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2014年2月27日木曜日

神経症的な「知識人」の責任感の「笑劇としての再帰」 蓮實重彦

ひとつの解釈を下すに当たっては、その対象とされているものがとらえられているノルムと、それからそれに解釈を下さなければならないものがとらえられているノルムとが違わなければならない、そして批判すべき対象と、それは批判するために使う諸々のノルムとの批判と両方しなければならない、――この「神経症的な責任感」の笑劇(farce)としての再帰。

かつての「知識人の責任」という神話から「似非インテリの責任」という神話のファルスとしての復活。

物語という点からいま僕にとって問題になっているのは、その知識人の責任という神話、それが何を覆い隠しているだろうということなんです。「知識人の責任」というのは十九世紀にできた神話ですね。先導的な知識人、啓蒙し、予言しなければいけない知識人、それから人々の無責任に対して自分は責任をとることができるという盲信。これがメタレベルを導入している。しかし、十九世紀の歴史を支えて来たのは、そんな知識人の責任じゃあないんです。より無責任な事態の把握が歴史を支えてきたわけで、それを批判するには、より本源的な無責任を引きうける勇気が必要なんだと思う。必ず一段階高いところにいって、それを使ってあるものを批判し、同時にその一段高いところの構造をも批判しなければいけないという立場は、知識人に固執する者の神経症にほかならないわけです。

そのきりのなさというものに、いま梯子かけ競争みたいな感じがあって、どんどんどんどん高いところへいかないといけないという形がある。それを批判するためには、メタレベルを設定しなければいけないという考え方を壊せばいいわけですね。メタレベルに立つことなしに批判できることはいくらもあると思うんです。(……)

つまり、あるレベルでの分析のためには一つ上のレベルが必要だし、またその上のレベルについても分析が必要だと考えることでとり得る責任というのは、そこで設定されている階層的な秩序に対する責任でしかないわけです。それは、結局のところ、きわめて共同体的な責任でしかなく、ほかの知識人に対して恥ずかしくないといった程度のことでしょう。それは、共同体が容認するイメージの翻訳とそれを可能にするものをはっきりとさせておきたいというだけのことで、世の中の方じゃ、そんな責任にまったく無関心だし、そもそもそうした責任のとり方は人生にとって意味がない。生きるってことは、階層的な秩序の上下関係とは無縁のものだし、リゾームじゃないけど、複雑という以上のでたらめさで入り組んだ空間を体験することでしょう。だから、その種の責任は人生を抑圧するものでしかない。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

柄谷行人はこの対談で、蓮實さんの《「物語」という言葉は非常に含蓄が深いので、どんなふうに使われているかもわからないけれど……》と語っているが、蓮實重彦はそれに応じて《たしかに僕の批評は物語の批判というかたちをとっていますが、より直接的には構造主義的な理性批判というほうがあたっているんじゃあないかと思う》とオッシャル。

構造主義が物語の何を抑圧したかを明らかにすること……『物語批判序説』は、そういう意味で、構造分析を物語がいかに生きのびて来たかを示そうとする物語にほかなりません。……著者である僕は、物語と構造主義の階級闘争にあっては、明らかに物語の側に立っているわけです。

その理由は何かといえば、この闘争において明らかに抑圧者の側に立っている構造主義と構造主義的な思考を支えている物語を批判する必要があったからです。構造を分析するということ自体が、ある物語的な要請なしにはありえない。……僕の物語批判という視点は、物語の否定を目指したものではなく、明らかにその擁護だといえる。しかしその擁護は、構造分析的な思考に対しての擁護でしかなく、普遍的な擁護ではない。(『闘争のエチカ』)

『物語批判序説』がそうであるなら『凡庸な芸術家の肖像』も「凡庸さ」の擁護であるという視点を取ってみるべきかもしれない。実際、蓮實重彦はマクシム・デュ・カンをある意味で擁護している。

