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2013年10月2日水曜日

音と沈黙の「地」と「図」

音がきこえはじめたとき音楽がはじまり、
音がきこえなくなったとき音楽がおわるのだろうか。
音楽は目に見えないし、なにも語らないから、
音のはじまりが音楽のはじまりなのか、
音のおわりが音楽のおわりなのか、
音楽のどこにはじまりがあり、おわりがあるのか
さえわからない。

ーー高橋悠治『音楽の反方法論的序説』4 「めぐり」)


たとえば、音が運動によって定義されるとすれば、
音でないものも運動によって定義されるゆえに、
音が内部であり、音でないもの、それを沈黙と呼ぼうか、
それが外部にあるとは言えない。
境界はあっても境界線はなく、
沈黙は音と限りなく接していて、
音が次第に微かになり、消えていくとき、
音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。
逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、
ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。
運動に内部もなく、外部もなく、
それと同じように運動によって定義されるものは、
内部にもなく、外部にもなく、だが運動とともにある。 だから、
「音楽をつくることは、
音階やリズムのあらかじめ定められた時空間のなかで、
作曲家による設計図を演奏家が音という実体として実現することではない。
流動する心身運動の連続が、音とともに時空間をつくりだす。だが音は、
運動の残像、動きが停止すれば跡形もない幻、夢、陽炎のようなものにすぎない。
微かでかぎりなく遠く、この瞬間だけでふたたび逢うこともできないゆえに、
それはうつくしい」

ーー同16 「音の輪が回る」

高橋悠治が沈黙について語るとき、
きっと武満徹の言葉を思い出しているに違いない

私はまず音を構築するという観念を捨てたい。私たちの生きている世界には沈黙と無限の音がある。私は自分の手でその音を刻んで苦しい一つの音を得たいと思う。そして、それは沈黙と測りあえるほどに強いものでなければならない。(武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』)
私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態(同上)

もっとも
武満徹のことばはそのまま信じるには美しすぎる
との疑いを持ちながら

武満自身がことばのひとだった。スケッチブックにさまざまなことばを集めながら作品の構想を得ただけでなく、自分の音楽についてもたくさんのことばを残したために、武満を論じた他人の文章のほとんどは、それらのことばを論じているか、それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている。

かれが自分の体験について語ったことばも、たいへん魅力的だが、真実であるにはあまりにうつくしい。かれが自分と自分の作品のまわりに織り上げた伝説にとらわれずに、このひとを語るためのことばは、まだ存在しない。もし、かれの音楽がこれからも忘れられずにいれば、ことばに覆われているかれの生と音楽を解き放つ考証も、いつかは可能になるだろうか。(武満徹の「うた」 高橋悠治

沈黙に耳をすます武満徹はアレグロを書けなかった

「二つの作品」、と言っても3曲の未定稿があり、いたるところで音を訂正しかけたまま放棄されている。アレグロの音楽を書こうとして苦しんでいたらしい。始め と終わりのある「音楽」らしい音楽を書こうとして、始めることはできても、終わりにたどりつけなかったのかもしれない。

「二つの小 品」、またアレグロ。すぐ終わってしまう。やはり、一つのはじまりだけでアレグロを書くことはできない。アレグロとは速度ではなく、擬似的二元性だから、 元気よく走り出すためには、元気なく取り残されるものを必要とする。これをソナタ形式と呼んでもいいが、それこそ近代的父権主義の音楽でなくてなんだろ う。武満は、幸か不幸か、アレグロを書くことができなかった。

それにつづくのは、のちに「二つのレント」の第1曲になるものの発 端。これは何回と無く書きなおされて、完成された版は、批評家の山根銀二に「音楽以前だ」と言われたほど、このフレーズのまわりをひたすらめぐる。対立を もたないことは、構成をもたないことではないが、ドイツ的音楽観は対立と闘争を絶対視する。

レントは、武満の身体が受け入れることのできた音楽の時間だった。ピアノで一つ一つの和音の響をたしかめる作曲家の身体。さまよう手がさぐりだ した響の余韻に立ち止まりながら、時には激しくぶつかる音程を打ち込んでみる。(同上)


音と沈黙は、どちらが地で図なのだろう
これが高橋悠治の問い(のひとつ)だ

そして《答がある問いは ほんとうの問いではない》

質問してはいけない
  なぜなら と師は言われないが
            わからない者がする質問は
           その水準での誤解にもとづいている
 それに応えれば その水準から出られなくなる
     そしてわかれば 質問してもむだだとわかる
 質問はなくなっても 問いはのこる
        あるいは答のない問いだけが生きつづける

ーー3月の練習  高橋悠治

《沈黙は音と限りなく接していて、 音が次第に微かになり、消えていくとき、 音がすべりこんでいく沈黙はその音の一部に繰り込まれている。 逆に、音の立ち上がる前の沈黙に聴き入るとき、 ついに立ち上がった音は沈黙の一部をなし、それに含まれている。》

ーーこの問い
だがそこに中井久夫の「記号」、「徴候」、「余韻」の問い
と近似したものをわたくしは読んでみたい誘惑に駆られる

「この世界が、はたして記号によって尽くされるのか。なぜなら、記号は存在するものの間で喚起され照合され関係づけられるものだからだ。」「世界は記号からなる」という命題にふと疑問を抱いた。

「いまだあらざるものとすでにないもの、予感と余韻と現在あるもの―――現前とこれを呼ぶとして―――そのあいだに記号論的関係はあるのであろうか。」「嘱目の世界に成立している記号論と、かりに徴候と予感や過去のインデクス(索引)と余韻を含む記号論があるとして、それを同じ一つのものというのは、概念の過剰包括ではないか。そのような記号論をほんとうに整合的意味のある内容を以って構成しうるのか。ひょっとすると、スローガン以上にでないのではないか。」

「ではどういうものがありうるのか。」「世界は記号によって織りなされているばかりではない。世界は私にとって徴候の明滅するとことでもある。それはいまだないものを予告している世界であるが、眼前に明白に存在するものはほとんど問題にならない世界である。これをプレ世界というならば、ここにおいては、もっともとおく、もっともかすかなもの、存在の地平線に明滅しているものほど、重大な価値と意味とを有するものではないだろうか。それは遠景が明るく手もとの暗い月明下の世界である。」(中井久夫「世界における索引と徴候」)

だが高橋悠治の問いからは
安易に記号を音とすることさえできない
ましてや徴候と余韻を沈黙とするなど
あまりに単純な頭脳のなせる技
だろうか?


