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2014年1月19日日曜日

赤い靴と玄牝の門

エロスは死をめざしタナトスは生をめざす
”life drive aims towards death and the death drive towards life” (Paul Verhaeghe『Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender』)
このいい方が気に入っちゃってね
なんだか長いあいだもやもやしていて
壁の手前で右顧左眄してたのが
壁の穴をあけて向こうにいったって感じだな
錯覚にきまってんだけどさ

エロスはなにか大きなものと融合したいという衝動ってことだ
でもそうしたらこの〈わたし〉が消滅しちゃうんだ
だから死をめざすだけでオーガズムの瞬間には
タナトスの衝動が〈わたし〉の回復をめざすのだな
それがTristis post Coitum(性交後の悲しみ)ってわけだ

びったりだね、やっぱり詩人はエライ

原始的淋しさは存在という情念から来る。
Tristis post Coitumの類で原始的だ。
孤独、絶望、は根本的なパンセだ。
生命の根本的情念である。
またこれは美の情念でもある。

ーー西脇順三郎『梨の女「詩の幽玄」』より

悲しみは永遠の生の、その享楽の刻限からさようならのせいだ
実際にはエロスとタナトスの衝動は混淆して活動するのだけど
つまりTriebmischung(欲動融合)ってわけだな
混淆したふたつの欲動が反復衝拍するってわけだ
ポール・ヴェルハーゲはいいこというぜ
ジジェクの「死の欲動」の説明もやっと腑に落ちたぜ

フロイトの「死の欲動」(……)。ここで忘れてはならないのは「死の欲動」は、逆説的に、その正反対のものを指すフロイト的な呼称だということである。精神分析における死の欲動とは、不滅性、生の不気味な過剰、生と死、生成と腐敗という(生物的な)循環を超えて生き続ける「死なない」衝動である。フロイトにとって、死の欲動とはいわゆる「反復強迫」とは同じものである。反復強迫とは、過去の辛い経験を繰り返したいという不気味な衝動であり、この衝動は、その衝動を抱いている生体の自然な限界を超えて、その生体が死んだ後まで生き続けるようにみえる。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

過去の辛い経験とは究極的には出産外傷だな
フロイトの最晩年の論文はいいところまでいってたんだけどな
エロス/タナトスの対立という思い込みからは逃れられなかった
っていうわけだ、ラカンやジジェク、ヴェルハーゲ曰くだがね

ランクは出生という行為は、一般に母にたいする(個体の)「原固着」Urfixerungが克服されないまま、「原抑圧」Urverdrängungを受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出生外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。後になってランクは、この原外傷Urtraumaを分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。(『終りある分析と終りなき分析』1937

ラカンのややこしい語り口からのアリアドネの糸でもあるな
「永遠の生の喪失は、ひどく逆説的だが
性的存在としての出産の刻限に失われる
それはMeiosis(分裂)による」(ラカン「セミネールⅩⅠ」)

死の欲動とはアンデルセンの童話「赤い靴」なんだ
少女が赤い靴を履くと靴は勝手に動き出し
彼女はいつまでも踊り続けなければならない
靴は少女の無限の欲動ということになるわけだ
灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動
おれたちの生はTriebmischungなのさ
いわれてみればあたりまえなんだけどな

ラカンの娘婿ミレールの言葉もあえて「誤読」して
大文字の母との融合は、永遠の生は、存在しない
だからわれわれはこのことに夢を見るってしたっていいんじゃないか

女は存在しない。われわれはまさにこのことについて夢見るのです。女はシニフィアンの水準では見いだせないからこそ我々は女について幻想をし、女の絵を画き、賛美し、写真を取って複製し、その本質を探ろうとすることをやめないのです。(ミレール 『エル ピロポ』

中井久夫のタナトスのとらえ方は
ジジェクなどの反復強迫よりも穏やかなものだけれど
つまり西欧的というより東洋的なタナトスだな
やっぱりわかってるんだろうな
「菌臭は死ー分解の匂いで気持ちを落ち着かせる
母胎の入り口の香りにも通じる匂い」なんてするところ
徴候感覚のひと中井久夫ももちろんエライ

菌臭は、死ー分解の匂いである。それが、一種独特の気持ちを落ち着かせる、ひんやりとした、なつかしい、少し胸のひろがるような感情を喚起するのは、われわれの心の隅に、死と分解というものをやさしく受け入れる準備のようなものがあるからのように思う。自分のかえってゆく先のかそかな世界を予感させる匂いである。

フロイトは、エロスという性(生)への傾斜とともに「タナトス」という死への傾斜を人間の心の深層にかいま見たけれども、このフロイトの「タナトス」は、どうも血の匂いのする、攻撃性の基盤になるようなイメージのものではなかろうか。(……)

菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。(中井久夫「きのこの匂いについて」より『家族の深淵』所収)

ということで「なんでもおまんこ」だな
谷川俊太郎の詩は書かれている内容はエロスだけれど
詩を書く行為はタナトス、あるいはエロスとタナトスのフュージョン
ってわけだな

