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2013年8月31日土曜日

痛みやすい果実

(私はきのう書いたことをきょう読み直す)、印象は悪い。それは持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪いことに、私は、自分では全然望んでいなかった《ポーズ》を認めて、嫌気がさし、いらいらする。


 私は一度も日記をつけたことがない。――というよりも、むしろ、日記をつけるのがいいのかどうか、わからなかったのだ。時折、始めてみる。そして、すぐやめるーーしかし、少し経つと、またつけ始める。それは間歇的にちょっと書いてみたくなるだけで、重大な意味もなければ、主義主張といった定見があるわけでもない。私はこの日記《病》に診断を下すことができるように思う。つまり、それは日記を書く事柄の価値についての解きがたい疑念なのだ。

この疑念は油断がならない。ゆっくり進行する疑念だからである。第一期には、(毎日の)メモを取る時、私はある種の快楽を覚える。これは簡単でやさしい。何を書くべきかを考えて苦しむまでもない。材料はすぐみつかる。露天掘り鉱山のようなものだ。身をかがめさえすればいい。手を加える必要もない。そのままで、価値がある、等々。第二期には、それは第一期のすぐ後なのだが(私はきのう書いたことをきょう読み直す)、印象は悪い。それは持ちが悪い。腐りやすい食物のように、一日経つごとに、変質し、傷み、まずくなる。わざとらしい《誠実さ》、芸術的に凡庸な《率直さ》に気づき、意気阻喪する。さらに悪いことに、私は、自分では全然望んでいなかった《ポーズ》を認めて、嫌気がさし、いらいらする。日記という状況のもとにあって、しかも、まさに、《仕事》をしていない(仕事のために姿を変えていない)からこそ、私というのはポーズ屋なのである。それは効果の問題であって、意図の問題ではない。文学のむずかしさはまさにそれに尽きる。読み進めていくと、すぐに、動詞のない文に(《不眠の夜。すでに連続三夜、等々》)、あるいは、無造作に動詞を短縮した文に(《St.S広場で二人の少女に遭遇》)うんざりしてくるーー慎ましく完全な形(《私は出逢った。私は不眠の夜を過ごした》)に戻しても無駄であろう。日記の母型、すなわち、動詞の縮減は私の耳に残り、決まり文句のように私をいら立たせる。第三期は、書いてから数カ月後から数年後に日記の数ページを読み直すと、疑念は晴れないものの、私は、その数ページのおかげで、それが物語る出来事を思い出し、さらには、それが蘇らせてくれる(光や雰囲気や気分の)ニュアンスを思い出し、ある種の快楽を覚える。要するに、こんな具合に、文学的興味はまったくなく(言語化、つまり、文の問題に対する興味を除けば)、私の体験(それの想起はやはり曖昧である。なぜなら、思い出すとは、二度と戻らぬ出来事を確認し、再度失うことでもあるからである)に対する一種のナルシス的愛着があるのだ(ナルシス的といっても、ほんのわずかだ。誇張してはならない)。しかし、またもや問題となるのだが、拒否の局面を経た後に到着したこのような最後の心地よさが日記を(几帳面に)つける理由となるだろうか。その苦労に値するだろうか。

私はここで《日記》というジャンルの分析を始めているのではない(それについての本は何冊もある)。実践的な決断を下すための個人的な省察をしているのである。私は公開を目的として日記をつけるべきだろうか、私は日記を《作品》にすることができるだろうか、と。だから、私はふと思いつく機能だけしか問題にしない。たとえば、カフカは、《自分の不安を根絶する》ために、いいかえれば、《救いを得る》ために日記をつけた。私にはこの動機は自然とは思えない。少なくとも終始不変とは思えない。伝統的に「私的日記」に与える目的についても同様である。もはやそれが適切とは思えない。それは《誠実さ》(自分を語る、自分をさらけ出す、自分を裁く)の効用や威光と結びつけられてきた。しかし、精神分析、サルトルの底意批判、マルクス主義のイデオロギー批判が告白を空しいものとしてしまった。誠実さは第二度の想像物〔イマジネール〕でしかない。そうだ。(作品としての)「私的日記」を正当化する理由は、純粋な意味で、懐古的でさえある意味で、文学的でしかあり得ないだろう。私は、今、四つの動機を考えている。

第一は、エクリチュールの個性、《文体》(以前なら、そういっただろう)、作品に固有の個人語法(少し前なら、そういっただろう)に彩られたテクストを提供することである。これを詩的動機と名づけよう。

第二は、毎日毎日、重大なニュースから風俗の細部まで、大小入りまじった時代の痕跡を散りばめることである。(……)これを歴史的動機と名づけよう。

第三は、作者を欲望の対象とすることである。私は私の関心を引く作家の内面を知りたいと思うことがある。彼の時代の、趣味の、気質の、気づかいの日常的な細部を知りたいと思うことがある。作品よりも彼の人となりの方を好むことさえある。彼の「日記」を貪り読んで、作品は放り出すこともある。だから、私は、他人が私に与えることのできた快楽の作り手となって、今度は自分が、作家から人間に、また、その逆へと移行させる回転ドアのように、人を誘惑しようと努力することができる。あるいは、さらに重大なことだが、(私の本の中で)《私は私が書くものよりも価値がある》ことを証明しようと努力することもできるのだ。「日記」のエクリチュールは、その時、剰余としての力(ニーチェのいうPlus von Macht「力の剰余」として作られる。人はそれが完全なエクリチュールに欠ける所を補うであろうと思っている。これをユートピア的動機と名づけよう。実際、人は決して、「想像物〔イマジネール〕」に打ち勝つことができないからである。

第四の動機は「日記」を文の作業場にすることである。《美しい》文のではない。正確な文のである。つまり、絶えず言表行為〔エノンシアシオン〕の(言表〔エノンセ〕のではない)正確さを磨くことである。夢中になって、一生懸命、デッサンのように忠実に。もうまるで情熱としっていいほどに。《もしあなたのくちびるが正しい事を言うならば、わたしの心も喜ぶ》(『箴言』、第二十三章十六節)。これを愛の動機と名づけよう(多分、熱愛的とさえいってもいいだろう。私は「文」を熱愛する)。……(ロラン・バルト「省察」1979『テクストの出口』所収)


《日記も、読まれることを予想して書かれることがしばしばある。永井荷風の『断腸亭日乗』やジッドの『日記』は明らかにそうであろう。精神医学史家エランベルジェは、日記を熱心に書きつづける人には独立した「日記人格」が生まれてくると言っている。日記をつける人も読む人も、このことは念頭に置くほうがよいだろう。》(中井久夫「伝記の読み方、愉しみ方」『日時計の影』所収)



ーーーきみたちの(「きみたち」、つまりイマジネールな「きみたち」である)の徹底的なニブサは、自らのポーズにまったく気づかないことだ。

機銃掃射で/ひとり残らずぶっ殺してやりたい」(谷川俊太郎)ってこと

あるいは自分の媚態や挑発の迎合性に恥じるってことさ
それに恥じたら今度は逆にワザといかめしく振舞ってみて
(いや平静さを装ってでもいい)
それをも恥じるってこと
銃口を自分の口で咥えてみたくなるってこと

ーーないのかね、「きみたち」には?

…………


前投稿のミシェル・ベロフだと? アルゲリッチのオーラにあてられてスランプになっただと? そんなことはどうだったいい(というふうに書くのは関心がある証拠だ)。

1950年生まれのベロフはいいおっさん(あるいは ほどよく凡庸な?)になっている。




 ごくろうさん、20歳のベロフはあっけなく消えた。詩人は長生きするもんじゃない(などというのも凡庸な言い草だ)。



 ーーミシェル・ベロフ1970年(20歳)のデビューアルバムより


 ミケランジェリやポリーニのドビュッシーがいいなどと言っている連中は耳が悪いんじゃないか、--などと(20歳のときのオレのようには)、今のわたくしは決して言わない。


ドビュッシー自身の演奏による「沈める寺院」。







2013年8月30日金曜日

無邪気に偽装された侮蔑

《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……》、《もしかしたら自分は自殺を図ったのかなあという感じはありますね》






《 いや、お弟子さんというか、元々要素はお持ちですから、私に代わってオウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃないでしょうかね》(麻原彰晃氏――ビートたけし氏との対談1991)

このとき冗談めかして、《いや、俺はね、5年後は、自殺するか、やめちゃうか、どっちかだと思っているんですよ》としている。

吾良の死以後の短い間に古義人がテレヴィ局や新聞社、また週刊誌の人間から受けとった印象は特殊なものだった。それは、かれらに自殺者への侮蔑の感情が共有されている、ということだ。

侮蔑の感情は、マスコミの世界で王のひとりに祭り上げられていた吾良が引っくり返り、もう金輪際、王に戻って反撃することはないという、かれらの確信から来ていた。

吾良の死体に向けて集中した侮蔑はあまりに大量だったので、ついにはみ出すようにして、マスコミのいう吾良の関係者にも及んだ。書評委員会の集まりなどでは親身にあつかってくれた女性記者から、取材申し込みが留守番電話に入っていたが、そこに浮びあがるのは、やはり権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑だった。

(……)

……古義人は、吾良の死を映画の仕事の行き詰まりに帰している記事に納得しなかった。イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督が、受賞映画のプロモーションにアメリカへ出かけて、おおいに受けたという、
――吾良さんが屋上から下を見おろした時、私の受賞が背中をチョイと押したかも知れない、というコメントを読んだ時も、こういう品性の同業者かと思っただけだ。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)

※吾良は伊丹十三がモデル、「コメディアン出身の監督」とはもちろん北野武のこと。北野武の「自殺願望かもしれない」とされるバイク事故は1994年、伊丹十三の投身自殺は1997年のこと。

一時期、吾良がフロイドやラカンの専門家たちと知り合って、脇で見ていて不思議なほど素直に影響を受けたことがあったでしょう? その経過のなかで、吾良はやはり子供じみて聞えるほど素直に、いかに自分が母親から自由になったか、を書きました。けれども私は、こんなに容易にお母様から離れられるはずはない、と思っていた。私は無知な人間ですけど、そして幼稚な疑いだともわかっていますけど、心理学が大のオトナにそんなに有効でしょうか? 吾良だってすでに、海千山千のインテリだったじゃないですか?

