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2014年10月29日水曜日

「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)

柄谷行人は福島原発事故後、3ヶ月経たときのインタヴューで次のように語っている。

【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。

 日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。といっても、それは、地震のせいではないですよ。それは産業資本主義そのものの本性によるものですから。([反原発デモが日本を変える])


その後も日本では、《世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか》という真の課題を忘れてしまえる「出来事」が続出した。たとえば第二次安倍政権樹立、米中韓国との軋轢、ネオナチ猖獗など。

中井久夫は、バブル時代にすでに日本の「引き返せない道」を書いている。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。

2000年にも「親密性と安全性と家計の共有性と」と題して、中井久夫はこう書いている。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。

この文のベースにある考え方は次の文にあらわれている。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。
(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

これはジジェクにも、ベルリンの壁の崩壊による東西間の「まなざし」がなくなってしまったという語り口によるほぼ同様の見解の文がある。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

そして現在、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。これはジジェクと同じラカン派であるベルギーの精神分析医Paul VerhaegheがGuardian(ガーディアン 2014.09.29) にて"Neoliberalism has brought out the worst in us"「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した」という主張と同じ文脈のなかにある。もっともVerhaegheの見解は、新しい「文化のなかの居心地の悪さ」、--ただ「政治的」というよりは、個人と組織とのネガティブスパイラルという面への照射ーーに傾くものだが。それはこの短く書かれたガーディアンの記事ではなく、Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent(PaulVerhaeghe) に詳しい。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」12番 原佑訳)

21世紀になって、われわれはみな「イギリス人」になってしまっている。

It was Nietzsche who observed that “human beings do not desire happiness, only the Englishmen desire happiness”- today’s globalized hedonism is thus merely the obverse of the fact that, in the conditions of global capitalism, we are ideologically “all Englishmen” (or, rather, Anglo-Saxon Americans…)(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

どこかの「経営コンサルタント」が文科省の有識者会議にて提案して話題になっているG型大学とL型大学ーーG型大学はGLOBALのG、L型大学はLOCALのLーーもこの「イギリス人」の流れのなかにある。だがそれは「われわれに最悪のものを齎す」とまでは言わないでおこう、旧制高校時代のエリート主義の復活的要素の提案の芽もあると受け取るのなら、それは単純に否定されるべきものではないとも言いうるのだろうから。

蓮實重彦)エリート教育をやったほうが、左翼は強くなるんですよ。エリートのなかに絶対に左翼に行くやつが出るわけですよね。

(……)ところがいまは、エリート教育をやらないで、マス教育をやって、何が起こるかというと、体制順応というほうに皆行っちゃうけどね。(『闘争のエチカ』)

さて中井久夫の文に戻れば、困難な時代を生き抜くには「家族」しかないよ、という趣旨の主張だ。

今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

いずれにせよ、20世紀には異様なことが起こったであり、前世紀初頭のヒトの数はわずか20億だった。






              (「今までに存在した世界人口累計」より)


こういった状況下で(急激な少子高齢化で)、社会保障制度(年金制度など)はまともに存続できるわけがない。大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(2013)には、1970年に就業者9人で高齢者1人を支える制度として始まった社会保障制度は、《90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である》と記述されている。

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)。
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。


ドイツのように移民人口が多い国でさえ、付加価値税率19%でありつつ、年金破綻の懸念にひどく憂慮している。左翼勢力が相対的に強いだろうフランスでも、すでに、《80年代以降、政府は(政権の左右を問わず)女性が家庭に戻るように仕向け、この分野への予算を削減しようとの思惑から、政策方針を大幅に転換した。》(「子供か仕事か、欧州女性たちのジレンマ」 アンヌ・ダゲール)


たとえば、これはここでの文脈とは異なり、男女の賃金格差の図であるが、この図を見ると男女賃金格差は、フランス、イタリアは改悪している(差が広がっている)ことがわかる。





フランスやイタリアの状況は、おそらくもっと詳しく、--たとえば移民女性の賃金などを顧慮してーーデータを見なくてはならないという議論もあるだろう。だがそれはここでは脇にやる。

いずれにせよ、欧米諸国には「移民」という強い味方ーーもちろん移民排斥運動はあることを知らないわけではないがーーがあるにもかかわらず、社会保障制度のいままでどおりの継続は困難だと推測しているわけだ。




たとえば、ドイツ。

現在ドイツでは、出生率が1.34 (McDonald 2007)、日本では1.32(全国保育団体連絡会・保育研究所2007)とほぼ同レベルであり, 両国とも深刻な状況にある。その一方で、ドイツと日本における平均寿命の上昇は、両国の高齢者年金制度に深刻な影響をもたらしている。高齢者人口の増加と出生率の低下により、日本同様、ドイツも財政的に困難な状況に直面しており、この変化に対応するために様々な政策が導入されている。(「男女不平等とワーク・ライフ・バランス: ドイツにおける社会変化と少子化問題」(アンドレア・ゲルマー/バーバラ・ホルトス 2007)


少子高齢化はドイツも日本も似たようなものだが、他方、ドイツの消費税(付加価値税)はこんな具合だ。



                  (三井住友銀行による)






各国の合計特殊出生率推移は、次の通り。






これをみると、韓国は日本以上に驚くべき状況であることが窺われる(韓国の年金制度のありようは「資料:韓国の自殺率と出生率」を見よ)。上の図には中国のデータはないが、2013年に発表された大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」には次のような記述がみられる。

少子高齢化が進展している日本が社会保障システムや政府財政の持続性に問題を抱え、制度疲労に対して喫緊の改革を迫られている点は周知の事実だが、中長期的にみると高齢化は日本に限った話ではなく、世界共通の課題である。ただ、国によってそのスピードが大きく異なることから、高齢化への取り組み方も変わってこよう。

国連の推計に基づくと、いずれの国の中位数年齢(年齢順に並べ、全人口を 2 等分する年齢)も年を経るにつれて上昇していく。例えば、2010 年時点の日本の中位数年齢は 44.7 歳であり、先進国平均の 39.7 歳を大きく上回り、ドイツ(44.3 歳)やイタリア(43.2歳)に近い。それが 2020 年には 48.2 歳、2050 年には 52.3 歳に上昇し、世界における超高齢社会のフロントランナーのポジションは譲らない。他方、高齢化の進展が相対的に遅いドイツやイタリアの場合、2050 年時点でも中位数年齢は 49 歳代にとどまる。

これに対して、 日本の後ろ姿を急速に追いかけてくるのが中国である。 世界最大の人口 (2010年時点 13.4 億人)を抱える中国の場合、2010 年の中位数年齢は 34.5 歳と先進国平均を 5 歳ほど下回っていたが、2020 年には 38.1 歳、2050 年には 48.7 歳へ大きく上昇すると予想される。

つまり、日本の中位数年齢が 40 年間で 7.6 歳上昇するのに対して、中国は同じ期間で 14.1 歳(四捨五入の関係で上記の年齢の差分とは一致せず)と 2 倍近く上昇する計算である。一方、中国に次ぐ人口 12.2 億人を抱えるインドの中位数年齢は 2010 年時点の 25.1 歳から 2020 年には28.1 歳、そして中国を抜いて世界最大の人口(16.9 億人)を抱えるであろう 2050 年には 37.2歳に達すると予想されている。40 年間で 12.1 歳上昇するものの、発射台が低いだけに 2050 年時点でも世界のなかで相対的に若さを保っていよう。

中国の高齢化が急速に進むとみられる背景の一つは、1979 年から導入されている“一人っ子政策”であり、同政策によって出生率は急激に低下した。同時に経済発展によって死亡率が低下した結果、人口ピラミッドの形がいびつになってきた3。2010 年時点で中国の 65 歳以上人口が全人口に占める割合 (高齢化比率) は 8.2%に達し、 経済発展の途上段階で人口構造の成熟化が進んでいる。高齢化に伴う社会的コストが増える一方で、その費用を負担する現役世代の伸び率が鈍化している状態であり、今後中国では現役世代の負担感が大幅に高まっていくと予想される。

具体的に、高齢者人口(65 歳以上)を生産年齢人口(現役世代、15~64 歳)で割った老年人口指数を求めてみると、 2010 年時点では 100 人の現役世代で 11 人の高齢者を支えていたが、 2020年には 17 人、2050 年には 42 人を支えることになり、約 4 倍の負担になる。今後の中国は、これまでの 2 桁台の高い成長率から質の伴った安定成長へスムーズにシフトするという目標を実現しながら、社会保障制度など膨張する費用を賄わなければならない。例えば、子どもが 1 人しかいない家庭では高齢者介護が大きな負担になるために、年金補助制度などを強化していく方針であるという。