なんでもおまんこ 谷川俊太郎


なんでもおまんこなんだよ
あっちに見えてるうぶ毛の生えた丘だってそうだよ
やれたらやりてえんだよ
おれ空に背がとどくほどでっかくなれねえかな
すっぱだかの巨人だよ
でもそうなったら空とやっちゃうかもしれねえな
空だって色っぽいよお
晴れてたって曇ってたってぞくぞくするぜ
空なんか抱いたらおれすぐいっちゃうよ
どうにかしてくれよ
そこに咲いてるその花とだってやりてえよ
形があれに似てるなんてそんなせこい話じゃねえよ
花ん中へ入っていきたくってしょうがねえよ
あれだけ入れるんじゃねえよお
ちっこくなってからだごとぐりぐり入っていくんだよお
どこ行くと思う?
わかるはずねえだろそんなこと
蜂がうらやましいよお
ああたまんねえ
風が吹いてくるよお
風とはもうやってるも同然だよ
頼みもしないのにさわってくるんだ
そよそよそよそようまいんだよさわりかたが
女なんかめじゃねえよお
ああ毛が立っちゃう
どうしてくれるんだよお
おれのからだ
おれの気持ち
溶けてなくなっちゃいそうだよ
おれ地面掘るよ
土の匂いだよ
水もじゅくじゅく湧いてくるよ
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ

おれ死にてえのかなあ

もちろんフロイトが偉大なのはわかりきっている
ラカンだってフロイトの解釈者にすぎない
シェイクスピアの『リア王』のフロイトの読解
「三人の女」ってのは
子宮的母親/エディプス的母親/口唇的な母親
すなわちエロスの女/性的対象の女/タナトスの女

エロスの女は生む女
性的対象の女は男が母の像を標準として選ぶ愛人
タナトスの女は最終的に男性を迎え入れる〈大文字の母親〉としての〈大地〉
というわけだ

エロスとタナトスの概念にこの1913年の段階で
限りなく近づいていたんだな

ここに描かれている三人の女たちは、生む女、性的対象としての女、破壊者としての女であって、それはつまり男にとって不可避的な、女にたいする三通りの関係なのだ。あるいはまたこれは、人生航路のうちに母性像が変遷していく三つの形態であることもできよう。

すなわち、母それ自身と、男が母の像を標準として選ぶ愛人と、最後にふたたび男を抱きとる母なる大地である。

そしてかの老人は、彼が最初母からそれを受けたような、そういう女の愛情をえようと空しく努める。しかしただ運命の女たちの三人目の者、沈黙の死の女神のみが彼をその腕に迎え入れるであろう。(フロイト『小箱選びのモティーフ』1913)

やっぱりシェイクスピアだな
やっぱり詩人や芸術家なんだ
もっとも近くまでいっているのは

文学や芸術を語らない思想家なんて信用しないぜ、オレは
感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃
文芸から「幼少の砌の髑髏」の傷を受けなかった連中が
あとから付け焼き刃でなんたら書いても栓なきことだがね
慰めにはなるだろうよ

そうだな
欲望と快楽のなんたらなんてのをテーマにするのは
フロイトの死の欲動概念以降はやっぱりマがヌケてるぜ
ーーなんてことはオレは言わないがね
自らのテーマの矛盾に頭を悩ましているのだろう
倫理学じゃなくて反倫理学、いや非倫理学さ
もっとも世界はナイーヴな連中で占拠されてるわけだから
彼ら向けの慰安の言葉も必要なのだろうよ

現代ではストオリイは小説にあるだけではない。宗教もお話であり、批評もお話であると私は書いたが、政治も科学も歴史もお話になろうとしている。ラジオや テレビは一日中、料理や事件や宇宙について、甘いお話を流し続け、われわれは過去についてお話を作り上げ、お話で未来を占っている。

これらのお話を破壊しないものが、最も慰安的であるが、現実にもわれわれの内部にもお話の及ばない極地は存在する。人間はそこに止ることは出来ないにしても、常にその存在を意識していなければならない。だからこの不透明な部分を志向するお話が、よいお話である、というのが私の偏見である。(大岡昇平『常識的文学論』)


ところで老子はどうだったんだろう

谷間の神霊は永遠不滅。そを玄妙不可思議なメスと謂う。玄妙不可思議なメスの陰門(ほと)は、これぞ天地を産み出す生命の根源。綿(なが)く綿く太古より存(ながら)えしか、疲れを知らぬその不死身さよ(老子「玄牝の門」 福永光司氏による書き下し)











遠い道

この場景が決ってあらわれるのは不可解です
これをどう扱ったらよいのか
私にはさっぱり分かりません

お話申上げます
四角の、少しばかり傾斜の急な野原が見えます
緑色で、びっしり草が生い茂っています
緑の中にとてもたくさんの黄色い花が咲いています
普通のタンポポなのです
野原の上手には一軒の農家があります
戸の前に二人の女が立っており
互いにときおりお喋りをしています
頭巾をかぶった農夫と子守りなのです
野原では三人の子供が遊んでいます
一人は私で二歳から三歳にかけてです
ほかの二人は、ひとつ上の従兄とその妹
私とほぼ同じ齢の従妹です