私は吾良がいつかは心理学に逆襲される、と思っていました。あのような死に方をしたことの原因のすべてを、心理学の逆襲だというつもりはないんです。しかし、吾良の心理状態のヤヤコシイもつれについてだったら、幾分かでも、あの心理学者たちに責任をとってもらいたいと考えることがあるわ。(大江健三郎『取り替え子』(67~68頁)


ここには、それが彼の妻のモデルである千樫の発話であるとはいえ、心理学、あるいは精神分析に常に一定の距離を置く大江健三郎がいるといえる。そして一般の人が「精神分析」に拒絶反応を起こすときの代表的態度のひとつともいえる。

……はじめ古義人は吾良を、父親の特質を受け継いだ息子とみなしていた。しかしそのうち、吾良にはむしろ母親からつたわっているものが多いことに気付いた。吾良自身、それを克服するという動機づけで、心理学に深入りすることにもなったのだ。その時分、かれがフロイドやラカンの学者と対談した記録の、悪くいえば速成の著書を読んでみても、古義人には吾良がたてまつっている心理学者たちに納得できず、若い編集者から、あたなは、吾良さんの新しい友人に嫉妬しているのじゃありませんか、といわれたりした。(同 123頁)

…………


閑話休題。



あきらかなことだが、われわれを連れ去ろうとする人たちは、はなばなしくもそうぞうしい外観の花火により、賞賛により、侮辱により、皮肉により、恥辱により、威嚇によって、われわれの注意をおびえさせ、疲れさせ、がっかりさせることからまずはじめる。(アラン『プロポ』)

《ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をおそらくいっそう孤独にした。名声とは結局、一つの新しい名のまわりに集まるすべての誤解の総体にすぎないのだから。》(リルケ『ロダン』)

すぐれた人と呼ぱれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』)


《……公衆の面前で悪しざまに罵倒することができる数少ない公的存在として、世間が○○を選んでしまったのである。実際、不死の人という特権を身にまとって以後の彼は、ますます説話論的な犠牲者としての相貌を明らかなものにしてゆき、いまや、反動的な非国民として、全会一致の敵意を全身でうけとめざるをえなくなっている。》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P771)

私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。(中井久夫「編集から始めた私」『時のしずく』所収 )





…………

私の身辺にある人間がいる。私はその人を憎んでいる。だからその人が何かの不幸にもで遭えば、私の中には烈しい喜びの気持が動く。ところが私の徳義心は、私自身のそういう気持を肯定しようとしない。私はあえて呪いの願望を外に出すことをしかねている。さて偶然その人の身の上に何か悪いことが起こったとき、私はそれに対する私の充足感を抑えつけ、相手の気の毒に思うことを口にも出すし、自分の気持にも強制するであろう。誰にもこんな経験はあるにちがいない。ところがその当の人間が不正を犯してそれ相当の罰をこうむるというようなことでも起ると、そのときこそ私は、彼が正当にも罰をこうむったことに対する私の充足感を自由に外に出すことができる。そして、彼に対して愛憎を持っていない多くの人々と自分もこの点では同意見だとはっきり口外する。しかし私の充足感はほかの人たちのそれよりも一段と強いものであることを、私は自分自身のうえに観察しうる。私の充足感は、情念動出を内心の検閲によってそれまでは妨げられていたが、今や事情が一変してもはやそれを妨げられることのなくなった私の憎悪心という源泉からエネルギーの補助を受けているのである。こういう事情は、反感をいだかれている人物であるとか、世間から好かれていない少数党に属する人間であるとかがなんらかの罪を己が身の上に招くようなときには普通世間でよく見られるところのものである。こういう場合、彼らの受ける罰は彼らの罪に釣り合わないのが普通で、むしろ彼らに対して向けられていたが外に出ることのなかった悪意プラス罪というものに釣り合うのである。処罰者たちはこの場合明らかに一個の不正を犯す。彼らはしかし自分たちが不正を犯しているということを認め知ることができない。なぜならかれらは、永いこと一所懸命に守ってきた抑制が今こそ排除されて、彼らの心の中には充足感が生まれてきて、そのために眼が眩んでしまっているからである。こういう場合、情動はその性質からすれば正当なものであるが、その度合からすれば正当なものではない。そして第一の点では安心してしまっている自己批評が、第二の点の検討を無視してしまうのはじつに易々たることなのである。扉がいったん開かれてしまえば、もともと入場を許可しようと思っていた以上の人間がどやどやと入りこんでくるのである。

神経症患者における、情動を湧起せしめうる動因(きっかけ)が質的には正常だが量的には異常な結果を生むという神経症的性格の著しい特色は、それがそもそも心理学的に説明されうるかぎりではこのようにして説明されるのである。しかしその量的過剰は、それまでは抑制されて無意識のままにとどまっていた情動源泉に発している。そしてこれらの源泉は現実的動因(きっかけ)と連想的結合関係を結びうるものであり、また、その情動表出には、何の要求をも持たないところの、天下御免の情動源泉が望みどおりの途を拓いてくれるのである。抑制を加える心的検問所と抑制を受ける心的な力とのあいだにはいつも必ずしも相互的妨害の関係が存するばかりではないということにわれわれは気づかされるわけである。抑制する検問所と抑制される検問所とが協同作業をして、相互に強化しあい、その結果ある病的な現象を生じせしめるというようないくつかの場合も同様注目に値する。……(フロイト『夢判断』下 新潮文庫P219-221)


《……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。》(フロイト「あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)」)







※附記

われわれの友人は、各自に多くの欠点をもっているから、そんな友人を愛しつづけるにはーーその才能、その善意、そのやさしい気立てを考えてーーその欠点をあきらめるようにするか、またはむしろ、積極的にわれわれの善意を出しきってその欠点をのんでしまうようにつとめなくてはならない。不幸にも、友人の欠点を見まいとするわれわれの親切な根気は、相手が盲目のために、それとも相手が他人を盲目だと思いこんでいるために、あくまでその欠点をすてないので、その頑固さにうちまかされてしまう。相手は、なかなか自分の欠点に気がつかず、また自分では他人に欠点を気づかれないと思いこんでいるのだ。他人のきげんをそこなう危険は、何よりも物事がそのまま通ったか気づかれなかったかを見わけることの困難から生じるのだから、われわれは用心して、すくなくとも自己のことはけっして語らないがいいだろう、なぜなら、自己の問題では、他人の見解とわれわれ自身のそれとがけっして一致しないことは確実だといえるからだ。他人の生活の真相、つまり見かけの世界のうらにある真の実在の世界を発見するときのおどろきは、見かけはなんの変哲もない家を、その内部にはいってしらべてみると、財宝や、盗賊の使う鉄梃〔かなてこ〕や、屍体に満ちている、といったときのおどろきに劣らないとすれば、われわれが他人のさまざまにいった言葉からつくりあげたわれわれ自身の像にくらべて、他人がわれわれのいないところでわれわれについてしゃべっている言葉から、他人がわれわれについて、またわれわれの生活について、どんなにちがった像を心に抱いているかを知るときも、またわれわれのおどろきは大きい。そんなわけで、われわれが自分のことについて語るたびに、こちらは、あたりさわりのない控目な言葉をつかい、相手は表面はうやうやしく、いかにもごもっともという顔をしてきいてかえるのだが、やがてその控目な言葉が、ひどく腹立たしげな、またはひどく上調子な、いずれにしてもはなはだこちらには不都合な解釈を生んだということは、われわれの経験からでも確実だといってよい。一番危険率がすくない場合でも、自己についてわれわれがもっている観念とわれわれが口にする言葉とのあいだにあるもどかしい食違によって、相手をいらいらさせるのであって、そうした食違は、人が自分について語るその話を概してこっけいに感じさせるもので、音楽の愛好家を装う男が、自分の好きなアリアをうたおうとして、その節まわしのあやしさを、さかんな身ぶりと、一方的な感嘆のようすとで補いながら、しきりに試みるあのおぼつかないうたいぶりに似ているだろう。なお自己と自己の欠点とを語ろうとするわるい習慣に、それと一体をなすものとして、自分がもっているものとまったくよく似た欠点が他人にあるのを指摘するあのもう一つのわるい習慣をつけくわえなくてはならない。
ところで、自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人の中に向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト『花咲く乙女たちのかげに 第二部』井上究一郎訳)

《性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。》(プルースト『見出された時』 井上訳)



…………

最後のバルバラの伴奏はミシェル・ベロフ。わたくしはドビュッシーのプレリュードを最初に若きベロフの録音で聴いた(当時は全集版はそれしか手に入らなかったのかもしれない)。

ベロフはアルヘリッチとの恋愛、才能への嫉妬などがあったらしい。






1983年 10歳年下のミシェル・ベロフと交際開始
1986年 ベロフと破局

ベロフが、華々しくデビューしたのはよいのですが、しばらくしてスランプに陥ったのかどうか、さっぱり名前を聞かなくなったなあ という時期がありました。
この本によると、これは、アルゲリッチの放つオーラを浴びて、エネルギーをすっかり奪い取られ、自信喪失に陥った挙げ句の深刻なスランプだったということです。(ついには、右手が動かなくなってしまった。その後、ベロフは、アルゲリッチのもとを離れ、右手も回復、再び演奏活動を再開することが出来るようになった。)(マルタ・アルゲリッチ~子供と魔法 

次の演奏は蜜月時代のものなのだろう。なんというビロードの肌触り。

September, 1985.
Locarno, Switzerland. live






2013年8月29日木曜日

ちゃんとウンコはふけてるかい  弱虫野郎め

「きいた風なことを言うのには飽きちゃったよ
印刷機相手のおしゃべりも御免さ
幽霊でもいいから前に座っていてほしいよ
いちいち返事されるのもうるさいけど」

――谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった」5番より

柄にも似合わないこと書いちゃだめだな
あんなことオレにはどうだっていいんだよ
わかるかい?

