文芸別冊の須賀敦子追悼特集(1998)に四方田犬彦の「須賀敦子、文体とその背景」というエッセイがある。
《翻訳というものは怖いもので、文体の裏に、訳者がこれまで体験してきた知的遍歴の数々が透けてみえるということがままある。とりわけ詩的言語を相手にしたときにそれは顕著となる。》
また、《文体と語彙の豊かさのみならず、より根源的なところで詩的言語の凝縮性をめぐって、彼なり彼女なりはこれまでのテクストの記憶に、意識的・無意識的に動かされることになる。わたしは須賀敦子に、その典型的な例を見るような気がする。》と、ある。
そうしてダブッキの『ビム港の女』(邦題『島とクジラと女をめぐる断片』)の一節を、まず彼は自ら逐語訳してみて、須賀敦子の文体と比べてみる試みを読者に提示する。
彼女はあんな暮らしのわけなど自分でわかるでしょという感じで笑うと、私にいった。もうちょっと待ってから、いっしょに出ましょ、私を信じてくれなくちゃ、いえるのはそれだけ。それから窓のところで裸になると、月を見て私にいった。誘惑の唄をやってよ、でも声はたてないでね。そこで私が歌を歌ってみせると、抱いてよと頼んできた。それで私は立ったまま、窓のところに凭れかかっている女を抱いたのだが、その間ずっと彼女は何かを待っているかのように夜を眺めているばかりだった。(四方田犬彦 試訳)須賀訳ではこうだ。
女は笑って、どうしてそんな暮らしをしているのかを話してくれなかった。もうすこし待って。そうしたら、ふたりでどこかに行ってしまいましょう。あたしのことを信じて。これ以上話せないんだから。それから窓ぎわですっぽりはだかになって、月を見ながら、言った。あんたの呼び唄、歌ってよ。でも、そっと、よ。おれが歌ってやると、女はたずねた。あたしのことを愛している? 突っ立ったまま、なにかを待っているみたいに夜を眺めている女を、おれは窓際に押しつけて、抱いた。(須賀敦子訳)
―――《平仮名が多用されているせいで、全体に柔らかい印象がする。「裸になる」は「すっぽりはだかになる」であり、「出る」は「どこかへ行く」となっている。……行動を示す言葉に、原文よりも派手な身振りが添えられていて、原文の持つ素気なさを越えて、強い官能性が伺える》、四方田犬彦はそう指摘する。
《あるいは付けられた句読点の多さ……。須賀敦子の訳文を眺めていると、イタリア語が本来的にもっている単語の凝縮性を簡潔性を、どのように日本語に置き換えていけばよいのかという問いをめぐって、彼女の長らく思索していたことが、ありありとわかる》。
―――この文を読めば「すっぽり」という語に敏感にならざるを得ない。たとえばオノマトペの大家宮沢賢治ならこう使っている、
そのうちにたうたう、一人はバアと音がして肩から胸から腰へかけてすっぽりと斬られて、からだがまっ二つに分れ、バランチャンと床に倒れてしまひました。(『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』)金子光晴ならこうだ、
すこし厚い敷蒲団ぐらいの高さしかないフランスのベッドに、からだすっぽりと埋もれて眠っているわれら同様のエトランジェたちに、僕としては、ただ眠れと言うより他のことばがない。パリは、よい夢をみるところではない。パリよ、眠れ、で、その眠りのなかに丸くなって犬ころのようにまたねむっていれば、それでいいのだ。(「ねむれ巴里」)
…………
わたしが月島で長屋住まいをしていたことのことだが、須賀敦子さんがわが家に突然いらっしゃったことがあった。四〇歳にもなって夏休みにフィレンツェのお料理学校に通うとという酔狂な男のことを、どこかで聞き止められたのだろう。それは感心というわけでお越しになった
韓国料理でもてなすことになるのだが、《とても機嫌がよく、何をこちらが出しても悦んでくださった。ただ天井をドタドタと鼠が走り出したときだけは、あれはチュウチュウ?! といわれ、さすがに驚かれたようだった。》、と。
話はおのずからイタリアのことになる、やがて須賀敦子の口から出たのは、《現在日本のイタリア文学者の誰彼をめぐる呵責ない批判だった。歯に衣を着せないという表現は、まさにこのときの彼女のために表現であるかもしれない。それほどまでに激烈な調子だった》。
―――須賀敦子のエピソードが語られた最も印象的な文のひとつ。
…………
A:井上究一郎訳