《予感というものは、……
まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして
息をひそめているという感覚である。
むつかしいことではない。
夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。
(……)

余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、
残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。
驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと
安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。》(中井久夫「世界における索引と徴候」)

音楽を聴くとき徴候と余韻を楽しむ
ということはたしかにある
それがもっとも貴重なもの
だと錯覚に閉じこもることがある

あるいは、ロラン・バルトのいう「ゆらめく閃光」

その効果は切れ味がよいのだが、しかしそれが達しているのは、私の心の漠とした地帯である。それは鋭いが覆い隠され、沈黙のなかで叫んでいる。奇妙に矛盾した言い方だが、それはゆらめく閃光なのである。(『明るい部屋』)

ただし、こう語られるのは、いわゆる「写真論」のなかである


ところでジジェクによれば
ラカンは、沈黙は「図」で
音は「地」である、と語っているらしい

"Why do we listen to music?": in order to avoid the horror of the encounter of the voice qua object. What Rilke said for beauty goes also for music: it is a lure, a screen, the last curtain, which protects us from directly confronting the horror of the (vocal) object. When the intricate musical tapestry disintegrates or collapses into a pure unarticulated scream, we approach voice qua object. In this precise sense, as Lacan points out, voice and silence relate as figure and ground: silence is not (as one would be prone to think) the ground against which the figure of a voice emerges; quite the contrary, the reverberating sound itself provides the ground that renders visible the figure of silence.

ーーSlavoj zizek, "I Hear You with My Eyes"; or, The Invisible Master

もっともこれはジジェクの「自由間接話法」であり
ラカンがどこで語っているのかは探しだせないでいる

地と図についてはいろいろ語られてきた

「地」と「図」が基礎的であるとしても、それらが相互に反転してしまうことを禁止できないところにある。最も基礎的な与件である「一つの地の上の一つの図」ということの決定不可能性が疑われないのは、現象学的方法の限界である。(柄谷行人『隠喩としての建築』)




ジジェク=ラカンの主張も、
わたくしたちの「常識」を覆すものとしてのみ捉えるべきで
つねに「地」と「図」は相互に反転する
ウィトゲンシュタイン「うさぎ─あひる図」の話を想起してもよい

ウィトゲンシュタインは言う。私たちはこの図を、うさぎの頭としても、あひるの頭としても見ることができる。つまりこの絵は、二つの(そしてそれ以上の)異なる「アスペクト」で見られうる。しかし私たちは、いま自分にその図がどのように見えているかを、その図を描いたり、模写したりすることによっては示しえない。(平倉圭「バカボンのパパたち」

音楽においてもっとも美しいものは沈黙である、とアンドラーフ・シフはいう
すぐれた音楽教育の場でしばしば言われてきたように
「間」を聴くこと、「沈黙」を図とすること?





ここではあえて「間」と「徴候」「余韻」の作家
ヴェーベルンについては触れない
とくに何度か引き合いに出した初期のOP.5については
だれかが、吉田秀和やブーレーズが、似たようなことを語ったから
《それらを通してかれの音楽を聴いたつもりになっている》のかもしれない
ウェーベルンはOP.5を後年オーケストラ用に編曲しているが
わたくしにはその長びく余韻、切れ味のなさにほとんど耐えられない
指揮者、演奏にもよるのだろうが、耳をすます態勢が殺がれてしまう


齢を重ねるにしたがって
大きな音に耐えられなくなり
アンダンテやアダージョ、レントの曲を
好んで聴くようになっている


もっともあるいは爆音かつアレグロの曲を聴いても
ホワイト・ノイズを聴く瞬間がひとにはあるだろう

60年代のミニマル・ミュージックは、
西洋楽器や民俗楽器で単純な音形を反復し、
それらの重ね合わせがモワレ効果で
意識をトリップに誘い込むといった
「知覚の現象学」を追求したが、
テクノミニマル・ミュージックは、
正弦波や白色雑音[ホワイト・ノイズ]といった
もっと基本的な要素を反復し、
正弦波同士が相殺しあって無音に聴こえるといった
「知覚の機械学」を追求する。
それは20世紀音楽が最後に到達した文字通りの零度なのだ。》(浅田彰

《砂や頁岩を洗い、
流木や防波堤に砕ける水の無限の変奏を捉えるためには、
思考速度を落とさなければならない。
それぞれのしずくはどれも違った音高で響き、
尽きることなく供給されるホワイトノイズに、
波がそれぞれ異なったフィルターをかける。
断続的な音もあれば、連続的な音もある。
海では、両者が原始の調和の中に融和している。》
マリー・シェーファー:作曲家、サウンドスケープの創始者、鳥越けい子他訳)


 ……たとえば、幻聴であるが、まず、幻聴はふしぎなものであるといっても、人間の神経系には幻聴を起こす能力が備わっている。たとえば、ほぼ一定の間隔で同じ音をボツボツボツと聞かせると、ただの音に聞えては次には言葉に聞こえ、またただの音に聞こえるということを繰り返す。また、外からの音がなくても、頭の中には血の流れる音が本来はやかましく聞こえているのを、フィルターをかけて消しているので、非常に静かな環境ではこの音が聞こえる。年をとってフィルターの力が弱まると、これはドクドクという耳鳴りとして聞こえるようになる。それが時々声になることは多くの老人が経験している。

しかし、こういう幻聴は「大丈夫ですよ」でお終いになる。幻聴が恐怖や不安を生むのは、それが不思議だからだけではない。何に対する警戒かわからないでしかも警戒心が高まっている状態が土台になっているからである。そういう時はすべての感覚が鋭敏になっているので、舌の先に赤いブツブツが見えたりする。これは味覚が鋭敏になっているのである。しかし、特に聴覚が敏感になるのは、聴覚が元来ウサギのように警戒のための感覚だからである。そうすると低い完全雑音(ホワイトノイズ)を拾って言葉として聞いてしまうのは、上に述べた幻聴を起こす能力による。実際、無意味な音を無意味なまま聞き流すほうが脳には無理なのである。深夜の静かさを無数の音がひしめいているように聞いてしまう、アレである。この場合、頭の中なのか頭の外なのか、区別がそもそもつかない。人間の精神は起こる感覚が内のものか外のものかを区別するようにしているが、いつも間違わないとは限らない。特に完全雑音の場合は内外の区別が難しい。それがどういう言葉になるかは、多分、その時に考えるともなく考えていた事柄と関係があるのだろう。深刻な幻聴もそうでない幻聴もあり、暗い内容もあるが明るい内容もあるのはそのためであろう。(中井久夫「症状というもの」『アリアドネからの糸』所収)


