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2013年4月14日日曜日

見すてられた石切場


「私は藝術についての漠然として主観的なお喋りを、私自身のそれを含めて、好まない。」(加藤周一著作集「芸術の精神史的考察 I」あとがき 1979)

「《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。」(『彼自身によるロラン・バルト』)

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち1)物語的=文学的意味 2)雰囲気=絵画的意味 3)情緒反応的意味 4)純粋に音楽的な意味 に分類したうえで、 4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」と。


以下は寄生虫のような文である
そして
「人はつねに愛するものについて語りそこなう」(ロラン・バルト)


バッハのカンタータ《イエスよ、汝はわが魂を》BWV78は、1724年に初演されており、ライプツィヒの聖トーマス教会のカントル就任が1723年だから、ライプチヒ時代2年目の作品ということになる。見事なカンタータであり、バッハの合唱曲といえば「マタイ」や「ロ短調」ばかりが語られるがこの曲を聴かない手はない。

BWV4BWV12BWV61BWV140、いや最初期のBWV106……と挙げだしたら切りがないが、わたくしの場合、マタイは長すぎるので通して聴くことは滅多になく、自然、全曲聴くのはカンタータということにあり、むしろカンタータのほうに馴染んでいる。

そもそもカール・リヒター指揮の演奏で育ったので、レコード、CDも一部の曲以外は、リヒターしか持ち合わせていない。


まずは、カール・リヒターのもの。



以下は、ピリオド奏法というのだろう。ニコラウス・アーノンクール、フィリップ・ヘレヴェッヘPhilippe Herreweghe、Rudolf Lutzを並べる。










(トン・コープマンのものはなぜか見当たらない。)


冒頭の合唱を比べてみれば、それぞれまずその合唱の入り方が気に入らない。リヒターのなんという繊細な、底から這い上がってくるような歌声のはじまり(合唱者の人数の違いにもよるのだろうが)。

だが、アーノンクールの寄せては返す波のようなそれぞれの声部のぶつかり合いに魅惑を感じないでもない(ソプラノの声部のほとばしりは、ロラン・バルト=浅田彰のいう「打つこと=クー」があるといえるのかもしれない)。だが結局はリヒターでいいと思ってしまう。まあわたくしが古いのかもしれないし、古楽器のキーの加減もあるのだろうから、あまり他の指揮者(それぞれ要所要所に魅力的な)の文句はいうまい。


Rudolf Lutzという人は全然知らなかったのだが、その映像を見ていると、過日、内輪の会で知り合いの合奏の場を訪れたせいか、音楽の合奏の喜びに浸れる人々は、なんと羨ましいことよ、という感慨をもつ。リヒターやアーノンクールの時の歩みに対してどこか緊張したところ、なにか奪われたものを取り返そうとするかのようにしたあの緊迫はないにしろ、こうやってあのなかの一人に混じりたいという誘惑に強く駆られる。

ヘレヴェッヘのバッハは、つい最近熱心に聴きはじめたのだが、この演奏は、いまのところ、リヒターの変わりになるものではない、だが、たとえばマタイをリヒター以外で聴くとすれば、たぶん彼の演奏になるかもしれない。この二週間のあいだ、YouTubeにあるマタイのライヴ録音を最近二回ほど通して聴いた。以前の録音にはそれほど惹かれなかったのだが、このライヴ録音にはひどく魅了される(たぶんよりダイナミックになっているのではないか、それでもいまだ切れの悪さが気になるところはリヒターの演奏の記憶で補って聴き入ったり、独唱者の瑕瑾には耳を塞ぐなどという具合のところはあるが)。

齢のせいか、リヒターの驚くべきダイナミズムは、通して聴くには疲れてしまうのだ。あまりにも震撼させられる。それに、CDで聴くのだが、レコードで聴いた時代の記憶がまつわりついており、少年時代熱中して聴いたそれぞれの折の記憶が甦り過ぎる。アルヒーフの四枚組のレコードで繰り返しきき、ああ、ここで三枚目の裏面に変えてとか、ここにはレコードに傷があったな、とか、それだけでなく、ああ、この合唱の天から光りが射してくるような輝かしい箇所を繰り返し聴いたときには、少年期の感傷にもよる「個人的絶望感」に苛まれており、祈りによって救済を求めるようだったな、とか……。----この短い「ああ、まことに彼は神の子であった」の一分はリヒターの至高のエスプレッシーヴォであり、いまだ他のどんな指揮者の演奏も色褪せてきこえるーーまあ、こうなると厄介なものだ。


あのアルヒーフの粗い布装のマタイ四枚組レコードの箱。残念ながら今手許にないのだが、それはプルーストの書くベルゴットの本の役割を長いあいだしていた。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」)