ちなみに、 日本において高齢化比率が中国の 2010 年と同じ 8.2%を上回ったのは 1977 年であった。中国の現在の経済規模は日本を抜いて世界 2 位だが、1 人当たり名目 GDP(2010 年時点)は 4,400 米ドル程度であり、 1977 年当時の日本の 1 人当たり名目 GDP6,100 米ドルを下回っている。この間の生活水準や物価の変化を考えれば、その格差はより大きい。単純な比較はできないが、中国では人々の生活が豊かになる前に高齢化が始まっている。

ここでもう一度、中井久夫の文を反芻しておこう、《私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた》と。


◆国民負担率の国際比較





西欧諸国に比せば、国民負担率を上げる余地が、日本にはあることがわかる(その具体的な方法は、消費税増ということになるのだろう)。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人)

※参考
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)より)

参考2:「貨幣」から読み解く2014年の世界潮流(岩井克人)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。


こんななかでいわゆる「左翼」の活動家はいまだこんなことをオッシャッテおり(「経済なき道徳は寝言」)ーーたまたま半年ほどまえ拾ったものであり、お二人にはなんのウラミもないが、「左翼」の典型的ツイートとして掲げさせてもらうーー、それを正義の味方として振舞いたいらしい左翼だかリベラルだかの学者センセまでRTしておられる。

河添 誠@kawazoemakoto

・「消費税増税で低所得層に打撃になるのは問題だと思うけれど、今の日本の財政では云々」という人へ。前段の「低所得層への打撃」だけで、消費税増税に反対するのに十分な根拠になるはず。なぜ、財政を理由に低所得層の生活に打撃になるような増税が正当化されるのか?この問いにだれも答えない。

・「消費税増税にはさまざまな問題がありますが、財政の厳しい状況では仕方ないですね」と、「物わかりよく」言ってみせる人たち。低所得層の生活が破壊され、貧困が拡大する最大の政策が遂行されるときにすら反対しないのかね?まったく理解不能。

※河添誠氏のプロフィール欄

《NPO非営利・協同総合研究所いのちとくらし研究員・事務局長/首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長/都留文科大学非常勤講師。非正規労働者・低い労働条件の正社員と失業者の生活支援・権利拡充のために活動中。反貧困たすけあいネットワーク、反貧困ネットワーク、レイバーネット日本の活動なども。》

藤田孝典@fujitatakanori:

・みんなが社会手当を受けたら、国の財源がなくなるという人々がいる。それはウソ。それなら欧州の国々はとっくに破綻している。

・ 財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する。

※藤田孝典氏プロフィール欄

《ほっとプラス代表理事。反貧困ネットワーク埼玉。ブラック企業対策プロジェクト共同代表、生活保護問題対策全国会議、福祉系大学非常勤講師。著書『ひとりも殺させない』》(「偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」より)


こういった「左翼」の消費税増反対などというものは、《文句も言えない将来世代》への残忍非道の振舞いではないか(参照:アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン)。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)

80年代の消費税導入の遅れ、90年代にいっそうの消費税増が遅れたからこそ、現在、いっそうひどい財政危機に瀕し、いま弱者たちの首をいっそう絞めているのではないか、――とまでは言わないでおくが、「左翼」の連中は、未来の他者への心配りがまったく欠けた経済音痴どもの集まりではないかと疑わざるをえない。90年代におけるあれら「左翼」の弱者擁護の名目での「誠実で正義感溢れる」姿勢・活動が、いまの急激な「格差社会」成立にかなり貢献しているのではなかろうか。

彼らの経済的弱者への「共感」による合意(コンセンサス)は、今ここにいる者たちの間でのみの合意であり、未来の経済的弱者への配慮はなされない。90年代に「未来」であったその弱者は、2014年の今ここに多数いる。その苦境に大いに貢献したのではないか、あの正義の味方「左翼」の連中は。

…ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P191-192)

真のラディカル左翼であるなら、消費税を西欧諸国なみに挙げる提案を支持し、そこから、たとえばベイシックインカム制度が夢物語であるなら、フリードマンの「負の所得税」などを変奏して提案していくべきではないだろうか。

負の所得税とは所得に関係なく一定の税率を一律にかけ、 基礎控除額を定めることでそれを上回った者から所得税を徴収し、下回った者は逆に所得に応じた負の所得税を払うものである。負の所得税とはすなわち政府からの給付金である。

基本税率 40 パーセント、基礎控除額が年収 200 万円だとすると 年収 1000 万円の者は基礎控除額を超過している 800 万円が課税対象となり 40 パーセントの 320 万円を所得税として支払う。
年収 200 万円の者は基礎控除額を上回りも下回りもしないため所得税を支払わない。

年収 100 万円の者は基礎控除額 200 万円を 100 万円下回るためマイナス 100 万円が課税対象となり、40 パーセントのマイナス 40 万円を支払う。つまり政府から 40 万円を受け取る。この 40 万円が負の所得税である。

つまりまったく収入が無い者はマイナス 200 万円の 40 パーセントである 80 万円を受け取ることになり、これが最低レベルの所得の者に支払われる生活保護額となる。(「再分配方法としての負の所得税」ネット上PDFよりーー「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人))

もちろん消費税増の導入の景気停滞の影響は顧慮しなくてはならないということはある。

消費税が3%から5%に引き上げられた1997年の景気動向については、アジア通貨危機(7月)、金融システムの不安定化(11月)という大きなショックに日本経済が見舞われたため、消費増税そのものの影響だけを析出するのは容易ではない。(社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書説明資料(第Ⅱ部)  平成23年5月30日東京大学大学院経済学研究科長吉川洋 )

現在、消費税が5%から8%の影響も存外大きいままなのかもしれない。とはいえ、そうであるなら、8%→10%を遅らせるべきなのだろうか。

私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。(池尾和人氏ツイート)
消費税率10%への引き上げ見送りが、日銀の政策への最大のリスクになる(黒田東彦日銀総裁インタヴュー)
現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。(岩井克人)

とはいえ、アベノミクスなどなんの成功もしていないじゃないか、という反撥もあるだろう。ではどうしたらいいのか? それなしでいたずらな政策否定ではなしのつぶてである。

結局、あれらの「左翼」も「イギリス人」である。イギリス人とは、経済合理主義者の謂であり、短期的な「快」のみを求める。彼らの「快」は、中長期の視点をなおざりにし、いまこの場でのみ「庶民的な正義の味方」として振舞うことだ。それさえできれば「後は野となれ山となれ!」、--そうでなかったなら、どうしてあのような寝言を言いうるのだろう、ーー《財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する》などと。

われわれは、真の「糞便」をしっかり観察すべきだ、その「糞便」にある甚だしい病気の兆候を見逃して、「うんこ」の臭いのみ鼻を抓む習慣はそろそろやめなければならない。

西洋におけるトイレのデザインの三つの基本型は、レヴィ=ストロースが考えた調理の三角形(生、焼く、煮る:引用者)に対応する、排泄の三角形を構成している。伝統的なドイツのトイレは、排泄物が消えていく穴が前のほうについているので、便は水を流すまで目の前に横たわっていて、われわれは病気の兆候がないかどうか、臭いをかいで調べることができる。典型的なフランスのトイレは、穴が後ろのほうについているため、便はすぐさま姿を消す。最後にアメリカのトイレはいわば折衷型、つまり対立する二極の媒介で、トイレの中に水が満ち、便が浮くが、調べている暇はない。(……)

 ドイツ-フランス-イギリスの地理的三角形を三つの異なる実存的姿勢の表現と解釈した最初の人物はヘーゲルである。ドイツの反省的徹底性、フランスの革命的性急さ、イギリスの中庸的な功利的実用主義。政治的スタンスの面でいえば、この三角形はドイツの保守主義、フランスの革命的急進主義、イギリスの穏健な自由主義と解釈できる。社会生活のどの面が優性かという点からみると、ドイツは形而上学と詩、フランスは政治学、イギリスは経済学だ。トイレを考えてみれば、排泄機能の実践という最も身近な領域にも、同じ三角形を見出すことができる。魅了され、じっくりと観察する、曖昧な態度。不快な余剰をできるだけ速やかに排除しようとする性急な姿勢。余剰物を普通の物として適切な方法で処理しようとする実用的なアプローチ。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


