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2013年9月27日金曜日

音楽演奏のリクリエイトをめぐって

まずごく平凡にグールドのゴールドベルク変奏曲の二つのヴァージョンを並べる。


◆1955studio recording





◆1959 ザルツブルグ live recording




1981年のヴァージョンはあえて貼り付けない。


◆次に別の演奏家のもの。





この演奏は、2006年に録音されている。→ by John Q. Walker Zenph Studios

これは、2007年のTEDで紹介されて、比較的よく知られるようになったのだろう。→ John Q. Walker: Great piano performances, recreated

※参照:Zenph re-performanceによるゴールドベルク全曲版


ジャズピアニストたちの演奏のリクリエイトもあるようだが、打鍵(クー)の調整はまだうまくできていないようで、いささか平板な演奏(に感じる)。


ディスクを聴く人の実感の結果は、全面肯定(違和感をまったく認めない立場)から、全面否定(コンセプト自体を斥ける立場を含む)までさまざまであろう。賞讃しつつも若干の留保を挙げる評として、例えば、金子建志は「[通常ステレオ版]は、アコースティックな残響が幾分、水っぽい印象を与えるため、モノラル原盤の切れ味や、独特の点描的なタッチが与えた衝撃が薄れ気味。一方、バイノーラル[……]は、タッチのの粒立ちが鮮明で、ペダリングやフレージングの微妙な息遣い(もちろん、実際の唸り声は原理的にも介在しない)までもが感じられ」ると述べる。また、米国のある評では、冒頭のアリアは見事に同じだが、第26~29変奏のような速いパッセージで、「55年盤」では音の粒立ちが悪いために緊迫感の出ている箇所が「再演盤」では音の並びが均等化されて、そうした感覚が消えていることや、「55年盤」の「速さ」に伴う「非現実感」が「再演盤」にはかえって欠けていること、第10変奏(フゲッタ)で反復される主題が「55年盤」ではそれぞれに表情が違うが、「再演盤」では均一に聞こえること、などの指摘がなされている。(「新しいピアノ演奏再生技術をどう位置づけるか」宮澤淳一)

ここでいささか文脈とは外れるが打鍵(クー)をめぐるロラン・バルト=浅田彰を引用する。

バルトは声について「きめ」(グラン)を間うたようにピアノについて「打つこと」(クー)を問う。

ルービンシュタインは打つことができない。許し難く凡庸な優等生アシュケナージはもちろん、時にすぱらしく重いピアニシモを聴かせる老練なブレンデル、そしておそらくポリーニさえ、打つことができないと言うべきだろう。

彼らは音楽の制度に余りにも見事に適合しているため、分節構造の内部のしかるベき位置に音を置いていくことしかできないのだ。

ナットやホロヴィッツは打つことを知っている。いや、打つというのは知ってできることでほない、彼らは音楽の制度から何ほどかずれているがゆえに、分節構造からはみ出るような音をどうしようもなく打ち出してしまうのである。(浅田彰『ヘルメスの音楽』)

あるいは。

スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。ストックホルムでのピアノ・ソナタ作品110の実況録音には厚みがある。時間に対してどこか緊張したところ、なにか奪われたもの、最後のシカゴ・コンサートで同じ曲も退くの演奏がどのようなものだったかを想像させるに足るなにかが存在する。時間の切迫が動作を鋭くし思考の速度をはやめるチェスの勝負のように、ある種の絶対的必然性があるのだ。スタジオの場合、時間はじゅうぶんにある。あらゆる方向で時間をたどりなおすことができる。自由だともいえるが、それなりの代価を払わねばならない。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネデール)



以下は架空の話。


ジョン・Q・ウォーカーは、グールドの既存の演奏を分析尽くすことによりグールドの身体脳を獲得し、グールドが録音していない作曲家の演奏まで作り出すことに成功した。だがウォーカーは、音楽業界からの多額の献金と引きかえに、これ以上の研究は差し止めることを要請されている。なぜなら研究成果は演奏家の神話を剥ぎ取ることになり、ひいては音楽業界の衰退を招くことが推測されるから。ヤマハもようやくそのことに気づき共同研究からおりた。


…………


コンピュータ音楽を否定するのではない。
コンピュータは道具にすぎないし、
それがまだ限られたことしかできないとしても、
だれかがそこに別なコンセプトをもちこまなければ、
それ以上のものにはならないのだから。
別なコンセプトはいまのコンピュータの内部からではなく、
外部からやってくる。
現状をいくら見ても、
そのなかに現状を超えるものが見えるわけはない。
科学者がカエルの泳ぎを、鳥のはばたきを研究して
うごきのメカニズムを機械にとりいれようとするように、
コンピュータをつくりだした知の風土では忘れられたもの、
異なる心のはたらき、手のうごき、息のゆらぎから、
別な論理、未知のメカニズム、
それだけでなく、それを実現する人間の
関係とかかわりの再組織ができるかもしれない。
東アジアの複数の伝統を観るのは、回帰のためではない。
原初の分岐点にたちもどり、ありえたが実際にはなかった道に
はいりこむために、伝承を役立てるだけだ。
身体にきざまれた伝承は、
意味にさきだち、ことばのように拡散していない。
コンセプトやイメージは、了解をたすけるかもしれないが、
了解それ自体を代行はできない。

