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2014年8月30日土曜日

絶対的他者への神託の要請にたいする拒否としての「沈黙」

Redmond“Contemporary perspectives on Lacanian theories of psychosis”

In Lacanian psychoanalysis psychosis continues to be an important focal point for new theoretical developments driven by clinical experience. Two important new developments have emerged over the past decade that provide contrasting approaches to Lacan's oeuvre and the theorization of psychosis. Paul Verhaeghe, in On being normal and other disorders:a manual for clinical psychodiagnosticsprovides a fascinating approach to psychosis through his synthesis of Lacanian psychoanalysis with Freud's theory of actual neurosis and psychoanalytic attachment theory research. His theory of psychosis is important as it addresses forms of psychosis “without symptoms.” That is, he engages with aspects of psychosis not easily contained by contemporary psychiatric nosology such as, psychosis without delusions and hallucinations, untriggered psychosis and body disturbances such as hypochondriasis. Moreover, he provides a specific treatment rationale for cases of psychotic disturbances that fall roughly into the schizophrenic spectrum. In contrast, Jacques-Alain Miller's engagement with the “later Lacan” informs his theoretical approach to the emerging field referred to as “ordinary psychosis.” The term ordinary psychosis provides an epistemic category—as opposed to a new nosological entity—for clinicians to address a series of theoretical problems linked to decompensation and stabilization often encountered in the treatment of psychosis (Miller, 2009; Grigg, 2011).

※ヴェルハーゲの「Actual-pathology 」理論についてのいくらかは、<フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」>を参照。


…………

以下、<男の「ペニス羨望」と女の「(去勢)不安」>などにて、コレット・ソレールを引用したときにつけ加えようと思ったのだが、失念。ここに単純なメモとして記載する。


◆向井雅明「ヒステリーの、ヒステリーのための、ヒステリーによる精神分析」(『imago (イマーゴ)』 Vol.7-8,1996,pp.218-237)よりのメモ。


ーーかなり前の論文であり、その後の動きーーたとえば上に書かれるようなミレールの「ふつうの精神病」概念等々の動きーーは考慮されていないにもかかわらず、この時点ですでに「サントームの治療」の要点が、このようにまとめられているのがすばらしい。

精神病を扱うにおいて、大きく考えて、次の四つの要素を手掛かりにして治療を進めることができるのではないだろうか。

――他者のイメージによるイマジネールな支え。ラカンはこの「松葉杖」は主体と大文字の他者との関係がずれていても機能すると言っている。

――狂者の秘書として、精神病者の言うことを中立の立場で聞き取ること。

――治療への努力である妄想の構築。

――サントーム、父の名の代理の症状の構成。

精神病の治療はこれら四つの要素の組み合わせにかかっていると思われる。これらの要素がお互いにどのように関係しているかはこれからの課題として研究していくことが必要であろう。ここでひとつ、実際の症例を見てみよう。これはコレット・ソレールの症例である。

患者は女性で 12 年来ソレールのもとで分析治療を続けている。最初の発症は彼女のただ一人の男友達との離別がきっかけとなっておこった。そのときから彼女はソレールのところにやって来て助けを求めたのだった。治療の開始と共にまず、彼女はソレールにこう言う「質問を出しますけれど、先生のおっしゃる答えはすべて正しいものと見なします。 」 患者は精神病の発症により父の名の排除によるサンボリックの底無しの穴の縁に立たされているのである。彼女の質問は、この穴を塞いでくれるものを分析家に要求することであって、これはそのような返答をもたらすことのできる絶対的な他者への呼び掛けなのである。

これにたいしてソレールは沈黙したまま答えない。それに応えることは危険である。なぜなら、質問に返答することは分析者を絶対的他者の場に置き、それは間違いなく致命的なエロトマニーに結びつくであろう、とソレールは言う。

この患者にたいする治療は三つの軸を中心に進められた。

1-沈黙。この沈黙は、患者から絶対的他者への神託の要請にたいする拒否であるとともに、妄想の構築のための場を残すという機能を果たすものであった。そしてまた、分析家に、患者の言うことを中立な立場で受け入れる証人としての他者の役割をも与えているのである。

2-二番目の処置は二つの要素から構成されるもので、その一つは、患者の父の名の排除による掟、禁止の欠如を補うために分析家の側から拒否を出すことであった。 患者はある男から首を締められようとする、ひとつのジュイッサンスの誘惑に乗ろうとしていた。それにたいして「そうしてはいけない」と言うことで、外部からジュイッサンスを禁止したのである。これはネガティブな介入である。もうひとつは、患者が芸術的な才能の可能性を示したことから、創作の道に進むことを奨励するという、昇華、そして父の名の代理の道に繋がる、ポジティブな介入である。

3-患者の仕事にたいする拒否を認め、年金を受けることをすすめると同時に、彼女にとって仕事をして生活を稼ぐことは(ソレールの言葉によると)一つの“乱用”であるということをはっきりと示してやることであった。実際に、仕事をすることは彼女の生活史のなかで犠牲的行為に結び付いており、それを断ち切るためにこのような介入に踏み切ったのであった。これは微妙で、難しい介入であったが、ソレールは思い切ってこれを行ったのであった。これは決定的な効果を表わし、これ以後患者は分析家を絶対的な他者の場に呼び出そうとすることはなくなり、妄想の構築が始まったのであった。それと同時に患者の状態も良好となった。

この患者は 12 年間ソレールに治療を受けつづけ、いつ治療が終了するかもまだわからないし、安定状態もまだ完全なものではないのであるが、 精神病患者を分析家が治療にあたり、 精神病の一応の安定を得、妄想の構築、もしくは芸術による代理の機能の追及を進めることができるということを証明する貴重なひとつの例である。この症例は、精神分析の方法が、もちろん神経症と同じように適用することはできないであろうが、精神病にも有効であることを教えてくれるのであろう