誰も、 凡庸なマクシムを笑う自由など持っていない。 実際、 これまでマクシムを嘲笑してきた連中は、 等しく彼と同程度に凡庸な人間ばかりである。(『凡庸な芸術家の肖像』)

いまでもマクシムと同じように《善意の生真面目さが……彼の思考や振舞いを凡庸なものにしている》人間を垣間見るにはツイッターを三秒ばかり覗くだけでよい。

凡庸さとはいったい何なのか。 それはたんなる才能の欠如といったものではない。 才能の有無にかかわらず凡庸さを定義しうるものは、 言葉以前に存在を操作しうる距離の意識であり方向の感覚である。 凡庸な芸術家とは、 その距離の意識と方向の感覚とによって、 自分が何かを代弁しつつ予言しうる例外的な非凡さと確信する存在なのだとひとまず定義しておこう。(同上)

以下の文は「文学」という語に、今ならほかの単語を代入して読もう。

凡庸な資質しか所有していないものが、 その凡庸さにもかかわらず、 なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚こそが、 今日における文学の基盤ともいうべきものだからである。 文学と文学ならざるものとは異質のいとなみだという正当な理由もない確信、 しかもその文学的な環境にあって、 自分は他人とは同じように読まず、 かつまた同じように書きもしないとする確信、 この二重の確信が希薄に共有された領域が存在しなければ、 文学は自分を支えることなどできないはずだ。(同上)

こういう手合いは、《研究者や臨床家でこういう《制度》概念に気付いているかたは、あまりおられません》などという真摯で誠実な啓蒙的発話を連発する。そして、「制度」吟味をしつつこの発話自体が制度的なメタであることに「気づいておられません」、――すくなくとも明らかにそう受け取られかねない言説構造をもっており、戦略性の欠如が瞭然としている。それに脊髄反射的な鳥肌が立って顔を顰めてみせる「わたくしのような」人間が凡庸さの無限連鎖をつくる。

たとえばもしかりにメルロポンティの「制度化」概念を含意するものであるなら、やはり明確に区別して語るべきだろう。制度批判の「制度」と「制度化」とどう違うのか。「~化」がつけば否定的概念は肯定的になるということはあるだろう。《《制度》概念が実務的で、粘土を捏ねなおすような概念であることが、思想研究のフィールドで扱われていないことが伺えます》では己れの見解が共同体に受け入れられていることが前提としたいかにも「制度的」言説であって、短絡的な誤解を誘発し埒が明かない。また「~化」がつけば粘土を捏ねなおす実務的な概念となるのは、「制度」概念に限らないだろう


彼が好んで使う語は、対立関係によってグループ分けされている場合が多い。対になっている二語のうちの、一方に対して彼は《賛成》であり、他方に対しては《反対》である。たとえば、《産出/産出物》、《構造化/構造》、《小説的〔ロマネスク〕/小説〔ロマン〕》、《体系的/体系》、《詩的/詩》、《透けて見える/空気のような》〔ajouré/aérien〕、《コピー/アナロジー》、《剽窃/模作》、《形象化/表象》〔figuration/ représentation〕 、《所有化/所有物》、《言表行為/言表》、《ざわめき/雑音》、《模型/図面》、《覆滅/異議申し立て》、《テクスト関連/コンテクスト》、《エロス化/エロティック》、など。ときには、(ふたつの語の間の)対立関係ばかりではなく、(単一の語の)断層化が重要となる場合もある。たとえば《自動車》は、運転行為としては善であり、品物としては悪だ。《行為者》は、反“ピュシス〔自然〕”に参与するものであれば救われ、擬似“ピュシス”に属している場合は有罪だ。《人工性》は、ボードレール的(“自然”に対して端的に対立する)なら望ましいし、《擬似性》としては(その同じ“自然”を真似するつもりなら)見くだされる。このように、語と語の間に、そして語そのものの中に、「“価値”のナイフ」の刃が通っている。(『彼自身のよるロラン・バルト』)