高橋悠治『音楽の反方法論序説』





2013年9月26日木曜日

ピアノを弾くこと

長生きしたカザルスは、最晩年、次のように語ったそうだ。《これまでの 80年間、私は毎日毎日、その日を、同じように始めてきた。ピアノで、バッハの平均律から、プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。》

ーーまねしてみたこともあったが、オレには続かないな





カザルスと同じくカタルーニャ生まれのモンポウの「沈黙の音楽」第一曲。

◆高橋悠治のもの




◆モンポウ自身のもの




ーーオレがやってみると、次のフレーズに入るのが、速くなりすぎたり、待ちすぎて曲の流れが途絶えてしまったり、あるいはフレーズの最初の音に力が入ってしまうだよな。YouTubeに他の演奏家のものもあるが、専門家でも下手くそなやつのを聴くと安心するよ 響きに耳をすます才能がないぜ おまえら


どこを押しても 決った音だけなら
慣れた平均律の耳は 
共鳴のちがいをききとれないか
どこを押しても 揃った響が返るだけなら

鍵盤に固定された音階は
音の抑揚ではなく
ない色を一つだけのねいろに映し
不揃いな指 抑えたひびき
ずらしたリズム 崩した和音
すれあう余韻 逸れるふしまわし
かすめ取るふち 息づく空間

弱さに引き込まれ
揺れうごく余地を残した

窪みの陰 翳る


ーーピアノという  高橋悠治




この曲を作ったころ、武満はメシアンの楽譜をみたり、あるいはシェーンベルクやヴェーベルンの曲を学んだそうだ。響きはメシアンであり、音型は、ヴェーベルンの後期の作品(OP.27だったか?)を思い出させないでもない。

…………


昨年はブゾーニとモンポウを録音し
今年はアキといっしょに石田秀実のピアノ曲集を録音した
ブゾーニは夢のように変わりつづける音の流れに
モンポウは遠いざわめきのこだまに
石田は山水画のなかの空間に歩み去る後ろ姿に惹かれて
(……)

休止符と小節線を書かない楽譜にしてみる
拍を数えない 同期しない
それぞれの音が それぞれの時間で明滅する空間
断片を入れ替えて 流れを断ち切る
音をはずして つながりにくくする

書きながら時間をかけてためしているやりかたを
身体に染み付けて 演奏を解体していく
自然にうごいてしまうことから距離をとる
わずかな変化に注意を向けると ありきたりのうごきはしずまる
ほどけ ばらばらになっていく
こんなことで いいのだろうか

くりかえすたびに変化する
二度とおなじうごきはなく
はじまりの地点からはなれて 二度ともどることはない


ーー冷えとひらき  高橋悠治

高橋悠治が(……)体制に迎合するのでもなければ、反体制運動の前衛としてそれと真っ向からぶつかるのでもない、別な形のコミュニケーションの技法を模索している姿は、われわれにとってもきわめて示唆的だ。前衛音楽が退潮し、ありとあらゆる音楽を並列したマーケットがインターネットに乗って世界を覆ったかに見えるいま、そこに回収されない「別な音楽」は、そのような技法によって辛うじて生き延びていくのかもしれない。(浅田彰「高橋悠治 with 波多野睦美」
かつて触れた2011年の神戸でのコンサートを思い出せば、このディスクのようなレパートリーなら高橋悠治(ケージの傑作「プリペアード・ピアノのためのソナタとインタールード」は今もって彼の録音がベストだろう)と波多野睦美でずっといい録音ができるはずだ。日本にそういうことのやれるプロデューサーはもういないのだろうか…。(同「ラーンキ夫妻のドビュッシー」)

高橋悠治の水牛のエッセイを、日記のようにして読んでいくと(まずは2004年から一年ごとに2013年のものまでPDFファイルにしてiPadの画面で線を引きながら読んだのだが、そこから今度は逆に、逆行して2003→2000という読み方をした)、2008年前後に高橋悠治は変わったのではないか、と感じる。批判の舌峰鋭さが消えてゆき、模索の態度が前面に出るようになっている。2008年といえば、1938年生まれの高橋悠治は70歳。もっとも、その切りのいい年齢はとくには関係ないのかもしれないし、変わったというのも錯覚かもしれない。