私たちは黄色い花を摘んでいます
めいめい摘んだ花をたくさん手に持っています
いちばん美しい花束を持っているのは少女です
私たち男の子は彼女に襲いかかり花をひったくります
少女は泣き泣き野原を駈けて行き
農婦から慰めに大きな黒いパン一片貰います
それを見るとすぐ私たちは花を投げ捨て
家に駈けて行き同じようにパンをねだります
農婦はパンの塊を長いナイフで切ってくれるのです
貰ったパンは追憶のなかではともておいしく
それといっしょにこの場景は終るのです


――いつからこんな幼児期記憶を想起するようになったのですか


その点についてはまだ考えたことがありませんでした
こんな幼児期記憶は以前には
思い出さなかったように思います

十七歳のとき私は高等学校の休暇に
はじめて生れた故郷に戻ってみました
私の生家はもともと裕福で
あの片田舎では悠々たる生活
送っていたのでした

私が三歳のとき父のやっていた工場が
行きづまってしまいました
父は財産を失い私たちは余儀なく
その土地を離れ大きな町に引き移りました
その後長く苦しい年月がつづきました
なにかその頃のことを思い出す
というのにも値しない年月でした
町では居心地がいい
とはちっとも感じませんでした
故郷の美しい森林を懐かしむ気持
片時も私の心から離れなかったのです

さて田舎で過ごす最初の休暇でした
時に十七歳
私はある知り合いの家の客となりました
その家はわれわれが移住して以来
ぐんぐんと上向きになっていたのでした
私はその家の裕福な生活と
町のわが家の暮しぶりを比較する機会をもちました

もうこうなったら避けたところで
なんにもならないでしょう
私に強烈な刺激を与えたもの
まだ他にもあったこと
白状しなければなりません
私をもてなしてくれた家族に
十五歳の娘がいました
その娘が好きになってしまったのです
それは私の初恋でした
たしかに激しいものでした
が完全に内に秘めたままでした
相手の少女は数日後
師範学校へと出発しました
同じように彼女も休暇で帰ってきたのです

こうして知り合って束の間で別れたとなると
思慕の情はますます募るばかりでした
私は長時間独りぼっちで
ふたたび目の当たりにした
素晴らしい森の中を散歩しながら
空中楼閣を築くのに耽りました
それは不思議にも未来へとは向かわず
過去を訂正しようと試みるのでした
あの頃破産していなかったならとか
郷里に残って田舎で成長し
この家の若い衆や恋人の兄弟たちのように
強健になっていたらとか……

奇妙なことですが、今、彼女を時折見かけても
――彼女は偶然こちらの方へ嫁入ったのですがーー
彼女なんかまったくどうだっていい気がします
しかし最初に出会ったときに
彼女が着ていた服の黄色
がその後どのくらい長いあいだ
同じ色をどこかで目にするたびに
私を刺激したかははっきり思い出せます

第二の契機のことを申し上げます
三年後、休暇中に叔父のところを尋ねました
こうして私の最初の遊び仲間だった
子供たちにふたたび出会いました
タンポポの野原の場景にでてくる
あの一歳年長の従兄と私と同年齢の従妹です
この家族も私たちと同時に
私の郷里をあとにしたのですが
遠い町で裕福な生活に立ち戻っていたのでした


――そしたまた好きになってしまって、こんどはその従妹にですね、そして空想を築きあげたというわけですか


いいえ、こんどはそうではなかったのです
私はすでに大学に行っており
書物にかかりきりでした
従妹にたいする余裕などありませんでした
でも父と叔父のあいだには
こんな計画があったと思います
つまり私がやっている深遠な学問を
なにか実際的にもっと役に立つ学問にかえ
学問を終えたら
叔父の居住地に腰を落ち着け
従妹を妻に娶るというふうに
私をさせようとする計画でした
私が自分自身のたてた企て
没頭しているのが分かって
この計画はご破算になったのでしょう
ずっとのちに学者になりたての頃
生活の苦労で難儀し
この町である職にありつくまで
長く待たなければならかったとき
私はしばしば考えたにちがいありません
父はもともと私のためを思ったからこそ
あんな結婚計画を立てたのだ
それによって昔の破産
私の全生涯にもたらした損失の
埋め合わせをつけよう
としてくれたのだと


――あなたはあの幼時場景からもっとも強烈な要素として田舎風のパンがとてもおいしい味がする、という点を強調しています。あなたは空想した。もし故郷に残っていたら、あの娘と結婚していたら、どんなに自分の生活は快適であっただろう、と。これは象徴的に表現すれば、それよりずっと後のあの時代にあなたが苦闘しながら求めていたパンが、どんなにおいしい味がしたことであろう、ということになる。それに花の黄色は同じ少女のことを暗示してします。それはそうと、あの幼時場景には、もしあなたが従妹と結婚していたなら、という第二の空想にしか結びつかない要素が入っています。花を投げ捨てて、それと引換えにパンを手に入れようとするのは、あなたの父親があなたにたいして抱いていた意図の偽装として悪くない、と思います。あなたに、あなたのやっている実用的でない観念的なものを断念させて、「パンのための学問」を選ばせよう、というのでしたね。


