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2013年8月3日土曜日

おれの心はムクロ(カヴァフィス=中井久夫)

わたしは今の高校生と大学生に、中井久夫の文章を読むことを勧めたい。(……)

日本語の「風味絶佳」とは何かということを若いうちに自分の身体で体験することは重要だ。(……)ぜひ中井久夫を読んでほしい。現代日本語の書き言葉がそれでもなお辛うじて保っている品格は、カヴァフィスやヴァレリーの翻訳を含む中井久夫の文業に多くを負っているからである。》(松浦寿輝『クロニクル』)





浮き彫りの飾り付きの黒い書き机。銀の燭台が二つ。愛用の赤いパイプ。いつも窓を背に安楽椅子に坐る詩人はほとんど目にとまらぬ。部屋のまん中のまばゆい光の中にいて語る相手を眼鏡越しに凝視する。巨きな、だがつつましい詩人の眼鏡。おのれのひととなりを、言葉の陰に、物語の陰に、おのれのさまざまな仮面の陰に隠す。遠い距離にいる、きずつかぬ詩人。部屋にいる者どもの視線をまんまとおのれの指のサファイアの絹ごしのきらめきに釘づけにして、通人の舌で彼らの語る言葉の味利きをする。嘴の黄色い若者が詩人をほれぼれと眺めて唇を舌で湿す時だ。詩人は海千山千。悪食。貪食。血の滴る肉を厭わぬ。罪に濡れぬ大人物。肯定と否定のあいだ、欲望と改悛のあいだを、神の手にある秤のごとく一つの極から他の極まで揺れる。揺れる、そのあいだ、背後の窓から光が射して、詩人の頭に許しと聖性の冠を置く。「詩が許しであればよし、なければ、われわれはいっさいの恩寵を望まない」と詩人はつぶやく。(リッツォス「カヴァフィスにささげる十二詩の一、詩人の部屋」中井久夫訳)


何度か中井久夫訳のカヴァフィス「市」を引用しているのだが、ここでも反復しよう。

「いってたな「ほかの土地にゆきたい。別の海がいい。/いつかおれは行くんだ」と。/「あっちのほうがこっちよりよい。/ここでしたことは初めから結局駄目と決っていた。みんなだ。/おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。こんな索漠とした心境でいつまでおれる?/眼にふれるあたりのものは皆わが人生の黒い廃墟。/ここで何年過したことか。/過した歳月は無駄だった。パアになった。//きみにゃ新しい土地はみつかるまい。/別の海はみあたるまい。/この市はずっとついてまわる。/……/まわりまわってたどりついても/みればまたぞろこの市だ。/他の場所にゆく夢は捨てろ。/きみ用の船はない。道もだ。/この市の片隅できみの人生が廃墟になったからには/きみの人生は全世界で廃墟になったさ」(カヴァフィス「市」中井久夫訳)


《おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。》


「埋葬」といえば、エリオットの『荒地』の第一節の題は、The Burial of the Dead(死者の埋葬)である。

田村隆一は、中桐雅夫訳の『荒地』を引用しつつ次のように謳い呟く(「だるい根」)。

「死の土地からライラックの花を咲かせ、
記憶と欲望とを混ぜあわせ、
だるい根を春の雨でうごかす」

ぼくの家の小さな庭にも細いライラックの木があって
その土が死からよみがえる瞬間を告知する「時」がある
その「時」のなかに
ぼくの少年と青年は埋葬されてしまつたが
まだ
だるい根だけは残つている


老いてくると、《ぼくの少年と青年は埋葬されてしまつた》、
あるいは、《おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ》、と
むなしい気分に襲われることがあるのさ
そうだな、若かりし頃熱狂した音楽や詩
あるいは女に
だるい根のおぼつかない顫えしかない
そんな刻限

まだだるい根は残っている
ときおり掘りかえして磨耗してしまったひげ根の
かすかな残留のさまを慈くしむため
水撒きしてみることだってあるさ
乾ききっているわけじゃない

