以下の文「「疎開体験」に寄せてーー佐竹調査官への手紙から」(中井久夫)は、《戦時中にいじめを受けた自己体験を記された佐竹洋人調査官の記事を贈られたので、それへの私の返事の一部が私の承諾を経てある家庭裁判所の所内報に掲載されたものである》、と注記されている。
私は、疎開学童ではありませんが、伊丹の西郊にいて、私の家を含むごく一部が農村部の学区にはいったため、一年生の昭和十五年から、佐竹先生と同じ苦労をいたしました。疎開学童が来る前、いじめの対象は、メリヤス工場の工員の子とか、用務員の子とか、町工場の子とか、つまり農村社会にしっくりはまっていない家の子に対しては、今と同じく限度がありませんでしたが、農民同士には、見えない序列とルールがあるようでした。国内で差別されている集団と(旧)植民地から移住してきた集団の子は、ふだんは共存していたのですが、時には死闘を演じました。
戦争が進みますと、ここから疎開する人、ここへ疎開する子と両方があり、また工場が来て、たくさんの工員の子が転入してきて、むしろ、私は仲間が出来ました。そのきりかわり点は小学三年で、小学生のバランス・オブ・パワーが一変しました。
あの年齢は、トム・ソーヤー、ハックルベリィ・フィンというギャング・エイジでもあります。しかし、私がかいまみたものは、日本の農村の暗い世界でもありました。
中学へ進むかどうかが、階級の分かれ目を証するものでありました。それははっきりしていました。六年の修了式のあとは、中学へ行く者は、高等科へ行く者に殴られるのですが、この時のせりふが「いま殴らないと、これからは一生お前らにこき使われるのだからな」でありました。十二歳の子に、この自覚がたしかにあったのです。実際、その五年ぐらいあと、いじめっ子(上級生)に道で会いましたが、卑屈な態度で、当惑したものです。
六つのクラスの級長は、市長の息子、女教師の息子、小作人の息子、小農の息子、極貧層の子、そして小生でありましたが(副級長が女の子)、市長の息子は京大を出て、三十歳ぐらいで工学部の教授になりました。あとは、女教師の息子は結核で高校生の時に死に、小農の息子は高卒で工員となりましたが、小作人の息子は、進学を反対され、皆が中学に進む日に首をつりました。極貧層の子は、とても優秀でしたが、都市のガード下の靴みがきとなり、二四の時、郊外電鉄の駅前で靴屋をひらき、私の靴をつくってくれました。クラス会はまったく行われていません。
当時は田圃に囲まれた小学校でしたが、今はすぐそばに市役所が越してきて、市の中心になりました。小作人の息子は、もう少しおそく生まれていたら、土地成金にあんっていたはずです。なんということでしょう……。(「事例研究便り」第二十二号、一九九二年)
昨晩読んで、「いま殴らないと、これからは一生お前らにこき使われるのだからな」という発話文が頭から離れない。ひょっとして今の一部の若いひとたちのなかの攻撃欲動の発顕の猖獗、――それは排外主義でもいい、インターネット上での「ルサンチマン」などでもいいーーその裏には似たような憤りがあるのではないか。
彼らの憤りの対象は誰でもいいということはないのか。かつてナチス時代に、ドイツ経済の行き詰まり、解決策の無さを隠蔽するために浮遊するシニファン「ユダヤ人」が選ばれたように。(《From
the rich bankers, it took financial speculation, from capitalists, it took
exploitation, from lawyers, it took legal trickery, from corrupt journalists,
it took media manipulation, from the poor, it took indifference towards
hygiene, from sexual libertines it took promiscuity, and from the Jews it took
the name.》(ジジェク))
年金、健康保険、生活保護、非正規労働など、すなわち少子化と超高齢化社会による日本におけるいきづまりは、誰もがーー仮にそれとなしにしろーー気づいているはずだ。唯一の公式な意見の表明の機会である選挙におては、高齢者の圧倒的な人口比率によって、現状維持に近い施策の候補者・政党が選ばれてしまう。
人々が自由なのは、たんに政治的選挙において「代表するもの」を選ぶことだけである。そして、実際は、普通選挙とは、国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに「公共的合意」を与えるための手の込んだ儀式でしかない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
もっともときには「奇跡」が起こることもあるだろう(2008年の総選挙のように?)。