「きみはウツ病で寝てるっていうけど
ぼくはウツ病でまだ起きている
(……)
きみはどうなんだ
きみの手の指はどうしてる
親指は親指かい?
ちゃんとウンコはふけてるかい
弱虫野郎め」

――同8番より

やめとけよ
「アタシ淋しいんです」
「どうかアタシのことカマッテください」
のメタ・メッセージしかないぜ
淋しい同士で慰め合いかい

「おぼえがありませんか
絶句したときの身の充実
できればのべつ絶句していたい
でなければ単に唖然としているだけでもいい」

――同14番より

いや好きにしたらいいい
いちいち返事されるのがうるさいだけさ
《対話者同士の定期的な会合から期待し得るものは
ただ好意だけである》(バルト)だからな
オレはそんなものはいらないだけさ

「何故やっちまわないんだ早いとこ
ぼくは自分にかまけていて
きみらがぼくの年令になるまで
見守ってやるわけにはいかないんだよ」

――同1

相手がいなかったなら
腰の奥の力の圧力抜きしてみろよ
《「瞑想」によく集中できるように、ムダな神経を使わないことにしたい。周囲を気にかけないで、必要なら自由にマスターベーションをすることをすすめたい。腰の奥の力に押しまくられて、---もうだめだ、これ以上はガマンできない! と自分にいいながら、ベッドから這い出すようなことはないようにしたい。

なんとも心が苦しい時、いくらかでもそれをまぎらすためにマスターベーションをするならば、それはアルコール飲料に走るよりも健全だと思います。マスターベーション依存症という話はきいたことがありません。動物園の猿の話は聞いたように思うけど、すくなくとも人間でいうかぎり…… 圧力抜きをすれば、また圧力が増してくるまでは、しばらくなりと「瞑想」に集中できるでしょう。》(大江健三郎『人生の親戚』)

なあ、おい
「話題を変えよう」(同10番)

大江のセブンティーン第二部「政治少年死す」ってのは
ウェブ上にあるんだな
いくつかの誤入力はあるようだが
捨てたもんじゃない
《右翼が恐くで出さぬ『政治少年の死』を出版しろ、と自分に迫っていた文章を思い出し、憮然としたのである》(大江健三郎『取り替え子』)
って奴だかね
《おれは奇妙に寂しくてたまらず、裏切られたような、うろ寒さを感じて、静謐のなかに安定している傲然とした国会議事堂をながめた、それは他人の城だ、よそよそしい。》


「静謐」ってのは70年代に活躍した
おふらんす系の作家がよく使ったんだよな
オレもいかれたほうだがね
《老いたる者をして静謐の裡にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり 》(中原中也)
ってのもあるが
八〇年代以降、本の帯文や音楽批評で濫用されるようになって
陳腐化したね
いまでも松浦寿輝とか佐々木中などが使用して
はっとすることはあるし
彼らに文句をいうつもりはないがね

《「言葉が軽い」のと「言葉に軽みがある」のとは断じて違う。無闇と振り回さないと決めて大事にしている語彙はあるか? 安易に流れるから絶対使わない言葉は? 重々しい言い方で、だらしない共感をもとめていないか? 純粋素朴を装い、自らの密かな欲望から目をそらして言葉を使っていないか? 》(佐々木中)

無闇と振り回さないように決めた語彙だな
あるだろ、誰にだってさ

「たとえば<愛>という言葉の中身が、年齢とともに経験を重ねて、私の場合若い頃に比べて深まっていると感じています。同じようなことが震災という言語化し難い大きく深い経験によって、多くの人にたとえば<絆>という言葉に起こったのではないかと考えられます。しかしメディア上で多用されるにつれて、この言葉の中身は急速に軽く薄くなってゆき、個人の心の中ではかけがえのない大切な言葉だったものが、ただの決まり文句に堕していったのも事実でしょう」(谷川俊太郎

――ということはあるよな、使えない言葉が出てくるってこと

震災にかかわる言葉とは限らないよ
ことさら耐えがたいのは
下品な文学趣味の弱虫野郎だな
「目の前の現実に対して言葉は既成の言葉の中からほとんど自動的に選ばれる。つまりは美文が生まれる…要するに銭湯の壁画みたい」(大岡昇平)なんだよな

静謐は由緒ただしい言葉のようだがね
肃肃以静謐,密微微其清閒
南之地,开拓土宇,静謐封疆(漢典


オレには「静謐」は「聖櫃」だな
ところが「どうかアタシのことカマッテください」のたぐいの
ナルシシスティックなお嬢さんが
静謐の語を使っているのをみかけると
「性櫃」という漢字に想到するのだよ
「櫃」というのは小箱であって
《小筥、箱、大きめの箱、箪笥、長持、暖炉、その他洞穴、船、容器類いっさいは女体の象徴である。――夢の中の部屋は大抵の場合「女」、部屋の出口、入口が表現されていればこの解釈はますます疑いのないものになる。部屋が「あいている」か「しまっている」かという関心は、この関連において容易に理解されるだろう(『あるヒステリー症分析の断片』におけるドラの夢を参照)。さてその部屋の扉がどういう鍵で開かれているかは改めていう必要はなかろう。》(フロイト『夢判断』)

――というわけで、「性膣」なんだなあ
失礼した、下品だな

「話題って変わりにくいな」(同10番)



2013年8月27日火曜日

「知らないふり」

前投稿に早速コメントを貰っていますが、コメント欄に応答するのは苦手なので、ここに書きます。というか、すこし前、書いたのだけれど投稿を思いとどまった文があるので、それを掲げます。これはことさら特別なことを書いているわけではなく、読み返してみたら、まさに知識人ぶりたい人間の典型のような「はしたない」文章で、まあ返答になるのかどうかは別にして、あなたの刺激になったらいい、それは前投稿と同じく。

“知識人”をどこかに想定しそれを批判することで自らを意味あらしめようとするようなタイプ、それが知識人なのである。(柄谷行人「死語をめぐって」ーー「フローベールの『紋切型辞典』をめぐって」より)

…………

未だに「福島のコメは…」とか言っている人は,昨年1000万袋以上の全量全袋検査で,100Bq/kg超が71袋しか出なかった(それらは廃棄)事実も,その意味も,その理由も,その背後にあった努力も知らない(ないしは知らないふりをしている)hayano 2013-08-22

早野龍五氏のツイートであり、おそらくこのように語った文脈というものがあるのだろうが(たぶん早野批判者へのあてつけ)、これだけ取り出してみると、いかにも「ナイーヴな」科学者らしい発言に見えてしまう。ひとはそれを知っていても怖れるという心理を早野氏は「知らないふりをしている」。

検査はあるとき、あるいはある範囲で完璧であったにしても、「想定外」の出来事が起らぬとはどうしていえよう。

想定外? 金輪際ふたたび聞きたくない言葉だ、ーー《彼らには「想定外」がものすごく多い。こうした「無知」で「無恥」な専門家たちの指示で動いてパニックになれば、分からないことだらけになって当然。私は「科学というのは罪科(つみとが)の学だ」と言っている。このような「科学(とががく)」はものごとをけっして全体で見ようとせず、専門領域の中で部分的真理ばかりを探究する。そして深刻な事故が起こると枝葉末節の議論に終始し、情報を隠蔽する。》(槌田 劭「原発と「科学」」)


ひとはいつまでも完璧ではありえない。それをひとびとはこの二年半いやというほど知らされたのではないか。わたくしならたとえば幼い子供やら孫がいたら、福島、あるいはその近県の食べ物を与えるのを極力避ける。それが人情というものだ。いや子供だけではない。たとえば福島産と関西産の農産物が二種類並んでいたら、よほどのことがないかぎり後者を選ぶのではないか。もっとも、わたくしは海外住まいなので、日本に住む人の実感と懸け離れているのかもしれないが。

最近東南アジアの一国であるわたくしの住む国で、日本からのサンマなどの魚が突然大量に輸入されている。しかも安価であり助かるには助かるのだが、一年ほど前からの流通でありその唐突の大量出現には時期的にいささかの懸念を持たざるをえず、たいして心配性でないつもりのわたくしでも、子供たちに与えるのは、ほどほどにしておこうと思ってしまう。そもそも、ひとはほとんどの場合、その「真価」ではなく、記号=レッテルによって消費活動をおこなう。

もっとも、かつて次のような記事を読んだ影響もある→「タイの日本向け輸出缶詰は、日本産が95%


早野:笑えないですよね。だって、知事が県内産の食材安全ですと言って、どうして県庁の食堂は県外産の食材使うのか。だから依然として地元食材を使った定食を長期間測るプロジェクトというのが頓挫しています。でも、僕は、まだ諦めていません。どこかでできないかと思っています。(早野氏 ロングインタヴュー

一年ほどまえの話であって、いまはどうなっているのか分らないが、「笑って」はならない。それが人情というものだ。


早野氏の一時期の孤軍奮闘のごとき活躍を知らぬわけではない。とくに内部被曝のデータ集めの努力(「給食をはかろうよ」)には敬意を表さざるをえない。

《ここはチェルノブイリではない、福島のデータをしっかり見よう》(2012.5.27)、とのツイート、あるいはデータの提示、《福島の実測データ見ましょう.その上で心配するのは自由.》などにも粛然とした。

だが早々とした「誠実で真摯な」公衆啓蒙の発言は、政治的に事故の過小評価に利用されたしまったのではないかという疑念は残る。

政治的な関与は最小限にとどめると自ら宣言し自他ともそう認めつつも、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人物はいたるところに存在する。科学者だけではない、学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割に無自覚な連中のすまし顔を誰もがいやというほど目にしてきている。

早野氏のいくつかの発話は、《近隣の危険区域の住民には十分な補償を払って安全な地区に集団移転してもらうほかない、と思うな。》(浅田彰)であったはずのことを最小限に抑え、「コスト社会的損失のバランス」などと語る霞ヶ関の官僚たちにていよく利用されがちな無防備なものであり、冒頭の不用意なツイートもそれと同じ穴の狢である。