それでは結局、私の生活がどんなに快適であったか
という両方の空想を互いに溶かしあって
一方からは《黄色》と《田舎》風パンを
他方からは花を投げ捨てることと人物たちを
取り出したことになるわけでしょうか
しかしそうなるとこれは幼児期記憶ではなくて
幼児期へと移し換えられた空想
ということになるますね
でも私にはこの場景は本物だ
という気がするのです
どうしてそんな気がするのでしょうか


――われわれの記憶の陳述には、そもそも保証というものがありません。しかし、その場景が本物だ、というあなたの言葉を認めましょう。そうすると、あなたが無数に多くのこれに似たような、あるいは他の場景の中からこれを探し出してきたのは、この場景がーーそれ自体は取るに足りないーー内容のために、あなたにとってはきわめて重要であった、二つの空想を述べるのに適していたからです。私は次のような記憶、すなわちそれが記憶の中で、のちの時代の印象や思想の代理をしている点にその価値があり、その内容が象徴的な、似たような関係によって本来の内容と結びついている記憶を、隠蔽記録と命名したいと思っています。いずれにせよ、この場景があなたの記憶の中に繰り返し現れてきても、もう不思議に思うことはないでしょう。この場景はもはや無邪気なものとはいえません。なぜならわれわれがすでに発見したように、これはあなたの生活史におけるもっとも重大な転機、つまり「飢えと愛情」という二つのもっとも強大な動機の影響を例証するような役割を課せられているからです。


一人の少女から花をもぎ取ること
これは処女を汚すということなのですね
それとこのテーマ全体でもっとも誘惑的なのは
なにもできない青年にとっての
初夜についての観念です
しかしこの観念はおもてに出てきません
少女たちにたいする遠慮と畏敬の雰囲気が優勢なので
抑圧されてしまいます
こうしてこの観念は無意識のままにとどまり……

――幼児期記憶に移動するわけです


…………

以上はフロイトの『隠蔽記憶』(人文書院旧訳)から抜き出したものだが、一部の文や助詞を除いたり接続詞の表現を変えた箇所がある。もちろん行分けは引用者がしている。この論は1899年に書かれており、『夢判断』が発表された前年ということになる。話者は大学教育を受けた三十八歳の男性で、フロイトが以前精神分析によって軽い恐怖症から解放してそれ以来、心理学的な問題に興味を抱きつづけていたということになっているが、実際は、フロイト自身の経験である、と言われることがあるようだ(この論文執筆当時フロイトは四十三歳)。


ここでかつてわたくしの「友」からきいた、彼に繰り返し現れた場景を想いだしてみよう。

朝はやく幼児たちが集まっている
土ぼこりが舞う道のかたわら
何人かの付添いのおとなの姿もある
パーマネントをかけたり
やわらかな胸や腰まわり
軀のまわりに靄がたちこめたような
艶っぽい若い母親たち
「母だけじゃないのだな
いいにおいのする女性は」
なめらかなくちびる
そこから洩れ光る濡れた白い歯

きょろきょろしていると
襷がけに吊るしたハンカチ
彼だけが色ものなのだ
集団登園の初日
ほかの幼児はみな白いハンカチ
自分で気づいたのか
誰かに指摘されたのか
は覚えていない
顔をゆがめて泣き出した

母が慌てて駆けつけてくる
見知らぬまわりの子供たちのまなざし
付添いの母親たちのまなざし
ふっくらしたきれいな保母さん
もいた気がする
が定かではない
赤い唇の派手な女性
彼女の生温かい吐息
を憶い出すのはどういうわけか
だれかが声をかけてくれたわけではない
子供たちよそよそしくしたりきょとんとしたり
大人たちは戸惑っている
そんな印象が残っている

母の困って赤らんだ顔
躾けの厳しかった母の口から
「しっかりしなさい、そんなことで」
との叱責を喉もとで抑えている
ような不安におそわれそうになる
母は白いハンカチにとりかえに
家に急いだのだったか
これも定かではない

さあ出発だ
だが出足が悪い
ほぼ真っ直ぐな道
田圃のなかの舗装されていない道
鎮守の森が遠くにみえる
行き先はあそこだ
遠いなあ
あそこまで歩いていくのか
母なしで






――この友人は中学二年生のときある少女に熱烈な恋をした。同じクラスの抜群に勉強のできる短髪でぼっちゃりした可憐な少女だった。わたくしも魅せられた。学校内だけでなく県内の一斉テストでも十番内に入るほどの成績だ。《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》とは中井久夫の村瀬嘉代子さんの書への書評のなかの言葉だが、あの頃の少女から受けた感覚は、いま想い起こしてもこの言葉がぴったりくる。

先生が彼女を指名し立って返答をするのを見ただけで彼は顔が真っ赤になってしまう。クラスの仲間はその様子にたちまち気づき、彼に視線が集まる。多くはひややかなものか、珍奇な動物を眺めるようなおしゃまな少女たちのまなざしもあった。先生も気づく。彼がわたくしに話してくれたのはそれからしばらく経ってからだが、その頃から上のような幼児期記憶の場景が繰り返しあらわれるということだった(わたくしが書いたものはやや脚色している)。