《2012 年はケージ生誕 100 年で、ヨーロッパやアメ リカでは多くの記念行事がある。最近の作曲家は自 分の作品より長く生きて、晩年は忘 れられ、有名なだけで作品は演奏されないこともある。ストラヴィンスキーは最晩年にニ ューヨークのホテルで暮ら していた。入院したが酸素テントの下でロシア語しか話さず、 聞き取れるのはヴェラ夫人とバランシンだけだったと言われる。亡くなって1年間はすべ ての作品が演奏された。次の年には『春の祭典』と『兵士の物語』だけになった。武満の 最後 10 年間は、日本では演奏されなくなり、委嘱はアメリカ とヨーロッパだけだった。 亡くなって1年間はあらゆる作品が演奏され、それ以後は他の現代作品を演奏しないで済 むために、ポップソングばかりが演 奏されるようになった。クセナキスの最晩年もフランスでは演奏されず、委嘱はドイツとイギリスから来た。音楽は商品で、作曲家の名前は ブランドに なったようだ。音楽への興味や発見のためではなく、業界のアリバイのために使われるのだろうか。

ケージやクセナキスはいまでは研究者たちに解剖される死んだ音楽標本になっていく。で きあがった作品の細部まで分析しても、残された繭の構造のみ ごとさからは、飛び去っ た蝶の姿は見えないだろう。短い 20 世紀と言われる。1914 年までは 19 世紀ヨーロッパ の長い終わりだった。その後は戦 争と革命の時代で、伝統は破壊され、新しさを求めた 試行錯誤が続いたが、1920 年代の終わりから、実験の行き詰まりから引き返し、機械文 明への 素朴な信仰をもったままで「バッハ」や「原典に帰る」新しい権威主義が支配し、 1960 年代の終わりには失速したが、まったく崩壊するまでには 1990 年を待たなければな らなかった。その後の、先の見えない賭博経済と民族紛争しかないこんな時代の音楽の現 実からは、固定したカテゴリーや システムや方法を論じたり、すぎてしまった新しさに 価値や展望を求める態度には、縁遠いものを感じる。過去は技術だけではないだろう。規 則や定義 や理論としてはっきり限定されないままに、世代を越えて受け継がれる文化伝 統、音楽的身体や感情は、歴史の可能性とも言えるし、音楽的ふるまいの 環境でもあり、 呼吸する空気でもあるだろう。》(だれ、どこ     高橋悠治


ピアノを弾くこと  高橋悠治

ピアノは生活の手段だった。オペラの練習や歌の伴奏から、前衛音楽の演奏家になり、そこにバッハのようなクラシックのレパートリーを入れてきたので、ピアニストとしての教育は受けなかった。家が貧しかったのでピアニストとしての教育を継続して受けることはできなかったこともある。19世紀的な名人芸はできもしないし、やる気もなかった。1950年代の前衛音楽では点としての音のタイミングと強度を指定された通りに区別するのがすべ てだったのか。それに対してオペラ的なものは身振りとしてのパターンを過剰に提示すればよかったのか。必要な身体技術を身につけるだけでピアノを弾くことはできる。作曲家だから作品を分析することができて、その知識の上で演奏を構成していると思われているかもしれないが、演奏している時に考えることは妨げにしかならない。同じメロディーが再現するからと言って同じ演奏はできないどころか、時間が経てば同じ音符もちがう響きがするのでなければ、演奏する意味がない。

書かれた音符のちがいをはっきり聞かせるだけの楽譜に忠実な演奏は、1930年代から数十年続いた演奏スタイルにすぎなかった。そうだからと言っ てそれ以前の個性的な表現や技術や感情に支配された演奏スタイルに帰るわけではない。

ピアニストとみなされると、人が聞きたがるものを弾くことになる。バッハを弾いているとそればかり求められるが、日本では数十年前のグレン・グー ルドの代用品にすぎないから、弾くだけむだと最近は思うようになった。19世紀音楽はだれでも弾くから競争になるだけだし、音楽がもう死んでいて、経済的価値しか残っていない

20世紀の構成主義や技術主義的な音楽観はバッハやベートーヴェンからシェーンベルクまでのエリートのものだった。音楽が制度であるかぎり、作曲 や作品の権威はなくならないのかもしれない。でも、何を弾くかが問題であるうちは、音楽の歴史は作曲家の歴史で、楽譜に書けるようなピッチや時間 の長さといった数量が中心である音楽は、市場経済の一部になっていくのだろう。

ピアノを弾くのがいやだった時期が長かった。シンセサイザーやコンピュータ、アジアの伝統楽器に惹かれていたこともあった。電子音には自発的変化がない、擬似ランダムな操作で変化を加えてもそれはほんとうの偶然ではなく、発見がない。伝統楽器は伝統のなかに入らなければ何もできない。残っ たのはピアノだけだった。この19世紀の音楽機械、力と速度と量を操作する技術の楽器を異化することができないだろうか。