すこしまえ巷間を賑わした「早野論文」をめぐって、あるいはベラルーシ中央科学研究所所長のバンダジェフスキー博士との対話について、軽率になんらかの判定を下すつもりは毛頭ないが、「福島県内の土壌の汚染から危惧されていた内部被ばくのレベルよりも、住民の実際の内部被ばくの水準はかけ離れて低く、健康に影響がでる値では到底ない」やら「これらの結果から何がわかるのか。放射性物質に汚染されている食品を定常的に摂取し続けていないと内部被ばくの数値が上がることはない。原発事故後、土壌の放射性物質汚染の高い地域で流通している食物は、ほとんど汚染が無かったということが、改めて実証されたということだ」やらの発言は、狭い専門家集団のパラダイムからのみのものであり、やはり一般市民がミスリーディングされてしまう危険性がある。

たとえば参照資料2にある別の立場からは、「常識」に反する。

WBC検査自体が、内部被ばくの「実態」を正確に評価するに耐えるものではなく、もちろん「安全」を担保し得るものでもないことは、内部被ばくの研究者の間では「常識」です。

また、早野教授は「健康に影響がでる値では到底ない」などと断言してしまっておられますが、被ばくによる健康影響に「安全閾値」など存在しないことは、放射線防護における国際的コンセンサスであり、これも「常識」です。


※参照資料:
1、早野龍五教授が「餅は餅屋」から放射能リスコミ・被曝賠償問題ロビー活動を行うまで
2、”医療ガバナンス学会MRIC”に投稿するも、即刻不受理となった『「早野氏論文」への公開質問状』


口はばったいことを印象論で言いたくはないが、素人目には、早野氏には、「専門家」としての弱さがある。総合知の人ではない(そもそも「総合知」とは曖昧な言葉だが、ここではカントの分析的判断、反省的判断、総合判断の最後のものとだけしておく。早野氏は分析的判断の人だろう)。評判の高い『なめらかな社会とその敵』の著者鈴木健は、事故後比較的早い時期に次のようなツイートをしている、

要は専門家のもっている専門てほんとに狭くって、世界に数人〜数十人しか分かる人がいない。それでも業界外に位置づけを説明するために自分が数千人から数十万人のコミュニティに属しているように説明する。素人から期待される質問に答えようとするととたんに擬似専門家になる。

その「専門家」の発言を素直に聞いてしまうマスコミや一般公衆が悪いという言い方もできる。

もちろん「専門家」のかけがえのなさを貶すつもりは毛頭ない。

プロフェッショナルは絶対に必要だし、誰にでもなれるというほど簡単なものでもない。しかし、こうしたプロフェッショナルは、それが有効に機能した場合、共同体を安定させ変容の可能性を抑圧するという限界を持っている。》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

だがわれわれは大衆文化のなかに生きている。そして早野龍五氏は「証人」としてのポジションを事故後わずかの期間で獲得してしまっている(それがここのところいくらか揺らいではいるとはいえるのだろうが)。そしてその「証人」の発言は、総合知の人の発言と錯覚されやすい。

ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

科学者は、「相手が予想外の動きをしては困る」のであり、かつ「人間的現象のうち非合理的と判断したことには意味を与えることができない」。科学的であろうとする努力が「想定外」や「偶然」を現実から遠ざけてしまう。


《科学は向かい合うものを徹底的に対象化する。そしてほどんどつねに成り立つ「再現性のある」定式の集合である。対象化と再現性は表裏一体である。すなわち、「相手」が予想外に動きをしては困るのである。》(中井久夫(「医学・精神医学・精神療法は科学か」『徴候・記憶・外傷』所収)


「専門家たちは、自分たちが何をしているのか、考えていない。それが最大の危険なのだ。」

「私があえて示唆するとすれば、専門家による評価を望ましい方向に改革するためには、専門家を志望する者には皆、しっかりした哲学の基礎的訓練を受けることを義務づける必要があるのではないかということだ。」

「科学は中立であるどころではない。科学は、それ自体のうちに、一つの意図を持っている。科学は一つの形而上学を現実に完成させたものだ。」

「テクノクラシーはこのような保障(原子力の安全性)を与えることに関しては、無能である。その理由は本質的なもので、状況によるものではない。それは、テクノクラシーは、さまざまな人間的現象のうち非合理的と判断したことには意味を与えることができないということなのだ。」

「とりわけ、専門家の狭い意味での合理主義的では、人間が、人類に対し、最大限の悪をなすために自殺することもできるなど予想だにできないのだ。」(デュピュイ「テクノ・セントリズムの終焉」)

もっとも、これはいわゆる「理系」に属する専門家の哲学的、あるいは倫理的素養の不足批判ばかりではなく、いわゆる「人文系」の自らの専門以外はプレモダン的とでもいうべき発言を繰り返す人たちの顔貌をも想い起こさなければならない。


中井久夫はかつて、《韓国と日本では知識人の基準が少し違う。日本では何らかの専門家であることが必要である。しかし、それでまあ十分である。韓国では、専門の力量に加えて高度の一般教養がなくてはならない》(「Y夫人のこと」)と書いているが、これが現在の実態であるかどうかは知るところではないが、日本では、ある分野での優秀な専門家であれば、傾聴に値する「知識人」として扱われてしまうという印象は依然として強い。

もちろん、彼らも教養人として「哲学的素養」を身につけているつもりではあるのだろう。だが、《アルチュセールがおもしろいことをいっている。科学者は最悪の哲学を選びがちである、と(笑)。 細かい実験をやってて、そこではすごくハードな事実に触れているのに、それを大きなヴィジョンとして語り出すと、 突然すごく恥ずかしい観念論になっちゃうことがあるわけ。それこそアニミズムとかね。》(浅田彰ーー村上龍との対談)

《繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。そして、それが最初に示唆するのは、地球 環境問題が、もとより主観的な良心の問題(「やるだけやったし、まいっか」)ではないと同時に、客観的な工学の問題に尽きるものでもなく(現在をはるかに 凌ぐ計算力をもったシミュレータが出現しても、最終的にすべてを明確な因果関係によって把握することはできないだろうが、問題は、むしろ、そうした不完全 情報の下でいかに判断するかということなのだ)、文明のあり方そのものにかかわる思想的・政治的・社会的な問題だということなのである。》(浅田彰


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附記:中井久夫「危機と事故の管理」より(『精神科医がものを書くとき』所収 広英社)より


【注意のむら、あるいは次の事故への無防備】
事故が続けて起こるのはどういうことかについては、飛行機の場合はずいぶん研究されてるようで、私はその全部を知ってるわけではありませんが、まずこういうことがあるそうです。

一つの事故が起こると、その組織全体が異常な緊張状態に置かれます。異常な緊張状態に置かれるとその成員が絶対にミスをしまいと、覚醒度を上げていくわけです。覚醒度が通常以上に上がると、よく注意している状態を通り過ぎてしまって、あることには非常に注意を向けているけれど、隣にはポカッと大きな穴が開くというふうになりがちです。

注意には大きく分けて二つの種類があって、集中型(concentrated)の注意と、全方向型(scanning)の注意があるわけですけれども、注意を高めろと周りから圧力がかかりますと、あるいは本人の内部でもそうしようと思いますと、集中型の注意でもって360度すべてを走査しようとしますが、そういうことは不可能でありますし、集中型の注意というのは、焦点が当たっているところ以外には手抜きのあるものですから、注意のむらが起こるということです。

注意の性質からこういうことがいえます。最初の事故の後、一般的な不安というものを背景にして覚醒度が上がります。また不安はものの考え方を硬直的にします。ですから各人が自分の守備範囲だけは守ろうとして、柔軟な、お互いに重なりあうような注意をしなくなります。各人が孤立してゆくわけです。

また、最初の事故の原因とされるものが、事故の直後にできあがります。一種の「世論」としてです。人間というのは原因がはっきりしないものについては非常に不安になります。だから明確な原因がいわば神話のように作られる。例えば今ここで、大きな爆発音がしますと、みんなたぶん総立ちになってどこだということと、何が起こったんだということを必死に言い合うと思います。そして誰か外から落ち着いた声で、「いや、今、ひとつドラム缶が爆発したんだけれど、誰も死にませんでした」というと、この場の緊張はすっとほぐれて私はまた話を続けていくと思います。たとえその原因なるものが見当違いであっても暫くは通用するんですね。そして、原因だとされたものだけに注意が集中して、他のものへは注意が行かなくなります。

以上のように、それぞれ絡み合って全体として次の事故を起こりにくくするような働きが全然なくなる結果、次の事故に対して無防備になるのでしょう。


【士気の萎縮】
demoralization――士気の萎縮――というのは経験した人間でないとわからないような急変です。これを何に例えたらいいでしょうか? そうですね、こどもが石合戦をしているとします。負けてるほうも及ばずながらしきりに石を放っているんですが、ある程度以上負けますと急に頭を抱えて座り込んで相手のなすがままに身を委ねてしまう。これが士気の崩壊だろうとおもいます。つまり気持ちが萎縮して次に何が起こるかわからないという不吉な予感のもとで、身動きできなくなってくるということですね。

もっとも現在は、「注意力のむら」とか「士気の萎縮」とは別の次元のことが起っているのだろう「福島第1原発の汚染水封じ込め、メルトダウン以来最大の試練」)。短期的視野のあからさまな弊害と圧倒的な戦力不足よる後手後手にいまさらながら驚愕せざるをえない。