シューマンの幻肢としての音もある

《人間の足 でも手でもいんですけど、
事故や戦闘などで切断したあとで、
幻肢痛というのがあって、(……)幻肢痛というのは、
存在しない身体器官の先端が痛 んだり疼いたりするという感覚のことで、
ベトナム戦争の戦闘で身体器官を失った人が、
もう無いはずの左足の先端が痛いといったようなことがよく書かれていました。
これは、つまり人間の身体が外形的な物理的存在として、
自分の頭脳なり感覚のなかで統合されている、
という考え自体が実は幻想に過ぎないのかもしれない、
ということを考えさせます。
身体とは、存在しない自分の肉体をも
同時に引きずっているようななにかだ、ということ》



痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。

この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。

音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。

ーーミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』(千葉文夫 訳) 


シューマン研究者でもあるチェリスト
スティーヴン・イッサーリスのバッハ・サラバンド





数々の名演はある
ロストロポーヴィチ
など

わたくしは少年時代、最初にフルニエで聴いたのだが
このサラバンドに関してはもう聴くことは難しい

ロシア人たちの演奏は素晴らしいが
響かせすぎるところがあると最近は感じる

ヨーヨーマは練習風景の映像で
より優れたものがあったはずだが
いまは探しだせないでいる


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》

これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》(岡崎乾二郎に関するテキスト 古谷利裕


上で問われた得体の知れないものは、もちろん「沈黙」である

そして厄介なのは「得体のしれないもの」生み出す技術を獲得したにしろ
受け手がそれを感じとる耳をもっているかどうかはまったく別の問題であり
人びとは驚くほど馬鹿になっています」の時代ならば
そんな「得体のしれないもの」はうっちゃって
次のように叫びたいヤツがほとんどだということだ

聴衆は言う。「何という個性、何という大胆さ、何という芸術家、何というピアニストなんだろう!」。ソナタの演奏がへたくそなことは言わずもがなだが、誰もそんなことは気にもしない。そもそも、ほとんど曲を聴いてはいないのだ。(アファナシエフーー青空のさなかで耐えること

もちろん以前もそうだったのだろう
だが現在はいっそうじっくり聴くことが少なくなって、
「名前」でのみ語るようになってきているはずだ

いわゆる文化の大衆化現象は、たんなる量的な変化をいうのではなく、芸術的な記号の流通形態の変化なのである。(……)そのとき流通するのは、記号そのものではなく、記号の記号でしかない。(……)読まれる以前にすでに記号の記号として交換されているのである。(大衆が芸術作品を讃美するのは)みずからも、記号の記号としての固有名詞の流通に加担したいという意志にほかならない。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

オレもひとのことは言えないが叫ばないようにだけはしているつもりだ

彼らは、芸術作品に関することになると、真の芸術家以上に高揚する、というのも、彼らにとって、その高揚は、深い究明へのつらい労苦を対象とする高揚ではなく、外部にひろがり、彼らの会話に熱をあたえ、彼らの顔面を紅潮させるものだからである。そんな彼らは、自分たちが愛する作品の演奏がおわると、「ブラヴォー、ブラヴォー」と声をつぶすほどわめきながら、一役はたしたような気になる。しかしそれらの意志表示も、彼らの愛の本性をあきらかにすることを彼らにせまるものではない、彼らは自分たちの愛の本性を知らない。しかしながら、その愛、正しく役立つルートを通りえなかったその愛は、彼らのもっとも平静な会話にさえも逆流して、話が芸術のことになると、彼らに大げさなジェスチュアをさせ、しかめ顔をさせ、かぶりをふらせるのだ。(プルースト「見出された時」)

…………


《ソレルスによれば、何年か前あるフランスの若者のグループが、わざとランボーの「イリュミナシオン」をコンピュータで打ち直し平凡な作者名をつけてフランスの幾つかの主要な出版社に原稿を送りつけたらしい。新人の詩人が出版の是非を打診したみたいに。結果は予想どおりすぐに出た。全員が「拒否」!》(鈴木創士)





2013年10月1日火曜日

「おっかさんと蛍」(小林秀雄)

資料をまとめるといっておいて、投稿していないのだけれど、とりあえずいくつかの抜粋のみ。

未定稿としておこう(小林秀雄批判をもっとも厳しくしたのは高橋悠治なのだが、悠治を読んでいて関心が別のところにいってしまった)。

…………

以下、「戀戀風塵と童年往事(侯孝賢)」に関連していくつかの資料を並べる(あるいは、「小林秀雄の勾玉の話」、ロラン・バルトの「ベルト付きの靴と首飾り」にかかわる)。


とくに次の文、これは古谷利裕氏がかなり前に書いたものなのだけれど(岡崎乾二郎などに依拠しつつ)、ひとが芸術についてあれやこれや語っているのを垣間見るとき、いつもこの文のことを思う。

ようするに、何かを感じてしまったとき、どうしてひとに語りたくなるのだろう、という問い。


◆《ある作品を観てそこから決定的な「何か」を感じてしまったとする。その時に感じられた「何か」を、その作品の物理的な組成や仕掛けられた仕組み(構造)に還元し切る事は出来ないだろう。だからその時感じた「何か」が恣意的な気まぐれではないということ、つまり外的な状態と関係なく「私」の頭が勝手につくりだした幻影ではなく、幻影ではあっても、その作品に由来するものであることを証明することは難しい。

ではなぜ、作品から感じられた「何か」が、恣意的な気まぐれではなく作品に由来するということが証明されなければならないのか。それは何も、作品というものを擁護するためではない。もしそれが示さないならば、「私」の感覚が、「私」の外側にある客観的な世界とどのように繋がっているのか分からなくなってしまうからだ。》

◆《ある作品から「何か」を感じたとしても、その「何か」を直接他者に示すことは出来ない。それどころか、その「何か」という感覚を自分自身でもう一度再現出来るかどうかも分からない。》

◆《「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている》(岡崎乾二郎『ルネサンス・経験の条件』「あとがき」)