この類の「名詞/動詞」のヴァリエーションはくさるほど語られてきた。

ギリシャの思想家はほぼ二つに分けられる、一つは、進化論的なもので、世界は生命のように生まれ成長するという見方、もう一つは、創造説的なもので、世界は芸術作品のようにデザインされている見方。(コーンフォード『書かれざる哲学』)。この二つのタイプは、いいかえれば、「制作」として世界をみるか、「生成」として世界をみるかに分けられる。これらは、現在の批評の言葉でいえば、「作品」――超越論的な意味(シニフィエ)の外化・再現としてある――と、「テクスト」――超越論的な意味あるいは構造をたえず超出しあたかも自ら意味を算出するかのようにみえるものとしてある――に対応するといっていいかもしれない。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

より実践的な立場からは中井久夫のマニュアル/レシピがあるだろう。


医学・精神医学をマニュアル化し、プログラム化された医学を推進することによって科学の外見をよそおわせるのは患者の犠牲において医学を簡略化し、擬似科学化したにすぎない。複雑系においては「プログラム」は成立せず、もっと柔軟でエラーの発生を許容する「レシピー」の概念によって止揚されなければならないことは数学者の金子邦彦・津田一郎の述べる通りであると思う(『複雑系のカオス的シナリオ』)。「レシピー」によれば状況に応じていろいろ似たものを使い、仕方を変えてもとにかくそれらしい料理ができる。「レシピー」の実現のために用いられるものが「スキル」であり「技術・戦術・戦略のヒエラルキー」である。(中井久夫「医学・精神医学・精神療法は科学か」)


いずれにせよ、《あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈して》いるという気味は免れない、--と文脈上は飛躍はあるがあまりゴタゴタ書きたくないのでーー、ここでそう書いておくのみにしよう。


どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(『凡庸な芸術家の肖像』)

もっとも、《知識人たちは、知っているものが、知っていることを知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。》(高橋悠治)ーーすなわちこの態度は、ほとんどどの知識人、あるいはにわか知識人であろうと免れがたいには相違ない。だがすでに書かれてしまったものをわざわざ劣化させて「自分の言葉」で語るには及ぶまい、あたかも既知であるはずのものを未知であるかのようにあつかうふりを演じて。


ところでいまは「凡庸」をめぐって書くつもりはない。「物語」をめぐるメモなのだ。

蓮實:あなたがイデオロギーとしての物語といわれるもの、つまり「真実」との関係に於いて語られる「歴史=物語」、それは別の言葉にするなら制度化された思考とでもすべきものでしょう。わたしは、事態を簡潔にするために「制度」と呼んでいます。思考の制度化は三つの過程を踏んで一般化されるように思われます。その第一の過程は、いわゆる解決すべき問題を捏造する過程です。現代人として誰もが直面し、これと真剣にとり組むべき特権的な課題をでっちあげること。たとえば、現代フランスでいうなら、例の新哲学派がさかんに言及している「人権問題」などがそれにあたると思いますが、われわれが日々直面しているさまざまな困難の中にヒエラルキーを設けて、そのあるものを秀れて現代的な課題として特権化する。これが第一の過程だとするなら、第二の過程は、こうした今日的な課題と真剣にとり組み、それに解決をもたらすべく、隠されていた「真実」を発見するという姿勢になるでしょう。何かが、そしてそれもきわめて重要な何かがどこかに隠されていて視界に姿を見せていない。その貴重なる隠された何物かを探りあて、それを「真実」として可視的なものにする。こうして露呈された「真実」が、今日的な課題として提起された「問題」の解決に役立つだろうというわけです。例の新哲学派の文脈でいうならソルジェニーツィンによる「強制収容所」の現存という「真実」の露呈がある。まあ、誰もがその現存に無知であったとは思えませんが、それは否定しがたい「真実」として露呈されたわけです。第三の段階はこうした「真実」に基づいて提起された「問題」を解決すべく、それにふさわしい ”良い物語” を語ろうとすること……(現代思想12(1978)「イデオロギーとしての物語」対話:アラン・ロブ=グリエ / 蓮實重彦)