※参照:「何を今更言ってるんだろう

…………

附記:【報告】ジャン=ピエール・デュピュイ「悪意なき殺人者と憎悪なき被害者の住む楽園」

「科学的評価」のみの罠(倫理的、法律的といった他の規範から切り離された形での「客観的真実」を求める態度)により、チェルノブイリ・フォーラムの報告には、きわめて特殊な<死体の山の隠蔽>がされている。
重要な効果をもたらす可能性がきわめて低い行為や出来事というものが存在します。それらがほとんど無意味だという理由で、道徳的または理性的な計算がそれらを存在しないものと扱ってよいのでしょうか。ほとんど知覚不可能な効果しかもたらさない一方で、おおぜいの人々に関わってくる行為や出来事があります。効果が知覚できないということで、考慮に入れるのを断念すべきでしょうか。これらの問いに肯定的に答えると、すぐさま連鎖式のパラドクスの数ある形のひとつに打ちあたることになるでしょう。
原子力関連の国際機関に対してどのような批判ができるでしょうか。私は、そこで働くのは有能かつ誠実な人々だと賭けてもいいと思います。(……)

われわれを統治す人々の〈意図〉など重要ではありません。重要なのは状況です。倫理的な問いを別の領域に追いやり、最終的には二次的な領域に追いやるという精神です。核を扱う人々の悪意ではなく、この構造こそ悪=厄災の主要な源にほかならないのです。

…………

くりかえせば、早野氏の「誠実さ」や「真摯さ」、「有能さ」、あるいはその啓蒙的役割は、まれにみるものであり、敬意を表する。


大学本部から「早野黙れ」と言われたが
今まで、あまり喋ったことのない秘密を少し話しますと、やはり私たちは組織に属している人間なので、喋っていいことといけないことがあるかということで、東京大学が次画像のような通知を出しました。要するに「大学本部が仕切るので、個々の教員は勝手なことを言うな」という通知です。私は直接、大学本部から「早野黙れ」と言われました。そこで理学部長などとも少し相談して、黙らないことにしました。

原発について勉強しない大学院生たち
講演後に行われたトークセッションや質疑応答を終えた後、早野氏は「印象的だった」という1つのエピソードについて語った。

 それは今年夏、全国から素粒子や原子核といった理学分野の大学院生たちが集まるサマースクールに、レクチャーに行った時のこと。レクチャーの前に「原発はどうやって止めるか」「ゲルマニウム半導体検出器とNaI検出器とガイガーカウンターは何が違うのか」というテストをしたところ、惨憺(さんたん)たる結果だったという。

 「震災から4~5カ月経ったのに、友達や家族と会話したことはないのか。『あんた物理やっているんだってね。これどういうこと?』と必ず聞かれたんじゃないか。聞かれてその時答えられなかったら恥ずかしいと思って、勉強しなかったのか」と愕然としたという早野氏。「今後若い人を育てていくに際して、かなり心してやっていかないといけない」と締めくくった。


引き返せない道

中井久夫の『昭和を送る』所収の「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年に書かれながら「長く単行本に収録する気力を失っていた」)の結びは次のようにある(わたくしはこの著は手元になく、ウェブ上から拾った)。

日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る。


ここで加藤周一の言葉を挿入しよう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf
ここで加藤周一氏は、「今日も残る戦争責任」の記事の中で「生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。」(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)81ページ記事引用)
加藤周一氏は『朝日新聞』連載「夕陽妄語」の中で「国の犯罪」と題して次のように述べている。「国が犯罪を犯せばどうなるか。犯罪を犯した国が、そのまま今日まで続いている場合もあり、犯罪を犯した国と今日の国との間に連続と断絶の両面のある場合もある。国土と国民とは連続していても、国家権力の、指導者と制度と価値観に、時と場合によって異なる程度の断絶があり得るからである」。ここで加藤氏が犯罪を犯した国と今日の国との間の連続と断絶を問題にする場合、前者の例として日本を、後者の例としてドイツを念頭に置いていることは明らかであるが、この問題をここでの用語法で言い換えれば、日本では戦前の「公」と戦後の「公」とが連続しており、従って戦前的思想・政策を戦後の現在になってもまだ完全に否定できないのに対して、ドイツにおいては戦後の「公」は戦前の「公」を否定するかのような立場を採ることによって、自らの正当性を担保しており、日本とは逆に戦前的価値を完全否定することが現在の「公」の存在証明となっているように見えることである。(ナチ犯罪処罰の論理構造 「公」の無答責・「私」の断罪

もちろん、これは現在の日本の、たとえば東北沖の「汚染水」の垂れ流しのことを想起しつつ引用している。そしてドイツの決断のことをも。

国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る》であるならば、われわれは今、世界に対して「政府」「官僚」「東電」である。


これだけの人類が全て滅びるような最悪な種をそのまま置いていくという事は
私達が今初めて、やっているんです。

それは、人間がやらなかった、これまでやらなかった最悪の事、最も悪い事じゃないでしょうか。

それは、つまり、人間として、人間としての倫理、モラルの根本に反するものだと。
私たちは考えなければならないと思います。

ドイツで原発を廃止する必要があるという事を決めた学者たちが供述しました。
そして彼らは見事な報告書を作りました。
あの委員会がですね、ドイツ倫理委員会、
ドイツのエシックスのモラルのコメディと言われていた事を、述べられていた事を
皆さんは御記憶になっているでしょう。

このドイツ倫理委員会が、ドイツの人間の、将来の人間の、そして、ヨーロッパ全体の
世界の人間がやってはならん事を、何よりも緊急にやらなければならない問題として、
そのようなこと、すなわち倫理として、倫理の原理としてこの原発の問題を取り上げた。
そして、メルケル首相はそれを受け入れました。
議会はそれを通しました。そして、ドイツは大きい一歩を踏み出したわけでありました。(「原発をやめること、それは人間のいかなる価値を超えて一番大事な倫理なのです」大江健三郎


…………

「昭和と送る」とほぼ同時期に書かれた中井久夫の「引き返せない道」より(1988初出 産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え 『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕広栄社)。


近未来の変化

1、労働道徳の質的変化。統計によれば、うつ病のピークは四十年に二十代中ごろ、昭和六十年に五十台中ごろにある。これは同一集団が時間とともに高年齢に移動したに過ぎない。この特殊な年齢層の内容吟味は紙幅を超えるが、とにかくこの階層が舞台から消えるとともに、勤勉、集団との一体化、責任感過剰、謙譲、矛盾の回避などの徳目は、第二線に退く。かわって若干の移行期をおいて「変身」(変わり身の早さ)、「自己主張」「多能」などの性格が前面に出てくる。現在の韓国エリートの性格は将来の日本のエリート層の姿でありうる。これは歴史的推移であるとともに、終身雇用の衰退、企業買収、技術革新などの論理的帰結でもある。大方の予想に反して精神病は増加せず、むしろ軽症化に向うが、犯罪、スリルの愛好が増大する。

2、「普遍的労働者」の消滅。異能を持たない平凡な人がなるとされる一般的職業「サラリーマン」「労働者」が、意識としても、おそらく実態としても消滅しつつある。その帰納として、「ふつうの人」が暮らしにくくなる一時期が現れる(こういう時期は歴史上何度か現れた。ルネサンス、明治維新前後など)。また「労働組合」の存立基盤の危機である。(……)

3、階級相互の距離が増大する。新しい最上階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する(フランスの二百家族のごときもの)。階級の維持は教育によって正当化され、税制や利益の接近度などによって保証され、限度を超えた階級上昇はいろいろな障害(たとえば直接間接の教育経費)によって不可能となる。中流階級は残存するが、国民総中流の神話は消滅する。この点では西欧型に近づく。労働者内部の階級分化も増大する(この点では必ずしも西欧型でない)。

4、天皇制はそのカリスマの相当を失い、新階級と合体する。世代交代とともに君が代や日の丸は次第に争点ではなくなり、旧右翼は消滅するが、“皇道派”に代わる“統制派”のごとき、天皇との距離を置いた新勢力が台頭する。(……)

5、抵抗はあっても外国人労働者の移入が行われ、国内の老人労働者、非組織労働者との格差がなくなる。(……)

6、一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


驚くべき予測といっていいだろう。ただし、五番目の移民をめぐって以外は。


《外国人登録によれば、日本の外国人人口は2009年末で219万人、1.7である。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動調査によれば外国生まれの人口比率は1.1である(2011年)》とのこと(「主要国の移民人口比率推移」より)。









次のようであることを誰もが知っているにもかかわらず(人口構造の変化と現役世代


※「二十一世紀は灰色の世界…働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって」渡辺美智雄1986


債務残高の国際比較(対GDP比)









月収とへそくり40万円の収入の家庭において、社会保障費が24万円、ローン返済が18万円、つまりこの二つを合わせて42万円の支出となり、収入を超えてしまう。これが国家の財政状況だ。


個別的には移民は嫌だとか、消費税増税、社会保障費削減は嫌だというのは当然あるには相違ない。であるならば、なにを選びたいというのだろう。

ジャック・アタリーー「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」。


移民問題で欧米諸国は苦しんでいるだと? そう、たしかに間違いない。  

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

かつて消費税導入して景気停滞し税収が下がっただと? それでは税収を上げるために、消費税ゼロにしてみたらどうだろう。





※参照:「消費税増税は97~98年の景気後退の「主因」であったとは考えられない」(消費税増税のマクロ経済に与える影響について 吉川洋)www.cas.go.jp/jp/seisaku/syakaihosyou/syutyukento/dai9/siryou3-2.pdf



※附記

林房雄の放言という言葉がある。彼の頭脳の粗雑さの刻印の様に思われている。これは非常に浅薄な彼に関する誤解であるが、浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(……)

「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(小林秀雄「林房雄」)




2013年8月25日日曜日

何を今更言ってるんだろう

以下、まずは「ロシアの平均寿命推移」から抜き書き。


欧米先進国の平均寿命(出生時の平均余命)は80歳前後であるのに対して、ロシアの平均寿命は65歳と10数歳も少なくなっている。
2011年の平均寿命は、男は63歳、女は75歳である。男の平均寿命が60歳代前半、すなわち定年年齢以下である点はやはり目を引く。ロシアでは年金問題は生じないとも言われる位である。このように男性の平均寿命が短い点とともに男女差が世界一大きい点もロシアの特徴である。
「1992年から2001年の間までの死者数は、例年より250万人から300万人多かったと推定される。戦争や飢餓、あるいは伝染病がないのに、これほどの規模の人命が失われたことは近年の歴史ではなかったことである」(国連開発計画「人間開発報告書2005」)


