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2014年10月2日木曜日

彼らの家に土足で上がりこんだ日本人

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118)

<対象a>それ自体はごくありふれた日常的なものだ、だが些細な出来事で突然、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空間として機能しはじめる。ーー《幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。》(ラカン)

異国に長年住んでいると、この感覚はよくわかる。いくら言語に習熟しても(いや習熟すればするほど)、彼らはわたくしの些細な発音やアクセントを〈対象a〉化する。わたくしの挨拶の仕方、笑い方、箸の持ち方などを眺めることにより、わたくしを魔法のようにエイリアンに変身させる。いわゆる「在日」の方々も、このような「人種差別」に遭ってきたのは疑いようがない。


最も基本的な幻想とは何か。幻想の存在論的逆説(スキャンダルといってもいい)は、それが「主観的」と「客観的」という標準的な対立を転倒するという事実である。もちろん幻想はその定義からして客観的(何かが主体の近くからは独立して存在する)ではありえない。しかし、主観的(主体の意識的・経験論的直観に属している何か、彼あるいは彼女の想像の産物)でもない。むしろ幻想が属しているのは「客観的主観性という奇妙なカテゴリー」である。「自分には事物がそのように見えているとは思われないのに、客観的にはそのように見えてしまう」(ダニエル・デネット)のである。たとえば、われわれがこう言ったとするーーあの人は、意識的にはユダヤ人に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反ユダヤ的な偏見を抱いている、と。このときわれわれは、(彼の偏見は、ユダヤ人が実際にどうであるかではなく、ユダヤ人が彼にどう見えるかを反映しているのだから)、彼がユダヤ人が実際に彼にどう見えているかに気づいていないと主張しているのではないか。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P93-94)

日本のマジョリティが、意識的には「在日」に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反「在日」的な偏見を抱いているのかどうかは知るところではない。だが、「在日」が、マジョリティによって、〈対象a〉化されている場合があるだろうことは間違いない。

そして次のようにも言い得るのだ、--差別は、まわりじゅうに差別(=些細な差異)を見出す眼差しそのものの中にある、と。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

…………

すこし前、町山智浩氏のツイートをめぐっていささか失礼なことを書いてしまったが、彼らはことのほか「差別」に敏感なのだ。すなわち「差別」はトラウマ化されている。

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います。

在日の方々の多くは、ヘイトスピーチなどの排外運動の猖獗で、過去のいじめられ体験(差別体験)がふつふつと蘇っているに相違ない。彼らの一部にときにあると窺われないでもない「過剰反応」も斟酌しなければならないのではないだろうか。

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。

そういう子どもが皆いじめ側になるわけではない。いじめられる側にまわることが多く、その結果、神経症になるほうが多いだろう。最近、入院患者の病歴をとっていると、うんざりするほどいじめられ体験が多い。また、何らかの形でいじめを克服して、それが職業選択を左右しているかもしれない。もう二十年前になるが、私が精神科医仲間にそれとなく聞いてまわったところでは(私も含めてーー私は堂々たるいじめられっ子である)圧倒的にいじめられっ子出身が多かったが、一人の精神科医はいじめ側であったといい、何人も登校拒否児を作ったから罪のつぐないに子どもを診ているのだと語った。

しかし、いじめ方を教える塾があるわけではない。いじめ側の手口を観察していると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』PP.4-5)
たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(同 P20)


以下は別の方の発言だが、ツイート者の名を掲げないで引用する。

そりゃ、そうだろうよ。そもそも日本人で、「チョン」だの「キムチ臭い」だのと、さんざん蔑まれて育った経験のないヤツが、いくら「差別反対」を叫んだところで、空虚な空文句でしかない。気持ちが全然入っていないから、誰の心も感動させられない。

――と、「在日」の方がツイートされて、「カウンター」のひとたちに批判され、ツイートを削除している(と思う)。おそらく言い過ぎや失言に近い言葉と本人は感じたのかもしれないし、反差別運動をしている日本人の「カウンター」のひとびとのなかには、ひどく不快を感じるひとがいるだろうことは十分に憶測できる。

だが今はこの発話をうんぬんするつもりはない。「チョン」だの「キムチ臭い」だのと似たようなことを、わたくしもやってきたな、とあらためて回顧するだけだ。

小学生の入学前後、母の病気で母方の祖父の家の裏庭に引っ越した。三十米ほどさきに奇妙な路地があった。そこだけ舗装されておらず、道の一方は背の高いコンクリート塀が続く。他方の側に十軒前後だろう、小さな薄暗い家があった。その路地は、これも三十米ほどの長さだっただろう、拳大よりも大きく尖った石が、埃っぽいでこぼこ道からいくつも顔を出していたり、軒には唐辛子が吊るしてあったり、玄関脇に大きな壺が置かれてあったりした。小学一、二年と五、六年に、その路地にある家の子と同じクラスになった。一、二年のころは彼が「在日」であるかどうかにまったく頓着していなかったはずだが、彼の家に遊びに一度行った後、母から「あそこは、ちょっと違ったひとが住んでいるところだから……」云々のような言葉で、遊びに行くのを止められた。家に友達を招く機会にも、彼とは学校ではそれなりに親しくしていて、また一番近い住まいの友だったのに、彼が遊びに来た記憶はない。

