バルトークの曲をきいていると、時どき私は、この人は、単に私たちの耳に聞こえない物音も聞きわける鋭敏な耳をもっていただけでなく、私たちが目でみることのできないものの姿も、早くから見る力をもっていたのではないかという気がしてくることがある。彼の音楽のなかにあるものは、迫ってくる危険に対し、いちはやく身がまえる野獣の姿勢を連想させないだろうか? (吉田秀和『私の好きな曲)
……たとえば、幻聴であるが、まず、幻聴はふしぎなものであるといっても、人間の神経系には幻聴を起こす能力が備わっている。たとえば、ほぼ一定の間隔で同じ音をボツボツボツと聞かせると、ただの音に聞えては次には言葉に聞こえ、またただの音に聞こえるということを繰り返す。また、外からの音がなくても、頭の中には血の流れる音が本来はやかましく聞こえているのを、フィルターをかけて消しているので、非常に静かな環境ではこの音が聞こえる。年をとってフィルターの力が弱まると、これはドクドクという耳鳴りとして聞こえるようになる。それが時々声になることは多くの老人が経験している。
しかし、こういう幻聴は「大丈夫ですよ」でお終いになる。幻聴が恐怖や不安を生むのは、それが不思議だからだけではない。何に対する警戒かわからないでしかも警戒心が高まっている状態が土台になっているからである。そういう時はすべての感覚が鋭敏になっているので、舌の先に赤いブツブツが見えたりする。これは味覚が鋭敏になっているのである。しかし、特に聴覚が敏感になるのは、聴覚が元来ウサギのように警戒のための感覚だからである。そうすると低い完全雑音(ホワイトノイズ)を拾って言葉として聞いてしまうのは、上に述べた幻聴を起こす能力による。実際、無意味な音を無意味なまま聞き流すほうが脳には無理なのである。深夜の静かさを無数の音がひしめいているように聞いてしまう、アレである。この場合、頭の中なのか頭の外なのか、区別がそもそもつかない。人間の精神は起こる感覚が内のものか外のものかを区別するようにしているが、いつも間違わないとは限らない。特に完全雑音の場合は内外の区別が難しい。それがどういう言葉になるかは、多分、その時に考えるともなく考えていた事柄と関係があるのだろう。深刻な幻聴もそうでない幻聴もあり、暗い内容もあるが明るい内容もあるのはそのためであろう。(中井久夫「症状というもの」『アリアドネからの糸』所収)
《"Why do we listen to music?": in order to avoid
the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty
goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects
us from directly confronting the horror of the (vocal) object. 》---Zizek"I
Hear You with My Eyes"
夜と音楽。--恐怖の器官としての耳は、恐怖心をもつ時代の、すなわちこれまで存在した中で最も長かった人間の時代の生活様式に応じて、夜においてのみ、暗い森や洞穴の薄明の中でのみ、現在見られるように立派に発展することが出来た。明るいところでは、耳はそれほど必要ではない。それが原因で、夜と薄明の芸術という音楽の性格が生まれるのである。(ニーチェ『曙光』250番)
※丹羽谷貴志twitter
蓮實さん夏目論文庫化、内容は昔読んでいるので驚きはともかく、画期的な夏目論であり見事と言うしかない。もっとも、この手のいわゆるテマティック批評は調子に乗って真似すると構造主義や記号論以上に退屈なものになる。
テマティック批評の作業は或る主題系を見出す能力にではなくその「基底」のホワイトノイズ領域にどれだけ耐え同化し得るかの能力=体力にすべてがかかっているのだ。これを持たぬ者が真似をすると、単なる虚仮威しのシニシズムに過ぎないものとなる。それこそ「猫にだって王様は見える」式のお話になる
フーコーのリシャール論を再読してみること。或いは蓮實さんが微かにフーコーに同意の視線を送りながら書いたのかもしれないリシャール論「仮死の祭典」を読んでみること。宮川淳さんには「異質の光」に見えたそのことを、しかし宮川さんの性急さに抗して、再読すること。
宮川さんにはリシャールとフーコーが共存し得るとは見えなかったようなのだ。これがたぶん宮川淳さんの不幸だった。或いはブランショの『望みの時に』を読みながら、最後の病床でそれをかいま見たか・・・是非そう想像したい。アンリ・ルソーを愛したことのある宮川さんであってみれば・・・
「仮死の祭典」・・・これはレトリックの題名ではない。「仮死」に耐える力、それを「祭典」に化すことを維持し得る体力、が、テマティック批評の真の圏域なのだ。漱石の主人公がすぐ横になるとか、カフカの「K」が肝心な時いつも眠っているなんてことだけに気づいても仕方ないのだ