まあいずれにせよ、空腹のときの「赤」と満腹のときの「赤」は違う。気分のいいときの「赤」と悪いときの「赤」は違う。

自分の青や赤さえこうなのだから、他人の青と自分の青はちがう。たとえば他人と同じ「作品」を愛していた、とする。同好者として、ひとはウレシクなることがあるかもしれない。しかし、互いに微笑み交わし頷きあったりなどしていると、自分だけの固有の印象、経験の質が絶たれてしまうことになりかねない。

人が芸術的なよろこびを求めるのは、芸術的なよろこびがあたえる印象のためであるのに、われわれは芸術的なよろこびのなかに身を置くときでも、まさしくその印象自体を、言葉に言いあらわしえないものとして、早急に放置しようとする。また、その印象自体の快感をそんなに深く知らなくてもただなんとなく快感を感じさせてくれものとか、会ってともに語ることが可能な他の愛好者たちにぜひこの快感をつたえたいと思わせてくれるものとかに、むすびつこうとする。それというのも、われわれはどうしても他の愛好者たちと自分との双方にとっておなじ一つの事柄を話題にしようとするからで、そのために自分だけに固有の印象の個人的な根源が断たれてしまうのである。(プルースト『見出されたとき』)

ちょっと例としてはふさわしくないかもしれないけれど、日本に住んでいたときには、それなりに聴いていたドイツロマン派の音楽を、この亜熱帯の国に住むようになって、めっきり聴かなくなった(ブラームス、ワーグナーなど)ということはある。なぜかシューマンやシューベルトはいける。

あるいは、もともとリルケやトーマス・マンなどを好んでいたのに、いまではフランス以南の文学を好むなどということがある。これも同じ北方でもイギリス文学だったらいける。



【諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか?】

諸君は自分が何を望んでいるか実際に知っているか? ――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安が諸君を苦しめたことはないか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいは諸君がはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと渇望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する欲望! 諸君はまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、諸君が、ほかならぬ諸君がそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、完全で秘密な宿命がいつもある! あるいは諸君は、諸君が冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! あたかも諸君は、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーー諸君の愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 諸君の肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。諸君の病熱は、それらを怪物にする! 諸君の朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 諸君はあらゆる認識の洞窟の中で、諸君自身の幽霊を、諸君に対して真理が変装した蜘蛛の巣として再発見することをおそれてはいないか? 諸君がそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇ではないのか? ――(ニーチェ『曙光』539番)



…………

さて、以下資料。


【おっかさんと蛍】


終戦の翌年、母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたえた。それに比べると、戦争という大事件は、言わば、私の肉体を右往左往させただけで、私の精神を少しも動かさなかった様に思う。日支事変の頃、従軍記者として私の心はかなり動揺していたが、戦争が進むにつれて、私の心は頑固に戦争から眼を転じて了った。私は「西行」や「実朝」を書いていた。戦後、初めて発表した「モオツァルト」も、戦争中、南京で書き出したものである。それを本にした時、「母上の霊に捧ぐ」と書いたのも、極く自然な真面目な気持からであった。私は、自分の悲しみだけを大事にしていたから、戦後のジャーナリズムの中心問題には、何の関心も持たなかった。

母が死んだ数日後の或る日、妙な体験をした。仏に上げる蝋燭を切らしたのに気付き、買いに出かけた。私の家は、扇ヶ谷の奥にあって、家の前の道に添うて小川が流れていた。もう夕暮であった。門を出ると、行手に蛍が一匹飛んでいるのを見た。この辺りには、毎年蛍をよく見掛けるのだが、その年は初めて見る蛍だった。今まで見た事もないような大ぶりのもので、見事に光っていた。おっかさんは、今は蛍になっている、と私はふと思った。蛍の飛ぶ後を歩きながら、私は、もうその考えから逃れる事が出来なかった。

ところで、無論、読者は、私の感傷を一笑に付する事が出来るのだが、そんな事なら、私自身にも出来る事なのである。だが、困った事がある。実を言えば、私は事実を少しも正確には書いていないのである。私は、その時、これは今年初めて見る蛍だとか、普通とは異って実によく光るとか、そんな事を少しも考えはしなかった。私は、後になって、幾度か反省してみたが、その時の私には、反省的な心の動きは少しもなかった。おっかさんが蛍になったとさえ考えはしなかった。何も彼も当り前であった。従って、当り前だった事を当り前に正直に書けば、門を出ると、おっかさんという蛍が飛んでいた、と書く事になる。つまり、童話を書く事になる。

以上が私の童話だが、この童話は、ありのままの事実に基いていて、曲筆はないのである。妙な気持になったのは後の事だ。妙な気持は、事実の徒らな反省によって生じたのであって、事実の直接か経験から発したのではない。では、今、この出来事をどう解釈しているかと聞かれれば、てんで解釈なぞしていないと答えるより仕方がない。という事は、一応の応答を、私は用意しているという事になるかも知れない。寝ぼけないでよく観察してみ給え。童話が日常の実生活に直結しているのは、人生の常態ではないか。何も彼もが、よくよく考えれば不思議なのに、何かを特別に不思議がる理由はないであろう。(小林秀雄「感想」)

【主人とハツカネズミ】

 われわれが、ある一定の条件のもとにある主体に呼びかけるとき、同一化という事実、一種の誤認現象は様々な報告、証言によると限りなくあるということは常に知られてきたことであるし、われわれも確認できることである。

問題なのはどうしてこれらのことが人間存在に起こるのかということである。私の犬とは違って人間存在は、ある動物が出てくるとき、自分の失った人、家族とか、首長あるいは部族のほかの重要人物とかの姿をそこに認めるのである。あの野牛、それは彼だ、というわけである。

もうひとつの例をあげてみよう。ケルトのある農家の使用人の話しからきた民話がある。そこの主人、領主が死んだとき、一匹のハツカネズミが現れ、彼はそれについていった。小さなハツカネズミは領地を一回りして戻って来、農具のある納屋に入り、鋤、鍬、シャベルなどの農具の上を動き回り、それから消えてしまった。ハツカネズミが何を意味するかもうわかっていた使用人はこの後、主人の亡霊が現れるのを見て確信を得るのであった。この亡霊は次のように告げる。「私はあの小さなハツカネズミだった。別れを告げるために領地を一周したのだ。農具を見なければならなかったのは、それが他の何にもまして愛着を感じていた大切なものだからだ。一回りしてやっと開放されることができた。等々」

(……)

