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2014年2月13日木曜日

「である」と「ですます」調

前投稿から文章や文体をめぐって書いているのだが、どうも読み返す習慣がなくていけない。iPADの修理中でいまようやく戻ってきたので、寝転がって読み返すことにする。コンピューターのスクリーンというのは、どうも読み返す気がおこらないのだ。ーーと書いているのは、実は前投稿の冒頭に小学生並の主語と述語の不一致を見出し、文章などとえらそうなことを書ける身ではない、ということが言いたいのだが、また書いてしまった。いささか垂れ流し気味だが、ある意図があって続けて投稿する。

…………

〈である調〉と〈ですます調〉の両方を、ぼくは気分によって使い分けています。であるで始めて、なんだかちょっと上から目線みたいな文章になりかけたら、ですますで書き直すこともあります。もちろん文章の音の流れを考えて混ぜて使うこともある――こんな感じ。

ぼくの『わらべうた』に〈であるとあるで〉というノンセンスな詩があって、これをユニット名にした木管四重奏団のCD『あるでんて』が出ました。武満徹が賢作の誕生を祝って書いてくれた曲や、谷川・林光コンビの校歌、ぼくが楽器に合わせて書いた詩の朗読も入ってます。

ボーナストラックの子どもたちが歌う賢作作曲の〈うんこ〉がぼくは気に入ってます。乞御一聴……これはである調だな、ですます調なら、一度聴いてみてください、かな。 (谷川俊太郎

ーー谷川俊太郎の《大学の教師とか定職を持たずに職業としての詩人を貫いた態度をめぐっては、ここにいくらかのまとめがある。


かつて批評家中村光夫の「ですます調」というのがあって、おそらく当時猖獗した小林秀雄風の究極の「である」「だ」調の文体の反動・反発としてもあったのではないか。加藤周一や森有正の硬質な文体にも若いころ魅せられた身であり、わたくしにはどうも中村光夫のスタイルは気に入らなかった(では谷崎潤一郎の『文章読本』の「ですます調」はどうなのか、といえば、あれはあれで気にならない、いや、あの啓蒙的な部分も多い内容にはむしろふさわしいという感があるので一概には言えないのだが、やはり谷崎の技倆というしかないもので、おそらく末尾に書かれる「含蓄について」の節における「意味のつながりに間隙を置くこと」という工夫が味気なさを生まない秘訣のひとつだろう、流麗ななかにも読み手を立ちどまって振り返らせる工夫があるのだ。)。

わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)

吉本隆明による中村光夫の「ですます」調批判は次の如し。

…「です」とか「ます」とかいう口調で、対象とする作品あるいは作家に批評の言葉が思い入れをすることを回避したこと。しかしそれが同時に味もそっけもない、これほど読んでつまらないものはないというスタイルになった一つの理由だとぼくは理解しています。(吉本隆明

もっとも蓮實重彦などは中村光夫の批評を小林秀雄より評価している。蓮實重彦の小林批判は、高橋悠治による小林秀雄批判に続くもので、ーー高橋の文は、小林の安っぽいトリックへのもっとも鮮烈な批判として有名だがーー、それににまさるとも劣らない辛辣さをもっていおり、小林秀雄の文章の「メロドラマ」性を批判する、ーー《名高い小林秀雄のランボー体験、モーツァルト体験などは、いずれも遭遇の物語であり、舞台装置や背景までが詳述されている。これは風景の中での制度的な遭遇にすぎず、いわばよくできた思考のメロドラマだ。》(『表層批判宣言』)

※蓮實重彦の小林秀雄をめぐっては以前抜き書きしたものがあるので、末尾にやや詳細に附記する。

そして浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士は、中村光夫を吉本隆明の上におく(『近代日本の批評  昭和篇(下)』)。もちろん一時的に吉本隆明が無闇に崇められたへの時代の風潮への反発もあったはずだ。70年代の柄谷行人や蓮實重彦の批評文には、吉本隆明賛とも受けとれる文がある。『マス・イメージ論』(84年)前後から吉本隆明の発言への失望があったこともあるだろう。ようするに吉本のポストモダン的風潮への媚態に嫌気がさした人たちがいた。

――などということをメモしているのは、新垣隆という方が話題になっているので、どんな人なのか、と検索している中に、大野左紀子氏の文章の「ですます」調に当たったからだ。大野さんはかつて美術活動の実践者で、「なんでもアート」と呼ばれることに鬱憤を抱いてその業界から去ったとある。