私は彼女を愛していた、あのとき彼女の感情を害するか、彼女を不快にして、むりにも私のことを彼女に思いださせようとするそんな余裕も妙案もなかったことが残念に思われた。彼女はいかにも美しく見えたので、あともどりして、両肩をそびやかしながら、こういってやればよかったのだ、「なんてきみはみにくくて、グロテスクなんだ、ぞっとするぜ!」そう思いながらも私は遠ざかっていった、――シャベルを手に、ずるそうな、何をあらわそうとしているかわからない視線を、長く私の上に走らせながら笑っていた、皮膚にそばかすがちらばっている、赤茶けた髪の少女の映像を、犯しがたい自然の法則によって、私のような種類の子供には近づくことの不可能な一つの幸福の最初の典型として、永久にはこびさりながら。
B:鈴木道彦訳
私は彼女を愛していた。彼女を侮辱し、いためつけ、こうしてむりやり自分のことを記憶にとどめさせたかったが、それをする時間の余裕もなく、またうまい方法も浮かばないのが残念だった。彼女はとても美しく見えたので、私は引き返して肩をそびやかしながらこう叫んでやりたかった、「なんて醜い、グロテスクな女だろう。きみを見るとぞっとするよ!」しかし私はその場から遠ざかった。赤褐色の髪の毛をしてバラ色のそばかすが皮膚に点々とついていた少女。シャベルを手に持ち、陰険で無表情な視線をずっと私の上に走らせながら笑っていた少女の面影を、背くことのできない自然の法則の名において、私のような子供には近づけない幸福の最初の典型として、永久に胸にたたんで持ち去りながら。
C:高遠弘美
私はジルベルトに恋していた。彼女を侮辱し、痛めつけ、むりやり私のことを記憶に刻みつけさせる余裕も、それにそもそもその発想もなかったことが残念でならなかった。ジルベルトはなんてきれいなんだ。そう感じていただけに、すぐに取って返し、肩をすくめて大きな声で、どれだけ叫びたいと思ったことだろうか。「なんてあなたは不細工なんでしょうね。笑ってしまいますよ。まったく厭になるほどです!」。しかし、実際は私はその場所から離れて行った。犯しがたい自然界の掟によって私ごとき子どもには近づくことが許されぬ幸福の最初の現れとして、薔薇色の雀斑をあちこちにこしらえた赤みがかったブロンドの少女、スコップをもち、笑いながら、陰険で何を訴えているかわからない眼差しを長い間私に注いでいた少女の面影を永遠に胸にしまいながら。
D:吉川一義
私はジルベルトを愛しており、相手を侮辱し、辛い想いをさせ、無理やり私のことを覚えているように仕向ける暇も発想もなかったことが悔やまれた。なんてきれいな娘だと思ったからこそ、できることなら引き返して肩をそびやかし、「なんて不細工で、滑稽な女だ。お前にはぞっとする」と叫んでやりたい気持ちだった。こうして遠ざかりながら私が永遠に心に刻みつけたのは、背けない自然の掟から私のような子供には近づけない幸福の原型として、赤毛で、バラ色のそばかすの肌をした少女が、スコップを手に笑いながら、陰険な表情のないまなざしで私をじっと見つめているイメージである。
大著のわずかの部分の比較だけで、好悪のコメントを付すつもりはない、ただ井上究一郎訳にながく、そして鈴木道彦訳にすこし親しんできたものにとって、ある種の感慨は抱く(もちろん後二者の最近の翻訳は、プルースト草稿研究などの成果による要請もあったのだろうし、かつて鈴木道彦氏は井上究一郎訳のいくつかの誤訳を指摘していたことも思い出される)。
つまりは、《翻訳というものは怖いもので、文体の裏に、訳者がこれまで体験してきた知的遍歴の数々が透けてみえる》とは、この短い個所の比較だけにしろ感じることはある。
…………
堀辰雄がプルーストのアスパラガスの描写を語る部分を抜き出しておこう。
……御覽のとほり、アスパラガスの描寫は唯二箇のセンテンスで了つてゐまして、それは豌豆のことを書いた比較的に短いセンテンスに先立たれてゐます。いきなりアスパラガスの描寫を始めずに、先づ田舍家の臺所に這入りこんだ少年の「私」が、テエブルの上に轉がつてゐる豌豆を見ようと思つて立ち止りながら、それからふとその傍にあつたアスパラガスに目を止め、思はずそれにうつとりと見入る風に運ばれてゐます。さういふ不意打ちによつて、その少年のみならず、読者にもそのアスパラガスの美しさを一層生き生きと感じさせる。――かう云ふところにも、プルウストの常套的な手法の一つがあります。……で、そのアスパラガスを描かんとするや、先づその全體の色調を述べます。それから、徐々にその穗先の細かなニュアンスに移つて行きます。と同時に、その獨得なニュアンスが一齊に喚び起すさまざまな記憶(曙の色合、虹の色合、夕暮れの色合)、そしてその一方では又、それを食べた晩のシェクスピアの夢幻劇のやうな記憶(匂ひの)までが其處に展開されてゐる。――かういふ工合に、プルウストは、一瞬間の感覺の喚び超すあらゆるものを殘らず、手荒いくらゐに、一つのセンテンスの中に一緒くたに縛りつけてしまひます。(『プルウストの文體について』)
※ひとつの幸福をただ一回の息吹きによって(ヴェーベルン=シェーンベルク)