彼もわたくしも少女とは別々の高校に通ったが(当時は不幸にも学校制度というものがあった)、彼は後年この少女と結婚している。わたくしは大学時代、彼がひどいパンストフェチだったのを知っている。その理由は少女と公園でのデートの折、スカートのしたをまさぐったのだが、パンティストッキングがお臍の上まであってうまく引き摺りおろせなかったせいだと言い訳をきいたことがある。その公園での幼い愛戯の直前に少女が堕胎していたことをのちに打ち明けられ、ーーそうでなかったら、パンスト下ろすのすこしは手伝ったわーーかなりの衝撃を受けたらしい。何度かヤケ酒に付き合わされた。





彼はそれ以外にも変な癖があった。これも少女に関係するようだ。少女は自転車通学をしていた。校区ぎりぎりのところにある住まいで、たしか二キロ以上を越える場所に住む生徒は自転車通学が許可された。彼は自転車のサドルをみるとたまらなくなるらしい。ようするににおいを嗅いでみたくなるのだ。当時から豊かな腰と大腿をもった女だった。胸の華奢さとのアンバランスが奇妙な淫猥さの眩暈をもたらしたのは、これはわたくしも同じだった。大学時代、彼と少女とわたくしの三人で遊んだこともあり、少女とは友人関係にあったのだが、少女は彼にいささか暴力的なところがあると打ち明けながらも、彼を強く愛するようになっていったようだ。かつての活発な少女はなにかに耐える様子に変わっていったのが印象に残っている。









2014年1月18日土曜日

初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘

ここまでは、ヒステリーでも恐怖症や強迫観念でも経過はおなじであるが、これからは道がわかれる。ヒステリーでは、和解しない表象を無害なものにすることは、興奮全量を身体的なものに置きかえた結果としてできるが、これについて私は転換Konversionという名前を提案したい。

転換は全部であったり、部分にとどまったりするし、運動の神経支配あるいは感覚の神経支配を通じて行われるが、この神経支配と外傷的体験(訳者井村恒朗註 自分のことそして同化(消化)できないような苦痛な経験)との関係は、ときに密接であり、ときに漠然としている。

(……)ヒステリー的分割の核が「外傷的契機」によって一度つくられると、その核は「補助的な外傷的契機」と呼ばれる他の契機によって拡大される。(フロイト『防衛―神経精神病』著作集6 p10)

フロイトの旧訳からの引用だが、この『防衛―神経精神病』Die Abwehr Neuropsychosenは1894年に書かれており、フロイト38歳前後の論文ということになる。

原文をたしかめたわけではないが、ここに既に内的な原因による「外傷trauma」という語彙が現われている。”A SHORT ACCOUNT OF OBSESSIONAL NEUROSIS IN FREUD AND LACAN”(Hara Pepeli)を読むかぎりではそういうことらしい。


トラウマとはもともとギリシャ語の傷という意味が起源のようだーーTrauma (from Greek τραῦμα, "wound“)。通常は外部からの衝撃によって起こるものとされるが、内的な言葉にできない「苦痛」による衝拍をもトラウマと命名する立場もある。

Paul Verhaegheの論『TRAUMA AND HYSTERIA WITHIN FREUD AND LACAN 』では欲動とトラウマの近似性が指摘されている。またVerhaeghe(ヴェルハーゲ)によれば、フロイトは初期からトラウマを扱っていたのだと言う。たとえば次のようなフロイトの叙述は、後期フロイトの反復衝動(死の欲動)の叙述と重ねて読んでみる価値はあるだろう。

性的表象から感情を分離し、その感情を他の最寄りの、折合いのつく表象に結びつけること……この過程は結局のところ心理的な性質のものではなく、身体的な過程であって、その心理的な帰結として、「表象とその感情との分離による後者のあやまった結合」といういいかたで表現されたことが、現実に起こるかのように展開する、と。(……)たえずおそってくる性的表象にたいして不断の防衛を行っていること、つまり終わりのない作業をしていることが肝要なのである。(フロイト『防衛―神経精神病』)

ーーフロイトのヒステリー研究の一年前の論である上の論文にも出てくる「あやまった結合false connections」が、Paul Verhaegheにとっては、ふたつの無意識、あるいは欲望と欲動(象徴界的なものと現実界的なもの)を区分けするひとつのキーワードのようだ(ふたつのタイプの無意識の分かりやすい叙述は、『Reading Seminar XX Lacan's Major Work on Love, Knowledge, and Feminine Sexuality』(Editor Suzanne Barnard& Bruce Fink )における「Lacan's Answer to the Classical Mind/Body Deadlock:Retracing Freud's Beyond 」Paul Verhaegheにある)。

※なおフロイトの英訳と照合してみた限りでは、”false connections”は初期の論文に多用されている。最後に出現するのは『悲哀とメランコリー』(1917)に於いてであって、手もとの旧訳では「誤った結びつけ」と訳されている。

Freud first encountered it in his Studies on Hysteria where he called it “false connections”: a word-presentation is wrongly associated with another word-presentation for lack of an original, accurate association with something that is inexpressible (Freud, 1895d, pp. 67-70). He generalized this tendency, which he called the “hysterical compulsion to associate”. Later, he was to encounter a variation of this compulsion: the repetition compulsion, a primary characteristic of traumatic neurosis, which attempts to master the real by binding it to word-presentations (1920g). (”Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender ”
Paul Verhaeghe )

