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2013年4月7日日曜日



備忘メモ
「岩手県大船渡市で一人の主婦からこんな話を聞いた。必死に逃げていると、瓦礫の下から『八戸小唄』が聴こえたのだ。だが泣きながら道を急いだと」(佐々木幹郎『瓦礫の下から唄が聴こえる』)

「東北の各地を回っていて、被災地の人々が民謡を聴いたとき、あれほど海に痛めつけられたのに海を讃える唄をうたうことを望み、手拍子を打ち、自然と唱和の声が広がるのを目にしたとき、その土地が育んできた民謡の、現代音楽としての力に感嘆した。土地が失われても、その土地が育んだ唄があれば、失われたものは甦るだろう」佐々木幹郎「東北民謡を巡る旅」)



--中井久夫「災害被害者が差別されるとき」


このたびの阪神・淡路大震災ではいろいろなことがあったけれでも、震災被害者に対する顕著な差別はなかったと言い切っても、さほど異論が出ないのではないか。

差別は、震災被害者の外的・内的の事情に対する無理解や誤解とは別のことである。そういうものなら当然ある。過不足のない理解を外部の人に求めるのはそもそも無理であり、被災者もそれを求めはしなかった。また、オーストラリアの災害研究者ラファエル女史は『災害の襲うとき』の中で、被災者にとって最大の危機は忘れられる時であると述べているが、そういう意味でも、阪神・淡路大震災は、これまで日本を襲った災害の中ではもっとも忘れられなかったものといってよいだろう。 
外国人差別も市民レベルではなかったといってよい。ただ一つベトナム難民と日本人とが同じ公園に避難した時、日本人側が自警団を作って境界に見張りを立てたことがあった。これに対して、さすがは数々の苦難を乗り越えてきたベトナム難民である。歌と踊りの会を始めた。日本人がその輪に加わり、緊張はたちまちとけて、良性のメルトダウンに終ったそうである。……(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」より 2000.5初出『時のしずく』2005所収)


《東日本大震災の以前と以後で何が変わったか。

詩歌に関して言えば、絶えず言葉が試され続けているということだ。詩や歌を書いても、書かなくてもいい。ただ、表現者の位置に立つ限り、言葉は試されている。

わたしたちは何に試されているのか。過去から、未来からだ。現在、この国に浮かぶ膨大な死者の霊に試されている。これから生まれてくる子どもたちに試されている。このことの実感を持つかどうか、そのことも試されている。》(佐々木幹郎『瓦礫の下から唄が聴こえる』)