ちがう原理による音楽を作ることはできる。だが、「何」の限界にとらわれないためには、「どのように」からはじめるのがよいかもしれない。

音楽は音が聞こえるという「聞こえ」がすべてだ。聞こえるものの背後に音楽の本質があるというベートーヴェン的思い込みは耳の現実ではないように 思える。音は聞こえたときは消えていて。音の記憶にすぎない。『印象がすでに表現だ(馬にとってのように)』(クラリセ・リスペクトール)。『見 えること、それこそあることかもしれない、そのように、太陽は見えているなにか、そのものである』(ウォレス・スティーヴンス)。楽譜の上で左と 右に見える模様は、右から左へ見ていくことはない。時間を横軸とし音の高さを縦軸とする格子のなかの模様を耳は聞いていない。音はすぎていき、次 の音は前の音とはちがって聞こえるのを時間と呼ぶなら、時間は規則的に区切られた線のように連続してはいないだろう。記憶される音楽は録音された音楽とはちがう。

ピアノを弾くときは低く座る。ほとんどのピアニストは鍵盤を見下ろす位置に高く座り、背を前に倒しているが、これでは背だけでなく肩や腕にむだな力がかかるし、タッチが浅くなるような気がする。キーを見ながら弾くと、手や指の位置に関する固有感覚がにぶくなる。ピアノを弾いて疲れるのはま ともではない。弾けば弾くほど身体から余分な力がぬけてらくになるはずなのに。と言っても身体は静止してはいない。静止させた身体から手や指だけを動かすのは部分的な運動でストレスが大きくなる。じっさいには、身体が静止しているときはない。いつもうごいているからうごかすこともできる。 全身がいつも円を描くように運動しているから、それにのせて力を分散させれば、わずかな動きだけで大きな変化を作ることができる。聴覚神経も固有振動があるから音がきこえるのと似ている。

メロディーはさまざまな粒子の相互干渉の流れを無視して、音楽を一本の連続線に均す。近代和声は連続を求心性の周期に翻訳していた。ところが演奏 はメロディーを音色の時差のグループに断片化し、和声を点滅する響きの距離空間に解体する。音色、音質、リズムの揺らぎは楽譜に書くことはむつか しいし、あらかじめ決めることができないから、指定することには意味がない。廃墟に残された道標のように何ものも指していない無意味な指定は、無 視することができるばかりか、構造主義的な音楽観に特徴的な二項対立のように、取り除くことによって音楽は解放されるだろう。同時性、周期性は見 かけの要約だから、乾物をもどすように指のうごきがこわばりを取り除いてしなやかさをとりもどす誘い水になる。ピアノの均質な音色は、強弱の差異 を小さくしながらタイミングをすこしずらすことによって翳りを帯びる

ここに書いていることには個人的な好みもあるが、時代のスタイルの現われでもある。その有効性ははじめから限られている。表現や構成や綜合をめざ してはいないし、それらからはむしろ解放された方向にひらいたものでありたいとは思うが、じっさいそうなっているかどうかはわからない。こうあり たいと努力するようなことではなく、努力やよけいな緊張のない、なにかちがうものであろうとするストレスのない、うごいている身体がそれ自体とそ れを撹乱する外側の両方に注意を向けている夢の持続のようなありかた。それはことばの本来の意味で練習とも言えるが、楽器の練習と言うときによく ある反復ではなく、いつもちがうやりかたの実験でありつづけるという意味の練習と言ってもよいだろう。

ピアノ練習には音はあまり必要ない。聞くことに連動する身体のうごきを意識すればよいのだから。次の音の位置にあらかじめ手があるように、見ないでその位置を感じ、それからそれを音にする、そしてそこから離れる、それをグループごとに沈黙で区切りながらためしてみる、それだけのこと。音はすでに記憶だから、音のイメージはあり、じっさいの音にすこしさきだってあり、音をみちびいていく。知覚は感覚に約半秒遅れて起こるといわれる が、イメージは音を作る身体運動の半秒先を行くように思われる。それが楽譜を読む眼のうごきでもあり、初見の方法でもある。

音のイメージとじっさいの音との落差あるいは乖離は知覚の時差がある限りなくならない。音には思い通りに操作できない部分が残る。それは偶然でも あり時間を遡って修正することはできないから、それに応じて次の音のイメージが修正され、さらなる乖離が続く。完全な方法はありえない。演奏は不 安定なもので、いままで書いたこともガイドラインにすぎないし、それだって保証されたものではない。

それなのに、確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられない ためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。