驟雨のびっしょりした濡れ具合じゃなくていい
霧雨ほどのかすかな濡れ具合でいい
だるい根の表皮を蔽う鈍重なかさぶたが罅割れて
免疫の薄い年頃のかすり傷から新しいひげ根が芽生える
そんなむなしい願いだってないわけじゃない
老少年が埋葬された少年の屍を掘りかえすため


――この中桐雅夫訳「だるい根」は、西脇順三郎訳では「鈍重な草根」だが、これは前者でなくてはならない、すくなくともこの「老少年」にとっては。

「かなしみ」 谷川俊太郎

あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

…………

ところで、中井久夫にはエリオットの詩句の次のような訳がある。


万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである(Human being cannot endure very much reality ---T.S.Eliot)(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』P264


この中井久夫が「超訳」するエリオットの詩句は、逐語訳なら「人というものはあまりに大きな現実 には堪えられない」とでもされるところだ。この詩句は『四つの四重奏』からくるのだろうが、エリオットの原詩では、“Go, go, go, said the bird: human kindCannot bear very much reality.”であり、いささかの相違がある。だが、中井久夫の引用するそのままの詩句あるいはフレーズは、エリオットのほかの詩や論のなかにはみつからず、おそらく、少年時から多くの詩の暗唱の習慣があるとしている中井氏が、その暗唱の記憶で書かれているのだろうと推測する。

ちなみに、バードン・ノートンの第二節には”Protects mankind from heaven and damnationWhich flesh cannot endure.”endureの語が出てくる。


あるいは『四つの四重奏』の「エピグラフ」(ヘラクレトスの英訳)は次の如し。
"Although logos is common to all, most people live
as if they had a wisdom of their own."
"The way upward and the way downward are the same."
Heraclitus

”most people live as if they had a wisdom of their own.”は、《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きているのである》と訳せないこともないだろう。


…………


《ここでしたことは初めから結局駄目と決っていた。みんなだ。/おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。こんな索漠とした心境でいつまでおれる?》

この箇所のギリシャ語原詩は次の通り。






下線部の、中井訳では「おれの心はムクロ。埋葬ずみの死骸さ。」の箇所は、

And my heart is—like a corse--buried (代表的な英訳とされるKeeleySherrard

Mon cceur est enseveli comme un mort (ユルスナール仏訳)

などであり、もし直訳すれば「私の心はーー死体のようにーー埋葬されている。」となるらしい。


この箇所を、各国の十一もの翻訳を引用して比較されている中村幸一という方がおられる(「おれの心はムクロ。」――中井久夫訳『カヴァフィス全詩集』における翻訳技法の研究

この部分の眼目は何といっても、(……)「死体のように」という煮え切らない明喩を、「おれの心はムクロ。」と吐き捨てるような片仮名表記で、ピリオドを打ち、暗喩に転換したことに尽きる、(……)中井訳の、ここまで思い切った、しかも作者の心奥に肉薄し、それに対応する表現を再構成して提示するのは、翻訳というより、詩作それ自体と変わらないであろう。普通の文学研究者に、これはできないのではないだろうか。目に見えない心理を把握し、言語化する精神科医の力はあまりにも大きいことを思い知らされる。


精神科医であることが強調され過ぎているきらいがないでもないが、中村氏のいう通り稀にみる訳であるには相違ない。

《精神科医なら、文書、聞き書きのたぐいを文字通りに読むことは少ない。極端に言えば、「こう書いてあるから多分こうではないだろう」と読むほどである。》(中井久夫『治療文化論』)

しかし、文学研究者のなかにも、「精神科医」のようにしてテクストを読む人たちが、仮に稀にせよ、いるのではないか。

……精神科医は、眼前でたえず生成するテクストのようなものの中に身をおいているといってもよいであろう。

そのテクストは必ずしも言葉ではない、言葉であっても内容以上に音調である。それはフラットであるか、抑揚に富んでいるか? はずみがあるか? 繰り返しは? いつも戻ってくるところは? そして言いよどみや、にわかに雄弁になるところは?