同一化の現象を自然なものと考えるために民話に参照することによって、たとえ民話という限界を取り去ってしまうにせよ、私が多少とも満足できると考えることは、私の期待にはそぐわないものである。なぜなら、このことを経験の根底にあるものとして認めたとしても、われわれはそれ以上のことはまったく分からないのである。というのも皆さんにとって、例外を除けば、このようなことは起こり得ないからである。もちろん今でも人里離れた田舎でこういうことが起こることはありえる。しかし、皆さんにはこのようなことは起こり得ないことは明らかである。それゆえこの問題はこれ以上追及できないのである。それが皆さんには起こり得ないという以上、何も理解できないわけであるが、何も理解できないからといって、この出来事に関して冒頭に、レヴィ・ブリュールに倣って「神秘的参入」とか「前論理的思考」とかいう題目をつけるだけで十分だとは考えてはならない。われわれにとって重要なのはこの同一化と呼ばれる可能性の関係を、言語においてそして言語によってのみ存在するもの、つまり真理がそこから出てくるという意味において把握することである。先ほどの農場の召使いにとってはわかっていない同一化がその真理の中にあるのだ。「AはAである」の上に真理を置くわれわれにとってそれは同じことである。(ラカン『同一化セミネール』向井雅明訳)要約:セミネール9巻「同一化」第I講〜第X講

【蛍と勾玉】

●ある作品を観てそこから決定的な「何か」を感じてしまったとする。その時に感じられた「何か」を、その作品の物理的な組成や仕掛けられた仕組み(構造)に還元し切る事は出来ないだろう。だからその時感じた「何か」が恣意的な気まぐれではないということ、つまり外的な状態と関係なく「私」の頭が勝手につくりだした幻影ではなく、幻影ではあっても、その作品に由来するものであることを証明することは難しい。

ではなぜ、作品から感じられた「何か」が、恣意的な気まぐれではなく作品に由来するということが証明されなければならないのか。それは何も、作品というものを擁護するためではない。もしそれが示さないならば、「私」の感覚が、「私」の外側にある客観的な世界とどのように繋がっているのか分からなくなってしまうからだ。

私の感じる「何か」がたんに私の内部に由来するのではなく、外側にある世界に対応するものだということを示すのは実は簡単なのかもしれない。それは私が私の生命を維持することが出来ているという事実によって証明される。私は私の感覚によって生命を維持するのに必要な行動をし、危険を察知してそれを避ける。もし私の感じる「何か」が恣意的なものに過ぎなかったとしたら、私は生きていることが出来なくなってしまう。

しかし、私は決して私がそのような動物的な感覚だけで生きているわけではないことを知っている。

例えば、「絵に描いた餅」を、それが絵で食べられないことを知っていたとしても、よだれが分泌されてしまったりする。その時、それが絵であって食べられないと知っていることと、にも関わらずよだれが出てしまうこと(ある「何か」を感覚してしまうこと)とは分裂している。作品を観てそこから「何か」を感じ否応なく心が動かされてしまうとき、まさにこのような分裂が生じている。作品そのものと、そこから得られる感覚=経験は別のものであるのだが、しかしその感覚=経験は作品に由来する、というように。


●このような事態について、「文學界」2002年6月号に掲載された座談会『小林秀雄の「恥ずかしかった」』(福田和也、山城むつみ、岡崎乾二郎)は興味深い考察を示している。

ある作品から「何か」を感じたとしても、その「何か」を直接他者に示すことは出来ない。それどころか、その「何か」という感覚を自分自身でもう一度再現出来るかどうかも分からない。もう一度同じ作品の前に立てば再び「何か」を感じることは出来るだろうが、その「何か」が前の「何か」と同じなのか違うのかを比較することは出来ない。しかし、にもかかわらず、ある作品から「何か」を感じ取ってしまったという事実は動かせないものとして残る。

『感想』の冒頭で小林秀雄は、蛍を見てそれを「おっかさん」だと感じたという話を書いている。これはとても複雑な事柄だ。玄関の前に死んだはずのおっかさんが立っていて、よく見るとそれは蛍だった(あるいはいつの間にか蛍に変わっていた)というわけでもないし、おっかさんが蛍の姿であらわれたという事でもない。はじめからそれは蛍として知覚されているにも関わらず、しかし同時におっかさん(という感覚)でもあるのだ。

それは、絵に描いた餅が絵であることを知っているのに、よだれが垂れてしまうのと同様に、蛍であるのにおっかさんという感覚を生み出すのだ。蛍という知覚と、おっかさんという感覚は別のものなのだが、その時に感じられたおっかさんという感覚は目の前の蛍に由来するとしか思えない、という経験。このような経験を他者に対して示そうとするとき、どうしてもそれを物語として組み立てるしかなくなる。しかしその物語は、母親を失った男性の心情を表現するものとして読まれたり、あるいは霊魂が存在することを信じるという話に置き換えられたりしてしまうだろう。(だから小林秀雄は、そのような物語を書きながら、これはそういうことではない、こういうことでもない、ただこれだけのことだ、と否定を積み重ねるしかない。)

このような「感覚」の話はとても微妙なものだろう。ただ、その蛍が「私」にはおっかさんとしか思えなかった、というならば、その経験がいかにその「私」にとってリアルで切実なものであったとしても、それは他者を必要としない。そんな話をされても、ああ、そうですか、という以外に受けようがないだろう。(もしこれが、おっかさんを亡くして悲しいから、何でもかんでも、何を見てもおっかさんを思い出してしまう、という話だったら、本人にとっては切実でも全く詰まらない話でしかないだろう。そうではなくて、厳密に、その蛍こそがおっかさんであった、という話でなければ重要ではない。)

そのような経験の「質」は、それを経験した「私」の外側からは判断のしようがない。しかし、それを経験した「私」にしたところで、現在の私は、まさにそれを感覚=経験している時の「私」ではないのだから、判断のしようがないわけなのだ。

しかし、芸術作品とは、まさにそのような、判断しようのない「経験の質」にこそ関わるものであるだろう。芸術作品の質を判断するということは、それを経験した「私」にも判断しようのない経験の質を、それでも判断するということであるし、芸術作品を分析し批評するということは、本来他者を必要としないものかもしれない「経験の質」を、それでも外に向けて露わにして、他者に供するものとすることだと言えるかもしれない。

なぜそんなことが必要かと言えば、私の感じた感覚=経験が、決して私の内部のみに由来するものではなく、この世界の有り様に対応して生じたものであるということが信じられるために、つまりこの世界の実在が信じられるために必要なのだと、とりあえずは言えるだろうか。(註・ぼくは新しく出た小林秀雄全集で『感想』を全部読んではいません。古本屋で買った筑摩書房の「小林秀雄・集」で連載の第1回めを読んでいるだけです。)
(つづく)

