周知のように、ある語り手による物語というかたちをとった小説では、一人称代名詞、直接法現在、時間的・空間的な位置決定の記号はけっして正確には作家にも、彼が現に書いている時点にも、彼の書くという動作そのものにも送り返しはしない。それらは、もうひとつの自己へ-そこから作家までのあいだに程度の差はあれ距離が介在するばかりか、その距離が作品の展開してゆく経緯そのものにおいても可変的でありうるようなもうひとつの自己へ、と送り返すのです。作者を現実の作家の側に探すのも、虚構の発話者の側に探すのも同様に誤りでしょう。機能としての作者はこの分裂そのもののなかで、-この分割と距離のなかで作用するのです。(フーコー『作者とは何か?』清水徹・豊崎光一訳)
…………
古井由吉は徳田秋声の「私小説」を次のように顕揚する。
まず意志からみる、意志から聞く、性格の事ではなかった、と私は見る。意志が最初の力として働いていれば、視野はおのずと自我を中心としてしぼられるだろう。時間もまた自我の方向性をもつ。ところが秋聲の小説においては、主人公が他者との葛藤の只中にあり、情念に揺すぶられている時でさえも、その姿は場面の中にあって、描写される。手法のことを言っているのではない。本質的に、描写される存在として、作者の目に映っているのである。これをたとえば漱石の、たとえば『道草』の同様の場面とくらべれば、差違は歴然とするはずだ。漱石の場合は、主人公の情念が場面に溢れ、場面を呑みこむ。つまり自我の空間となる。((……)
……自我を立てる。捩れていようと歪んでいようと、折れていようと曲がっていようと、とにかく自我を立てることによって成り立つ。それによって現実を得、現実を失う。そういう態の私小説にたいして、自我を抱えながら身上話の客観性へ身を臥せる、水平へひろがり深くなる態の私小説があり、秋聲文学は後者の第一人者ではないか。 (古井由吉「私小説を求めて」)
もちろんみずからこう叙すことからわかるように、これが古井由吉の小説の方法でもあるだろう。
とにかくある人物ができかかって、それが何者であるかを表さなくてはならないところにくると、いつも嫌な気がしてやめてしまう。そんなことばかりやつていたんです。で、なぜ書けるようになったかというと、本当に単純なばかばかしいことなんです。「私」という人称を使い出したんです。……そうしたらなぜだか書けるんです。今から考えてみると、この「私」というのはこのわたしじゃないんです。この現実のわたしは、ふだんでは「私」という人称は使いません。「ぼく」という人称を選びます。この現実のわたしは、ふだんでは「私」という人称は使いません。「ぼく」という人称を選びます。だけど「ぼく」という人称を作品中で使う場合、かえってしらじらと自分から離れていくんです。(……)
…… この場合の「わたし」というのは、わたし個人というよりも、一般の「私」ですね。わたし個人の観念でもない。わたし個人というよりも、もっと強いものです。だから自分に密着するということをいったんあきらめたわけです。「私」という人称を使ったら、自分からやや離れたところで、とにもかくにも表現できる。で、書いているとどこかでこの「わたし」がでる。この按配を見つけて物が書けるようになったわけです。 (『「私」という白道』)
「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル観念のエロス(作家の方法)』)
――という文は、ヘルダーリン起源なのかもしれない(古井由吉はドイツ文学者でもある)。
もし私が、私は私だというとき、主体(自我)と客体(自我)とは分離さるべきものの本質が損なわれることなしには、分離が行われて統一されることはありえない。逆に、自我は、自我からの自我のこの分離を通じてのみ可能なのである。私はどうやって自己意識なしに、“私!”と言いうるというのだろう?(ヘルダーリン「存在・判断・可能性」私訳)
When I say: I am I, the Subject (Ego) and the Object (Ego) are not so united that absolutely no sundering can be undertaken, without destroying the essence of the thing that is to be sundered; on the contrary the Ego is only possible through this sundering of Ego from Ego. How can I say “I” without self‐consciousness? (Friedrich Hölderlin)