この文献には、《ロシアの1993~4年の平均寿命の落ち込みを1986年のチェルノブイリ事故による放射能汚染の影響とする見方》もあるが、《男の平均寿命の動きで、ロシアより影響度の大きい筈のベラルーシでロシアと比較して特に際立った平均寿命の動きとなっていない点、またベラルーシの男女別の平均寿命の動きで、放射能汚染の影響であれば男女に違いがないはずであるが、実際は、女の平均寿命は男のような落ち込みが見られなかった点、この2点から、平均寿命の動きに放射能汚染が影響していると見るのには無理があるだろう》とされている。


もし放射能汚染の影響の可能性が考えられるならば(男女の影響)、《チェルノブイリのときには60万人とも80万人とも言われる軍人、退役軍人を集めてきて作業に当たった》(小出裕章)にかかわるのだろうが、「1992年から2001年の間までの死者数は、例年より250万人から300万人多」かったのならば、「経済改革などペレストロイカ政策を本格実施しはじめた87年から、再度、平均寿命は低下しはじめ、1991年のソ連邦崩壊後、1994年にかけては、急激な平均寿命の低下をみており、この時期の社会混乱の大きさ」のせいであるというのが妥当的な見方だろう。

ロシア人低寿命の最大要因は「ウォッカ」


ロシアの平均寿命の話は、数年前、NHKのドキュメンタリーで報道されているようだ。わたくしが調べてみたのは次の文を読んだことによる。

今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難N時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

現在のロシアでは、広い大地の家庭菜園と人脈と友情とが家計を支えている。そして、すでにソ連時代に始まることだが、平均寿命はあっという間に一〇歳以上低下した。高齢社会はそういう形で消滅するかもしれない。

それは不幸な消滅の仕方であり、アルミニウムの有害性がはっきりして調理器から追放されてアルツハイマーが減少すれば、それは幸福な形である。運動は重要だが、スポーツをしつづけなければ維持できにような身体を作るべきではない。すでに、日本では動脈硬化は非常に改善しており、私が二〇歳代に見た眼底血管の高度な硬化は跡を絶った。これは、長期的には老人性痴呆の減少につながるはずである。もっとも、長寿社会は、二〇年間で済んだカップルの維持を五〇年間に延長した。離婚率の増大はある程度それに連動しているはずだ。

むしろ、一九一〇年代に始まる初潮の前進が問題であるかもしれない、これは新奇な現象である。そのために、性の発現の前に社会性と個人的親密性を経験する前思春期が消滅しそうである。この一見目立たない事態が、今後、社会的・家族的動物としてのヒトの運命に大きな影響をもたらすかもしれない。それは過去の早婚時代とは違う。過去には性の交わりは夫婦としての同居後何年か後に始められたのである。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」『時のしずく』所収)


…………


以下、2013/05/31 小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)×小沢一郎氏(生活の党代表)による対談書き記したものが見つかったので、あわせてメモ。


小沢「福島原発の対応をどうしたらいいか。福島だけではなく日本の将来も危ないような事故に政府の対応は甘すぎる。しかも今や風化しつつある。脱原発はひとつのことだが、福島をどうするかについて伺いたい」

小出「やるべきことは単純。原発が動き、核生成物を作ったそれが事故を起こして外に出た。それでこれ以上出さないように2年も水を入れて冷やしている。今はそれしかできない。しかも4基も一度に壊れてしまうという人類未経験の事態に直面している。どうしたらいいのか私にもわからない」

小出「わからないながらも事故当初から自分で思いついたことは発言してきた。提言は実現していない。汚染水は巨大タンカーに移して漏れないようにして、廃液処理装置のある柏崎刈羽に持って行くようにと言った。柏崎刈羽は当然止まっていて廃液処理装置動くなら処理に余裕があると国会議員に提言した」

小出「何人かの国会議員に話して、やりますと言った人もいたが、実現しないうちに今や30万トンの汚染水が敷地内のタンクに溜められ、それで足りずに貯水プールを作って、そこから汚染水が漏れるという事態になっている。もっともっと早くやらなければいけなかったと思う。」

小出「汚染が地下水に接してしまうと汚染の拡散が防げないので早く原子炉建て屋の付近に遮蔽壁を張り巡らせて炉心の汚染が外に出ないようにと言った。でも政府はいまごろになってこれからやろうと言っている。しかしそれらはまだ些末なこと。溶け落ちた燃料がどこにあるかをまだ知ることができない」

小出「放射能本体は原子炉建て屋の内側にある。それがまだ中にあるのか、床を突き抜けてしまっているのか。それを知らなければならない。いずれなんとかしなければ行けないと言うことは確実だが、それをやることも多分できないと私は思っている。」

小出「政府は、使用済み燃料プールにある分は少しでも安全な所にどかす。そのうえで溶け落ちた燃料をつかみ出してそれも少しでも安全な所にうつすと言っているが、私は使用済み燃料プールのそこにある燃料は必ず移さなければならないと思っている。が、それすら一体何年かかることか。」

小出「4号機でつかみ出し作業が今年の末から始められるかもしれないが1331体も燃料棒が沈んでいる。それを1体も取り落とすことなくきちんと移せるかというと、それも不安。1号機にも2号機にも3号機にも使用済み燃料プールがあって、その中にもある。」

小出「1号機3号機は建屋がぐちゃぐちゃ。プール内にもがれきが。それをつかみ出せるかどうか、私にはわからない。何年かかるか、私も小沢さんも死んでしまっているかもというような時間がかかる。それをどけてから溶け落ちた燃料を取り出すことになると思うがたぶんできないと私は思う」

小出「溶け落ちた燃料が取り出せなければチェルノブイリでやったような石棺を作ることになる。チェルノブイリはひとつで良かったものが、福島では三つ、悪くすると4つ要る。チェルノブイリは27年経って石棺はぼろぼろになって作り直している。福島は30年後に3つ、4つ作りなおすことになる。」

小出「30年後に石棺を作り直す頃には私も小沢さんも確実に死んでいる。そういう困難な作業を若い人に引き継ぐということ。だから、やるべきことは分かっているがそれは本当に難しい課題。」

小沢「溶けた燃料が1m数十センチの床をあと20センチのところまで溶かしてしまっていると東電が発表していると、ほんの小さく報道されて、それ以後何も報道されていない。突き抜けてしまったとしてもどの程度の量かもわからない。」

小出「原発の燃料は炉心にある。おおざっぱに言えばひとつの原子炉に100t。それらは2800°を越えないと溶けない瀬戸物に詰めてある。そのウランを詰めた瀬戸物が溶けてしまった。100tものセトものが溶け出した。溶けた先にあった鋼鉄製の原子炉圧力容器は1500°で溶けてしまう。」

小出「福1の沸騰水型原子炉では圧力容器の底から薄い勤続の制御棒が突き出している。2800°が100t落ちてくれば簡単に穴があく。そして放射能を閉じ込める最後の防壁である格納容器に落ちた。東電はそこに1mの厚さのコンクリートの床張りがあると言う。」

小出「でも格納容器の床の1m厚のコンクリートだって2800°をこえたものが落ちてくればどんどん壊れる。東電は1mのうち70cmやられたけどまだあと30cmあると言っている。その報道を聞いたとき、あなたたちは見てきたのかと(笑)。建て屋の中はもとより格納容器の中なんて入れない。

小出「格納容器に近づけないうえに、想定外の出来事だったので、測定器の代えさえない。平常運転に使う測定器がいくつかあったが、それも放射線でやられて次々に壊れるという状況だから、本当に今どうなっているかわからない。格納容器の床はすでに抜けてしまっているかもしれない。」

小出「もし、すでに格納容器が破られて溶けた核燃料が地下水に接していれば猛烈な汚染が出てくると思う。格納容器を放射能を閉じ込める最後の防壁と言ってきたがそれはすでに壊れている。2年間水を入れ続けてきたのに格納容器の中に水は全然たまらない。みんな漏れている。本当のこと言えば手遅れ」

小出「放射能を閉じ込める防壁はすでに破られ、水をかければかけるだけ放射能は外へ出てきてそれを止めることもできないのが今の状況。小沢さんがまだ民主党におられるとき、野田氏が11年暮れに事故の収束宣言を出したが冗談を言うなと思った。」

小出「収束しているも何も、どうなってるかもわからないでただひたすら水を入れるしかないという事態がいまあって、そのためにたくさんの下請け労働者が被曝しながら今この瞬間も事故に向き合っている。」

小出「ところが自民党は原発を再稼働させあらたな原子炉も作る、原発を輸出する、それがアベノミクスの主要な柱だと言い出す。もうなんという国かと思う。」
小沢「恐ろしい話だ」

小沢「溶け落ちた燃料は規模は小さくても臨界に達しているということか?」
小出「そうではない。原発はウランを核分裂させた熱で発電しているから熱は核分裂で出るだろうと思うだろう。でも熱の原因はもうひとつある。」

小出「一度ウランを燃やすと核分裂生成物という放射性物質が炉心にたまる。放射性物質があればそれで発熱する。100kWとされる発電所では、電気になる分が100kWであって、原子炉の中では300kW分発熱している。」

小出「発熱量のわずか1/3だけが電気になる。それが原発。残りの200万は海に捨ててを海を温めることになるそれでその300kW分の熱量すべてが核分裂でできているわけではない。7%分21kW分は放射能そのものが出した熱。」

小出「1kWの電熱器が家庭にあるとするとそれが21万個分。それが止めることができずに発熱を続けている。その熱を冷やせなければ簡単に炉心が溶ける。だから事故が起きたその日に1号機は炉心が溶けた」

小出「1号機の炉心を溶かした熱は、放射能の熱。放射能だから核種によって急激に減少する。核分裂によってできた核分裂生成物の九割は1日経てばなくなる。だがそれ以降は寿命の長いものが残っていてなかなか減ってくれない。1年経つとそのまた110ぐらいになる」