いまは教師と批評活動をされている方だが、わたくしと同年輩の「芸術」に関心のある方がどんな見方をもっているのか、あるいは教師の目で、いまの若い人への対応の苦慮、あるいは考え方の異和などをブログで書いておられ、数年前からほぼ全記事を読む習慣をもっていた。が、このところiPADを修理に出していたことがあり、テト休みをはさんで二週間ほどご無沙汰していたところでの「新垣隆」の記事である。

ここでは「新垣隆」をめぐってはメモするつもりはない。ただブログでは「ですます」調で書くことはたしか稀であったはずなのに、著書では「ですます」調で書いているのだな、ということにいささか意外感を覚えた。記事内容も演奏家たちの苦闘ぶりが書かれており、やや関心のあるところなので、その個所を引用しよう。

数年前、あるシンポジウム で音楽プロデューサー の平井洋さんとご一緒したことがあります。五嶋みどり をはじめ日本を代表する音楽家のマネジメント やコンサートのプロデュースを、長年やってこられた方です。平井さんによれば、クラシック音楽の分野では「今は一握りの人を除いて、プロがなかなか食っていけない時代」。

 伺ったお話をまとめると、「少し前ならトップクラスは演奏家 で、二番手ならオーケストラに入り、三番手の人はヤマハ音楽教室 で教え、その次は自宅でピアノ教師をするというように、食べていく手段が皆それなりにあった。今はオーケストラのバイオリン の空きポスト一つに人が殺到し、少子化 で音楽教室には人が集まらない。住宅事情も悪く騒音問題もあるので、ピアノを買える家が少なくなった。どこの音楽ホールもお金が無く運営に苦心している。でも、これが当たり前なんだと思うべき。この状況で何ができるかを考え工夫することが大切」。

 ここから二つのことが言えると思います。一つは、これまでの「芸術の振興」は社会全体の安定と豊かさを前提としてきた。二つ目は、単に芸術だから守られるべきだということは言えない。一番目については、低迷する景気と政治的閉塞感の中での橋下氏当選[2011年、大阪市長 に橋下徹 が当選したことを指す]といった現象が端的に示していますし、詳しい説明は不要でしょう。

二つ目について。現在は、ポピュラー音楽 が低俗な娯楽でクラシック音楽が高級な芸術、あるいはポピュラーがわかりやすくクラシック は難しい、とはならなくなりました。趣味嗜好や価値観が多様化 している中で、クラシックもポップスもジャズ もロックもヒップホップ も現代音楽も歌謡曲も民謡 も、音楽としてはどれも同等。どれが重要でどれがそれほどでもないという言い方は、できないのです。そんな中で、かつてはヨーロッパ貴族の庇護のもとにあり、次いで「文化となった芸術」[近代以降の芸術は当初は既成の文化に対抗する「前衛」として現れ、やがて文化となっていくという意味]として制度の恩恵を受けてきたクラシック音楽は、売れなければ生き残れないポピュラー音楽に比べると、経済活動 が貧弱です。日本発の文化ではないので、能や歌舞伎 のような伝統芸能 としての保護は望めません。海外で活躍する日本人アーティストに期待がかけられますが、国内で強い存在感を示すには「工夫」が必要ということになるのでしょう。(『アート・ヒステリー 』第一章 アートがわからなくてもあたりまえp.79~p.80

こういった文体で書くのは、編集者からの要請もあったのかもしれない、若い人に受け入れ易くとか親しみやすくとかの類の。だがわたくしの古い感覚ではいささか失望感を覚える。《「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい》(中井久夫)のだ。

「なんでもアート」に反発して創作活動から離脱した人までが、そして「アート=良いもの」を疑うというテーマなのに、このような読み手への媚びを感じざるをえない文体で書くというのは、水村美苗と同じ嘆息をつきたくなる。だがもうそんなことはとっくの昔に諦めざるをえなくなってしまったのだろうか。教師の立場としてやむ得ないこともあるのではあろうが……


メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。(ロラン・バルト『作品からテクストへ』)

