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2013年4月17日水曜日

創作家と批評家ーー夏目漱石『作物の批評』より


創作家と批評家(評者)について夏目漱石は前者が「生徒」で、後者が「教師」としている。

今の評家のあるものは、ある点においてこの教師に似ていると思う。もっとも尊敬すべき言語をもって評家を翻訳すれば教師である。もっとも謙遜したる意義において作家を解釈すれば生徒である。(夏目漱石『作物の批評』

両者を比べれば、もちろん創作家の方が「エライ」と相場は決っている。だが殆どの創作者が批評をもとめるのは確かだろう。たとえば書物を上梓すれば、書評をねがう。なんの反応もなければ失望する。

厄介なのは、教師=評者が融通が利かないことが多いせいだ。

作家は造物主である。造物主である以上は評家の予期するものばかりは拵らえぬ。突然として破天荒の作物を天降らせて評家の脳を奪う事がある。中学の課目は文部省できめてある。課目以外の答案を出して採点を求める生徒は一人もない。したがって教師は融通が利かなくてもよい。 
「批評」は過去の作品を参照せざるをえない。だが批評の対象が破天荒の作物であったらどうするのか。過去の作品からえた法則は通用しない。
過去を綜合して得たる法則は批評家の参考で、批評家の尺度ではない。尺度は伸縮自在にして常に彼の胸中に存在せねばならぬ。批評の法則が立つと文学が衰えるとはこのためである。法則がわるいのではない。法則を利用する評家が変通の理を解せんのである。(同)

こうして抜き出してみれば、漱石はかなり早い時期にプルーストやエリオットと似たようなことを書いていたことが知れる。

 ……天才の作品がただちに賞賛をえることの困難なのは、それを書いた天才その人が異例であり、ほとんどすべての人々が彼に似ていないからである。天才を理解することができるまれな精神を受胎させ、やがてその数をふやし、倍加させてゆくのは、天才の作品それ自身である。ベートーヴェンの四重奏曲(第12、第 13、第14および第15番の四重奏曲)は、それを理解する公衆を生み、その公衆をふくれあがらせるのに五十年を要したが、そのようにして、あらゆる傑作の例にもれず、芸術家の価値にではなくとも、すくなくとも精神の社会に―――最初この傑作が世に問われたときには存在せず、こんにちそれを愛することができる人々によってひろく構成されている精神の社会―――一つの進歩を実現したのは、ベートーヴェンの四重奏曲なのである。人々がいう後世とは作品の後世で ある。作品自身が(……)その後世を創造しなくてはならないのだ。したがって、作品が長くとっておかれ、後世によってしか知れれなかったとしたら、その後世とは、その作品にとっては、後世ではなくて、単に五十年経ってから生きた同時代人のあつまりであるだろう。だから、芸術家は自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅠ」より)

一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序全体がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。(吉田健一訳「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』)

スーザン・ソンタグは、「ヨーロッパ中心の世界文学観が端に押しやってしまったもうひとりの多才な天才、夏目漱石」「死後の生 マシャード・デ・アシス」(『書くこと、ロラン・バルトについて』所収)と書いているが、漱石の作品が世界文学観とはどのように異質なのかは判然としないにしろ、漢文学、俳句が、漱石の作品の根のひとつであるには違いない。

余は少時好んで漢籍を学びたり。これを学ぶ事短かきにも関らず、文学はかくの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。ひそかに思ふに英文学もまたかくのごときものなるべし、かくのごときものならば生涯を挙げてこれを学ぶも、あながちに悔ゆることなかるべしと。余が単身流行せざる英文学科に入りたるは、まったくこの幼稚にして単純なる理由に支配せられたるなり。在学三年の間はものにならざるラテン語に苦しめられ、ものにならざるドイツ語に窮し、同じくものにならざる仏語さえ、うろ覚えに覚えて、肝心の専門の書はほとんど読む遑(いとま)もなきうちに、すでに文学士と成り上がりたる時は、この光榮ある肩書を頂戴しながら、心中ははなはだ寂寞の感を催ほししたり。(……) 
春秋は十を連ねてわが前にあり。学ぶに余暇なしとはいはず。学んで徹せざるを恨みとするのみ。卒業せる余の脳裏にはなんとなく英文学に欺かれたるがごとき不安の念あり。余はこの不安の念を抱いて西の方松山に赴むき、一年にして、又西の方熊本にゆけり。熊本に住する事数年いまだこの不安の念消えぬうちロンドンに来れり。(夏目漱石『文学論』序論)