私たちは星座をみるのではない。星座はコンヴェンションだ。むしろ、新しい星のつながりのための補助線を引く。いやむしろ、暗黒星雲を探し求める。語られないことば、空白域の推論である。資料がなければ禁欲する歴史家と、そこが違う。

また、時に、私たちは患者の書いた日記などを読む。患者がみて育った風景をみにゆく。さらに、時には、患者の死への道行きの跡を辿る。患者の読んだ本を、あるいは郷土史を読む。それがすぐに何になるわけでもないが、そんなことをする。

テクスト生成の研究者は、もちろん草稿なしには語らない。その点では私たちよりも歴史家に似ているだろう。しかし、厖大な草稿の中で次第にテクストが選ばれてゆく過程を読むと、私には近しさが感じられる。それはものを書く時に、語る時に、私たちの中に起っていることだ。患者の中にもおそらく起っていよう。ただ、重症の患者の中では、揺らぎや置き換えが起らない。しかし、治癒に近づくと彼ら彼女らの文章はしばしばそんじょそこらの“健常者”をしのぐ。病いにはことばをきたえ直す力さえあるのだろうか? (中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007初出『日時計の影』所収)

わたくしには、むしろ本来は詩人となるべき人が精神科医になったのだ、としたくなるときがある。

私が別に臨床医という仕事を持っていることは、この場合に大きな救いとなっている。専業著者であれば私は発狂しそうな気がする。しかし、臨床医であるということには大きな制約もある。私が訳詩で止まって詩を書かないのはなぜかと聞かれることがあるが、才能は別としても、もし詩を書こうとすれば、そのために、私は分裂病患者の診察の際に重要な何ものかを流用せざるをえなくなり、患者にたいへん申し訳ないことになるであろう。私は何も一般論として精神科医と詩人とが両立しないと言っているのではない。私の器量では双方が一つのうつわに収まらないという確実な感触があるというのである。(中井久夫「執筆過程の生理学」『家族の深淵』1995

フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、私の人生の中でいちばん付き合いの長い人である。もちろん、一八七一年生まれの彼は一九四五年七月二十日に胃癌で世を去っており、一八七五年生まれの祖父の命日は一九四五年七月二十二日で、二日の違いである。私にとって、ヴァレリーは時々、祖父のような人になり、祖父に尋ねるように「ヴァレリー先生、あなたならここはどう考えますか」と私の中のヴァレリーに問うことがあった。医師となってからは遠ざかっていたが、君野隆久氏という方が、私の『若きパルク/魅惑』についての長文の対話体書評(『ことばで織られた都市』三元社  2008 年、プレオリジナルは 1997年)において、私の精神医学は私によるヴァレリー詩の訳と同じ方法で作られていると指摘し、精神医学の著作と訳詩やエッセイとは一つながりであるという意味のことを言っておられる。当たっているかもしれない。ヴァレリーは私の十六歳、精神医学は三十二歳からのお付き合いで、ヴァレリーのほうが一六年早い。ただ、同じヴァレリーでもラカンへの影響とは大いに違っていると思う。ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。(中井久夫「ヴァレリーと私」(書き下ろし)『日時計の影』2008)


風が起こる……生きる試みをこそ
大いなる風がわが書(ふみ)を開き、閉じ、
波は砕けて岩に迸る!
飛び去れ、まこと眩ゆい頁(ページ)!
砕け、高波、昂(たか)まる喜びの水で
三角(さんかく)の帆がついばんでゐた静かな屋根を!


ーーーヴァレリー『海辺の墓地』最終節 中井久夫訳


徹底的に暗誦すればよいかというと、どうもそこまでは行かないほうがよいらしい。私は十六歳が十七歳の時、翻訳する廻り合わせになるなどゆめ思わずにヴァレリーの「海辺の墓地」を暗誦してしまった。六十歳近くになってさて翻訳に取りかかった時、私の訳の歩みは完成した形の原文に先回りされてしまって何度も立ち止まった。訳文はできかけては霧散霧消した。しょせん、原詩の美と完成度に敵うわけがない。どうもある程度の覚え間違いと覚え残しがあるぐらいでないと、訳詩過程に必要な日本語の最適語juste motを選ぶための自由な言語空間が閉ざされて失われてしまうようだ。心理学には「本の内容を記憶し活用するためには完全に読み切らないで未読の部分をごく一部でも残しておくのがよい」という実験的事実があるが、それとどこか関連している事柄ではなかろうか。