<ドイツ語原文>
Ich bin Ich, so ist das Subject (Ich) und das Object (Ich) nicht so vereiniget, daß gar keine Trennung vorgenommen werden kann, ohne, das Wesen desjenigen, was getrennt werden soll, zu verlezen; im Gegenteil das Ich ist nur durch diese Trennung des Ichs vom Ich möglich. Wie kann ich sagen: Ich! ohne Selbstbewußtseyn? Wie ist aber Selbstbewußtseyn möglich? (Urtheil und Seyn)
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ところで、たとえば柄谷行人の『探求Ⅱ』にはこうある。
他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者、つまり自らを”超越的”な立場にあるとみなす者こそ、夢をみているだけなのだ。デカルトは、そのような人々の間にまじって「真理」を説くことを回避したが、というのも、彼の懐疑は、どのような共同体(システム)にを属さない空=間においてしか根拠がなかったからである。それは、さまざまな真理を幻想とみなすメタレベルではありえない。
夢のなかで夢をみていることを自覚しても、なおひとが夢をみていることには変わりない。デカルトは、ひとが完全にめざめる(夢の外部に出る)ことができるなどとは考えない。つまり、彼は超越的立場を斥ける。彼の方法は、カントやフッサールの用語でいえば、超越論的なのである。超越論的な方法によってしか、幻想を幻想とみなす、逆にいえば真理を基礎づけることはできない。が、超越論的とは、上方や下方に向かうことではない。それはいわば横に出ることだ。(柄谷行人『探求Ⅱ』P90)
《他の人間が夢をみているだけだから眼ざめさせねばならぬと考える者》が、なぜ超越的(メタレベル)なのかは、他人を対象化して、おのれを階層的秩序の上においているからだ。《「メタ言語的陳述」と呼ばれているものは、支配の論理にほかならぬ(……)。「超=メタ」であることとはとりもなおさず階層的秩序の上位に位置することを意味する》(蓮實重彦『物語批判序説』)
柄谷行人の文は、メタレベルがありえないこと、あるいはデカルトの「超越論的態度」を称揚する「内容」をもっている。言表内容としては、メタレベル批判である。だが言表行為に注目してみよう。とすればたちまちメタレベルがありえないことをメタレベルから語っているようにみえないでもない。すなわち超越論的態度を顕揚する超越的ディスクールであると。もちろん文章を短く切り取ったからいっそうそのように見え勝ちだという側面はあるが、この文の前後を読んでみても、上方に向かっていて、《横に出ること》をしていないという印象を受ける(あくまでわたくしの印象である)。
古井由吉の云う《自我を抱えながら身上話の客観性へ身を臥せる、水平へひろがり深くなる》姿態、--ここではその態度を「超越論的」態度としてみるがーーそれをみることはむずかしい。これがロラン・バルトが支配の論理、父性原理の権化である論文形式をひどく嫌った理由であろう。
知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)
メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。(ロラン・バルト『作品からテクストへ』)
ーーだがバルトの言葉さえこうやって抜き出せば、メタレベルではないか、という疑義が湧かないでもない。バルトが最晩年のコレージュ・ド・フランスの講義の主題は、『小説の準備Ⅰ、Ⅱ』(1978~1980)であったこと、プルーストのような小説を書きたいと願ったことはそれにかかわる。バルトはこの講義録の導入部で、次の日記を読み上げている。
悲しみ。ある種の倦怠感。自分がしたり、思ったりするすべてのことにまつわるとぎれることのない(最近、喪に服していらいの)、同じ倦怠感(心的エネルギーの備給の不在)。帰宅。空虚な午後。ある困難な瞬間。午後(のちに語る)。たった一人。悲しみ。塩漬けのような状態。私は、かなりの強度で思考する。あるアイディアが不意にわきあがる。文学的な回心のようなものーー古くさい二つの単語が心によみがえる。文学に踏み込むこと。エクリチュールに踏み込むこと。これまで自分がやったことのないようなやり方で、書くこと。もう、それしかやらないこと。まず、エクリチュールによる生を統一するために、コレージュをやめること(講義は、しばしば書くことと葛藤状態に陥るから)。続いて、講義と仕事とを同じ企て(文学的な)へと投入し、主体の分割を停止せしめ、たった一つの計画、偉大なる計画を優先させること。(ロラン・バルト「日記」1978年4月15日 カサブランカにてーー嘘によってしか愛するものを語ることはできない)