…………

さて冒頭、柄谷行人の発言の引用で始めたのだ。彼はその後、2013年の講演で次のように発言していることを付記しておこう。

「世界の現状は、米国の凋落でヘゲモニー国家不在となっており、次のヘゲモニーを握るために主要国が帝国主義的経済政策 で競っている。日清戦争 後の国際情勢の反復ともいえる。新たなヘゲモニー国家は、これまでのヘゲモニー国家を引き継ぐ要素が必要で、この点で中国 は不適格。私はインド がヘゲモニーを握る可能性もあると思う。その段階で、世界戦争が起こる可能性もあります」
 「現実政治を知らなすぎると言って、私の言うことを笑うかもしれませんが、『来るべき戦争』がやってきた時に、私の言ったことを認めざるを得ないでしょう」

債務危機の解決策は、《増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルト》しかない。戦争かデフォルトを選択する戦略なのだろうか、あれらの「左翼」たちは。北野武は、日本という国は一度亡んだほうがいい、という意味のことをどっかで言っていたが、内心「デフォルト」志向なのだろうか。

アタリ氏は「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」と言う。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」とも述べている。(……)

現にアタリ氏自身も「(公的債務に対して)採用される戦略は常にインフレである」と述べている。お金をたくさん刷って、あるいは日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値を下げ、借金をチャラにしてしまいしょう、というわけだ。(資料:「財政破綻」、 「ハイパーインフレ」関連)

…………

ーーなどということをわたくしが書いても致し方ないのだが、たぶんこういうことは「海外住まい」の消費税増があろうがなかろうが関係ない者のみが言える特権であるのかもしれず、実際すぐれた経済学者も、アベノミクス導入以前には、「逃げ切れるか」、などとオッシャッテイタわけだ。

むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)(ある財政破綻のシナリオ--池尾和人2009.10ーーアベノミクスの博打)


2014年10月28日火曜日

「私の母の淫らな頸」 粒来哲蔵

--死の総量ってどのくらい?と私は母に尋ねた。そうね、青梅の
種子の胚ほどよ、--と母は答えた。じゃその胚の重さは?とかさ
ねて問うと、母は少し間を置いてから、子猫の爪ほどよ--と笑っ
答えた。

粒来哲蔵『侮蔑の時代』(花神社、2014年08月10日発行)の扉にある「青梅雨(つゆ)」という短い詩である。そのまま「帯」にも使われているそうだ。わたくしが新しい詩に廻り合うのは、ほとんど谷内修三氏のブログ「詩はどこにあるか」での紹介のみであるーーいや、「のみ」とは大げさであり九割方としておこう。新しく詩集を手にとることは、ない。

粒来哲蔵は、1928年1月5日生まれ。今年、86歳になる。『荒地』参加者の一番若い詩人が、高野喜久雄(1927年 - 2006年)だったようで、高野氏と一歳違い。だが粒来氏は、戦後、福島で小学校教員をしばらくしたあと、上京して『歴訪』同人となっているそうだ。詩から受ける印象は『荒地』の仲間たちであるように感じられるが、鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明などのよく名の知られた詩人たちよりはすこし遅く生まれている。だが遺言執行人の世代であるには相違ない。


たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

「死んだ男」より  鮎川信夫


《死に直面した人間、多くの仲間を失った人間は、もし一メートル右にいたら、自分も死んだかもしれないという偶然を、決してないがしろにはできないだろう。たとえ、それから一年たち、あるいは二〇年たっても、それは同じことである》(黒田三郎)

これは七〇年たっても同じことである。


以前、同じ谷内氏のブログで粒来哲蔵の「あるいは樽のようなものであるかも知れぬ」からの引用を読んでびっくりした。それまでは名も知らなかった。

 背景ともども白くぼやけた写真の中で、笑っている女がいる。もち
ろん女の笑いそのものもぼやけていて、指を口もとに当てているよう
には見えるが、指をとると肝腎の口がない、唇がない。在るのは笑い
だけであって、みているとその含み笑いがいつのまにか弾けるような
哄笑になり、ぼやけた背景の隅々にまで細かい縮緬状の小皺を作って
いる。
 笑いが消えると、写真のどこにも女はいない。後には女のいた証拠
に、さびれた女の古里がせり出して来て、崩れかけた分教場の机の上
に女の口と唇がのっている。

この詩を読んで鳥肌が立つほど打たれたのは、リルケの世界のなかのみの衝撃ではなく、まさに日本のおそらく戦争時の風景のなかでーーわたくしの母の女学校時代の懐かしい写真にあるかのようにーー、《顔を剥がれた血みどろの頭部がむき出しになっている》のを見た気になったせいか。

だがあの女。あの女には驚いた。彼女はすっかり考えごとに沈んで、前のみりにからだを折りまげ、手に顔を埋めていた。それはノートルダム・デ・シャンの通りのかどだった。ぼくは彼女を見かけるとすぐ、足音を忍ばせた。あわれな人々が考えごとをしているときには、そのじゃまをしてはならない。それでも、たぶん彼らはすぐ気づいてしまうのだ。

その通りにはまるで人影がなかった。いわばその空虚さ自体が退屈さのあまり、ぼくの足もとから足音を抜きとって、木靴なんぞのように、それをからころともてあそんだ。女は驚いて顔を上げたが、それはあまり急激な動作だったものだから、顔が両手のなかに残ってしまった。ぼくにはそれが両手のなかに、くぼんだ鋳型のように残っているのが見えた。ぼくはこの両手にだけ目をそそいで、この両手からむりやりひき放されたものを見まいとして渾身の力をふりしぼった。顔をその裏側から見るというのは、むろん恐ろしいことだったが、顔を剥がれた血みどろの頭部がむき出しになっているのを見るのは、もっともっと恐ろしいことにちがいなかった。(リルケ『マルテの手記』)

実は雷に打たれたようなとてつもない心持になったのは、ほかにも理由があるのだが、ここでは書きたくない。崩れかけた分教場の机の上の女の口と唇、ーーこれがいけない。

ところで処女詩集『虚像』(1956)に収められた「射程」にはこうある。

私の肩には古風な銃が掟のようにのつている。この引鉄をひくことは容易ではなかろう。第一私はこの銃を好いていない。これを私に遺したのは私の祖父である。祖父はこの銃で妻を撃ち自らも死んだ。以来白い標的は絶えず私の目の前に動いている。それは季節はずれのダリアであり、私の母の淫らな頸である。
 私は、この銃をかつて試みたことがない。何故なら私はこれが私の意に抗つて、射角を途方もなく拡げることを懼れるからだ。事実これには死角がない。つまり一切の事物がこの銃の背後に隠れることを許されていないのだ。死角であるべきところには、いつも母が佇つているが、それは酷く私の指をためらわせるので、母は永劫に死ねないだろう。
 ある日、私は立木を背にして、見定め得ぬ虚空の一点にこの銃を擬していた。と忽ち単純な波動が枯葉を巻いて私の脚に衝き当り、私の疑意を一層根深いものにした。銃口は確かに下降しつつあり、逆に私の位置は堆土の上に被いかぶさつた一枚の幕布のように思われた。すると私の場を囲んで荒々しい跫音がきこえ、私はその中に、私の祖父の咳の音も聞きとつたのだ。

処女詩集からそうそう《私の母の淫らな頸》と出てくる、《季節はずれのダリア》とともに。それは《白い標的》なのだ、いつまでも消えずに繰り返し現われるーー。ダリアは「心臓の音/ダチュラ」(村上龍)だ。


ここで高橋睦郎の70歳の誕生日をめぐる詩を挿入しておく。

おかあさん
ぼく 七十歳になりました
十六年前 七十八歳で亡くなった
あなたは いまも七十八歳
ぼくと たったの八歳ちがい
おかあさん というより
ねえさん と呼ぶほうが
しっくり来ます
来年は 七歳
再来年は 六歳
八年後には 同いどし
九年後には ぼくの方が年上に
その後は あなたはどんどん若く
ねえさんではなく 妹
そのうち 娘になってしまう
年齢って つくづく奇妙ですね

ーー「奇妙な日」(高橋睦郎)