…………

最後に、ちょっとした長男の悪戯(オレに誰の演奏か当てろ、という)。三人の演奏家によるショパンの最後のマズルカ。演奏家不記載だが、最初のポーランドの女流演奏家は、「あなたたち、マズルカは、あたしの国の民族舞踊なのよ、そんなに気取って演奏しないで!」と語っているかのようだ。とはいっても、19世紀、ポーランド貴族(シュラフタ)のあいだで流行した踊りらしい。だが、シュラフタの数は西欧の貴族と比較すると多いため、時に日本の武士との対比で「士族」と訳されることもあるそうだ。













2013年9月25日水曜日

音楽と「ま」ヌケな若い精神科医

・木村敏がよく言う「合奏しているときに、自分と他人はともに〈あいだ〉としか呼びようのないものになっていて、そこに自他の区別はない」みたいな話、ものすごくヘタクソなミュージシャンな感じがするのだが、これは私だけだろうか?

・例えばギタリストの場合、ほんとに上手い人は、弾いてからシールドを介してアンプから空気振動に至るまでの数〜数十msの遅れを意識してものすごく自己反省的に弾いているという人にしか出会ったことがないし、その遅れに対する反省性がないアンサンブルとかクソとしか思えないのだが。

・これは別に音楽の話にかぎるわけではなく、木村敏的な生命論に対するラカン的な対立軸(すなわち、言語の壁は不可避でありそれを無視してはいけない)という話とパラレル。

などと相対的には聡明な若い精神科医が、インテリのパチンコをしているのを見てしまったな

パチンコもときにはよい。中井久夫はこう書いている。

ある程度本格的な企画の場合に、初期高揚だけで完成することは決してと言ってよいほどない。しかし、この時期に「パレット」をできるだけ充実させておくことがずっと後で生きてくる。「パレット」の充実には、聞き手がいるとずっと楽である。独りでは限界がある。ここにも一つ、編集者の「治療」の有用性がある。

これは、「自由連想」をさせて、「抵抗」を破って、「徹底操作」をして「洞察」に到達せしめる精神分析治療に似た過程であると私は思う。「自由連想」とは編集者との駄べりである。

「自由連想」は、主題やキーワードの持つ意外な側面を明らかにし、新しい可能性を開く。著作というものは、発端に立った時に終点まで見通せる直線道路のようなものではない。そういうものであれば、おおよそ詰まらないものだろう、予期外の転回に引かれて読者は読み進むものである。「自由連想」によってこれから書く領域の思わぬ複雑なひだひだが見えてくれば成功である。

「抵抗」にはいろいろある。怖い批評家の言葉の先取りもある。従来の自説が足を引っ張ることもある。ある箇所がとうてい越せない難所に見えることもある。ある部分についての知識が絶望的に欠如していると思うこともある。これらは、みな「抵抗」である。しかし、対話のうちに、難所もさしたるものでないようにみえてくる。ある部分は回避してもよいことがわかる。あるいは違った接近法がよいと知れる。このように「抵抗」を言語化し吟味することが「徹底操作」である。そうすると、この課題でこのようなものなら著者にもできるという、「現実原則」に則った「洞察」が生まれる。この手続きなしで、編集者が「ま、よろしくお願いします」で引き下るとロクなものができない。

編集者は地方にはいないが、その代わり、さいわい、私は大学教師で、周囲に若い人がいる立場にあるので彼らを大いに利用させてもらっている。私のほうが聞き役になることもむろんある。(中井久夫「執筆過程の生理学」)

いまでは、そんな律儀な編集者やリアルな仲間のたぐいは稀にしか存在しないのだろうから、SNS上で「自由連想」の聞き役を求めたらいいのであろう。ただ「パチンコ」の玉を真に受ける相対的には聡明さの劣るひとたちがいるのであって、冒頭のツイートの「<あいだ>抜け」の思考、「あいだ」、つまり「ま」なのだから、ここでは「まヌケ」と呼ばせてもらうが、それを短絡的にマに受けたらまずいだろう。


高橋悠治の音楽をめぐる掠れ書きは、その多くが「身体」論であり、その多くは「あいだ」論であるとしてもよいのではないか。

音楽は「あいだ」のものだから 地図のない道 全体のない部分 座をつなぎ 場をつくるもの 即興とその記録のあいだで どっちつかずにゆれている(高橋悠治「冬のなかで2009年」)
聞こえる音のなかから、いくつかの音のかたちをききとる。それらの音を指先でなぞりな がら、音のうごきを身体運動と内部感覚に移し替える。そのよ うな経験からはじめて、 そこからちがう軌道に踏み出してみる。停まりそうになったら、どこかにもどってやりな おす。このプロセスは即興でもあり、 作曲でもある。即興はその場の聴き手の共感が感 じられるあいだはつづく。聴いているひとたちの自発性が、じっさいはその即興に干渉し、 その道筋を つけている。失速しないうちに、完結しないように、音を中断して、想像力だけがまだしばらくはうごきつづけて、どこともなく消えていくように誘う のはむつか しい。