「仮死」は言葉の語源の意味で「真にアブ−ストラクト」の場である。訳知り顔に口にされるような意味での「表層」などではない。「死体に隠れて死体の振りをしても逃げられはしない。仮死の身体は・・・光るからだ」と、ジェノサイドを生き延びた或る男が語っていた筈だ。その光を「表層」と呼ぶこと。
…………
ファセットの好意で、彼女の田舎の別荘にバルトーク夫妻が来ると、その夜、彼女が大切にしていた猫が姿を消してしまった。
「こんな人気もないところで、それに危険がいっぱいなのに、猫一匹どこにさがしに行ったらいいか、わかりっこないわ」ディッタは落胆していった。
真夜中ごろ、ディッタが起こしに来た。「ベラが、猫の鳴き声をきいたって言うの。あっちらしいんですって」と彼女は深い森の方をさした。私たちは窓をあけ耳を澄ました。しかし夜のしじまからは猫の声は聞こえなかった。
しかし彼女らは女中を入れて、三人で出かけてゆく。ディッタは、バルトークがきいたという以上、まちがいないと信じきっているので。急いで野原をつっきり、「暗闇が一直線になって森の入り口を示しているその外れで一休みした」。しかしいくら耳をそばだててみても何にも聞こえない。
家に入ると、バルトークが階上から呼んでいるのが聞こえた。「森の入口までいったけれど、何にも聞こえませんのよ」とディッタが報告した。
「そうだろうよ」バルトークはいった。「あんた方には聴くのも聞こえるのも同じことなんだから。三人の聲が暗い森をさまようなんて、何て頼りない救助隊だろう」
私たちはまだドアの前でうろうろしていたが、私としてはバルトークの中で起こった変化のことばっかり考えていた。今朝はまるでデスマスクみたいだった顔が、今は生き生きと内面から輝きわたっているのだ。
「あんた方はみんなつんぼだっていったんだ。そら、あれが聞こえないのかい?」
私たちはできるだけ耳をすましてみたが、首を左右にふるばかりだった。
「今でも私にはきこえてる。一度なくたびに、休息が要るように、規則正しく間を置いてきこえるよ」
どうしたらよいのかしら?
「そう聲に聲の案内ができるはずがないから、私が起きて案内してあげなければならないだろうね」
(……)
こうして、今度は彼を先頭にして、みんなは真暗闇の野原を森に向かって進む……
今度こそ、私たちもたしかに聞いた。鋭い風のかすかなトレモロほどの、音ともいえない音で、彼が力説しなければ、とても気づかなかっただろう。
バルトークは歩きやすい道をさけて、暗い木の闇の中に見えなくなった。
「こっちだ」自信ありげな呼び声だった。声は深く澄んでいた。私たちは、そちらに急いだ。
「ずいぶん近い。この木のどこかにいるはずだ」彼は高い楓の下にいた。
はげしい興奮にかられて、私たちは懐中電灯ですかしてみた。光は繁みのあいだをはいまわったのち、不意に葉を通して向こう側にいるルル(猫の名)をとらえた……
「ルルは自分にふさわしい獲物をつかまえたんだ。巣ごもりの鳥を探していたにきまっている」
「そんなことあらませんわ。今まで鳥をとったことなんか一度もありませんもの」私は抗弁した。
「じゃ、眺めを楽しむため、こんな危険な綱渡りをしたっていうのかい? この次は、孤高をもともていたんだって、私を説得するつもりだろう。同情はしたいが、信じられない。これは自然にくりかえされる行動のパターンと同じなんだ。何千年もかかって飼いならされたものだって、獲物を追うことをあきらめきれないんだ。人間と同じで、彼はすべてを手に入れたいのさ」
ここに、バルトークがいる。そうして彼は、このあと、森の中に腰をおろすと、かがみこんで足下につもった松葉を手で掘るのだった。
「膝くらいつもっている。何百年もかかって堆積されたんだ。あなた方御婦人は、こういう種類のカーペットをお宅の床にほしいとは思わないだろうけれど、これは飛びっきり高価な手織りのカーペットより、ずっと時間も労力もかかっていることはわかるだろう。太陽、雨、霜、雪、風が私たちの頭上にあるこの木々にふりそそぎ、季節がめまぐるしく変わる毎に、葉は落ちて死に、それに代わって生まれるべき無数の新しいもの、こうした生命のための場を整えるんだ。それに昆虫や鳥、毛虫のことも忘れちゃいけない。それぞれのやり方で、この過程を助けているのだから。彼らはみんな、この生と死とが相半ばしてできているこの刺激臭のあるカーペットの生成に関わっているんだ」
ここにバルトークがいる、そうして彼の《夜の音楽》からは、この生と死とが入りまじっている、刺激的な臭いがしてくる。
…………
《この民俗音楽の芸術音楽への影響という問題を綿密に検討してみますと、芸術音楽がその発展過程において民俗音楽から身を遠ざけていたのは、ただの一時期、つまり十九世紀においてだけであったことが分かります。》『バルトーク音楽論集』(岩城肇訳)
附記:《いったんパリの楽壇で仲間入りしてしまえば、(ストラヴィンスキーにとって)もう民謡は用済みになった。...ロシア音楽家たれといったドビュッシーの忠告も...到底理解の範囲ではなかったろう。...それきり、作品から旋律も姿を消してしまうのである。》(小倉朗「現代音楽を語る」)