86歳の詩人粒来哲蔵が謳い呟く「母」を、もういくらか抜き出してみよう。

              男の夢の中で、母は前掛をしめ忙し
く立ち動いていた。母は男の好きなカドの腹を裂いて竿にかけ一夜
干しを作っていた。母の膝の近くにカドの入ったバケツがあり、母
はカドをつかんでその腹に指を入れていた。卵が散り、母の顔にう
ろこがはねた。母は笑っていた。この時も夢の中で男は母に駆け寄
った。カド臭い前掛が頬に触れた。
 
ーーカドとはにしんのことだそうだ。にしんの腹を指でまさぐり卵がはじける、そして母の笑い、にしんの臭い。エロチックでありながら、タナトスもある。正月前ににしんの昆布巻きをつくるのだけは欠かさないようにしたわたくし自身の「母」の顔が、遠くからやってくる。

次は莟を潰してかるい破裂音のしたあと、その先から漂う淡い香りにうたれ、しかも手触りが天竺鼠の赤子の肌の感触に似ている、と。そして少年が匂いにうっとりしていると母に見咎められる、とある。小胞をつぶしてーーたとえば、にきびをつぶしてーーその先から何かが飛び出すのは、フロイトによれば、すべて手淫のかわりであり、それは淡い香りでも同じである。だが、母に見咎められるのは自慰でしかないなどという妄想に耽るフロイト頭は追っ払わなければならない。

 花が風になびいてうつ向き顔で揺れていた。少年は花のおののき
の中で、まるで花のしぶきを浴びたように立ち尽くした。ふと、手
はそれら紫の花の一本に触れた。少年は花はそのままに、指先で莟
をはさんでそっと潰してみた。莟は崩れ、崩れ際にふっというかる
い破裂音を残した。少年は莟の先から漂う淡い香りにうたれ、莟の
手触りがいつか母が与えてくれた天竺鼠の赤子の肌の感触に似てい
る--と思われた。少年はまだ香りの残る指先をみつめていたが、
その様はすぐに母に見咎められた。(「五月雨桔梗」)

次のは「妄執 2」と題されているが、その前の「妄執 1」には「作家故梅崎光生氏に」と副題があるる。その詩には「母」は出現しないが先に引用しよう。巨木と女の舌愛好家であるわたくしには引用しないままですませることはどうしてもできない。

妄執は人を殺す。たとえば熱帯のある種の蔓は、恰好の巨木の幹
に凭りながらそれを巻き、巻き攀じて成長し、身をひねり、ねじり
にねじって遂に宿主の巨木を悶死させるという。
 腐ったまま菌類の餌食と変り果てた巨木の骸の洞から、どうかす
ると当の蔓の新芽の葉先が、木洩れ日を浴びてくねくねと体をくね
らせながら、なおも新たに身を委ねるに適わしい頃合の樹幹を探る
姿勢を見ると、それはもはや妄執としかいいようがない。
 見るがいい、新芽の葉先はまるでどこそこの女の光る舌のようだ。
もしかすると巻かれ巻かれて巨木は愉悦のうちに倒壊したのではあ
るまいか……。
月夜だった。鎌の形の月の下で男は歯を磨かねばと思った。男は
上衣の内ポケットから歯ブラシを取り出そうと幾分身をかがめ、手
間どりながらも歯ブラシを引き出そうとした--がその時、俘虜監
視の米兵が、男が拳銃を取り出す仕草と見てとった。彼の銃が鳴り、
男の手の中のうす青い歯ブラシの柄は粉砕した。弾丸は男の胸を貫
き、男は血反吐を吐いて死んだ。米兵が来て男の屍を見下ろしてか
ら靴先で男を転がした--歯は磨けずじまいだった。

さてこうして、「妄執2」の《おっ母、うめえよ》を続けることができる。

         手首程の太さもある牛蒡は、それでいて柔らか
で、男は故郷の母への手紙でそれを誇ろうとさえ思った程だった。
捕虜達は黙って牛蒡を噛んでいた。
 幸い大方の牛蒡はうす紫色の花をつけ、収穫期には相当の嵩をも
たらした。引き抜いてみた牛蒡の土を手でこそぎ、男はそれを火に
くべて焼き牛蒡にして食ってみた。芳香は男の腹にしみた。--おっ
母、うめえよ、と男は呟いた。(「妄執 2」)

次の「冬瓜」には「母」は出てこない。そのかわりに《老いて病み衰えた女の下半身》が出てくる。

そのうち老いて病み衰えた女の下半身は、泥田につかった日の記
憶そのままに重かった。女は終生貧しかったから、生家の誰彼の侮
蔑に長く耐えたが、あえてそれを咎めることはなかった。痩せた手
にかって冬瓜車を曳いた感触はまだ残っていて、女はひとりふふ、
と笑う日もあった。
 女が死を迎えた時、一人残った女の息子は母の好みの冬瓜汁を作っ
てみた。冬瓜の薄切りを淡く煮て、片栗粉でとろ味をつけた。それ
は歯応えのないもので腹を満たしはしなかったが、何故か息子には
懐しく思われた。
--利根の堤下の枯芦の上に、冬瓜様のうす青い月が出ていた。


そして「静かな木々」。谷内修三氏が書いているように、実に美しい。静けさが美しい。北国で独楽が澄むのをみつめる子供たちのまなざしも美しいがーー《つち澄みうるほひ/石蕗の花さき》(室生犀星) ーー、《遠い森の木々の木肌を撫でるような目で私を見や》る母も美しい。

北国の子供達は、独楽の回りが頂点に達し、一瞬静止したかのよ
うな様相を示すと、独楽が澄んだ--といってはしゃぐ。すると澄
む前の回転、或いは澄んだ後の崩れに至る袴の乱れた舞い姿にも似
た回転は、子供達は何と呼んだのか、私に記憶はない。
 子供達は澄んだという形姿以外の独楽の在り様を、何とも名付け
ていなかったのではないか。
                         彼らは実に
静かにつかまる。手にしてからもこちらの指を噛むこともせず、不
意に飛び立って逃げることもない。彼らは交尾以外の些事にかまけ
ることはない。おそらく彼らにとって人の手に捕われ死を目前にし
ても、その死もまた些事と観じているかのようだ。彼らは静寂の時
を知っている。
母に蜻蛉の話をしたら、母は遠い森の木々の木肌を撫でるような
目で私を見やっただけだった。人と人との間にも独楽に似た蜻蛉に
似た静寂の時間は創り得るのか、と実は尋ねたかったのだが、止め
にした。母の瞳の中で木々の肌が互いに寄り合い擦り合い、玄妙な
微音を奏でているのが感得されたからだった。全ての葉の落ちた木々
の木肌の風に寄り添って触れあう一瞬のおののきに鳴る音、その音
が深まるにつれいや増しに増していく森の静寂--。若い母の内の
ほとばしるものの一瞬の静止、静寂。

一瞬の静止、静寂。-- 《だがぼくはそれを十分に聞いただろうか》


静けさはいくつものかすかな命の響き合うところから聞こえる
虻の羽音  遠くのせせらぎ 草の葉を小さく揺らす風

いくら耳をすませても沈黙を聞くことは出来ないが
静けさは聞こうと思わなくても聞こえてくる
ぼくらを取り囲む濃密な大気を伝わって
沈黙は宇宙の無限の希薄に属していて
静けさはこの地球に根ざしている

だがぼくはそれを十分に聞いただろうか
この同じ椅子に座って女がぼくを責めたとき
鋭いその言葉の棘は地下でからみあう毛根につながり
声には死の沈黙へと消え去ることを拒む静けさがひそんでいた

ーー谷川俊太郎「夕立の前」の二連から四連まで(五連まであるが、ここでは割愛)。


と引用したところで、谷川俊太郎は何年生まれだったかと調べてみると、1931年12月15日生まれであり、粒来哲蔵より三年若いだけである。

粒来哲蔵の詩は、辛抱強く待たれたあとふたたび戻ってきた掛け替えのないもののみが歌われている、とわたくしは思う。21世紀も10年以上過ぎて、こういった詩に廻り合えたことの僥倖、ーーその紹介者に感謝しなければならない。

谷内修三氏は、この粒来哲蔵の「静けさ」に打たれてかどうか、次のような詩を書いている。

…………

大通りから路地に入るときの、  谷内修三

大通りから路地に入るときの匂いが好きだ。
雨が上がって、光がケヤキの葉っぱに集まってきて、
輝きながら落ちていくとき空気の中の静けさが匂う。

大好きな本の、何度も何度も傍線を引いて読んだことばを、
また思い出すために読むときのよう。

…………

路地にはいり込んでゆくときの感覚、その静かな懐かしい歓びに包まれる思いが、慈しんだ言葉に出会うために本を開くときの感覚の比喩と重ねられて、しっとりと謳われている。木の葉が光りに輝き、路地に入ってしばらくすれば、生活のにおいも濃密さを増し心地よさに浸ることができる。ここには「一瞬よりはいくらか長く続く」刻限がある。また、ひとは本を開くまでもなく、たとえば少年時代に愛でた本の背表紙を撫でさするだけでも、路地に入ってゆく思いがすることもあるだろう。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