「アート」についてのディスクールは、それ自体が、「アート」にならなければならない。「アート」の探求であり、アートの労働にならなければならない。


批判的な文脈で小林秀雄の名を挙げているが、ここでは致し方ない、次のように肯定的に小林秀雄に触れよう。小林は、彼が敬愛するアランを引きつつ、音楽家も詩人も小説家も一種の物を創り出す人間であり、思想家さえもそうだと言う。「鑿を振り上げる外にどうしようがあるのか」そういう行為が思想だと。「思想といふ一種の物を創る仕事」「文体を欠いた思想家は、思想といふ物に決して到る事は出来」 まい、と。https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4267/1/92304_278.pdf


ーーなどということは、もちろん何十年間に何人かの書き手の問題ではあるが、あまりにも読者に擦り寄るのもどうかと思うーーとするのも酷な時代なのだろうな。



◆水村美苗「著者と語る『日本語が亡びるとき』 水村美苗 2009.2.6」)より

水村美苗)教育の場で近代文学をもっと読ませるというのには、 さらにもう一つ重要な点があります。それを私は難易度の不可逆性と呼んでいるのですが、 一度近代日本文学を読んだ人にとって、いまのものを読むというのは実に簡単なんです。 スカスカだから、 パッパッと読んでいける。

ところが、 いまのものしか読んでいない人にとって、 逆は無理なんです。 読書力というのは運動と同じです。 若いうちに密度の濃い文章を読む訓練を受けないと、 若いうちに歩かなかった人と同じで、 脳が読書力をきちんと育てられない。 ですから、 大学を出るぐらいまでに、 これだけの近代文学を読んでおくというのが当たり前だというような教育を与えてほしい。

質問)  『日本語が亡びるとき』 の、 その亡びるという意味ですけれども、 つまり日本語がなくなるというようなことはないんですね。 日本語で考える力が衰えること、 イコール日本語の亡びであるというような意味かなと思っているわけですが、 そういうことでよろしいですか。

水村) そうですね。 人間として精神的に活発な人が日本語を読まなくなる。 少なくとも、 日本語を真剣に読まなくなる。 日本語を読む人たちが、 日本語で書かれたものに大きなものを求めなくなるにつれて、 大志を持った人たちが日本語で書かなくなるという、 悪循環のようなものが始まるのは避けたいということです。

例えば、 漱石には、 途中で死んでしまいましたけれども、 正岡子規がいた。 正岡子規のような人がいるんだから、 何を書いたって、 とことん自分の日本語をわかってくれる人がいると得心できたと思うのです。 つまり、 書く人間にとっては、 どれぐらいの人がどれぐらいのレベルで読んでくれるだろうかということが重要なのです。 二葉亭四迷なんか読むと、 ああ、 これだけの密度のものを読者が読むのを期待して書けたんだと、 それがうらやましく思います。

こんな密度で書いてしまったら、 いまの人は読んでくれないだろうと。 それに加速度がついて、もう読みやすいということだけに重点が置かれるようになるんじゃないかと。

ここで唐突に、蓮實重彦のテオ・アンゲロプロスへのインタビュー(『光をめぐって』より)から抜き出してみよう。モンタージュは、《観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする》と語る彼の言葉を。

モンタージュによる映画を見ていて私が苛立つのは、それは二つの画面の相互介入といった衝撃の上に成立しているのですが、そのとき、その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。ワンシーン・ワンショットの映画では、見る人間の知性と感性とにより多くの自由を残そうとしています、ひとつの画面にあって、観客は、そのしかるべき要素を自分で発見し、自分でそれを組織だててゆく。その時間的推移は、モンタージュにおけるよりはるかに現実の時間に近い。そうすることで、死んだ時間、停滞する時間に対する観客の感性を豊かなものにすることも可能になります。
……

───そのことはとてもよくわかり、まさにそうした点においてあなたの映画に興奮するわけですが、そうした場合、あなたは、観客を全面的に信頼しておられるのですか。

観客にはいろいろ種類があります。アンドレ・マルローが「映画の心理学」でいっているように、映画にとっての障壁が産業であるなら、それによってわれわれは条件づけられてしまう。それはよかろう。だとするなら、選択しなければならない。その一つは、映画を撮りはするが、いつか沈黙におしやられはしないかという危険をいつでも身に感じながら撮り続けるという姿勢をとるか、それとも、いま一つの姿勢として、他の誰もが撮るようなやり方で、つまりモンタージュの映画か、説話論的有効性の映画、等々もつくってゆくことにするか、その二つに一つしかない。つまり、沈黙に向かうか、金銭に向かうか、その選択ということ以外にありえないわけですが、どうでしょうか、ある作家たちは、こうした二つの方向を厳密に選択することなく、複雑な経路をへながらも、みごとな作品を撮り続けることができる。おそらく、私には、そうしたことはできないと思う。しかし、私はそれで他人を批判しようとは思いません。あらゆる批判派自分自身にむけられます。

