「アンコール」第7講、の冒頭で、性差の論理は、まず、量記号を用いた4つの命題式によってしめされる。

とりあえず、ラカン自身の説明を聞いてみよう。
言葉を話す人間であるならば、だれでもこれら左右のどちらかの側に記入されます。左下のは次のことを示しています。すなわち、男根の機能によって、「すべて」としての男性は記入されます。ただしこの機能には限界があります。それは
の機能が否定されるひとつのxの存在、つまり
によってです。父親の機能と呼ばれているものがそれです。この機能によって否定が付されて
といった命題が成立します。
は去勢によって、いかなる方法によっても書き込まれることのない性的関係を補足するsuppléerものの活動を支えるのです。「すべて」はそれゆえ、
を全面 的に否定するものである項として定められた例外にもとづいているのです。
反対側には語る人間の女性の側の記入がみられます。語る人間はだれでも、フロイト理論はっきり述べられているように、そのひとが男性の属性を有していようといまいと――この属性についても定義づけしなくてはならないでしょうが――この部位 に記入されることが許されます。そこに記入されると、そのひとは、いかなる普遍性をももつことができません。すべてではないpas toutものとなります。ラカンの4つの式は、伝統的論理学の4つの命題、全称肯定命題(A)、全称否定命題(E)、特殊肯定命題(I)、特殊否定命題(O)のそれぞれに対応するものである。 しかしながらラカンは伝統論理学に修正を施しているのであって、それがかれ独自の表記の仕方として表されているのである。に自己を位 置づけるかそうしないかといった選択権を与えられるかぎりそうなのです。
両者を比較してみよう。

1) 伝統的論理学の関数fonctionを示すfはラカンにおいてはファルスをしめすΦに置き換えられて いる。
2)〔2〕と〔6〕、〔4〕と〔8〕との間には否定を表す―の記号の付され方がことなっている。
1) については次のような説明がなされよう。
フロイトの『ト-テムとタブ-』における原父は、去勢をまぬかれた唯一の男子である(



ついで2)についてであるが、普遍命題 注)に否定がふされる場合、それは法のカテゴリ-に対してでなければならない。



注)universaireをここでは全称命題ではなく普遍命題とした。そもそも伝統的論理において「すべて」が普遍と同一視されるところに問題があるのである。
※ヒステリーの、ヒステリーのための、ヒステリーによる精神分析 (向井雅明) 『imago (イマーゴ)』 Vol.7-8,1996にも同様な説明がある。