●昨日挙げた「文學界」の座談会で岡崎乾二郎が、小林秀雄の蛍体験をベルグソンの『道徳と宗教の二源泉』のなかのエピソードと重ね合わせている。それは、ある女性が、エレベーターのドアが開いているのでそれに乗ろうと急いで接近してゆくと、点検係の男に後ろから引っ張られて立ち止まった。しかし実は点検係などそこには存在しなかった。よく見るとドアは間違って開いているだけでエレベーターなど来てはおらず、点検係に引っ張られなければそこから落下していたかもしれない、という話だ。だが、この話が小林氏の蛍の話と決定的に違うのは、たしかにこの女性の感覚=経験の質をその外側から計るとこは出来ないにしても、その点検係の幻影によって女性は生命の危機を回避することが出来たのだから、その感覚=経験の現実性(つまり女性の恣意的なきまぐれではなかったということ)が、事後的に確認出来るということだろう。確かに点検係の男は幻影かもしれないし、その幻影がどのようなメカニズムによってあらわれるのかはわからないが、その幻影には現実的な根拠があることが確認できる。(黒沢清風に言えば、幽霊の「実在性」が確認出来る。)

だからこの話は、どちらかというとフロイトが(確か)『機知』で書いていた話、嫌な奴のことを思いだして会いたくないと思っていたら、そいつが向こうからやってきたという話、つまり見えているのに会いたくないからその事実を否定して「見えていない」ことにし、一度否定したものに再び出会った、という話に近いように思う。

対して、小林氏の蛍= おっかさんという経験の質や現実性は、その当人である小林秀雄自身にしか、いや、正確には小林氏本人でさえも判断することは困難であるし、それを外的な事象によって確認することは出来ない。

ある作品を観ることで生じる感覚、あるいはイメージというのは(そして、作品を作ろうとするとき、あるいは作ってしまうときに生じている感覚、イメージは)、小林氏の言う「おっかさん」のようなものの方に近い。なぜか確信をもってそれを「おっかさん」だと感じてしまい、しかしその確信の根拠はどこにも見つけられない。その感覚=イメージの正当性を確認する術はない。感覚=イメージを扱うこと、それをつくり出そうとすること、感覚=イメージについて思考しようとすることの困難にはこのような理由がある。

例えば、近代絵画的な「趣味」ということが言われる時、ある特定の趣味(=感覚=イメージ)がある程度共有されていることが前提とされるが、しかし、その「趣味」のあり方そのものを直接明示することは出来ない。それは個々の具体的な作家や作品に対する評価や分析の仕方によって暗示したり推測したりできるだけだ。

このとき、実は趣味などという具体的な感覚があるわけではなく、趣味とよばれる(特定の言説空間にだけ有効な)特定の言語の「用法」があるだけだ、と言語ゲーム的に言うことも出来るし、当面はそう考えてやってゆくのが正しいようにも思える。ただ、それだけではやはりどうしても「足りない」のだ。そこには「幽霊」がいるのだ。

●同じ座談会で福田和也は、ベルグソンのエレベーターの話と小林秀雄の蛍の話との違いを、小林氏における「骨董」から「勾玉」への関心の移行とパラレルであると述べている。《『感想』以前の小林秀雄のある種の精神衛生によかったのは、骨董を買っていたことでしょう。買うというのはある意味で賭けることで、全部複製かもしれないけど、(略)所有することのなかにある一種の致命的な選択をしているわけです。》《自分が大枚を出して買って所有することで、物の相対性を売買という社会化された選択のなかで決着をつけてゆくということでしょう。》

つまり、ほとんどインチキと区別出来ない骨董の世界で、自分が「これは良い」と感じてしまったこと(感覚=幻影)の、その判断の確実性を示す根拠はどこにもないとしても、それを売買することで、社会化された言語ゲームの場へとその「質的な判断」を開き、そこに否応なく侵入してくる他者性によって、自らの判断を決着(証明)しようとした、ということだろう。(座談会では、福田氏は岡崎氏が持ち出した「言語ゲーム」という言葉に微妙な抵抗を示しているので、福田氏としては、売買によって「社会化する」というよりも、所有することで自分自身で「決着をつける」というニュアンスを言いたかったのだろう。)

自分が経験してしまった幻影としての感覚=イメージは、それに基づく判断が社会化されること、簡単に言えばその「判断」に他者の承認が得られるということによって、「感覚=イメージ」の現実性が暫定的に証明(決着)できる、とする。そこには実在しなかった点検係という幻影の「現実的な根拠」が、エレベーターが来ていなかったという事実によって事後的に承認されるように、目の前にあるたんなる事物が与えてくる「感覚=イメージ」の価値は、その事物が売買という流れのなか(他者との交換のネットワーク上)に置かれることで、かろうじて保証されるのだ。

しかし『感想』以降の小林秀雄は骨董をあまり買わなくなり、その興味を「勾玉」へと移す。《勾玉は仏教美術屋が扱うものですが、彼らは一番いいかげんで、骨董としてはどうかと思いますが、勾玉になってしまうと信仰の対象になってしまう。》

もはやここでは、ある経験の質が、他者性を招き入れるということでは判定できないというところにまで行ってしまう。あの蛍はおっかさんだと言うしかない。それがどういう性質の経験なのかは知らないが、それを経験してしまったという事実は動かせない、という話になると、その経験は、他者はおろか自分自身でさえも検証不可能なものになってしまうだろう。(小林氏は勾玉を見て、「ここよく見ろ、光が見える」とか言っていたそうだ。)

これはとても危険だ。はっきりと批判されるべきだと言えるかもしれない。しかし、感覚=イメージというものを追求してゆくと、このようなやばいところを避けて通ることは出来ないのではないかという直感は、感覚=イメージを扱い、それについて、それによって考える者なら誰でも持っているのではないだろうか。このような危険な地点でもなお、経験の質が問われ、判断されなければならないとしたら、一体どうすればよいのだろうか。