もちろん「押しつけの姿勢」とは程遠いゴダールのようなモンタージュがあることをわれわれは知っている。

ところで、すべての「ですます」調ではないが、やはりその調子は多くの場合、時代風潮に屈したスタイルに思えてしまう。抵抗は諦めて、多くのひとに読まれることのみを望んでいる、などと臆断するつもりはないが。冒頭近くに書いたように啓蒙的な内容ならば、「ですます調」がふさわしいということもあるのだろう。


北野武が語る「暴力の時代」

―監督は先ほど「エンターテイメントに徹している」と仰いましたよね。今言われたような編集で間を詰めるということと、エンターテイメント性というものは、監督の中では繋がっているものなんでしょうか?

北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

―なるほど。

北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。

こうして二人の映像作家の発話文を抜き出したが、なにが言いたいのかをごたごた説明するつもりはない。

《人間として精神的に活発な人が日本語を読まなくなる。 少なくとも、 日本語を真剣に読まなくなる。 日本語を読む人たちが、 日本語で書かれたものに大きなものを求めなくなるにつれて、 大志を持った人たちが日本語で書かなくなるという、 悪循環のようなものが始まるのは避けたいということです》というのは、もうとっくの昔に折込ずみで、戦線放棄ってわけでもあるまい? 

「リーダビリティ」の重要性を頻りに言い募り、「ですます調」で書く評論家たちもいるが、そして彼らのそれなりの役割を認めないわけではないが、読後に襲われるあの味気なさはなんなのだろう、ーーということも多くの若いひとたちは感じなくなっているわけだな……。

《言葉が尽きずに、改行もなしにとめどなく流れつづけてゆくことの恐怖というのが、いまの時代の姿なのかも知れません。しかしそれを崩れと観るという感受性それ自体が、こんなに萎えてしまっているのではねえ。》(松浦寿輝発言 古井由吉・松浦寿輝『往復書簡集 色と空のあわいに』)

ーー監督は今の時代というものをどう捉えてらっしゃいますでしょうか。

北野:もう、末期かも知れないと思うけどね。何百万年という人類の歴史において、文明とかあらゆるものは、絶滅する時代が必ずあって。無くなることで、新しいものが出てくる。そういう風に考えると、人間はもう行き詰まったなっていう感じはあるよね。人間が生き物として頂点に君臨している時代がついに終わりを迎えられるような気がするよね。

―なるほど。

北野:もしかしたら、あと20年か30年後に世界中の人が「このときから人間の破滅は始まってた」って言うんじゃないかな。それが今日のことを指すのかもしれないし。我々が幕末の話をするときに「このときにはもう江戸幕府は終わってたね」って言うのと同じように、世界のあらゆるものが崩壊しだしている。

《勇気を失ってはいけない、(……)多くのことが、まだまだ可能なのだ。あなたがた自身に笑いを浴びせることを学べ、当然笑ってしかるべきように笑うことを学べ。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)


…………

上に断片を引用した中井久夫の文をもうすこし長く引用しておく。

日本語の敬語もよく考えると単に丁寧さの程度だけではない。われわれは同じ対象に向って「です、ます」調で講演し、「である」調で文を綴る。

「です、ます」調が講演や会話で選ばれるのは、接続がやさしいからである。実際、「です」「ございます」は、文から独立して、喚起的な間投詞(というのであろうか)として使用されている。「あのですね、実はですね、昨日のことでございますが、あのう、お電話をさしあげたんですがね、いらっしゃいませんでしたですね。それでですね……」。こういう用法は、顔が見えない電話での会話で頻用される。

「である」にこの作用をもたせると、政治演説になる。「のであるんである」は政治家の演説を嘲笑するのに恰好である。しかし、予想外に多くの批評家の文に「のである」の頻用を発見する。「だ」の間投詞的用法は某政治家が愛用して「それでだ、日本はだ、再軍備してだ……」とやっていたが、「突っぱねるような調子」と批評され、不人気の一因となった。