わたくしは三十過ぎに、しばしば京都の街中の人通りがすくない路地を選んで、ひとりで歩き回った。そして錦市場近くのお気に入りの店で食事をしたり、ちょっとした買い物(魚の干物や漬物など)をするのをひどく好んだ。顔馴染みになった女将さんたちの上品な笑顔がノスタルジーの甘美な痛みとともに浮かんで来る。あの路地廻り当時は、ある個人的な幻滅があって人恋しさでいっぱいだったということもある。

さらに言えば、ここでは「路地」の作家中上健次は持ち出さないでおくことにするが、路地は、エロスの、母胎回帰の場所でもある。ベンヤミンは、「女と本はベッドに連れこむことができる」という古い俚諺を持ち出し、娼婦と書物との関係をめぐる考察をしていたそうだ。彼にとってパリは、「知」と「性」とが錯綜した絡まり合いを示す街にほかならなかったのであり、《実際、パリを「遊歩」するとは彼にとって、巨大な女体の秘部をまさぐることでもあった。/内蔵の中にいると私たちがどれほど安堵するものかということを知りたければ、眩惑されるままに、暗いところが娼婦の股ぐらにひどく似ている街路から街路へ入り込んでいかねばならない》(松浦寿輝)と。

次のように金井美恵子が書くとき、女陰の「不気味さ」と「懐かしさ」を、そこに読んだっていいだろう。

腐敗した水のにおいだけではなく、路地の家々の壁には小便のにおいがしみついていて、粘り気のある有機質のにおいに混じったきな臭いアンモニアのにおいが充満してもいるのだ。腐敗した牛乳の匂いに似た、皮膚の表面から分泌する、汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおいが建物の中庭に咲いているジャスミンと薔薇のにおいと混じりあり、甘ったるい吐き気のする睡気になって私の身体を包囲する。(金井美恵子『沈む街』)

《俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。》(四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』)

やはりフロイト的妄念をいたずらに忌避するのはやめて、彼に少しだけお出まし願おう。

神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』著作集3 P350)

…………


《思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。》

だが詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。それには待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない(感情ならはじめから十分あるわけだ)、――それは経験なのだ。一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。けものたちを知り、鳥の飛び方を感じ取り、朝小さな草花のひらく身ぶりを知らなければならない。はじめての土地の、なじみない道のことを、思いがけない出会いや、もう久しくその近づいてくるのが見えていた別れを思い出すことができねばならない、――まだよく意味が明らかにされていない幼年時代のことを、また、両親がぼくたちをよろこばせようとして持って来たものが、ぼくたちにはなんのことかわからず(それはほかの子どもならよろこぶにちがいないものだった)、両親の心を傷つける破目になってしまった思い出や、じつに奇妙な始まり方をして、思いがけない深い重い変化を伴う子どもの病気のことや、ひっそりとつつましい部屋のなかですごす日々のことを、海辺の朝を、海そのものを、多くの海のことを、高い天空をざわめきながら、星々とともに飛び去って行った旅の幾夜さのことを、――そしてたとえ幸いにも、そういう一切のことを思い出すことができても、それはまだ十分ではない。ひとはまた、どの一夜も他の夜に似ることのなかった多くの恋の夜の思い出を持ち、陣痛にあえぐ女たちの叫びと、産み終えてかろやかに、しろじろとして眠っている女たちの思い出を持たねばならない。しかしまた、死んで行く人々の枕辺にはべり、死んだ人とひとつの部屋にすわって、あけた窓から高くなり低くなりしながらきこえてくる外の物音に耳傾けた経験がなくてはならない。そして思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなって、もうぼくたち自身と見分けがつかなくなってはじめて、いつかあるきわめてまれな時刻に、ひとつの詩の最初の言葉が、それらの思い出のただなかから立ちあがって、そこから出て行くということが考えられるのだ。。(リルケ『マルテの手記』)


ーーとしばらく前に書いてほうってあった。いまいくらか削った。途中、書いてあったことを消し去り、「書きたくない」とした。谷内氏が紹介する粒来哲蔵のもうひとつの母の詩をそのかわりに掲げよう。「石の声」という詩である。

--ひとはどうも身の内に湖を蔵しているのではあるまいか。近
頃少し傾けばその湖、つまりわが内在湖の水が鳴り、水が何処そこ
から洩れ出て来るように思われる。まず転倒すれば膝裏でごほごぼ
と水音がする。かがめば背胸骨の中でちりちりと水音がして、耳孔
から鼻孔から水がこぼれ出す。女を抱けば当然迸るものが、橅の
落葉の下水程にやわやわと哀しくこぼれ出る……。身の内ばかりで
はない。心情の傾斜にも内在湖はいちいち波立ち、静まって、果て
は温い靄さえ吐き散らす。
内在湖の水際に母といた。私は母の背に負われていて、その母の
踝は水に浸っていた。母の脛の影が湖にのびていて、その小揺ら
ぎが私の目に眩しかった。負われたまま私は二三歩進み、母の背か
らずるずると水に落ちる気配だった。
           -と母は両手で抱えあげて私
を元の背に戻してくれた。私はいやいやをしたようだった。抱え上
げる母の手を拒んでやや乱暴に湖に降り立ったと思う。私が手で水
を掬い砂粒を掻き集めていた間、母はゆったりと靄につつまれ、湖
面を撫でるようにして遠去かって行った。私の手からひとりでに砂
がこぼれた。
母の死は私の知らぬうちにやって来た。母は庭先で猫と戯れなが
ら死んだのだ。不意に猫が奇妙な声をはりあげたから、猫は母の死
の到来を知っていたのだ。母が自らの死を認識する前に、死の方は
猫に予告し、伝達さえしていた。
父は変哲もない小石を一つ、真綿にくるんでマッチの空箱の中に
収い置いたのを私に遺した。遺したくて遺したものでもあるまいが、
どう叩いても割れる代物ではなかった。私は時折その石を耳に当て
がうことがある。




2014年10月27日月曜日

ギリシャ人を装うこと

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー『幻影の哲学者ニーチェ』山口誠一からの孫引きーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン)

さて、ギリシヤ人になることとは、どういうことであろうか、ギリシア人の仮面を被ってみるということは? 《ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせ》ることと蓮實重彦は書くが、これはすぐさま器官なき身体、蜘蛛になることを想起させもする。にもかかわらず、この仮面をかぶった元東大総長は、その同じドゥルーズ追悼文にて次のようにも言っている。

プラトン的でないものにプラトンを「接ぎ木」することを選び、哲学史を放棄すること。それがドゥルーズの一貫した姿勢であることは、ギリシャ哲学を深くきわめたことのない者の目にも明らかである。にもかかわらず、その事実があっさり無視され、「リゾーム」や「器官なき思考」、あるいは「戦争機械」だの「遊牧論」だの「襞」だのといった言葉ばかりで彼の思考が語られがちなのは、いったいどうしてなのか。人びとは、ドゥルーズに欺かれているのだろうか。そうではない。彼の思考の中に「一気に身をおく」ことだけが必要とされていながら、誰もがその身振りを自粛してしまうのだ。

おわかりだろうか、接ぎ木の姿勢を。その刻限をーー、《この小径は地獄へゆく昔の道/プロセルピナを生垣の割目からみる/偉大なたかまるしりをつき出して/接木している》(西脇順三郎)




もちろん巧みに接ぎ木をするには、「神々しいトカゲ」の舌のゆらめく閃光の刻限、「一瞬よりはいくらか長く続く間」、それなりの準備をする必要があるのはよく知られている。

《まだこの坂をのぼらなければならない/とつぜん夏が背中をすきとおした/石垣の間からとかげが/赤い舌をペロペロと出している》(西脇順三郎)




「ただ この子の花弁がもうちょっと/まくれ上がってたりら いうことはないんだがね」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)