作曲は、計画された即興とも言える。楽譜に書かれた音のかたちは、一定の意味や情報と 言うよりは、さまざまに見えるインクのしみのようだ。演奏は 一つの見かたにはちがい ないが、それがまたさまざまな聞こえかたや聴きかたにひらかれている。聴き手の主体性 をスペクタクルで惑わしたり、反復パ ターンで麻痺させれば、演奏は支配の道具になっ てしまう。聴くよりどころになる回帰するパターンは、筋感覚的運動イメージと同時に起 こる。それは 個人の内側のもの、一人称的表象と言われているらしいが、むしろ無人称 の視覚像にならない感覚ではないだろうか。回帰はただの反復ではなく、もと もと隠れ ていた逸脱の芽、わずかな歪みが、回帰のたびにちがう回路をひらくように仕組まれてい る、それはベンヤミンが書いていたカーペットの模様 のほころび、あるいは ラドクリフ =ブラウンの注目した籠の編み残した目、「魂の出入り口」。(掠れ書き
演奏によって死んだかたちをふたたび生かすのは、まだやさしい。再現や解釈ではなく、 と言って、まったくの即興でもなく、反復でもなく、循環しな がら即興的に変化し、伝 承されたかたちを崩しながら、卵の殻からちがう運動を呼び覚ます、そんな演奏のありか たを思い描くことはできなくはない。 響きが消えるまでの短い時間のなかに生きる音楽 にとっては、演奏こそが本来のありかたで、作曲は補足的なもの、演奏への指示と結果の 記録が、その 分を越えて、それだけが創造であるようにふるまっているのだとも言える。

音楽の変化が現場からはじまるとすれば、それは歴史的身体の必要に応じて変化するだろ うし、指示や記録方法の不適切は、後になって気づくこと、つ まり作曲法の変化は、演 奏の場の変化にいつも遅れて起こることになる。20 世紀音楽史は、そうしてみれば転倒 しているのではないか。それなら、そ こに登場する作曲家や作品をエリート主義として かたづけられるのか。ポップミュージックまで視野をひろげてみれば、実験とそのデザイ ン的な応用と の相互作用は、コマーシャリズムや音楽ビジネスというだけではなく、表 層文化の両輪が噛み合いながら回っていく。この音楽装置のなかで、相対的に 自律でき る場があるのか、そんな可能性は思い込みでしかないのか。(掠れ書き (2010.6-2013.6) )

あまりにもたくさんあるので、ここでは三つだけの抜き書きにするが、高橋悠治だけでなく、武満徹をつけ加えよう。

私が理想とする音楽の聴かれかたは、私の音が鳴って、そのこだまする音が私にかえってくる時に、私はそこに居ない――そういう状態(『音、沈黙と測りあえるほどに』)

もっとも、これらが木村敏の「あいだ」とほとんど同じことを言っているのかどうかは、木村敏のよい読者ではないわたくしには分らない。しかし冒頭のツイートの演奏の場での「自己反省的」などという語句が通用しない世界のことを語っているには相違ない。


表現と間(前) ―精神医学に学ぶ音楽教育論吉野秀幸」 という木村敏の音楽論に依拠した論によれば、木村は、「ある程度の水準をもった演奏者同士が合奏する場合、三つの段階が想定できる」としているそうだ。

詳しくは論をみてもらうことにして、最後の第三段階はつぎの如し。

初歩段階の正確さにとらわれた 緊張はもちろん,楽譜や相手に合わせようとする意識すら消え去り,各演奏者が外部的規 準に拘束されず,純粋に自発的で主体的なノエシス・ノエマ的創造行為を遂行している段 階である。この段階では,各自がそれぞれの力量や技術を発揮して自らの行為を瞬間ごと に実現し,しかもその結果として一つのまとまった自然な流れとしての合奏が成立する。 このような境地に達することはなかなかないことかもしれぬが,ときに瞬間的に実現する ことがあることをわれわれは確かに知っている。

《ギタリストの場合、ほんとに上手い人は、弾いてからシールドを介してアンプから空気振動に至るまでの数〜数十msの遅れを意識してものすごく自己反省的に弾いているという人にしか出会ったことがない》などとパチンコをする人物は、おそらく「このような境地」が実現することがあるのを知らない人物ということなのだろう。まあ、それはそれでよい。世間にはいろいろな種族がいる。だが「自己反省的」などという語句を書いてしまうのは、いかにパチンコであろうと、まずいのではないか。ベンジャミン・リベットの論を知らないわけでもあるまい。そもそも音楽演奏の場が自己反省的な心持だけで対応できるなどとは、初心者の場合だって考えにくい。