「のである」を、私は「ここで一度立ち止まっていままでの立論を振り返れ」というしるしと見る。どうしてもなくてはかなわぬ場合以外に使用すると相手をむやみに立ち止まらせ、相手の頭にこちらの考えを押し込もうとする印象の文になり。品が下る。

「です、ます」調で書かれた文は、相手にそれとなく同調を迫り、相手を自分のペースに巻き込んで、うやむやのうちに同調させようという圧力を持つと私は思う。「です、ます」調の文に対しては批評意識が働かせにくい。京都学派がかつて頻用した「なかろうか」にも同じ傷害を感じる。

日本文の弱点は語尾が単調になることで、語尾を豊かにしようと誰も苦心するはずだ。動詞で終ることを多くする。体言止めにする。時に倒置法を使う。いずれもわるくない工夫である。(中井久夫「日本語を書く」1985初出『記憶の肖像』所収)


附記:蓮實重彦の小林秀雄批判

……高橋氏が引用するのは、いうまでもなく、「僕が、はじめてランボオに、出くはしたのは、廿三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いてい た、と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、いきなり僕を叩きのめしたのである」で始まる一節である。だがそれにしても、これが「一種の狂暴 な<出会い>として一挙に起こったのだ」という点に注意すべきだとする高橋氏が、すかさず「精神が精神に触れ合う危機」を語り始めるとき、ここで小林氏が 嘘をついているという事実になぜ気づこうとしないのだろう。というより、小林氏は嘘をつくべく強いられているのだ。「神田をぶらぶら歩いていた、と“書い てもよい”」の、動詞「書く」がフランス語の譲歩による語調緩和の「条件法」に置かれている点を見逃してはなるまい。それに続く瞬間的な衝撃性の比喩とし ての「見知らぬ男」の殴打、「偶然見付けたメルキュウル版」に「仕掛けられてて」いた「爆薬」、「敏感」な「発光装置」、「炸裂」などの比喩は、事件とし てあったはずのランボー体験を青春の邂逅の光景としてしか語りえない「貧しさ」に苛立っていた言葉が、「書いてもよい」を恰好な口実として一挙に溢れだし て小林氏を裏切り、ほとんど無償に近い修辞学と戯れさせてしまったが結果なのであり、問題の一節にあって「条件法」的語調緩和の余韻をわずかにまぬがれて いる文章は、最後に記される「僕は、数年の間、ランボオといふ事件の渦中にあった」という一行のみである。つまり、真の小林的ランボー体験は、その装われ た性急さにもかかわらず、徐々に、ゆっくりと引き伸ばされ、時間をかけて進行した事件だったのである。わざわざ「『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」とこ とわっている小林氏は、書物の言葉をかいくぐって一挙に「精神が精神に触れ合う危機」などを演じてしまうほどに、「精神」を信用してはおらぬ、それとも高 橋英夫は、小林氏が言葉にもまして「精神」を尊重していたとする確かな証拠でも握っているのであろうか。(……)

……だが、多少とも具体 的な夢へと立ち戻りうる者になら、人が「未知」の何かと「偶然」に遭遇したりはしないという点が素直に理解できるだろうし、そればかりか、むしろ「出会 い」を準備しうる環境と徐々に馴れ合い、それを通じて出会うべき対象をかりに無意識であるにせよ引き寄せ始めていない限り、遭遇などありえはしないとさえ 察知しうるはずだ。つまり、小林秀雄は、大学における専攻領域の選択、交遊関係などにおいて、詩人ランボーの書物と「出会い」を演じて決して不思議ではな い環境にあらかじめ住まっていた「制度」的存在なのであり、そのときすでに、ボードレールもパルナシアンの何たるかも知らされてしまっていたのだ。そうで なければ、「メルキュウル版の『地獄の季節』の見すぼらしい豆本」を「ある本屋の店頭で、偶然見付け」るといったペダンチックなメロドラマは起こったりし まい。いずれにせよ、こちらがそれらしい顔でもしていない限り、「見知らぬ男」が都合よく「僕を叩きのめし」てくれるはずがなく、だからあらゆる「出会 い」は「制度」的に位置づけられ準備され組織された遭遇なのであって、その位置づけられ組織されたさまを隠蔽するために、人は「出会い」を擬似冒険的な色 調に塗りこめ「文学」と「青春」との妥協に役立てずにはいられないのだ。(蓮實重彦「言葉の夢と批評」『表層批判宣言』所収)