斎藤環が日本人の「ヤンキー化」、「反知性主義」などと現状分析している具体的な内容は知らない身だが、生半可な「知性」では対抗できないことが分かっているので、やけくそになっているということがあるのではないか。もっとも、この手のことは識者によってあの手この手で指摘されているのだろう。たとえば、「「社会をリセットしたい」という不穏な願望?」(上野千鶴子)などもそのたぐいだ。
実際、「知性」あふれるはずのインテリ諸子のほとんどが、インターネット上で発言しているのをみても、その場かぎりの彌縫策の表明をしているのみだ。教育費の削減は将来に禍根を残すだって? 大学教育の合理化は「教養」の終わりだって? 生活保護費の削減や非正規労働の席巻は、うつ病の蔓延を齎すだって? それぞれごもっとも。だがそれはもぐら叩きのようなもので、どれかの穴の頭が出るのを抑えれば、別の穴の傷口がより大きく拡がる。結局、すべて、少子化、超高齢社会による財政崩壊にかかわる。
もっとも一般のひとたちの、排外主義や反知性主義による群れ化とその攻撃性の発露は、これは日本だけの現象ではなく、インターネットというツールによってより安易に現れるようになったということはあるだろう。そしてその大きな誘因とは、やはりここでもジジェクの指摘を挙げるなら、二十一世紀にはいって、ベルリンの壁ならぬ新しい壁がいたるところに築かれつつあるということに相違ないーー、《新しい形態のアパルトヘイト=新しい〈壁〉とスラム》(ジジェク『はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)
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《ただおもしろいのは、二十年、三十年前の人間の群れ方というのは、職場とか、血縁とか、そういうかたりでしかあり得なかった。そういうものが主だったと思うんですが、そうでないものが芽を出してきたということなんですね。》(中井久夫)
以下はここでの論旨とはいささか別の文脈で書かれている文なのだが、示唆あふれる文なので、抜き出しておく。
臨床のほうに話を移してしまうと、一つの群れというのは、一次的な家族とか友人とか職場の人です。職場の人でも本当に親しい人の十人前後の集団があって、それから、背景としてのその他大勢という人たちがいる。そして、その中間の人たち、クラスメートとか職場の同僚とかいうのが、人間にとっていちばん処理しにくいものらしくて、少なくとも、日本人では、対人恐怖がいちばん発生するのは、この中間の人たちに対してです。(……)
中間的な距離のものは、人間は非常に扱いにくいらしいです。日本人だけではなく、スイスの学者も、中間の人間が扱いにくいという話をしています。
こんな実験があります。ネズミでも、一つの檻の中に入れてうまくやっていけるのが、七、八匹ぐらいでしょうか。それから三十数匹までは(要するに中間的関係になると)ネズミはやせてくるらしいです。
数が多いために個体としても対応できないし、集団としても対応できない。で、三十何匹以上になると、今度はまたネズミが太りだすんだそうです。もう集団一本槍の対処の仕方になって安定するのでしょうね。生物共通の問題なのかもしれない。
これは、パーキンソンの法則で、会議というのは、七人ぐらいがよく、十人を超えると形式に流れて、実質的にはそのなかに生まれる小集団に決定権が移るんだという話にもつながるし、記憶心理学では有名な仕事があって、人間はそもそも七つプラスマイナス二以上の概念のかたまりを処理することができないんだといいますから、ものを分類するとかいうのも、外界がそんなふうにできているというよりも、人間の頭のつごうによってものを分けたり、見たりしているんだという話と、つながるでしょうね。
(……)
よく日本人の集団精神というけれども、日本人が集団性を発揮して仕事をするのは、だいたい数人でなんです。一人一人の日本人というのは大したことがない。それから、ものすごく大量の集団の日本人というのも、怖いことは怖いけれども、創造的といえるかどうかわからない。ところが、数人の気の合った人間が、行動すると、これはすごいパワーを発揮するんです。
(……)
私は、群れというものを、ほとんど風景のように考えてきたし、実際、都市というのは一種の森で、狩猟民族的なものに回帰しているんだということを、たしか柳宋悦先生だったかが入っておられたと思うんです。都市を森と感じたのは、デカルトが初めてだし、カヴァフィスなんかは、森の中にいたのか、森の腐葉土の中でゴソゴソしていたのかわかりませんけれども……。
(……)
それから、最近のパソコン通信みたいなものはどんなんでしょう。集団そのものを相手にすると大変だから、そのなかで、腐葉土の中をゴソゴソ歩いている生物どうしが、それこそ道をつけ合う。そのようなものなんでしょうね。
ただおもしろいのは、二十年、三十年前の人間の群れ方というのは、職場とか、血縁とか、そういうかたりでしかあり得なかった。そういうものが主だったと思うんですが、そうでないものが芽を出してきたということなんですね。(中井久夫「微視的群れ論」1992『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕所収 広栄社)