ジョルジョ・アガンベンによると、狂宴(サバト)のただなかにサタンの肛門に接吻をしたと審問官に訴えられた魔女たちは、「そこにも顔があるから」と応えたそうだ。

ところで、〈あなた〉がいくら謹厳居士であろうとも、いまどきこの程度の画像貼り付けるだけで、《驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた》(吉岡実)ーーなどというたぐいの人物ではあるまい。母親が驚愕したのは《子供の臀に蕪を供え》られたせいであるが、それさえいまでは陳腐化してしまった。

そもそもひとは現役まっさかりなら、こんなものは貼り付けはしない。蕪の硬質さがめっきりおとろえた初老の男が玩味するたぐいのものである。わたくしにあるものは「距離のパトス」である。

ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男はそもそも詩を書かないのではないか。彼のエロス詩には対象との距離意識、ほとんどニーチェが「距離のパトス」と呼んだものがあって、それが彼のエロス詩の硬質な魅力を作っているのではないだろうか。(中井久夫「カヴァフィス論」)

で、何の話だったか。そう、器官なき身体の話である。器官なき身体やら蜘蛛やらをぐたぐた論じるのではなく、蜘蛛になること、蜘蛛の巣に一気に身をおくこと、《生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること》。それが〈あなた〉に求められることだ。

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(……)そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。……(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能――クモーー」の章)

とはいえ、蓮實重彦が《ものの形の、音調の、言葉の崇め人》、恩寵=音調のひとであるかどうかは、議論の余地があるだろう。が、彼の文章は、巷間に輩出する解釈のみに汲々とするのみの「誠実で真摯な」論文とは異質の言葉で成り立っていることは間違いない。

《知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。》(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

ギリシャ人を装うことーーあえて「ギリシャ的」であることーーでドゥルーズの思考がまとうことになる豊かな拡がりがどんなものか、(……)だが、その豊かさ、哲学者としての彼が、ギリシャ人たちの思考をそっくり自分のものとしていたが故に可能になったものと理解してはなるまい。

たとえば、ヘーゲルもハイデッガーも、その時代のその土地にはぐくまれた思考に深く通じていたし、哲学の誕生とギリシャとの関係にも充分すぎるほど意識的だった。だが、ギリシャに投げかける視線を彼らと共有しあう意志などこれっぽちもないと『哲学とは何か』のドゥルーズはきっぱり宣言する。何かにつけて、ギリシャ哲学の起源を求めずにはいられない精神というものが、彼には我慢ならないのである。

(……)ギリシャ哲学との関係は、ドゥルーズにとって、「歴史としてというより、生成として、……本性においてというよりはむしろ恩寵として」考えられねばならない。そう口にする言表の主体が「マルクス主義者」であろうはずもない。

とはいえ、「恩寵」の一語を、世界を超越したものがもたらす願ってもない特典、予期せぬ喜ばしい報酬といった程度のことと理解してはなるまい。ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせているとき、あたかもその姿勢が導きだしたかのように、ただその瞬間にのみ、嘘としか思えぬ身軽さで現前化するできごと、それだけが「恩寵」の名にふさわしいものなのだ。哲学がギリシャに生れたのは、「恩寵」のような瞬間をうけとめるにふさわしい大気の流れといったものが、その時代のその土地んいみなぎっており、それに進んで身をまかせる者がいてくれたからなのだ。「偶発的」なものを「絶対的」なものへと変容せしめるものがこの「恩寵」のほかならず、もちろん、そこにはいかなる神学的な色彩も影を落としてはいない。いずれにせよ、「起源」といった言葉で「生成」に背を向けるドイツの哲学者たちに、ドゥルーズはきっぱりと顔をそむける。

あたかもギリシャ人であるかのように振る舞うドゥルーズが、この二十世紀末のヨーロッパであれこれ思考をめぐらせていた姿を思い描こうとするとき、われわれもまた「恩寵」の一語を口にせずにはいられない。ドゥルーズとプラトンの出会いは、哲学の歴史が必然化する時空に位置づけられるものというより、それを遥かに超えたところで、あたりの大気の流れに触れた者が、その表層に走り抜ける感知し得ないほどの変化にも同調せずにはいられないときに出現するできごとにほかならない。そのとき、そこにみなぎっている朗らかさは、例えば、「ライプニッツ主義者」には微笑みかけないが、「ライプニッツとともにある」存在には微笑みかける。それは、「マルクス主義者」には微笑みかけはしまいが、「マルクスとともにある」存在にはあまねく微笑みかけるだろう。思考は、そのようにしてしかできごととはなるまい。そこには、文字通りの「襞」がいくえにもおりこまれてゆくのであり、そのかぎりにおいて、「われわれは、なおライプニッツ的な存在である」と口にできるのである。

「恩寵」としてのドゥルーズ。彼を哲学者と呼ぶべきか否かがもはや問題となりがたい時空に、「一気に身をおく」こと。だが、哲学は、その「恩寵」に向けて投げかけるべき視線に恵まれていたことなどあるのだろうか。(蓮實重彦 ドゥルーズ追悼文『批評空間』1996Ⅱ-10)


 この蓮實重彦の一見して、徹底的なドゥルーズ顕揚とでも読める文章を「額面通り」とる阿呆はいまどきいまいが、二十一世紀はフローベールの時代にもまして「愚かさは進歩する」(フローベール)の時代ではあり、やはり次のように同じ『批評空間』のに前号に掲載された談話を附記しておくことにする。

◆『批評空間』1996Ⅱ-9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰/柄谷行人)より

蓮實)孤島のロビンソンが、なぜきれいな奥さんと結婚して、子供をふたりもつくるの(笑)。これはもう無頼漢ですよ。それで、浅田さんはドゥルーズが「偉大な哲学者」だと、もちろん誠心誠意おっしゃているんだろうけれども、どこかずるいと思ってない?

浅田)そりゃ、思ってますよ(笑)。

蓮實)あんなことされちゃ困るでしょ。この20世紀末にもなって、いけしゃあしゃあとあのような著作を書いて、家族なんてものはなくていいというような死に方をする。あの図々しさというか、いけしゃあしゃあぶりというものは、哲学者に必須のものなんですか、それとも過剰に与えられた美点なんですか。だってあんな人が20世紀末にいるのは変ですよ。ぼくはデリダよりドゥルーズのほうが好きですけれども、その点では、デリダにはそういうところは全くなくて、一生懸命やっている。フーコーがいるというのもよくわかる。しかし……。

浅田)フーコーは同時代にドゥルーズがいるから自分が哲学者だとは決して言わなかった。哲学者はドゥルーズだから。

蓮實)いいんですか。ああいう人がいて、浅田さん。

浅田)あえて無謀な比較をすれば、ぼくはどちらかというとガタリに近いほうだから、ああいう人がいてくれたのはすばらしいことだと思いますよ。

蓮實)しかし、彼はそれなりにひとりで完結するわけですよ。許せますか、そういう人を(笑)。ぼくは、浅田さんがドゥルーズを「偉大な哲学者」だと言っちゃいけないと思う。そうおっしゃるのはよくわかりますよ。わかるけれども、やっぱり否定してくださいよ。

浅田)でも「彼は偉大な哲学者だった」というのは、全否定に限りなく近い全肯定ですよ。否定するというなら「最も偉大な哲学者」として否定すべきだろう、と。

蓮實)どうしてきっぱりと否定しないの? さっき言ったことだけど、とにかくドゥルーズは確実にある問題体系を避けているわけです。それを避けることで「哲学者」としてあそこまでいったわけですからね。そうしたらば、それは悪しき形而上学とはいいませんけれども……。

浅田)「偉大な哲学」である、と。

蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。

浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。

ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventumtantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。

蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。

浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。

蓮實)だから浅田さんにとっては、ドゥルーズは一般的に偉いけれども、特異なものとして見た場合はやはりゴダールを取るでしょう。

浅田)絶対にゴダールを取ります。

蓮實)そうしたらば、ドゥルーズに対してもう少し強い否定のニュアンスがあってもいいと思う。

浅田)でも「偉大な哲学者」というのは最高に強い否定のニュアンスでもあるわけですよ。たとえばニーチェは哲学者ではないが、ハイデガーは哲学者である。それで、ゴダールがニーチェだとしたら、ドゥルーズはしいてどちらかといえばハイデガーなんです。

蓮實)ただし、ドゥルーズにとっての美というのは、ハイデガーのそれと全く違いますけれどもね。それともうひとつ、やはり彼は20世紀の両対戦間からその終わりまでに至って哲学は負けたと思っているのは明らかです。何に負けたかというと、実はゴダールではなくて、ジャン・ルノワールに負けている。ジャン・ルノワールが、風の潜在性からこれを顕在化することをやってしまっている、と。

