2014年6月28日土曜日

柄谷行人ファンクラブ

サイバースペースがもたらすのは、匿名の「原子化する個人」である。それは「結社形成的な個人」をもたらさない。もともとそのような個人が多いところでは、インターネットは結社形成を助長するように機能する可能性がある。しかし、日本のようなところでは、「原子化する個人」のタイプを増大させるだけである。一般的にいって、匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動に傾くことに注意しなければならない。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)

ははあ、よっほどこりたんだな。

あ、僕は運動家じゃないのは初めからわかっているので、二、三年で誰か実践的なリーダーが出てきたら引っ込もうと思っていましたが、僕が悠然と引っ込めるような体制にはなりませんでした。NAMがうまくいかなかった理由の一つは、まずインターネットのメーリングリストに依存しすぎたことです。(中略)もう一つは、運動に経験のある未知の人たちに会って組織すべきだったのに、僕の読者を集めちゃったわけね。インターネットでやればどうしてもそうなる。それで、柄谷ファンクラブみたいになってしまった(笑)。しかし、ファンクラブというのは実は互いに仲がわるいうえに、僕に対して別に従順ではなくて、むしろ柄谷批判をすることが真のファンだと思っているから、その中で軋轢が生じる。(『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)

……これは、私がNAMを始めたとき考えていたことと同じである。私も「少しは土にまみれて言わなくては」と思ったのだ。爾来、私は、現実の社会や生活から離れて存在すると考えられる類の芸術や文学に対する関心をまったく無くした。
石山さんは、私がやっていた社会運動(NAM)についても、「あなたのようなタイプの人は人を直接組織するのには向いていないので、黒幕として影に隠れているのがよろしい。土建屋の自分は人をまとめるのが上手なので、今度NAMのようなことをやるときには、僕が表に立ってあげますよ」と、申し出てくれた。私はいつか、それができる日が来ることを願っている。(柄谷行人「石山修武と私」