八十歳を越える高齢になってから最近にわかに脚光を浴びているベンジャミン・リベットの仕事によれば、意識はせいぜい二〇~四〇ビットの情報で理性的・倫理的判断を行うのであり、これが「エゴ」であって、エゴはそれに〇・五秒先行する一〇の七乗ビットの「セルフ(私のいう〈メタ私〉か)の判断を受けて、あたかもおのれが今リアルタイムで行っているかのように判断するという。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって――プルースト/テクスト生成研究/精神医学」より)

意識と複雑性との関連は、「意識は、事物があまりに複雑になると、這入り込まねばならなくなる」といった事実にではなく、その反対に、意識は複雑性の根源的な<単純化>の媒体であるという事実に、存在しているのである。意識は、優れて「抽象」の、一対の単純な形象へのその対象の還元の、媒体なのだ。
.
ベンジャミン・リベットの(正当にも)有名な実験は、これと同様の方向性を有してはいないだろうか? 彼の実験を興味深くしているのは、その結果が明白であるとはいえ、それが<何にとっての>議論なのかが明白でない、という点にある。次のように論ずることができるだろう。リベットの実験は、どのような意味で自由な意思が存在しないのかを証明する、と。すなわち、私たちが(例えば、指を動かすといったように)意識的に決断する前に、すでに適切な神経過程が動き始めており、〔その意味で〕私たちの意識決定とは、すでに進行していることに気づくこと(すでに為されたことへの余計な権威づけをおこなうということ)に他ならない、と。(ジジェク『身体なき器官』)


あるいは、スポーツ論における伊藤正男の「無意識」や、オートポイエーシスをめぐる河本英夫の「気づき」を知らないわけではあるまい。

河本英夫は、《「気づき」は行為に伴う調整機構であって、自己意識(自己反省・自己言及)」とは異なる(そこを混同するな)ということが書かれている。これは重要だと思う。自己意識は行為を滞らせるが、気づきは行為のなかにある》(偽日記)としているそうだ。

荒川修作の《意識とは「躊躇」の別名》という名言だってある。自己反省=躊躇などしていたら、どんな演奏を聞かされることになるというのだろう。

ラカンならこう言う。

意識にかんして、前意識を構成するもの、世界をわれわれの思考によって緊密に織り上げられたものにするものにたいして、意識は主体の中心であるものが外部から自らの思考、自らのディスクールを受け取る表面であると言える。意識はむしろ無意識が前意識から来るものを拒否するため、もしくは無意識が意識において十分の必要なものを詳細に選択するためにあるのである。(『同一化セミネール』)

すくなくとも「自己反省的」ではなく「身体反応的」と書くべきではないかね、ラカン派のひどく優秀な<きみ>よ

ーーここではあえて二人称代名詞や隠された一人称を使って、イマジネールかつパラノイア的な投壜通信としよう。

人称代名詞と呼ばれている代名詞。すべてがここで演じられるのだ。私は永久に、代名詞の競技場の中に閉じこめられている。「私〔je〕」は想像界を発動し、「君〔vous〕」と「彼〔il〕」は偏執病を発動する。……『彼自身によるロラン・バルト』)

パラノイア、すなわち「自己非難」に裏打ちされているということだ(すくなくとも、そろそろ、こういった時間の無駄遣いはやめなければならない)。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))


さて、木村の音楽論をめぐる小論に戻れば、次のように木村から引用されて説明が加えられている。

「最後の理想的な段階では,それぞれの演奏者がすべて各自のパートを独自に 演奏しているという確実な意識を持っているだけでなく,他の演奏者すべての演奏をまと めた合奏音楽の全体すら,まるでそれが自分自身のノエシス的自発性によって生み出され た音楽であるかのように,一種の自己帰属性をもって各自の場所で体験している。しかし その次の瞬間には,音楽全体の鳴っている場所がまったく自然に自分以外の演奏者の場所 に移って,演奏者の存在意識がこの場所に完全に吸収されるということもありうる。音楽 のありかがこのようにして各演奏者の間を自由に移動しうるということは,別の言い方を すれば,音楽の成立している場所はだれのもとでもない,一種の「虚の空間」だというこ とになる」 (木村敏『躁鬱病と文化/ポスト・フェストム論』2001)