すなわち「物語」を「制度」としても事態にさしたる変化は生じまい。「制度」によって語らせられてしまうもの、それが「物語」なのだ。

では「制度」とはなんなのか。

《風景は教育する。…では、 そのとき風景はなぜ風景と呼ばれなければならないのか。 「制度」、 あるいは 「イデオロギー」としてはなぜいけないのか。もちろん、 「制度」は教育すると書き改めても事態にさしたる変化は生じまい。》(『表層批判宣言』)

こうして風景、制度、イデオロギーによって教育され語らされてしまうこと、それが「物語」であることが分かる。

《 制度に抗うには、 少なくとも抵抗すべき対象を見据えうる程よく聡明な視線がそなわっていなければならぬ。 その意味で、 あらゆる反抗者は、いくぶんか制度的な存在たらざるをえないだろう》(『凡庸な芸術家の肖像』)

《制度とは、 語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、 その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。 それは、 存在はしないが機能する装置なのである。》(『物語批判序説』)

説話論的磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっと意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。

近代、あるいは現代と呼ばれる同時代的な一時期における自我、もしくは主体とは、この錯覚に与えられたとりあえずの名前にすぎない。(蓮實重彦『物語批判序説』)


《視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がたがいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点》(『表層批判宣言』)

風景は教育する。風景は、教育装置として機能することではじめて風景となる。とはいえ、そうした教育的資質に自覚的な風景というものはごく稀であろう。ほとんどの場合、風景は悪意を欠いた無邪気さを露呈しながらあらゆる視線にその全貌をさらしているかにみえる。風景は慎ましく彼方にひかえ、みずから視線を選択したりはしないし、瞳という瞳を平等にうけいれてもいる。だから、驚嘆すべき眺めとして存在を刺激し、退屈な眺めとして存在をまどろませるとき、驚嘆し退屈するのは視線の特権だと思われてしまいがちなのだ。心象風景として内的視線を招き寄せるときも、想像力に同じ特権が委ねられているかにみえる。いずれにしろ、美しかったり醜かったり、またそのどちらでもなかったりするのが風景だと考えられているし、風景自身もそう信じこんでいるに違いない。

だが、そうした美的感性の篩などはあっさりかいくぐってしまう風景は、逆にその感性的な篩の網目を入念に組織する装置として機能しながら、視線から、審美的判断を下そうとする特権を奪ってしまう。つまり風景は、感性と思われたものを、想像力や思考とともに「知」の流通の体系に導き入れ、その交換と分配とを統御する教育装置として着実に機能しているのである。教育とは、存在を分節化し、装置としての風景にふさわしい体系に、思考と感性と想像力を馴致せしめる不断の活動にほかならない。だから風景に驚嘆し、退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。存在が風景を読むのではない。風景が存在を読みとってゆくのである。風景が教育するとは、この風景による解読の運動に存在が徐々に馴れ親しんでゆく過程を意味している。みずから「記号」として交換され、分配され、しかるべき物語の説話論的要素たることをうけいれながら、そこにいかなる痛みも怖れの感情をもいだかずにいられるまで、風景に犯されることを教育と呼ぶのである。(『表層批判宣言』)

『表層批判宣言』は1979年に上梓されており、雑誌『展望』に四回、『現代思想』一回掲載されたものを集めたもので、最初の論は蓮實重彦三十八歳前後の1974に書かれており、すでに四〇年近くたっている。