また、読めば読むほどよいかというと、これにも限度がある。文章というものにはすべて、一定時間内にある程度以上の回数を反復して読書すると「意味飽和」という心理現象が起こる。つまり、いかにすばらしい詩も散文もしらじらしい無意味・無感動の音の列になってしまう。これはむしろ生理学的現象である。音楽で早く知られた現象である。詩というものは一定時間内には有限の回数しか読めない。つまり詩との出会いはいくらかは一期一会である。それだけではない。無意味化するよりも先に、その詩人の毒のようなものが読む者の中に溜まってきて、耐えられなくなる。ヴァレリー詩の翻訳の際に、彼のフランス語の「イディオシンクラシー」(医学でいえばまさに体質的特異性!)が私の中で煮詰まってきて、生理的な不快感となった時期があった。彼の詩を英詩やイタリア詩あるいはボードレール詩に関連づけようと比較文学研究の真似事をしたのは、この不快感を中和するためであったとは後から気づいたことである。(中井久夫「訳詩の生理学」 『アリアドネからの糸』所収)

…………


最後に四方田犬彦が驚愕した須賀敦子のタブッキ訳、「窓ぎわですっぽりはだかになって」をめぐるメモをつけ加えておこう(一つの幸福の最初の典型として、永久にはこびさりながら(須賀敦子、プルースト))。


文芸別冊の須賀敦子追悼特集(1998)に四方田犬彦の「須賀敦子、文体とその背景」という追悼エッセイがある。

《翻訳というものは怖いもので、文体の裏に、訳者がこれまで体験してきた知的遍歴の数々が透けてみえるということがままある。とりわけ詩的言語を相手にしたときにそれは顕著となる。》

また、《文体と語彙の豊かさのみならず、より根源的なところで詩的言語の凝縮性をめぐって、彼なり彼女なりはこれまでのテクストの記憶に、意識的・無意識的に動かされることになる。わたしは須賀敦子に、その典型的な例を見るような気がする。》と、ある。


そうしてダブッキの『ビム港の女』(邦題『島とクジラと女をめぐる断片』)の一節を、まず彼は自ら逐語訳してみて、須賀敦子の文体と比べてみる試みを読者に提示する。

彼女はあんな暮らしのわけなど自分でわかるでしょという感じで笑うと、私にいった。もうちょっと待ってから、いっしょに出ましょ、私を信じてくれなくちゃ、いえるのはそれだけ。それから窓のところで裸になると、月を見て私にいった。誘惑の唄をやってよ、でも声はたてないでね。そこで私が歌を歌ってみせると、抱いてよと頼んできた。それで私は立ったまま、窓のところに凭れかかっている女を抱いたのだが、その間ずっと彼女は何かを待っているかのように夜を眺めているばかりだった。(四方田犬彦 試訳)

須賀訳ではこうだ。

女は笑って、どうしてそんな暮らしをしているのかを話してくれなかった。もうすこし待って。そうしたら、ふたりでどこかに行ってしまいましょう。あたしのことを信じて。これ以上話せないんだから。それから窓ぎわですっぽりはだかになって、月を見ながら、言った。あんたの呼び唄、歌ってよ。でも、そっと、よ。おれが歌ってやると、女はたずねた。あたしのことを愛している? 突っ立ったまま、なにかを待っているみたいに夜を眺めている女を、おれは窓際に押しつけて、抱いた。(須賀敦子訳)

―――《平仮名が多用されているせいで、全体に柔らかい印象がする。「裸になる」は「すっぽりはだかになる」であり、「出る」は「どこかへ行く」となっている。……行動を示す言葉に、原文よりも派手な身振りが添えられていて、原文の持つ素気なさを越えて、強い官能性が伺える》、四方田犬彦はそう指摘する。

《あるいは付けられた句読点の多さ……。須賀敦子の訳文を眺めていると、イタリア語が本来的にもっている単語の凝縮性を簡潔性を、どのように日本語に置き換えていけばよいのかという問いをめぐって、彼女の長らく思索していたことが、ありありとわかる》、と。