象徴界の外部にあるもの、「言語によって構造化」されていない無意識、それが純化された症状、すなわち欲動である、というラカンの言葉があるようだ。
It is a question of a purified symptom, that is, one stripped of its symbolic components – of what ex-sists outside the unconscious structured as a language: object a or the drive in its pure form. Lacan, 1974-75, R.S.I., (”Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.” Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq)

日本では斎藤環がすこし違った文脈で語っているのだが、次の文は、抑圧を解除すれば、そこに欲動の無意識が顕れるととることもできるだろう。
現代におけるさまざまな抑圧の解除、タブーの解禁という流れについては、われわれが本質的に、みずからの無意識に対して耐え難い恐怖を抱いている可能性のもとで考えておく必要があるだろう。「抑圧しないこと」で隠蔽されるものこそが「無意識」に他ならない。》(斎藤環『解離とポストモダン、あるいは精神分析からの抵抗』「批評空間」 2001 Ⅲ―1所収)


もっとも阪神・淡路大震災後、トラウマ論を憑かれたように書いた中井久夫のわたくしの手元にある最も直近の「死の本能」をめぐる見解は次のようである。

「死の本能」は戦争が生み出したものであって、平時の強迫神経症はむしろ、理論の一般化のための追加である。裁判でフロイトは戦争神経症を診ていないではないかと非難され、傷ついたであろう。これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。しかし、私は、「死の本能」を仮定するよりも、夢作業が全力を尽くしても消化力が足りないと考える。このほうが簡単である。そもそも目覚めてもしばらくは記憶している夢は夢作用が消化しつくせなかった残りかすではないか。夢の分りにくさと、その問題性とは、夢作業の不消化物だからではないかと私は思う。(「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 53頁)

…………

以下は、別に「ヴァレリーと昇華」との表題をつけて資料の投稿しようと思ったものだが、わたくしの関心は昇華よりもトラウマにあるので、ここに附載する。中井久夫のトラウマの扱いは微妙なのだ、下に引用された文に「原トラウマ」という語彙が出てくることから窺われるように、幼児型記憶をトラウマの一つとして扱っているようにさえ読める。


《幼児型記憶と外傷性記憶が相似している》、中井久夫はそう語る。

その記憶は、
(1)断片的であり、(2)鮮明で静止あるいはそれに近く、主に視覚映像であり、(3)それは年齢を経てもかわらず、(4)その映像の文脈、すなわちどういう機会にどういういわれがあって、この映像があるのか、その前後はどうなっているかが不明であり、(5)複数の映像間の前後関係も不明であり、(6)それらに関する画像以外の情報は、後から知ったものを綜合して組み立てたものである。(「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』46頁)
とする。

これが外傷性記憶の特性と合致するという。

しかしながら、こういった話題はシロウトがあまり書くものではない気がしてきたので、この程度に留める。

専門家のあいだでも次のような見解の相違があるのだ。

(十川幸司)
 死の欲動は、フロイトとラカンにおいて最も重要な概念だと思いますね。ラカンはある時期、フロイトのこの概念を生かすためにみずからの理論を構築していったようなところがあります。しかし、死の欲動は臨床の中で生き延びてきた理論ではないんです。それは、むしろテクスト解釈の中で洗練されてきた概念です。『快感原則の彼岸』(1920)は、ラカン派ないしラカンの影響を受けた研究者にとって特権的なテクストになっています。そして、現在もラカン派は『快感原則の彼岸』の読解を行っている。しかし、私はそういう形での概念の洗練の仕方に以前から疑問をもっています。現在の臨床現場から死の欲動を考えるなら、それは外傷性障害や解離といったトピックと直接的に結びついています。フロイト自身も、そもそも死の欲動という概念を、外傷神経症者が反復して見る悪夢をどのように考えればいいか、という問題意識から導き出している。とすれば、死の欲動の問題は、最近研究が進んでいる外傷性記憶、あるいは幼児性記憶システムといった観点からも捉えられるのではないか、というのが私の問題提起です。

 このような論点が、これまで行われた『快原理の彼岸』に関する豊かな読解の成果を十分に汲んだものではないということはよく分かっています。死の欲動という概念が持つ可能性を狭めている、という批判もあるでしょう。しかし、私はこれまでのテクスト主義からは決して出てこないような、臨床的な一つの読解を提示してみたかったのです。

(立木康介)
 死の欲動の問題に記憶の問題から迫っていくのは正しいやり方なのだろうか、というのが僕の疑問です。(部分欲動と死の欲動をめぐる覚書より)