小学生のときの記憶はこれだけだが、中学二年生になってまた同じクラスになった。そのとき「チョン」に近い言葉を使ったり、彼を敬遠するような振舞いがあったに相違ない(ようやく今になってそう思う)。

もう一つの日本における「在日」の方との交わり、たぶん気づかずにそれまでも接してきたことはあるのだろうが、意識的な交際をしたのは、京都に住むようになってからで、同じマンションで、コンピューターソフトの会社を経営しているひどく美しい夫妻と顔見知りになった。互いの娘がこれも同じマンションのピアノ教師に学んでおり、ピアノ教師が自らのピアノの演奏を聞かせる催しのため自宅に招いた折、何度か食事を一緒にしたり、子どものピアノ発表会の帰りにカフェで一緒になったり。ただそれだけの関係であり、とても遠慮深い上品な夫妻だったが、互いを訪問しあうまでには至らなかった。

インドシナにあるいまの国に住むようになってからは、多くの韓国の方と知合いになっている。主にテニスを一緒にする。いまの住まいの土地には、大きな韓国籍の繊維工場や製靴工場がいくつかあり(主に著名なブランド製品委託生産して米国へ輸出しており、二級品をすこぶる安い価格で手に入れることができる)、多くの知友はそこの従業員たちである。それなりの数の韓国人が居住しているため、この都心から三十キロほど離れた郊外の土地には、日本食堂はないが、韓国料理屋は何軒かある。どの店も韓国出身の女主人であり、そのうちの馴染みの客になった一軒の女将さんは、ひどく「情が濃い」。それほど年齢はかわらないはずだが、なんだか彼女の息子のようにかわいがってもらっている気分になる。ただし片言の英語での意思疎通ではある。そこでテニス仲間の韓国人とともに食事をする、酒を飲む。別に小さな韓国製食料品店もあり、電話一本で食材を配達してくれる(この主人は名古屋生まれであり、さて尾張や三河の伝統的商売法を受けついでいるのかーー、とまで訊いたことはない)。

もっとも当地では最近韓国人は評判を落としている。その大きな理由のひとつは、業者による「売買婚」のせいだ(それ以外に、妻は韓国人はアツイからねえ、と口を濁すが、これは昔からのことであり、逆に日本人はヌルスギルとも言いうるものだ、実際彼らとテニスをすると、そのアツサはよくわかる)。売買婚は、かつて日本がタイやフィリピンの女性と大量に結婚したやり方と同様のふるまいなのかどうかはわたくしは詳しくはない。




なにはともあれ、この現象に、日本人として過剰に苛立つことはできがたい。それはわれわれの〈加害者的側面を一時忘れさせ》ることになってしまうだろうから。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)


さて話をもとに戻せば、韓国人の知友から、日本の嫌韓風潮の話題が出ることはない。だがわたくしには、彼らと歓談しているおり、ときにうしろめたい気分でいっぱいになることがある。それに「かつて彼らの家に土足で上がりこんだ」日本人だという心持をもってしまうことがある。もっとも、ここで「無限責任」などということを言い出すつもりはない。

だが「在日」の問題は、「強姦によって生れた子ども」という側面は忘れるわけにはいかない。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

またもし恥じるべきことがあるならば、日本の《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部は存続している》かどうかだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)

だがここでは、《なんだろねこの一種独特の「ぬるさ」は》が、《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部》かどうかは問わないでおこう。それが「空気」を読みながら行動する曖昧模糊として春のような気質のことであるならば、そんな気質は容易に変え難く、これまた「無限責任」の話に近づいてしまのだから。


わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』ーー「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

ーーというわけで、われわれにまず第一に何が必要なのだろうか。われわれも、ある次元では「マイノリティ」であることに気づくことではないか。もっともそれが日本という「ムラ社会」ではことさら難しいのだろうが。

浅田彰) 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。(マジョリティの「選択的非注意」

たとえば反ファシズムを声高に言い募る「正義」の集団はーーここで文脈上、来るべきマジョリティと呼んでおこう、ーー実は「権力欲」を発露させているのでは、との疑いはときにあってもよい(参照:ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い)。

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

「カウンター」のひとびとは、たとえば「在特会」の連中を、《より下位のもの》、《「自分より下」の者》としがちなことは明らかなのだから。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

もっともこういった側面もあるというだけであり、この側面に心を配りつつも、わたくし自身はいまの「カウンター」運動をかなり熱心にーー海外住まいの「無行動」派であり、いささか「偽善」の様相を呈していないでもないがーー応援していることは念押ししておこう。



※附記

人種差別の標準的な分析では、人種差別主義者たちは誤った教育を受けたか、無学で、犠牲者たちについて無知であることになっている。人種差別主義者が犠牲者となる人種を客観的に見て、彼らをよく知りさえすれば、偏見もなくなるだろう、とこの理論は続ける。たとえば、もしドイツの人種差別主義者が、トルコ移民がいかにドイツに貢献しているかを理解したら。フランスの人種差別主義者が、アルジェリアの共同体がフランスの名のもとにいかに文化的に重要な貢献を果たしてきたかを知りさえしたら。あるいは、イギリスの人種差別主義者が、第二、第三世代のインド人たちが英国の健全な発展にいかに貢献してきたかを理解することができさえしたら。しかしジジェクによれば、たとえ人種差別主義者たちがそういうことを理解したとしても、それでもなお彼らは人種差別主義者のままだろう。なぜだろうか?