あるいは、もともと「漱石」は正岡子規の雅号であり、夏目金之助はそれを親友から頂戴したのだし(ロンドン滞在中に子規は病死)、学生時代のレポートには「老子の哲学」(明治二十五年1892年)がある。漱石の「水の女」のテーマは、オフェーリアと同様に、老子の「上善水のごとし」の影があるに相違ない。


子規は『墨汁一滴』のなかで、漱石がもっている滑稽趣味は俳句に向いていると評価している。

わが俳句仲間において俳句に滑稽趣味を発揮して成功したる者は漱石なり。漱石最もまじめの性質にて学校にありて生徒を率いるにも厳格を主として不規律に流るるを許さず。
《もし漱石が小説をひとつも書かずに終わったとしても、明治時代を代表する俳人として記憶されただろう。》(夏目漱石のこと

漱石の「水の女」は、丘の上に立ち谷間の水を覘き見る(たとえば、地名「谷中」の頻出はただ単に住居のそばであったせいだけではないだろう)。
谷神不死。

是謂玄牝。

玄牝之門、
是謂天地之根。

緜緜若存、
用之不動。(老子)
福永光司氏による書き下し(玄牝の門)。
谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。
玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。
綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ




 ところで『三四郎』には、「批評家」は、《自分はあぶなくない地位に立って》、《世の中にいて、世の中を傍観している人》と書かれる。

三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、あぶないあぶない、気をつけないとあぶない、と言ったことを思い出した。あぶないあぶないと言いながら、あの男はいやにおちついていた。つまりあぶないあぶないと言いうるほどに、自分はあぶなくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。世の中にいて、世の中を傍観している人はここに面白味があるかもしれない。どうもあの水蜜桃の食いぐあいから、青木堂で茶を飲んでは煙草を吸い、煙草を吸っては茶を飲んで、じっと正面を見ていた様子は、まさにこの種の人物である。――批評家である。――三四郎は妙な意味に批評家という字を使ってみた。使ってみて自分でうまいと感心した。のみならず自分も批評家として、未来に存在しようかとまで考えだした。

創作者側からみれば、この外部に立った「批評家」の態度が許しがたくみえる。だが、他方、すぐれた「批評」は作品になっている。たんに批評家、評論家だからといって貶すわけにはいかない。日本においても、小林秀雄、江藤淳、柄谷行人、蓮實重彦、…の系譜の「批評家」たちの「作品」がある(それらが果たして、同時代の小説に比べて「作物」として劣っているかどうか)。

小説でも批評、評論、あるいはエッセイでも、古井由吉の書くような文体をもっているかどうかーーそれがおそらく分水嶺のひとつになるのではないか。

自分が見る、自分を見る、見られた自分は見られることによって変わるわけです。見た自分は、見たことによって、また変わる。(古井由吉『「私」という白道』)

「私」が「私」を客観する時の、その主体も「私」ですね。客体としての「私」があって、主体としての「私」がある。客体としての「私」を分解していけば、当然、主体としての「私」も分解しなくてはならない。主体としての「私」がアルキメデスの支点みたいな、系からはずれた所にいるわけではないんで、自分を分析していくぶんだけ、分析していく自分もやはり変質していく。ひょっとして「私」というのは、ある程度以上は客観できないもの、分解できない何ものかなのかもしれない。しかし「私」を分解していくというのも近代の文学においては宿命みたいなもので、「私」を描く以上は分解に向かう。その時、主体としての「私」はどこにあるのか。(中略)この「私」をどう限定するか。「私」を超えるものにどういう態度をとるか。それによって現代の文体は決まってくると思うんです。 (古井由吉『ムージル 観念のエロス』)