…………
…… 自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人では ないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて 語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつね に自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿 たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。 (フーコー『外の思考』豊崎光一訳)
……の作品はこの分裂を、言葉のさまざまに異 なる水準への絶えざる移行によって、言葉を口にしたばかりの〈私〉、もうすでに言葉を繰りひろげたり言葉の中に腰を据える用意ができている〈私〉に対する 組織的な断絶によって、はるかにまざまざと示しているのだ-時間における断絶(「私はこれを書いていた」とか、さらに、「私が後もどりして、またこの道を 行くなら」)、言葉とそれを語る人とのあいだの距たりにおける断絶(日記、手帖、詩、短編、省察、論証的言説など)、思考し書く主権性に内部的な断絶(著 述、無署名の文章、自分の著述に寄せる序文、付加したノートなど)。そして、哲学する主体のこの消滅の中核をこそ、哲学的言語は迷路の中でのように前進し てゆくのであり、それも主体をふたたび見出すためにではなくて、その喪失を(しかもその言語によって)限界に至るまで、ということはその実体が現出する、 だがすでに失われ、全面的にみずからの外に拡がって、絶対的空虚に至るほどに自己を空虚にされて現出するあの開口に至るまで、経験するためなのだ……。(同上)
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ここで唐突に、超越的/超越論的とは、じつはイロニー/ユーモア的態度のことではないか、という問いを発してみよう。
誰かが他人にたいしてユーモア的な精神態度を見せるという場合を取り上げてみると、きわめて自然に次のような解釈が出てくる。すなわち、この人はその他人にたいしてある人が子供にたいするような態度を採っているのである。そしてこの人は、子供にとっては重大なものと見える利害や苦しみも、本当はつまらないものであることを知って微笑しているのである。(フロイト「ユーモア」 フロイト著作集3 P408)
ユーモアとは、ねえ、ちょっと見てごらん、これが世の中だ、随分危なっかしく見えるだろう、ところが、これを冗談で笑い飛ばすことは朝飯前の仕事なのだ、とでもいうものなのである。
おびえて尻込みしている自我に、ユーモアによって優しい慰めの言葉をかけるものが超自我であることは事実であるとしても、われわれとしては、超自我の本質について学ぶことがまだまだたくさんあることを忘れないでおこう。(……)超自我がユーモアによって自我を慰め、それを苦悩から守ろうとすることと、超自我は両親が子供にたいして持っている検問所としての意味を受けついでいるということとは矛盾しないのである。(同P411)
フロイトの考えでは、ヒューモアは、自我(子供)の苦痛に対して、超自我(親)がそんなことは何でもないよと激励するものである。それは、自分自身をメタレベルから見おろすことである。しかし、これは、現実の苦痛、あるいは苦痛の中にある自己をーー時には(三島由紀夫のように)死を賭してもーー蔑視することによって、そうすることができる高次の自己を誇らしげに示すイロニーとは、似て非なるものだ。なぜなら、イロニーは他人を不快にするのに対して、ヒューモアは、なぜかそれを聞く他人をも解放するからである。(……)それがメタレベルに立つのは、同時にメタレベルがありえないことを告げるためである。ヒューモアは、「同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す」(ボードレール)ものである。
他方、ドゥルーズは「ユーモア」はフロイトのいうような超自我の態度ではないとする。