答えは、人種差別を受ける主体は、個々の人間からなる客観的な集団ではなく、幻想上の人物像だからである。たとえば1930年代に、アーリア人種をひそかに陥れようとする国際的な陰謀があってその中心はユダヤ人である、などという考えはばかげている、という合理的な議論をしても、ナチスが説得されることはなかっただろう。ジジェクによると、ユダヤ人はそんなことはしていないと証明する経験的な証拠を、ナチスに示すことはできない。彼らは……現実に対する客観的な見かたを云々していたわけではないからだ。むしろ彼らは、ユダヤ人を幻想の枠組みで見ていた。そのため、彼らはそうした幻想の枠組みと、現実はどのようなものかという視点を対比することができなかった。幻想の枠組みの肝心な点は、なによりもまずそれがあなたの現実を構成していることだからだ。だからジジェクの推測では、もしあなたがナチで、真に友好的で「善良な」ユダヤ人が隣に住んでいても、あなたは自分の反ユダヤ主義とこの隣人とのあいだに、いかなる矛盾も経験しないだろう。むしろ、隣人が表面上はきちんと見えることこそ、ユダヤ人の危険を示す最高の証拠である、と結論を下すだろう。あなたは幻想の窓を通じてものを見ているので、反ユダヤ主義と一見矛盾するように見える事実こそが、まさに反ユダヤ主義を支える議論となりうるのである。(トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク』ーー幻想の横断

…………

というわけで、この記事自体、いかがわしい臭いをぷんぷんさせているのは、わかってるさ。

……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……(大江健三郎「見せるだけの拷問」)

ここにある《H氏やK氏》というのは、小説のなかの記述とはいえ、もちろん蓮實重彦と柄谷行人のことだからな。もっともらしいことを書いたらイカガワシイのさ。

大江健三郎だけではなく、蓮實重彦や柄谷行人だって、自らのイカガワシサを自覚しているはずだよ

《たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。》(柄谷行人ーーマッチョイメージとしての「革命家」

途中、「火病」、「ファビョる」などという語彙群を口にするのを思い留まるのに苦労したな。

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(「安克昌先生を悼む」『時のしずく』所収

すなわち、「堅固な意志と非妥協的な誠実 」と「ファビョる」との相関関係を。

……右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)

次の元高級官僚のオッチャン、ときにとんでもないツイートするんだが、これは事実を記述している。

林雄介 @yukehaya

ファビョるはアメリカ精神科協会が公的に韓国人特有の精神疾患と認定している。精神疾患の国際的なガイドラインであるDSMに、火病という韓国人特有の精神疾患として分類されている。精神疾患の判断は国際的にDSMを使うから、国際基準でファビョるは民族的な精神疾患と断定されている。

もっともテニスのダブルスでペアを組んで、こちらが気の抜けたミスを怒髪天を突く表情で睨む彼らを「ファビョる」など言ってはいけないらしい。

おそらく「火病 Hwa-Byung」研究の第一人者のひとりであるだろうSung Kil Min氏によれば、「火病」は、朝鮮民族の主人のシニフィアンの一つ“恨(ハン)”概念にかかわるということ。

◆”Clinical Correlates of Hwa-Byung and a Proposal for a New Anger Disorder”( Sung Kil Min)

Collective haan and Korean culture Many scholars consider haan as a unique Korean sentiment beyond its literal meaning, and it is a key word to understand Koreans or Korean culture. Haan has been thought of as Koreans' traditional, cultural and collective emotional state of suppressed and accumulated anger or uk-wool. Koreans have endured repeated suffering from both domestic and international injustice and unfair violence throughout their nation's history. Ordinary people, farmers, servants or other people of the lower class were suppressed by bureaucrats or the literate upper class, called yang-ban. Women were suppressed by men. But haan has been the source of energy for the creativity of ordinary people including for example, the ceramic art that has been made by unknown masters, or for making revolution against political suppression including, for example, a farmers' military rebellion against the local government in the 19th century, which is called Donghak-ran. The typical collective Korean experiences with haan in modern history include the inherited poverty for thousands of years, Japanese colonization, the Korean War and division of the country, suppression by military dictators and the recent economic polarization. But haan has been also thought to provide energy to Koreans for economic development (haan-puri of poverty) and democratization (haan-puri of political suppression) during the so-called "condensed history" of Korea. The haan of women has been solved by women's liberation.52,56 Accordingly, Korean history is referred to as a history of haan and Korean culture as a culture of haan (In this paper, haan will not be translated and it will be used as it is.).