蓮實重彦は「結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった」と2010年代末に浅田彰との対談で語っている、いまさら40年経っての驚きなどと言わせないように、制度、物語、イデオロギー、風景論などを、フランスのいわゆる「現代思想」家の文を読み返す暇がないのなら、せめて日本における「知の三馬鹿トリオ」の見解をもう一度振り返ってみる必要がありはしないか。

《昔からいやというほど論じられてきた。そういう記憶が失われているのかもしれない・・・。》やら《21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね》などとオッシャル浅田彰もいることだし。

ほんとうに忘れているのか、忘れたふりをしているのかは知らねど、この二一世紀も十四年経たのちに、あらたに発見でもしたかのように、制度論をめぐって語っておらずに。それともやはり「語れることの方がずっと重要」なのだろうか?

「わかりたいあなた」たちにとっては、わかったかわからないかを真剣に問うことよりも、なるべくスピーディーかつコンビニエント に、わかったつもりになれて(わかったことに出来て)、それについて「語(れ)ること」の方がずっと重要なのです。『ニッポンの思想』佐々木敦)

ひとはなぜ「ほどよく聡明に」語りたがるのだろうか。

すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批判宣言』)


もっとも蓮實重彦によっていささか抑圧された感性というものが八十年代のニューアカ時代にさえあったはずだ。《いまは当たり前のことを当たり前にいわなきゃいけないんだ》、と中上健次は死ぬ一年前(1991)語っており、いまではいっそう凡庸さに甘んじて誠実かつ啓蒙的に、あるいはメタに語ってみせるという立場もあるのだろう。とりわけ教師のポジションに立つのであるならそれもやむ得ないことかもしれない。

メタポジションとしての教師、すなわち《教師が何かを示す時、ある種の優越性を表明せざるを得ない。(……)人に優越すると、権威の関係が生ずる。どのようにしてこの動きを止める(そらせるか)のか。どのようにして教師であることを免れるのか。》(ロラン・バルト「セミネールに」『テクストの出口』所収)

1978年4月15日にカサブランカで書かれた日記には、《エクリチュールによる生を統一するために、コレージュをやめること》とある。


 さて「物語」とはなにかを、いささかくどくなるが、蓮實重彦による定義めいたものをつけ加えておこう。

これまでその形式もジャンルをも限定することなくもっぱら物語と呼ばれてきたもの、それは、言語記号のしかるべき配置によって何ごとかを語るという説話論的な実践の意味を持つ体験のすべてを総称したものだ。一つの文章で完結してもよいし、複数の文章の集合からなる言説であっても、そこに何かが語られていればそれが物語なのであり、架空の事象であろうと、現実のできごとであろうと、理念的な論述であろうと、すべてそう呼ばれてさしつかえない。ただし、それはあくまで語られなければならぬ。音声言語としてである文字言語としてであれ、具体的な言語体験があったとき、そこに物語が生産される。したがって物語の生産を統御する説話論的な磁場とは、たんなる幻想領域といってものではなく、言語的な実践と同時に機能する具体的な装置である。だが、その装置は、ある種の言語学的な言説が定義づけるパロールに対してのラング、あるいはメッセージに対するコードといった潜在的な不可視の体験なのではない。それは一方で、しかるべき「問題」体系へと説話論的な欲望を誘きよせる磁場でもあると同時に、また他方、その磁力に従って語ろうとする者から自分の言葉を奪い、語る行為そのものを、他者の物語の説話論的な要素として分節化する装置としても機能するものなのだ。ここにあって語るものは、無意識のうちに他者の問題に同調しつつ、他人の言葉の一部へと自分を組み入れることを容認してしまう。語るものは、決して特権的な個体ではなく、複数の話者たちとの説話論的な関係の中でしか言語的体験を実践することができない匿名の複数者なのだ。だから、現代的な言説の限界とは、誰もが同じ言葉を鸚鵡返しに口にしてしまうという画一化の運動の中に認められるものではない。それぞれに別のことがらを主張しているはずの者たちが、「問題」へと加担する姿勢の対立関係を堅持しながも、補完的な説話論的な機能を演じてしまうところに、現代的な言説の限界が存在しているのである。それはちょうど、無意識という他者の物語に対して、分析医と被験者とが演じる相互補足的な関係といってもよいし、あるいは、制度という他者の問題に対して、その擁護者と反=制度論者とが演じる補完的な関係を考えてもよいだろう。いずれにせよ、問題なのは、思考の画一化そのものではなくあくまで構造の同一化なのだ。(『物語批判序説』)