浅田)ベルグソンを超えてしまったんですね。

蓮實)そう、超えてしまった。ぼくがいちばんドゥルーズに惹かれるのは、そこまで見た人はいなかったということです。不意に不ノワールが出てくるでしょう。それでルノワールに負けているんですよ。おれの言ったことをもう全部やってしまている、と。

浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったんですね。

蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。それでもなお「偉大」ですか。

浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者がいます?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書きだと言わねばならない。しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですからね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。



            (DELEUZE, GODARD, MARLON BRANDO)

さて、おわかりであろうか、この画像を貼り付けた意味合いが? ここでいささか親切心をだしてそれを明かすのなら、すなわち「なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」であり、また次の如くの意味である。

何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中ツイート)




シツレイした、ケンキューシャ君だけでなく、学者センセたちをも含めた〈あなたがた〉を子ども扱いして。

その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。(テオ・アンゲロプロス 蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)


と、ここまでのところは、目新しい発見など何ひとつ含まぬごく貧しい日常の再確認にすぎない。物語は勝利するという物語の、一つの変奏を提示したまでのことであって、とりたてて詳述するにもおよぶまい退屈な現実であろう。というより、現実をいかにして回避しつつ生をなし崩しに消費してゆくかという退屈きわまりない自分自身の物語がくり返されているまでだ。この罠という善意の虚構装置が、時代によって、またその無意識の捏造者が属する文化形態によっていくつもの異なった名前を持っているという点も、また衆知の事実であろう。もう昔の話なので憶えている人もいまいあの「アイデンティティ」の危機だの確立だのといった神話も、そんな名前の一つであったはずだ。個人の生活史の上でも集団の歴史という側面においても、その危機的状況の克服の契機として「アイデンティティ」の概念が重要な役割を演ずるとまことしやかに語られていた時代はさいわい遠い昔のこととなってしまったが、しかしそれに類する物語は尽きることなく生産され続け、それとはまるで違った顔をした、たとえば「モラトリアム」などと称する神話としていまもしたたかに生きているのかもしれない。物語は、間違いなく勝利するのだ。

とはいえ、いまはもう忘れてしまったものからつい先刻覚えたばかりのものまで、そんな一連の名前を列挙しながら、いささか冷笑的に、あるいは道化のけたたましい闖入ぶりによって虚構の歴史をたどりなおして悦に入っていられる時代ではない。それぞれの虚構にはそれなりの有効性はそなわっていたし、だいいちそれはまごうかたなき現実として罠たりえもしたのだから、いまさら愚痴っぽくあれこれ批判めいた言葉をつぶやいてみてもはじまらないと思う。さしあたっての急務は、善意の虚構へのほとんど普遍化されたといってよい確信が、普遍的であることに見あった希薄さであたりに漂いでた結果、罠の捏造者自身をはじめその直接=間接の共犯者たちから何を奪ったか、またいまも奪いつつあるかを明らかにしてみることにある。罠でもない装置を罠として思い描き、それにだけは足をとられまいとして身がまえる仕草が希薄に連帯されることで捏造してしまった善意の装置は、邪悪なるものとして想定された装置が現実のものであった場合に持ちえたであろう残酷さにもおとらぬ残酷さで何ものかを奪うが故に罠なのだが、その装置が、欲望から何をかすめとっているかを生なましく触知することこそが問題なのである。なぜ欲望からなのかと問うものがいるなら、ごくぶっきらぼうに生からと呼びなおしてもかまわない。だが、呼び名などはこの際どうでもよろしい。善意のものであれ悪意のものであれ、とにかく虚構は、その構築の過程できわめて具体的に生きた何ものかを犠牲に供することなしには虚構たりえないのだから、いま、この瞬間、虚構が現実にいかなる犠牲を提供せよと迫っているのか、その力学を捉えることこそが必要なのだ。力学、といってもことはきわめて曖昧である。虚構を生きつつあるものが放棄せざるをえない自分自身の一部、それを無理にも手放すことの痛みを緩和し、犠牲を犠牲としては意識させない何やら麻薬めいたものまでがそこに含まれてもいるからだ。善意の罠の真の恐しさは、何よりもまず、それが大がかりな忘却装置として機能してしまう点にある。


絶望と饒舌

では、誰もが驚くべき執着のなさで放置することでその忘却装置を機能させてしまう自分自身の一部とは、 何なのか。欲望から、あるいは生から不断にかすめとられつつありながらその痛みする感ずることのないものとは、いったい 何なのか。

何か 。その何かをこれ だと口にすることほど容易なはなしはないし、同時にそれほど困難なこともまたとあるまい。では、なぜ容易であり、かつまた困難なのか。まず、その何ものかをこれだとあっさり指摘しうるものは、指摘しつつある自分が虚構の物語の語りつがれる圏域の外部に位置していると確信しなけれならないということがある。つまり、自分はその物語に醜く汚染してはいないが故に装置にはいかなる犠牲をも提供してはおらず、したがって多くのものが信じがたい素直さで譲りわたしているものが 何であるかを明確に識別することができるという確信が存在する。この確信を共有することはきわめて容易であろう。事実、多くの人が口にする「批判」とか「分析」なるものはその種の確信から生まれ落ちてくるものだ。だが、汚染せざる自分への確信があたりにばらまく「批判」的言辞や「分析」的思考、それが、いま「批判」し「分析」しつつある物語の言葉によってしか語られえないという点を便利に無視しているという意味で、この圏外者の指摘ははじめから抽象たるべく運命づけられているといえる。しかもこの手あいの抽象にもそれなりの物語がそなわっていて、間違いなくあの偉大なる忘却装置の中枢に据えられた歯車としてせっせとまわり続けているのだから、それは何もいわずにおくことと選ぶところがないわけだ。にもかかわらず あれだ、これだと指摘してまわらずにいられない言葉たちを、無償の饒舌と名付けよう。忘却装置の円滑なる機能ぶりを促進すべく放棄する自分自身の一部を これだと名付けることが、容易さと困難さとをともに生きざるをえないとしたら、それが無償の饒舌たるほかはないとあらかじめ決定されているからである。だから何かと問うことそのものが、そもそも無効なのである。

無償の饒舌を避けるにはどうするか。問うことの無効性を自覚するに至ったものは、まず絶望を選ぶだろう。それが真剣なやり方というものだ。だが、実はその真剣な絶望すらが装置の潤滑油にすぎないのである。いま、欲望から、生から、かけがえのないものが不断にかすめとられている。そのかすめとられた貴重なる 何かを目指そうとして、いくつもの言葉を口にしてもそれは言葉であることをやめてしまう。その失語意識、その記憶喪失は文字通り絶望的といってよい。こうしているうちにも奪われてゆくかけがえのない自分自身の一部を的確に言語化しようとすると、その言葉さえが奪われてしまうという二重三重の困難。だが、人はこの困難にたやすく絶望するみちを選んでしまってはならないのだ。

絶望を回避すること。それには希望を持つといったことが有効な手段とはなりがたい。希望などと口にして新たな罠に陥ることなく、何でもよろしい、ただあっけらかんとした風情で適当な一語をつぶやいてみる。それが、真に奪われた言葉であるかどうかは問題ではない。とりあえず一言、たとえば 肯定することとでも口にしてみるだけで充分だ。そして、かれにその一語が人から言葉を奪うあの忘却装置にこそふさわしいと思われようと、奪われかすめとられた一語がまさに 肯定の一語にほかならなかったかのように振舞えばよろしい。人が絶望するのは、いま、 肯定することが禁じられているからだと思い込むふりをすること。口実はなんでもよろしい。 価値の多元化とやらがその元凶だとでも信ずるふりをしておけばよい。それが無償の饒舌にいささか類似し、すんなりと装置に吸いこまれてしまいそうでも気にすることはない。そもそも世にいう記憶回復の儀式など貧しい抽象にすぎないし、その記憶という奴にしてからが、完璧な再現などを自分からこばむもっともいいかげんで荒唐無稽なものなのである。嘘だと思うならマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んでみるがよい。欠落した記憶の切れはしを難儀しながら拾いあつめ、それで総体としての記憶が回復するなどと信じている人がいたとするなら、この小説は、そんな人間の鼻さきに、ただもう荒唐無稽というほかはない充実した過剰としての記憶が、畸型の動物めいたけもの臭さをふっとはきかけてくれるにちがいない。だから、いまはさしあたって、欠落した記憶を回復せんとする試みにならって失われた言葉を生真面目に探し求めたりせず、とりあえず選ばれた 肯定の一語こそがそれだと信じ込む演技を徹底的に演じきってみることだ。そうすることで真剣な絶望をひとまずかわし、物語に汚染しきった無償の饒舌をも模倣したりしながら、まさに物語自身の言葉で、忘却装置の機能のために自分が犠牲にしたものが何であるかを口にすればよい。肯定の一語が物語の秩序に従って自分になりかわり次の一語をつぶやいてくれるだろう。で、その次の一語とは 何であろうか。