この記述は、朝鮮半島のトラウマの歴史による“恨(ハン)”とも読めるものだ。

もちろん日本民族にも「甘え」、「意地」やら、最近では「ヤンキー」などの奇妙な概念があることを忘れてはならない。

※参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ








「沖合いはるかな遠い未来のなかに」

人が私に同意するときはいつも、私は自分が間違っているに違いないと感じる。

Whenever people agree with me I always feel I must be wrong. (オスカー・ワイルド)

ははあ、ワイルドの言葉のなかに、すでにロラン・バルトがいるな。

何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。

そして、どのような反応をも冷まし、あるいは、遠ざけるような言述を続けていても、そのために自分が一層正確である(音楽的な意味で)とは感じられない。なぜなら、そのときは、私は自分のパロールの孤独さを自賛し、使命を持った言述(学問、真理、等)というアリバイをそれに与えなければならないからである。(ロラン・バルト「作家・知識人・教師」『テクストの出口』所収)

遡ればデカルトだっているさ。

人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる。(デカルト『方法序説』)

すぐさま理解されたら引退という規約の集団だってあったらしい。

フランスにブルバキという構造主義数学者集団があった。この匿名集団の内密の規約は、発表が同人にただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退くというものであった。出版と同時に絶賛される著者には、時にこの自戒が必要であろう。(中井久夫「書評の書評」『リテレール』創刊号 1992)

どうして、いまでは大量ハテブされたり、ツイッターで大量RTされたりなどしても、恥じない手合いばかりなんだろ? 

ーーというのは捏造されて疑問符だよ、そんなことは分かってる。

ただ「承認欲求」という言葉は使用したくなくてね、
ああ使っちまった、消去線引いとかなくちゃな

《誰もが、誰かに見られていることを求める》。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

クンデラはこう書き、四つの視線のカテゴリーをあげる。

①限りなく多数の無名の目による視線(大衆の視線)
②数多くの知人の目という視線
③愛している人たちの視線
④想像上の視線(死者の視線、理念の視線など)

ーー③か④にしとけよな、「承認」されたいのなら。


ここでなぜかシュネデールのグールド論の言葉を引用しておこう。

実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。p7


これは演奏会の話だが、ネット上の読者なんてのもーーいや「文化人」の書き物をあり難がる手合いももちろんーーこういった連中がほとんどなんだからさ。

深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えている(……)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(ジジェク

「わかりやすさのファシズム」の時代だからな。

結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。(北野武

…………

……天才の作品がただちに賞賛をえることの困難なのは、それを書いた天才その人が異例であり、ほとんどすべての人々が彼に似ていないからである。天才を理解することができるまれな精神を受胎させ、やがてその数をふやし、倍加させてゆくのは、天才の作品それ自身である。ベートーヴェンの四重奏曲(第12、第 13、第14および第15番の四重奏曲)は、それを理解する公衆を生み、その公衆をふくれあがらせるのに五十年を要したが、そのようにして、あらゆる傑作の例にもれず、芸術家の価値にではなくとも、すくなくとも精神の社会に―――最初この傑作が世に問われたときには存在せず、こんにちそれを愛することができる人々によってひろく構成されている精神の社会―――一つの進歩を実現したのは、ベートーヴェンの四重奏曲なのである。人々がいう後世とは作品の後世で ある。作品自身が(……)その後世を創造しなくてはならないのだ。したがって、作品が長くとっておかれ、後世によってしか知れれなかったとしたら、その後世とは、その作品にとっては、後世ではなくて、単に五十年経ってから生きた同時代人のあつまりであるだろう。だから、芸術家は自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅠ」より)

なんてのは芸術家のみなさんも生活かかってるんだから
「沖合いはるかな遠い未来のなかに」なんて

こんな物言いも無視したらよろしい。
せいぜいレスポンスをもらうことに専念したらよろしい。
なあ、ソウダロウ?

蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

――中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)


蓮實重彦なんて、サルトルまで貶しているわけだからな

…………

サルトルは第二次世界大戦終結後の五日後、『大戦の終末』という文を発表している。《一発で十万人もの人間を殺すことのできる小さな爆発》が導きだした大戦の終末、この武器は《明日ともなれば、二百万人もの生命を奪うこと》にもなろうから《これが突如として我々の人間の責任と、我々とを対決させることになったのだ》。そのとき人は《自己の死滅の鍵》を握って茫然とする、と。

この次の機会には、地球は破裂するかもしれぬし、この不条理な結末は一万年も前から我々人間の心にかかっていた様々な問題を、宙ぶらりんにしてしまうだろう。

もし明日また新しい事変が起ったと告げられても、我々は、あきらめたように肩ををびやかせながら、「予定どおりさね」と言うに違いない。(「大戦の終末」)

――なにやら2011年の極東の島国での「想定外」の事態をめぐって、ある種の「知識人」によって同じようなことを呟かれてもおかしくない文であるし、実際、いくらかの語句修正を施された《聡明、かつ反射神経鋭敏な》評論家連によって語られたともいえる。

蓮實重彦はその『物語批判序説』のなかで、上記のサルトルの文を引用して《世界の表層を不条理というほかない亀裂が走りぬけたとき、みずからのもっとも神経過敏な部分をその痕跡に重ね合わせるほとんど反射的といえる身体反応の美しさ》と語りながらも、《ある種の身体的な聡明さとは、あくまで相対的なものでしかなく》、《誰もが否定しえない知的聡明さと、人間的な誠実さにもかかわらず、この爽快なまでに短い論文を綴ったサルトル》の言説への齟齬感をめぐって書き進める。
……大洪水前の虚無からは幾世代にもわたる祖父たちによって守られており、未来の虚無に対しては、何代にもわたる甥孫によって守られており、つねに時間の流れの中間にあって、決してその末端にはいなかったのだ。しかし、今や我々は、この「世界終末の年」へ戻ってしまったのであり、朝起きる度毎に、時代の終焉の前日にいることになるだろう。(同サルトル)