●このような危険な地点こそが、岡崎氏が『ルネサンス・経験の条件』の「あとがき」で《自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめることはできない》と書いているような地点であるだろう。(しかし実は『ルネサンス・経験の条件』では、徹底して形式的な議論を追求することで、この問題の一番危険な部分を賢明にも周到に避けていると思う。)そして、人が芸術作品などをつくってしまおうと思ったりするのは、このような地点においても「経験の質」の判断は可能であると無根拠に信じ込んでしまうからなのだ。(勿論、いつもいつも確実に信じられているわけではなく、常に揺れているのだが。)

しかし、冷静に考えて本当にそんなことが可能なのだろうか。山城むつみは、勾玉に行ってしまうような小林秀雄を自分は理解できない、他者性を巻き込んでいるような部分にしか興味を感じない、ときっぱり言い切っているのだが(そしてそれはおそらく正しいのだが)、福田氏は、山城氏からの「小林の可能性の中心は骨董と勾玉との切断にあるということですか」という問いに対して、それはわからない、そこで間違ったのかもしれない、という曖昧な保留をしている。ぼくとしてはこの曖昧な保留に同意するしかない。あきらかに「そこで間違った」のだろうけど、間違わざるを得ない何かがそこには確実にあるのだし、そこで間違いを避けてあくまで「正しく」あろうとすることが必ずしも「面白い」とは思えない。(古谷利裕「岡崎乾二郎に関するテキスト」


上に、《自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめることはできない》と書かれているのは、もうすこし詳しく言うなら、「他人が見ている青と自分が見ている青が同じかどうか確かめられない」どころか、「自分が見ている青が自分が見ている青と同じかどうかすら確かめられない」という条件を我々の感覚はもっている、という岡崎乾二郎の文を受けて書かれている。


もっとも岡崎乾二郎の立場は次のようであることを忘れてはならない。


岡崎氏は言う。《だからぼくの立場はやはり形式主義ということになります。そんな得体の知れないものが対象としてあるように見えて、実際は掴むこともできないのはわかっている。よってそれを捉まえるよりも、具体的に手にすることのできる道具や手段でそれ---その現象を産みだすにはどうすればよいのか、そういうレヴェルでしか技術は展開しない。》


これは決して「得体の知れないもの」を軽視しているのではなく、逆に得体の知れないものの「得体の知れなさ」を熟知しているからこその態度なのだ。「得体の知れないもの」の「得体の知れなさ」を固定化してそれにに溺れてしまうことは、その「得体の知れないもの」に触れている時の「経験」の本質を取り逃がしてしまうことでしかないのだ。《だからイメージに取り憑かれて、つまりそう見えてから分析をはじめていてはすでに手後れであると僕は思います。いわば、そう見えなかったものが、そう見えるようになったこの転換こそを、記憶術たらしめるいわば想起の問題として捉まえなければならないと思うのです。》



【小林秀雄の勾玉】

最初の人間が、何か自然の中から、好きな姿を自分で造ろうといった場合の、何て言いますかね、表現、表現、エキスプレッションなんてこと言いますけど、僕らこういうふうにつくったり話したり何かするのはみんなエキスプレッションだけども、今日のようなこの時代は、エキスプレッションは実に複雑に分岐して大変なことになっておりますが、そういうふうなエキスプレッションの元をずっーと尋ねていくと、人間が何もないところから自然の中から、何かをつくり出す。何かの姿をつくり出すという、そういうふうなね、ものがね、感じられるんですよ。それで僕はね大変楽しんですよ。それは非常につよい力で感じられるんです。そういうふうなものを忘れていては、いろんな事が出来ないんです。これが肝心要のものだ。僕は宣長を読んでいて結局書きたいのがそれなんです。宣長がそれを感じていたに違いないということなんですね」(小林秀雄『勾玉について』講演から文字起こし)


※小林秀雄の「勾玉」に関連して、骨董愛玩をやめて古い石を愛するようになった藤枝静男の小説の登場人物(「私小説」であり、ほぼ本人だろう)の話を附記しておこう。


だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、 なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである(藤枝静男「木と虫と山」)









キノコとクリの季節(西脇順三郎)

秋  西脇順三郎


灌木について語りたいと思うが
キノコの生えた丸太に腰かけて
考えている間に
麦の穂や薔薇や菫を入れた
籠にはもう林檎や栗を入れなければならない。
生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。


 「近代の寓話」に「形而上学的神話をやつている人々と/ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ」とあるのを、西脇順三郎自ら、《これは実は「猥談」をしている同僚のことだ》と解説したそうだ。(「記憶の塔」)
http://www.meijigakuin.ac.jp/~gengo/bulletin/pdf/19niikura-kioku.pdf

「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、
散文とはその図式的側面を主にした使用である」
(中井久夫『現代ギリシャ詩選』序文)

詩にどんな徴候を感じるか
それは読み手しだいだ
西脇があれは猥談だといったって
猥談として読む必要はない

『失われた時をもとめて』の初稿のラスクやトーストが
「厳格で敬虔な襞の下の、あまりにぼってりと官能的な、
お菓子でつくった小さな貝の身」
「溝の入った帆立貝の貝殻のなかに
鋳込まれたかにみえるプチット・マドレーヌ」に変わったって
鋳込まれた〔moulé〕ーーmoule(ムール貝)には、女陰の意味があったって
そう読む必要はないように

もちろん朧げながら最初からそう感じてしまう読み手だっている

長いあいだ、プチット・マドレーヌはわたしを苛立たせてきた。(……)何といっても、スプーンのなかでとけ崩れるこの菓子の、色あせた昔の匂いとそのスポンジ状の質感に、なにかそれがいかがわしい、ひょっとすると淫らなことでさえあるかのような居心地の悪さを覚えてきた。(フィリップ・ルジェンヌ「エクリチュールと性」)

ゴモラの女アルベルチーヌが「囚われの女」となって
しきりに求めるアイスクリーム、アスパラガス、牡蠣などだって
ただ食欲旺盛の乙女の好みとだけ読んだっていい

(ここでの比喩は)……カイエ1 のオナニスムのテクストにもあった妙な形の雲が浮かんでおり, しかもそれは帆立貝coquille de Saint-Jacques に似ており,弁がついているvalvé と言うのだから穏やかではない。なぜなら,驚くべきことにこれらの表現は決定稿のマドレーヌの描写にぴったり一致するからである。

Ph. ルジュヌがvalve をvulve に通じるものと考え,マドレーヌの形(……)を女性器に適合したものと考えたのは,決して根拠のないことではなかったのだ。カイエ27 のテクストは何よりもそのアナロジーを雄弁に実証している。と言うのは,女性器としての雲のイメージは直後に来るジルベルトとの接吻の場面を予告し,主人公のリピドーを暗示する性的な風景だからである。(吉田城「プルーストと性的風景」