…………

さて「ヴァレリーと昇華」である。

身体の傷は何カ月かで癒えるのに心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す(ヴァレリー『カイエ』より)
過去を引き裂いたり、自分から引き離そうとして疲れてしまうこともあれば、未来などなくしてしまいたいと願うこともあります――過去と未来、この二つの恐るべきイメージには耐えられません。(ヴァレリーーーヴァレリー『コロナ/コロニラ』より)
外傷は破壊だけでなく、一部では昇華と自己治癒過程を介して創造に関係している。先に述べた詩人ヴァレリーの傷とは彼の意識においては二十歳の時の失恋であり、おそらくそれに続く精神病状態である(どこかで同性愛性の衝撃がからんでいると私は臆測する)。二十歳の危機において、「クーデタ」的にエロスを排除した彼は、結局三十年を隔てて五十一歳である才女と出会い、以後もの狂いのようにエロスにとりつかれた人になった。性のような強大なものの排除はただではすまないが、彼はこの排除を数学をモデルとする正確な表現と厳格な韻律への服従によって実行しようとした。それは四十歳代の第一級の詩といして結実した。フロイトならば昇華の典型というであろう。しかし、彼の詩が思考と思索過程をうたう下にエロス的ダブルミーニングを持って、いわば袖の下に鎧が見えていること、才女との出会いによって詩が書けなくなったことは所詮代理行為にすぎない昇華の限界を示すものであり、昇華が真の充足を与えないことを物語る。彼の五十一歳以後の「女狂い」はつねに片思い的で青年時の反復である(七十歳前後の彼が一画家に送った三千通の片思い的恋文は最近日本の某大学が購入した)。他方、彼の自己治癒努力は、生涯毎朝書きつづけて死後公開された厖大な『カイエ』にあり、彼はこれを何よりも重要な自己への義務としていた。数学の練習と精神身体論を中心とするアフォリズム的思索と空想物語と時事雑感と多数の蛇の絵、船の絵、からみあったPとV(彼の名の頭文字であり男女性器の頭文字でもある)の落書きが「カイエ」には延々と続く。自己治癒努力は生涯の主要行為でありうるのだ。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P111-112)

ここで中井久夫が《彼の意識においては二十歳の時の失恋》と書いていることに注意しよう。

一般に、語られる外傷性事態は、二次的な体験、再燃、再演であることが多い。学校でいじめが滑らかに語られる時など、奥にもう一つあると一度は考えてみる必要がある。また、パートナーからの虐待の際に、女性の話を聞いてゆくにつれて、果たしてどのような虐待かがわからなくなり、だんだん小さくなってゆく場合にも、同じことを考えてみる必要がある。これは、いじめやDVそれ自体を否定することでなく、それが再燃、再演である可能性を示唆するものである。

しかし、再燃、再演かと推定されても、当面はそれをもっぱら問題にしてよい。急いで核心に迫るべきではない。それは治療関係の解消あるいは解離その他の厄介な症状を起こす確率が高い。「流れがつまれば水下より迫れ(下流の障害から除去せよ)とは下水掃除の常道である。そもそも、幼児期の記憶は、ストーリーとして語りえないものであり、演じられることのほうが多い。成人患者においても行動化、身体化、回避現象がヒントになり、そこに再演がかいまみられる。(同 P104)
時間はふつう未来に向かって進行する。しかし、時間は停止しているだけでなく、時間軸が後ろに向かいがちである。時間の井戸に下降している感覚がある。

治療者は所詮、擬似体験者である。( ……)しかも何例か、すなわちいくつかの井戸を受け持つ。時間の井戸下降感覚は、いずれも、日常生活に奇妙な影響を与える。それは、精神分析などで幼少期を問答しているのとは全然といってよいほど違う。これは治療者の側への作用である。周囲の人と時間のベクトルがちがってくるのである。

さらに、この井戸の構造は単純でない。最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。

たしかに言語化はイメージを減圧する。言語とはそのために生まれたという人もあるぐらいである(高知能自閉症の言語と儀式もまた)。絵画も生のイメージを減殺する力がある。神戸では震災直後、米国からの援助者が「もう泣きましたか」「話して下さい」とよく被災者に語りかけていた。米国人は、日本人は自己の体験を語れない社会であるから被害者が深刻になるのだといっていた。そうなのだろうか。言語は重要であるが、ナラティヴもまた一つのフィクションであって、絵画療法に似ていはいないだろうか。

時間は偉大な癒し手であって、体験がいつのまにか浄化されてゆくことはある。「成仏」とはその行く手にあるものだろう。「季節よ、城よ、無傷なところがどこにあろう」(ランボー「地獄の一季節」)季節は「過ぎゆくもの」、「城」はとどまるものか。おそらく、トラウマを飼い馴らすことはできるとしても、人はトラウマをなかったことにすることなど、できないのであろう。悲劇の感覚というものがある救いになることがあるが、時には不幸な執念が人生を埋めてゆくこともある。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収P59-60 )

中井久夫はヴァレリーの「原トラウマ」をも憶測しているに相違ない。すくなくとも二十歳の失恋がヴァレリーのトラウマの本来の起源ではないだろうということが《意識においては》という表現に表れている(もちろん別に同性愛性の衝撃がからんでいると憶測するとされているが、それだけではないように思う)。