蓮實氏は、《サルトルのもっともできの悪い文章をとりあげて、作家サルトルの文学的資質をことさら軽視しようとしてこの一節を引いたのではない》、としながらも、《終りという事態を前にした場合、サルトルさえもがこうした貧しい比喩に逃れるほかないという点が問題》であるとするのだ。

「世界終末の年」への逆戻りという表現は、サルトルのいわんとすることの表現であるより、むしろその思考の運動を出来合いの言葉の方へと招きよせ、語りつつある主体を、それが喚起するもろもろの象徴へと、検証を欠いた安易さで同調させる機能を演じているように思う。
……『大戦の終末』はきわめて素直な文章だといえるかもしれない。素直な、というのは誰かに教えこまれたのでもないのに、昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象を与えるからだ。事実、人間の死の予言は、神の死という言葉が流通しうる文化的な圏域にあっては、いずれ誰かが口にすべき言葉として予定に組みこまれていたもののはずである。あからさまに言明されることはなくとも、そうした命題が論じられて何の不思議でもない文脈が用意されていたのであり、それにふさわしいきっかけが与えられればたちどころに顕在化するはずの、潜在的な主題でさえあったといえるだろう。

もちろん、サルトルは、いちはやくその事実を察知する聡明さに恵まれていた、それは日本の2011年の早春における何人かの[知識人」も同様だっただろう。彼らは《聡明さのみならず、ある大胆さと、そしておそらくはいくぶんかの通俗性にも恵まれていたので、誰よりもさきに予定されていた言葉を口にしてしまったのである》。

このようにして、『物語批判序説』の作者によって、『大戦の終末』の文章は、「説話論的な権利に従った自然さ」、あるいは「物語の罠に陥る甘美さ」があると指摘されることになる。つまりは、

しかるべき文化圏に属するものであれが、誰もが暗記していつでも口にする用意が整っていた台詞であり、その意味で、それをあえて言説化してみることはほとんど何も言わずにおくことに等しい。

この後、同じ「人間の死」を語りながらも、つまり《思考が人間の顔を描きえたのはたかだか過去百五十年ほどのことでしかなく、その人間の横顔も、とうぜん、知の配置が体験するだろう新たな変容とともに「波打ちぎわの砂の上に描かれた顔のように消滅する」ほかあるまい》と語るフーコーとの言説的戦略の差を語ることになるのだが、それはここでは割愛する。




2014年10月1日水曜日

ニーチェの隠し事

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

…………


『ツァラトゥストラ』の第二部に「同情者たちVon den Mitleidigen」という項がある(Thomas Commonの英訳では the pitiful)。

以下、手塚富雄訳より抜粋する。

わたしは、同情せずにいられないときにも、同情心の深い者とは言われたくない。また、同情するときには、自分の身を離して遠くから同情したい。まことに、わたしは苦悩している人たちに何ほどかのことをしたことはある。しかし、それ以上によいことをしたと思えたのは、わたしがよりよく楽しむことを覚えたときである。
……わたしは悩む者を助けたことのある自分の手を洗う。そればかりでなく、自分の魂をも念入りに拭うのだ。というのは、悩む者が悩んでいるのを見たとき、わたしはそのことを、かれの羞恥のゆえに恥じたのだから。また、かれを助けたとき、わたしはかれの誇りを苛酷に傷つけたのだから。
大きい恩恵は、相手に感謝の念を起こさせない。それどころか、相手のうちに復讐心を芽ばえさせる。また小さい恩恵が記憶のうちに残っているあいだは、それは呵責の虫となって、その恩恵を受けた者の心を食い荒らす。
……だが、わたしは贈り与える者である。友として友にわたしは喜んで贈り与える。しかし未知の者や貧しい者たちは、わたしの果樹から自分の手で果実を摘み取るがいい。そうすればかれらに羞恥の念を起こさせることが少ないだろう。

次に『この人を見よ』から。

わたしが同情心の持ち主たちを非難するのは、彼らが、恥じらいの気持、畏敬の念、自他の間に存する距離を忘れぬ心づかいというものを、とかく失いがちであり、同情がたちまち賤民のにおいを放って、不作法と見分けがつかなくなるからである。(手塚富雄訳)


これらの断片から窺われるのは、ニーチェは決して同情=憐れみを感じることそれ自体を批判しているわけではなく、ただその感情を露骨に表してしまうのを嫌厭すること甚だしいということだ。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。( ……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

《ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。》(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

…………

ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザが私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P332ーー「軽さと重さ」)