「制度」という語ならどうなのか。上に一部引用したが、もうすこし長く引用しておこう。

制度とは、 語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、 その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。 それは、 存在はしないが機能する装置なのである。あるいは、 きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、 ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。 この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、 それがこの章の冒頭で触れておいた現代的な言説なのである。 その担い手たちは、 知っているから語ろうとする存在ではない。 だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。 知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、 みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、 それを語ることだと錯覚する擬似主体こをが現代的な言説の担い手なのであって、 誰もが 『紋切型辞典』 の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者は、 それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯ぶおし拡げてゆく。 おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、 語りつづけているのだろう。(『物語批判序説』)


もちろんここに引用を中心に書かれたものは「蓮實重彦」という「制度」に囚われた「田舎者」の物語の断片にすぎない。

若くしてデビューした頃の彼女はきらめくような才能をもった作家で、少女小説をそのまま現代文学にしたような作品を書いていた。彼女がそのままのびのびと書き続けていたらどうなったかはわからない。問題は、彼女がインフェリオリティ・コンプレックスの塊で、精一杯虚勢を張ってすべてをバカにしてみせながら、実は、日本でいちばん賢くてセンスがいい(と田舎者には見える)おじさまに依存せずにはいられないということだった。賢くてセンスがいいといえば、やっぱりフランス文学者、たとえば蓮實重彦。こうして彼女は、おじさまに褒めてもらいたい一心で、必死に勉強し、スタイルを変えていった。「こう書けば、蓮實さんなら、私がジャン・ルノワールを観ているってわかってくれるはず」。

そしておじさまの反応が冷たいと、「いや、蓮實さんより私のほうがルノワールのことを本当に分かっているのよ」。もちろんルノワールの映画は素晴らしいが、ルノワール通であることを仄めかすために書かれた小説は絶望的に退屈で、自分も「通」であることを示したい貧乏な田舎者のグルーピーが喜んで読むだけだ。悲惨な話ではある。(浅田彰 金井美恵子批判 「噂のオールドミス」)


ドゥルーズのマゾッホ論をふまえて語る「自分はユーモアの人だ」という蓮實に対して、 《蓮實のユーモアはイロニーに映ることもあるし、 柄谷のイロニーがユーモアに思えることもある》( 浅田彰 『近代日本の批評』)との如く、まさにユーモアの仮装をしたイロニストというのはなんと厄介な「愛すべき」御仁であることか。


…………

なぜ、何も知らずにいることに自足できないのか。ひたすら無知に安住し、彼らをそれにふさわしい忘却の淵へと追いやっているだけで満足しえない理由は何なのか。それは、われわれの誰もが、(……)凡庸な存在だからかもしれない。もちろん、才能の欠如によって凡庸なのではない。時代そのものが人に凡庸たれと要請しているのであり、しかもその凡庸さは、誰かまわず、ほどよい知を提供してまわる。だから、その気になりさえすれば、誰でもほどよい知を按配しながら、マクシムの物語をいくらでも語ってみせることができるだろう。凡庸さとは、そうした物語の潜在的な可能性で飽和しきった環境にほかならない。そして、無知であることさえが、やがて物語によって充たされるべき細部としてその磁場を支えているのである。人びとは、気軽な納得によってその無知を知へと転換させることさえ心得ているからだ。無知は、決して凡庸さの敵なのではない。(『凡庸な芸術家の肖像』P799)