小出「1年経てば当初21kWと言った熱量を発生させた放射能が1/100になる計算。1年後には2100kW相当になる。今では2年経ったからまたその何分の一かに減っている。それでも何千キロワットの発熱がいまどこかで続いている。」

小出「だから、今の発熱は臨界によるものではなく、放射性物質がそこにあるがゆえの発熱。みんな臨界を心配しているし、私も心配ではあるが、多分臨界はないと私は思っている。」
小沢「現在も、将来も?」
小出「確実に断言はできないが、たぶん大丈夫」

小出「たぶんもう臨界はそこで起きないが、放射能がそこにある限り発熱は避けられないのでそれを冷やし続ける必要がある。」
小沢「石棺を何千度にも絶えられるようにすることは可能?」

小出「チェルノブイリでも、炉心が溶けて下に向かって流れた。その間鉄を溶かしコンクリートを溶かして元々100tだったものが増えてどろどろに溶けて行った。ただ発熱量そのものは時間とともに減って行くわけだから、どこかでバランスして溶けずにかたまるというところに至る」

小出「福1でも溶けた炉心がどこかで熱バランスして固まるだろうと思う。そうなれば、石棺を作ることができる。」
小沢「そういう状況になるのが何年後かはわからない?」
小出「今の状況がわからないので、これから1年後2年後にどうなるかもわからない」

小出「事故があって、これまでこういう経過を経てこうなっているということが分かれば先のことは予想できる。しかし、今どうなっているかが分からないのでこの先のことはわからない。」
小沢「そうすると、現状のままほっとくしかないっちゅうことですか。」
小出「今はひたすら水をかけるだけ」


小出「今できることは水をかけること、それと使用済み核燃料プールに沈んでいる燃料を一刻も早く少しでも安全な場所に移すことが緊急課題。東電も当然認識して、一番手の付けやすい、一番こわれる危険度の高い4号機からそれをやろうとしている……はずだ」

小沢「しかし、それをきちっと正しく取り出すことは難しいと…」
小出「とても難しいと思う」
小沢「もし、つかみ出しているときに割れたりしたら?」
小出「使用済み核燃料が噴き出してきて核燃料プールでもなんでも汚れてしまう」

小出「鉛と鋼鉄でできたキャスクに1020本入れて蓋をしてつり出すということをしないといけないが、1331あるものをキャスクの中に11本釣っては降ろしという作業。途中1体でも落として割れてしまうと放射能が噴き出して汚れてしまうので次の作業が当面できなくなる」

小出「割れたときに臨界になるということをご心配かと思うが、たぶんそうはならないと思う。しかし落として割れてしまえば放射能汚染されて作業ができなくなるので4号機だけでも何年かかるかと心配。」
小沢「容器に入れて取り出しても、それをどこに置くかということになる」

小出「東電は4号機の隣にある共用プールにとにかく移そうという計画。でも4号機が終っても1号機から3号機までがある。すると共用燃料プールでは足りなくなる。共用燃料プール自体すでに満杯状態だからそこに入っている燃料をまず別な所に移すという作業がある。それも大変な作業。」

小沢「そうすると、コストもかかるし、あらゆる意味で大変な作業だろうけど…」
小出「順番としては使用済み燃料プールにあるものを出すというのを先ずやらなければならない。」
小沢「ほっとくとどうなる?」
小出「プールの中にほっておいたら?」

小出「4号機は定期検査中で原子炉は止まっていた。炉心にあった燃料棒も全て使用済み燃料プールに入っていた。本来なら事故とは無縁のはずだったのに、なぜか爆発が起きて建て屋が天井まで吹き飛んでしまった」
小沢「水素爆発?」
小出「核爆発だという説もあるが,私は水素爆発だと思っている」

小出「ただ、4号機の場合、水素爆発にしては変わった爆発だったのは、最上階だけでなくその下も、下の下も爆発で壁が吹き飛んでいる。それらの階は使用済み燃料プールが埋め込まれているフロアだが、そこの壁が吹き飛んでいて、使用済み核燃料プールが宙づりのような形でいまそこにある。」

小出「その宙づりのプールに、ふだんなら原子炉の中にあるものからなにから全部そこに入れられていた。さっきから1331体あると言っているが、その中に広島原発が出した放射性核生成物をセシウム137に換算して1万発を越えるものがある。それが宙づりのようになったプールの中に、なんとかある」

小出「その宙づりのプールが大きな余震か何かでひっくり返るともう手の付けようがない。1号機~3号機から大気中に出た放射性生成物はIAEAに出した報告書では広島原爆の168発分と書いてある。でも4号機の使用済み核燃料プールには1万発分ある。もし崩れ落ちれば手が付けられなくなる」

小出「まずは崩れ落ちる前につかみ出す、少しでも安全な所に移すということはどうしてもやらなければならない」
小沢「1号機~3号機の分もある…」

小出「1号機や3号機は大変。4号機は汚染も少ないから作業員が上まで行ってプールの中を覗き込むこともできたしこれからの作業もなにがしかできる。1号機や3号機は最上階に行くことすらできない。」

小出「1号機や3号機はプールの中を見ることさえできないから遠隔操作のカメラなどを使ってどんなになってるか…」

小沢「1号機や3号機も、原子炉だけじゃなくてプールにもあるんでしょ?」
小出「あります。だから、それも少しでも安全な場所につかみ出さなければいけないということは確実に分かっているのだが、行くことができないしどうしていいかわからない」

小出「1号機3号機は今がれきを少しでもつかみ出そうと作業をしようとしているのだが、現場に行くことができないので遠隔操作でテレビ画面を見ながら重機を動かしている。遠隔操作だから細かいことはできない。何ヶ月か前、3号機のプールの中から何かを鉄骨をつり上げようとして落としてしまった」

小沢「その中で燃料棒が破損したりしたら、おしまいになっちゃう?」
小出「おしまいというか…、放射能の汚染がさらにひろがるので、」
小沢「処理がますますできなくなる」
小出「そう。」
小沢「なるほど」

小沢「可能性としてそう簡単には核分裂がおきないとすると、巨大な石棺でかこんでしまうのがひとつの方法なのか?」
小出「確実にそうなると私は思う。それしかない。ただ、それを作る前に、いま使用済み核燃料プールの底に壊れずにあるものはつかみ出して安全なところに移動しないといけない」

小出「石棺を作る前の作業としてやる使用済み核燃料プールからの使用済み燃料棒の取り出しにしても、10年ではきかないと思う。」
小沢「石棺を作る作業はそれが終ってからじゃないとできないと……」
小出「できません」

小沢「すると、その前に地震でも来て壊れると大変なことになる?」
小出「4号機は本当に心配。東電も、4号機の使用済み燃料プールが宙づりになっていることは事故直後に気づいて、事故直後の放射能の高いときにあえて補強工事をしている。」

小出「使用済み燃料プールが埋め込まれている階の下の階に行くと燃料プールの底が天井のようにして見える。東電はそれを下の階から鉄柱を立ててコンクリートで固めたと言っているが、下の階も爆発で強度が危うい。」

小出「結局格納容器の土台の出っ張りの分厚いコンクリートで支えることができたにすぎない。使用済み燃料プールの底の半分しか支えられていない状態。東電は補強工事をしたから震度6にに耐えられると言っているが私は信用できない。耐震計算の元になる土台の強度すら計算できない状態で行なった計算」

小出「私は震度6がくれば使用済み核燃料プールが崩れ落ちるのではないかと心配している。今できることは、とにかく大きな余震が来ないでくれと願うことだけ。でも手をこまねいていることはできないから」
小沢「やる以外ない」
小出「一刻も早くやるしかない。」

小沢「今はそれに手が着いていない?」
小出「東京電力はやっている。キャスクは100tある。それをつり上げるための巨大なクレーンを据え付けるため巨大な建て屋を作るという作業を今やっている。それができて作業が開始できるようになるのが今年の暮れだと。たぶんそうだろうと思う」

小出「一日に24時間しかないし、作業員の数も限られている」
小沢「物理的にスピードアップはできないのか」
小出「わからない。東電は今年の暮れじゃないとできないと言っているし、少しでも早めて欲しいとねがっているが、それにしても大変な工事。」

小出「高さが30メートルもあるような建て屋を作ってそこに100tもの重さの者をつり下げられるクレーンを設置しなければならない。その工事は大変な作業を猛烈な被曝環境でやらなければならない。労働者はストップウォッチと被曝計を持って何分間働けるかというような環境で作業している。

小出「急いで欲しいと願うし急いですべきだと思うが、急げと言って急げるものでもない」
小沢「そんなことをしているうちに、燃料プールが破損し、燃料棒が破損すれば、今以上に手が付けられない状態に?」
小出「今までは広島原爆168発分出たものが、4号機には1万発分以上ある」

小沢「そのセシウム137は核分裂しなくても出る?」
小出「すでに福1が数十年運転してウランを核分裂させた結果出たもの。」
小沢「あらたな核分裂がなくても、物質そのもののなかにあるものなのか」
小出「そう」
小沢「一万発分が…。」

小出「セシウム137は、半分に減るまで30年かかる。」
小沢「……。」

小沢「石棺ができても冷却はしなければいけないのか」
小出「石棺ができる状態になっていれば、もう水はいらない。外部からは手を加えない状態になる」
小沢「そのまんま、封じ込める」
小出「完璧に封じ込めて、なにがしかある発熱は建て屋そのものの表面から熱を外へすてる、つまり空冷できる。」

小出「石棺の外から水を循環させて冷却するということはたぶんできない。」
小沢「する必要がない?」
小出「する必要がないようにした方が得策。表面積の大きな建て屋を作って…」

小沢「ものすごいでかいものじゃないとダメですね」
小出「今ものすごいでかい原子炉建て屋がある。それを覆うようなでかい建て屋になる」

小出「放射能自体減って行くから、発熱も小さくなる。巨大な建て屋の巨大な表面積を利用して熱を外に捨てて冷却することは可能だろうし、完璧に閉じ込めることができる。その方がいい。
小沢「下まではできないですよね、下までぐるっと」
小出「本当は下までやりたいが、下までやろうとすると大変」

