅ではないということだ。

未知の世界の表情と触れることは、その風景を知識としてたくわえ、それによって存在を豊かにしうるものだとする確信がマクシムにはある。だからその個人的な豊かさを人びとに共有させるために「旅行記」と「写真集」とを刊行することが義務だと彼は考える。ここでもマクシムは、誰に頼まれたわけでもないのに、その個人的かつ特権的な旅人としての体験を、人類の知的資産として民主化すべき義務があると信じているのだ。この確信が凡庸さを特徴づける第一の側面であることはすでに見たとおりである。だがここではそれに続く第二の側面について触れておかねばならない。それは、時間的なものであれ空間的なものであれ、人が一般に旅と呼びならわしている体験が、「旅行記」なり「写真集」なりの生産を可能としないかぎり、体験としての濃度を希薄化するような印象を与えるという、体験の物語化の傾向の中に姿をみせるものなのだ。つまり、あるできごとを言葉で記録し、それをフィルムにおさめないかぎり何ものかを喪失したような心もとない気持に襲われ、それを言語による、あるいは映像による物語として再編成せずにはいられないという心の動きが、凡庸さの第二の側面を構成するのである。(『凡庸な芸術家の肖像』p117~)
ここではただ、『現代の歌』の詩人が、旅行を物語として知識化していない点をシャルルの作家的な欠陥だと呼んでいることにのみ注目しよう。「旅行記」も「写真集」も伴わぬ旅行は、彼にとって旅行とは呼べなかったのである。そしてそう宣言することの率直な凡庸さは、こんにちではもはや凡庸さとは意識されることもなく希薄に共有されてしまっている。実際、未知の世界へと旅立った詩人が「旅行記」を執筆することなく帰還することがあるだろうか。それを出版するか否かはおくとしても、旅先きで撮った写真を整理することに喜びを感じない詩人がいるだろうか。マクシムは、こうして希薄に共有された常識を制度化した最初の芸術家である。旅という運動体験が物語として反復されることなしには旅たりがたいという常識を規格化した最初の芸術家なのである。旅の途中で蒐集した知識を帰宅後に整理し、そこにかたちづくられる物語によって運動体験を表象すること。それが進歩に加担する芸術家のあるべき姿だとマクシムはいう。これほど偉大な凡庸さを、人は十九世紀の中葉にそうたやすく想像することはできない。(同上p119)


ここでの「芸術家」は、現在、「知識人」とか「文化人」を代入して読むべきだろう。そして現在ひとは誰もがマクシムと似たようなことをやっている。旅行どころではない、そして帰ってきてからでもない、レストランに行けば、その写真を食べる前にSNS上に貼り付けて他者と共有する。《誰に頼まれたわけでもないのに、その個人的かつ特権的な旅人としての体験を、人類の知的資産として民主化すべき義務があると信じている》のであり、そうしないと《何ものかを喪失したような心もとない気持に襲われ》てしまう。本を読んだって、その感想を書かずにはいられない。葬式に行ったって、哀悼の気持をネットにすぐさま書き綴る。そのうち性交の最中のさまを他人と共有するようになるだろう(いやそんなものさえすでにある)。


たとえば蓮實重彦自身、《われわれの誰もが、マクシムのように…凡庸な存在だからかもしれない……時代そのものが人に凡庸たれと要請している》(P799)と『凡庸な芸術家の肖像』の末尾近くに書き綴っているように、己がつねに凡庸さをまぬがれているとは思っていないはずだ。自らが凡庸さから逃れうるのはよほどの戦略家でなければ至難の技なのだ。

ここで誤読を恐れつつ、つまりこの文の前後を知らないドゥルーズの文を恐る恐る引用してみよう、

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)


だがこの「凡庸さ」の何が悪いのか。それは、ひとが他人と共有できることしか語らなくなってしまう、いやそれだけでなく共有できることしか考えなくなったり感じなくなってしまうことだ。

あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている。後者を知ることができるであろうのは自分だけなのだが、われわれは早まってこの部分を閑却してしまう。要は、この部分の印象にこそわれわれの精神を集中すべきであろう、ということなのである。(プルースト『見出されたとき』)

《……人は、知っていることについてしか語らなくなくだろう。たまたま未知のものが主題になっているかにみえる物語においてさえ、人は、それを物語ることで、既知であるかの錯覚と戯れる。あるいは逆に、既知であるはずのものを、あたかも未知であるかのようにあつかうふりを演ずる。そして、その錯覚と演技とが、知と物語との相互保証をますます完璧なものにする》(蓮實重彦『物語批判序説』)


「僕はレスポンスを求めないために書く」、「レスポンスを求めるのは批評の死を意味する」、と浅田彰と蓮實重彦が対談で語るのも、この凡庸さに抵抗する意味に他ならない。(参照:青空のさなかで耐えること