荒木について騙りたいと思うが
キノコやクリの話ではない
ましてや栗と栗鼠でもない
ヒョウタンを磨きたいわけでもない
麦の穂でつついた薔薇や菫が
なぜ林檎や栗にはやがわりしたのかも
知るところではない
だがおそらく秋のせいだ
さらに晩秋には籠は不用となる
朽ち枯れたキノコの具合をもう考えることもなく
川ばたに季節はずれの蕾を膨らますアマリリスを慈しみ
あるいは谷さきに埋もれた二股大根を愛でるのみ






《微熱あるひとのくちびるアマリリス》(吉岡実)

たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠ってゐる女の子の口に指をいれようとなさつたりすることもいけませんよ、と宿の女は江口老人に念を押した。
「女の子を起こさうとなさらないで下さいませよ、どんなに起こさうとなさつても、決して目をさましませんから…。女の子は深あく眠つてゐて、なんにも知らなんですわ。」と女はくりかえした。(川端康成『眠れる美女』)

《聖天様には油揚のお饅頭をあげ、
大黒様には二股大根、
お稲荷様には油揚を献げるのは
誰も皆知っている処である》(荷風『日和下駄』)

盛リ上ガッテイル部分カラ土蹈マズニ移ル部分ノ,継ギ目ガナカナカムズカシカッタ。予ハ左手ノ運動ガ不自由ノタメ,手ヲ思ウヨウニ使ウコトガ出来ナイノデ一層困難ヲ極メタ。「絶対ニ着物ニハ附ケナイ,足ノ裏ダケニ塗ル」ト云ッタガ,シバシバ失敗シテ足ノ甲ヤネグリジェノ裾ヲ汚シタ。シカシシバシバ失敗シ,足ノ甲ヤ足ノ裏ヲタオルデ拭イタリ,塗リ直シタリスルコトガ,又タマラナク楽シカッタ。興奮シタ。何度モ何度モヤリ直シヲシテ倦ムコトヲ知ラナカッタ。(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』)

聖天様のお饅頭は男女の悩みのため
大黒様の二股大根は破壊と豊饒、
お稲荷様の油揚は大地に蒔かれた種への祈願
いまは誰も皆知っているわけではない







「いちはつのような女と
はてしない女と
五月のそよかぜのようなと
この柔い女とこのイフィジネの女と
頬をかすり淋しい。
涙とともにおどる
このはてしない女と。」(西脇「無常」)







荒木の写真は、自分がいなくても自分が写りこむ「私写真」と本人が称するように、写真家の"存在"を痛烈に感じさせるものだ。直接姿を見せずとも、自分を写真の中に色濃く写し出す。(……)

こうした写真家の意図が、「自然に、ありのままに裸体が存在しているはず」という見るものの思惑を、そして見るものの視線を中断させるのだ。できるだけ写真家の痕跡を消そうとしていたグラビア写真とは正反対の行動である。荒木の写真は、扱う題材が一般的なポルノグラフィーとほとんど変わらない、もしくはそれ以上に過激であるにもかかわらず、「役に立たない」写真であるとされている。伊藤俊治の言葉を借りれば、「孤独な満足」を得られないのである。ポルノグラフィーでは可能だった鑑賞者と被写体との個人的な関除に、第三者として荒木が割って入っているからだ。(「私的な視線によるエロティシズム : 荒木経惟の作品を中心とした写真に関する考察」秦野真衣








荒木の写真に出てくる女性たちは、たいてい裸である。そのうえ大股を広げたり、尻を突き出したりして性器を露に見せることも少なくない。時にはまさに性交の最中に撮られたと思われる写真もある。写された女性たちの姿は、暴力的なポルノグラフィーの姿とほとんど変わりはない。にもかかわらず荒木の写真がポルノグラフィーではないのは、作者の存在があるからであった。(……)シーレの絵の中の女性も荒木の写真の中の女性も、彼女たちの視線を向けている方向をみると、自分の目の前に存在する作者のことしか考えていないように思われる。どんなに笑いかけていても、煽情的なポーズをとっていても、彼女たちの視線は「見る」ものの視線を飛び越えていく。モデルたちはカメラに振られていることに対しては充分に自覚的だが、その背後にある写真を見るであろう無数の視線には反応を示さない。自分にとって重要で、意味を成すのは目の前にいる写真家との関係だけだからだ。(同上)








問題は、この絵に"描かれているもの"だ。裸の女性のポーズは挑発的であるにもかかわらず、この絵はポルノグラフィーではない。その理由を飯田善國は「そこに描かれているのは性の演技ではなく、画家とモデルとの一回限りの、ある微妙な関係だけが真の主題として措かれているから」だと説明する。「一回限り」とは「生」が一回であることによる時間の限定であり、シーレもモデルも共に一回性の中で出会い、生きる。シーレの視線があれほど真撃であるのは、たった一回の出会いを逃すまいと必死だからだ。(同上)











作品がワイセツであるかどうか、そんなことは私にとって何ら興味もない。私に興味があるのは、それが絵としてどれほど完成し、どれほど独創的であったか、ということである。歌麿のすべての版画のなかでも、これほど完成し、これほど独創的なものは、おそらく少い。(加藤周一「対象との距離」『絵のなかの女たち』所収

ーーなどというつもりは、わたくしには毛ほどもない
ただシーレとクリムトを同時に好むヤツは
あまり信用したくないということはある

浅田彰が荒木経惟の写真のウェットな感傷性を批判しても
あまり聴く耳をもたないということもある

荒木経惟は(……)、しみったれた私の人生の断片を薄汚い私写真として切り売りし、臆面もなく俗情に訴えてみせる。あざとい戦略であったにせよまさしく私への撤退だったわけです。もっとも、勤務先の電通のゼロックスを使って写真集をつくってしまうとか、猥雑表現の検閲と戦いながら穴倉のような小部屋を女性器の写真でうめつくすとか、(……)、そこには肥大した私へのだらしない居直りだけがのこるんですね。

 その篠山紀信から荒木経惟へ、極端に外在化されたものから悪い意味で内面化、主観化されたものへ、というシフトが起こった。それは一見、商業的なものから私的なものへのシフトのように見えて、実は私的なものこそが商業的により効果的だったという皮肉な落ちがついたわけです。(浅田彰 中平卓馬という事件)