小出「下まで石棺で覆おうとすると、下には汚染水がある。そこでの作業をどうするか」
小沢「土木技術的にはできると聞いたことがある」
小出「私より小沢さんの方が専門家だからよくわかるかもしれない。土木技術上はできるかもしれないが、猛烈な被曝を伴うので現実にできるかどうか疑問」

小出「チェルノブイリのときには60万人とも80万人とも言われる軍人、退役軍人を集めてきて作業に当たった。日本でそんなに大量の労働者が集められるかということ自体不安だし、チェルノブイリのころの新聞を見たら真偽は不明だが、チェルノブイリ行きを拒否した兵士が銃殺されたと。」

小出「ソ連ではそういうことがあったかもしれないが、日本と言う国で原発事故を収束させるだけの作業員をこれから本当に手当できるのか不安だし、海外から労働者を被曝労働に引っ張ってくるということも起るのかなと…」

小沢「事実上無理。」
小出「そうでしょうか」
小沢「国際的には無理。日本人がやる以外にない」
小出「私もそう思うし、そうあるべきだと思うが、これまでの日本政府の動きを見ていると何が起るか不安。」

小沢「放射線の防護服は厚くしてもだめ?」
小出「防護服は、放射性物質を体に付着させたり吸い込んだりしないための防護服。要するに内部被曝を防ごうというもの。γ線による外部被曝を防ぐには鉛のスーツというのはあるがほとんど効果はない。人間が着ることのできる鉛など厚さがたかがしれている」

小出「γ線を防げるような防護服など考えない方がむしろいいと思う。それより、被曝作業の時間を短縮できるような動きやすい防護服の方がはるかに効果がある。γ線は事実上防げない。
小沢「土木技術で石棺が下までできるとしても被曝を防ぐのは非常に難しい」
小出「そうです」

小出「今でも下請け作業員が、それも1次2次の下請けじゃなくて910次の下請け構造になっている。東電が払った金のほとんどがピンハネされて、下請け労働者には金が行かないという実体だってある。下請け労働者は生活のために現場に来ている。

小出「今の法体系では被曝労働者は100ミリレムを越えると5年間働けなくなる。もし生活のために被曝労働をした下請け労働者が10日働いて100ミリレムをこえてしまうと、その労働者はもう仕事ができなくなる。生活ができなくなる。」

小出「被曝量を超えた下請け労働者は、たぶん簡単に首にされる。そうなると生活に困るから労働者自身が自分の被曝量を値切る、正確に申告しないという状況がすでに生じている。」
小沢「ああ、隠して…」
小出「自分で隠す。」

小出「下請け企業が労働者に隠せと命令して、たとえば線量計に鉛のカバーをつけさせたというようなことももう起っている。作業員がやめさせられると会社として仕事の受注ができなくなるから。しかし、それより深刻なのは労働者が自分から被曝を隠さないと生活ができないということ。」

小出「それにしても大変な被曝作業でどんどん今被曝の量が増えている。作業員も足りなくなるから、これから被曝量隠しもどんどん増えるだろう。小沢さんを始め、政治の現場にいる人がその事実をしっかり受け止めて、またそういう作業を行う労働者の生活をどう守るかを考えていただきたい。」

小沢「被曝労働者が仕事できなくなる年限を補償してやらなければならない」
小出「そうです。もともとは5年間に100ミリレム、100ミリシーベルトだが、もし10日でおわったら、のこりの4年と355日は仕事ができない」
小沢「なるほど」

小沢「最終的には巨大な石棺であそこの放射能を封鎖する以外ないと。ただ、その前提として使用済み核燃料をより安全な所に移し替えなければならないということ?」

小出「そういう順番なので、使用済み核燃料を取り出すのに10年かかると思っているし、それから溶け落ちた炉心をどうするかという検討が始まって、東電や国がいうようにそれをつかみ出すということは不可能だと思うので、全部石棺で固める以外ないと思う。」

小出「その石棺が完成するまで、たぶん私も小沢さんも生きていない、そういう年月がかかる。」
小沢「それでもやらなければならない」
小出「そう」

小沢「何となく、漠然と、大変な危険だと思っていたものが、今日先生のお話を聞いて余計はっきりわかりました。」
小出「ありがとうございます。政治の現場にいる方にちゃんと分かって欲しいと願っているが、安倍さんなんかは全然分かっていないようで、困ったことだと思っています」

小沢「本当に困りましたね。…いやぁ…(ため息) ドイツでの話だが、あれだけの事故を起こした日本人が何考えてるんだと言われる。」
小出「当然そうでしょう」
小沢「よく平気でいるなという感じだった」
小出「当の、事故を起こした国が…」
小沢「それがもう終ったみたいなことを言っている」

小出「事故は収束した。これからまた原子力だ。そうしないと経済が持たないというようなことを平然と言う人たちが国の中枢にいる。」
小沢「恐ろしいことだ」
小出「大変恐ろしいと思う」

小沢「いや、本当にありがとうございました。僕はいま、しがない野党の立場だが、なんとかして日本の将来、人類の将来の問題なので、何とかして先生のお話を参考にして実現できるように死ぬまでがんばって行きたい。よろしくお願いします。」


ーー既に知られているように、徴兵制復活の(本来の?)目的は、《徴兵制を導入しないと、福島原発の事故処理に必要な、数百万人の若者の命を徴用できない。》などという見解もある。


…………

小出裕章氏は、最近では次のように発言されている。


何か皆さん今になって汚染水問題ということが起きてきた
あるいは大変だと思われてるようなのですけれども
私からみると何を今更言ってるんだろうと思います。
事故が起きたのはもう既に二年数か月前の2011年3月11日だったのです。
それ以降汚染水というのは敷地の中に大量に溜まってきまして
3月中にもう既に福島第一原子力発電所の敷地の中に
10万トンの汚染水が溜まっていました。
コンクリートというのは元々割れるものです。
割れのないコンクリート構造物なんていうものはありません。
おまけにあの時には巨大な地震でそこら中が破壊されたわけで
原子炉建屋、タービン建屋、トレンチ、ピット、立て抗にしても
コンクリートにそこら中にひび割れが生じていたのです。
ほとんど目に見えない建屋の地下であるとか、トレンチ、ピット、
要するに地面の所に埋まってるわけですから
見えない所でそこら中で割れて、そこら中から漏れている。
当時もそうだし、二年経った今だって必ずそうなのです。

私はとにかくコンクリートの構造物から
漏れない構造物に移すしかないと考えました。
私が思いついたのは巨大タンカーでした。
10万トン収納できるようなタンカーというのはあるわけですから
10万トンタンカーを福島の沖まで連れて来て
福島の敷地の中にある汚染水を
とにかく巨大タンカーに移すという提案をしました。
でもまたそれも次々とコンクリートの構造物に
汚染水が溜まってくるわけですから
何とかしなければいけないと思いまして
私はその巨大タンカーを東京電力柏崎刈羽原子力発電所まで走らせる
柏崎刈羽原子力発電所というのは世界最大の原子力発電所で
それなりの廃液処理装置もあります。
宝の持ち腐れになっていたわけで
柏崎刈羽までタンカーを移動させて
そこの廃液処理装置で処理をするのがいいという風に
3月末に私は発言した。
そういうことはやはり政治が力を発揮しなければできないのであって
政治の方々こそそういうところに力を使って下さいと
私はお願いしたのですけれども
とうとうそれもできないまま
何も手を打たないままどんどん汚染水が増えて
今現在30万トンにもなってしまってるというのです。

(3.11からもう二年数か月経ってるわけですけれども)
(あの時にもしスタートさせていたら)
(今もう間に合ってるんじゃないか)
もちろんです。
また次に10万トン汲み出すということもできたでしょうし
現在直面している事態よりもはるかに楽になっていたはずだと思います。
そういう意味では政府と東京電力が無能だったということだと思います。

・遮水壁=地下ダム (2011年6月)
原子炉建屋の外にかなり深い穴を掘ってそこに深い壁を作って
溶け落ちた炉心が地下水にできるだけ接触しないようにする。
接触したとしても汚染が海へ流れないようにする
そういう作業がこれからできる唯一のことかなと思うようになりました。

本当に対策が後手後手になってしまっていて
放射能の汚染がどんどん広がっていってしまっている。

1号機から3号機の原子炉の炉心は既に溶け落ちているのです。
確実です。
溶け落ちた炉心がどこにあるかということなのですが
東京電力はまだ格納容器という放射能を閉じ込める
最後の防壁の中にあるはずだと言っているのですけれども
残念ながらそれを見に行くこともできないし
本当にそこにあるかを確認することができないのです。
場合によっては既に格納容器の床を突き破って
地面に潜り込んでいってる可能性も私はあると思います。
もしそうだとすると地下水と必ず接触してしまいますし
そうなるともう猛烈な放射能が地下水に混じって
海へ流れていくことを食い止められなくなってしまうので
私は2011年5月に原子炉建屋周辺に遮水壁を張り巡らせる
地下ダムという言葉を使われる方もいますけど
それをやって溶けた炉心と地下水の接触を断つ
ということをやってくれと頼んだのです。


※WSJ online:福島第1原発の汚染水封じ込め、メルトダウン以来最大の試練(2013年 8月 22日)


追記:「水で冷やすというやり方はそろそろ諦めるしかない」と私は思うようになりました。小出裕章氏8/23報道するラジオ


◆附記

《私の中では東北の大震災は突然の破滅的事態という点では戦争と結びつく。無残な破壊という点では戦災の跡を凌ぐ。原発を後世に残すのは、戦勝の可能性がゼロなのに目をつぶって戦争を続けるのと全く同じではなかろうか。》(中井久夫さん、最後の「清陰星雨」 信頼の基盤が揺らぐ 2012-03-24 神戸新聞朝刊