私の馴染んだこの部屋が
貸し部屋になっているわ
その隣は事務所だって。家全体が
事務所になっている。代理店に実業に会社ね
いかにも馴染んだわ、あの部屋
戸口の傍に寝椅子ね
その前にトルコ絨毯
かたわらに棚。そこに黄色の花瓶二つ
右手に、いや逆ね、鏡付きの衣裳箪笥
中央にテーブル。彼はそこで書き物をしたわ
大きな籐椅子が三つね
窓の傍に寝台
(……)
何度愛をかわしたでしょう。
(…)
窓の傍の寝台
午後の日射しが寝台の半ばまで伸びて来たものね
…あの日の午後四時に別れたわ
一週間ってーーそれからーー
その週が永遠になったのだわ
(カヴァフィス「午後の日射し」中井久夫訳)
【変奏の試み】
半島を南に向かう下り坂よ
二股に分かれる道を海のほうに向かうと
公園の裏手に木造平屋の療養所があったの
あの頃何度も訪れたわ、
今ではコンクリート建ての
どこにでもある背の高い病院に
面変わりしてしまったけれど
窓の傍の窮屈そうな、でも清潔な寝台
開け放たれた窓からはマンダラゲの薄紅色の花
風向きによっては微かに匂う潮の香
使い古された敷布団のなかに
黄疸にむくんだ顔と精気の失せた軀が
埋め込まれてぐったりだらり
退屈だったのかしら、あの夕べ
かりそめの躊躇の一呼吸のあと、唐突に
だれか他の男とやれっていうんだわ
そしてその様子を念入りに喋ってくれって
……
報告したわ、あの午後の澱んだ空気のなか
彼の眼、遠くをみているようで、なにも見ていないよう
「見ることをやめて
内心のなにかに注意を向けてる」っていうのかしら
そして震え声で。もっと詳しく、もっと、って
会話にぱっと火がついたかのよう
あることないことでっちあげて
互いの興奮を楽しんだわ
頬がほってって軀中が汗ばんだのは
重苦しい蒸し暑さのせいだけじゃない……
あの八月の午後――八月だったかしら?
彼の眼だけは忘れられない
「愛と恐れを
心の内に
ひきとめているまなざし」
ーーそういってもいいかしら?
そしてその午後がほんとうの最後になったのだわ
――――(鉤括弧内はロラン・バルトの『明るい部屋』より)