写真はいわば、穏やかな、つつましい、分裂した幻覚である。一方においては、《それはそこにはない》が、しかし他方においては、《それは確かにそこにあった》。写真は現実を擦り写しにした狂気の映像なのである。…写真と狂気と、それに名前がよくわからないある何ものかとのあいだには、ある種のつながりがある、ということを私は理解したと思った。私はその何ものかをとりあえず愛の苦悩と呼んでみた。しかしながら…その何ものかは、恋愛感情よりももっと豊かな感情のうねりだった。写真によって呼び覚まされる愛のうちには、「憐れみ」という奇妙に古くさい名前をもった、もう一つの調べが聞き取れた。私は最後にもう一度、私を《突き刺した》いくつかの映像、…を思い浮かべてみた。それらの映像のどれをとっても、まちがいなく私は、そこに写っているものの非現実性を飛び越え、狂ったようにその情景、その映像のなかへ入っていって、すでに死んでしまったもの、まさに死なんとしているものを胸に抱きしめたのだ。ちょうどニーチェが、1889年1月3日、虐待されている馬を見て、「憐れみ」のために気が狂い、泣きながら馬の首に抱きついたのと同じように。comme le fit Nietzsche, lorsque le 3 janvier 1889, il se jeta en pleurant au cou d’un cheval martyrisé : devenu fou pour cause de Pitié(ロラン・バルト『明るい部屋』).

…………

ニーチェはショーペンハウアーとの遭遇を次のように語っている。

或る日(1865年秋:二十一歳)、私は古本屋でこの本(『意志と表象の世界』:引用者)を見つけ、全然未知のものであったので、手にとってページを繰った。・・お前はこの本を家に持ち帰れ・・と私に囁いたのはどういうデーモンであったのか私にはわからない。いずれにせよ書物の購入をあまり急がないという私の日頃の習慣に反した出来事であった。(ニーチェ『回顧』)

ここでは『意志と表象の世界』からではなく『存在と苦悩』から。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

ここにまた「正義」なんて言葉が出てくるのだよな
この文はじつは、「"正義"という「主人のシニフィアン」(バディウ=ジジェク)」やら
正義とは不快の打破である」の続きものだ、ということを分かってもらえるだろうか
あるいは、「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」の。
ーーまさか! だれにもそんなことは期待してないさ


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

《カントをもまた、道徳の毒蜘蛛であるルソーが刺していた。カントにもまた、魂の底には道徳的な狂信の思想が伏在していた。》(『曙光』序文)

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

ーーとしつつ後年、カントやショーペンハウアーよりも、ルソーを相対的に持ち上げている。

二人のドイツ人。――精神に関してではなく、魂に関して、カントやショーペンハウアーとを、プラトンや、スピノザや、パスカルや、ルソーや、ゲーテなどと比較するなら、上述の二人の思想家は不利な立場にある。彼らの思想は情熱的な魂の歴史を形成していない。そこでは、物語も、危機も、破局も、臨終も、何ら推測されない。彼らの思索は同時にひとつの魂の無意識的な伝記であるのではなく、カントの場合にはひとつの頭脳の歴史であり、ショーペンハウアーの場合には、ひとつの性格の(「不変なものの」)記述と反映であり、「鏡」そのものの、すなわち優れた知性の喜びである。カントは、その思想を通して彼がちらちら光るとき、最上の意味で実直で、尊敬すべきように思われるが、しかし重要でないように思われる。彼には広さと力が不足している。彼はあまり多くの体験はしなかった。しかも彼の流儀の仕事は、重要なことを体験する時間を彼から奪いとる。――当然のことながら、私は外面的な粗っぽい「出来事」のことを考えているのではない。閑暇を所有して思索の情熱に燃えている全く孤独で全く静かな生活の帰属する、運命と戦きとのことを考えているのである。ショーペンハウアーは、カントよりも先んじている。彼は少なくとも生まれつきある種の激しい醜さを身につけている。憎悪や、欲望や、虚栄心や、邪推の点で、彼は幾分野性的な素質の持ち主であり、この野性のための時間と閑暇とを持っていた。しかし彼の思想圏にも不足していたように、彼には「発展」が不足していた。彼はいかなる「歴史」も持たなかった。(『曙光』481番)

ところでカントの正義ってなんだったっけ?
これでいいのかな、カント研究者さんたちよ

カント自身、その方法の斬新さは、いまや法が<善>に依存するのではなく、逆に<善>が法に依存するのだという点にあるのだと口にしている。それが意味するところは、もはや法には、その権利の源流となる上位の原理を基礎にしてみずからを築く必要性もなければ、またその可能性もないということである。(……)

事実、法がそれに先立ってある高次の<善>に根拠をおくことがもはやなく、その内容をまったく非限定的なものとして放置するそれ固有の形態によって有効であるとするなら、最善をめざして正義が法に服するということは不可能になる。というよりむしろ、法に服するものは、然るが故に正義にかなっているわけではないし、またそう自覚することもないということだ。事態は逆であって、自分は罪を犯しているという自覚があり、彼は前もって有罪者なのである。しかも厳格に法に服すれば服するほど、ますます罪深いものとなるのである。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳ーーメモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)

ラカンの「サドとともにカントを」なんていうのは持ち出さないでおくよ
この程度にしておくぜ、ここでは。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーー「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン

さて、なんのはなしだったか?
ニーチェは、後年ルソーを持ち上げる、なんて書いてしまったんだなーー、まさか!