《 「虚の空間」とは,木村によれば「あいだ」である。しかし, 「虚」と言われる以上,そ れは単なる空白の隙間ではなく,もちろん視覚的に捉えられる空間でもなく,それと指し 示すこともできない。すなわち「虚の空間」とは,実体としては( 「もの」としては)知 覚し得ないけれども,にもかかわらず演奏者にとっては確かに存在すると実感できる場所 である。このことを木村は, 「ずっしりと重みのある,実質的な力の場」 26)と言い表して いる。一体それはどこにあると言えばよいのであろうか。  木村は述べる。 「そういう状態の時に[第三段階において] ,音楽がどこで鳴っているか というと四人の間[カルテットの場合]で鳴ってるんじゃないか」 27) 。あるいはこの場所 のことを「自分と相手のあいだのだれもいないところ」 28)とも言っている。だが一方,彼 はつぎのようにも語っている。 「…音楽が鳴る「あいだ」とは,各自の内部にあって,同 時に各自のあいだにもあるという,不思議な場所だということですね」 29) 。つまり,こう いうことなのである。 「実在の物理的空間に定位不可能なこの「虚の空間」は,いわばす べての演奏者がそこから「等距離」にあるような場所である。合奏全体を一つの閉じたシ ステムと見なせば, それは各演奏者の「あいだ」であると言ってよい。だがこの「あいだ」 は,ノエマ的な空間の内部で個々の演奏家を隔てている間隔とは違って,決して各自の外 部に定位されるものではない。この「あいだ」には明瞭なノエシス的自己帰属感が伴って いる。各演奏者はそれをむしろ,各自の行為的自己の「内部」として体験している。それ は,各自の内部に見出されながら各自のあいだにも見出されるという不思議な場所なので あって,この不思議さは,それが本来ノエシス的な現象であるのにノエマ的にしか意識さ れないという,その二重構造から来ている」30)》


これらを読むと、武満徹や高橋悠治とほぼ同じようなことを語っているという錯覚に閉じこもってしまう。

精神科医でもあるグールド論の著者シュネデールは次のように書いている。

……音楽は遠ざかろうとするなにかであり、人がつかまえたと思っても、どこかへ行ってしまうようななにかである。留まるものと逃れ去るもののあいだに張られた絆。逃れ去る女。北の茫漠とした風景にたれこめる灰色の霧がすぐに包み隠してしまう太陽光線のはかなさ。光が死に絶えても、なおあとに残る不定形のうごめき。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド PAINO SOLO』)

聴取だけであっても、こういった経験はクラッシック音楽だけのものではないのではないか。


冒頭の一連のツイートのあと、しばらく置いて、若い精神科医はつぎのように呟いている。

木村敏はこのあいだ「フロイトの死の欲動は小文字の死しか扱ってない。俺が扱うのは大文字の死」って言ってるのをみて末代まで呪うことを決めた。

つまりは「自己反省的」ではなく、「身体反応的」に書かれたツイートであることを白状しているのだろう。


ラカンが「大文字の死」を扱っていないかどうかは、わたくしの知るとろこではないが、S・シュナイダーマンの『ラカンの《死》』によれば、ラカンは精神分析理論の中心軸を、フロイトの「性」から、「死」へとずらしたい願望を密かに抱いていたとされる。

なんらかの事情があって(シュナイダーマン曰く、トラブルを回避すべく)、「死」ではなく「享楽jouissance」にすり替えるという妥協の道を選んだらしい(伊藤正博「ラカンの《第二の死》の概念について」による)。

この見解に従えば、現実界的(リアル)な「死」は、扱っていることになる。

木村敏の「死」をめぐる議論については、いま唯一手元にある小さな本の「あとがき」に次のように書かれている。

私はつねづね、人間に関するいかなる思索も、死を真正面から見つめたものでなければ、生きた現実を捉えた思索にはなりえないのではないかと思っている。もちろん、この死というのは個人個人の有限な生と相対的に考えられた、個別的生の終焉としての死のことではない。生の源泉としての死、生が一定の軌跡を描いたのちに再びそこへ戻って行く故郷としての死、私たちの生にこれほどまでの輝かしさと、同時にまたこれほどまでの陰鬱さを与えている包括者としての死のことである。私たちの生は、その一刻一刻がすべて、この大いなる死との絶えまない関わりとして生きられているのであろう。

私たちは自分自身の人生を自分の手で生きていると思っている。しかし実のところは、私たちが自分の人生と思っているものは、だれかによって見られている夢ではないのだろうか。夢を見ている人が夢の中でときどきわれに返るように、私たちも人生の真只中で、ときとしてふとこの「だれか」に返ることができるのではないか。このような実感を抱いたことのある人は、おそらく私だけではないだろう。

夜、異郷、祭、狂気、そういった非日常のときどきに、私たちはこの「だれか」をいつも以上に身近に感じとっているはずである。夜半に訪れる今日と明日のあいだ、昨日と今日のあいだ、大晦日の夜の今年と来年のあいだ、そういった「時と時とのあいだ」のすきまを、じっと視線をこらして覗きこんでみるといい。そこに見えてくる一つの顔があるだろう。その顔の持主が夢を見はじめたときに、私はこの世に生まれてきたのだろう。そして、その「だれか」が夢から醒めるとき、私の人生はどこかへ消え失せているのだろう。この夢の主は、死という名をもっているのではないか。(木村敏『時間と自己』)