その一語は何であろうか。それを耳にするには、何も物語の圏外に身を置く自分を確信する必要はない。むしろ積極的に装置の一部として機能しながら物語の圏域にとどまり、その続きを心待ちにする様子などしてみればもう充分だ。装置にさからうには、間違ってもその総体を破壊しようなどと目論んではならない。その総体がますます円滑に連動しかねぬ歯車のようなものへと自分を畸型化させても涼しい顔をしていること。肝腎なのは、戦略的に倒錯すること、そして倒錯に耐えうるだけの柔軟さを見失わずにおくことだ。倒錯すべき正統的な理由など求めてはならない。とりあえずの契機さえありさえすれば、もう心配はいらないだろう。ザッヘル=マゾッホを想起してみるまでもなく、倒錯とは、きまって戦略的なものではなかったか。(蓮實重彦「倒錯者の「戦略」」『表層批判宣言』所収)


まさか、わたくしにその一語を書け、というほどには、〈あなた〉は阿呆ではあるまい。その一語がなにであるかわからないなどというほど不感症ではあるまい。ここではその一語を書き記すなどというはしたない振舞いは避けるのが〈あなた〉を信頼するひとつの礼儀正しいあり方だろう。そんな厚顔無恥な仕草に身をさらすのではなく、もっともらしく無償の饒舌に耽るのみの手合いーー彼らには戦略的倒錯に身をまかせることにも、ギリシア的時空に一気に身をおくことにもまったく無縁であるかにみうけられるがーーそういった連中への嘲弄の言葉を「世間を真に受けぬための積極的な方法」より再掲して並べておくだけにする。

みずから言説を担っているつもりの「主体」が、より大きな時代の言説の一部ともいうべきものの一部としてほどよく分節化されてしまうという事態が、いたるところで起きている(……)。実際、率先して自分の言葉を語っているはずなのに、実はそれが他人の言葉の反復にすぎず、しかも、そのことに無自覚なまま、みずからを言説の「主体」だと勘違いしてしまうという滑稽な錯覚が広く共有され、誰ひとりとして、そのことを滑稽だと思わなくなっているのです。それは、権利の行使と思われていたものが、知らぬ間に大がかりな義務の達成に貢献してしまうという近代独特の皮肉な表現に他なりません。(「知性のために」 蓮實重彦)
どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』)
・同じ主題をめぐり、同じ言葉を語りうることを前提として群れ集まるものたちのみが群衆といいうやつなのだ。彼らが沈黙していようと、この前提が共有されているかぎり、それは群衆である。P7

・説話論的な磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は、語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかはないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっとも意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。P27

・制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それがこの章に冒頭で触れておいた現代的な言説なのである。その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こそが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが、『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。P50(『物語批判序説』)

おわかりだろうか、これらの振舞いだけはやめにしなければならぬ。ギリシア人であることを装うーーわれわれはニーチェやゴダールのように真のギリシヤ人ではありえないとしたら、次善の策は、ドゥルーズや蓮實重彦のようにギリシア人の「仮面」を倒錯的につけることだ。





樫村晴香がいみじくもドゥルーズ批判の論文で最後にポツリとドゥルーズ顕揚の言葉を語っているように、「音楽を聴くように」対象と接すること。それが蜘蛛になることである。

例えばニーチェの永劫回帰は、 Dz の「理論構造」から判断する限り、永劫回帰の隠喩として受容‐処理されているが、現 実には、Dz はすべての言説を、隠喩ではなくそれこそ「音楽を聴くように」、または小説の エクリチュールを読むように、「半覚醒的に」受信していたのだろう。そしてその感覚があれ ばこそ、意味作用を完全に確定することなく宙吊りにし、理論的分節を半ば未確定に開い たまま次々進み、個々の論点相互の差異へは鷹揚なまま、すべてを取り入れ絶え間なく 移動していく、増殖するエクリチュール‐小説のごとき彼の記述スタイルが可能になる。こ の半覚醒性において、意味作用は言葉が記憶=意味内容に十全に回付=変換される過程 にではなく、言葉に次の言葉が重なり、ずれ合い、その相互の差異が直接に生み出す共 鳴に、帰属する。子供が泣き、豚が叫び(キャロル)、Kの分身の学生が走り、廷丁が走る (カフカ)。意味はそれぞれの言葉がもつ記憶にではなく、言葉(セリー)相互の間の表層 にあり、それは反復される音楽のテーマ間の差異‐変奏、揺れる木の枝の一瞬ごとの差異 ‐移動と同じである。それは差異というより「微分」であり、その概念にこそ Dz の内発的感覚がある。(「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香)

ロラン・バルトも言っているではないか。学者さんたちよ、「器官なき身体」について、がたがたピントはずれのことをもうこれ以上書かないでほしいと願う。

愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(バルト『テクストの快楽』)

だが、「とはいえ」とする樫村晴香の言葉を、ここで〈あなた〉のためにつけ加えておくぐらいの親切心は、わたくしにはある。これが凡庸さというものだ、--《それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。》

……とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? しかし事態はそのように単純でなく、Dz のある種の啓蒙的スタイル(確かにそのせいで彼の本はクロソフスキーの数倍読まれたが)は、彼が幻想(永劫回帰)に対してもつ、ニーチェとは異なる固有の位置関係に由来する(そしてこの問題の責は、結局ベルグソンに帰せられるべきように思われる)。(『ドゥルーズのどこが間違っているか? 強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点』)





事実そのとおりにあれらケンキューシャ諸君の不感症ぶりのなんというさま! なによりもまず解説書を書くことを書くことと勘違いしておられる! 《私たち他の者、私たち静穏なる者がヴァーグナーに欠けているのに気づくものに、どうして彼らが気づくことができようかーー悦ばしき知識 la gaya scienzaに、軽やかな足に、機智、熱火、優雅に、大いなる論理に、足の舞踏に、気力あふれる精神性に、南方の光のわななきに、滑らかな海にーー完全性に・ ・ ・》(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』)


ところで冷感症の女性は、男たちをわたり歩くそうだ。あのケンキューシャくんたちの好奇心の旺盛ぶりもそのたぐいではなかろうか、すなわち、あれやこれやと好奇心でいろんなことに頭をつっこむのは、オーガズムの経験がないせいではないか。

性興奮不全の冷感症のタイプの女性たちは、飽くことを知らない性的な欲求を持っているように見える。もし彼女らが超自我の抑圧に打ち勝つのなら、ひとりのパートナーから他のパートナーたちに渡り歩いていく、だが、ああ、なんという空しく! すなわち新しい経験が熱望されたオーガズムを齎してくれるのではないか、というわけだ。稀なケースでは、レイプ、鞭打や暴力の無理強いの様相を想定する限定されたファンタジーに拘わってのみ膣によるオーガズムが実現されることがある。(冷感症と支配欲動Bemächtigungstrieb)

わたくしはここで親切心をさらに露わにして、鞭打ちや緊縛の画像は貼り付けるべきだろうか。いやいまはそこまでしてまで「恩寵」やら「オーガズム」を促すつもりはない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

蛇足ながら、これらの文はわたくしが語っているのではない、ニーチェその人が、現代の温和な仔羊たち、〈あなたがた〉に--それはわたくしも含めたければそうしたらよいーー言っているのだ。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

ところでラカンの娘婿であるジャック=アラン・ミレールもわたくしと同様、荒木経惟ファンであるのか、『A New Kind of LoveJacques-Alain Miller』なる記事に、アラキの画像が貼り付けてある。





ああ、こうやってその一語を口に出してしまった、しかも緊縛画像をも。これは、わたくしの凡庸さのなせる技である。

さて、ところでひょっとしてJudith Miller Lacanは、冷感症タイプなのではないか、とわたくしは疑わないでもない。