人皆の根底にはその人の「原則」が巨大な文字で彫りつけてある。それをいつも見つめているわけではない。一度も読んでいないことも稀ではない。だが人はそれをしっかり守り、人の内部の動きはすべて、口では何と言おうとも、書かれているところに従い、決して外れることはない。考えも行いもそれに違うことはない。心の奥のそこには傲慢、弱点、頬を染める羞恥、中核的恐怖、孤立、なべての人が持つ無知がきらめいていて、世にあるほどのバカげた行為をいつも今にもやらかしそうだ―――。

愛しているものの中にあれば弱く、愛しているもののためとあらば強い。(ヴァレリー『カイエ』Ⅳ中井久夫訳)

後年の個人的な教養や正常性にとってきわめて重要な意義をもつ…構造は、どんな手段によってつくりあげられるのであろうか? それはおそらく、小児の性の興奮そのものを犠牲にして行われるのであって、したがってその性的興奮の流れはこの潜在期間中もやむことはなかったのであり、エネルギーはしかしーーまったくか、あるいは大部分――性的な使用からそらされて、ほかの目的に向けられるのである。性的な原動力をこのように性目標からわきにそらして、新たな目標に向けること、それは昇華という名に値する一つの過程であるが、これによってあらゆる文化的な仕事をするための莫大な力の成分が得られる、という見解においては、文化史家たちも一致しているように思われる。そこでわれわれは、これと同じ過程が個々人の発達においても行われるということを付言し、またそれの始まる時期を幼児の性的な潜在期間中におきかえることにしようと思う。(フロイト『性欲論三篇』1905著作集5 P43
小児の性生活が最初の開花に達するのと同じ時期、つまり三歳から五歳までの年頃に、小児にはまた、知識欲または詮索欲にもとづく活動の発端が現われてくる。知識欲は欲動の要素的な成分の一つに数えるわけにもゆかず、またもっぱら性愛だけに従属させることもできない。この行動は一方では昇華された独占の仕方に対応し、他方では盗視癖のエネルギーを用いて行われる。しかし性生活に対する知識欲の関係がとくに重要なのであって、それというのは、小児たちの知識欲は思いもよらないほどに早く、また意外に激しい仕方で、性的な問題に引きつけられる、いやそれどころか、おそらくは性的な問題のよってはじめて目ざめさせられる、ということをわれわれは精神分析によって知ったからなのである。(同P56)
苦痛防止のもう一つの方法は、われわれの心理機構が許容する範囲でリビドーの目標をずらせることで、これによって、われわれの心理機構の柔軟性は非常に増大する。つまり、欲動の目標をずらせることによって、外界が拒否してもその目標の達成が妨げられないようにするのだ。この目的のためには、欲動の昇華が役立つ。一番いいのは、心理的および知的作業から生まれる快感の量を充分に高めることに成功する場合である。そうなれば、運命といえども、ほとんど何の危害を加えることもできない。芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決して心理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識心理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級」なものに思えるという比喩的な説明しかできない。けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動きを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。しかし、この方法の第一の弱点は、それがすべての人間に開放されておらじ、ごく少数の人々しか利用できないことである。この方法を使うには、それが有効であるために必要な量ではかならずしもざらにあるとは言えない特殊な素質と才能を持っていなければならない。しかも、そのごく少数の人々も、たとえこの方法によっても、苦痛を完全に免れることはできないのであって、この方法は、運命の矢をすべてはね返す鎧を提供してくれるわけではなく、自分自身の肉体が原因で生まれる苦痛の場合には役に立たないのが通例である。(フロイト『文化への不満』1930著作集 3 P443-444)

サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。(中井久夫 「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターや詩を書いたりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ論文を書く。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、詩を書くことは肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。 ラカンの出発点は、直接的で「野蛮な」満足とされているものの対象ではなく、その反対、すなわち原初的な空無である。原初的な空無とは、そのまわりを欲動がぐるぐる回っている空無であり、<物自体 the Thing>(フロイト的な das Ding。不可能にして獲得不能な享楽の実体)の形のない形としてポジティヴな存在形態をとる欠如である。崇高な対象とはまさしく「<物自体>の気高さまで高められた対象」である。(ジジェク『斜めから見る』)

「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。サマセット・モームは「人を殺すのは記憶の重みである」といって九十歳になんなんとして自殺した。忘却を人は恐れるが忘却できないことはいっそう苛酷である。プルーストも、母の死後の時間は停止していたに近い。最後はカフェ・オ・レによって辛うじて生存し、もっぱら月光のもとでのみ外出し、ひたすら執筆に没入した。記述を読むと鬼気がせまってくる。

私には、『失われた時を求めて』の話者の記憶は、抑圧を解除されたフロイト的記憶よりも外傷的なジャネの記憶の色を帯びているように思える。プルーストの心の傷の中には、母親に暴言を吐き、ひょっとすると暴力を振るってしまったことによる傷があっても不思議ではないと私は思う(『ジャン・サントゥイユ』あるいはペインターの『プルースト伝』参照)。私は初めて『失われた時を求めて』を読んだ時、作家は家庭内暴力を経ている人ではないかと思った)。もっとも、『失われた時を求めて』は贖罪の書では決してない。むしろ、世界を論理的に言葉で解析しつくそうとするドノヴァンとマッキンタイアのいう子どもの努力のほうに近いだろう。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」『日時計の影』所収  p273-274) 

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』P322)