われわれは、ユーモアというものがフロイトの思惑どおりに強力な超自我を表現するものとは思わない。たしかにフロイトは、ユーモアの一部をなすものとして自我の二義的な特典の必要を認めていた。彼は、超自我の共犯による自我の侮蔑、不死身性、ナルシスムの勝利ということを口にしていた。ところが、その特典は二義的なものではない。本質的なものなのである。だから、フロイトが超自我について提示するイメージーー嘲笑と否認を目的としたイメージを文字通りうけとるのは、罠にはまることにほかならない。超自我を禁止するものが、禁断の快楽獲得のための条件となるのだ。ユーモアとは、勝ち誇る自我の運動であり、あらゆるマゾヒスト的帰結を伴った超自我の転換、あるいは否認の技術なのである。というわけで、サディスムに擬マゾヒスム性があったように、マゾヒスムにも擬サディスム性が存在するのだ。自我の内部と外部とで超自我を攻撃するこのマゾヒスムに固有のサディスムは、サディストのサディスムとはいかなる関連も持ってはいない。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』P154 蓮實重彦訳ーー「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト))
「ユーモア」とは「横にずれること」だと読みうる主張である。それは《自我を抱えながら身上話の客観性へ身を臥せる、水平へひろがり深くなる》態度なのではないか。
――と書くわたくしは、メタレヴェルに立って書いていることに自覚的でなければならないだろう。
かつて浅田彰がどこかでイロニーの人柄谷行人とユーモアの人蓮實重彦としつつ、両者の態度は知らぬまに反転しているようにみえる、すなわち柄谷行人がユーモア的に、蓮實重彦がイロニー的に感じられるときもある、と語っていたはずだが、どこでだったかは思い出せない。
今、いろいろ書いている人(蓮實重彦、渡部直己、高橋源一郎)は、ロマンティシュ・イロニーの現代版だね。あえて無意味なものを選んで戯れて、自己意識の優位性を確保するといった審美的姿勢だ。しかし保田與重郎には、上田秋成と同じく、激烈なもの、奇矯なものがある。(柄谷行人「昭和をこえて」)
…………
最後に附記しておけば、たとえば、デカルトの『方法序説』、カントの『視霊者の夢』の叙述には、超越論的態度がある、だがその後、それは消えてしまったという観点がある。
『視霊者の夢』に見られるカントの「理性の不安」や多元的分散性は、『純粋理性批判』では致命的にうしなわれてしまった、と坂部(恵)氏はいう。(近代批判の鍵)
他方、柄谷行人は、《カントの超越論的「批判」には、経験的自明性を括弧に入れる「決意」、あるいは「私は批判する」が偏在している》とする。これは柄谷行人の書き物においても、《経験的自明性を括弧に入れる「決意」、あるいは「私は批判する」が偏在している》とする読み方もあるだろうとは思う。
デカルトの「私は疑う」は私的な「決意」である。「私」とは単独的な実存、デカルトのことである。これはある意味で経験的な自己である。しかし、同時に、それは経験的な自己を疑う自己であり、それによって超越論的自己が見出される。こうした三つの自我の関係が、デカルトの場合あいまいになっている。
ここでデカルトが「我在り」(スム)というとき、それが「超越論的自己が在る」という意味なら、カントがいうように虚偽であろう。それは考えられるが、存在する(直観される)ものではない。しかし、スピノザは、「われ思う、ゆえにわれ在り」は、三段論法あるいは推論ではなく、「私は思惟しつつ存在する」(ego sum cogitans)と同じことであると述べた(『デカルトの哲学原理』)。もっと正確にいえば、それは「私は疑いつつ在る」ということである。心理的自我の自明性を疑うという「決意」はたんなる心理的自我ではありえない。が、またそのような疑いによって見出される超越論的自我でもない。とすれば、それは何なのか(しかし、厳密には、この時われわれは、在るものは「何か」というよりも「誰か」と問うべきなのだ)。
この問いはカントにとっても無縁ではないだろう。なぜなら、カントの超越論的「批判」には、経験的自明性を括弧に入れる「決意」、あるいは「私は批判する」が偏在しているからである。しかし、カントはそれについて語らなかった。デカルトの『方法序説』が重要なのは、そこで彼がもう一つの「スム」の問題――すべての自明性を括弧に入れる私はどのように在るかーーを開示しているからだ、この書物以後に、彼は二度とそれについて語らなかったとはいえ。だが、カントにおいて「スム」の問題は重要である。(……)カントの超越論的批判は、たんに理論的でありえず、彼自身の実存と切り離すことができないのである。(『トランスクリティーク』P134)