これは柄谷行人が蓮實重彦との対談『闘争のエチカ』での、批評と批判をめぐる発話にそのまま繋がってくる。

柄谷) 僕は昔、批評と批判というふうに区別したことがあります。批判において、自分が含まれているものが批評、含まれていないものが批判というふうに呼んでいたことがある
その意味で、カントの「批判」は、ふつうの批判とちがって批評と言いいんですけど、それは、彼の言葉でいえば、「超越論的」なのですね。自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということです。だから、彼のいう「批判」は、「超越的」、つまりメタレベルに立って見下ろすものではなく、自己自身に関係していくものだと思う。しかし、これは「自己意識」とは別だと思う。小林秀雄はそれを自己意識にしてしまった。(……)僕は、以前に「ゲーテル的問題」とか「自己言及のパラドックス」ということをいっていましたが、それは自己意識とはちがいます。形式的なものにかかわるからです。ウィトゲンシュタインは「論理学は超越論的である」といっている。論理学は言語に対して自己関係するものだからです。僕は「超越論的」ということを、カントやフッサールよりも最も広い意味で、つまり意識の問題からはなれたところで考えたいのです。
あるいは蓮實重彦は同じ対談で次のように語っている、《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない……》


ここで別の視点を付け加えれば、岡崎乾二郎は「批評」をめぐって次のように語っている。

批評というものが不可能になったとか、力がなくなったとか言われるけれども、僕の理屈では、むしろ消費者や素人ほど批評家であらざるをえない。()彼らがデータとして頼りにできるものは、最低限、自分の身体的な反応しかないわけで、それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか。それが日常生きていく上で常に強いられる。これは基本的に批評の原理そのものでしょう。(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕


この見解を尊重するなら、冒頭に引用した漱石の『作物の批評』の中の次の文、《評家は自己の得意なる趣味において専門教師と同等の権力を有するを得べきも、その縄張以外の諸点においては知らぬ、わからぬと云い切るか、または何事をも云わぬが礼であり、徳義である。》は、どう捉えるべきか。

ツイッターなどで、さる分野では専門家らしき人が、縄張り違いの批評をして、それが多大に流通しているのを垣間見るとうんざりさせられるのだが、「何事をも云わぬが礼」とは言い切れない。そもそもあそこは、あるいはこのブログなども、ひとによれば、気分転換の場である。

ルサンチマン批判のニーチェは、《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。》(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)とも書いているのを忘れてはならない。

嘲弄はときに楽しい。攻撃欲動のカタルシスもある。むしろ縄張り違いの分野への「称賛」に、いっそううんざりさせられることが、わたしの場合、多い。

何ごとによらず、悪口をいうことのほうが褒めることよりもやさしいようである。褒め言葉は、当の対象がよほど十分に褒められるのに値していなければ、とかくうわつ調子なものになりがちである。これに反して、悪口のほうは、対象の弱点を取り上げるのがその仕事であるから、本来の性質上、甘くなることがそれほどできぬではないかと思う。それだから、たとえある悪口が実際にはちょろいものであっても、それが悪口であるというだけの原因によつて、けつしてちょろいものではないという外観をーーー少なくとも褒め言葉よりは、そなえやすいようである。(中野重治 「映画の悪口ーーー罪はどこにある」)

――《称賛することには、非難すること以上に押しつけがましさがある。》(ニーチェ『善悪の彼岸』170番)

《思い上がった善意というものは、悪意のようにみえるものだ。》(同 184


いずれにせよ、批評には、《自分の身体的な反応(……)それに対して疑いを持ちつつ、どうそれを解釈、判断し、それに賭けるか》があるかどうかが肝要ではあるには相違ない。

そして次の視点があるかどうかも。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)