私の意味での進歩。――私もまた「自然への復帰」について語るが、もっともそれは、もともと帰ることではなく高まりゆくことであるーー高い、自由な、怖るべきものでさえある自然と自然体、大いなる課題と戯れる、戯れることの許されているそうした自然と自然性のうちへと高まりゆくことである・・・それを比喩で言えば、ナポレオンは私が解する意味での「自然の復帰」の一つであった(たとえば戦術のことにおいて in rebus tacticis それでころか、軍人の知るとおり、戦略的なことにおいて)。――ところがルソー ーーこの男はもともとどこへ帰ろうとしたのであろうか? ルソー、この最初の近代的人間は、理想主義者と下層民とを一身にそなえている。この男は、しまりのない虚栄としまりのない自己軽蔑に病んで、おのれ自身の外見を保つために、道徳的「品位」を必要とした。近代の閾ぎわに陣取ったこの奇形児もまた「自然への復帰」を欲したーー繰り返したずねるが、ルソーはどこへ帰ろうとしたのであろうか? ――私は革命の点においてもやはりルソーを憎悪する、革命は理想主義者と下層民というこの二重性を世界史的に表現するものであるからである。この革命が演ぜられた血なまぐさい茶番、その「無道徳性」は、私にはほとんどかかわりない。だが、私が憎悪するのは、そのルソー的道徳性であるーーこの道徳性がいまなおそれで影響をおよぼし、一切の浅薄な凡庸なものを説得して味方にしている革命のいわゆる「真理」である。平等の教え! ・・・しかしこれ以上の有毒な毒は全然ない。なぜなら、平等の教えは正義について説いたかにみえるのに、それは正義の終末であるからである・・・「等しき者には等しきものを、等しからざる者には等しからざるものを」――これこそが正義の真の言葉であるべきであろう。しかも、そこから生ずるのは、「等しからざるものをけっして等しきものになすことなかれ」ということにほかならない。――あの平等の教えの周囲ではあれほど身の毛もよだつ血なまぐさいことがおこったということは、この選りぬきの「近代的理念」に一種の栄光や火光をあたえ、そのためこの革命は演劇として最も高貴な精神をも誘惑したのである。このことは結局は、この革命により以上の敬意をはらう理由とはならない。――私は、この革命が感じとられなければならないとおりに、嘔吐をもってそれを感じとったたった一人の人を知っているーーゲーテを・・・(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」『偶像の黄昏』原佑訳 P142)

ルソーを読むには、鼻をきかせなくちゃな。もちろんニーチェを読むのにも、さ。

《私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。》(ナボコフ『ロシア文学講義』ーー「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ


…………

◆『悦ばしき知識』338番 「苦悩への意志と同情者たち」より 、(「共苦Mitleid」/「共喜Mitfreude」)の叙述。

何はさておいても同情深い人間であるということは、君たち自身の身のためになることであろうか? さてまた、…苦悩している人たちの身のためになることだろうか?

―我々は最も深刻に、最も個人的に悩んでいるものは、他人の誰にもほとんど理解されえないし、窺い知られないものである。…それなのに、我々が苦悩者だと気づかれる際は、いつも、我々の苦悩は浅薄な解釈を蒙る。他人の苦悩から、その独特に個人的な契機を剥ぎ取ってしまうのが、同情という感情の本質に属したことだ。…不幸な人たちに施される大方の慈悲には、同情深い者が運命をいじり回す知的軽率さが見られて、何となく腹立たしい気持ちになる。

同情深い者は、私や君にとって不幸とされているもの、内面的いきさつやもつれの全体について、何ひとつ知るところがない! …彼らは援助しようとするが、不幸の個人的必要性というものが存在することには思いつかない。のみならず私にも君にも恐怖・窮乏・零落・暗夜・冒険・離れ業・失敗など が、その反対のものと同様に必要であることに、いや、神秘的な言いあらわしをすれば、自分の極楽に至る道が、いつでも自分の地獄の歓楽を突っ切っていくも のだということに、思い及ばない。

ああ、君たち安楽で善良なる方々よ、君たちは人間の幸福について何と僅かしか知っていないことか! ―なぜかといって、幸福と不幸とは兄弟であり双生児であって、そろって大きく育ってゆくか、あるいは君たちの場合のように、そろって―小さいままでいるからである!……

……さもあれ私は自分に次のように告げる私の道徳を秘密にしておく気はない、―お前はお前自身を生きうるために、隠れて生きよ!お前と現代との間に、少なくとも三世紀の皮膚を張りわたせ! …お前とて人を助けようとはするだろうが、しかし、お前と苦悩を一にし希望を同じくするがゆえに、その人の憂苦をお前が残らず了知している者たちだけを、助けよ、―つまり、お前の友達だけを助けよ。それも、お前がお前自身を助けるようなやり方でだけ助けるがいい。―…私は、彼らに、こんにちごく僅かな者だけが理解して、あの同情共苦の説教家たちがほとんど理解しないものを、教えようと思う、―つまり同喜共歓をだ! (信太正三訳)

◆『曙光』より「同情する人間と同情を持たない人間」

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわえわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。

しかしわれわれはこの種のことを、決してひとつの動機から行なうのではない。われわれがその際苦しみからの解放を望んでいることが全く確実であるように、われわれが同じ行為において、快楽の衝動に服従することもやはり確実である。――快楽が生じるのは、われわれの状態の反対のものの姿を見るときである。われわれが望みさえすれば助けうるという考えをもつときである。われわれが助けた場合、賞賛され、感謝されるという思いを抱くときである。行為がうまくゆき、そしてそれが一歩一歩成功するものとして実行者自身を楽しませるかぎり、助けるという行為そのものの中においてである。しかしとくに、われわれの行為が腹立たしい不正を制限する(彼の腹立たしさの爆発だけでも気分をさわやかにする)という感覚の中においてである。この一切合財に、さらに一層精巧なものがつけ加わると、「同情」である。――言語はそのひとつの言葉を用いて、何と不格好に、そのように多声的な存在の上に襲いかかることであろう! ――これに反して、苦しみを眺めるときに起きる同情が、その苦しみと同種のものであること、あるいは、同情が苦しみに対して特別に精巧な、透徹した理解をもつこと、この二つのことは、経験と矛盾する。そして同情をほかならぬこの二つの視点で称賛した者は、まさに道徳的なもののこの領域において、十分な経験を欠いていたのである。ショーペンハウアーが同情について報告することのできるすべての信じがたい事柄にもかかわらず、これが私の懐疑である。彼はわれわれをして、彼の大きな新発明品を信じさせようとしている。それによると、同情はーー彼によって極めて不完全な観察がなされ、全く粗悪な記述がなされた、まさにその同情はーー、一切のあらゆる以前の、また将来の道徳的な行為の源泉であるーーしかも彼がはじめて捏造して、同情になすりつけたほかならぬその能力のためにそうなのである。――

おしまいに、同情をもたない人間は、同情する人間と何で区別されるか? 何よりもまずーーここでもやはり荒っぽくのべるだけであるがーー同情をもたない人間は、恐怖という刺激されやすい想像力や、危険をかぎつける鋭い能力をもっていない。さらに、何事か起きても、かれらが阻止できるならば、彼らの自惚れはそんなに速やかに傷つけられはしない。(彼らの誇りの慎重さは、関係のない事柄に無益な干渉をしないように、彼らに命令する。それどころか、彼らは自発的に、各人が自分自身を助け、自分自身のトランプで遊ぶことを好むのである。)その上彼らは大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない。最後に彼らにとっては心の優しい状態は、ちょうど同情する人間にとってストア主義的な無関心の状態が苦痛であるように、苦痛である。彼らはその状態に軽蔑的な言葉を付加し、自分の男らしさと冷たい勇気がそれによって危険にさらされたと思う。――彼らは涙を他人の眼からかくし、自己自身に立腹して、それをぬぐう。それは、同情する人間とは別の種類の利己主義である。――しかし彼らをすぐれた意味で悪いと呼び、同情する人間をよいと呼ぶことは、時をえているひとつの道徳的な流行にほかならない。ちょうど反対の流行にも時が、しかも長い時があったように! (ニーチェ『曙光』第133番 茅野良男訳)

ーーとだけ引用して、ニーチェの「同情」を、逆張り的に解釈するのは一面的であるに相違ない。以下、次回?、もしくはそのうちに続く(たぶん)。

ところで、同情をもたない人間は、《大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない》というのはーー、そうだなよなあ

自分が苦しんでいるときに他人への同情なんてしないだろうから。

器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)


現代日本では、生活苦という「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」人間が多くなったのだろうな。ーー《みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。》(「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より

「ルソーの憐れみのひと」らしい東浩紀氏がこんなこと言ってたなあ。

@hazuma: ぼくは第二次大戦については、戦争悪いとかとは別に、いちどあれだけリベラルでモダンになった日本が急速に竹槍とかモンペ一色になっていく、その文化的墜落にいつも衝撃を受けるのよね。その点では、この15年ほど似たような墜落が生じていると感じていて、このあと戦争がなかったとしても嫌だ

@hazuma: いまはバブル世代や団塊ジュニアって評判悪いけど、95年までの日本はどうのこうのいいながら余裕があって、嫌韓本がベストセラーになったりすることはなかった。それは単純にいいことなんじゃないですかね。「戦わなければ生き残れない!」とか、そりゃそうかもしれないけど、基本下品ですよ。 (東浩紀)

ーーというわけで、この話題を続けようと思ったら、百投稿ぐらい連投しなくちゃならないんじゃないか。で、やっぱり「専門家」にまかせるよ。この投稿自体、これで12000字ほどだから、そこらあたりのブログの5~10投稿分ほどはあるのだよな

原来此種の記載は無用に属するかも知れぬが、或は他書を併せ考ふるに及んで、有用のものとなるかも知れない。わたくしは此の如き楽天観に住して、甘んじて点簿の労に服する。(森鴎外『伊沢蘭軒』 その百三)

で、問題は、専門家や学者はお上品な種族のひとがほとんどで、鼻が退化しているのじゃないか、ということだな

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。(M.ホルクハイマー、Th.W.アドルノ『啓蒙の弁証法』)